私が小さい頃、4歳違いの妹はある場所を極端に怖がりました。
それは水の張った浴槽です。
浴槽を見ると泣き叫んで逃げていたので、いつもどうしてだろうと思っていました。(母親と風呂に入る時は何故か大丈夫でした)
幼少期を過ぎると、いつのまにか怖がらなくなっていました。
米国のバージニア大学医学部にイアン・スティーブンソンとういう精神科の教授がいました。
彼は2300例という前世の記憶を持つと言われる子供たちを調査して、1977年「神経・精神病学雑誌 (Journal of Nervous and Mental Disease)」に「生まれ変わり現象」についての論文を発表しました。
事例として記録されたのは、前世の記憶を持つとされる子供が、前世の人物の持ち物や親しかった人を見分けられること、前世の人物に見られた特徴的な行動を示すこと、前世の記憶とされる事象が1人以上の成人によって裏付けられたなど、6つの条件の内、2つ以上を満たしたものでした。
研究によると、前世の記憶は2歳から5歳までの間に現れて、成長するのに伴い消えて行くそうです。
また、前世の死亡時の状況を覚えていて、死因となった特定の乗り物や火や水、銃火器などを見ると怖がる子がいたそうです。
「肉体がなくなっても生命(魂)は生き続ける。」
そのことは、私にとって当たり前の事実となっています。
この人生は、永遠に続く生命の営みの一部分です。
思い出せませんが、この人生の前にも地上の人生があったのです。
妹に起きていたことを、改めて考えてみると、このような推論が成り立ちます。
水を張った浴槽を見て怖がったのは、前世で溺れる経験をしていたのではないか。
魂に刻まれたその記憶が、自我が発達していない幼少期に蘇っていたのではないか。
真偽は分かりませんが、そう考えるとつじつまが合います。
世界のいたるところに、生まれ変わりの話はあります。
チベット仏教の最高指導者であるダライラマの後継者の選定も、生まれ変わりを前提にしています。
生まれ変わりとして認定されるには、過去世を思い出して事実に基づいた話ができる、先代が使用していた物品を同定できる、先代の周囲にいた人を同定できるなどの要件を満たさなければいけません。
日本では江戸時代の「勝五郎の生まれ変わり」が知られていて、前出のイアン・スティーブンソン氏が研究を始めるきっかけとなりました。
仏教では、天・人・修羅・餓鬼・畜生(動物)・地獄の、いづれかの世界に生まれ変わると言われています。
ヒンズー教では、人間以外にも、動物や昆虫、植物などの生命形態に生まれかわる可能性があると言われています。
霊的真理では、(地球では)人間は人間以外に生まれ変わらないと言われています。
3者に共通しているのは、因果律(カルマ)によって来世が決まると言うことです。
ただ現世で過ちを犯すと、動物などに生まれ変わると言うのは、一種の罰であり、戒めのように思えます。
人間は人間以外に生まれ変わらないと、私は思っています。
何故なら、カルマは罰としてあるのではなく、公正を保つため、学びや成長のためにあると考えているからです。
犯した過ちを償い、学ぶためには、もう1度人間に生まれて、それに相応しい経験をしなければならないと考えています。
学んでいるのは、自然法則の働きです。
法則は、神の心が顕現したものです。
神の心の核心は愛であり、愛が法則を貫いています。
愛に適った行いをすると、法則の働きにより調和が生まれ、喜びがもたらされます。
愛に反した行いをすると、法則の働きにより調和の乱され、苦痛がもたらされます。
喜びと苦痛により、私たちは愛を学び、それを表現する方向へと導かれています。
戦争は最も愛に反した行いの1つであり、著しく調和を乱します。
それにより生まれる苦痛を世界全体が共有して、愛と平和の意味について人類全体が学ぶ時代が来ていると思われます。
愛(神性)は、親切、同情、寛容、慈悲、哀れみ、友情、無私の行いなど様々な表現形態を取ります。(シルバーバーチの霊訓より)
愛を表現することによって、霊的なつながりは強まります。
物的に離れて存在している生命が、霊的に1つになって行くのを目論んで、法則は創られていると思います。
人間は法則の働きによって、霊的に成長して行きます。
成長するのに伴い、より高い次元の愛を表現できるようになります。
成長の一環として、地上に生まれます。
地上でしかできない経験を通して、地上でしか学べないことを学んでいます。
それによって成長が促されて、それまで表現できなかった愛を表現できるようになります。
地上の人生は「学校」に例えられます。
学校では、予定されていた1年のカリキュラムが終わると、春休みに入ります。
その時に、通知表が手渡されて一喜一憂します。
予定されていた地上の人生が終わると寿命が来て、霊界に戻ります。
戻った後に、地上の人生を振り返ることになり、一喜一憂します。
学び損ねたことがあるのに気付いて、それを悔やんで、もう1度学び直そうと思うかもしれません。
さらに、学びを深めたいと思うかもしれません。
あるいは、もっと別のことを学びたいと思うかもしれません。
そんな思いに対して、因果律が働いて、結果として地上に生まれることになります。
生まれ変わりは、リ・スタートです。
学年が上がると、クラスが変わり、新たな環境で学校生活がスタートします。
同じ魂が別のパーソナリティとなり、思いを成就するために最適な環境に生まれ、新たな人生がスタートします。
小学1年生が、いきなり高等な数学を習得することはできません。
まず、足し算と引き算から学ぶことから始めます。
次に掛け算を学び、その次に割り算や分数を学びます。
学年が上がることで、より難しい算数を学ぶようになっています。
何度も生まれ変わるのは、たった1度の人生で、全てを学ぶことなどできないからです。
地上に最初に生まれた時は、易しい人生になるのかもしれません。
次に生まれる時は、より難度の高い人生になるのでしょう。
より難しい人生に挑戦することによって、より価値のある教訓を学ぶことができて、魂は大きく成長すると考えられます。
学校に行く目的は、人や社会に奉仕するための知識やスキルを身に付けて、自立した生活を営むためと思われます。
地上を生きる目的は、肉体を介した経験から霊的な学びや成長を得て、霊界に戻って全体のためにさらに自分を活かせるようになるためと思われます。
霊界で自律的に成長して行けるほどの愛を表現できるようになった魂は、もう地上で学ぶことは残されていないので、生まれ変わる必要はなくなります。



