2026年5月17日日曜日

良心の声に従う


私たちの中にある心は1つです。

その心は、2つの自我(意識)が統合されたものと考えています。



地上の人は、魂(霊)、精神(自我)、肉体から構成されています。

正確に言うと、肉体の他に霊体も存在しています。

魂(霊)から生じた想いが、精神の働きにより、肉体を使って表現されています。

それが繰り返されることで、地上の人生は紡がれて行きます。



霊界にいる時は、魂から生じた想いは、魂と霊体との間に存在する精神の働きにより、霊体を使って表現されています。

その精神のことを、「霊的な自我」と呼ぶことにします。



魂が肉体と結合した瞬間、新たな精神が生まれます。

その精神のことを「地上的な自我」と呼ぶことにします。



地上の人は「魂」「霊的な自我」「霊体」「地上的な自我」「肉体」によって構成されていると考えられます。

「精神」と呼ばれているのは、霊的な自我と地上的な自我の総称と考えられます。

         

日常生活のほとんどが、この自我の働きによって、営まれています。

自分を守ろうとするのは、地上的な自我の重要な働きの1つです。

成長に伴って地上的な自我が発達して行きますが、子供は大人に比べてその働きが弱いため、自分を守ろうとする意識が低いと考えられます。

生まれたばかりの赤ちゃんは、極めて弱いために、無防備な状態と言えます。


世の中には、地上的な自我の働きが強い人がいます。

そんな人は、「自分」という意識が強いために、自分を誇示しようとしたり、自分を中心に物事を考える傾向があります。

「私が」とか「俺が」という言葉を頻繁に使う人や、他者の意見に耳を傾けない人は、地上的な自我の働きが強いと考えられます。



反対に、地上的な自我の働きの弱い人は、相対的に霊的な自我の働きが強くなります。

そのため、「自分」ではなく「周囲」に意識が向きやすくなります。

周囲のことが気になったり、周囲からの影響を受けやすくなります。

(バリアのような役目を果たしている自我の働きが強くないために)思念に対する感受性が強くなり、心が傷つきやすいと考えられます。



霊的な自我は、魂から生じる想いを表現するための媒体です。

地上的な自我は、霊的な自我の想いを表現するための媒体です。

霊的な自我は、地上的な自我より、魂に近い媒体です。

魂から生じた想いを忠実に表現しようとしますが、地上的な自我の働きによって、表現が歪められたり、妨げられたりしてしまうことがあります。



私たちは神の心を表現するために創られた、神の一部です。

地上では、神の心は「良心」となって顕現しています。



神の心に反した行動をしようとする時に、止めようとする気持ちが生まれるのは、良心が存在しているからです。

神の心に従って行動をしようとする時に、それを妨げるような考えが生まれるのは、地上的な自我の働きによるものです。

良心と地上的な自我から生まれた考えとの間で、しばしば葛藤が生まれます。

自我から生まれた考えが、自分にとって都合が良く、利己性が見られたのなら、そちらに従ってしまうと、好ましくない結果が生まれます。



例えば、真夜中に車を運転していて、道路にいた人を撥ねてしまったとします。

「助けなければいけない」という良心の声に従い、救急車を呼ぼうとします。

けれども、「警察に捕まると会社をクビになる」とか「誰も見ていない」など、良心に反する行動を正当化する理由を、地上的な自我が考えてしまうことがあります。

助けるか、逃げるかで、葛藤が起きる人もいるでしょう。

自我に負けて逃げてしまうと、社会的な罪は大きくなり、長い間刑務所に入ることになるかもしれません。

捕まらなかったとしても、霊的な罪は魂に印記されて、その先で償わなければいけません。



話は変わります。

1890年、トルコの軍艦が日本を訪ねて帰国の途中、和歌山県串本沖で台風に遭い遭難しました。

地元の人たちは、自らの良心に従って、暴風雨の中で懸命に救助活動を行いました。

救助した人たちを手厚く看護して、回復後に帰国させたそうです。

この出来事はトルコで広く知れ渡り、日本人に対して強い親近感を覚えたと言われています。

日本とトルコの関係が良好なのは、この勇気ある行動が、今も「友好」という報いをもたらし続けているせいかもしれません。



これは極端な例かもしれませんが、良心に従うか、自我の考えに従うか、決断に迫られることは日常的に起きています。

良心が指し示す方向は、労苦や困難が待ち受けていることが、とても多いです。



良心に従って行動しようとする時、神の心と同調しています。

ラジオを同調させると電波が伝わって来るように、神の心と同調すると神から力が伝わって来ます。



勇気を出して進んで行こうとする人には、内から湧き出る力と、霊界からの惜しみない援助の力が与えられ、その行動が全うされるようになっています。

そして、霊的な成長という実りがもたらされます。

進んで行って、後悔することは決してありません。