2015年4月21日火曜日

ガンは魂のかさぶた



ハッブル宇宙望遠鏡が地球の周りを回りながら、美しい宇宙の写真を送ってきています。

その中に、ハッブル・ウルトラ・ディープフィールドと呼ばれる夜空のエリアを撮影した写真があります。

地球から130億光年離れた銀河が一万個も写っていて、とても神秘的な光景です。

はるか宇宙の彼方に存在する世界は、私たちには関係ありません。

目には見えませんが、霊的次元の世界は存在しています。

霊的次元の世界は、彼方にある関係のない世界ではありません。

目に見えるこの世界と、目に見えない霊的次元の世界との間に距離はなく、重なり合っています。

私たちは、この世に生きていると同時に、霊的次元とつながりながら生きています。



人は肉体、精神、魂(霊)により、成り立っています。

目に見える肉体と、目に見えない魂が重なり合い、影響し合っています。

肉体と魂の重なりが、完全になくなった状態が死です。

死とともに肉体は崩壊しますが、魂は変わりなく存続します。



意識されませんが、人の行動(表現)全てに、思念(想い)が先行しています。

うれしいから笑顔になるのであり、悲しいから泣きます。

想いがないところに、行動(表現)はありません。



想い(思念)は大脳で生まれるのではありません。

大脳は、外界からの情報を受け取り、論理的な思考をして、肉体に指示を出す司令塔の役目を果たしています。

情報を処理し、肉体を動かしている、言わばコンピューターです。

そのコンピューターを動かしているのが魂であり、そこから想いが生まれます。



ピアノの演奏で喩えてみます。

ピアニストを魂とすると、ピアノはその媒体(肉体)であり、演奏は表現(行動)です。

ピアニストがいなければ、ピアノはただの物体です。

ピアノがなければ演奏はできず、ピアニストは表現手段を失ってしまいます。

肉体が自分だと思っている人は、演奏をしているのはピアノだという誤りを犯しているのと同じです。

演奏しているのはピアニストであるように、肉体を動かしている原動力は、意識的存在である魂です。



仕方のないことですが、この世では目に見える肉体ばかりに注意が行ってしまい、魂はほとんど意識されません。

日々の生活や、趣味や娯楽など外に関心が向いて、魂から絶えず生まれている想いに気を留める人はまれです。

鏡に映る身体は、この世だけの表現媒体に過ぎず、身体を見ている意識が本当の自分です。



人々を苦しめている病気の原因は、肉体、精神、魂(霊)のどこかの次元に存在しています。

感染症は、細菌やウィルスなど物質的原因で起こるので、除去されれば治ります。

胃潰瘍は、精神的次元の緊張が、肉体上に反映されたものなので、緊張のない生活を送れば治ります。

ガンの根本原因は、未だ解明されていません。

根本治療は確立されておらず、目に見える病変をなくすという対処療法しかありません。

これだけ科学が発展しているのに、いつまで経っても原因が見つからないのは何故なのでしょう?

科学の対象外となっている、霊的次元に原因があるからと思われます。

魂の存在を認め、原因がそこにもあることを、認識する時が来ていると思います。



以前のブログで、「ガンの正体は表現されなかった(摂理に反した)想いである」と書きました。

ガンは物質的(肉体)であり、想いは非物質的であり、全く関係ないように思えてしまうために、何のことか理解できない人がほとんどかもしれません。



また音楽で例えてみます。

調和のとれた演奏をしている時が健康であり、調和を失い乱れた演奏になっている時が病気です。

乱れた演奏は、楽器の問題ではなく、演奏者に原因があるのは明白です。

しかし、現代医学は乱れた演奏の原因は、演奏者ではなく、楽器に原因があると頑なに信じ、楽器を調べ続けている誤りを犯していると考えられます。

演奏者の想いが、楽器を媒体として表現されています。

愛の想いがあれば、演奏にその想いが表現され、聴く人を幸せにします。

怒りや憎しみの想いがあれば、聴く人を不穏にさせます。

目に見えない想いが、媒体により表現されて、周囲に伝わっています。

隅々まで楽器を調べてみても、原因は見つかりません。

楽器を何回修理したとしても、問題の解決にはなりません。

演奏者の中に、原因を探さなければいけません。

原因を見つけて対処し、演奏者が調和を取り戻したならば、演奏は元に戻ります。



肉体は魂を表現する媒体です。

外面に、内面の様子が表れています。

怒りの想いに支配されていれば、顔は紅潮し、脈拍は速くなり、表情は険しくなります。

霊的次元に原因がある病気は、魂の様相の変化が、肉体上の変化として反映されます。

魂に深刻な影響を与えるほど大きくなった(摂理に反した)想いは、時に身体を脅かしているガン組織として反映されると思われます。



肉体上のガンの様子を観察すれば、その想いがどんなものなのか推察できます。

周囲の組織を押しのけながら、秩序なく増殖していく様子は、調和を失い、利己的で攻撃的な意志を持っているように見えます。

そんな利己的で攻撃的な想いは、怒りや憎しみや妬みや貪欲、言葉にならない想いが混ざり合い、積み重なったものなのかもしれません。

表現できなかった想いは、ガンとなって自己主張しているように見えます。

もし、患者さんに「あなたの内にある想いが病気を作り出したのかもしれません。」と言ったならば、何を根拠にそんなことを言うのかと、きっと憤慨されるでしょう。

そして、「自分にはそんな想いなどない」と、言い返されるかもしれません。

少し前になりますが、『がん性格 タイプC症候群』L・テモショック、H・ドレイア(アメリカの心理学者)著、岩坂彰、本郷豊子訳(創元社)という書籍がありました。

入手できないため、他の記事からの転用になりますが、150人以上のメラノーマ(悪性黒色腫)患者を面接しその約4分の3に、以下のような共通の性格的特徴があることを認めたそうです。

1.怒りを表出しない。過去においても現在においても、怒りの感情に気付かないことが多い。

2.ほかのネガティブな感情、すなわち不安、恐れ、悲しみも経験したり表出したりしない。

3.仕事や人づきあい、家族関係において、忍耐強く、控えめで、協力的で譲歩を厭わない。権威に対し従順である。

4.他人の要求を満たそうと気をつかいすぎ、自分の要求は十分に満たそうとしない。極端に自己犠牲的になることが多い。

メラノーマ(ガン)になった人は、怒りの感情に気付かないことが多く、怒りなどのネガティブな想いがあったとしても表現しない傾向がありそうです。

外から見れば、感情的にならない分別のついた大人であり、周囲に協力的な良い人そうです。

しかし、忍耐や従順、自己犠牲の影に、自分でも気付いていない許せない、認めない、拒絶する想いが存在していたのかもしれません。

そんな想いがあったために、つぎつぎと大小の怒りやネガティブな感情(想い)が生み出されていたのかもしれません。

表現されない想いが、少しずつ蓄積していったと思われます。



良くストレスが溜まるとガンになると言われます。

一般的には、ストレスにより免疫機能が低下したため、コピーミスによって生じたガン細胞が死滅されすに大きくなってしまうと考えられています。

ストレスとは、抑圧された感情とも言えますが、本体は表現されないネガティブな(摂理に反した)想いだと考えています。

ストレスが溜まった状態とは、ネガティブ(摂理に反した)な想いが溜まった状態と考えています。

ガンになった人の多くは、怒りなどのネガティブな想いに気付かなかったり、気付いてもうまく表現できないために、想いが蓄積しているのではないかと推察されます。



この世に生きる私たちにとって、想いに実感はありません。

時間とともに消えてしまう泡のようなものに思えてしまいますが、霊的次元においては実在であり、即座に具現化します。

想いは、精神を経由し、肉体を媒体として表情、言葉、行動となって表現されています。

想いは、表現する「力」と言えるのかもしれません。



日常生活を円滑にするために、自分の意見や感情を出すのを、抑えながら人は生きています。

思ったままのことを言い、やりたいことを好きなようにできる人は、独裁者でも無い限り無理であり、少なくとも私の周囲には見かけません。

つらい出来事があっても、想いを表に出さずに過ごさなければならない時もあります。

大なり小なり、滞った想いは誰にでもあると思います。

1つ1つは小さな想いでも、長い年月をかかて蓄積されて、大きくなっていくのかもしれません。



問題なのは、表現されない想いが溜まり過ぎてしまうと、人生で出会う出来事から生まれる想いに影響を与えてしまうことです。

怒りや憎しみの想いが溜まっている状態で、人にやさしくしたり、労わったりすることはできません。

本当はやさしくしたいのに、溜まっている想いに縛られて、思いがけず冷たい態度を取ってしまうかもしれません。

感謝しなければいけないのに、不満を見つけ出して、相手を非難してしまうかもしれません。



生きている目的は、魂を成長させるためです。

困難を乗り越えていくことで、魂は成長していきます。

そして、人や動物、社会のために奉仕する、愛を表現することで、魂は成長していきます。

その機会が訪れても、溜まっている想いのため利己的になり、逃してしまうかもしれません。

表現されなかった想いがあるために、魂が成長が妨げられて、この世を生まれてきた意味を失っていることになります。

これは霊的に成長していくことを定められた人間にとって、看過できない事態であると思われます。

しかし、想いが大きくなってしまうと、自分の力ではどうしても解放できなくなります。

そして、神の摂理である因果律が働き、肉体上にガン組織として表現されると考えられます。

ガンは、突発的なミスにより生じ、死に至らせるものではなく、表現されなかった想いに気付くため、そして解放させるためにある、自然法則の1つだと思います。

魂の成長を妨げている想いは、因果律の働きによりガンとなり、苦痛の経験をすることにより、本当の自分(魂)が目覚め、想いが解放されていくと思います。

解放させる力は、生命力という神の力であり、愛の力です。



想いは考えている以上に大切です。

どんな想いを抱こうとも自由であり、人から干渉されることはありません。

しかしながら、自由には責任が伴います。

神の摂理は、目に見えない想いにまで働いています。

摂理に適った想いは愛の想いであり、怒り、憎しみ、恨み、妬み貪欲などは摂理に反しています。

従って、自分の言動に注意を払うのと同じ様に、自分の想い(思念)にも注意を払わなければいけません。



イエス・キリストでさえ、怒りの想いを抑えられなかった出来事(神殿の境内で商売をする者を追い払った)があったそうです。

シルバーバーチの霊訓の中にも、怒りの感情がなかったら、もはや人間ではないとも書かれています。

この一文に、救われる思いがしました。

この世に生きている限り、怒りは避けられない感情であるということです。

同時に、イエス・キリストは「右のほほを打たれたら、左のほほを差し出しなさい」とも言っています。

昔は、この意味が分かりませんでしたが、怒りに任せて暴力的な行為で返すと、その行為に対して因果律が働き、さらに痛い思いをしなければならないため、相手に愛の想いを返すのが最も賢明であると、現在は解釈しています。

「汝の敵を愛せよ」も、同じ意味だと思います。

生きている限り怒りが生まれるのはやむを得ませんが、想いに振り回されてはいけないと思われます。

さまざまな出来事に出会い、痛い、苦しい、悔しい、悲しい思いをしながら、怒りや憎しみを少しずつ愛に変えていくために、この世に生きているのかもしれません。



ガンになった不運を嘆いたり、怒りや憎しみや妬みの想いを抱くのは、やめましょう。

その想いが、ガンの正体であるために、活性化させて、痛みはさらに強くなると考えられます。

消滅させようとする攻撃的な想いは、ガンをより攻撃的にさせると思われます。

想いに気付かせるため、痛みとともに解放させるために、ガンが神の摂理としてあるのならば、むしろ感謝しないといけないのかもしれません。

偶然ではなく、何かの意味があるのならば、それは魂の成長しかありません。

簡単に言えば、強く、やさしくなるためです。

この世の試練を乗り越え、愛を表現して、魂を成長させていくためです。





ガンは魂のかざぶたです。

魂が傷つけられ、そこから想いが溢れ、表で塊となりました。

その塊は、魂のかさぶたであるので、無理やりはがしてはだめです。

外から見ると醜いのですが、魂の傷を癒やすために必要なものです。

魂の傷が癒えて元に戻れば、用がなくなり、自然にはがれていきます。



                                                  ハッブル・ウルトラ・ディープフィールド

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