人は何のために生きているのか?死んだ後はどうなるのか?その明確な答えが「シルバーバーチの霊訓」の中にありました。本当の自分とは魂です。この世を生きるたった1つの目的は、魂を成長させるためです。人生で出会う障害や苦難を乗り越えること、人や動物そして社会のために奉仕することで、魂は成長していきます。死んだ後、魂は次の世界に移り、この世を振り返る時が必ず来ます。悔いのない様に、失敗を怖れず、今を大切にして生きましょう。
2015年2月23日月曜日
うつ病の人へ
若くしてガンを発病された男性のブログを拝見しました。
ネット上で、その男性がインタビューアーとなり、ガンの経験者の闘病記を聞かれていて、生の動画で配信されていました。
自分の経験、そして他のがん患者さんの経験を発信し、ガンで悩み苦しむ人に役立てようとしている姿に、とても感心しました。
その中で、興味深い発言がありました。
インタビューを受けていたのは、若い女性でした。
彼女は、きわめて悪性度の高いガンでしたが、幸い初期で発見されて、手術をして経過は良好のようです。
ガンが見つかる前には、PTSD(心的外傷後ストレス障害)による、重症のうつ病を患っていたそうです。
会社も休職し、「この世から消えてなくなりたい」と、自殺願望があったそうです。
重症のうつ病により、ただでさえも生きているのがつらい時に、ガンに侵されていると分かったら、どうなるのでしょう。
普通は、心の重荷がさらに重くなり、耐え切れなくなってしまい、自殺をしてしまう可能性があるのではないかと考えてしまいます。
もし、本気で死にたいと思っているのであれば、ガンは渡りに船であると、考えてもおかしくありません。
しかし、ガンと告知されて、逆に彼女は猛烈に生きたいと思ったそうです。
そして、何と、うつ病は治ってしまったそうです。
ガンを告知され、うつ病が完治するのは、どうしてなのでしょうか?
現実には、ガンを告知されて、うつ状態となり、自らの命を絶ってしまう人は、少なからずいると思います。
病気に悩み、苦しみ、疲れ果て、将来を悲観して、そこから逃れるために死を選んでしまうのかもしれません。
日本において、年間約2.5万人の人が自殺をしていますが、うつ病などの精神疾患を抱えていた人も少なくないと思われ、深刻な社会問題の1つとなっています。
もし、うつ病が医療行為(薬剤)で治る病気であるならば、もっと多くの命が救えてもいいはずです。
うつ病は、脳内の神経伝達物質がうまく働いていないために起こると言われていますが、薬により神経伝達物質をコントロールすれば、病気が治るわけではありません。
すべての病気には明確な原因があります。
しかし、現代医学では肉体を対象としているために、目に見えない精神の病気についての原因解明は、きわめて困難と思われます。
うつ病は、肉体(脳)の病気ではありません。
精神そして魂に、深く関わっている病気と考えられます。
うつ病の本態は、不自然な生き方や考え方により、心のエネルギーが浪費され枯渇しかかっているために精神が働かず、それに伴って、過去に生じていた、悲しみ、怒り、恐怖、不安、あるいは言葉にならない想い(感情)が、表在化されている状態だと思います。
うつ病に罹った人は、一様に生き苦しさを訴えています。
ひどい人は、何もしてないのに、極度の疲労感を感じて、人によっては息をするのも苦しく感じてしまうほどであり、経験した人でなければ、このつらさは理解できません。
家の中で、じっといしているのにもかかわらず、疲労感がなくならないのはどうしてなのでしょう。
それは、心が動いて、活動をしているからだと思います。
身体は安静にしていても、心は休むことなく常に動いているので、心の疲労を感じていると思われます。
人は食物を摂取して、エネルギーに変えて、身体活動をしています。
それは肉体に限定されたものであり、心を活動させるエネルギーは、食事により補給されません。
その証拠に、食事をしないでいても、心の活動が抑制されるわけではなく、むしろ空腹感がある方が、精神活動は活発になるようにも思えます。
つまり、肉体を動かしている力(エネルギー)と、心(精神)を動かしている力は、全く違う種類のものと考えられます。
地上的概念である、文字や数字を媒介とした、会話や仕事、計算や論理的思考などは、大脳の活動によるものであり、肉体(物理)的エネルギーは必要です。
しかし、美しい旋律を聴いたり、絶景を観て、感動しているのは、脳の働きではありません。
悲しみの想いは、脳が生み出しているのではありません。
愛する想いも、脳が生み出しているのもではありません。
その想い(思念)は、どこから生まれるのでしょうか?
目に見えない想いは、大脳ではなく、目に見えない魂から生まれています。
魂は、物理的な存在ではありませんので、科学者に否定され続けています。
確かに、万人に判るように証明するのは困難ですが、証明できないから否定するのは誤りです。
遠い昔の人に、電波が存在しているのを証明して見せるのは困難ですが、メディアが普及した現代において電波の存在を否定する人はいません。
それと全く同じことであり、魂の存在が常識となる時代は、間違いなく来るでしょう。
科学者にとって、精神(心)、意識は未だ謎に包まれたものとなっていますが、それは魂の存在を否定しているためです。
魂の存在を認めることで、心や意識について合理的な解釈が可能となります。
生きていると、さまざまな出来事に遭遇し、さまざまな想いが生まれています。
魂で生まれた想いは、精神を経由して、肉体で表現されています。
肉体は魂を表現する媒体であり、精神は想いを肉体で表現させるための、司令塔の役目を果たしています。
愛する人が亡くなると、涙を流して泣きますが、魂から悲しみの想いが生まれて、肉体で表現が行われています。
人から親切にされると、笑顔になり、「ありがとう」と言いますが、魂から喜びや感謝の想いが生まれて、精神により指令が出されて、肉体で声になって表現されています。
魂から生まれた想いを、どの様に表現するのかを決めて、肉体に指令を出すのが、精神(心)であり、肉体は精神に従い、精神は魂からの想いにより活動します。
精神(心)を活動させているのは、細胞内のミトコンドリアで作り出されるエネルギー(ATP)ではありません。
目に見えない精神は、目に見えない生命力により、維持され、活動をしています。
生命力とは、魂に流れ込む霊的な力であり、森羅万象を司る力と同じものです。
肉体を活動させる運動エネルギー(栄養)が不足すると、身体は思うように動かなくなるのと同じで、生命力が不足してしまうと、精神は思うように動きません。
生命力が不足して、精神がうまく働かなくなってしまうと、肉体に指令を出せなくなるために、身体が動かなくなってしまうと考えられます。
生命力は、魂が絶えず受け取っています。
受け取った生命力は魂で想いとなり、その想いにより精神(心)が動かされて、肉体に指令を出して、肉体を通して外部に表現され、力は内から外に向かって放散されています。
魂から生まれる想いが、喜びや、何かを成し遂げようとする前向きなものであれば、生命力はふんだん魂に流れ込み、精神(心)を動かす力となります。
悲しみや絶望、不安や怖れ、自分を責める強い想いであれば、精神を動かしているエネルギーを激しく消耗させているばかりか、魂が受け取る生命力の経路を絞ってしまっていることになります。
うつ病は、生命力が少なくなってしまったために、今まで通りの生活が出来なくなった状態と考えられます。
悲しみや絶望、不安や怖れ、自分を責める強い想いにより、精神(心)を動かしているエネルギーが浪費されて、本来の機能が失われてしまった状態です。
想いは生じているのに、精神を動かすエネルギーが不足して思うように働かなくなり、その結果、身体が動かなくなり、生活に著しく支障をきたします。
想いと行動に、大きな隔たりがある状態となり、そのことで大いに悩み、さらに自分を責めてしまうことになります。
酸素が足りずに息切れしているのに、身体を動かすと、さらに息苦しくなります。
身体を動かすのを止めて、深呼吸をしていれば、息苦しさは徐々に和らいできます。
しかし、部屋に閉じ込められてしまい、徐々に空気が薄くなってきて酸欠状態になれば、怖くなり、あわててしまいます。
どうにかしようと、身体を無駄に動かしてまい、その結果、ますます息苦しくなってしまいます。
同じく、生命力が足りていないのに、精神(心)を働かそうとすれば、心の苦しさを感じてしまいます。
心が苦しいのであれば、まずは精神(心)を動かすのを止めて安静にしていれば、苦しさはなくなってくると思います。
しかし、理由もわからず突然、思うように考えたり、動けなくなってしまうと、どうしてしまったんだと焦ったり、不安に感じたり、怖れを抱いたりしてしまいます。
その情動が強いほど、生命力を消耗してしまいます。
酸欠状態で、激しく運動しているようなものであり、とても苦しくなります。
その苦しさが、恐怖や不安を生んで、さらに生命力を消耗してしまい、悪循環に陥ります。
生命力を無駄に使わないように、なるべく精神(心)を動かさないように、安静を保つ必要があります。
苦しさを少しでも和らげるために、心を安静にさせる環境に、しばらくの間、身を置いて、穏やかに過ごすのが、最善の方策です。
そうすれば、生命力は少しずつ満ちてきて、それに伴い心の苦しさから解放され、心身を動かすことができるようになるはずです。
精神安定剤や抗うつ剤は、不安や恐怖心などを和らげ、一時的に苦しさは緩和されます。
しかし、苦しさから逃れるために、薬剤が欠かせなくなり、依存状態となってしまう危険性があります。
薬では、うつ病を根本的に治すことはできません。
一般的に、うつ病になりやすい人は、まじめで、几帳面で、責任感が強く、人当たりが良いと言われています。
それは長所とも言えますが、周囲に気を配り過ぎたり、物事を完璧にこなそうとしたり、こだわり過ぎたりすると、心のエネルギーを無用に消耗するとともに、物事がうまく運ばなかった時に、悲観的な想いや、自己否定的な想いが生じ易くなりります。
悲観的、自己否定的な想いは、心のエネルギーを消耗するばかりではなく、魂が受け取る生命力を少なくしてしまいます。
家庭で、電気器具を多く使用し、消費電力が供給量を超えてしまうと、ブレーカーが落ちます。
これは危険を回避するための、安全装置です。
不自然な生き方や考え方をしているために、心のエネルギーが激しく消費されている状況で、生命力の供給が少なくなってしまうと、心のブレーカー装置のようなものが働いて、強制的に安静状態にさせると思われます。
心身を守るための安全弁であり、神の配慮だと思います。
もし、ブレーカーが落ちてしまったのなら、あれこれと考えたりすること自体、困難となります。
まずは、焦らずに、エネルギーが供給されてくるのを、じっと待ちましょう。
生命力は、能動的に作り出すものではなく、魂が自然に受け取っています。
その生命力が、少しずつ満ちてくるまで、心を安静にして、待ちましょう。
ガス欠で動かなくなった車は、ガソリンさえ入れれば、今まで通りに動き出すように、うつ病の人も、生命力が供給されてくれば、以前と同じ生活ができるようになると思います。
ガス欠は故障でない様に、うつ病は病気と言うよりも、心のオーバーワークにより、生命力が一時的に不足した「状態」だと思います。
心のブレーカーが落ちたのならば、心で消費しているエネルギーを少なくしてやるか、供給される生命力を多くしなければいけません。
うつ病はストレスが原因と言われますが、ストレスの本体は、さまざまな出来事や人間関係により生まれた、表現できない想いだと思います。
ストレスが溜まっているとは、表現できない想いが次々と生まれて、滞ってしまっている状態です。
心のエネルギーを浪費しながら、その想いは大きくなっていきます。
難しいことですが、出来るだけストレスのかからない環境で、心のエネルギーを温存する必要があると思われます。
心に供給される生命力を多くするのは、一朝一夕にはいきません。
ガンを告知された彼女ですが、猛烈に生きたいと思ったために、魂に生命力が一気に供給されるようになり、うつ病が治ったのだと思います。
彼女のような出来事が起こることは、まれです。
たとえ、生きたいと思うような出来事が起こらなくても、生命力は常に魂が受け取っているので、心は自然に動かせるはずです。
ただ、生命力の流れが、想いにより妨げられているため、一時的に動かなくなっているだけであり、遮っている雲が流れていってしまえば、太陽の光がまた燦燦と降り注ぐように、想いがなくなれば、生命力は徐々にみなぎってきて、動かせるようになります。
心は肉体とは別次元の存在であり、霊的な力により生かされています。
その霊的な力が絶たれるようなことは、決してありません。
霊的な力を受け取る魂は、霊的な力の始源の一部としてつながっていて、そのつながりは絶たれることは一瞬たりともありません。
身体の隅々の細胞まで、酸素や栄養は運ばれているように、宇宙の片隅に住む私たち一人一人は、たとえ小さくても全体の一部として、生命力の始源とつながっているので、生きる力を常に受け取っています。
生命力が供給され、滞っている想いがなくなってくれば、生き苦しさはなくなってくると考えられます。
多くの病気は、自然法則(神の摂理)に反した生き方や考え方をしているために、因果律が働いて生じていると思われます。
痛みや苦しさは、自然法則に反した償いであるとともに、自然法則に適った生き方に気付き、変えていくためにあると思われます。
病気を根本的に癒すには、自然法則に適った生き方や考え方に変えていかなければいけません。
うつ病も、他の病気と同じく、自然法則に反している、別の言い方をすれば不自然な生き方や考え方をしているために生じています。
現在の苦しみは、過去に積み重ねてきた、悲しみや怒り、不安や怖れ、自分を責める等の、表現されずに魂に滞っている想いが、表在化されてきているためと思われます。
隠されていた想いの塊が、精神の働きが弱くなってきたことにより、むき出しになってきています。
うつ病になったため、心が苦しくなったと言うよりも、今まで押し殺してきた想いが、表に出てきて意識されるようになり、苦しみを感じていると思われます。
さまざまな出来事や人間関係により生じていた悲観する想い、自己否定の想いは、精神により黙殺され、表現できないまま蓄積されていき、(精神で)抑え切れないほど大きくなり、時を経て、今、前面に溢れ出しています。
言葉や行動だけではなく、自分の想いにも責任が伴います。
悲しみや怒り、不安や怖れ、自分を責める想いが積み重なってくると、因果律が働き、表に出てきて、その想いに苦しむことになります。
過去の想いが、今の苦しみや悲しみとなって表現され、解放されています。
苦しみや悲しみは、癒しへの避けられない過程であり、徐々に解放されていけば、和らいでくるはずです。
自分の想いに気付き、想いを生じさせた生き方や考え方を正す時期が、来ていると思われます。
今までの生き方や考え方は、自然法則に反していて、自分(魂)の成長にとって、妨げとなっていたと思われます。
苦しみや悲しみは、その償いであり、そして過ちに気付くためにあり、自然法則に適った生き方や考え方に、変えていかなければいけません。
自然法則に適った生き方とは、どのようなものでしょうか?
目に見えるものだけがすべてだと錯覚している人間は、目に見えない自然法則の働きを無視しがちです。
人間ほど自由意志がない動物たちは、自然法則に忠実に従って生きていると思われます。
人間の頭脳は確かに優れていますが、たくさんの大切なことを動物たちから学べると、私は考えています。
動物たちは、欲を張らずに、素直に、思い悩むことなく今を生きています。
そんな動物たちには、人間のような病気はあまり見られません。
動物たちよりも人間が、一歩進んでいるところもあります。
それは、奉仕の心です。
自然法則を貫いているのは「愛」です。
奉仕の心は自然法則と一致しています。
私は、動物でもある人間の自然法則に適った生き方とは、人や社会のために、自分らしく生きることだと考えています。
人や社会のために生きることは、神の心である愛を表現していることになり、神とのつながりが深まり、ふんだんに生命力が流れ込みます。
自分らしく生きれば、想いが素直に表現され、エネルギーを消耗させている想いは、滞らなくなると思われます。
もし、そのような生き方に変えて行けたなら、病気の存在する意味はなくなり、やがて苦痛から解放されると考えています。
言葉にするのは簡単ですが、それが出来にくいのが、この世の中です。
出来にくい世の中だからこそ、病気になる人がたくさんいます。
自分が生きていくのに精一杯で、周りに目を向ける余裕など、あまりありません。
ありのままに生きようと思っても、周りの人を差し置いて、それが出来ないのが現実です。
けれども、無理をして心の力を使い果たし、自分の気持ちを抑え過ぎたために生じた想いに、今、苦しんでいるのであれば、そこから抜け出さなければいけません。
頑張り過ぎるのは、欲を張っているのと同じで、自分を追い詰めて、苦しめることになります。
薬で心を楽にさせるよりも、自分の心が、穏やかに楽になる生き方や考え方を、少しずつ見つけていった方が、永続的な癒やしにつながると考えられます。
焦らず、無理をせずに、ゆっくりと見つけて下さい。
それが自分らしい生き方であり、自然法則にも適っていると思います。
自然法則に適った生き方や考え方、苦しみの意味については、「シルバーバーチの霊訓」に余すところなく書かれています。
まだ、お読みでなければ、ご一読をお勧めします。
今、どうしても動けない人は、神の摂理の働きによって、動けなくなっているのであり、自分を責めてはいけません。
無理に、動いてはいけないと、神に言われているようなものです。
生命力が絶たれてしまうことは、決してありませんので、どうぞ心配しないで下さい。
生命力が満たされてくれば、楽になり、元の自分に戻れるはずです。
今は、ただゆっくりと、心を休めましょう。
参考ページ: 「うつ病と心のエネルギー」
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