2022年1月30日日曜日

永久(とわ)の別れ


永久の別れと聞いて思い浮かぶのは何でしょうか?

「死に別れ」という人が多いと思います。



死ぬと、肉体は全く動かなくなります。

動かなくなった肉体は荼毘に付され、骨だけになります。

今まであった肉体がなくなると、存在自体がなくなってしまったと思う人も少なくありません。

そんな理由から、永久の別れと思ってしまうのも、仕方がないかもしれません。



人間を構成しているのは肉体だけではありません。

肉体を動かしているのは精神であることは、誰もが知っています。

その精神を動かしているのが、さらに高次に存在する魂です。

人間は、肉体、精神、魂(霊)の複合体です。



魂は生命そのものであり、その人の本質です。

死んで肉体は骨になっても、意識は変わりなく存在しています。

「完全にいなくなった」と誤った認識をすると、無用な苦しみに襲われてしまいます。


「遠いところに行ってしまった」と言う人がいますが、それも正しくはありません。

亡くなった人がどうしているのか?

自分が死んだ時のことを考えれば、容易に想像が付きます。

大切な人を放っておいて、遠くに行ってしまうでしょうか?

「どうしているのだろう?」

「大丈夫だろうか?」

きっと、気になるのではないでしょうか。

肉体がないだけで、他は生前と何も変わっていません。

親愛の想いがあれば、傍にいたくなるのは、自然の成り行きです。



視えなくなったけど生きている。

たったそれだけのことですが、信じるのはなかなか難しいようです。

今まで目に視える世界が全てだと思っていた人が、急に魂の存在を信じなさいと言われても戸惑うだけです。

証明されない限り信じないのは、理性を持つ人間であれば当然なのかもしれません。



愛は目に視えず、存在を証明することもできません。

それでも、ほとんどの人は存在すると思っています。

愛が存在しているのを信じている人であれば、魂の存在も信じられるはずです。

なぜなら、愛が生まれる場所も、感じる場所も魂だからです。



亡くなった人の肉眼は失われているために、地上の人の肉体は視えません。

しかし、肉眼に変わって霊的な眼が見開かれて、魂が視えるようになります。

魂から生じている地上の人の想いは、手に取るように判るようになっています。

一方、地上の人は、亡くなった人の想いが全く判らなくなっています。

両者の状況は正反対です。



遠いところに行ってしまうわけなどありません。

物理的な制約がなくなり、生前よりも近くにいられるようになります。

「死者の力~津波被災地「霊的体験」の生死学~」(高橋 原、堀江宗正著 岩波書店)という本があります。

遺族の霊的体験をインタビュー形式でまとめたものですが、その中にこんな一節があります。

「夫を亡くした女性は、心のなかに夫がいて、話しかけると答えてくれるような感じがし、メッセージを受けたと喜んでいる。たまに気配を感じ、見守られていると思う。彼女は、どちらの家系の先祖も熱心に拝んでいる。『誰も死んでいない、人の魂は死後どこにも行かず、生きている人たちと一緒にここにいる』と話す(70歳女性、2014年談)」

魂の存在を否定する人は、この文章を読んで、悲しみの果ての妄想あるいは錯覚と片付けようとするでしょう。

けれども、この人以外にも同様の経験をしている人がたくさんいます。

多くの人が霊的体験によって、悲しみや痛みが癒されています。

誰にでも起こっている現象ですが、それを感じ取れるかどうかの差と考えられます。



「魂でもいいからそばにいて~3・11後の霊体験~」(奥野修二著 新潮文庫)には、数多くの霊的現象が書かれています。少し長くなりますが、その中の1つを引用します。

「津波で逝った(長男)の康生くんがそばにいると感じたのは、震災から2年経った頃だという。あの子は言葉は思い出すのに声が出てこない。幼稚園で撮ったビデオを見ればいいのに、怖いのと見れば悲しくなるのがわかっているから見ることもできない。康ちゃんどうしているんだろう、逢いたいなあ…、由理さんのそんな思いが頂点に達した時だった。

「2013年のいつでしたか、温かくなり始めた頃でしたね。あの日、私と中学生の娘と主人と、震災の翌年に生まれた次男の4人で食事をしていたんです。康ちゃんと離れて食べるのもなんだから、私が祭壇のほうを振り向いて、『康ちゃん、こっちで食べようね』そう声をかけて『いただきます』と言った途端、康ちゃんが大好きだったアンパンマンのハンドルがついたおもちゃの車が、いきなり点滅したかと思うと、ブーンって音をたてて動いたんです」

          
窓際にプラスティック製のその車が置かれていた。由理さんがスイッチを入れると「ガガガガ、出発進行!」という機械の音声が聞こえる。もちろん勝手に動くことはありえない。

「『このおもちゃ、勝手に動くの?』どうやったってスイッチをオンにしないかぎり動かないのに動いたのです。その時みんな『アッ、康ちゃんだ』と叫びました。『康ちゃん、こんなとこさ、遊んでんだ』そう思ったらうれしくて仕方がありません。それから何日か経ったある日、主人が次男をお風呂に入れていた時でした。『康ちゃん、もう一回でいいからママにおもちゃを動かして見せて』心の中でお願いしたんです。そしたらまた動いたんですよ『康ちゃん、ありがとう』こんな近い距離で私たちを見ているんだ。そう思った時、昔から私に『笑って、笑って』とひょうきんな顔をしたのを思い出しましてね、そうだ、私も笑わなきゃだめだ、頑張らなきゃだめだと思ったのです。

奥のキッチンから、長女が料理しているのか、カタカタと音がする。由理さんは、すっかり冷たくなったお茶をすすった。」(『ママ、笑って』より)




ここまではっきりと現象を見せてくれるのは稀でしょう。

康ちゃんの伝えたい強い思い、お母さんの知りたい強い思いに共感した霊界の存在の助けが加わって物理的現象が起きたと考えられます。

何よりうれしかったのは、「笑って」という想いをお母さんに伝えられたことだと思います。

近くにいると信じてもらえた瞬間、お母さんの魂に自分の想いを託したイメージを吹き込んだのです。

そのイメージを元に、想いを感じ取ってもらうことができました。

久しぶりにお母さんの心からの笑顔が見れて、きっと安心したでしょう。

何らかの現象が起きた時には、そこに向こうの人の想いが込められています。

言葉では伝えられないので、想いを感じ取って欲しいのです。



愛があるからこそ、いろいろな方法で地上の人に存在を示したり、想いを伝えようとしています。

残念ながら、そのことに気付かないのがほとんどです。

運よく気付いたとしても、気のせいや思い付きとして片付けてしまいます。

こんなにも近くにいるのに、自分の想いをどうしても伝えられない。

向こうにいる人の想いを知ることのできないつらさは、地上の人に想いを伝えられないつらさの裏返しです。



泣きじゃくっている子供に、何を言っても無駄な時があります。

感情で心が一杯になっている人に、存在に気付いてもらうことも、想いを感じ取ってもらう余裕もありません。

悲しみのオーラが壁のように感じられ、近づけなくなります。



重苦しい肉体から解放されて、自由に何でもできるようになっています。

物理的な制約がなくなり、近くにいられるのを喜んでいます。

しかし、そのことが全く判らない地上の人は、いなくなったと嘆き悲しんでいます。

両者の想い(波長)があまりに違うために、接点はほとんどありません。



同じ屋根の下で暮らしながら、心が全く通い合っていない人がいます。

法律的に1番近い関係である夫婦でも、お互いの都合でそうしている人たちもいます。

別れとは、想いが通い合わなくなり、つながりが断たれた状態を意味します。

触れ合うほど近くにいたとしても、霊的には別れています。

死んだ後に、再会することもないでしょう。

そんな人こそ、永久に別れているのかもしれません。

同じ次元で生きているか、いないかは関係ありません。



死は永久の別れと思っている人がいますが、とんでもない誤解です。

誤解が苦しみを生んでしまいます。

肉体はなくても、心は失われていません。

視えなくなっても生きている、想いは変わっていないと、強い意思を持って信じることが必要です。

信じることは愛することです。

魂は再びつながり、愛せない苦しみから解放されます。



愛は魂を引き合う力です。

死によって、その力はいささかも失われないので、引き裂かれることはありません。

親愛の想いで結ばれている人たちに別れは存在しません。





37 件のコメント:

あさよ さんのコメント...

いくみ様
ブログ読ませて頂きました。

視えなくなったけど生きている。
いくみ様に出会った頃の私には信じられない事でした、主人が逝き10年すぎた頃でしたね?
10年悲しみ苦しみ死ぬ事ばかりを考える日々
でも両親のお世話が始まり
死ぬ事もできずにいた頃
いくみ様に出合い
こうして今思えば両親の事もやはり主人からのメッセージだったのかと…

それからはいくみ様からのお言葉を聞く度に
そばに居てくれる主人を感じて生きられるようになりました。

先日
私の部屋で姪と義妹とお喋りをしていると
(姪は主人が大好きで)
洗面所のドアがすうーと開き
あっ!!あきさんが来たょと姪…

弟の命日が7月22日なので月命日には食事会をしているのですが最中にドアチャイムが音を変えなるのですょ
音が変わることも不思議ですが外には人はいません

(それぞれの月命日に食事会をするのは母の決まり事でした。)
そんな事は度々あります。
視えなくてもそばに居るサインだと思います
いくみ様
こんな話は信じられない方々も居ますけれど。

私は何かにつけて話しかけます!!
いつの間にか応えてくれています
現在は右肩に主人、左肩に母を感じています

親愛の想いで結ばれている人たちに別れは存在しません。

本当ですね
姿は視えずど愛は感じられますもの。
いくみ様
ありがとうございます。

イクミ さんのコメント...

あさよ様

こんにちは。
ブログを読んでいただき、ありがとうございます。

あさよ様から初めてコメントをいただいた時、大切な人を亡くした人の中には、こんなにも長く、悲しみ、苦しんでいる人もいるのかと驚きました。
生きていること自体が大変な中で、ご両親のお世話をしなければならない、あさよ様の生命力が続くのかと心配になりました。
それでも、立派にやり遂げられています。
「乗り越えられない苦難は与えられない」シルバーバーチの霊訓の言葉を、改めて証明していただいたような気がします。

ご主人も弟さんも、五感で分かる形で、存在を示してくれていますね。
仲間に入れてもらいたいような気持ではないでしょうか。
前にも書きましたが、私の義母が亡くなった新盆の時にも、電気機器で現象が起こりました。
トイレを流すと音楽が流れるようになっていたのですが、誰もいないのに、何回も音楽が流れていました。
その現象の中に、義母が義父と生活を共にしている喜びが感じられました。
(義姉は気味悪がり、スイッチを消してしまいましたが…。)

地上に物理的な現象を起こすのは、向こうにいる人にとって労力と協力がいるようです。
そのような現象を起こさなくても、地上の人に存在を気付いてもらうのに越したことはありません。
話しかけに応えてくれるのを感じられるようになったそうですね。
長い悲しみ、苦しみの日々があったからこそ、今も変わりなく結ばれていることを、はっきりと自覚できるようになったと思います。

匿名 さんのコメント...

イクミさま

いつもためになるブログをありがとうございます。

死ぬと、肉体は全く動かなくなります。いなくなったわけではなく、魂は永遠。
頭では、わかっていても、霊界へ旅立たれた方々が視えるといいなと思う日々です。
(これもあの世とこの世の規則なのでしょうが。)

自分は、実家のおじいちゃん、おばあちゃん、自分の母親、そして、旦那さんのお父さんが地上を卒業していかれました。悲しくて涙が出るというより、みなさん癌で亡くなっているのでガンによる苦しみや過程などを見たり聞いたりで、自分自身が息苦しくなっておかしくなるかんじで、体調の変化のようなものが先にやってきて。霊的真理を知っていても、頭では地上卒業とわかっていても体は正直なものでなんだかんだと変調をきたす状態でした。気持ちはしっかり持っていたのですが、体はそうじゃなかったみたいです。火葬・通夜・葬儀では涙は出ず。涙が出ないから、自分は冷たい人間なのかとも思ってしまいますが…。ただただ、ご本人様が漂っていないか、視えないかなあと思っていました。当然視えませんでした(笑)自分でも不思議です。亡くなったから涙ではなく、亡くなるまでの過程やご本人様の頑張りを思うと涙が出てきます。この世を旅立つまで一生懸命生きたということなのでしょうが。痛みや苦しみは、浄化ですとイクミ様に何度も教えていただきました。ことあるごとに、いつも助けていただき、本当にありがとうございます。


お話は変わりますが、スピリチュアリズム普及会のHPで1月29日付で『2021年4月、「イエスの地上再臨」実現!』という記事がアップされていましたが、地上にもいよいいよ光が差し込まれるようです。自分自身、霊的真理を知っていても、正直これでよいのか?暗中模索ですが、世の中が良い方向、みんな霊的同胞であることが広まれば、優しくすみやすい世界が広がっていくんだなと。楽しみな反面、自分が道にそれていないか気になる部分でもあります。

なんだかまとまりのない分になってしまいましたが、
霊的真理を地上で生きている中で忘れずにいられるのは、イクミ様のブログとコメントされる皆々様のおかげさまだと思っております。
イクミ様はじめ、みなさま、本当にありがとうございます。

地上を生き抜くのは、大変ですが頑張りぬこうと思います。

えり



NOB さんのコメント...

イクミ様

NOBです。こんばんは。いつもありがとうございます。
新しいブログを読ませていただきました。

読みながら涙がこぼれました。
愛する人が「遠いところに行ってしまった」と思い込んで、項垂れて過ごしていた日々を思い出しました。
悲しみと苦しみと、絶望の日々でした。
なんとか後を追って死んでしまいたい…その方法とタイミングを考える日々でした。

あの世から…彼からとしか思えないメッセージを受け取って、イクミ様に初めてコメントを書かせていただくまで2年近く、私は心から笑う事はありませんでした。
そんな私に彼は、今もそばにいることを伝えようと、諦めずに想いを送り続けてくれました。
私が悲しみのあまり気づかずにいた時は、そうとうがっかりしていたのでしょうね…。

遠くになんて行ってない…変わらずそばにいる事を教えてくれる現象を何度も経験しました。
初めは驚きましたが、今はすぐに嬉しさに変わり涙が出ます。
一生懸命気づかせようとしているのがわかって、思わず笑ってしまいます。

イクミ様も前に書いてくださったように電子機器の現象が多いです。
この世にいた時と同じように、私をフォローしてくれるような現象です。
なんとも言えない安心感と、心地よい暖かさに包まれる感覚もよくあります。

始めは半信半疑でしたが、何度か経験するうちに、今では普通に「ありがとう」とお礼を言うようになりました。
彼が「いるよ。いつもそばにいるよ。」といろんな場面で言ってくれるのが、本当にありがたいです。
向こうの人は残してきた人に笑顔でいて欲しいんですよね。

日常的に向こうの世界からの愛、導き、見守りを感じます。

視えなくなっても生きている、想いは変わっていないと信じること、
信じることは愛すること
信じることで魂がつながり、愛せない苦しみから解放される…イクミ様は何度も何度も私達に言ってくださいました。
そのおかげで私は救われました。彼もどれだけ嬉しかったことでしょう。私に伝わった時の彼の安堵の気持ち、表情が目に浮かびます。
「気づいてくれてほんとうに良かった。」と何度も伝わってきました。

私は彼のこの世の最後の時を、一緒に生きられてとても幸せだったと思います。
とても悲しく苦しい出来事でしたが、二人が一緒に学び成長する大切な経験だったのだと、今はわかります。
愛は魂を引き合う力、死によって引き裂かれることはない、とても優しい摂理ですね…。
その真実を学べたことに感謝しています。私も伝えていきます。

イクミ様への感謝の気持ちは言い尽くせません。ありがとうございます。

イクミ さんのコメント...

えり様

こんばんは。
いつもブログを読んでいただき、ありがとうございます。

魂が存在することを頭で判っていても、五感に触れないので、実感に乏しいえり様のお気持ちは良く判ります。
存在がおぼろげなながらも判ったら安心するでしょうが、同じ次元で会いたい気持ちになり、自らの意思で逝ってしまう人が続出するかもしれません。
ご存知のように、寿命が来ないうちに逝くことは許されません。
摂理を知らない人が、過ちを犯さないように、五感に触れないようになっていると考えています。

病気になり、苦しんでいる姿を見るのは、つらいものです。
体の変調を来すほどであれば、エンパス(共感力)が高いのではないでしょうか。
魂が目覚めると、以前よりも人の想いが判るようになりますが、それだけに苦しみを共有してしまうのでしょう。
葬儀で涙が出なかったのは、冷たいからではなく、死についての理解が深まったからです。
苦しみから解放されたことを知っているからです。
最後まで、肉体の苦痛に耐えて来た人ほど、その時の解放感は大きいと考えられます。

スピリチュアリズム普及会のHPのイエス降臨の記事を私も読みました。
霊界は完全なヒエラルキーの世界であり、スピリチュアリズムの普及の頂点に立っているのはイエスです。
ここ数年で魂の存在の有無を論じる時代は終わりつつあると思っています。
多くの人が、確証は持てないものの、魂は存在し、死後の世界はあるのではないかと思うようになって来ていると感じています。
それが書かれているように、幽界での降臨のせいだとしたら、うれしい限りです。
キリスト教を信じて、幽界に留まっている数知れない霊を救済するのにも、これ以上の決定的なことはありません。
ただ幽界の人たちには光輝が強すぎて、眩しくて視えるのかなとも思ってしまいます。
イエスも波動を下げなければならず、おつらい思いをされているのでしょう。

霊的真理を知っている人は、それを活かさなければなりません。
まずはイエスが言っているように、自分がしてもらいたいことを、人にできるようになりたいものです。
少なくても、自分がしてもらいたくないことを、人にしないように心がけたいと思います。
小さな親切、小さな優しさを積み上げて行くことも大切です。
そして、必要としている人に必要な霊的真理を伝えて行くのは、知っている人しか出来ないことです。
その機会が訪れることを祈ると、祈りは霊界に届いて実現します。

地上を生きるのは大変です。
霊的真理を支えにして、進んで行きましょう。

イクミ さんのコメント...

NOB様

こんばんは。
いつもブログを読んでいただき、ありがとうございます。

あなたの悲しみ苦しみを痛いほど判っていた彼は、生きていることを知ってもらうために、どれほど想いを送っていたのか想像も付きません。
気付きそうで気付かない、その時の落胆は大きかった思います。
はっきりと判らせるために、このブログに導いたと思います。

次元を超えてつながることができると多くの人に伝えてきましたが、あなたと彼ほどはっきりと意思の疎通ができる人は初めてであり驚きました。
魂の親(ちか)しい人たちほど、どちらか一方が先に逝った時の悲しみは深くなります。
それこそ、身を引きちぎられる思いでしょう。
しかし、信じることで、人よりも強い絆を取り戻すことができます。
元々、強い絆で結ばれていたからです。

つながりを取り戻した時の、彼の喜びが私も目に浮かぶようです。
以前、何度も確かめて来たと言われていましたが、よっぽどうれしかったのでしょう。
揺るぎのないものになったので、今は安心して向こうでの役割を果たしていると思います。

大切な人を亡くした人に霊的真理を伝えることで、受け入れる時期が来た人の魂は癒されます。
同時に、先に逝った人がこれほど望んでいることはないと思います。
生きていることを分かってもらえた上で、別れの意味も理解してもらえるからです。

しかし、世の中は霊的真理を知らない人がほとんどです。
無用な苦しみに捉われています。
あなたご自身の経験を話すだけで、癒される人がいます。
これからも、真実を伝える機会が訪れると思います。
伝えて行くことで、違う次元で生きる目的の1つが果たされて行くと思います。
彼の喜びにもなっています。

私こそ、お二人からいろいろなことを教わり、証明していただいているので、お礼は結構です。

イクミ さんのコメント...

あさよ様 ラッパ吹き様

おはようございます。
紀子様からお二人にメッセージが届いています。
この前のブログ「人生を比べない」のコメント欄をご覧になって下さい。

匿名 さんのコメント...

イクミさま

イクミ様、皆様、本日もお疲れ様です。

イクミ様、お忙しい中、コメントありがとうございます。(息子にも見せました。)

人がお亡くなりになるのは、ダメージ大です。
自分もそうですが、魂が目覚めるってすごいことなんだと思います。

霊的真理、本当にありがたい教えです。
私は、真理を知っているがゆえに、旦那さんのお母さんが、書類の手続きとかがスムーズにいくので(亡くなったお父さんから)守られている気がするというので、わたしはすかさず、『今ここにいて見守ってて、私たちの行動を全部見てるわよ。お母さんのことを助けてるから大丈夫だよ』と。亡くなったお父さんのことを病院にお母さんと仲の良くない息子が迎えに行った時も息は引き取っていたけどお父さんの目から涙が出たような気がするなどと言っていたので、『お父さんは亡くなったけどそこにいて、息子が迎えに来ているのも全部見ているわよ』などなど、まあ、変な嫁だなと思っていることと思います。

こちらでコメントされているみなさまのお話でも霊界へ戻られた方々は、地上で頑張っている人々に存在をしってもらおうという行動をとられているようですので、視えない世界は必ずあるということですね。皆様、愛されているし、守られているんだなあと心から思います。(貴重な体験談のお話を皆様読ませていただきありがとうございます。)

コメント欄に『霊的真理を知らない人がほとんどです』とありますが、普及活動?霊的真理の伝道?をしないといけないといわれている気がしてなりません。とはいえ、こんなちっぽけな自分に何ができるのかと思ってしまいます。人間苦手だし…(笑)霊的真理のおかげでだいぶ考え方が変わりました。それでも、まだまだかなり未熟者です。いろんなことに、ひるんでしまいます。

実は、子供も霊的真理の実践をしていますが。
前回、人の役に立つこと=宇宙ポイントと言わせていただきましたが、また最近、「〇〇君は、頭がよくて、たくさん生まれ変わってるからできるんだよな。いいなあ。」というんです。これ本当に中学校になってから、毎回毎回よく言われるんです。頭もいいし、何をやらせてもできる子みたいなんです。わたしはね、霊的真理を知ってるんだし、確かに勉強はできたほうが良いけれども何をしに生まれてきたんだっけ?と息子に言います。今日も言うので、前回イクミ様からいただいたコメントとこちらでいただいたコメントを息子に見せました。イクミ様からいただいたコメントの『生きる目的は学び成長するため、これは霊的真理の真髄だと思います。学問は本を読めば学べますが、霊的なことは体験するしかありません。成長は他者に奉仕することで得られますが、自己犠牲を伴うので、口で言うほど簡単ではありません。』本当にタイムリーなコメントでした。

さらに、息子は、クラスで人の役に立つことをして、お友達になんでそんなにたくさんやるのか聞かれるんだそうです。本人は、みんなにはなんでそういう行動をするのか教えたくないといいます。教えたくない???驚きでした。理由を聞いたら、人の役に立つことを取られたくないからと言っていました。でも、人の役に立つことなんて、簡単でもないし、たくさんあるし。このようなことを毎回いうので、昨日イクミ様がコメントしてくださった『霊的真理を知っている人は、それを活かさなければなりません。まずはイエスが言っているように、自分がしてもらいたいことを、人にできるようになりたいものです。少なくても、自分がしてもらいたくないことを、人にしないように心がけたいと思います。小さな親切、小さな優しさを積み上げて行くことも大切です。』という部分を息子に見せました。時が来た人にしか受け入れられないから、わかる人にだけ言えるようだったら言ってみなと伝えましたが…。
息子にみせましたが、自分にも伝道をしなさいと言われているような感じがしました。とはいえ、伝道はものすごく難しいと思っています。亡くなるお父さんにも結局伝えることができずに旅立たれてしまいました。だから、息子にはママもハードルが高いんだけど、霊的真理を知っている人にしかできないんだから一緒に頑張ろうねと。


地上は、本当にみんな学びは違えどもたくさんたくさんいろんな課題がやってきます。
イクミ様がおっしゃられたように、霊的真理を支えにして進んで行きたいと思います。
本当に本当に、ありがとうございます。


えり

イクミ さんのコメント...

えり様

おはようございます。
お義母様にお義父様の様子を伝えたそうですが、受け入れてくれたのではないでしょうか。
お二人の会話を聞いているであろうお義父様は、うなずいて納得されているのかもしれません。

霊的真理を知らない人がほとんどなので、知っている人は伝えなければいけません。
どう伝えれば良いのかと思うでしょうが、真理を伝えたいと思っていれば、霊界が必要としている人を導いて来ます。
このブログを書いていて、そのことがはっきりと判りました。
知識の量ではなく、伝えたい思いに霊界が動きます。

まずは、お子さんに伝えて下さい。
私の書いたことではなく、シルバーバーチの霊訓に書いてある内容を元に、あなたの言葉にした方が親しみが湧くのではないでしょうか。
真実なので、子供の魂にも響くものがあるはずです。
ご長男は、役に立つことを進んでされるそうですね。
周りよりも霊性が高いために、軋轢が生まれていたような気もします。
息子さんたちに霊的真理を理解してもらうためにも、ご自身が実践している姿を見せて下さい。

NOB さんのコメント...

イクミ様

NOBです。お返事をありがとうございました。

私はイクミ様のブログに導かれる前、出口の見えない苦しみの中にいました。
彼がいなくなってしまったと思い込んで、生きる意味を見失いました。
でも彼の存在を信じるしかない出来事が続き、霊的真理に出会って存在を確信して、私の中の苦しみの塊は溶解していきました。
イクミ様が書かれていたように、誤解から生じていた苦しみです。
真実を知って苦しみは幸福感に変わりました。その時の解放感は忘れられないです。

私は今は、耐えきれないような苦しみは、この世の自分の考え方や理解が間違っていて、魂がそれを訴えているからだと思っています。
魂が教えてくれている真実を受け入れたなら、苦しみは溶けていくと感じています。

イクミ様がお返事に「生きていることを分かってもらえた上で、別れの意味も理解してもらえるからです。」と書いてくださったのですが、まさに今、親友たちと「別れの意味」の話をしています。
意味はそれぞれだと思いますが、魂の成長のためである事だけは確かですね。
いつも近くにいる大切な人たちとそんな話が出来ることは、とても幸せな事です。
全ての事に感謝です。

イクミ さんのコメント...

NOB様

生命とは魂である。
愛する者同士に別れはない、
この2つの真理が、最愛の人を失った人に、革命的な変化をもたらすことを、このブログを通して知ることができました。
そして、真理を伝える喜びを感じました。

ただ多くの人は、そうあって欲しいと思うけれど、確信を持てずにいます。
確信を持った人が、まだ知らない人に真実を伝えて、苦しみから解放してあげなければいけません。
ただ、真実を受け入れる時期が来ていない人は、信じることはできません。
それでも、真実の在りかを教えてやることは必要であり、その時が来たら直ぐに思い出すでしょう。

そうです。
百の別れがあれば、百の別れの意味があります。
あなたとご親友の別れの意味は違うでしょうが、魂の成長のためであることに変わりはありません。
近くにいる大切な人と話ができるのを幸せに感じていますが、あなたが友達で本当に良かったと、ご親友は思っています。
こんなにも近くにいる人が、同じ経験をするのは稀です。
神の計画があることを、分からせるためなのかもしれません

ユーリ さんのコメント...

イクミさま

以前ご相談した、私に近い人間が霊的真理を理解してくれず孤独を感じる・・・という件です。

信仰の違いに関して感じる気持ちは人それぞれで、信仰の違いがあるから結婚を止めた人もいれば、家族でも違いがあって当たり前と広い目で暮らせる人もわたしの周りにいます。(人と比べるのは良くないと分かっているのですが、話をしているとどうしても気にはなってしまいます。。。)

私は正直、死別の苦しみにプラスして、身近な人と霊的なことについてわかり合えないのが辛くて孤独感もありました。

でも、いくみさんから、「家族で違いがあっても当たり前でそれを認め合うことで成長する」といったような内容のコメントをいただき、私は改心しました。

夫も父も叔父もみんな、家族を養うためにガムシャラに現実世界の中で生き抜いてきました。
競争社会の中で、相対評価で生きてきました。
そんな命がけで競争してきた人間が、個やプライドを捨てることはなかなかできないのだと思います。

現実社会は残念ながら、競争社会なんですよね・・・。

それを理解した上で、私は私で霊的真理を学んでいきたいと思っています。決して寂しいと思わずに。

そのように思い始めてから、夫の霊的真理への拒否反応が少し軟化してきた気がしています。
友人もたまに理解してくれます。

私は自分を分かってもらいたい。という未熟な欲求が強かったのかもしれません。

私には、母だけでなく亡くなった大好きな人は何人もいます。
てるさんが言われたように、会ったことのない親戚から見守られている感覚を覚えるようにもなりました。
それは、私にとって大きな前進だと感じています。

イクミ さんのコメント...

ユーリ様

おはようございます。
16年ほど前になるでしょうか、私も真理を受け入れた時に、身近な人にも是非受け入れてもらいたいと熱望しました。
これは真理だから信じて欲しいと、いくら語っても無理でした。
真理を受け入れるのには時期があるからです。
時期が来ていなければ徒労に終わります。
きつい言い方ですが、「豚に真珠」とイエスキリストは表現しました。
以前、シルバーバーチの霊訓に書かれているのは、他の宗教と違い絶対的な真理だと、兄に力説したことがありますが、それは「シルバーバーチ教」だと一蹴されたのを覚えています。
周りで霊的真理を信じている人はほとんどいないのですが、私が心から信じ、何回も繰り返し言っているので、もしかしたら本当かもしれないと思っている人はいます。
それで良いと思っています。
何でこんな大切なことが判らないんだと思うのは、あなたが言われるように、その人のエゴです。
エゴを出せば、エゴが返って来ます。

ご主人やお父様、叔父様は、ご家族のために頑張って生きて来ました。
私もそうでしたが、いくらすばらしい真理を知っていても、仕事ができなければ家族を養うことができず、男として価値がないと思っています。
今は、真理を必要としていないのです。
家族のため、会社のために頑張って生きている人を、見下すようなことがあってはいけません。
その恩恵に与っているのですから、感謝しなければいけないと思います。
ご主人のことを理解しようとすれば、ご自分のことも理解してもらえると思います。

信じられないかもしれませんが、真理を必要としている人は、霊界によって導かれて来ます。
自分の力ではどうにもできないことが起きて、もがき苦しむ中で魂に受け入れる土壌が整うと、導かれ真理に辿り着きます。
摂理がそのようになっています。

会ったことのない親戚に見守られている感覚を覚えるようになったのですね。
そうであれば、霊界とのつながりが深まっているはずです。
信じれば信じるほど、背後霊の導きや援助を受けるようになり、この世を共に生きて行くことができます。

ユーリ さんのコメント...

いくみ様

いくみ様もそのような体験をなさったと知り、孤独感が和らぎました。

霊的真理について、身近に話せる人がいないとしても、不幸なことではありませんね。

私は、父と夫のおかげで今まで生活してこれました。
母の死後は、母と霊界のことばかり考えて寝込んでいましたが、現実的な視点も忘れず、今ある幸せにも感謝しないといけませんね。

今後は、私なりに霊的世界と現実世界のバランスを取りながら生きていきたいと思います。

これからもいくみ様のブログ記事で、勉強させていただけると有り難いです。

てる さんのコメント...

イクミさま
ユーリさま

こんにちは。

ユーリさんのコメントを読ませていただきながら、ユーリさんの魂がゆっくりやさしく、光出すような感覚を覚えてなんだか嬉しい気持ちになりました。


ミディアムとして歩き始めた私の近しい人の中にも、真理をごく自然に受け入れる方もいれば、全くそうでない人もいます。

けれど、真理を受け入れなくとも利他的に生きている素敵な方も沢山いて。

個人的には、多くの人が真理を知り受け入れて実践し生きることができれば、と思うこともありますが、霊界へ行って初めて真理を知る人生を、選んで生きている人もまた沢山いるのかもしれないなと感じます。

ミディアムシップやアセスメントを受けられる方へも、
「スピリットさんやガイドさんがくださるメッセージは、全ては愛から来ていますが、それを、絶対に信じてくださいと言うものではありません。
その方にとってのタイミングで、自然に受け取れる事もそうでないこともあると思います。」
とお伝えするようにしています。


「この素晴らしい真理をつたえたい!!」
と強く力んでしまわず、
「必要としている人のお役にたてますように」
と祈る事で、糸が繋がれその機会が導かれて来るように感じます。


全ての人が真理を理解していることが最善なのだと思いますが、
そうではなく、互いに違う価値観を持つ人と係わり家族として過ごしたりすることも、またこの世での学びなのだろうなあと。

とはいえ、
現実世界の私は、思春期の息子につい感情的にガミガミ言ってしまうダメダメ母です(笑)



ユーリ さんのコメント...

てる様、いくみ様

価値観の違いが、相手と自分自身を見つめ直す良いチャンスだと思うようにしたいです。

てるさんの息子さんへの対応は、息子さんは将来、有り難いと思い出すのではないでしょうか?
私がそうでしたから。
親からもらった愛情は、叱られたことも褒められたことも全てが、とても大切なものです。

私は母亡き後、仏壇に、誕生日、記念日、母の日、命日にはブリザーブドフラワーや手紙を置き続け、いつも話しかけています。
おかげで今や仏壇はごちゃごちゃですが、気持ちが伝わっていると良いなぁと思っています。

イクミ さんのコメント...

てる様

愛や生命など、漠然と感じていた大切なものが、見える化されたものが真理だと思います。
そうですね。
真理を知らなくても、人のために尽くす人生を送っている人はたくさんいます。
知っていて何もしなければ、お咎めを受けてしまいます。

お役に立てるように祈ると、しばらくすると真理を必要としている人からのメールが届くのを何回も経験しています。
奉仕の祈りは、霊界に直ぐに届いて、結び付けてくれるようです。

てる さんのコメント...

イクミさま ユーリさま


ありがとうございます。

息子は、家の中で時々、物質的な現象やアプローチを受け取っているようで、肉体が死んでも魂は生き続ける事を受け入れられている様子なので、その点については心強く感じています。


ユーリさんが、お母様を想い話しかけたりお花をお供えしている時、ユーリさんを笑顔でそっと抱き締めているのが目に浮かびます。

色々な時に複雑な親子関係を持つ人も多いなかで、これ程までにお嬢様から愛され続けるお母様は、とても今もずっと、お幸せですね!

皆様のコメントを読ませていただきながら
自分の救いの為でなく
誰かのための祈りを続けていこうと
気持ちの引き締まる想いです。

多くの学びをありがとうございます。

tomotomo さんのコメント...

とても愛していた人が亡くなりました。
悲しいです。魂のこと霊界のこと理解しています。
それでも、寂しくて寂しくて、どうしようもありません。
ご飯も食べれず、ぬけがらです

トモコ さんのコメント...

愛していた人が亡くなりました。
魂のこと霊界のこと理解しています。
それでも寂しくて寂しくて
悲しくて悲しくて、ご飯する食べれずぬけがらです。
もっと一緒にいたかった

イクミ さんのコメント...

トモコ様

こんばんは。
以前、コメントをいただいたtomoko様でしょうか。

愛していた人が亡くなられたのですね。
心中を察すると、おかけする言葉もありません。
魂が存在し、霊界で生きていることは判っていても、この世を去り、五感で感じられない現実から止めどもなく悲しみや寂しさが生じてしまうのですね。
おつらいのですが、耐え忍ぶの日々は、誰にも代わってもらえません。

悲しませるだけ悲しませて、それで終わりになることはありません。
その日々は、あなたの魂に深甚な影響を与えて、強く優しくさせています。
絶対的な公正が働いています。

今は、感情を抑え込まずに、泣きたくなったら、思い切り泣いて下さい。
悲しみの切れ間から、その人の存在がそこはかとなく感じられる日が、きっと来ると思います。

何回も書いていることですが、真実なのでもう1度書きます。
愛する者同士に別れはありません。
死は愛に対して無力です。
信じることさえできれば、変わりなく結ばれているのです。

あさよ さんのコメント...

いくみ様
おはよう御座います

tomokoさんのお話が遠い昔の私に思えて
つい、コメントをしています。
最近…知り合いました、町の電気屋さん
近頃では珍しく販売は勿論あらゆる修理をしてくれます
その社長さんが文字絵を趣味としていて
出逢って2日目に
突然…ご主人の名前を教えてくださいと
何故?

すると主人の名前を絵にしてくださり
そのメッセージが
出逢をありがとう、朝世と綴られていました

義理父の事、弟の病気の事で心配をしている私へのメッセージだとつくづく思いました。

tomomiさん
お辛く悲しいお気持ち充分解ります…
どうぞどうぞ必ずいつか逢えます
それまでは心静かに暮らしてくださいね

愛する者同士に別れはありません。

いくみ様
ありがとうございました。

イクミ さんのコメント...

あさよ様

こんにちは。
その電気屋さんは、霊界からのメッセージを届ける役目があるようですね。
あさよ様の傍にご主人がいて、伝えたいことがあるのが判ったのでしょう。
思いがけない形ですが、いつも傍にいることを伝えて、安心してもらいたかったのだと思います。

別れてはいないことを証明してもらっていますね。
良い話をしていただき、ありがとうございます。

トモコ さんのコメント...

イクミ様、あさよ様、優しいお言葉をありがとうございます。
イクミ様のブログにコメントをさせていただいたことが過去にあります。
覚えていて下さりありがとうございます。

亡くなった愛する人…
浄化がすすんであちらで類魂に溶け合ったとき、「自分」という「個」が無くなってしまうと思うので、
私のことを忘れてしまいそうで…
魂が類魂に溶け合い「個」がなくなったら、
「彼」という一人の個性がなくなってしまうのではないでしょうか?
どうなんでしょう…
愛するもの同士別れがない、というのは信じています。
でも、一人の「彼」という魂が類魂に溶け合って、類魂としての彼になったら、
なんだか彼がいなくなってしまうような気がして
寂しくてならないんです…

イクミ さんのコメント...

トモコ様

こんにちは。
ご質問の件ですが、類魂で個が溶け合い、自分がなくなってしまうことはありません。
それぞれの個性はそのままであり、記憶も失われません。
いなくなってしまうようなことはありませんので、心配しないで下さい。

紀子。 さんのコメント...

私もトモコさんと同じ不安、あります。

彼と話しが出来たら直接確認し合える事も今はそれが叶わず、向こうで待ち合わせる約束も果たせないまま、彼は先に逝ってしまいました。

時が経てば、また次の不安がやって来て早く解放されたい。
そう思います。

彼が私を忘れてしまわないか心配です。

笑っていよう。
そう心がけていますが、寂しいからやっぱり泣いてしまう日々です。

紀子

イクミ さんのコメント...

紀子様

おはようございます。
向こうで待ち合わせる約束をしていないまま、逝ってしまっても、全く大丈夫です。
あなたが彼のことを忘れないように、彼もあなたのことを忘れることはありません。
彼には、あなたの魂と想いが丸見えです。
無用な心配をして、苦しまないように願っていると思います。

五感に触れない寂しさはどうすることできませんが、魂は一緒にいることは忘れないで下さい。

彼の存在、想いを強く信じて、愛する想いを送り続けて下さい。

あさよ さんのコメント...

紀子さん
彼が忘れるわけないです
紀子さんも解っているでしょう

彼を信じましょう
私は信じてる…だから生きられます
紀子さん
大丈夫
約束はしています。

あさよ さんのコメント...

いくみ様

愛する思いを私もおくりつづけています
寝ても覚めてもです
お恥ずかしいですが…65歳になり
紀子さんの思い出とても良くわかります
私は主人と再会したら年老いた私がわかるか?
なんて苦い笑いをしています

きっときっと
紀子さんも乗り越えてくれると信じ
ずっと応援していきたいです

いくみ様
今週は色々な事がきつい事がありましたが人の優しさ人との出逢で乗り越えました
やはり…守ってくれていると。

あさよ さんのコメント...

トモコさん

お辛いときにはなんでも話て下さいね。
私も時に大泣きするし、なんで!!なんで!!と主人に怒りをぶつけます
でもその後
ふっと…ふっと…頬を風があたります
家の中なのに
主人がごめんなぁと

トモコさん
大丈夫です
姿見えすとも声が聞こえずともそばにいますもん
そっとそっと感じてあげてください。

生意気ごめんなさい。

イクミ さんのコメント...

あさよ様

こんばんは。
今週末は、仕事で泊りで出かけていて、アップと返信が遅くなり申し訳ありません。

心から信じることで、愛することができるようになり、本当に良かったです。

最愛の人を亡くした人の悲しみや苦しみは、年月が経てば薄れるものでないことを、このブログを通して良く判りました。
紀子様は2年経っていますが、増している様に思います。
あさよ様のように愛することができるようになって、少しでも早く苦しみから解放される日が来ることを祈るばかりです。

ご自分が通ってきた道なので良く判るのですね。
これからも応援して下さい。

あさよ さんのコメント...

いくみ様
お仕事お疲れ様です

お返事ありがとうございました。
お忙しいでしょうがどうぞ、苦しみ悲しみを抱えている私のような者にメッセージをお願いします
けれど
お身体にはくれぐれも気をつけてください。

あさよ さんのコメント...

いくみ様

昨日 義父が亡くなりました
午後施設の主治医から少し体調が良くないので病院で検査をしますので結果を聞きに来てほしいとの連絡

姪と二人面会ができて主治医の話を聞き待機してると
急変
そのまま静かに亡くなりました。
とても穏やかに。

実父亡き後50年もの長い時間を過ごした義父
私の1つ修行が終わりました。

イクミ さんのコメント...

あさよ様

おはようございます。
お父様が亡くなられたのですね。
急なので、驚かれたでしょう。
それでも穏やかに逝かれて良かったです。

大変な時期もあったでしょうが、お義父様を通して、たくさんのことを学びながら、今に至っていると思います。
成長させてくれた、かけがえのない存在ですので、感謝の念を捧げられて下さい。

ラッパ吹き さんのコメント...

あさよさん、

ここでは、ここに集う人たちには、「ご冥福を、、」という言葉はそぐわないですね。あさよさんにも。
お義父様は身体を脱ぎ捨てただけですから。自由になられたのですから。

紀子さんやtomokoさん(他にもたくさんの同じ悲しみを知る仲間が)たち愛する人との死別の悲しみ苦しみと、あさよさんの「1つの修行の終わり」の思い、命と人生と、イクミさんが書かれていたこと、人にはそれぞれこの世に生まれてきた目的があり、一人ひとりみな違う。魂の成長度合いも、今までに歩んできた魂の旅程の長さも、魂が求めている何もかもが、他の誰とも違うそれぞれ一人ひとりの自分だけの特別なものだと。(神と約束した、守護霊が導いてくださる、自分で選んだもの、、、)

比べても何にもならない。
比べる必要もない。
自分の人生を生きれば良い。
自分の人生を生きるしかない。
自分を許し
自分を愛し
自分の人生を愛し

あさよさんのコメントを読んで、あさよさんはご自身をご自身の人生をまるごとありのまま愛していらっしゃるんだ、、、と感じます。

お義父様、お幸せだったのではないかと感じます。今は、あさよさんのお気持ちがもっとストレートにお判りになって、もっともっとお幸せになられていると、そんな気がします。

教えていただきました。
ありがとうございます。

ラッパ吹き

紀子。 さんのコメント...

あさよさん。

お父様、亡くなられたのですね。

きっと今頃、お母様と再会されていらっしゃるのではないでしょうか。

そして、あさよさんのお父様になれた事誇りに思っていらっしゃるのではないでしょうか。

落ち着かれたらまた、あさよさんの暖かいコメント、待っています。

お疲れが出ないようにされて下さい。

紀子。

トモコ さんのコメント...

あさよ様、イクミ様、
励ましのメッセージありがとうございます。
皆様の優しさに励まされました。

きっと側にいてくれると信じ、想いを送り続けようとおもいます。

あさよ様、義父様の永眠で、色々な想いがあると思います。

皆様の心が穏やかであれることをお祈りします。