2014年1月12日日曜日

ヘレン・ケラー



小学生の頃は、校庭で遊ぶのが大好きでした。じっとしているのが苦手で、読書はあまり好きな方ではありませんでした。

学校の図書館に足を運ぶことはあまりなかった私でも、図書館に偉人伝の本が置いてあるのは知っていました。シリーズになっていて、エジソン、キュリー夫人、ナイチンゲール、シュバイツァーなどの本が、十数冊置いてあった記憶があります。その中の1冊に、ヘレン・ケラーの本がありました。

幼少期の病により、視覚、聴力を失ったため、意志の疎通が全くできず、粗暴でわがままで、親も手がつけられない子供になっていったヘレン・ケラーが、サリバン先生と出会い、献身的かつ厳しい教育を受けて、変わっていきます。もともと優れた知性の持ち主であったヘレン・ケラーは、さまざまな本を読み、勉学を積み、優秀な成績で大学を卒業します。その後は、盲人の就労支援活動をはじめとして、婦人参政権、公民権活動などを積極的に行いました。あらゆる社会弱者のために一生を捧げたと言って良いと思います。

サリバン先生との出会いにより、閉ざされていた心が開かれていったことは周知の事実です。ヘレン・ケラーがサリバン先生により言葉を初めて教えられた時の話は、あまりにも有名です。その時の様子を著書で、こう語っています。「彼女は私をツタのからまるポンプ小屋へ連れてゆき、彼女がポンプを漕いでいるあいだ、その水をコップで受けるように指示しました。そして空いたほうの手でふたたび力をこめてw-a-t-e-rと書きました。冷たい水の筋が私の手を流れているあいだ、私は全身の注意力を先生の指の動きに集中しながら、じっと立っていました。突然、私の中に不思議な感動が湧きあがりました。おぼろげな意識。遠い記憶のような感覚。それは、まるで死から甦ったような感動でした!先生が指を使ってしていることは、私の手の上を走りぬける冷たい何かを意味しているのであり、こうした記号を使えば私も人に意志を伝えることができるのだということを、私は理解したのです。それは、けっして忘れることのできないすばらしい1日でした!」。そして、その日のうちに「give」、「go」、「baby」などの単語を30も覚えてしまったそうです。後にそれが精神的目覚めであったと語っています。ちなみに「奇跡の人」という映画がありましたが、奇跡の人はヘレン・ケラーのことではなく、教育者としてのサリバン先生のことを指します。献身的な周囲の支えもあって、たくさんの知識を得ながら自立した女性となり、尊敬をあつめていきます。

しかし、小学生の私には不思議に感じたことがありました。なぜ3重苦の彼女が、誰よりも明るく、前向きに生きてられたのか。

自分が生きていくだけでも、想像を絶するほど大変なのに、世の中のために、人のために、並外れた行動力で社会福祉活動ができたのか。偉い人だからと言ってしまえばそれまでですが、最近になって、ようやく疑問に対する答えが見えてきました。偉人伝には書かれておらず、あまり知られていないことですが、ヘレン・ケラーにはサリバン先生とともに、衝撃的な出会いがありました。それは18世紀に生きたスウェーデンボルグの書籍でした。

その出会いにより、彼女の心に、明るい真理の光が差し込むことになります。スウェーデンボルグは18世紀に活躍した科学、数学、哲学など、あらゆることに精通した偉大な知性の持ち主であり、ゲーテやユングなど、多くの芸術家や思想家にも影響を与えています。頭脳明晰で、極めて論理的な思考をするスウェーデンボルグでしたが、50代になり、今までの考えを根底から変える驚異的な体験をします。それは、生きながらにして死後の世界である、霊界を探訪する体験でした。魂が肉体から離脱し、霊界を巡り、そこでの人々の暮らしを垣間見てくるのです。臨死体験をして、すでに亡くなっている人に会ったり、光の体験をする人はいますが、その世界よりも、さらに先にある、霊界を見て巡ることを許されたのです。その希有な体験と、そこから学び得たものを、世の中に知らせることが、自分に与えられた使命と信じ、多くの著述を遺すことになります。当然のことながら、優秀な科学者であった、スウェーデンボルグが、ある日を境に霊界などという荒唐無稽なことを言い始めたと、周囲の人は彼の頭はおかしくなってしまったと思いました。そして理解されないまま、英国の地でこの世を去ります。

そして百数十年の時を経て、彼の著述である「天国と地獄」にヘレン・ケラーは出会うことになります。視覚、聴覚を失ったことは、周囲の状況を知るということにおいて絶望的なハンディキャップになりますが、周囲からの影響を受けることも最小限となり、内面と向き合うことになります。幼い頃から、隔絶された心の世界の中で、うごめく何か、叫ぼうとしている何かを、常に感じていたのではないかと思われます。

そして、15,6才の頃に書斎にいながら、意識は遠く離れたギリシャのアテネに行っていたという、いわゆる幽体離脱という決定的な体験をすることになります。その体験について、「私の霊魂が実在すること、しかもそれは場所や肉体の制約を完全に超えていることを悟ったのでした。何千マイルも彼方の場所をこんなにありありと“見たり”感じたりしたのは、私が霊そのものであり、そのことにもはや疑う余地はありませんでした」と、後述しています。

内なる魂に目覚めた後に、導かれるようにスウェーデンボルグの著書に出会い、多くの知識や摂理を獲得していきます。ヘレン・ケラーが書いた「私の宗教」という本の中に、スウェーデンボルグことが多く書かれています。印象的であった文章のいくつかを紹介すると、「天界での生活とは、すべての物質的制約から自由になった状態と考えるのがいちばんよいだろう、とスウェーデンボルグは明快で信頼すべき啓示をもたらしました。もしそれが本当だとすれば、天界での教育について、私達は明確な観念を持つことができるでしょう。つまり、天界というのは霊の体をまとった魂たちの広大な領域であり、そこではすべての魂がひとつの壮大な“役立ち”のシステムの中に相互に関係しながら結び合わされています。その集団の中ではすべての個人が、自分をより高く向上させ、それによって全体の美を拡大させることのできる可能性や関心や特殊な知識をもっています。そこで、それぞれの個人は、お互いに他人に依存しながらも自分なりの仕方でより完全な成長を遂げ、ますます増大してゆく幸福感に応じてより多くの責任感を持つようになるのです。」と書かれていて、その見出しは「役立ちの生活」となっています。また「スウェーデンボルグは霊界での引力の法則に相当するものが愛であることを悟り、愛という放射の源泉が、太陽にのように実際にすべての霊魂に生命を与え、すべての被造物に美を与えるのを見た、と証言しています。」と書かれています。すばらしい表現だと感じるとともに、その内容は、霊界からの通信と多くの点で符合しているものと思いました。

ヘレン・ケラーは3重苦という、想像を絶する苦難を経験し、若くして魂に目覚め、霊界の存在や神の摂理を受け入れていたことが良くわかります。障害は神から与えられた試練と受け止め、愛や奉仕が最も大切であり、神の御心に適った行為であることを、深く理解していました。だからこそ、誰にでも明るく笑顔で接し、優しく弱者を励まし、世の中のために、人のために一生を捧げることができたと考えています。怯むこと無く、苦難に立ち向かい、他者を愛することで、神に愛された、美しくも偉大な魂の人です。

最後に、心に残った、ヘレン・ケラーの言葉を引用します。「私は、自分の障害を神に感謝しています。私が自分を見出し、生涯の仕事、そして神を見つけることができたのも、この障害を通してだったからです。」

4 件のコメント:

黒い蝶 さんのコメント...

こんにちは、初めまして。

私は数ヶ月前に世界で一番愛している人を突然に事件で失いました。その人は私が幼い頃から私の人生の太陽でした。

この数ヶ月の間、インターネットなどで必死に死後の世界などを読み、死は終わりではない、と自分に言い聞かせています。

このブログには偶然たどり着いたのですが、ひとつ気になる事があります。ブログの中で因果応報という事が何度か書かれていますが、突然、何の理由も亡く命を奪われた場合もその本人が何か過去にした事が原因なのですか? 

イクミ さんのコメント...

黒い蝶さん

はじめまして、イクミです。
ブログを読んでいただきありがとうございます。

まず始めにお伝えしたいことは、死は終わりではありません。世界で1番愛していた方は、嘆き悲しんで、途方にくれているあなたの傍らで寄り添っていると思います。目には見えなくても、愛するもの同士の魂は、決して離れ離れになることはありません。今は、悲しみが大きく、とても信じられないことかもしれませんが、何十年後かに、あなたがこの世を去った時に、目の前に愛する方が現れて、再会を果たせることを、断言をします。その時が来るまで、愛していた人が喜ぶような生き方をされて下さい。いつもそばにいて見守っていることを自覚して下さい。

以前の私は宗教というものには関心がなく、非科学的な現象を信じていませんでした。ところが、7年前に突然、霊的能力が出現し、考え方が一変しました。目に見えない力、目に見えない魂は確実に存在します。そしてシルバーバーチの霊訓に出会い、自分に起きたことを合理的に解釈することができました。黒い蝶さんの様に、最愛の人を亡くされた方に、生命は霊であり、死は永遠の別れではなく、つかの間の別れであるという真実を伝えるために、霊的能力を与えられました。

以来、7年間、シルバーバーチの霊訓を、繰り返し読み続けていますが、矛盾点や問題点を見つけることはできません。むしろ現実に起きていることが、書かれている内容と一致していることを、確認するばかりです。真実だということに疑いの余地はないのですが、100人読めば100人の解釈があり、私の解釈が正しいかどうかはわかりません。それをご承知の上でお読みいただければ幸いです。

私の妻は、動物愛護のボランティアをしています。保健所に収容された犬や猫を引き取り、新しい飼い主を見つける活動です。しかし残念ながら、全国で毎年数十万頭の犬猫がガス室で殺処分されています。殺処分される犬猫に罪はないことは明白です。犬猫を飼うことを放棄した人間、殺処分というシステムを存続させている社会に、その罪は帰せられます。また飛行機事故で何百人が1度に亡くなってしまうことがあります。乗り合わせた人すべてに、死をもって償うような原因があったとは、とても考えられません。東日本大震災で津波で亡くなった方全員が、過去にした事が原因であったと考えるのは、あまりにも不合理です。明らかな原因があって、結果としてさまざまな事故や災害が起きるのですが、被害にあった人に原因があったため、因果律の働きで亡くなるわけではありません。世の中で起こる事件に関しても、被害者となる人に、因果律が働いた、別の言い方をすれば原因があることも、そうでないこともあります。もし、ある人が暴力を振るい続けて、受けていた人が身の危険を感じたり、恨みを持って、逆に殺してしまったとすれば、もちろん行為は決して許されないことですが、殺された人が原因の1部を作ってしまったことになります。ある人が、通り魔的に無差別に殺されてしまったとしたら、被害者に何か原因があったためではなく、加害者側にすべての原因があったと思われます。確かに、この世での罪はなくても、前世での罪を償うために、災難と思われることに遭遇することはあります。しかし、過去に起こしたことににより、この世で殺されることがあらかじめ決められていたとは考えられません。なぜなら、人それぞれに、この世での計画はあるのですが、加害者の殺人行為という摂理に背いた重大な行為を、神が決めていたとは、到底考えられないからです。神が殺人を企てたということになり、それは有り得ません。あくまでも加害者の自由意志により決められたことであり、そこに居合わせていただけと思われます。黒い蝶さんの愛する方が、どのような状況で亡くなられたかは分かりませんので、断定は出来ませんが、前世を含めた過去の出来事が原因で亡くなったのではないと、私は思います。ただ、どうして巻き込まれてしまったのか、亡くなった意味については、いくら考えても結論はでないでしょう。それよりも、最愛の人が、この世で出来なかったこと、やり残したことをする、新たな機会が与えられ、生き生きとした生活をし始めるという事実の方が、はるかに大切です。そして、この世に残してきた愛する人の悲しみや嘆きは、愛する人の心配を生み、新しい生活をし始めるのを妨げてしまうことを、是非、知っておいて下さい。

繰り返しになりますが、生命は魂であり、肉体がなくなっても存続しています。あなたに対する想いはそのままであり、そのことを伝えたいために、ブログに導いたのかもしれません。目の前から突然いなくなってしまったことを、依然として受け止められないのかもしれませんが、愛する人の魂はあなたとともにいます。太陽が沈んでしまっても、消えてなくなったわけではありません。目に見えなくなっただけです。また眩しい姿をはっきりと目にする時が来ます。



黒い蝶 さんのコメント...

イクミさま

見ず知らずの私にこんなに丁寧に説明をして頂きありがとうございます。イクミさまのシルバーバーチの霊訓に対する熱意が伝わって来ました。

私も昔からスピリチュアルな本を愛読しており、自身には霊感はないのですが、その摂理に感銘を受けておりました。しかし数ヶ月前に天地がひっくり返る様な体験をした後、信じたいけれど信じられないという心境になってしまいました。

それは、どうして人に尽くして真面目に生きてきた人がこんな酷い人生の終わり方をしなければならなかったのか、もしも全ての事が神の法則である因果律に従っているというのであれば、あまりに不条理はないか、と思う様になったのです。

それでも再会を果たせると断言して下さったことは心の糧となります。感謝してます。またブログを訪問させて頂きますね。

イクミ さんのコメント...

黒い蝶さん

イクミです。私の方こそ、自分の持っている知識が、つらい思いをされている人の支えに少しでもなったのなら、これ以上うれしいことはありません。黒い蝶さんの愛されていた方は、きっと誰からも慕われていた立派な方なのでしょう。その様な方が、酷い人生の終わり方をされたのであれば、残された人たちのやり切れない思いは、計り知れないと思われます。この世は、さまざまな人間のるつぼであり、人のために尽くす人もいれば、人を傷つける人もいます。そのため不条理と思えることが、常に起こっています。この世という限られた視野から見れば、死は終わりであり、最も不幸なことと思われます。しかし、実際には魂を表現する肉体を失っただけであり、生命そのものである魂は生き続けているのです。最愛の人の魂は、肉体の束縛から解放され、生前、親しかった人たちの元を訪れて、お別れの挨拶ができなかったため、何かを伝えようとしているのかもしれません。黒い蝶さんには、「くよくよしないで、前を向いて生きて」と言っているのかもしれません。