2015年9月27日日曜日

あの世からの導き


 
私の友人は40代で奥さんを亡くしました。

二人の子供の子育てに、奮闘中です。

現在、仕事は多忙を極め、心身ともに悲鳴を上げているのが、傍で見ていて良く分ります。

 
 
 
先日、同じ職場の年の若い事務系の女性と、付き合っていると話がありました。

奥さんを知っていた私は、素直にそれは良かったと言うことが出来ませんでした。

そんな私に友人は、普通の暮らしをしてみたいと、ポツリと言いました。

 
 
 
奥さんを亡くした後、精神的にボロボロになりながら、仕事は容赦なく忙しくなり、家に帰れば子育と家事に追われて、心休まる時間のほとんどない友人は、このままでは身が持たないと感じていたようです。

そんな友人の心境は、普通の生活をしている人達に判るはずはなく、もし、その女性が家に入り、友人が癒されるのであれば、反対する理由はどこにもありません。

 

 
ただ、二人の子供のことは気がかりです。

その女性は、お母さんの代わりにはなれません。
 
家族として、認めてもらえるのでしょうか。

まずは、父親に言えないことを、気軽に話せて、助言してもらえるような、お姉さんのような存在になってもらえればと思います。

 

 
そして、今も家族を見守っている、奥さんはどう想っているのか気になります。

「(死んだら)いい人を見つけて欲しい」と言い残して、友人の誕生日に亡くなりました。

しばらくしてから、奥さんから友人に向けたメッセージを私が受け取りました。

印象的だったのは、友人を「この世でただ一人愛せた人」と表現していたことです。

その言葉を、神妙な面持ちで聞いていたのを覚えています。

 

 
友人のことを、変わらずに愛していると思いますが、今、奥さんがいるのは、想いの世界です。

この世の人が想っていることが、判ってしまいます。

自分に向けられていた友人の親愛の想いは、徐々に自分の知らない女性に向けられていくのを、しっかりと感じ取っているのかもしれません。

あの世に行くと、肉体があった時のような、嫉妬心や独占欲はなくなると言われています。

疲労困憊している様子を傍で見ていて、自分が生きていた時の様に、友人がその女性により家庭で癒されて、仕事に打ち込めるのなら、喜んで家に招き入れたいと想っているのかもしれません。

 


それよりも心配しているのは、残してきた子供のことです。

元気に、明るく育って欲しいと、常に願っていると思います。

その女性が、子供たちを可愛がってくれるのか、大切にしてくれるのか、そればかりが気になっていると思います。

友人は私に、「この前、彼女を家に連れてきたら、仲良さそうに遊んでいた」と、話しをしていました。

しかし、友人は子供たちの、言葉や態度や表情から、気持ちを窺い知るしかありません。

奥さんには、本当の気持ちが見えています。

楽しそうな、うれしそうな子供たちの想いが伝わってきたなら、とても安心するでしょう。

けれども、この人とは一緒に居たくないという想いが伝わってきたなら、何とかしなければと想うでしょう。

父親に本当の気持ちを伝えるように促す思念を、子供たちに投げかけるかもしれません。

この女性の、子供たちに向けている想いも筒抜けになっています。

家族に向けるような、親しみの想いを感じたのなら、とてもうれしくなるでしょう。

けれども、無関心や嫌うような想いを感じたなら、どうにかしなければと強く想い、友人に一緒に暮らすのを思い留まらせるような思念を、送り続けるでしょう。

 

 
亡くなった奥さんのことを思い浮かべながら、この文章を書いている時に、一本の電話が自宅に入りました。

当の友人からであり、歯の具合が悪いので診て欲しいとのことでした。

休診日でしたが、急いで仕事場に向かい、治療を済ませしたが、その後に、例の女性の話を友人が始めました。

一通り聞いた後で私は、「奥さんは子供たちのことが心配なので、子供たちのことを1番に考えるように」と、はっきり伝えました。

友人が私に会うように、私が友人に伝えるように、奥さんがタイミングを見計らって導いていたと、思わざるを得ませんでした。

 

 
普段、人は頭で考えて行動しています。

頭に蓄えた知識や経験を頼りに、日々の仕事をこなしています。

頭を使わなければ、日常生活は成り立ちません。

行動する前には、考えが先行しています。

 

 
それとは別に、何かの衝動にかられて、気付くと行動している時があります。

考えていた訳でもなく、フッと頭の中に何か湧き上がるものを感じて、どうしても行動に移したくなる時があります。

思いつきや、気まぐれとして片付けてしまいがちです。

そんな時は、もしかしたら、あの世からの思念(想い)を受け取っていて、無意識に身体が動いてしまっているのかもしれません。

 

 
この世を生きる人には、例外なく、一生涯に渡って守り導く存在(守護霊)が、側に寄り添っています。

 

 
約25年前に、私は車に乗って信号待ちをしている時に、追突事故に遭いました。

衝突する直前に、ふとルームミラーに目をやると、かなりのスピードで迫ってくる車を認めたため、思わず身構えました。

次の瞬間追突し、大きな衝撃を受けましたが、幸いなことに怪我はなく、鞭打ち症にもなりませんでした。

今、考えてみると、ルームミラーを見る衝動にかられたのは、守護霊からの働きかけではないかと思っています。

気付かないだけで、そんな局面が今までの人生で、たくさんあったのかもしれません。

 

 
この世の人に守護霊が付く目的は、無用な危害が加わらないためだけではありません。

生まれる前に決めていた人生に沿って生きるためであり、予定した通りに魂を成長させるためです。

 

 
この世の人は、魂を成長させるために、自ら志願して、この人生を選択したことを忘れてしまっています。

忘れてしまったと言うより、知っていると将来が気になってしまい、今を大切に生きられなくなるので、封印されていると言った方が正しいのかもしれません。

守護霊は、この世の人が忘れてしまった人生の内容を知っていて、それを全うさせるために、あの世から導いています。

 

 
この世の人は、目の前に大きな苦難や障害が立ちはだかると、自分には乗り越えられないと諦めてしまいそうになります。

そんな時に、解決策につながるインスピレーションや、勇気を与えるような想いを投げかけて、何とかして乗り越えさせようとしています。

志願した人生から外れそうになってしまうと、そちらに進ませないように、良心の呵責が生まれるような想いや、悲惨な結果となるイメージを伝えることもあると考えられます。

 

 
この世とあの世では、出来事の捉え方が、真逆になることがあります。

もし、労せずして大金が入ったのなら、この世の人は大喜びして、楽しく遊んで暮らすかもしれません。

しかし、あの世の人から見ると、仕事をしないで、遊んでばかりいるのは、魂の成長につながらないばかりか、堕落してしまうかもしれないので、喜ぶどころか、大いに心配していると思います。

 身に降りかかる苦難や障害を、この世では不幸や不運として捉える人が、ほとんどかもしれません。

あの世では、魂を成長させる大切な機会として捉えています。

 

 
この世の人は、自分が取った言動が、どの様な結果をもたらすのか判りません。

あの世の人は、この世の人が取った行動に対する結果が見えています。

 

 
1つ高い次元から、守護霊はこの世の人生を見渡しています。

そのために、この世の人の魂が成長して、生まれて来た目的を成就させる方向に、導くことができます。

とても有難い存在なのですが、目には映らないので、童話やおとぎ話のように思えてしまうかもしれません。

しかし、紛れもなく実在しています。

 


この世の私たちは、目先のことしか見えず、誘惑に負けやすく、くじけやすい存在です。

物質だけが目に映ってしまい、その奥にある生命や愛という本質が見えない世界に生きています。

さまざまな経験を通して、自分に足りないところを補っていく、修練の場であることを忘れてしまっています。

自分を見失い、生きている意味を見失いやすい世界に生きています。

迷いや、悩みは、どうしても生じてしまいます。

 


心に迷いが生じた時、どちらに進んでいいのか悩んだ時、答えが出ない問題を抱えた時に、そっと影から、支えてくれているのが守護霊だと思います。

謙虚な気持ちになり、守護霊に静かに問いかけてみてはどうでしょうか。

ただし、守護霊は魂の成長のためにいるので、この世の利益(お金や出世等)を得ようとする問いかけや、世の中や人のためにならない問いかけは、絶対にしないで下さい。

 

 
「あなたが良いと思う方向に導いて下さい」

「私が成長する方向に導いて下さい」

であれば、聞き届けられると思います。

 

 
回答は、直ぐにインスピレーションとして魂に伝わり、進むべき方向を指し示してくれるかもしれません。

あるいは、しばらく経って、忘れかけていた頃に、伝えてくるかもしれません。

それは自分の望んでいる方向ではないかもしれません。

指し示す方向は、魂を成長させる方向に決まっているので、どちらかと言えば、楽な方向よりも、困難な方向と思われます。

自分にとって最善の方向と確信して、迷わずそちらに進んでいきましょう。

指し示した方向に進むのを、適当な理由を付けて逃げてしまうほど、守護霊を落胆させることはありません。

導きを求めたのであれば、回答の通りに素直に進んでいきましょう。

 

 
こちらの問いかけに対して、回答がない時もあります。

この世の人が、どのような方向に進むのか、どちらを選択するのか、じっと見守っているだけで、任せる時があるようです。

自分自身で決めて、進んで行かなければいけません。

そんな時は、挑戦する方向、自分よりも他者のためになる方向に進んで行くのが正解であり、魂の成長につながるので、傍で見守っている守護霊もきっと喜ぶでしょう。

回答として1つの出会いがあり、後に魂を成長させるような出来事が起きるかもしれません。

 

 
あの世から、導くためのインスピレーションは、私たちが想像している以上に送られてきているのですが、この世の人に受信する態勢が整っていないと思われます。

とても大きな損失をしていると思います。

導くための、あの世からのインスピレーションは、魂が受け取ります。

しかし、現代に生きる私たちは、1日中、頭を回転させて、時間に追われながら、慌しい生活をしています。

頭が活発に働いている時は、その影に隠れ、魂は休眠状態になっています。

何もせずに心穏やかに過ごしている時には、頭の活動は弱まり、魂が前面に出てきています。

そんな時に、インスピレーションに気付きやすいと思われます。

瞑想状態とまで行かなくても、静かな音楽を聴きながら、波立つ心を鎮め、雑念がなくなり、頭がからっぽになる時間を作り、守り導いている存在に親愛の想いを向けていれば、ふと浮かぶ想い(インスピレーション)に気付くようになるかもしれません。

伝わってきたインスピレーションに全幅の信頼を置き、素直に従ったのなら、予定されていた人生が全うされると思います。

 

 
自分の想いなのか、あの世からの想いなのか鑑別できなくても、もともと親(ちか)しい魂同士なので、気にしなくても良いのかもしれません。

湧き上がる想いに素直になって生きれば、後悔することはなく、どの様な出来事が先に待っていたとしても、必ず乗り越えられ、予期した魂の成長は得られると思います。

 

 
一人で生きているのではなく、目に見えない存在が常に見守っていて、必要な時には導いてくれると確信して、生きていきましょう。

それは、この世に生まれる前に交わした約束でもあり、必ず果たしてくれるはずです。

 

 
先のことは何も心配せずに、安心して、今を生きましょう。






参考ページ:「あの世からの愛の表現は守り導くこと」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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