2026年2月22日日曜日

霊的につながっている



私は家のパソコンで、この文章を書いています。

書いた文章をネット上で公開すると、皆様の目に触れることになります。

離れた場所から読んでいただけるのは、それぞれの器機が電子的につながっているからです。


地上にいる私たちは、肉体を携えた霊(魂)です。

肉体は地上における表現媒体であり、人間の本質は霊(魂)です。



食物を摂取して、肉体は活動するエネルギーを得ています。

それとは別次元エネルギーによって、霊(魂)は活動しています。



それを「生命力」と言っても良いでしょう。

科学的に証明できるものではありませんが、このエネルギーによって精神は活動し、病気や傷が治って行きます。



約20年前にヒーリングの力が突然出ましたが、その力も生命力の一種です。

以来、エネルギーが流れている感覚が常にあります。

その感覚は、寒さで体の芯まで冷え切った時に風呂に入ってしばらくすると、手足がビリビリと痺れたようになりますが、それに似ています。



感じる感じないにかかわらず、全ての人に生命力は流れています。

このエネルギーにより、私たちは生かされています。



肉体を始めとして、あらゆる物質を創っているのもエネルギーです。

宇宙はエネルギーによって創られ、変化(進化)し続けています。



宇宙の隅々にまで自然法則が働いていて、それにより秩序と公正が保たれています。

全エネルギーと全法則の総称を、「神」と呼ぶのだと思います。



広大な宇宙から見れば、地球は限られた小さな空間です。

そこに、さまざまな動物や植物が生きています。



上の絵はゴッホの「種まく人」です。

たくさんの色が集まって、1つの絵が構成されています。

目を近づけて1つ1つの色を見ても、そこにその色がある意味は分かりません。

少し離れたところから全体を見渡すと、あるべき場所にその色があることで、全体に調和が生まれて、美しい絵となっていることが分かります。




人間も同じだと思います。

人間を個別に見ただけでは、何のために存在しているのか分かりません。

全体を見渡すことで、他者とのつながりが分かり、必要とされていることが明らかになります。




生命もそうです。

全ての生命は、全体のために何らかの役割りを果たしています。

それぞれが果たしている役割りが明らかになれば、生命全体が密接につながっていることが分かります。

無用なものは、この地上に存在していません。




全ての人に流れているエネルギーは同じです。

そのエネルギーは、神的なものであり愛を帯びています。

全体のために、寄与しようとするエネルギーです。




そのエネルギーを肉体を使って表現するのが地上です。

けれども、媒体である(地上の)自我が不完全であり、意識は自分に向いてしまうために、表現は著しく妨げられています。




死んで肉体がなくなると、(地上の)自我は消滅します。

それに伴い、意識は自分から全体へと向かいます。

蘇った霊的な感覚により、全体と自分は同じエネルギーでつながっていて、全体の一部であることが分かります。

自我により妨げられることがなくなったエネルギーは、全体のために活かされるようになります。




地上に生まれると、肉体にある五感が前面に出て、霊的な感覚はその陰に隠れてしまいます。

ところが、状況が一変する時があります。

危機的な局面、深刻な出来事に直面して、魂が目覚めると、意識は自分から全体(周囲)へと向かうようになります。

霊的な感覚が前面に出て来て、全体と自分とのつながりを意識するようになります。




一例ですが、東日本大震災が起きた時に、被災地のために何かをしたいという想いに駆られた人は少なくありません。

人とのつながりが強く感じられ、平常時にはない連体感があったように思います。



私たちは、同じエネルギーによって霊的につながっています。

地上では目に見えるものが全てだと錯覚してしまうので、そう思えなくなっているだけです。

パソコンやスマホの電源を切ればつながりは断たれますが、生命のつながりを断つことは絶対にできないのです。




大切なこの事実を忘れて、過った行いをしています。

その最たるものが戦争であり、つながりを断とうとしています。




神は全てを織り込み済みです。

つながりを自覚し、誰かのために何かをしようとする者には、そのためのエネルギーと喜びが与えられます。

つながりが信じられずに、断とうとする者には、苦痛が与えられます。
    



喜びと苦痛により、エネルギー(生命力)は全体のために活かされるようになって行きます。

長い長い時間をかけて、世界はつながりを増しながら、1つになって行きます。
    




2026年2月15日日曜日

何のために生きているのか?


若い時、「何のために生きているのだろう?」と自分に問いかけていました。

けれども、いくら考えても答えは見つかりません。

周りの人たちはそんなことなど気にせずに生きているように見え、いつしか考えなくなりました。



20数年経って、「シルバーバーチの霊訓」と出会い、その中に答えを見つけました。

それは「成長するため」でした。



成長するとは、どのようなことでしょうか?

一般的には、自分の可能性を拡げたり、人間として成熟することを指します。

霊的には、より神性(神の心)が発揮されるようになることだと思います。



神の心とは、全体を慈しむ心だと考えています。

全てを愛する心と言っても良いのかもしれません。



私たちは神により創られた、神の一部です。

私たちの中に、神の心が良心となって顕現しています。



地上では肉体があり、(地上的な)自我によって自己表現しています。

地上を生きて行くために自我は必要なものですが、その働きによって良心(神性)が発揮されるのが妨げられます。



車を運転している時、横道から合流しようとする車がいたとします。

自分の良心は道を譲ろうとしますが、そのまま進んでしまおうとする考えが自我に生まれると、その行動は妨げられます。

駅のホームで、線路に落ちて動けなくなった人がいたとします。

そこに電車が迫って来ています。

良心は助けようとしますが、自我は身の安全を第一に考えて、その場に留まろうとします。

過去に助けようとして命を落としてしまった人がいますが、もう地上を生きる必要がないほどの神性が発揮された結果のようにも思えます。



霊界では肉体がありません。

そのため生きて行くために働く必要がありません。

地上では組織のために働いて、その対価としてお金をもらったり、家族のために家事をして働くことで、生活を営むことができます。



働いている中で、誰かに喜ばれたり、感謝されると、うれしさを感じます。

私も仕事をしていて、「何でもおいしく食べられるようになった」とか、「人前で笑えるようになった」と患者さんに喜んでもらえると、とてもうれしくなります。

そのうれしさが、仕事をするモチベーションとなります。


人は何故ペットを飼うのでしょうか?

かわいい、一緒にいると楽しい、癒されるなどの理由があります。

それ以外に、動物たちのために何かをしてやることに、人は喜びを感じるからだと思います。

与えた餌をおいしそうに食べているのを見たり、うれしそうに散歩をしている姿を見ると喜びを感じます。



人は誰かのために何かをすることで、喜びが感じられるようになっています。

けれども、地上では自我や肉体があるために、その喜びが感じにくくなります。

身体の具合が悪い時に、何かをしてやろうという気持ちになれませんし、無理にすれば苦痛となってしまいます。

また、物を買ったり、おいしい物を食べるなど、すぐ手に入る(地上的な)喜びがあり、それを求めがちになります。


子供の時に、わがままを言ったり身勝手な行動をしていると、仲間外れにされて、孤独という苦痛を味わいます。

社会に出て同じことをしていたら、組織に不利益をもたらす者として、クビになってしまうかもしれません。



そうなるのは偶然ではなく、神の創った法則の働きによるものです。

いつでも、どこでも、誰にでも同じ結果が生じます。

法則の働きによって生じる喜びと苦痛により、私たちは神性を発揮する方向へと導かれています。


霊界では、何もしなくても生きて行けます。

好きなことだけしていても許されます。

地上を生きている私たちにとって、まさに天国と言えます。



けれども、それだけでは成長することはできません。

人は、誰かのために何かをすると、法則の働きによって成長します。

自由に生きられる霊界で成長して行くために、生きるために誰かのために何かをしなければいけない地上に生まれて、奉仕をするための意志を培っていると考えられます。



それでは、何にために成長するのでしょうか?

私たちは霊的につながっています。

これは、霊界に行けば当たり前のように感じられることです。

地上では肉体(物質)が存在し、五感により外部を感識しているために、つながりは感じられなくなり、それぞれが独立して存在しているように見えます。

そのために、地上ならではの障壁や問題が生まれます。

それらを克服して行くために、神性が発揮されなければいけません。



自我に打ち克ち、より神性を発揮できるようになるのが、地上に生まれた目的と考えられます。

神性が発揮される度に、進化成長して行きます。

お互いを隔てているものが取り払われて、霊的に1つになって行きます。

そんな計画の元に、私たちは生きていると考えています。











2026年2月8日日曜日

世界を変えるもの


このブログで政治のことを書くことはありません。

政治は地上的なものであり、霊的なものを扱うこのブログの主旨とは違うと考えているからです。



ただ、政治のありようによっては、霊的なものにまで影響を与える場合があります。

戦争がそうです。

外交(政治)によって、戦争になったり、回避されたりします。

いざ戦争が始まれば、人と人が傷つけ合い、殺し合うことになります。

多くの人の人生が狂わされてしまい、予期していた学びや成長が得られなくなってしまいます。



霊界の人たちは政治のことをどう捉えているのでしょうか?

シルバーバーチの霊訓にはこのように書かれています。

「私たちは政党というものには関与しません。私たちが関心を向けるのは、どうすれば人類のためになるかということです。地上世界は悪習と不正、既成の権力が氾濫し、それが神の豊かな恩恵が自由に行き渡るのを妨げています。そこで私たちは利己主義に立ち向かっているのです。そのためになる人であれば、党派に関係なく、時と場所を選ばずに影響力を及ぼして、改革なり改善を促します。」

組織(政党)には関心がなく、個人個人の想いを察知して、社会のために何かをしようとしている人を積極的に援助していると思われます。



霊界における絶対的な基準は「愛」です。

利他的で奉仕の精神に富んだ人には、たくさんの指導霊が付いて、インスピレーションを送り、それが導きや気付きとなっていると考えられます。

想いを送って、勇気付けたり、励ましたりして、実現させようとしています。



地上の人は霊界の人のように本心を知ることができません。

人や社会のためになろうとしているのか、エゴを満たそうとしているのかを見極めるのは困難です。

それでも、普段どんな生活をしていて、どんなことをやっているのかで窺い知れます。



リンカーンは庶民的な感覚を持ち続け、贅沢な暮らしを好みませんでした。

南北戦争で犠牲になった兵士の家族に手紙を書いたり、金銭面で援助をしていましたが、そのことを公にすることはありませんでした。

そんな人はどこを探しても見当たりませんが、エゴが強くなく良心に忠実な人、質素な暮らしをして弱い者の味方になっている人であれば、ある程度信用できると思います。



シルバーバーチの霊訓にはこう書かれています。

「富の神マモンを崇拝し、欲望に走り、利己的になり、他人のことなどどうでも良いと考えるようになったら最後、自分の国だけでなく地球全体が暗黒と困難と悪と疫病という、自由意志の選択の誤りが生み出す結果で埋め尽くされる結果になります。」

エゴが強く、利己的な人たちが大きな権力を手にしている今の世界は、かなり危うくなっています。



世界はつながっています。

コロナウィルスは世界の隅々にまで広がりましたが、そのことは人と人は国や人種を超えてつながっていることを証明しています。

遠い国で起きている戦争も、他人ごとではなく、全体に影響を及ぼし、何らかの結果が返って来ます。



自然法則の働きによって、世界は1つになる方向へと向かっています。

遠い過去から現在に至るまでの道のりを振り返れば、そのことがはっきりと分かります。



進化は一直線ではなく、スパイラルを描きながら進むと言われています。

人と人を分断させ対立を生むような、自然法則に反した言動が繰り返されている今は、下方局面に入っているのかもしれません。


地上には、さまざまな人がいます。

そのために、違うもの同士の間に争いが起こり、差別が生まれます。



生きるために物質を必要とします。

そのために、強者と弱者が存在し、強者は限りなく富み、弱者は生存を脅かされる事態にまで陥っています。



争いではなく協調や調和を選び、強者が弱者を助けるような仕組みを作るのが、本来の政治の役割りであると考えています。

霊的真理を実践すれば、必然的にそうなって行きますが、残念ながら知っている人すらいないのが現状と思われます。



政治で変えることができるのは、外側の世界だけです。

世界が変わるのを政治に求めるのではなく、自分が変わることで世界が変わり始めます。

この世界は、個の人間の集合体だからです。

意志や行動が同じ方向に変わることで、根本から世界は変わります。



シルバーバーチの言葉を引用して結びます。

「地上世界を一気に変革することはできません。人々を変えるのは容易ではありません。でも自分を変えることは今すぐからでもできます。いつどこにいても人のためを心掛けましょう。力になってあげましょう。」






2026年2月1日日曜日

未来の自分のために


地上を生きる人には、さまざまな欲求があります。

現代社会において、「承認欲求」に悩まされている人が多くいるようです。

「他人から認められたい」「評価されたい」この欲求を満足させるために、多くのエネルギーを消費している人も少なくありません。



仕事で評価をされるとうれしくなるので、私にもこの欲求があります。

向上心につながる側面もあるので、それ自体が悪いわけではありません。

問題なのは、この欲求を満たすことが生きる目的となってしまっている場合です。



欲求が満たされても、それは一時的なものです。

しばらくすると、また満たそうとします。

その理由は、金銭欲と同じく、エゴ(自我)から生まれているものだからです。

十分なお金があっても満足せずに、もっと欲しくなりますが、それと同じように、承認欲求にも際限がありません。



なぜ、承認欲求が強くなるのでしょうか?

思い出してみると、子供の頃から成績表やテストの順位、偏差値などで評価され続けて来ました。

親や先生など大人たちは、良い結果が出ると褒めて評価します。

評価された子供はうれしくなり、さらに良い結果が欲しくなります。

大人に評価されると、子供は認められている気がします。

このような環境で育つことにより、自然に承認欲求が生まれると思われます。



社会に出ても、数値などの結果により評価されることが多いです。

評価が給料や出世に反映されることが多いので、どうしても気になってしまいます。


この世は、評価をしたり、されたりすることで溢れていると言えます。

人間的な価値が、評価によって決まってしまうという錯覚に陥っている人もたくさんいます。



周りから認められた方が、安心して生きて行けるような気がします。

周りから評価された方が、自分の価値が高まり、安定して生きて行けるような気がします。

このようにして、知らないうちに承認欲求が強くなって行くと思われます。


あの世に行くと、肉体はなくなり、エゴも消失します。

それに伴い、承認欲求からも解放されます。



そこにあるのは、神の法則の働きだけです。

法則の働きによって、私たちは生きています。

神によって認められた存在であることを知ります。

誰かに認められる必要も、誰かに評価されることもありません。

あるがままの自分でいられることに、大きな喜びを感じるでしょう。



認められ、評価されることに代わって、自分の想いが法則の働きに叶っているか、反しているかが問われます。

法則に叶った想いを、一言に集約するのならば「愛」です。

叶っていれば、神(宇宙)からより多くのエネルギーを受け取ることができ、オーラは光り輝きます。

反していれば、オーラはくすんだものになってしまうでしょう。



地上においても、同じ法則が働いています。

誰かのために何かをしようとする人が輝いて見えるのは、神からエネルギーを受け取っているためです。

自分のことしか考えない人からは、そのような輝きは感じられません。



言葉や行動に込められた想い(動機)に対して、法則が働いています。

いくら頑張って行動しても、エゴの欲求を満たすためであれば、動機が法則(愛)に叶っていないので、神からエネルギーを受け取ることができません。

それでも欲求に従って行動するのなら、次第にエネルギーは枯渇して行きます。

何のために生きているのか分からなくなり、疲れ果ててしまうでしょう。



それとは反対に、誰かのために何かをしようとする時は、神の心と同調しています。

無尽蔵の源からエネルギーが供給され、目的を成就するための活力となります。



例えば、自分の評価を高めるためではなく、(組織を通して)人や社会のために貢献したいと想いながら働いた方が、エネルギーを受け取ることができるために、疲労感は少ないと考えられます。(もちろん肉体や精神は疲弊するので過労はいけません)

同じことをするにしても、エゴの欲求からではなく、他者のためであれば、上手く行く可能性が高くなると考えられます。



その現象が、スポーツの世界で顕著に表れることがあります。

2011年3月、東日本大震災が起きましたが、それから数か月後に女子ワールドカップサッカーがドイツで開催されました。

日本全体が重苦しい雰囲気に包まれる中で、大会に向けて準備を進めて行くうちに、選手たちの間に「女子サッカーで日本に元気を送りたい」という気持ちが強くなったそうです。

試合前のミーティングで「何のために、この大会を戦っているのか。それは震災で打ちひしがれた人たちに、われわれが一生懸命ひたむきにプレーする姿を見ていただいて、何とか元気になってもらうためだ」と監督は選手を鼓舞したそうです。

結果として、奇跡的な勝利が続いて、見事に優勝を果たしました。



相撲取りで、ウクライナ出身の安青錦関がいます。

避難民として3年前に来日した彼は、21歳と言う若さで大関に昇進し、2場所連続で優勝を果たしましたが、その活躍はウクライナでも話題になっているようです。

きっと、戦時下にある祖国の人たちを想いながら相撲に臨んでいるのだと思います。



以前このブログに書きましたが、あるメジャーリーガーが起こした奇跡も同様な法則の働きによって起きたと思われます。

自分の栄誉のためではなく、少女を勇気付けたい、希望を与えたいという純粋な想いが神の心と同調し、想像以上の力が出せて、奇跡のような結果が生まれたと考えられます。

人は誰かのために何かをする時に力を与えられますが、その法則の働きは地上では分かり難くなっています。



私たちは、本来の住処である霊界に戻ります。

地上的な欲求が満たされる喜びに代わり、全体のために奉仕をすることで、霊的な喜びが得られるようになります。

奉仕をしようとする時に、神から力が与えられることが、はっきりと分るようになります。



魂の成長度に見合った奉仕をすることになりますが、しばらくするとより次元の高い奉仕をしたくなります。

より次元の高い奉仕をするのに必要な資質を身に付けるために、この世に生まれて相応しい経験をしています。



自我の欲求を満たすためではなく、未来の自分が奉仕をする喜びに満たされるために生きていることを忘れてはいけないと思います。