2015年1月26日月曜日

ガンの自然治癒


昔、大きなホテルに泊まると、ベッドサイドに良く聖書が置いてありました。

手にとって開いてみると、抽象的で、意味の分からないことが、小さな文字で書かれていました。

外国人にとっては、とても馴染み深い本で、読むと心が安らぎ、早く眠りに就けるのかなと思ったりもしましたが、日本人で、しかも宗教に全く関心のない私にとって無縁のものであり、1ページも読めないまま閉じてしまいました。



そんな私でも、イエス・キリストが数々の奇跡を起こしたことは、知っていました。

イエス・キリストの死後の復活は、良く知られています。

その他にも、水をぶどう酒に変えたり、空のかごがパンで満たされたり、弟子たちの前で水の上を歩くといった、奇跡を起こしたと伝えらています。

病の癒しも有名であり、盲目の人の目が見えて、重い皮膚病(ライ病)の人が癒されて、からだの麻痺した人が歩けるようになったと、言われています。

しかし、当時は、そんなことが実際に起こったとは、とても思えませんでした。



人は理性的な動物であり、この様な現象をいくら他人から言われたとしても、信じられるものではありません。

生活していく上で関係なければ、真偽のほどは、どうでも良いのかもしれません。

以前は全く興味のなかった人間が言うのもおかしいのですが、上記の奇跡と呼ばれる現象は、すべて実際に起きた出来事であると、今は信じています。



イエス・キリストは、人々を驚かせようとしたり、憐れみの気持ちだけから、このようなことをしたのではありません。

目に見えない力が存在していることを、公衆の前で奇跡とも思える現象として見せて、証明するためでした。

それを通して、「神の国」について教え伝えることが、最終的な目的でした。

弟子や、当時のイスラエルの人たちが、あれほどまでイエス・キリストを信奉したのは、奇跡と呼ばれるような現象を、実際に目の前で見せられ、経験したからであり、もしそうでなければ、これほどまで強烈に、教えを信じ、命をかけて伝えていくことはしなかったでしょう。

聖書に書かれている奇跡は、イエスの教えを広めていく上で、必要だったと思われます。

そして、イエス自らが、聖書に書かれている教えを体現し、愛に貫かれた人生を送っていたからこそ、世界中に広まっていったのではないかと思います。



イエスの癒しの力は、特別な力ではありません。

傷口を治したり、風邪を治したり、すべての病気を癒す、自然治癒力と同じ力です。

ただし、イエスは並外れた力を、病人に流入させることが出来たと思われます。



今まで、病気で苦しんでいた人が、瞬時に癒されたならば、とても驚くとともに、歓びを感じるでしょう。

少なくても病が癒された人にとって、その力は神からのものであると言われても、違和感はなかったと思われます。

ひどかった苦痛から解放されたならば、神は愛であると言われたとしても、素直に受け入れる人も、多かったのではないでしょうか。



しかし、イエスの力により、誰もが癒されたのではありません。

イエスといえども、因果律の働きに介入することは、出来ません。

病気になって間もない人で、(自然法則に反した)過ちが十分に償われていないなければ、イエスの力をもってしも病気は癒やされなかったはずです。

奇跡と呼ばれる出来事は、あくまでも自然法則に則って、生じています。

イエスの力により、過ちが赦されることはありません。

過ちは、苦痛の経験により、償われます。

長い年月、苦痛を味わい、償いが終わりにさしかかった人が、導かれて来て、イエスにより癒されました。

その癒しにより、多くの人は魂が目覚めて、神を見出したと思われます。



病気は、因果律の働きにより生じます。

何らかの原因があって、その結果として病気が生じています。

多くの病気は、自然法則(神の摂理)に反した、生き方や考え方をしてしまったことが原因となって、生じていると思われます。

自分(魂)のさらなる成長を望み、あえてこの世で病気になる人生を選択して、生まれてきた人もいます。

いずれにしても、病気の目的は、自然法則の存在を知り、自分(魂)を成長させるためにあると思われます。



イエスによる癒やしが行われてから、約2000年経ちたました。

近年、科学技術は著しく発展し、世界は大きな変貌を遂げました。

医学の進歩は目を見張るものがあり、多くの人がその恩恵を受けています。

一昔前では命を落としていた、急性疾患、感染症、外傷などの患者を、救うことができるようになりました。、

診断技術や診断機器は著しく向上し、病気の早期発見、早期治療が可能となりました。

また、遺伝子レベルでの診断や、リスク因子の解明などが急速に進んできており、病気の予防に貢献していると思われます。



それにもかかわらず、日本においてガン罹患者の数は増え続け、毎年30万人以上の人が、ガンで亡くなっています。

平均寿命が延びているという理由だけでは、とても説明がつきません。

根本原因が未だ不明なため、予防策は立たず、根本治療が確立されていないためと考えられます。

有効性に少なからず疑問を持ちながらも、他に頼るすべがないために、現代医学による治療を受けている人も、少なくないと思われます。

未踏の領域に根本原因があり、ルビコン川を渡って踏み込んで行かない限り、根本から治癒させるのは、難しいのかもしれません。



現代医学による治療を、積極的に受けたにもかかわらず、多くの人が亡くなっていく中で、予想に反して自然治癒が起きた人もいます。

医学的に説明がつかないために、多くの医者は、偶然とか、例外として片付けてしまい、見向きもしません。

とても残念なことだと思います。

なぜなら、そんな人たちの中に、ガンという病気の真相を、究明する糸口があると考えられるからです。



医学的な説明がつかない、ガンの自然治癒(退縮)が生じた人たちに共通しているのは、自己変革が起きたと言うことです。

ガンという深刻な病気を経験して、生き方や考え方が、大きく変化しています。

ガンの治癒(退縮)と自己変革には、関係があるのでしょうか?



私は、ガンの主因は、物質的な次元にないと思っています。

目に見えない、霊的次元にあると考えています。

人は、肉体と精神と魂(霊)により構成されています。

肉体は、魂の表現媒体です。

魂で生じた想い(思念)は、言葉、表情や行動となり、肉体により表現されています。

魂のありさまの変化は、肉体の変化として表れる時があります。

ガンは、魂のありさまの変化が、肉体上に表れたものと考えています。

魂のありさまを変化させているのは、自らの想いです。

過去にあった出来事から生じた、(肉体により)表現されなかった想いです。

つまり、ガンは表現されなかった想いが魂に滞り、肉体上に反映されたものと考えています。

その想いは、怒り、憎しみ、恨み、あるいは言葉にならない愛に反する想いであり、幼かったり、想いが強すぎたために、肉体で表現されませんでした。

その想いがあるために、その後に起きるさまざまな出来事で、同様の想いが生まれてしまい、不自然な生き方や考え方に変えてしまうほど、大きくなっていったと考えられます。



従って、表現されなかった想いを解放して、自然な生き方や考え方に変えていけば、ガンは癒やされるはずです。



しかし、それは容易なことではありません。

いくら想いを解放しようと思っても、根が深いものであり、容易に解放できるものではありません。

生き方や考え方を変えようと思ってみても、簡単に変えられるはずはありません。



やはり、ガンの自然治癒(退縮)は偶然なのでしょうか?

そうではなく、自然法則に則って治癒すると考えています。



自然治癒した人の多くは、医者から見放された人や、苦悩の末に現代医学に見切りを付けた人だと思われます。

他の多くのガン患者よりも、むしろ過酷な立場に置かれていた人のように見えます。

さまざまな事情によって、医者から遠ざかり、自らに全てが背負わされた人であり、その孤独感は計り知れないと思います。

眠れない日々を過ごし、恐怖をいやというほど味わい、涙を流しながら苦痛に耐えてきた人たちだと思います。

苦痛や症状がひどくなるたびに、得体の知れないガンに怯え、心身ともに追い詰められていったのではないかと思われます。



頼るものは何もなく、逃げる場所はどこにもありません。

いくら考えてみても、どう願ってみても、ガンから逃れることはできません。

現実味を帯びてきた死と、真正面から向かい合わなければいけません。

それは、今までの人生を省みて、生きる意味を、自分自身に問い質すことにつながります。

その答えは、いくら頭で考えても得られません。

さらに深い部分へ、無意識に問いかけていくことになります。

答えの希求により、それまで沈黙していた魂が揺り起こされます。

そして、長い眠りから目を覚まします。

魂は本当の自分であり、いつわりのない自分であり、その答えとともに、進むべき道を指し示します。

魂の目は見開かれて、本当に大切なことが、はっきりと見えるようになります。



余命宣告を受けた人の気持は、経験のない私にはわかりません。

大きな衝撃を受け、受け入れるまでに時間が必要ですが、その後に、私ならどうするか、想像力を働かせて考えてみました。

あと10年命があれば、やるべきことの優先順位を付けて、余裕をもって生きていくでしょう。

あと1年命があれば、悔いのない様に、出来る範囲でやりたいことをして、これまでお世話になった人に、あいさつをしていきます。

あと1ヶ月命があれば、じたばたせずに、心穏やかに過ごすでしょう。

あと1日命があれば、自分の一生を静かに振り、家族と手を握り合いながら、感謝の気持ちを伝え、その時を迎えるでしょう。

もし、残された時間が、たった10秒であれば、すべてに感謝し、身を委ねるでしょう。



有り余る時間の中で、大切なものを見失ってしまい、限られた時間の中で、真に大切なものを見出すのかもしれません。

残された時間が短くなるにつれ、余分なものは削ぎ落とされていき、生の意味が姿を現していくようです。

ありったけの愛を表現し、感謝する以外に、何も見当たりません。

最後の言葉は、きっと「ありがとう」でしょう。



生命にかかわる病気になれば、生命について思いを巡らします。

残された時間が少なければ、真剣に、ありのままに生きようとすると思います。

ガンは表面的には、肉体蝕み、死に至らせる怖い病気に見えますが、深層は、生きる意味を自らに真剣に問うことで、魂を目覚めさせ、大切なものに気付くために存在していると思います。

自分(魂)を成長させるためにある、自然法則の1つです。

そして、残された時間が少ないと宣告された人、苦痛が大きい人、苦境に立たされた人ほど、魂が目覚めやすくなると思われます。

その危機的な状況が、魂に響くからです。



多くの人は危機的状況に陥った時に、周りに頼るものがあれば頼り、逃げる場所があれば逃げ込みます。

それは、身の危険を回避するために、当然の行動と思われます。

ガンになれば、ほとんどの人は医者という病気治療の専門家に、全てを託します。

そして、死を回避する治療が始まります。

死から逃れるために、すがるものがあれば、すがります。

そして、人為的な苦しみの中で、少しずつ、心身が疲弊していくように思われます。

正面から生と死と向きあい、大切なものを見出す機会が、失われてしまうような気がします。



禍を転じて福となす。

自然治癒した人は、その逆境が、魂が目覚める好機となったのかもしれません。

苦痛の日々により償いを果たし、逆境を乗り越えていく中で魂が向上し、機が熟してきたと思われます。

そして、魂が目覚め、大切なものに気付き、自己変革が起きて、生き方や考え方が変わっていったと思います。

愛という生命力により、ガンを生じさせた表現されなかった根強い想いが解放され、魂が癒やされて、肉体が癒やされたと考えています。

表面上は奇跡的に見えても、自然法則に則って、治癒したと思われます。



ガンは、複雑怪奇に見えて、実は単純明快な病気かもしれません。

本来の自分を取り戻すためにガンになり、本来の自分を取り戻せたのなら、その役目を終える。

自然治癒は、本来の自分を取り戻した結果である。

実際に、自然治癒した人の中には、自然な生き方になり、自分らしさを取り戻したと感じ、ガンになったことをに感謝している人も、多く見受けられます。




2000年前にイエスにより病が癒やされた人も、現代においてガンが自然治癒した人も、同じ自然法則に則って癒やされたと考えています。

償いが終わる時期に来た人が、イエスの力によって病が癒やされて、魂が目覚めて、そして神を見出す。

苦痛の日々が償いとなり、逆境の日々により魂が目覚め、大切なことに気付き、そして病が癒される。

時代と、過程は違いますが、同様に魂が目覚め、同じ生命力により癒やされていると思われます。

神を見出すことも、大切なことに気付くことも、実は同じであり、愛に目覚めることだと思います。

魂は神の一部であり、自らの中にも神がいるからこそ、最も大切なことは愛であることに気付くのだと思います。



ところで、愛に目覚めるのが、それほどまでに、重要なことなのでしょうか?

この世を生きている意味は、自分(魂)を成長させるためです。

自分を成長させるのは、他者に愛を表現することであるため、きわめて重要で、意味のあることです。

愛に目覚めた時から、生まれてきた意味を成就する人生が始まると言って良いのかもしれません。



肉体上の病気の変化よりも、大切なものに気付き、想いが解放され、魂が浄化される方が、大きな意味を持つと考えています。

なぜなら、本当の自分は魂であり、肉体は魂の表現媒体に過ぎないからです。

物質的なことよりも、魂から生まれる想い、そして行いが摂理(愛)に適っているかどうかが大切です。



ガンになり、それまでの生き方や考え方を改めた人は多くいます。

それでも、亡くなっていった人は、残念ながら多くいます。

魂が癒やされれば、自然法則により、肉体も癒やされるのですが、肉体上の病変を消失させるためには、神から与えられた機能が正常に働かなければいけません。

その機能を妨げる人為的な治療により、自然法則が働くのが妨げられます。

償いが終わる時期が来て、魂が目覚め、癒やされたとしても、肉体は生命力により癒されなくなってしまいます。

ガンを知り、恐がらずに、自らの力を信じて、勇気を持ち続けることが、何より大切だと思います。



私にも言い聞かせなければならないことですが、残された時間はあと1日と思って、今日を大切に生きましょう。

大切なことに気付き、今を大切に生きていれば、ガンの存在する理由はどこにもありません。






参考ページ: 「ガン(癌)は怖くない!」



















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