2026年1月11日日曜日

真の喜び


霊的真理と出会い、あの世があることを知りました。

死は、あの世へ移行する自然現象と分かり、怖くなくなりました。



あの世は、この世の苦から解放された世界です。

煩わしい人間関係もありません。

病気や障がいもありません。

食べるために働く必要もありません。

自分のやりたいことを心行くまでできます。



けれども、自分のやりたいことだけをしていても、虚しさを感じてしまうかもしれません。

それだけでは成長しないからです。



人は誰かのために何かをすることで喜びが得られて、成長して行くことができます。

より次元の高い奉仕をしようとすると、自分に欠けている資質、足りない資質を自覚するようになります。

居心地の良いあの世を離れて生まれて来たのは、この世でしかできない経験をすることによって、奉仕のために必要とされる資質を身に付けるためです。



霊界では、周りのことに無関心で、自分のやりたいことだけをしている人は、一種の利己主義者として映っているのかもしれません。

「利己主義者は自分自身にも悪影響を及ぼし、自らの進歩も進化も向上も発達も妨げているのです。」とシルバーバーチは言っています。

自分のことしか考えていない人は、どの世界においても成長できないようです。

そのことに気付いて、改めるために、この世に生まれて来る人もいるでしょう。



この世に生まれると肉体があります。

そして、肉体を使って自己表現するための(地上の)自我が生まれます。

自我の働きにより、「自分」と言う意識が強くなります。

その意識を言葉や行いで表現してしまうと、因果律の働きによって、この世ならではの苦痛を味わうことになります。


子供の時、わがままな言動をしていると、周りから仲間外れにされることがあります。

一人ぼっちになり、孤独という苦痛を味わうことで、何がいけなかったのかを考えます。

自分だけではなく、周りのことも考えた言動をするようになって行きます。



社会に出れば、組織のために働かなければいけません。

上司や同僚の助言や忠告を聞かずに、自分の考えだけで行動していれば、協調性のない不適格者として、組織から排除されてしまう可能性があります。

収入を得て生活して行くために、自分を抑えて、組織の意向に沿って、行動するようになって行きます。



家族ができれば、やりたいことだけをしているわけにはいけません。

自分よりも家族を優先して行動するようになります。

あくまでも自分を優先しようとする人は、家族から絶縁されてしまうかもしれません。



あの世で自分のやりたいことしかしなかった人がこの世に生まれると、法則の働きによって、苦痛を感じる出来事が次々と起きると考えられます。

人は苦痛を感じたくありません。

生き方や考え方を改めて行くようになります。

この世で周りのために何かをする習慣を身に付けた人は、あの世に戻ると自分のやりたいことだけではなく、周りのために何かができるようになっていると考えられます。

それが自らの成長へとつながって行きます。



仕事や家事をしていて1番うれしく感じるのは、喜んでもらえた時だと良く聞きます。

誰かの役に立って喜んでもらえると、法則の働きによって、自分にも喜びがもたらされるからです。



法則を創った神は、この世で喜びと苦痛を味わわせることで、誰かのために何かをする方向へと導いていると考えられます。

誰かのために何かをすることによって、そこに調和が生まれます。

個と個を隔てている障壁が取り払われ、全体が調和して1つになるのが、神の意図であると考えています。



自分のことしか考えない利己的な人は、富や地位や名声に執着することが多く、それを得ることに喜びを感じます。

けれども、そんなエゴの欲求をいくら満たしても、永くは続きません。

際限なく、追い求めることになります。



そんな人が大きな権力を持つと、エゴを満足させようとする言動が繰り返されます。

それにより、全体の調和が乱されます。

互いが信じられなくなり、争いが起きやすくなります。

個と個は分断されて、神の意図とは違う方向に向かってしまいます。



シルバーバーチは、「利己主義は割に合わない」と言っています。

自分だけが得をしようとする生き方は神の摂理に反していて、因果律の働きにより、苦痛を伴う結果(償い)が生じ、成長が妨げられるので、霊的に損をすることになるからだと思います。



結果が生じても、権力者は力によって、それを封じ込めようとします。

封じ込めたことに対する結果が生じても、さらに封じ込めようとします。

それを繰り返しながら、破綻へと進んで行くのは、歴史を顧みれば明らかです。



エゴを満足させるために、多くの人に苦しみや痛みを与え、人生を狂わせた人には、相応の報いが待っています。

この世で報いを免れたとしても、因果律の働きからは、絶対に逃れられません。

どれくらいこの世に生まれて、どれほどの苦痛を味わわなければならないのか、想像するだけで背筋が寒くなります。

無知ほど恐ろしいものはありません。



黙認した人たちにも因果律は働いて、後悔や侮辱を味わうことになると思われます。

大きな代償を払いますが、それが転機となって、考えを改めるようになります。

現時点の世界は、利己的な行いに対する結果が生まれる前の段階と考えられます。



苦痛を伴いながら、意識は自分から周りへと向かって行きます。

周りを意識するようになるのは、全体が一つであり、霊的につながっているからです。



霊的につながっているので、他者の喜びの中に、真の喜びを見出すことができるのです。

自分だけが良くなっても、心が満たされないのです。