2025年3月30日日曜日

内在する愛によって許すことができる



死んだ後にも、生きる世界(霊界)があります。

あるのは確かですが、残念ながら客観的に証明することはできません。


眠っている間は、魂は肉体を離れて、霊界に行っています。

爽やかで、新鮮な気持ちで目が覚める時があります。

そんな時は、霊界でリフレッシュされ、余韻を残しながら肉体に戻って来たのではないかと考えています。



小さい時は悩みや心配などなく、日が暮れるまで無中になって友達と遊んでいました。

霊界も同じで、生きて行く上での悩みや心配はなくなり、友達よりもさらに親しい人たちと、やりたいことを思う存分することができるようになります。



霊界のことを知るほど、早く行きたくなります。

地上に戻ることなく、できるなら霊界で成長したいと思うのは、私だけでしょうか。



若い時、社会で成功することはとても大切であり、自分の価値の多くはそれで決まると考えていました。

少しでも高い地位、たくさんのお金を求めて、努力している人は少なくありません。

けれども、霊界に持って行けるのは自分(魂)だけです。



霊界に行ってしばらくすると、地上の人生を振り返る時が来ます。

想ったこと、言ったこと、行ったことの全てが、オーラに刻み込まれています。

自分の言動が、周りにどのような結果をもたらしたのかを知ることになります。



因果律の働きは、正確無比です。

人や動物に喜びを与えれば、相応の喜びとなり自分に返って来ます。

苦しみを与えれば、相応の苦しみとなって自分に返って来ます。

与えた喜びは自らの成長を促し、与えた苦しみは成長を妨げます。



成長したいと言う根源的な欲求が私たちにあります。

成長を妨げる原因(カルマ)を取り除かない限り、欲求を満たすことはできません。

原因(カルマ)を取り除くために、生まれて来た人も少なくないようです。



霊界で経験できないことを、地上では経験できます。

経験を通して大切なことを学び、自分に足りない霊的な資質を手に入れるために、生まれて来ている人も多くいます。



思念が直接伝わる霊界と違い、地上では自分の想いや概念を言葉に変えて、五感を通して伝えなければいけません。

けれども、自分の想いや概念を正確に言葉に変えられるわけではありません。

住んでいる場所によって、言語も違います。

言語が違えば、自分の想いを正確に伝えるのは、さらに難しくなります。



心が似通っている人たちだけと接している霊界と違い、地上では心が似通っていない人たちとも接して生きなければなりません。

たとえ自分の想いを正確に伝えられたとしても、考え方や価値観が違う人と、同じ想いを共有できるとは限りません。

お互いを理解し合うのが困難な世界に生きていると言えます。



肉体を持つことにより、意識は自分に向かいます。

自分が大切になるほど、他者の想いはどうでも良くなります。



これら地上ならではの要因によって、いさかいが起きやすくなります。

高じると戦争になります。

肉体を持たない霊界では、戦争は起こり得ないのです。



考え方や価値観が違う人間と共に生きているのが地上です。

そのことを、まず認識しなければいけません。

自分の考えの方が正しい、あるいは優っていると主張し合うのではなく、相違があるのは当然として受け止め、相手の考えを認めなければいけません。



肉体を介して自己表現しなければならないのが地上です。

思った通りに表現できるとは限りません。

表現できたとしても、意図した通りに相手に伝わらない時もあります。



不完全な人間が、完全に近づくために生まれて来るのが地上です。

不完全であるがゆえに、時に過ちを犯してしまいます。

自分は完全だと言う人がいますが、それ自体が不完全さを証明しています。



お互いが不完全な存在であることが認められたのなら、相手の過ちを許すことができるはずです。

侵害しようとする相手から自分の身を守ることは許されますが、相手の過ちを許せずに、感情に任せて報復したのなら、自然法則の働きに背いたことになり、好ましくない結果が返って来ます。

難しいことですが、感情を抑えて、因果律の働き(神)に委ねなければいけません。



地上は、認め合い、許し合うことの大切さを学ぶ場です。

寛容さが求められています。

それらが欠けていると、因果律の働きによって苦痛を伴う事象が起きて、経験的に学ぶことになります。



自然法則を貫いているのは愛です。

寛容であるためには、自己犠牲が求められ、大きな意味の愛を表現しなければなりません。

自然法則に叶っているので、好ましい結果が生まれます。



認められない、許せないのは、地上の表現媒体である自我(エゴ)の働きによるものです。

魂には神が宿っています。

エゴから生じた怒りや憎しみの感情は、内在している神の愛によって、完全に鎮めることができます。



自分にも神が内在していると強く信じましょう。

何が起きたとしても、そこから愛を引き出すことができたのならば、許すことができるはずです。



地上にいる私たちは、魂に内在する愛とエゴから生まれる感情の間で、日々揺れ動いています。

エゴに打ち克って、内在している愛を表現することで、霊性は発達して行きます。

それこそが、地上に生まれて来た目的です。



地上で身に付けた寛容の精神は、魂の財産として持って行けます。

博愛の精神となって、霊界で花開くと思います。