2024年9月15日日曜日

変わらなければいけないところが苦しみを生みだしている


中学校の同窓会の打ち合わせ会に出席しました。

卒業して40数年ぶりに会い、すっかり変わり誰だか分からない人もいましたが、何故かしゃべり方だけは当時のままの人が多かったです。

生意気だった級友も、年月を経て丸くなっていました。



シルバーバーチの霊訓にはこう書かれています。

「我々は皆人間的存在です。と言うことは内部に不完全であるが故の欠点を宿していると言うことです。もし完全であればあなたは地上に存在せず、私は霊界に存在しないでしょう。」

私たちは、自分を成長させるために地上に生まれて来ていますが、それは霊的な欠点を正すためと言えるのかもしれません。



欠点なのか?それとも個性なのか?

霊的法則によって判別されると思います。

例えば、わがままな人がいたとします。

わがままは利己的であり、神の心(法則)に反しているので、個性ではなく欠点です。

従って、正すべきものと言えます。



子供の時、自我は未発達です。

持って生まれた性分が露わになり、わがままな人(魂)は、わがままなまま自己表現を始めます。

わがままな自己表現をすると、周りの子供たちから、嫌われたり、避けられたりします。

無視されたり1人ぼっちになるの誰でも嫌で、仲良くしたいです。

いけないことに気付くと、それを正そうとします。



不寛容であることも、霊的な欠点です。

人のミスを許せない不寛容な人は、因果律の働きにより、自分がミスをした時に許してもらえなくなります。

痛い思いをすることで、良くないことに気付いて、正す人もいるでしょう。

地上では、自分の欠点が表に出ると、周りの人の良心(神)が反応して、因果律の働きにより苦痛を伴う結果が返って来ると考えられます。



表に出でなければ良いと言うわけではありません。

不寛容さから生じた怒りなどの感情が内に溜まり続けると、心身に変化が生じて病気になることがあると考えられます。

病気の苦痛により魂が目覚めて、それまでの生き方を正す人もいるでしょう。



臆病なのも、個性ではなく欠点です。

その多くは身の可愛さから出るものであり、利己性を帯びています。

臆病になり現実から逃げてしまうと、成長する機会を逃してしまう可能性があります。

「愛が倒錯したのが憎しみであり、勇気が倒錯したのが臆病です。どちらも同じ棒の両端を表したものです。(中略)臆病を勇気に、憎しみを愛に変えることが出来るのです。」とシルバーバーチは言っています。

目の前の現実に立ち向かうことで、勇気に変えて行くことができると考えられます。



欠点が表現されても、地上ならではの要因によって、苦痛を伴う経験をしないで済む場合があります。

社長がわがままな言動をしても、それを咎める社員は少ないでしょう。

絶対的な力を持っていれば、自分に返って来る結果(苦痛)を封じ込めることができます。

権力や地位や富を持つことによって、欠点が増長して行く可能性があります。



欠点が正されないこともあります。

自我が発達して来ると、自分の欠点を意識して隠そうとする人もいます。

欠点を隠してしまえば、苦痛を伴う経験することはありませんが、正すことも難しくなります。

良くも悪くも、ありのままの姿で生きるのは、自分を変えるために必要なことなのかもしれません。



自分の欠点が表現されて、苦痛を伴う結果が返って来たとしても、エゴが強いとそれを受け入れようとしません。

適当な言い訳や理由を考えて、正当化しようとします。

どんなに正当化しても、神の法則は誤魔化せません。

残るのは、変わることができなかったという事実です。

そのいきさつは魂に刻まれ、人生を振り返った時に思い出されます。

あの時、素直に受け入れていればと、後悔することになります。



自分の欠点を指摘されると、怒り出す人もいるでしょう。

怒りが生じると、変わろうとする意志(力)が削がれてしまいます。

正面から受け止めて、どうあるべきかを、自分自身に問い質さなければいけません。



自我を働きを鎮め、内なる声に従うことで、私たちは望ましい方向に変わって行きます。

内なる声に従う時に、怖れや不安が生じることが多いです。

神(法則の働き)により、良きに計られると強く信じて進んで行くしかありません。



他者には自分が望むように変わってもらいたいのに、自分は変わりたくないという身勝手な生き物が人間です。

変わりたくない人間を強制的に変えるものが、地上での経験であり、それに伴う苦痛です。



生きて行く上で、苦痛が生じているのならば、どこかに変わらなければいけないところがあるのかもしれません。

変わることができれば、苦痛が生じている意味はなくなり、解放されるはずです。





2024年9月8日日曜日

この世界は良い方向に向っている


小学生の頃でしょうか、歩行者専用信号が青の時にメロディーが流れるようになりました。

それ以前は、目の見えない方がどのようにタイミングを見計って渡っていたのか、想像もつきません。

駅のホームや歩道には、黄色の点字ブロックが埋め込まれて行きました。

視覚に障がいのある方にとって、外出は命の危険を伴うものでしたが、安全に配慮されるようになって来ました。


昔は、女性は結婚して職場を離れて家庭を守るのが当たり前でした。

今は、女性がトップに就いている企業も多くなりました。

近いうちに女性の首相が誕生するかもしれません。



残念なことに、人種差別は依然としてあります。

ただ100年前と比較すれば、隔離や法律によるあからさまな差別をしている国は見られなくなりました。



悲しいことに、今も戦争は続いています。

ただ世界中を巻き込むような大きな戦争は80年近く起きていません。



この変化は偶然ではなく、自然法則の働きによるものです。

自然法則を創ったのは「神」と呼ばれる存在です。

神の心が自然法則の中に顕現しています。



私たちの魂にも神が宿っています。

より多くの神性が表現されるほど、この世界は良い方向へと向って行きます。

エゴが大きくなり神性が閉じ込められてしまうと、調和が乱れて争いが起こります。

争いによる苦痛を味わうことで魂が目覚め、閉じ込められていた神性が表に出て、平和な世界を築こうとします。

一進一退を繰り返しながら、平和で平等で優しい世界になって行きます。



一昔前は、死は怖く、忌まわしいものでした。

臨死体験者により、死後がどのような世界なのか語られるようになり、恐いものではなさそうだと思う人が増えて来ました。



霊的なことはオカルトの範疇でした。

話題になるのは、(地上近くにいる低級霊が関係している)心霊現象のことばかりでした。

今は、私たちを良い方向に導いている守護霊や高級霊の存在についても語られるようになりました。



死は人間の本質である魂が肉体から完全に分離する現象です。

愛情で結ばれた人と死後に再会できることが、多くの人に認知されるようになりました。

魂の存在を信じない人は相変わらずいますが、そんな事実を自然に受け入れられる人が増えて来たと感じています。



留まることなく、世界は変化しています。

そして意識も変化しています。

目に見えない世界に意識を向ける人も多くなりました。

それに伴い、真理を求めている人も多くなっています。

求めている人に、対話やネットや書籍を通して伝えることになります。

地道な行程のため、世界中の人に行き渡るのには、膨大な年月がかると思っていました。



シェルドレイクの仮説」という論文がイギリスで発表されました。

個人の記憶や体験が、時間と空間を超えて他者に伝搬し影響を与えると言うのが、その内容の一部ですが、発表当時は科学的根拠のない学説と非難されました。

1983年、テレビ局の協力により大規模な検証実験が行われましたが、立てられた仮説の通りの現象が起きました。

唯物的な科学では説明できませんが、霊的な観点(生命のつながり)から考えると、不思議なことではありません。

この仮説が正しければ、ある一定数以上の人に真理が伝わると、どこかでブレークスルーが起こり、急速に広まって行く可能性があると言うことになります。



魂に準備が整わないと真理は受け入れられないので、ブレークスルーが起きる可能性は高くないのかもしれません。

ただ、真理が広まることで、全体の意識が変わり、この世界が良い方向に向って行くのは確かです。

1人でも多くの人に伝えようとする意志を持ち続けることが大切です。






2024年9月1日日曜日

何のために生きているのか?


若い時に「何のために生きているのだろう?」と、ふと思うことがありました。

その答えは見つからないまま、日々の生活に追われて生きて来ました。



20年近く前に、ヒーリングの力が突如出現しました。

その力の正体を知ろうとしていたところ、霊的真理(シルバーバーチの霊訓)に出会いました。

そこに、見つからなかった、生きる意味の答えが書かれていました。



もし、この世しかないのであれば、生きる意味を見つけるのは困難です。

死んで無になってしまうのであれば、何をしても無意味に思えてしまいます。



無になるのは肉体だけです。

生命の本質である魂は変わりなく存在しています。

意識も失われません。



生きる意味は、自分(魂)を成長させることにあります。

死ぬと霊界に行きます。

肉体はなくなり、周りにいるのは自分と似通った人たちです。

肉体的、精神的な苦痛から解放された快適な世界なのですが、そこに留まっていては大きな成長は望めないようです。



シルバーバーチの霊訓には、地上生活の意味がこう書かれています。

「あなた方には、まだまだ発揮されていない力ーそれまで発揮されたものより遥かに大きな力が宿されているのです。それは楽な人生の中では、決して発揮されません。苦痛と困難の中にあってこそ発揮されるのです。金塊もハンマーで砕かないと、その純金の姿を拝むことが出来ないように、魂という純金も、悲しみや苦しみの試練を経ないと出てこないのです。それ以外に方法がないのです。」

快適な霊界を離れて生まれて来たのは、この世でしか経験できないことを経験して、学び成長するためです。



何故、そこまでして成長しなければならないのでしょうか?

何か目的があるはずです。


知らない人にとってスマホは、薄べったい物体にしか見えません。

実際は、目に見えない電子的なネットワークでつながっています。

私たち人間は、独立した存在のように見えますが、それは物質的次元の話です。

霊的次元から見ると、目に見えないエネルギーによって、全体(宇宙)とつながっています。



人は人と関わり合いながら生きています。

関わり合っているとは、全体とつながっていることを意味します。

私は誰とも接していないので、関わっていないと言う人もいるでしょう。

そんな人でも、誰かが作った家に住み、誰かが作った物を食べています。

そう言うと、無人島で家を建て、そこで自給自足の生活をしていれば、関わっていないと主張する人もいるでしょう。

そんな人でも、魚や植物を食べています。

人は生命との関わりなしに、地上を生きて行くことはできません。



人は全体のために、何らかの役割りを果たしています。

多くの人は、社会や家族のために働くことで役割りを果たしていますが、何もできなくてもいるだけで、役割りを果たしている人もいます。

体を動かすことができない人は、生きて行くために世話をしてくれる人が必要です。

世話をする人は、その人がいることで、自分の役割りを果たすことができます。

生命のつながりがりを通して、自分の役割りを果たすことができます。



地上では、争いが絶えることがありません。

根本原因として同胞意識の欠如があります。

同じ国、同じ人種、同じ宗教の人など、自分と共通しているものを持つ人のことを同胞と言い大切にしようとします。

一方、違う国、違う人種、違う宗教の人を自分たちと区別して、時に排除しようとします。



人類全体は同種の生命であり、同じエネルギーでつながっているので同胞です。

そのことが全く分かっていないので、争いが起きてしまいます。

同胞を傷つけるのは、自分を傷つけるのと同じであり、因果律の働きにより、痛みを伴う結果が返って来ます。



生命とは魂です。

魂には神が宿っています。

魂の成長とは、神の心である神性をより発揮するようになることです。



神性の神髄は「愛」です。

戦争、差別、貧困、環境破壊など人類を悩ましている問題は、一人ひとりが神性(愛)を発揮することで全て解決します。



個は神性を発揮することで成長します。

個が成長することで、全体が成長します。

全体が成長することによって、さらに多くの神性が発揮されるようになり、平和で平等な望ましい世界へと変わって行きます。



自分だけが幸せになろうとしても限界があります。

個は全体と霊的につながっているからです。

私たちが成長を続けて行った先には、慈しみ合う悦びに満ちた世界が待っています。

そんな世界で生きることこそが、真の幸せです。




全体のために何をすべきかを考えなければいけません。

思い付かないのであれば、良心に従って生きることです。

自分の中にある神性は良心となって顕在しているからです。




何のために生きているのか?
 
自分を成長させると同時に、良心に従って生きることで、今いる世界を望ましい方向へと変えるためと言えます。