2026年2月15日日曜日

何のために生きているのか?


若い時、「何のために生きているのだろう?」と自分に問いかけていました。

けれども、いくら考えても答えは見つかりません。

周りの人たちはそんなことなど気にせずに生きているように見え、いつしか考えなくなりました。



20数年経って、「シルバーバーチの霊訓」と出会い、その中に答えを見つけました。

それは「成長するため」でした。



成長するとは、どのようなことでしょうか?

一般的には、自分の可能性を拡げたり、人間として成熟することを指します。

霊的には、より神性(神の心)が発揮されるようになることだと思います。



神の心とは、全体を慈しむ心だと考えています。

全てを愛する心と言っても良いのかもしれません。



私たちは神により創られた、神の一部です。

私たちの中に、神の心が良心となって顕現しています。



地上では肉体があり、(地上的な)自我によって自己表現しています。

地上を生きて行くために自我は必要なものですが、その働きによって良心(神性)が発揮されるのが妨げられます。



車を運転している時、横道から合流しようとする車がいたとします。

自分の良心は道を譲ろうとしますが、そのまま進んでしまおうとする考えが自我に生まれると、その行動は妨げられます。

駅のホームで、線路に落ちて動けなくなった人がいたとします。

そこに電車が迫って来ています。

良心は助けようとしますが、自我は身の安全を第一に考えて、その場に留まろうとします。

過去に助けようとして命を落としてしまった人がいますが、もう地上を生きる必要がないほどの神性が発揮された結果のようにも思えます。



霊界では肉体がありません。

そのため生きて行くために働く必要がありません。

地上では組織のために働いて、その対価としてお金をもらったり、家族のために家事をして働くことで、生活を営むことができます。



働いている中で、誰かに喜ばれたり、感謝されると、うれしさを感じます。

私も仕事をしていて、「何でもおいしく食べられるようになった」とか、「人前で笑えるようになった」と患者さんに喜んでもらえると、とてもうれしくなります。

そのうれしさが、仕事をするモチベーションとなります。


人は何故ペットを飼うのでしょうか?

かわいい、一緒にいると楽しい、癒されるなどの理由があります。

それ以外に、動物たちのために何かをしてやることに、人は喜びを感じるからだと思います。

与えた餌をおいしそうに食べているのを見たり、うれしそうに散歩をしている姿を見ると喜びを感じます。



人は誰かのために何かをすることで、喜びが感じられるようになっています。

けれども、地上では自我や肉体があるために、その喜びが感じにくくなります。

身体の具合が悪い時に、何かをしてやろうという気持ちになれませんし、無理にすれば苦痛となってしまいます。

また、物を買ったり、おいしい物を食べるなど、すぐ手に入る(地上的な)喜びがあり、それを求めがちになります。


子供の時に、わがままを言ったり身勝手な行動をしていると、仲間外れにされて、孤独という苦痛を味わいます。

社会に出て同じことをしていたら、組織に不利益をもたらす者として、クビになってしまうかもしれません。



そうなるのは偶然ではなく、神の創った法則の働きによるものです。

いつでも、どこでも、誰にでも同じ結果が生じます。

法則の働きによって生じる喜びと苦痛により、私たちは神性を発揮する方向へと導かれています。


霊界では、何もしなくても生きて行けます。

好きなことだけしていても許されます。

地上を生きている私たちにとって、まさに天国と言えます。



けれども、それだけでは成長することはできません。

人は、誰かのために何かをすると、法則の働きによって成長します。

自由に生きられる霊界で成長して行くために、生きるために誰かのために何かをしなければいけない地上に生まれて、奉仕をするための意志を培っていると考えられます。



それでは、何にために成長するのでしょうか?

私たちは霊的につながっています。

これは、霊界に行けば当たり前のように感じられることです。

地上では肉体(物質)が存在し、五感により外部を感識しているために、つながりは感じられなくなり、それぞれが独立して存在しているように見えます。

そのために、地上ならではの障壁や問題が生まれます。

それらを克服して行くために、神性が発揮されなければいけません。



自我に打ち克ち、より神性を発揮できるようになるのが、地上に生まれた目的と考えられます。

神性が発揮される度に、進化成長して行きます。

お互いを隔てているものが取り払われて、霊的に1つになって行きます。

そんな計画の元に、私たちは生きていると考えています。











2026年2月8日日曜日

世界を変えるもの


このブログで政治のことを書くことはありません。

政治は地上的なものであり、霊的なものを扱うこのブログの主旨とは違うと考えているからです。



ただ、政治のありようによっては、霊的なものにまで影響を与える場合があります。

戦争がそうです。

外交(政治)によって、戦争になったり、回避されたりします。

いざ戦争が始まれば、人と人が傷つけ合い、殺し合うことになります。

多くの人の人生が狂わされてしまい、予期していた学びや成長が得られなくなってしまいます。



霊界の人たちは政治のことをどう捉えているのでしょうか?

シルバーバーチの霊訓にはこのように書かれています。

「私たちは政党というものには関与しません。私たちが関心を向けるのは、どうすれば人類のためになるかということです。地上世界は悪習と不正、既成の権力が氾濫し、それが神の豊かな恩恵が自由に行き渡るのを妨げています。そこで私たちは利己主義に立ち向かっているのです。そのためになる人であれば、党派に関係なく、時と場所を選ばずに影響力を及ぼして、改革なり改善を促します。」

組織(政党)には関心がなく、個人個人の想いを察知して、社会のために何かをしようとしている人を積極的に援助していると思われます。



霊界における絶対的な基準は「愛」です。

利他的で奉仕の精神に富んだ人には、たくさんの指導霊が付いて、インスピレーションを送り、それが導きや気付きとなっていると考えられます。

想いを送って、勇気付けたり、励ましたりして、実現させようとしています。



地上の人は霊界の人のように本心を知ることができません。

人や社会のためになろうとしているのか、エゴを満たそうとしているのかを見極めるのは困難です。

それでも、普段どんな生活をしていて、どんなことをやっているのかで窺い知れます。



リンカーンは庶民的な感覚を持ち続け、贅沢な暮らしを好みませんでした。

南北戦争で犠牲になった兵士の家族に手紙を書いたり、金銭面で援助をしていましたが、そのことを公にすることはありませんでした。

そんな人はどこを探しても見当たりませんが、エゴが強くなく良心に忠実な人、質素な暮らしをして弱い者の味方になっている人であれば、ある程度信用できると思います。



シルバーバーチの霊訓にはこう書かれています。

「富の神マモンを崇拝し、欲望に走り、利己的になり、他人のことなどどうでも良いと考えるようになったら最後、自分の国だけでなく地球全体が暗黒と困難と悪と疫病という、自由意志の選択の誤りが生み出す結果で埋め尽くされる結果になります。」

エゴが強く、利己的な人たちが大きな権力を手にしている今の世界は、かなり危うくなっています。



世界はつながっています。

コロナウィルスは世界の隅々にまで広がりましたが、そのことは人と人は国や人種を超えてつながっていることを証明しています。

遠い国で起きている戦争も、他人ごとではなく、全体に影響を及ぼし、何らかの結果が返って来ます。



自然法則の働きによって、世界は1つになる方向へと向かっています。

遠い過去から現在に至るまでの道のりを振り返れば、そのことがはっきりと分かります。



進化は一直線ではなく、スパイラルを描きながら進むと言われています。

人と人を分断させ対立を生むような、自然法則に反した言動が繰り返されている今は、下方局面に入っているのかもしれません。


地上には、さまざまな人がいます。

そのために、違うもの同士の間に争いが起こり、差別が生まれます。



生きるために物質を必要とします。

そのために、強者と弱者が存在し、強者は限りなく富み、弱者は生存を脅かされる事態にまで陥っています。



争いではなく協調や調和を選び、強者が弱者を助けるような仕組みを作るのが、本来の政治の役割りであると考えています。

霊的真理を実践すれば、必然的にそうなって行きますが、残念ながら知っている人すらいないのが現状と思われます。



政治で変えることができるのは、外側の世界だけです。

世界が変わるのを政治に求めるのではなく、自分が変わることで世界が変わり始めます。

この世界は、個の人間の集合体だからです。

意志や行動が同じ方向に変わることで、根本から世界は変わります。



シルバーバーチの言葉を引用して結びます。

「地上世界を一気に変革することはできません。人々を変えるのは容易ではありません。でも自分を変えることは今すぐからでもできます。いつどこにいても人のためを心掛けましょう。力になってあげましょう。」






2026年2月1日日曜日

未来の自分のために


地上を生きる人には、さまざまな欲求があります。

現代社会において、「承認欲求」に悩まされている人が多くいるようです。

「他人から認められたい」「評価されたい」この欲求を満足させるために、多くのエネルギーを消費している人も少なくありません。



仕事で評価をされるとうれしくなるので、私にもこの欲求があります。

向上心につながる側面もあるので、それ自体が悪いわけではありません。

問題なのは、この欲求を満たすことが生きる目的となってしまっている場合です。



欲求が満たされても、それは一時的なものです。

しばらくすると、また満たそうとします。

その理由は、金銭欲と同じく、エゴ(自我)から生まれているものだからです。

十分なお金があっても満足せずに、もっと欲しくなりますが、それと同じように、承認欲求にも際限がありません。



なぜ、承認欲求が強くなるのでしょうか?

思い出してみると、子供の頃から成績表やテストの順位、偏差値などで評価され続けて来ました。

親や先生など大人たちは、良い結果が出ると褒めて評価します。

評価された子供はうれしくなり、さらに良い結果が欲しくなります。

大人に評価されると、子供は認められている気がします。

このような環境で育つことにより、自然に承認欲求が生まれると思われます。



社会に出ても、数値などの結果により評価されることが多いです。

評価が給料や出世に反映されることが多いので、どうしても気になってしまいます。


この世は、評価をしたり、されたりすることで溢れていると言えます。

人間的な価値が、評価によって決まってしまうという錯覚に陥っている人もたくさんいます。



周りから認められた方が、安心して生きて行けるような気がします。

周りから評価された方が、自分の価値が高まり、安定して生きて行けるような気がします。

このようにして、知らないうちに承認欲求が強くなって行くと思われます。


あの世に行くと、肉体はなくなり、エゴも消失します。

それに伴い、承認欲求からも解放されます。



そこにあるのは、神の法則の働きだけです。

法則の働きによって、私たちは生きています。

神によって認められた存在であることを知ります。

誰かに認められる必要も、誰かに評価されることもありません。

あるがままの自分でいられることに、大きな喜びを感じるでしょう。



認められ、評価されることに代わって、自分の想いが法則の働きに叶っているか、反しているかが問われます。

法則に叶った想いを、一言に集約するのならば「愛」です。

叶っていれば、神(宇宙)からより多くのエネルギーを受け取ることができ、オーラは光り輝きます。

反していれば、オーラはくすんだものになってしまうでしょう。



地上においても、同じ法則が働いています。

誰かのために何かをしようとする人が輝いて見えるのは、神からエネルギーを受け取っているためです。

自分のことしか考えない人からは、そのような輝きは感じられません。



言葉や行動に込められた想い(動機)に対して、法則が働いています。

いくら頑張って行動しても、エゴの欲求を満たすためであれば、動機が法則(愛)に叶っていないので、神からエネルギーを受け取ることができません。

それでも欲求に従って行動するのなら、次第にエネルギーは枯渇して行きます。

何のために生きているのか分からなくなり、疲れ果ててしまうでしょう。



それとは反対に、誰かのために何かをしようとする時は、神の心と同調しています。

無尽蔵の源からエネルギーが供給され、目的を成就するための活力となります。



例えば、自分の評価を高めるためではなく、(組織を通して)人や社会のために貢献したいと想いながら働いた方が、エネルギーを受け取ることができるために、疲労感は少ないと考えられます。(もちろん肉体や精神は疲弊するので過労はいけません)

同じことをするにしても、エゴの欲求からではなく、他者のためであれば、上手く行く可能性が高くなると考えられます。



その現象が、スポーツの世界で顕著に表れることがあります。

2011年3月、東日本大震災が起きましたが、それから数か月後に女子ワールドカップサッカーがドイツで開催されました。

日本全体が重苦しい雰囲気に包まれる中で、大会に向けて準備を進めて行くうちに、選手たちの間に「女子サッカーで日本に元気を送りたい」という気持ちが強くなったそうです。

試合前のミーティングで「何のために、この大会を戦っているのか。それは震災で打ちひしがれた人たちに、われわれが一生懸命ひたむきにプレーする姿を見ていただいて、何とか元気になってもらうためだ」と監督は選手を鼓舞したそうです。

結果として、奇跡的な勝利が続いて、見事に優勝を果たしました。



相撲取りで、ウクライナ出身の安青錦関がいます。

避難民として3年前に来日した彼は、21歳と言う若さで大関に昇進し、2場所連続で優勝を果たしましたが、その活躍はウクライナでも話題になっているようです。

きっと、戦時下にある祖国の人たちを想いながら相撲に臨んでいるのだと思います。



以前このブログに書きましたが、あるメジャーリーガーが起こした奇跡も同様な法則の働きによって起きたと思われます。

自分の栄誉のためではなく、少女を勇気付けたい、希望を与えたいという純粋な想いが神の心と同調し、想像以上の力が出せて、奇跡のような結果が生まれたと考えられます。

人は誰かのために何かをする時に力を与えられますが、その法則の働きは地上では分かり難くなっています。



私たちは、本来の住処である霊界に戻ります。

地上的な欲求が満たされる喜びに代わり、全体のために奉仕をすることで、霊的な喜びが得られるようになります。

奉仕をしようとする時に、神から力が与えられることが、はっきりと分るようになります。



魂の成長度に見合った奉仕をすることになりますが、しばらくするとより次元の高い奉仕をしたくなります。

より次元の高い奉仕をするのに必要な資質を身に付けるために、この世に生まれて相応しい経験をしています。



自我の欲求を満たすためではなく、未来の自分が奉仕をする喜びに満たされるために生きていることを忘れてはいけないと思います。



2026年1月25日日曜日

この人生は挑戦


パキスタンと中国の国境に連なるカラコルム山脈に、K2という世界で2番目に高い山(8611m)があります。

登頂の難易度は世界最高峰のエベレストより高く、「非情の山」と言われています。

2024年7月、極めて難易度の高い未踏峰のルートに、アルピニストの平出和也さんと中島健郎さんが挑戦しました。



お二人のことは、2018年に同じカラコルム山脈にあるシスパーレ山の未踏峰ルートを登頂した時に撮影されたドキュメンタリー映像で知りました。

数千メートルに及ぶ垂直に近い氷の壁を、ピッケルとザイルで慎重に登って行き、さまざまな思いを抱きながら頂に立った姿を見て感動を覚えました。

シスパーレの氷壁に挑む平出さんと中島さん(山と渓谷オンラインより)

人生は挑戦の連続と言われます。

お二人の生き様を見ていて、山登りで自分の限界に挑戦し、魂を成長させることを志願して生まれて来たと思ってしまいます。

そうでなければ、これほどの危険を冒してまで登り続けることはできないでしょう。



残念ながら、お二人は7000m付近で滑落し、帰らぬ人となりました。

若くても、当初の目的を十分に果たして霊界に戻られたと、私は信じています。

K2登頂前の平出さん(左)中島さん(山と渓谷オンラインより)


私たちの本来の住処は霊界です。

そこは思念の世界です。

想像するのが難しいですが、高くそびえる山の頂に立ちたいと思えば、一瞬のうちに移動することができます。



地上で山の頂に立ちたいと思えば、自分の足で歩いて行かなければいけません。

立ちはだかる問題をクリアして、息を切らして登り続けて、ようやく辿り着けます。

大変な思いをして登った山ほど、頂に立った時の感動は深く、忘れがたいものになります。

ヘリコプターを利用して頂に立ったとしても、同じような感動は味わえません。

一瞬で想いが叶う霊界では味わうことのできない、地上ならではの感動が存在していると思います。



登山には、リスクが伴います。

途中で、天候の急変があったり、滑落や転倒、落石に遭遇する可能性もあります。

そんなリスクを承知した上で、登り始めます。



地上に生まれるのも、いくつかのリスクを伴います。

いざ生まれてしまうと、人生の設計図(ブループリント)があったのを、すっかり忘れてしまいます。



人間には自由意志があります。

ブループリントに沿って出来事が起きたとしても、どう対応するのかは、その人に任されています。

逃げてしまうのか、挑戦(克服)しようとするのかは自由です。



挑戦(克服)する方を選んだ方が良いのは、生まれる前に(挑戦することを)自分で決めていたかもしれないからです。

逃げてしまえば、予定されていた学びや成長の機会を逃してしまうことになり、後悔するかもしれません。

そちらに進んで行かなければならないと言う、根拠のない衝動に駆られたのなら、それはブループリントに刻まれている出来事なのかもしれません。



シルバーバーチの霊訓にはこう書かれています。

「賢い人間とは、体験の全てを魂にとってプラスになる方向に転換する人、試練や誘惑から逃げようとせず、全力を尽くして困難の克服にあたる人です。その意気込みの中でこそ、霊性が進化し強化されるのです。」

エゴは逃げるための言い訳を見つけようとします。

それに惑わされず、挑戦(克服)して行く方向を選ぶのが賢明と考えられます。



さらにこう書かれています。

「自由意志は神からの授かりものです。しかしその使い道を誤るとそれなりの償いをしなければなりません。摂理に則った生活をすれば恩恵を刈り取ります。逆らった生き方をすればそれ相当のものを刈り取ります。」

自由意志があるために、過ちを犯してしまう可能性があります。

過ちを犯すと、成長しないどころか、償いが生じてしまいます。

償いのために、地上に生まれる人も少なくないと言われています。



いっそのこと自由意志などなければ、過ちを犯さないのにと思ったことがあります。

それに対しての回答は、こう書かれています。

「もしも人間が自由意志を奪われたら、只の操り人形でしかなくなり、内部の神性を発揮することができなくなります。霊的本性が進化せず、地上生活の目的も果たせません。貴方が地上に生を受けたのは、地上は霊の保育所であり、学校であり、訓練所だからです。様々な挑戦にあい、それを克服していく中で自由意志を行使してこそ、霊は進化できるのです。」



神が全てを決めているとしたら、自分の意志はないことになります。

人を傷つけるのも、裏切るのも、貶めるのも、神の意志ということなります。

それは明らかに神の心に反しているので、矛盾が生じてしまいます。



自分の意志が、神の心に反していれば、良心の呵責が生じます。

自分の意志だからこそ、反省をしたり償いをする必要があり、それが学びにつながっています。



神は完全です。

私たちは完全(神)を宿しているのですが、意志決定をしている媒体(自我)が不完全なために、過ちを犯してしまいます。

神性を発揮する方向を選ぶことで、完全(神)に一歩近づくことができます。



霊的なものが見えなくなる地上の人のために、神は守護霊を付けて下さっています。

守護霊は、地上の人にインスピレーションを送り、時に五感で分かる現象を起こして、生まれて来た目的を果たせるように導いています。

ただ、地上の人の意志決定に干渉はできません。

自分で決めて、自分で責任を取ることになります。



私たちは、成長するために地上に生まれて来ました。

けれども、自由意志が与えられているために、過った方向に進んでしまったり、成長を妨げる行いをしてしまう可能性があります。

そのリスクを承知した上で、この人生に挑戦しています。



これから登る山を目の前にした時、アルピニストは身が引き締まる思いがするでしょう。

これから辿る地上の人生を前にした時、私たちは身震いをしていたのかもしれません。

それでも、目的を果たせるという確信があったからこそ、挑戦することを自分で決めて、母体に宿ったと思われます。



2026年1月18日日曜日

想い(動機)を問い質す

 

霊的真理を知って、心がけるようになったことがあります。

それは、行動する前に想い(動機)を問い質すことです。



シルバーバーチはこう言っています。

「自分で正しいと思うこと、良心が指示することを忠実に実行しないといけません。最後は自分が自分の裁判官となります。振り返ってみると正しかったこともあれば間違ったことをしていることもあります。しかし、動機が人のためということであれば、たとえ間違っていても咎められることはありません。動機が何よりも考慮の対象となります。」

戦争で人を傷つけるのは、もちろん良くない行為です。

けれども、動機が国や家族を守るためであれば、霊的に罪を問われないと言われています。



そして、こうも言っています。

「何事も動機がその価値を決めます。慈善事業(チャリティ)に気前よく大金を寄付する億万長者は、その行為によって少しも霊性は伸びません。反対に、これは絶対に意義があると信じて無い金をはたいて援助する人は、その動機ゆえに霊性が伸びます。」

どれほどのことをしたのかではなく、どんな想いでしたのかが問われています。



近年、動物愛護に対する関心の高まりと共に、保健所で殺処分される犬猫の数は着実に減っています。

残念なことですが、動物愛護活動をしている人の中には、動機が好ましくない人もいるようです。

近隣の街で、飼い主のいない犬や猫を自分が作ったシェルターで保護して、その様子を動画に挙げている人がいます。

それを観て、金銭面で支えてやろうと寄付をする人も少なくありません。

しかし、寄付された浄財の多くは動物たちのためではなく、自分の生活のために使われているようです。

動物を利用して人の善意に付け込んでいます。

当初は可哀想な動物たちのためにという純粋な動機から始めたのかもしれませんが、年月と共に利己的な動機にすり替わって行ったようです。

どこかで動機を問い質していれば、過った方向に進んで行くのを防げたのかもしれません。



私も気を付けなければいけないと思っています。

約20年前にヒーリングの力が私の手から出ているのに気付きました。

直後に霊的真理に出会いました。

目に見えない力が存在していることを多くの人に知ってもらいたい、そして真理に出会い救われた私は他の人にも同じ恩恵を受けてもらいたい、そんな想いからこのブログを書き始めました。



かつての私がそうであったように、必要としている人にとって、真理は人生を変えるほど重要な意味を持っています。

例えば、魂が存在し、あの世でまた会えるという真理は、最愛の人を亡くした人にとって救いをもたらします。

救われた人は、必要としている人に伝えたいという想いが生まれ、真理は少しずつ広がって行きます。



真理の普及は霊界主導で行われています。

必要としている人が、伝えようとしている人や書かれている本と出会うように、霊界が導いていると考えられます。

今はインターネットが普及しているので、昔よりも容易に両者を出会わせることができると考えられます。

詳細は明らかではありませんが、真理を必要としている人に適切な言葉を打ち込んで検索させるように、霊界がインスピレーションを送っている時があると思います。

そして、伝えようとしている人のサイトや本が現れたら、特別なものを感じさせるインスピレーションを送って、開かせていると思います。



それとは逆のパターンもあります。

あるブログを観ていて、何か特別なものを感じました。

ブログの管理者の女性はカウンセラーとして活動をしていましたが、読み進めてみると、小学生のお子さんを突然の事故で亡くされていたことが分かりました。

この人の役に立てるのでは、という思いが生まれました。

しばらくすると、その女性とお子さんがキッチンで戯れているイメージが心の中に浮かびました。

何か伝えたいことがあるのではと思い、お子さんの意識に焦点を合わせると、心の中に言葉が生まれて来て、手紙のような文章になりました。

伝わって来たことは、伝えなければいけないと思っています。

突然で驚かれること、失礼なことを承知の上で、その文章をコメント欄に書き込んで、お伝えしました。

しばらくしてブログを観ると、同時期に私以外の複数の人からも同様なメッセージが伝えられていて、(お子さんが)生きているとしか思えないと綴っていました。

この件により、必要としている人に真実(真理)が伝わるように、霊界の人が地上の人を使って、計画的に働きかけていることを実感しました。


霊界の人たちは、地上の人の心の中が分かっています。

どのような想い(動機)で、行動しているのかも承知しています。



霊界の人たちが導いているのは、地上の人たちへの愛情があるからです。

地上の人から、苦しんでいる人や悲しんでいる人を何とかしてやりたいという想いが発せられると、その想いは霊界の人たちに届いて、必要としている人とつなげていると思われます。

いくら知っていたとしても、何とかしてやりたいと言う想いがなければ、霊界の人たちと同じ想いで協調することはできないと考えられます。



以下のシルバーバーチの言葉は霊界の人たちの想いを代弁していると思います。

「ストレスと難題の尽きない時代にあっては、正しい知識を手にした者は真理の使節としての自覚を持たなければなりません。残念ながら、豊かな知識を手にし悲しみに中で大いなる慰めを得た人が、その本当の意義を取り損ねていることがあります。(中略)真理の啓示を受けた者ー永いあいだ取り囲まれていた暗闇を突き破って目も眩まんばかりの真理の光に照らされて目覚めたはずの人間の中にさえ、往々にして我欲が先行し滅私の観念が忘れられていくものです。まだまだ浄化が必要です。まだまだ精進が足りません。まだまだ霊的再生が必要です。真理普及の仕事を託された者に私が申し上げたいのは、現在の我が身を振り返ってみて、果たして自分は当初のあの純真無垢の輝きを失いかけてないか。今一度その時の真摯なビジョンにすべてを捧げる決意を新たにする必要はないか。時と共に煤けてきた豊かな人生観の煤払いをする必要はないか。そう反省してみることです。霊力の地上への一層の顕現の道具として、己の全生活を捧げたいという熱意にもう一度燃えていただきたいのです。」



死んで霊界に行くと、地上の全人生を振り返る時が来ます。

どんなことを言ったか、どんな行いをしたかを逐一思い出し、それによりどんな結果が生じたのかが分かります。



その時の想い(動機)を同時に思い出します。

行ったことの霊的な価値は想い(動機)により決まります。

利己的な動機であれば価値は見つけられず虚しさを覚え、利他的な動機であったのなら価値を見つけてうれしくなるでしょう。

真の喜びは、誰かの役に立った時に生まれるからです。

魂を成長させ、今生に生まれて来た意味を成就することにつながっています。



必要としている人はたくさんいます。

そんな人たちに心を寄せて、何とかしてやりたいという想いを持ち続けることが何よりも大切だと、改めて感じています。



2026年1月11日日曜日

真の喜び


霊的真理と出会い、あの世があることを知りました。

死は、あの世へ移行する自然現象と分かり、怖くなくなりました。



あの世は、この世の苦から解放された世界です。

煩わしい人間関係もありません。

病気や障がいもありません。

食べるために働く必要もありません。

自分のやりたいことを心行くまでできます。



けれども、自分のやりたいことだけをしていても、虚しさを感じてしまうかもしれません。

それだけでは成長しないからです。



人は誰かのために何かをすることで喜びが得られて、成長して行くことができます。

より次元の高い奉仕をしようとすると、自分に欠けている資質、足りない資質を自覚するようになります。

居心地の良いあの世を離れて生まれて来たのは、この世でしかできない経験をすることによって、奉仕のために必要とされる資質を身に付けるためです。



霊界では、周りのことに無関心で、自分のやりたいことだけをしている人は、一種の利己主義者として映っているのかもしれません。

「利己主義者は自分自身にも悪影響を及ぼし、自らの進歩も進化も向上も発達も妨げているのです。」とシルバーバーチは言っています。

自分のことしか考えていない人は、どの世界においても成長できないようです。

そのことに気付いて、改めるために、この世に生まれて来る人もいるでしょう。



この世に生まれると肉体があります。

そして、肉体を使って自己表現するための(地上の)自我が生まれます。

自我の働きにより、「自分」と言う意識が強くなります。

その意識を言葉や行いで表現してしまうと、因果律の働きによって、この世ならではの苦痛を味わうことになります。


子供の時、わがままな言動をしていると、周りから仲間外れにされることがあります。

一人ぼっちになり、孤独という苦痛を味わうことで、何がいけなかったのかを考えます。

自分だけではなく、周りのことも考えた言動をするようになって行きます。



社会に出れば、組織のために働かなければいけません。

上司や同僚の助言や忠告を聞かずに、自分の考えだけで行動していれば、協調性のない不適格者として、組織から排除されてしまう可能性があります。

収入を得て生活して行くために、自分を抑えて、組織の意向に沿って、行動するようになって行きます。



家族ができれば、やりたいことだけをしているわけにはいけません。

自分よりも家族を優先して行動するようになります。

あくまでも自分を優先しようとする人は、家族から絶縁されてしまうかもしれません。



あの世で自分のやりたいことしかしなかった人がこの世に生まれると、法則の働きによって、苦痛を感じる出来事が次々と起きると考えられます。

人は苦痛を感じたくありません。

生き方や考え方を改めて行くようになります。

この世で周りのために何かをする習慣を身に付けた人は、あの世に戻ると自分のやりたいことだけではなく、周りのために何かができるようになっていると考えられます。

それが自らの成長へとつながって行きます。



仕事や家事をしていて1番うれしく感じるのは、喜んでもらえた時だと良く聞きます。

誰かの役に立って喜んでもらえると、法則の働きによって、自分にも喜びがもたらされるからです。



法則を創った神は、この世で喜びと苦痛を味わわせることで、誰かのために何かをする方向へと導いていると考えられます。

誰かのために何かをすることによって、そこに調和が生まれます。

個と個を隔てている障壁が取り払われ、全体が調和して1つになるのが、神の意図であると考えています。



自分のことしか考えない利己的な人は、富や地位や名声に執着することが多く、それを得ることに喜びを感じます。

けれども、そんなエゴの欲求をいくら満たしても、永くは続きません。

際限なく、追い求めることになります。



そんな人が大きな権力を持つと、エゴを満足させようとする言動が繰り返されます。

それにより、全体の調和が乱されます。

互いが信じられなくなり、争いが起きやすくなります。

個と個は分断されて、神の意図とは違う方向に向かってしまいます。



シルバーバーチは、「利己主義は割に合わない」と言っています。

自分だけが得をしようとする生き方は神の摂理に反していて、因果律の働きにより、苦痛を伴う結果(償い)が生じ、成長が妨げられるので、霊的に損をすることになるからだと思います。



結果が生じても、権力者は力によって、それを封じ込めようとします。

封じ込めたことに対する結果が生じても、さらに封じ込めようとします。

それを繰り返しながら、破綻へと進んで行くのは、歴史を顧みれば明らかです。



エゴを満足させるために、多くの人に苦しみや痛みを与え、人生を狂わせた人には、相応の報いが待っています。

この世で報いを免れたとしても、因果律の働きからは、絶対に逃れられません。

どれくらいこの世に生まれて、どれほどの苦痛を味わわなければならないのか、想像するだけで背筋が寒くなります。

無知ほど恐ろしいものはありません。



黙認した人たちにも因果律は働いて、後悔や侮辱を味わうことになると思われます。

大きな代償を払いますが、それが転機となって、考えを改めるようになります。

現時点の世界は、利己的な行いに対する結果が生まれる前の段階と考えられます。



苦痛を伴いながら、意識は自分から周りへと向かって行きます。

周りを意識するようになるのは、全体が一つであり、霊的につながっているからです。



霊的につながっているので、他者の喜びの中に、真の喜びを見出すことができるのです。

自分だけが良くなっても、心が満たされないのです。





2026年1月4日日曜日

愛により1つになる

 

大晦日の夕方、神社にお参りに行って来ました。

もう何時間かすれば人で溢れるであろう境内には数人しかおらず、とても静かでした。

拝殿の前で手を合わせて、今年1年無事に終えられたことを感謝しました。

そして、霊的真理が行き渡り、世界が1つになることを祈りました。



私たちが生まれる前にいたのは、宇宙(全体)が1つであることを実感する世界です。

けれども、地上に生まれると五感で世界を認識するようになり、目に映るのは肉体(物質)だけです。

それぞれの人間は、独立して存在しているように思えてしまいます。



それは錯覚です。

地上においても、全ての人間は霊的につながっています。

全体は1つです。



霊的な知識がある人間だけが、そう思えるのではありません。

現実の世界から隔絶された環境に置かれて、そのことを実感した人たちもいます。

アポロ計画で月面に立った複数の宇宙飛行士が、自分と宇宙が一体であると感じたそうです。

漆黒の宇宙空間に浮かぶ地球を見て、1つの生命体のように思えたそうです。


物質しか見えなくなると、さまざまな問題が起こります。

戦争もそうです。

国境は人間の頭で勝手に拵えたものです。

境などは、どこにも存在していません。

国が違っても、そこにいるのは同じ魂を持った人間です。

同じ人間同士が争うのは、私たちは霊的な存在であり、霊的につながっていることをすっかり忘れているからです。



何かが起きると、日常の意識から霊的な意識に切り替わることがあります。

人類が滅亡するかもしれない大きさの小惑星が地球に衝突することが分かったらどうでしょう?

危機的な状況に、多くの人の霊的な意識(魂)が目覚めるでしょう。

そして、全ての人間は同じ地球を生きている同胞であることに気付くでしょう。

直ちに戦争を止めて、国を超えて協力し合い、困難に立ち向かうでしょう。



1人で泣いている子がいると、気になって声をかける人がいます。

親とはぐれて寂しそうにないている子猫がいると、可哀想になって家に連れて帰る人がいます。

災害が起きて、困っている人がいると、仕事を休んでボランティアに行く人がいます。

生きているもの同士の間に、霊的なつながりがなければ、気になったり、同情したり、助けようとしたりしません。



話は変わります。

人間には、37兆個もの細胞があります。

脳細胞、筋細胞、皮膚細胞等々、1つ1つの細胞には明確な役割りがあります。

生きて行くために、どの細胞も欠かすことはできません。


のどに口蓋垂という組織があります。

見ただけでは、何のためにあるのか分かりません。

けれども、なければ食べ物が鼻腔に入ってしまい、発音もしずらくなります。

健全に生きて行くために、なくてはならないものです。



存在している理由が分からなかったとしても、全体のために何らかの役割りを果たしています。

無駄なもの、無用なものは、この世界に存在していません。



全ての細胞は、全身を構成する一部であり、同じ血液が流れて、つながっています。

全ての人間は、全体を構成する一部であり、同じ生命力が流れて、つながっています。

全体を生かしながら、全体に生かされています。

お互いが全体の一部なので、争って人を傷つけるのは、自分を傷つけているのと同じです。



地上に誕生したのは、偶然ではありません。

生まれようとする意志があって、その意志に法則(因果律)が働くことによって、地上に誕生しています。

意志に対する結果です。



生まれようとする意志は、自らを成長させようとする意志の反映です。

地上でしか経験できないことがあり、その経験から大切なものを学んで、魂を成長させるために生まれて来たのです。



学ぶべき大切なものは「愛」と思われます。

生まれる前にいた霊界では、愛は太陽の光のような存在と考えられます。

当たり前のように享受しているので、どれほど有難く、価値のあるものなのかが、返って分かりにくくなっていると考えられます。



地上に生まれると、愛は見えなくなります。

けれども、地上の人間にも、霊的な感覚はあります。

さまざまな経験を通して、五感に触れない愛を、魂で感じ取ることができます。

地上という霊的な暗闇の中にいるからこそ、愛が光り輝いているのが分かるのです。



地上では、怒りや憎しみや嫉妬などの感情が存在しています。

対照となる感情が存在するからこそ、愛の意味や価値を深く知ることができるのです。



愛は魂を引き付ける霊的な力です。

隔てている障壁は、愛によって取り除かれて行きます。

怒りや憎しみや悲しみなどの遠ざける感情は打ち消されます。



愛には、さまざまな表現の仕方があります。

思いやりや優しさによって表現されることもあれば、認めたり許すことによって表現されることもあります。

けれども、地上では自我(エゴ)があるために、表現するのが難しくなります。

エゴに打ち克ち、愛を表現することが、地上に生まれた大きな目的の1つと考えられます。



私たちは霊的に1つであると、強く信じて下さい。

それによりエゴの働きは弱まり、霊的な意識が高まります。

怖れがなくなり、周りを慈しむ想いが、内から自然に湧き出して来るはずです。



全ての障壁が愛によって取り除かれた時、魂は1つになります。

それこそが、宇宙を創造した神の意図だと思います。