2016年5月29日日曜日

この世に生まれて来た理由



あの世が存在することは、私にとって紛れもない事実です。

しかし、目に見えるもの、証明されたものしか信じない人は、あの世の存在を否定するでしょう。

どちらが正しいのか、死んだ後ではっきりしますが、否定する人には、1つの問題が起きてしまう可能性があります。

死んで無になるのであれば、あの世を信じている私は無になってしまうので、何ら問題はありません。

もしも、あの世があったならば、頑なに否定していた人は、死んでも意識があるので、この世に生きていると錯覚してしまいます。

現状を認識するまで無駄な時を過ごし、周囲に要らない苦労をかけてしまうことになります。

たとえ信じられなくても、もしもの時を考えて、知っておいた方が賢明と考えられます。



死んだ後も変わらずに意識は存在し、魂として生命は存続しているのが明らかになり、私はとても安心して生きられるようになりました。

併せて、この世に生きている目的も知りました。

この世にいる人は、例外なく、魂を向上させるために生きています。

人生で出会う困難や障害を、最善を尽くして乗り越えて行くこと、人や社会に役立つことで、魂は向上するように、自然法則は出来ています。

何をすればいいのか悩む時がありますが、まず実生活において、自分に与えられた仕事を一生懸命に果たし、周りにいる人に親切にして、困っている人がいたなら助けてやることが大切ではないかと思っています。



先日、テレビの番組で、ある医師の活動を放送していました。

彼は、私と同年代(1964年生まれ)の男性であり、恵まれない人たちへ無償の医療を提供していました。

スケジュールは多忙を極め、一ヶ月の半分はフリーランスで全国の病院を掛け持ちで難しい眼の手術をこなして、残りの半分はベトナムに行って、経済的理由から医療を受けられず、失明しかけている人たちに、無償で手術をしていました。

ベトナムに病院を開設していて、裕福層に対しては有償で治療を行い、得た収入を医療を受けられない人たちに無償で治療を行って還元していました。

自分がいなくなってからも、失明の危機にある人たち全てが、最善の医療を受けられるシステムを構築しようと、全精力を注いでいました。

自宅の購入資金を当ててまで、ベトナムの人達を救おうとしていました。

その医師の活動の原動力となっているのは、「人のために生きろ」という、父親の最期の言葉だったそうです。

世の中には、霊的真理を知らなくても、見事に実践している人がたくさんいます。



人のために生きようとするのは、思考から来るものではなく、魂の根源的な欲求と思われます。

もし、そうでなければ、駅のホームに転落した人を、わが身の命を省みず、救おうとする衝動は起きないはずです。

誰かを救おうとしたり、助けてやろうとするのは、私たちは肉体を超えた霊的な存在であり、霊的なものに神性(愛)が宿っているからです。

この世の人は肉体を持っているために、自分のために生きているように感じますが、実は他者のために生きていて、自分の幸せを追及するのではなく、他者の幸せの中に悦びを見出し、自らが幸せになるように出来ていると思います。

前述の医師も、無償の治療の対価は、患者さんと悦びをシェアすることで、ちゃんと受け取っていると語っていました。



世の中を見渡すと、自分にはない、優れたところを持っている人たちで溢れています。

人知れず、社会のために尽力している人たちもたくさんいて、そのお陰で、世の中が少しずつ良くなっていると思います。

そんな人たちと知り合えるところが、この世の素晴らしいところだと思います。



あの世は、想いがありのままに表現される世界です。

嫌いな人とは、想いが通わないために、会うことはありません。

そんな、この世の煩わしさから解放された世界を、人は天国と言います。

そこでは魂の成長度が同じ、(魂の)同級生と言うべき人たちが集まって、お互いの想いを共有して生活しています。

気心が知れた人たちと共に、ゆったりと休日を過ごしているような感覚が、はるかに鮮明になった世界と言えるのかもしれません。

あの世に行くと、自分の肉体を養うための本能的欲求がありませんので、人のために生きようとする欲求、愛を表現しようとする欲求があらわになります。

いかなる次元においても、人(魂)が受け取っている生命力の根源は愛だからです。

しばらくは、生命力に溢れ、愛を実感する世界を、堪能していると思います。



いくばくかの霊的な知識を得た私は、苦しみや悲しみから解放されたあの世に、ずっといたいと思うようになりました。

あの世に行けば、なおさら離れたくなくなるはずですが、現実としてこの世にいるのは、どうしてだろうと考えてしまいます。

人は、現状には満足しない生き物のようです。

大変な仕事が続くと、休日が待ち遠しくなりますが、休日が長く続いてしまうと飽きてしまい、仕事のある普段通りの生活に戻りたいと思ったりします。

都会に住む人は、のんびりとした時間を過ごすために郊外へ出かけますが、長く滞在していると、街の雑踏が恋しくなったりします。

人は、楽しくのんびりとした生活が続くと、どこか物足りなく感じてしまい、つらくても何かに挑戦したり、変化に富んだ生活を望むようになるのかもしれません。

もしそうであれば、安らぎに満ちたあの世に長くいると、喧騒に満ちたこの世で、もう1度、自分を試してみようと思うようになったとしても、不思議ではありません。

今となっては思い出せませんが、生まれる前の私は、この世でしか出来ない、さまざまな経験を通して、自分を大きく成長させようと決意していたはずです。

あくまでも自分の意思で、この人生を選択していているはずです。

明確な目的があり、学ばなければならない教訓が、この人生にはあるはずです。



人はどうして、何かに挑戦しよう、つらい出来事があっても乗り越えようとするのでしょうか?

それは、自分を変えよう、成長させようとする想いがあるからです。

自然法則の働きにより、困難を乗り越えて行く過程において、自分(魂)は成長して行くからです。



自分を成長させようとする人には、その想いにふさわしい人生が立案され、この世に生まれる機会が与えられます。

より大きな成長を望んでいた人ほど、この世で立ち向かっていかなければならない困難や障害は、どうしても過酷なものとなります。

凶事や悲劇と呼ばれる出来事に遭遇すると、人は立ちすくんでしまいますが、それは不幸にさせるものではなく、自分を大きく成長させる大切な機会と受け止めるべきです。

不幸にしか思えないことにも、霊的な相応の報いが必ずあります。



この世があの世と違うところは、魂の成長度が同じ位の同級生だけではなく、より成長している「先輩」もいれば、まだこれからの「後輩」もいます。

年齢、肩書き、家族的序列、人種などは、この世だけのものであり、魂の成長度とは関係ありません。

親よりも子供、上司よりも部下の方が、魂の成長度で先輩に当たることは、良くあると考えられます。



この世で出会う人たちには、自分にはない優れたところがあります。

人の優れたところを見ないと、自分に足りないところや、変えなければならないところが自覚されないのかもしれません。

魂の先輩たちは、自分より高くて、強い愛を表現していると思われます。

自分が許せないことを許せたり、より自分を犠牲にして人のために尽くそうとしています。

強い意志で苦難を乗り越えていく姿、そこから大切なことを学んで行く姿を見て、触発され、自分も少しでも近づこうとする中で、魂は成長して行くのかもしれません。



魂の先輩たちに、共通していることがあります。

それは、謙虚さです。

私はシルバーバーチの霊訓から、真の謙虚さを学びました。

謙虚であればあるほど、自分の未熟さを痛感するため、そこから自分(魂)を成長させようとする強い意志が生まれるのかもしれません。

向上心よりも謙虚さが、成長して行くためには必要と言えるのかもしれません。

この世には、上には上がいます。

同級生ばかりのあの世よりも、一歩先を行く先輩たちを見れるこの世界は、魂の成長にとって好都合なのかもしれません。



同時に、魂の後輩たちもいます。

幼稚園児のサッカーを見ていると、とても面白いです。

ゴールキーパー以外は、全員がフォワードのように見えるからです。

意識がボールにだけ集中して、みんながボールをひたすら追いかけ、ゴールに入れることだけを考えています。

ところが、小学生になると違ってきます。

ボールだけでなく、周りの人も見ていて、ポジションを意識し、与えられた役目を果たそうとします。

幼稚園児の意識は自分にあり、小学生になると他者を意識するようになります。

自分がボールを蹴ってゴールをするよりも、仲間と協調しながらチームが勝利することを優先するようになります。

自分よりも、他者を優先するようになるのが、魂の成長と言えるのかもしれません。

大人になるに従い、個性はより明確になって来ますが、自分のことしか考えない、わがままな人もいれば、自分を犠牲にして人や社会のために生きている人もいます。

それは性格の違いではなく、魂の成長度(霊性)の差によるものと思われます。

魂の成長度の低い人は、時に神の摂理と一致しない、愛に反する言動をしてしまうために、周囲との間に不調和を引き起こしてしまいます。

われ先にとゴールを狙っている幼稚園児のような人であり、周りにいる人は、突き飛ばされて、怪我をしてしまうこともあります。



大きくなってから、幼稚園児のサッカーを観ると微笑ましくなります。

しかし、嘲笑したり、軽蔑したり、否定したりする人はいません。

自分にも、そんな時があったのを知っているからです。

地上の人は、完全には程遠い存在とシルバーバーチは言っているように、この世に生まれてくること自体、学ぶべきものがある未熟な存在である証拠です。

完全には程遠いこの世の人が、他の人の不完全さや未熟さを咎めたり、軽蔑したりするのは、過ちであると思われます。



外見は同じように見えても、魂の成長度は人により大きく違っています。

魂の未熟さから人は過ちを犯してしまいますが、因果律の働きにより、何かしらの苦痛を伴う結果(償い)が生じ、絶対的公正は保たれています。

自分の過ちを、痛い思いをしながら正すことになり、それを繰り返し人は成長して行くと思います。

今生で正されなかったのであれば、もう1度この世に生まれて、正すことになるかもしれません。



人を平気で傷つけたり、裏切ったりする人がいます。

魂の同級生と考えてしまうと、怒りや憎しみが生じてしまいます。

そんな人には、一段高い立場から魂の先輩として、過ちに気付かせる必要があると思われます。

協調性に欠け、わがままな人であっても、一歩先を行く人は、寛容となり見守ってやらなければいけないのかもしれません。

かつては自分もそうであったかもしれず、あたたかい目で見守ってくれたかもしれないからです。

後輩にとっても、先輩から大切なことを教えてもらったことになります。

あの世には、魂の後輩たちは周りにいませんので、この世に生まれてきた目的の1つは、寛容さを身に付けるためにあると考えられます。



あの世では、同じ想いを共有する人たちと生活しているために、争いごとは起こりません。

この世では、価値観や考え方が違う人たちと生活するために、時に争いが生じます。

争わないようにするにはどうすれば良いのかを、この世ならではの肉体的、精神的な苦痛を通して学んでいると思います。

全ての争いは、認め合うこと、許し合うこと、大きな意味での愛を表現することで、解決できることを学んでいると思います。



平和に満ちた世界を離れてでも、大切なことを学び、自分を向上させるために、あえてこの世に生まれて来たと思います。

さまざまな人に出会い、共に過ごす中で、自分に足りなかったもの気付き、身に付けて行くのかもしれません。

目に見えるものに囲まれた中で、この世にしかない経験を通して、目に見えない本当に大切なものを、見付け出して行くのかもしれません。



本当に大切なものは愛です。

さまざまな出会いや経験を通して愛を深く学び、肉体による制約を受けながらも全力で表現して、魂が大きく成長するために、この世に生まれて来たと考えられます。















10 件のコメント:

山本 さんのコメント...

イクミ様 こんばんは

ご無沙汰しています 何度か来たのですが書き込み出来ずに帰っていました

今日はとことん落ちてしまっているので書き込みにきてしまいました
彼が肉体を脱いでから2か月と少したちました
日毎に負の感情が大きくなり
私を闇へと引きずりこんできます

先日死別した同志の仲間7人で集まる会があり久々に外出し皆に会ってきました
会ってる時は、そうでもなかったのですがお別れしてから
寂しさが余計に募って…
そんな所に朝同志からLINEが来てたわいもない話しをして
また夜にLINEをしたのですが、その時にヨワヨワな内容を送信してしまって…
その彼女はスピリチュアルの勉強を熱心にされてる方で
彼女が私に皆で集まってお話しをしてた時に
彼は私の後ろから抱きついていて、ほっぺにスリスリしてたって
スリスリって言葉が一日引っかかっていたみたいで…
スリスリは彼が甘える時に使っていた言葉でした
スリスリって本当にほっぺたにしていました
そして私の事が大好きで大好きで仕方ないくらい大好きで、でも最近変な事を考えているのでオロオロしてるって…
そしてゴメンネって言ってるって聞かされました

視えない 感じられない自分が哀しくて悔しいです
そして傍にいきたくて仕方ありません

アリ地獄の毎日です
這い上がろうとしてしてもズリズリ落ちてしまいます

もうお迎えにきてくれてもいいのに…
こんなに逢いたいのに
一緒にくらしたいのに!!!

こんなに辛いこの世で生きていくのは本当に難しいですね
毎日泣き叫んでも届いているのか届いていないのか
私の想いはこんなに愛であふれているのに…
さみしい…

イクミ さんのコメント...

どうされたのかなと思っていました。
外に出て、同士が集まって、お互いに話をするのはどうでしたか?
どれくらいつらい日々を送っているのか、他の人には判りません。
何気ない一言で傷ついてしまうこともあり、お互いの想いが判る安全な人との会話は、今の山本様にとって必要なのかもしれません。

スピリチュアルの勉強をされている方から、彼のようすを聞かされたそうですが、本当に視えていたような気がします。
でも、抱きついて頬を寄せていると聞けば、何も感じない山本様の気持ちは複雑でしょう。
何も感じないことに、腹立たしく思ってしまっても無理ありません。
けれども、もしいることを感じてしまったら、今以上に逢いたくなってしまうと思います。
今は、何も感じない方が良いのだと思います。
傍にいて、見守っているのは確かであり、見えない彼の想いを信じて下さい。

寂しくて、悲しくて、苦しい日々を過ごされている人に、かける言葉を探すのは難しく、この日々には意味があり、彼と再会できると、断言することしかできません。
意味などどうでも良いから、早く逢いたいと思われるかもしれませんが、そんな山本様の考えに彼はオロオロしてしまっているのではないでしょうか。
彼は、別れの意味、山本様の悲しみの日々の意味について、すでに判っていると思います。
別れの意味は、山本様が強くなるため、悲しみの意味は、より深く愛し合うためと、彼は考えているのかもしれません。

あり地獄の日々とは、どんなものなのか私には想像できませんが、彼がいなくても、脱出できる日はきっと来ます。
あり地獄のような日々は、山本様の魂を成長させているからです。
すべては魂の成長という1点に帰結します。
この世は、魂を成長させるために、その人にとって必要な出来事が起こるようになっているのです。

毎日、泣き叫んでいるのを、彼は誰よりも知っています。
山本様の魂の成長のために、この日々が必要なことも知っています。

彼の愛、そして導きを感じます。
同士と会うように、インスピレーションを与えて仕向けたのも、彼なのかもしれません。
寂しくなりLINEをさせたのも、彼なのかもしれません。
その目的は、自分の想い、そして今の様子を知ってもらうためなのかもしれません。

もしそうであれば、山本様は何も感じなくても、魂と魂はとても良く通じ合っていると思います。
知らずに、導かれているのです。
強く愛されていることに、どうぞ自信を持って下さい。
決して、一人ぼっちではないのです。

山本 さんのコメント...

イクミ様 こんばんは

同志の方の集まりは行ってよかったです
多分彼に導かれていたと思います

同志会は何度か開催されてたみたいですが私は今回初めてでした

イクミ様が仰られる通りお互いの想いがわかるとても安全な場所でした
普段の私なら知らない人と会うなんて事はしなかったです
でも同志の方は皆初めての感じがしませんでした

先日書き忘れたのですが
私達のタカラモノの中に、あるぬいぐるみがあります 二人のタカラモノです
遺影の横にもちゃんと置いてあります
そして、それを見せたら皆が固まって…
何故かというと前回の同志会の時に同じぬいぐるみを、ある同志の方が全員にプレゼントしたそうです
そのプレゼントされた方は奥様が亡くなった時に棺にも入れたそうです
こんな偶然があるなんて…凄い驚きました

なんとか まだ生きていけそうです

イクミ さんのコメント...

ぬいぐるみの件は、びっくりですね。
これ持って行ったら、みんな驚くぞと、彼が山本様に働きかけたのかなと思いました。
この世で同志の方が集まっている時に、向こうに行っている人たちも集まっていて、こちらの様子を見守っているような気がしました。
初めての感じがしなかったのは、同じ境遇ということもありますが、向こうにいる人同士で、霊的なつながりができていたからなのかもしれません。
向こうの人は向こうの人で、どうすればこの世の人に、想いを伝えられるのか、思案しているのではないでしょうか。
ぬいぐるみの件は、偶然ではなく、向こうの人たちの間では、予定されていたような気がします。
何でも判っているんだよ、みんなつながっているんだよと、向こうにいる人たちは、ぬいぐるみを通して、伝えたかったのかもしれません。

安心して話せる人、内にある想いを出せる人は、今の山本様にとって必要です。
彼も同じ考えだと思いますので、機会があれば、また参加されてはどうでしょうか。

寂しくなったり、悲しくなったり、苦しくなった時には、彼が傍というか、スリスリして癒してくれていると信じて下さい。
五感では何も感じなくても、彼の想い(愛)が山本様の魂に伝わってきて、心があたたかくなり、つらさが少し和らぐのを感じられるかもしれません。
そんな様なことも、またブログに書いていきたいと考えています。

山本 さんのコメント...

イクミ様 こんばんは

安心して話せる同志 本当に大切です
こおたんが人を介して伝えてくれた言葉

「これからは友達と仲良く…」「ずっと一緒だよ」

この世で繋がったご縁も
やはりあの世でも繋がっているそうで、
皆一緒に勉強する仲間だよ  この世の愛する人を癒したくて頑張ってるよ
意味なく人と出会う事はないそうです

この世で愛する人と魂が繫がってる人同士が集まると
あの世でもみんな集まってるんですね
イクミ様が仰られた通りです
不思議です
あの世の人は思いを伝えるのにサインを使うそうです
人によって夢だったり風だったりラップ音だったり温もりを感じたり

私も来月からスピリチュアルの勉強を始めます
もう予約もしました

集まりも参加します
先日はあまりにも心が痛くて  いたいよーと泣き言を言ったら翌日に同志がかけつけてくれて
落ち着くまで話を聞いてくれました

確かに五感で感じられないので、とても寂しいですが
傍にいるんだと思うと少し穏やかになります

それでも浮き沈みが激しいので号泣する日も多々
毎日に近いかな…

今はずっと一緒だねって話しかけたり
一緒にゴハン食べたり
枕も隣に並べて寝ています
それで余計に寂しくなる時もありますが

彼は生きています そしてスリスリしながら傍にいます

そう信じています

逢いたい気持ちは全く変わりませんが
お迎えが来るまで勉強しながら待ちます



イクミ さんのコメント...

こんにちは。山本様

伝えてきてくれた言葉は、私もその通りだと思います。
痛みを分かち合う仲間と出会ったことで、山本様の人とのかかわり方が、以前と変わって行くような気がします。

現実から来る、悲しみや苦しみを和らげてくれるのは、確かな知識です。
スピリチュアルの勉強をして、知識を増やして下さい。
ただ、スピリチュアルが流行語のようになっていますが、そんな軽がるしいものではないと考えています。
生命の原理、原則という、重要かつ深遠なテーマなのですが、多くの人は表面をなぞる程度で、その価値が判りません。
最愛の人との別れなど、ぎりぎりまで追い込まれた人が、地上で最も大切な霊的真理を手にすることができると言われています。
彼との別れがなかったら、山本様も知る必要もなかったはずです。
助けてもらうものが何もない人が、すがって、助けてくれるものが霊的真理です。

私は、シルバーバーチの霊訓に救われました。
最高の書籍だと思います。
初めは、何のことだか分らないかもしれませんが、月日が経つと、書いてある意味が見えてくると思います。
本でも読んでみようという気持ちになりましたら、是非、読まれて下さい。

真理を学んで1番喜ぶのは、彼と山本様の守護霊です。
あの世とこの世を結ぶ、共通の言語であり、お互いをもっと身近に感じられるからです。
学ぶべきもの学ぶことは、この世生まれて来た目的を果たしていることになります。

とりあえず、今はあまり無理をなさらないで下さい。

匿名 さんのコメント...

はじめまして。
私は6ヶ月前に主人を亡くしました。

この6ヶ月の間前を向くにも向けず、ただただ日だけが経っています。
子供たちのためにも前を向かなくては…と思っていますが向く事すら出来ず切ないです。

どうして神様はこんなに辛い試練を与えたのだろう?どうして乗り越えらるなんて思ったのだろう?と考えてしまいます。
主人には本当に申し訳ないと思っていますが、どうしても何で?パパじゃなきゃ駄目だったの?何で?パパが答えてくれないの?何で?パパは一緒に居てくれないの?何で?何で?と主人をせめてもしまいます。
こんなに厳しい試練は乗り越えられるのでしょうか?
イクミ様どうか教えて下さい。

イクミ さんのコメント...

はじめまして、イクミです。

ご主人を亡くされて6ヶ月ですか、最もおつらい時期だとお察しします。
どうぞ前を向けない自分を責めないで下さい。
この世で、最も過酷な試練の1つを経験しているのですから。
今は何も出来なくても、生きているだけで十分です。
最愛の人を失って、すぐ立ち直れる人などいません。
一生分の涙を、今流していると思います。

お子さんたちに、ありのままを見てもらっていいと、私は思います。
あなたの弱さを見せているのではなく、喪ったものがいかに大きかったのかを見せているのです。
この世の中で、これ以上大きなものを喪うことはありません。
最愛の人を喪うと、人はどれほど悲しむものなのかを、お子さんたちはあなたを見て、学んでいるのかもしれません。

こんな厳しい試練を乗り越えられるのかと聞かれたなら、必ず乗り越えられると答えます。
乗り越えられる試練しか、自分に起こらないという、自然法則があるからです。
今は、全く先が見えず、何をどうすれば良いのかも分らないのかもしれません。
目の前の問題を、できる範囲で結構ですから、少しずつ解決して行ってはどうでしょうか。

ご主人との死別は、不運でも、偶然でもなく、そして神様が思いつきで与えた試練でもありません。
信じられないかもしれませんが、この世でさらなる成長を願っていたあなたに最適と判断されて、この試練が与えられたと思われます。
最も望まないことなので、嘘だと思うでしょうが、真偽は後で明らかになると思います。

身に起こる出来事だけを考えると、不幸であったり不運であったり、不平等であったり不公正であったりします。
しかし、深層には霊的な意味があります。
生命とは魂です。
私たちは、魂を成長させるために、この世に生きています。
人生で起こるさまざまな出来事は、魂を成長させるためにあります。
誰もが避けたい困難や障害が、魂を大きく成長させています。

あなたが、どうしても納得できないことを、私なりに霊的に解釈してみました。

どうしてパパじゃなきゃだめだったのか?
この世に残されたご家族が、この出来事をきっかけに大切なことを学んでいくため、言い方を変えると、この出来事を通して、学ぶことがあるためと考えられます。
そして、助け合いながら、共に成長していくためと考えられます。

一緒にいてくれないの?
ご主人は、一足先にこの世の務めを果たしたのです。
あの世から、目に見えないかたちで、家族を導くのが、今後のご主人の務めと考えられます。
人間は、死んだらお終いではありません。
もちろん魂は、ご家族と共にいます。

パパは答えてくれないの?
ご主人は、次の世界に移行し、肉体とは異なる媒体で、自分を表現して生きています。
五感を通して答えるのは不可能であり、ご家族の魂に、想いを投げかけて、インスピレーションとして伝えようとしているはずです。
しかし、この世は雑音がとても多く、頭ばかりを働かせているので、こちらの魂に伝わりにくくなっているのは確かです。
無視しているわけでは、決してありません。

シルバーバーチの霊訓には、あなたの疑問に対する答えが書いてあると思います。
霊的な知識は、ご主人とあなたの距離を縮めることができます。
ご主人も、あなたに知ってもらうことを、きっと望んでいると思います。

ご家族のことを、誰よりも愛しています。
どれほど、前と同じように抱きしめてやりたいと思っているのかわかりません。
お気持ちは分りますが、その想いを察すると、責めてしまうのは、あまりにも可哀想です。

仕事中でしたが、伝わってきたことを書きます。

「すまなかった。
お前が俺のことを、こんなに好きだったなんて思わなかった。
子供たちのことは心配している。
みんなのことを、どれほど好きなのか良く判った。
無理するな。休んでてもいい。愛してる。
変なことは考えるな。
ママを支えろ。
仲良く力合わせろ。
生きていれば、誰かが助けてくれる。遠慮はするな。
力合わせろ。」

匿名 さんのコメント...

イクミ様ありがとうございます。
何度も読み返しましては、声を出し涙が出ました。

主人が見てくれているのは何となくわかります。
毎日ではありませんが、パパ?っと思う事があります。
イクミ様の言う通り主人は子供たちや私をいつも導いてくれてるのですね。すごく嬉しく幸せな気持ちになりました。
まだまだ前を向く事も出来ませんが少しづつ前を向いていければと思います。

今まで、何回もイクミ様にメールをしようと思いましたが書いては消してを繰り返していました。
きっと主人がイクミ様に導いてくれたのですね。
バカな事は考えないで4人で力を合わせ進みたいと思います。
本当にありがとうございました。

イクミ さんのコメント...

ご主人は、ホッとしていると思います。
ご家族は、ご主人にとても愛されています。
その想いに応えて、力を合わせて、今生を生き抜いて下さい。
何かあれば、また連絡して下さい。