2017年9月3日日曜日

先のことを知れば生きるのが楽になる



甲子園球場で行われていた、夏の高校野球を観ました。

選手達の表情に輝きを感じましたが、最高の舞台に立つまでに、厳しい練習に耐えてきたはずです。

あまりの厳しさに、弱音を吐いたり、投げ出してしまおうと思った時も、あったかもしれません。

高校球児たちが、厳しい練習に耐えられるのは、真価を発揮できる試合という場があるからであり、練習を怠れば、良い結果が出せないことを知っているからです。

その先で、勝利の喜びを味わうためだと思います。



厳しい練習を、人生と重ねてしまいます。

生きていると、うれしいこと、悲しいこと、苦しいことなど、いろいろな出来事を経験します。

うれしい出来事であれば、ずっとこの悦びが続いて欲しいと思うのですが、つらい出来事であれば、早くこの苦しさから解放されて、楽になりたいと願うばかりです。

何で自分が、こんな苦しい思いをしなければならないのかと、憤りを覚える時もあります。

生まれた環境も良く、才能にも恵まれ、何不自由なく生活して、一生を終えて、羨ましがられる人もいます。(その人なりの苦労はしていたと思いますが)

一方、生まれた環境も悪く、苦労ばかりをして死んで行ったと、哀れみの言葉を聞くこともあります。(その人なりの幸せを感じていたと思いますが)

同じ人間であっても、人生はさまざまであり、不公平、不平等があるように思えてしまう時があります。

もし、死んで終わりならば、苦労ばかりをした人は、不幸な人生だったと言えるかもしれません。



ところで、死んだら終わりなのでしょうか?

意識がなくなり、無になってしまうと思う人もいます。

意識は存続し、その先も人生が続いていると思う人もいます。

どう思おうと、個人の自由であり、人から干渉されるものではありません。

しかし、どちらかが間違った認識をしていることは確かです。



17世紀にパスカルという有名な物理学(哲学)者がいました。

彼は、死後の世界があるのか、それともないのか、どちらか判らなかったら、ある方に賭けた方が無難だと考えていました。

その理由を、こう説明しています。

死後の世界がなければ、たとえ死後がある方に賭けていても、無になってしまうので負けにはなりません。

死後の世界がない方に賭けて、もしあったとしたら、賭けに負けたのをはっきりと意識することになります。

誤った認識で生きていたことになり、後悔すると考えたようです。



残念ながら、死の先がどうなっているのか、客観的に明らかにすることは出来ません。

けれども、明らかにされないからと言って、否定するのはあまりにも愚かです。

それは、生命の本質は(科学的に)明らかにされていなので、生きていることを否定するようなものです。



個人的な意見を言わせていただければ、これまでの経験により、死後の世界があるのは、揺るぎのない事実です。

あるのにもかかわらず、なぜ明らかにされないのか、つい考えてしまいます。

死後は、肉体から解放され自由になり、生命(魂)が光り輝いている世界と言われています。

一般的に、苦しみや悲しみはなく、衣食住の心配もなく、争いも起こりません。

想像するのが難しいかもしれませんが、想い(思念)が直ちに具現化する世界、別の言い方をすれば夢が叶う世界です。

平穏で明るく夢が叶う死後の世界と、苦痛の多いこの世界の、人はどちらを選ぶのでしょうか。

ほとんどの人は、前者を選択するでしょう。



でも、この世界を生きるのをやめて、死後の世界に行こうとはしません。

その大きな理由は、自分の中の何かが抵抗し、死後の世界が明らかにされていからです。

もし、明らかにされたなら、かなり多くの人が、この世の人生を中断して、あの世に行くことでしょう。



では、なぜ死後の世界での快適な生活を捨てて、苦痛の多いこの世に生まれて来るのでしょうか?

その理由は、自分(魂)を成長させて、大切なことを学ぶためです。

苦しみや悲しみを経験することにより、魂が成長するように、自然法則がなっているからです。

他者に愛を表現することで、魂が成長するように、自然法則がなっているからです。



苦しみや悲しみや争いのない、死後の世界は快適ですが、この世界の方が魂がより大きく成長し、多くのことを学べると考えられます。

手ぬるい練習より厳しい練習の方が、体が鍛えられ、野球が上手くなるように、この世で苦しく、悲しい出来事を経験した方が鍛えられ、魂は大きく成長します。

死後の世界には存在しないものを、この世界で経験することにより、目に見えない大切なことを、深く学んでいます。

戦争を経験した人は、平和や許しについて深く学んでいます。

病気を経験した人は、生命について深く学んでいます。

別れを経験した人は、愛について深く学んでいます。



この世界で学び、大きく成長するために、自分の意志で、この人生を選んで生まれて来ているのに、中断して戻ることは許されません。

自分自身にした約束を破ることになり、自然法則が厳格に働いて、相応の償いをしなければいけなくなります。



死んで無になるのであれば、人生に苦しいことは無用です。

とにかく、楽しく生きれば良いはずです。

立ちはだかる困難や障害など、避けて通れば良いはずです。

つらくて仕方がない時は、命を絶って無になる選択も、許されるはずです。



無になってしまうと思う人は、そんな生き方をしているでしょうか?

苦難から逃げるのは嫌で、何とか乗り越えて行こうとする人が多いと思います。

なぜ、無になってしまうと思っているのに、苦難を乗り越えようとするのでしょうか?

それは自らの中に、人生の苦難を乗り越えて、成長しようとする根源的な欲求があるからであり、それに逆らうことに抵抗を感じるからだと思います。

成長して行くように定められていて、留まっていることに苦痛を感じるようになっているからだと思います。

この世界での経験を通して、成長して、教訓を身に付けなければならないことを、深い部分で知っているからだと思います。



この世界に暮らす人たちの、霊性の高さ(魂の成長度)はさまざまであり、見た目では判りません。

死後の世界では、肉体は取り払われ、魂が剥き出しになり、個々の霊性は一目瞭然となります。

完全な界層社会であり、同じ霊性の高さの者同士が、一緒に暮らしています。

自分より高い界層には行けず、低い界層には行けますが、行く気にはならないようです。

高校球児にとってプロはレベルが高く通用せず、かと言って中学生と一緒では物足りなくなってしまい、結局、同じレベルの者と野球をするのと同じです。

霊性の高い者、叡智を身に付けた者が、自然法則の働きにより上に位置します。

上に位置する者は、より愛を表現する者であるため、水が流れるがごとく、上から下へと神の愛が行き渡ることになります。

一方、この世界はどうでしょうか?

上に位置する者は、権力を有する者、富を有する者であり、そのために神の愛はせき止められてしまい、愛に飢えている人が世界中に溢れています。

霊性とは神性であり、他者を愛する行為の中で高められます。

この世界は、愛に飢えている人で満ち溢れているので、自らの霊性を高める行為をしようと思えば、いくらでも出来ます。

だからこそ、成長する機会に恵まれたこの世界に、生まれて来ます。



この世界に困難や障害が多いのは、経験を通して成長するためです。

実際に経験しなければ、学んだことは身に付きません。

人生のつらい出来事は、不幸なことで終わってしまうのではなく、魂を成長させて、生まれる前にいた界層より、高い界層に上がることにつながっています。

学んだことは、そこでの生活に活かされます。



厳しい練習に意味を見いだせなければ、体を酷使しているようにしか思えず、つらく感じるだけです。

それと同じで、先のことが判らず、人生の試練に意味を見出せなければ、生きるのがつらくなってしまいます。

厳しい練習をした人ほど、試合で勝った時の喜びは大きくなります。

人生においては、大きな苦難を乗り越えて来た人ほど、死後の世界で成長した悦びを味わいます。

完全な公平、公正が保たれていて、苦難は全て報われます。



先のことを正確に知れば、生きるのがもっと楽になります。




30 件のコメント:

818 さんのコメント...

ご無沙汰しています。私がコメントしてもいいのか悩みましたが、なんとなくこれはお伝えしたほうがいいなと思いコメントさせていただきます。

・あの世の寿命は4000年
・旅行はできるがなんらかの積み立てが必要

なのだそうです。夢で彼氏が言っていました。
運命的に新しいバイクを買ったのですがそれも彼氏の差し金だそうで、バイクで死ぬのかと聞くと、私が「死ぬわけない」んだそうです。
こちらは余談でした。

ブログ拝見しています。イクミ様のますますのご活躍とご多幸をお祈りしています。
突然のコメント失礼いたしました。

イクミ さんのコメント...

こんばんは。
どうされているのかと思っていました。
1年が過ぎましたね。
言葉では表現できない、とても現実とは思えない日々だったとお察しします。

その後も、彼と夢で会っているのですね。
色々と伝えてもらっているのですね。
あの世の寿命は4000年と彼が言っていたのですね。
死後の生がどれ位続くのか私にも判りませんが、信用できる霊界通信によると、永遠に続くそうです。
人(魂)は神の愛を表現できるまで成長して行きますが、それには無限の時間が必要なので、永遠に生き続けるようです。
4000年とは、幽界にいられる上限の時間のことを言っているのでしょうか。
旅行は出来るが何らかの積み立てが必要、
積み立てるのは、もちろんお金ではなく、徳のようなものかもしれません。
霊格が上になるほど、自由にどこにでも行けるようになるようです。
そのことを、言いたかったのでしょうか。

バイクを買ったのですね。
それが彼の差し金であれば、早く逢うためではなく、あなたに自分を忘れている時間を作って欲しいのかもしれません。
あるいは、無心になって乗っている時に、自分の想いを伝えたいからなのかもしれません。
起きている時も、自分を感じてもらいたいのかもしれません。

匿名 さんのコメント...

9ヶ月前ほどに、コメントした医学生です。やはり本名をウェブでさらすと、仕事がしづらくなることもありそうなので、匿名で失礼します。これからはナオヤと名乗ろうと思います。

私も、死後の世界を知ることで、生きるのが楽になりました。努力しても報われないこの世は不公平だ!と思っていましたが、あの世できちんと公平に勘定されるという事実は、生きるのを楽にしてくれましたし、これからも努力を惜しまずにがんばろうと思わせてくれました。

以前のコメントを先ほど拝見して、改めて、”本当の自分に正直に生きる"ということって何なのだろうと思いました。

そもそも"本当の自分"ってどういう感覚なんだろう?と改めて疑問に思いました。

自分らしく、楽に、楽しく生きられるようになったなとは思います。

当時は、"大学生らしい生活をしなくちゃ!”"周りに合わせなきゃ"で自分を抑えて生きていました。自分で自分を縛って生きていたなと感じます。

それに比べて今は、自分の考えを周りにはっきり言うことができるようになったし、やりたいことを何より優先するようになりました。

(時には、自分のことより人のことを優先しないといけないこともありますが、そうするべきか否かはシルバーバーチが言っていた、"人が自分と同じ選択をとったときにどう思うかを基準にしなさい"というので判断しています。)

何より、自分自身嬉しいなと思うのが、服装にある程度、気を遣うようになったことです。

1年前、恋愛など、人と、特に異性と関わることに関して斜に構えていたというか、自信が無かったというか、ひねくれていましたが、時々、人と関わっていて素直に楽しいなと思うこともあってそれがとても良かったなと思います。(それまでは、人間なんて信じられないと思っていたので。。いや、確かに今でも信じられないとは思うのですが、人は見栄を張るし、意地悪してしまうこともあるし、心ない言葉を言ってしまうこともあるし、誤解してしまうこともあるよねと受け流す術を身につけました笑 というかそもそも自分も昔はひねくれていたのだから、お互い様の部分もありますよね)

その心が服装に表れたのかな〜と思ってます。

この前向きの気持ちをもって、恋愛はできなくとも、結婚はしたいです。でないと人生絶対後悔すると思うので。

今は趣味のヨガとテストが恋人みたいな感じですが笑

この場合、"結婚してみたい"というのが本当の自分で、"新しい人間関係が増えて面倒だから結婚なんてしなくていいや"というのが後から理屈で塗り固められたもう一つの自分というやつなのかなと思ったりします。


イクミ さんのコメント...

ナオヤ様

お久しぶりです。イクミです。
ブログを引き続き読んでいただき、ありがとうございます。

お話をお伺いして、自分の周りにまとわり付いていたものが少し取れて、本当の自分を表に出せるようになって来たようですね。
本当の自分(魂)が傷つかないように、もう1人自分と言える、この世の自我を作り出し、それを前面に出してガードしているのですが、その自我が強くなり過ぎると、どうしても本当の自分が埋没してしまいます。
周りに合わせ過ぎるのもそうですし、見栄を張るのも、虚勢を張るのもそうです。
あれこれと頭で考えた時点で、自我が優位になっていると思います。
本当の自分とこの世の自我との境界は明瞭ではないため、この世の自我の考えを、本当の自分の想いと錯覚している人が多いと考えられます。

両者には、大きな違いがあります。
本当の自分(魂)は成長して行く方向に進んで行こうとします。
この世の自我は、保守的で、冒険をしない、自分を守る方向に進んで行こうとします。
どちらか迷った時には、失敗を怖れず、よりチャレンジングな自分を成長させる方向に進めば、後悔することはありません。

そのことから考えると、本当のあなたは結婚したいと考えられます。

ラッパ吹き さんのコメント...

イクミさん、

カミーユ・クローデルの投稿でこちらのブログを知り、遡ってほとんどの投稿を拝読しました。
率直で暖かい文章に魂から湧き出るような想いが感じられて、救われる思いがしました。
私はイクミさんとほぼ同年代の男です。
6年前に死別の途轍もなく深く激しい悲しみを生まれて初めて味わい、そのどん底でもがいてもがき続けて、モーリス・バーバネル、スティントン・モーゼス、アラン・カルデックなどを知って、手当たり次第貪るように読んできました。

大変不躾なお願いで恐縮ですが、私が心の底から求めている人の声を聞いていただくことはできますでしょうか。
もし、このブログの多くの方々とイクミさんのやりとりに出会えたのが霊からの導きであるなら、あまりに長く混みいった過去の経緯を書くことは必要ないものと信じます。もしも導きがありシナリオに沿った神の意図であるなら、その私の大切な人との繋がりもすでにあるはずだと信じるがゆえです。たとえ赤裸々に全てを長々と書かせていただいたところで、私にまだその人の言葉を受け止めることが許されないなら、イクミさんの力でもそれは叶わないことだと理解しております。

突然の大変不躾なお願いで申し訳ありません。お断りくださっても構いません。
今これを書きながらでもこんなことをお願いすべきか否か迷いがあります。(実はなんどもスマートフォンから書き込みを試してみたものの未だに届いていないのです)

あらゆる苦しみは私が自ら選択してこの世に携えてきたものであることは頭では理解しています。ですが、まだ私は自分の中にある根源の存在に触れることができていません。まだ人の役に立つことも何もできていません。

必要な時にジャストのタイミングで、ベストのタイミングで導きはあるものと信じます。(過去に間違いなく死んでいたはずの場面で何度か助けられたことが実際にあります。)
乱文何卒ご容赦ください。
イクミさんの、悲しみにくれ苦しみに悶える人達への助けになるこの活動を、心から応援しております。

イクミ さんのコメント...

ラッパ吹き様

初めまして。イクミです。
ブログを丁寧に読んでいただき、ありがとうございます。

最愛の人を6年前に亡くされたのですね。
文面から、これまでのあなたの悲しみや苦しみの深さが、伝わってくるようです。
魂の存在の確証と、今の想いをどうしても聞きたくて、迷った末にコメントを書かれたとお察しします。

このブログにも書きましたが、私は約11年前に突然、ヒーリングの力が出現しました。
その力が何のために私に与えられたのか、シルバーバーチの霊訓により、十分に理解したつもりでいます。
これまで縁のある人に、ヒーリングをしてきましたが、最近になって、亡くなった人からのメッセージを伝えることが、とても多くなってきました。
でも、伝えるたびに、このメッセージは本当に亡くなった人からのものなのか、私自身が常に疑い、確証を求めています。
幸いにして、多くの人が納得し、喜んでもらい、胸をなでおろしているところです。
ご存知でしょうが、このようなメッセージは微弱であり、言葉に変換する時に、霊媒の潜時意識の影響を大きく受け、齟齬が生じてしまう可能性があります。
あるいは、霊媒の潜在意識や願望そのものだったりします。
私が初めて確証を与えられたのは、朝起きる間際に、心の中に浮かんできた曲名が、故人を象徴するものであったのを知った時です。
確率的に、偶然はあり得ないと判断しました。
それからは、伝わって来るメッセージを信じて、そのままお伝えするようにしています。

今日の朝ですが、やはり朝起きる間際に、ある言葉が浮かんできました。
その言葉は、「次女」でした。
あなたに関係している言葉でしょうか?
もし、お心当たりがないようでしたら、申し訳ありませんが、私はあなたの最愛の人からのメッセージを伝える役目ではないと考えられます。
この世の人にメッセージを伝えるのは、霊界主導で行われていて、時期が来たならば、導かれて願いは必ず叶うと思います。

このブログが、悲しみにくれ苦しみに悶える人達への助けになっているとあなたから聞いて、大変うれしく思っています。

ラッパ吹き さんのコメント...

イクミさん、

ラッパ吹きです。
突然の不躾な、それも試すような失礼なお願いを真摯に受け止めてくださり、ありがとうございます。心から感謝します。

はい、イクミさんが書かれたことは全て理解しております。メッセージを受けることがとても難しいこと、確かめるすべは神が与えた理性で検証する以外にはないことも知っています。

受け止めてくださった言葉、「次女」は今の私には思いつくものがありません。まだ私の知らない事実がある可能性はあり、何かを示唆しているのかもしれません。

必要な時に導きはあり、時には自分の意思をなぎ倒すほどに強烈なものであることも経験しております。
6年前に、その人が亡くなっていたことを死の9年も後になって知った時がそうでした。普段なら自分がするはずもない無謀で強引な行動を、身が引き裂かれるような真っ向相反する激しい思いに責めたてられるように、自分のしていることを嫌悪しながら取っていました。

時が至れば、私がそれに見合うだけの成長を果たせた時に、何らかの形で導きがあるものと信じています。
今それが叶わないのは、今がその時ではないということだと思います。

イクミさんの力が、死別の悲しみにくれ、この世の苦しみに悶える人々にとって救いの光になっていることは間違いありません。
これからもたくさんの方々に光を投げかけて差し上げてください。
心から応援しております。

ラッパ吹き

イクミ さんのコメント...

ラッパ吹き様

お役に立ちたいと思っていたのですが叶わず、本当に残念に思っています。
もう1度、伝えようとしている存在がいないか確認をしてみましたが、私は感じることが出来ませんでした。
あなたは長い間、十分に苦しんで来ました。
苦しみにより魂は着実に成長していますので、導きによって、あなたの願いが叶う日が、きっと来ると思います。
もし、想いが届けられた時には、またここにコメントして知らせていただければ幸いです。

あなたの苦しみや悲しみが、真実によって癒される日が、少しでも早く来ることを願っています。

匿名 さんのコメント...

イクミ様、返信ありがとうございます。ナオヤです。

”本当の自分(魂)が傷つかないように、もう1人自分と言える、この世の自我を作り出し、それを前面に出してガードしているのですが、その自我が強くなり過ぎると、どうしても本当の自分が埋没してしまいます。
周りに合わせ過ぎるのもそうですし、見栄を張るのも、虚勢を張るのもそうです。
あれこれと頭で考えた時点で、自我が優位になっていると思います。”

まさに、私です!と言いたいくらいに的を射た表現だなと思いました。しっくりきます。本当の自分を抑えていると、何より自分がつらいので、自分らしくありたい!と自我と闘う1年でした。 まだまだあれこれ頭で考えてしまっているなと思いますが。

"本当の自分(魂)は成長して行く方向に進んで行こうとします。
この世の自我は、保守的で、冒険をしない、自分を守る方向に進んで行こうとします。
どちらか迷った時には、失敗を怖れず、よりチャレンジングな自分を成長させる方向に進めば、後悔することはありません。"

この言葉もすーっと入ってきました。やっぱり、本当の自分は結婚したいのでしょうね。色んな人との関わりの中で成長したいと願う気持ちが確かにあります。愛とは何なのかも学びたいです。

ここにコメントを書いて、イクミ様のコメントを読むことで、また何か認識が変わったような気がします。

コンタクトをとって良かったです。ありがとうございます。

ラッパ吹き さんのコメント...

イクミさん、

ラッパ吹きです。
受け止めてくださった言葉、「次女」ですが、私の大切な人との関係で思いつくことはないのですが、心に引っかかることがあります。

何かの危険を知らせるようなメッセージでしたら教えてください。
私には娘があります。「次女」がその私の娘の1人を指しているとすると、今気になることがあります。

何卒よろしくお願いいたします。

ラッパ吹き

イクミ さんのコメント...

ナオヤ様

おはようございます。
書いたことが参考になったのなら、うれしいです。
あなたは医者になるので、今回のこととは関係ありませんが、私の意見を少し言わせていただくことをお許し下さい。
残念ながら、現代医学はほとんど肉体しか診ていません。
精神と肉体が関係しているのは、医学的に認められつつあります。
しかし、精神の上位にある霊(魂)の存在は否定し続けています。
精神と肉体と同じ様に、霊と精神と肉体は密接不可分な関係であり、お互いに影響し合っています。
本当の自分(魂)が表現できない状態が続くと、(本当の自分の)想いが蓄積してしまい、病気になる人が多いと感じています。
本当の自分の想いが鬱積してしまうと、それが肉体的次元に反映されて、病気になると言うことです。
しかし病気は、苦痛によって本当の自分を目覚めさせ、鬱積した想いを解放させる目的があると考えています。
病気も神が創造したものなので害悪なものではなく、本来の自分の姿に戻すために存在していると思います。
魂が成長して行くために、必要なものと考えられます。

前にも書きましたが、肉体だけではなく、患者さんの心(魂)を診て下さい。
病気を治しているのは神(生命力)なので、不安や緊張や心配を取り除き、その恩恵に服することができるように、患者さんを導くドクターになって下さい。

説教じみたことを、長々と書いて申し訳ありません。

イクミ さんのコメント...

ラッパ吹き様

こんにちは。
私が書いたことが、あなたを心配させてしまったのなら、申し訳ありません。
霊界からのインスピレーションが、単発の言葉だったり、静止画のようなイメージであったりした場合は、受け取った人間が、その意味を解釈しなければいけません。
しかし、解釈する時も、霊界からのインスピレーションを受けていると考えられます。
起きる間際に「次女」という言葉が思い浮かんだのですが、それがあなたと関係しているのかは、私には判りませんでした。
もし、関係しているのであれば、あなたへのメッセージが背後に控えていると考えました。

娘さんは心配ないと思いますが、霊界から伝わってくるものがないか確認してみます。
今夕から明日まで、仕事で外出していますので、少し時間を下さい。

ラッパ吹き さんのコメント...

イクミさん、

ラッパ吹きです。
いえ、とんでもありません。こちらこそご心配おかけしてしまって申し訳ありません。
お忙しいなかお手数をおかけして大変申し訳ありませんが、もし何かのイメージなど感じられるものがありましたらぜひ教えてください。
何卒よろしくお願いいたします。

ラッパ吹き

匿名 さんのコメント...

いえ、私もそうだと思います!そんなことができたらなーと考えていました。

イクミ様の過去の記事、シルバーバーチの霊訓を読んで、病気の意味をはじめて知りました。
ほんとうに、自分が救われました。

この事実を知る前は、なぜ小さい子供が死なないといけないのか?医療の進歩にも関わらず、なぜ人々は幸せに生きられないのか?いい人に限って早くに死ぬこともあるのはなぜか?やりきれない思いを持っていました。

病気に、病気だけでなく、この世の苦しみにはすべて意味がある、神は理不尽でいい加減な苦悩を与えたりしないよということ。
このことは多くの人に知ってもらいたいです。

人の魂を見て、魂を表現できるように患者さんを導くというのは、とても困難な仕事だなと思います。

自分を変えるのでこんなに大変なのにまして他人を変えるのって…考えただけで大変だなと思います。

ですが、シルバーバーチが"価値がある仕事は困難を伴う"と言っていたことも思い出します。

いつか、実現してみたいです。今の医療ではあまりにも視点がずれています。

ですが、まずは今の西洋医学にのっとって、しっかり勉強しようと思っています。

他の医師と同じように患者さんを診れない医師が何を言っても相手にされないと思うので。

私は特に病理医になりたいと思っています。患者さんの全身を診なければならない仕事で、一生勉強しなければならない大変な科だと言われますが、肉体の次元でどのようにして病気になるのか、知識を得るにはこの上ない科だと思っています。(それに当直がないので、朝方の規則正しい生活をしたい私にあっている笑)

イクミ さんのコメント...

ナオヤ様

こんばんは。
所用で返信が遅れて、申し訳ありません。

その若さで、霊的真理に辿り着けたのはとても幸運なことであり、医者としてより多くの貢献ができると思います。
患者さんを導くのは、今のあなたには難しいく感じるでしょうが、霊的真理を深く学び、もっと人生経験を積めば、自然にできるようになると思います。
あなたが感じている様に、この世の苦痛には理不尽なものはありません。
病気による死もそうです。
死にも意味があり、決して終わりではないことを、医者の立場から告げられたなら、ご遺族は真剣に受け止めてくれるでしょう。
今は、病理医になりたいのですね。
直接患者さんと接することはありませんが、肉体次元の変化を通して、神の摂理の働きを間近に観察出来るので、興味深い学問だと思います。
まだ先になりますが、もし、心(感情)と病気の因果関係などについて、何か知見が得られるようなことがあれば教えて下さい。
それよりも、まずは国試ですね。勉強の方、どうぞ頑張って下さい。

イクミ さんのコメント...

ラッパ吹き様

返信が遅れて申し訳ありません。
やはり、次女と言う言葉と娘さんは関係なく、心配は要らないと思います。
あなたとは関係ないと思いますが、今、伝わってきたことを一応お伝えします。
心当たりがなければ破棄して下さい。

「あなたは私を許していない。
だから今は無理なの。
怒りがある限り私たちは結ばれない。」

もし、失礼に当たったら、どうぞお許し下さい。

ラッパ吹き さんのコメント...

イクミさん、

ありがとうございます。娘の件、安心いたしました。

受け止めていただいた言葉、ギクリとしました。自分ではまったく意識していなかったこと、いや封印して押さえつけて見ないようにしていたことです。関係あるかもしれません。いや、もしこれがあの人からのメッセージなら、とてもとても重い意味を持つ言葉です。

一瞬、妻のメッセージかと思いました。生きていますが、ガンが見つかり治療中です。ですが妻との関係はすでに破綻していて私を拒否し遠ざけているので、妻からのメッセージとは考えにくいです。

少し長くなりますが経緯を簡単にお知らせします。

彼女は中学の同級生でした。なぜか入学してすぐ、べつのクラスで名前も知らない時から一目見ただけで惹かれてしまい、私にとっては光り輝くような特別な存在でした。通常ならありえなかった事情(学校内でリンチを受けて骨折した私を守るために担任が強引に自分のクラスに変更してくれたのです)で同じクラスのすぐ隣の席になって直接話すようになって、どんどん思いが募って行きました。

高校は、彼女は地元の有名な県立の進学校である女子高に進み、私はその姉妹校のように並び立つ男子高の受験に失敗、絶望して人生が終わったように感じ、彼女ともそれでお別れだと思っていたのですが、中学の卒業式の後に思いがけず彼女から電話をもらって私は狂喜しました。
そして10代の幼い淡い交際はつづいて、もしもそのままお互いの気持ちをゆっくりと育めていたら、きっと私たちは結婚していたと思います。

彼女が高校2年の時、お父様が原因不明の病気で入院し、数ヶ月の入院の後に急性白血病と判り看病の甲斐なく亡くなります。
深く激しい悲しみに飲み込まれた彼女は私に支えを求めてくれましたが、私にはどうすることもできませんでした。小さな弱い私には、彼女を支え、守ることができなかった。
自分を卑下した私は彼女にコンタクトすることができなくなり、音信不通になって行きました。

その後、自己卑下と絶望に押しつぶされ大学受験も失敗し続け、二浪の末に大学に入って間もない頃、バスでばったりと彼女に再会しました。まったく言葉を交わさない地獄のような3年を経ての再会でした。

その時も罪の意識に苛まれて彼女を正視できず、私が言えたのは「久しぶり、どうしてる?」がやっと。そんな私を射抜くように真っ直ぐに見つめて彼女が返してくれた言葉は、「私、結婚しました。」でした。
(今は、それは私の聞き違いで「結婚します。」だったのかもしれないと感じています。)

そして私は彼女への想いを封印して生きてきました。
6年前の春、気が狂うほどに、彼女にどうしても会いたくなり(実際、涙を流すほどになって異常を感じ、メンタルクリニックを受診さえしました。)
連絡先の情報を一切捨ててしまっていた私は、彼女の連絡を求めて2度もご実家のお母様に手紙を書き、返事がなかったため直接押しかけてしまいました。そんな自分を激しく嫌悪しながら、やめられませんでした。
そして、図々しく事前連絡もなしに押しかけてお訪ねしたお母様の口から訊かされたのは「娘は亡くなったんですよ。9年前に。」という言葉でした。

長々と申し訳ありません。
私は、彼女を慕い続けていると思っていました。許していない?怒り??

苦しみもがいて、嫉妬は捨てました。憎しみも捨てられたと思います。
そう、私の課題は怒りです。妻への怒り、社会への怒り、あらゆるものへの怒り。
しかし、心の底から愛する彼女に怒りがあったとは、許していないとは。。
封印していました。取り残されたこと、もしかしたら嘘をついたこと(結婚前に、結婚しました、と告げられたこと)
認めたくありませんが、認めたくありませんが、、認めなければならない。

ああ、なんということ。。
しばらく考えてみます。彼女のメッセージなのか否か、怒り、許し、なぜ私が今も生きているのか。
考える時間をください。

考えて考えて、またコメント書かせていただきます。
ありがとうございます。

ラッパ吹き

匿名 さんのコメント...

ナオヤです。
勉強は、もちろん、頑張ります。
さらに色んなことにチャレンジして、自分を成長させてゆこうと思います(^-^)

イクミ さんのコメント...

ラッパ吹き様

こんばんは。
これまでのいきさつを書いていただいて、ありがとうございます。
彼女が、あなたにとって、いかに特別な人であったのか、良く判りました。
彼女のお父さんが病気で亡くなった時に支えてやれなかったことを卑下し、音信不通になってしまい絶望したのですね。
同じ時代を生きてきた1人の人間としてアドバイスさせていただければ、自分が同じ立場になったとしたら、あなたと同じ様な対応をしていたと思います。
かける言葉など見つからず、寄り添ってやる勇気もなかったでしょう。
その頃は、まだまだ未熟で、幼い人間であり、ときめくだけで愛することの意味など、判るはずもありません。
過ちを犯したわけでも、傷つけたわけでもないので、強く後悔したり、自分を責めてはいけないと思います。
別れてしまうのは、いかにしても避けられなかったと思います。

その後、彼女は早く結婚したようですが、新しい出会いと言うよりも、お父さんを失ったのでご家庭の意向があったのではないでしょうか。
あなたは想いを封印して生きてきましたが、6年前に気が狂うほど会いたくなってしまったのですね。
そして、彼女の実家を訪ね、9年前に亡くなったことを聞かされたのですね。
その時のあなたの想いは、私にはとても想像出来ません。
もがき苦しむの中で、真実を求め続けてきたと、お察しします。

私が昨晩伝えたことで、また混乱を招いてしまったようです。
「あなたは私を許していない」と書きましたが、「私」とは「彼女」ではなく「自分」であり、自分や周りを許していないので、怒りの想いがあなたの周囲を包み込んでしまっているので近づけないと、解釈していただいた方が良いと思います。
怒りの想いが、大きな障壁になっていると、伝えたかったのだと思います。

何とかお役に立ちたいと思っているのですが、私の力が足りないために、不愉快な思いをさせてしまっていることを、深くお詫びします。

ラッパ吹き さんのコメント...

イクミさん、

ありがとうございます、本当に。
お詫びいただく必要などなにもありません。
私が初めにこの経緯をお伝えしなかったのは、一つには混みいって長いこと、ストーカーのような歪んだ思いと捉えられる懸念、また一番懸念したのは肉体の知性で霊界の事実のメッセージではなく意図せずにあてはまるストーリーを作ってしまわれる危険を回避したかったからです。試すようなお願いをしたこと、どうかお許しください。私は真実を知りたかったのです。

彼女は再会した時、私が絶望に打ちひしがれて帰宅して直後にこれが最後のチャンスだと気付いて私の過ちの詫びを請う電話をしたとき、私にこう言ってくれました。「私もあなたとこういう関係だったことが嬉しい。私は父親を求めていたから。」
それが多くのことを物語っています。彼女にとってお父様は、親であり庇護者であったと同時に異性として男性として理想の絶対の存在だった。私はそれを痛いほど感じて判っていました。私に代わりができるはずがない。
彼女はそれを言ったんです。そう、彼女も知っていた。
(彼女の夫は、進学校にもかかわらず高校卒で就職することを選んだ彼女の入った会社の先輩、10歳も上の人、著名人です。)

書けばあまりに長くなりますが、私には見えていた。彼女の死を知った後に少しずつ過去の出来事の意味がまったく違う様相で立ち上りました。
私は結婚して子どもを得ても彼女の夢を見ました。それも頻繁に時には彼女の肌の温もりが感じられるほどに。私は結婚していることも忘れてその夢の逢瀬にとろけるように浸っていました。そしてはっとめを覚まして、激しく自己嫌悪し「いまさら苦しめないでくれ!」と彼女を呪いました。
それは、実は彼女が亡くなったすぐ後のことでした。彼女が会いに来てくれていた、そうとしか思えない。

また、ある日会社で唐突にふと頭に登ったことがあります。「もし彼女が今死の病に臥せっていたら、死ぬ前に私に連絡したいって誰かにに頼むんじゃないか。そうなら彼女に会えるのに。」
私はそんなことを思ったことに強く罪の意識を感じましたが、それは彼女が本当に最後の死の床にあった時だったのです。

他にもいくつも。彼女の魂が働きかけていてくれたとしか説明できないたくさんのことが次々に現れました。

メッセージの解釈は困難です。
字義通りに、私が彼女を許していない、という捉え方も可能です。私の真奥にはそれが確かにあるかもしれない。

ですが、霊界からのメッセージがこの物質界の未熟な言葉に簡単には変換できずイメージや印象でしかないことに思いをいたせば解釈は全く異なります。
もし書いていただいた言葉が日本語でなく, たとえばこうなら。
You did not forgive yet.
So, it could not be happened by now.
While you hang on anger, we can not meet up.

私は彼女を支えられなかった自分を許すことができませんでした。私が自らの周囲に怒りで壁をつくってしまっているとすれば、彼女に限らずガイドも含めてどんな霊もコンタクトできないはずです。それは痛いほど理解しています。
軽鬱で10年通院し、一応の寛解を得た今も生きるエネルギーに枯渇して苦しんでいます。生命力の経路が塞がっているとしか思えない。

私は今、あらゆるものへの怒りの負のエネルギーで生きているようなものです。怒りが消えたら、もうこの世にはいないのではないか。彼女のいないこの世には、辛い苦しみと悲しみの魂の鍛錬以外に生きる意味はない。今唯一私が追いかけているのは、音楽だけです。
その音楽でも、既存の枠組みや私を罵倒し嘲ったプロに対する怒りがたぎっています。
憎しみは捨てたけれど、怒りはまだ消せない。

私の怒り。学べとの神の導きだと思います。
苦しみと悲しみと、まだ学べていない、未だに学べていない。
彼女にもどうすることもできない。私自身の課題なら。シルバーバーチ霊もなんども述べられています。

神よ導き給え。。






イクミ さんのコメント...

ラッパ吹き様

こんにちは。
ご事情、良く判りました。
確かに、あなたの話を聞いたら、心配されているように、誤解を持ってしまう人もいると思います。
1番の懸念である、頭脳で作り上げたストーリーを、霊界のメッセージとして伝えられてしまうことですが、これは私自身が最も恐れていることです。
インスピレーションと思考の境界は、確かに不明瞭です。
ただ、霊界からのメッセージには、送る側の想いが込められていますので、自分自身の魂に響くものを感じた時は、間違いないと思っています。、
無の心の中に思い浮かぶ言葉を、直接キーボードで打って行くのですが、その際、頭脳が働いてしまうと、これは違うのではないか、嫌な思いをしてしまうのではないかと考えてしまう時があります。
そんな時は、霊界を信じるしかなく、そのまま載せるようにしています。
創作的な頭脳が働いていないこと、自分の意図が存在しないこと、動機が不純でないことを確認しながら、進めているつもりです。

彼女はお父さんとの結びつきが強く、それだけにあなたが新鮮に感じられ、二人の関係をとても大切にしていたようですね。
就職先で結婚した相手に、お父さんの面影を追い求めていたのかもしれません。
しかし、あなたのような純粋な想い、親(ちか)しさは感じられなかったのかもしれません。

亡くなったことを知り、過去に起きたこと振り返ってみると、その現象が彼女によってもたらされたとしか思えないのですね。
あなたが思う通り、彼女の魂が働きかけていたと、私も思います。
彼女はあなたに対して、魂のつながりを感じていたと思います。
あなたの人生にとって、1番重要な人でしたが、彼女にとっても同じだったと考えられます。
ずっと忘れられなかったので、この世の束縛から全て解放された時に、あなたの元を訪れていて、夢(幽界)で会っていたのでしょう。
「もし彼女が今死の病に臥せっていたら、死ぬ前に私に連絡したいって誰かにに頼むんじゃないか。そうなら彼女に会えるのに。」と言う言葉が、頭に浮かんできたそうですが、彼女の逢いたいという思念が、あなたの魂に伝わってきた結果だと思います。
あなたと彼女が、同じ想いでなければ、そのようなことは起きないと考えられます。

もっと深い目的があったようにも思えてきました。
彼女と出会い、別れることが、生前から決まっていたことであれば、あなたが自分に対して強い憤りの想いを持つことも、予定されていたと思います。
憤りや怒りは、摂理に反する想いなので、当然苦しむことになります。
その苦しみを通して、そのような想いを克服して行くことが、今生をあなたが生きる目的であり、学ぶことなのかもしれません。
魂の中に怒りを生じさせるものがあり、それを浄化させるために、苦痛を伴う出来事が起きているように思えます。
あなたを1番大きく成長させているのは、間違いなく彼女であり、この世にいようとあの世にいようと関係はありません。
彼女は慈悲に満ちた魂であり、苦しみや悲しみを通してあなたの魂を浄化し、鎮めるために存在しているように思えます。
男女の関係を超越した、もっと高い愛をあなたに向けていると思います。
もしそうであれば、霊性の高い彼女とつながるためには、怒りを鎮めなければならず、そのために許しが必要であり、さらなる魂の成長が求められているのかもしれません。

苦しみ、悲しみは神の計画の一部であり、すでに導かれていると思います。

ラッパ吹き さんのコメント...

イクミさん、

ありがとうございます。心から感謝します。
疑った訳ではないのです。どうか、どうか、お許しください。
私自身が、この一連のことが彼女からの働きかけなのか、我欲から自分が作り上げた妄想なのか確信が持てず疑念に苛まれていて、ずっと確信が持てずにいます。
シルバーバーチ霊の言葉からも、メッセージを受けること伝えることがいかに困難なことか、よく理解しています。
イクミさんの誠実なコメントを読ませていただき、シルバーバーチ霊のメッセージのについての深い理解を確信して、この方ならと、それでも迷いに迷いって失礼にあたるかもしれないお願いをいたしました。
誠実に受け止めて下さって本当に感謝しています。

彼女が、霊性の高い、慈悲に満ちた魂であると書いて下さったこと、私もそうに違いないと思っています。

彼女は、ガンに冒されてからは「日本ではほとんど独りきりだったんですよ。」と、彼女のお母様に伺いました。
30歳でイギリスで乳がんが見つかり、「あちらでは薬もなにも出さなかったそうです。」それが日本に連れ帰られて両乳房を切除し、一時は完全に治癒したとみられていたものの、再発して抗がん剤治療もし(イクミさんも書かれている通り、危険だと思います。)亡くなったのは40歳でした。

これも後になって、おそらく彼女の導きがあって気づいたことですが、彼女はガンに冒された後に私に連絡を取ろうとしてくれてさえいたのです。
ある時実家に、私の中学の同級生と名乗る女性から電話があり私の電話番号を教えて欲しいと母に頼んだそうです。それまでになんども、親しくもない「同級生」から宗教の勧誘を受けたり、実家には当時盛んに結婚相談所から営業の電話があったようなので、私は母に断ってくれるように頼みました。それを伝えると、今度はお話ししたいことがあるので電話をして欲しいと先方の電話番号を知らせてきたそうです。また「もうご結婚はされましたか?」とも尋ねていたと。私はそれで営業の電話だと決めつけてしまい、母が伝えてくれた電話番号に連絡はしませんでした。母はその女性の名前をなぜかハッキリと覚えていませんでした。

その電話が彼女からのものだったことに、ある時突然気づいて取り返しのつかない過ちをしてしまったことに愕然としました。自らの死を見つめてたった一人きりで闘病していた彼女からの求めを私はまたもはねつけてしまっていました。
息子の電話番号は教えられません、と母に告げられた時の彼女の気持ちを考えると、、私は激しい後悔に流れる涙をどうすることもできずに天を呪いました。

許しを請わねばならないのは、私の方なのです。

彼女からの想いが見えていた私になぜこの時だけ、彼女の魂の叫びだと判らなかったのか、私には解りません。ただ、その時、誰ともしれない番号に電話して彼女の病気を知ってしまっていたら、私は全て投げ出して一人きりだった彼女の元に駆けつけて離れなかったと思います。最後の時までそばにいて、彼女の最期を見てしまったらとても耐えきれずに、死後存続の真理を学ぶこともなく後を追っていたはずです。それを何かが阻んだ。

私は彼女を想う時、彼女からの怒りの感情を感じることはまったくありません。
自らの避けられない死を正面から見据えて受け入れ、凛々しく生き切った彼女の魂は、澄み切って深い大きな慈悲に満ちているに違いありません。

私の中の怒りを、苦しみと悲しみから学んで、私自身が鎮めねばならない。でなければ、彼女の高い境涯に追いつくことはとてもできない。おっしゃる通りだと思います。

悲しみに悶え苦しんでいた時、頭の中に響いた彼女の囁く声がありました。ある時は「先に行って、待ってる。」ある時は「私の分まで、生きて。」と。
私が作り上げた勝手な幻聴かもしれません。でも、私にはそれを信じるしか道がありません。

待ってくれていると信じて、耐えて学び、怒りを鎮めねばなりません。
そのために許すことを学ばなければならない。

イクミさん、本当にありがとうございました。心から感謝します。
もしも、私自身で彼女からのメッセージを受け止めることができたら、またコメントさせてください。

イクミさんのこの取り組みを心から応援しています。
これからも苦しみと悲しみに苛まれた方たちに光を投げかけて差し上げてください。真理の理解が広まって行くことを願っています。

ラッパ吹き

イクミ さんのコメント...

ラッパ吹き様

あなたの文章を読み、少し涙が出ました。
彼女のあなたを想う気持ちの深さと、ここまで苦しんできた理由が少し判りました。

もし、連絡が取れたとしたら、あなたが想像したような破滅的な顛末が待っていたような気がします。
それでは、今生に生まれてきた意味がなくなってしまうため、すれ違うようになっていたと思います。
この上ない苦しみ、悲しみをもたらした、彼女とのシナリオは、あなたの魂を高みに導いていると思います。

どうぞ彼女のために、伝わってきたメッセージを信じ切って下さい。
我欲が作り出した妄想や、幻聴のはずがありません。
あなたと彼女は、今も次元を超えて愛し合っているのです。
次元を超えて、想いを伝え合うことは可能なのです。

彼女も、あなたから感じられる思念が、穏やかになることを望んでいると思います。
シルバーバーチの霊訓にも書いてあるように、悲しみの思念が出ている時は、霊を遠ざけてしまいます。
怒りの思念は、彼女の思念と相容れないものがあり、つながることを妨げてしまうと考えられます。
彼女からメッセージが伝わってきたら、教えて下さい。

あなたと彼女から、たくさんのことを教えてもらいました。
こちらこそ、ありがとうございます。

ラッパ吹き さんのコメント...

イクミさん、ありがとうございます。
感謝しています。

怒りを鎮めるために愛することを学ぶ、怒りを上回る愛を身につける、とても難しいことですが、取り組みます。
彼女の心で、神の(Great White Spirit)のリズムで。

それができてもいないのにまたこんなにすぐにコメントさせていただこうと思ったのは、今朝、深夜3時頃ですが、床について心を鎮める努力をしながら彼女を想っていた時に、言いようのない暖かさに包まれたからです。彼女が寄り添って包んでくれているのだと思いました。
深い安らぎと暖かさと優しい柔らかな愛とを感じました。
言葉は何もイメージできませんでした。ただただ、安らぎと暖かさだけを感じました。

彼女もあちらの世界で役割があるはずです。忙しく仕事をしているはず。(だから、こんなにいつもいつも呼んじゃ君もこまるよね?)そんなことが言葉ではなく頭に浮かんだら(ふふ、そうね。でもいつも繋がっているから大丈夫。)そんなイメージが浮かびました。

これも私が作ったことかもしれません。でも、あの暖かさには物理的な温度ではない、まったく異なるものを感じました。以前にも何度かそんな感覚を覚えたことがあります。

数年前に夢で彼女の姿を見た時には、私の胸に抑えきれない暖かさと思慕が溢れて、それは目を覚ました後にもはっきりと残っていました。

まだ道は遠いですが、彼女の心に見合う存在になれるように、困難に立ち向かいたいと思います。

本当に、ありがとうございます。

ラッパ吹き

イクミ さんのコメント...

ラッパ吹き様

こんにちは。
こんなにも早く、彼女の存在が感じられて、本当に良かったです。
あなたを取り巻いているバリアが、少し弱くなったためかもしれません。
霊界から届く愛や想いは、五感を超えたものであり、この世の人の魂に届けられます。
彼女の想いが届けられ、あなたの魂は共鳴し、深い安らぎと暖かさが生まれたと考えられます。
今、彼女がいるのは、そのような愛に満ち溢れた境涯であり、怒りや憎しみとは無縁の世界です。

これまでの苦しみや悲しみ、これから生じるであろう出来事も、あなたを高みに導いています。
その世界での、永続的な幸せのために今生があり、彼女がいざなっていると思います。

匿名 さんのコメント...

よい記事をありがとうございます。
記事の内容とは離れてしまうのですが、疑問に思っていることがあります。

この世には、良心を全く持たないようなサイコパスと言われる人たちがいますが、その人達は霊的に観てどうなのでしょうか?
霊性が低いからそうなるのか、それとも低級霊に憑依されているのでしょうか?
その人たちはこの世での霊的成長はあるのでしょうか?

お忙しいところ、変な質問ですみません。

イクミ さんのコメント...

匿名様

初めまして、イクミです。
ブログを読んでいただき、ありがとうございます。

ご質問の件ですが、申し訳ありませんが、サイコパスについての知識を持ち合わせていませんでした。
急いでネットで調べてみました。
正しいのか分りませんが、私はその人の個性であり、霊性が低いことに起因しているのではないかと思いました。
しかし、特異な言動をしている時に憑依が起きている可能性も、否定は出来ません。
もちろん、その人たちも霊的に成長するためにこの世に生まれてきていますが、無知なためにカルマを作ってしまっている人もいると考えられます。
答えになっていたでしょうか?

匿名 さんのコメント...

イクミさま

調べていただいて、ありがとうございます。

そういう人たちも、魂の成長のためにこの世に生まれてくるけれど、霊性の低さと無知ゆえに、さらなるカルマを作ってしまうということでしょうか。
冷酷なことをしても反省はないようですが、長い年月を経て、何度か生まれ変わったりして、少しは霊性が向上してくると、これまでやったことを反省できるようになるのでしょうか?
また、そういう人たちから、不幸にして被害を受けてしまった人は、被害を受けることでカルマを解消しているということなのでしょうか?

イクミ さんのコメント...

匿名様

カルマになるか、ならないかは、良心にあると思います。
良心は、魂の成長度によって決まり、もし良心に逆らっての行為であれば、カルマになると思います。
冷酷なことを平気でする人は、良心がないのではなく、良心の声が全く届かなくなってしまっていると思います。
最初は良心の声がしても、正当化する理由をこじつけてその声を掻き消してしまい、終いには当然のようになってしまいます。
過ちは相応の償いをするまで、魂の成長は許されません。
魂は神の一分子であり、成長が義務付けられているので、神の摂理に照らし合わせ、過ちを反省する時が来ます。
私は、カルマ解消は計画的に行われると思っています。
与えた方が衝動的に行ったのであれば違うと思いますが、正確なことは判りません。

匿名 さんのコメント...

イクミ様

人は神から分霊を分けてもらっているというのに、なぜその人たちには良心がないのか疑問でしたが、良心がないのではなく、届かなくなっているのですね。
犯した過ちは、その過ちに相当する苦しみを味わうことによって償われるので、その償いが終わらないうちは、次なるステップには進めないということですね。

なるほどです。ありがとうございました。

『人の振り見て我が振り直せ』ではないですが、自分自身も霊主肉従、利他愛の実践などのたゆまぬ努力が必要だな、と思います。
なかなか、私にとって、容易なことではないですが・・・。