社会は目まぐるしく変化しています。
私の仕事においても、新しい手法やマテリアルが次々と開発されています。
新たな技術に取り組むのはリスクを伴い、身に付けるまでに労苦があるので、現状のままで行きたい気持ちがあります。
現状のままでいるのは安全で楽ですが、取り残されてしまう可能性があります。
どちらか迷った時は、後悔のないように進んで行きたいものです。
宇宙は一瞬たりとも休むことなく進化しています。
人間は宇宙の一部です。
私たちは、宇宙全体と共に進化して行く運命にあります。
人間はさまざまな面を携えて生まれて来ます。
自然法則の働き(神の心)に適っている面もあれば、適っていない面もあります。
先日、中学時代の同窓会がありました。
50年近くの歳月を経て、容姿には大分変化がありましたが、性格は思ったほど変わっていないように感じられました。
当時、嫌だなと感じていた同級生のある面がなくなっていることに気付きました。
いくつかの面を挙げてみます。
寛容心、親切心、共感力、忍耐力、誠実さ、利他性、公平さ、責任感、思慮深さ、柔軟性、意志力、勇気、思いつくだけでもこれだけありますが、他にもたくさんあるでしょう。
それぞれの面に対極があり、それらの面が組み合わさって、個性が生まれていると考えています。
持っている面が、自然法則の働きに適っていないとします。
例えば、自分勝手な面を持っていたとします。
「利己的」なその面を表現すると、周囲の人に内在する神(良心)が瞬時に反応します。
子供でしたら「いけない」と感じて、注意をしたり、時に仲間外れにしたりすることもあるでしょう。
社会に出て、自分勝手なことばかりをしていたら、会社をクビになるかもしれません。
結婚していたら、離婚されるかもしれません
周囲から返って来るものは、往々にして苦痛を伴うので、自分勝手な言動を改めるようになります。
不寛容な人は、自分が失敗した時に厳しく咎められるかもしれません。
不誠実な人は、信用を失い、誰からも相手にされなくなるかもしれません。
協調性のない人は、疎外されて、孤独になるかもしれません。
神の心に適っていない面は、自然法則の働きにより、不快で不利益な結果が返って来ることで正されて行きます。
私たちが死んだ後に赴く霊界は快適な世界です。
けれども自分が変わるのは難しいようです。
変わる必要に迫られないからです。
そこで地上に生まれて来ます。
苦しみや痛みを伴う経験することで、必要に迫られて、何かを学びながら変わって行きます。
どうしても変われないのであれば、何か理由があるのかもしれません。
変われないために生じる苦しみを味わうことで、過去の過ちを清算している可能性があります。
清算が終われば、苦しみから解放されます。
初めて地上に生まれた人間は、ダイヤモンドの原石のようなものです。
内部にある神の光は遮られてしまいます。
何度も地上に生まれて、さまざまな経験をすることによって、いくつもの面が磨かれて行きます。
たくさんの面が磨かれることによって、眩しい光(オーラ)を放つようになります。
自然法則の働きの中に、神の心が表現されています。
自然法則の働きによって、神の心が表現できるように変わって行きます。
それが魂の成長と考えています。
私たちは自然法則の働きにより変わって行きますが、自らが進んで変わることもできます。
そのためには、知識と意志と勇気が必要です。
知識がなければ、どう変われば良いのか分かりません。
変わろうとする意志がなければ、変わることはできません。
勇気が欠如していると、変わろうとする意志が削がれ、そのままでいたい気持ちが強くなります。
変わる、変わらない、どちらでも選択できます。
けれども、私たちは全体と共に変わって行く運命にあります。
変わらない方を選択したとしても、運命づけられているのであれば、先送りをしているだけです。
ずっと留まっているのは、全体の流れに逆らっていることになります。
そのために苦しいのかもしれません。
勇気を振り絞って、前に進んで行くことで、苦しみから解放されるかもしれません。
全く予想もしなかった世界が、その先に見えて来るかもしれません。
この人生が全てではありません。
果てしなく人生は続いて行きます。
前に進もうとする勇気、変わろうとする意志は、次の世界で成長しようとする意志になると考えられます。
自らの意志で自律的に成長して行くために、変わることで苦しみから解放される地上に生まれて来たと考えられます。
5 件のコメント:
イクミ様。本当に勉強になりました。
世の中は常に新しいものが生まれ、常に成長しつづけていると感じています。
それなのに、頑なに、自分を変えたくない、ぬるま湯に浸かっていたい、過去に縋りたい。
と思う人もいますが、そうなると、周囲を批判する人間になってしまい、自らを省みることができなくなり周囲とうまくやっていけなくなるのかもしれません。
人を変えたがる前に自分を変える必要があることに気付かないのでしょう。
私はそう思います。
私はまずは自分を振り返ることから実践したいです。
masa様
こんばんは。
所用があり返信が遅れて申し訳ありません。
ブログを読んでいただきありがとうございます。
そうですね。
自分が変わりたくない人ほど他人を変えたがるような気がします。
それが上手く行かないと批判をしたりします。
そうならないように、私も気を付けたいと思っています。
霊界よりも地上の方がはるかに効率的に自分を変えることができると思います。
そうでなければ、霊界を離れる気にはならないでしょう。
私たちには霊的真理がありますので、それに照らし合せて、自分自身を振り返り、理想とするものに少しでも近づきたいですね。
イクミ様、お返事をありがとうございます。
自分の欠点を反省することも大切なことですよね。
多様性と欠点をごっちゃにしないよう気をつけたいと思います。
話は変わりますが、私の従姉妹は子供の頃とてもヤンチャでワガママな子で、私はとても苦手だったんです。
ところが、大人になってから再会すると、とても笑顔が素敵な落ち着いた大人の女性になっていて驚きました。
子どもを2回お腹の中で亡くしましたが辛さを周囲には一切見せず、その後、また子どもに恵まれました。
今は外国で活躍していて学会の時しか帰国しないのでなかなか会えませんが、従姉妹は私に取り大変尊敬すべき存在となりました。
父とこの件について話しましたが、父から「人は成長するんだ、成長するから人間なんだ。」と言われ、イクミ様のここ最近の記事ともリンクしました。
速度の差はあれ、成長し続けるのが人間。
変化を拒否し、居心地の良いところで他人を批判してばかりいるのは、人間の摂理に反するので苦痛が発生するのではないかと思いました。
シルバーバーチを読み返してみますが、おそらくシルバーバーチもそう言っている気がします。
masa様
宇宙は神的エネルギーと法則の働きによって進化しています。
変化なしに進化もありません。
人は成長という変化をしています。
変化を拒むということは、法則(神)の働きに逆らっていることになります。
勢いよく流れる川の中で留まっているのと同じで苦しいものです。
自然の流れに従って、変わって行くのが本来の姿だと考えています。
従姉妹の方は、いろいろな経験をしながら良い方向に変わって行ったのでしょう。
はい、従姉妹は、変化を恐れずに自分を向上させることを怠らなかったと思います。
私も、自分のことを棚に上げて人にどうこう言うような人間にはならないように、まずは自分の言動を客観的に見直して少しずつでも成長していきたいです。
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