2025年3月16日日曜日

お役に立つ


今は亡き義母のお見舞いに行った時のことです。

衰弱してベッドから起き上がれなくなった義母が、天井を見つめながらしみじみとこう言ったのを覚えています。

「お役に立てなくなった」

地上を去る前、本当に大切なものが見えて来ます。

シルバーバーチの霊訓には「役に立つ」ことが大切だと繰り返し書かれていますが、義母のその一言で再確認しました。



十年位前になりますが、友人から連絡がありました。

知り合いの家族が、ヒーリングを希望しているとのことでした。

ご家族には2人のお子さんがいましたが、上の女の子には自閉症と精神発達遅滞の障がいがありました。

10才位でしたが3才位の知的レベルで会話は成立せず、お母さんにべったりくっついていました。



ヒーリングをする前に、お母さんと少し話をしました。

お母さんはある看護師さんから「(そのお子さんは)あなたを選んで生まれて来たのよ」と言われたそうです。

その言葉に反発して「生まれて来なくて良かった」と思ってしまったそうです。

それを聞いて私は驚きましたが、同時にこれまでいかに大変な思いをして育てて来たのかが少し分かったような気がしました。



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私たちは、地上の環境を選んで生まれて来ています。

どのような人生を辿るのかも、予め分っています。

過去生において関わり合いがあり、今生で親子になる必要があったのかもしれません。

詳しいことは分かりませんが、学びと成長のために、今のお二人の関係があるのは確かです。



死んだ後に行く霊界こそ、本来の住処です。

肉体がなくなると、意識は自分から周りへと向かいます。

周りのために何か役に立てないかと、自然に思うようになります。




会社に入ると、プロジェクトを任されることがあります。

任されるプロジェクトは、個人のスキルに応じたものになります。

スキルが増すのに従い、難易度の高いプロジェクトを任されるようになります。

難易度が高くなるほど、成し遂げた時の喜びは大きくなります。

その喜びは、会社や社会のために役に立てたことに起因していると思います。



霊界では、役に立ちたいと想えば、その想いは叶えられます。

資質に見合った奉仕に携わることができ、それに喜びを感じます。

人間には、より深い喜びを味わいたいと言う欲求があります。

そのために、より次元の高い奉仕をしたいのですが、会社のプロジェクトと同じで、資質が伴っていなければ携わることはできません。



そこで地上に生まれることを志願します。

逃れられない運命と思っていた事象は、必要な資質を身に付けるために、因果律の働きによって起きているのかもしれません。

外からは苦難や凶事に見えるかもしれません。

誰もが避けたいような出来事を経験する人生を、承知して生まれて来ている可能性があります。



自分の時間を持つことを許さないお子さんに対し、生まれて来なければと思う時もあったかもしれません。

けれども、子供として生まれて来るべき存在だったことに気付く時が来るでしょう。

「自我を発達させる唯一の方法は自我を忘れることです。他人のことを思えば思うほど、自分が立派になります。」とシルバーバーチの霊訓には書かれています。

大変な苦労をして、自分を犠牲にして育てるのは、ご自身の魂を向上させることで完全に報われています。



一方、女の子は思うように自己表現できないハンディを背負って生きています。

そのため、苦しい思い、もどかしい思い、悔しい思いをすることも多いでしょう。

誰かに助けてもらわなければ、生活して行くのは困難です。



先になりますが、死によって肉体から解放され、自由に表現できる喜びを噛みしめる時が来ます。

苛酷な人生ですが、その分、魂は大きく向上しているでしょう。

人に助けてもらう経験が生涯に渡って積み重なることで、感謝の気持ちは極めて大きなものとなり、今度は誰かのために役に立ちたいという強い意志に変わると思います。

地上で不幸と言われる事象は、霊界でより高い次元の奉仕をして、喜びを感じるために起きていることがあります。

お二人はお互いのために役に立ちながら、経験しなければ決して得ることのできない大切な教訓を学んでいると思います。



女の子には妹さんがいますが、とてもしっかりとしていました。

お姉ちゃんに特別な愛着を感じているようで、妹になるのを決めて来たことが窺われました。

ご両親が亡くなった後も、寂しい思いをさせないように、寄り添って生きて行くと思います。(そんな兄弟姉妹が多いように感じられます。)



その日、女の子にヒーリングをすると穏やかな表情になりました。

お母さんにいくつかの霊的真理を話して、最後に「シルバーバーチの霊訓(1)」を渡して別れました。



しばらくして友人から連絡があり、お母さんの人柄が変わったように感じられたとのことでした。

癒しを必要としていたのは、お母さんだったのです。

霊的真理を受け入れる時期が来ていたのかもしれないと思うと、無性にうれしくなりました。



お役に立てることの中でも、必要としている人に霊的真理を伝えることは別格です。

人生を好転させることができるからです。

生まれて来た目的を成就させる方向に導くことができるからです。




2025年3月9日日曜日

自分の愛で癒す


人間が生きて行く上で「愛」は必要か?

答えは人それぞれです。



神聖ローマ帝国である実験が行われました。

時の権力者であったフリードリヒ2世は、「生まれつきの言語は何なのか?」という疑問を持ちました。

その答えを出すために、家来に生まれたばかりの50人の赤ちゃんを集めさせ、乳母たちに以下の条件で育てるように命じたそうです。

赤ちゃんの目を見てはいけない、笑いかけてはいけない、話しかけてはいけない、接するのはミルクを与える時、お風呂に入れる時、オムツを取り替える時のみとする。

出典は定かではありませんが、3才までに49人の赤ちゃんが、残りの1人も6才までに亡くなったと伝えられています。



ルーマニアのチャウチェスク政権(1965~1989年)下でも同じようなことが起こりました。

誤った国策によって、多くの赤ちゃんが捨てられました。

捨てられた赤ちゃんは孤児院に引き取られましたが、職員の数が極端に不足していたため、食事やおむつの交換などの最低限のことしかできなかったそうです。

そんな環境で育った多くの子供たちに、知能低下や情緒障害、自閉症に似た症状が見られました。



先日、市が主催する3歳時歯科検診に行って来ました。

多くの子供は虫歯のない綺麗な歯並びをしていますが、中にはほとんどの歯が虫歯になっている子供がいます。

親が子供のことに関心がない、いわゆるネグレクトが疑われます。

そんな子供たちは他の子供たちに比べて、感情表現に乏しいように感じられます。

現代社会においても、十分な愛情を受けられない子供たちは少なからずいると思われます。



生まれてしばらくの間は、自分で生きることができません。

誰かに守り育ててもらわなければ死んでしまいます。(そのために赤ちゃんは愛くるしく創られていると思います)

守り育てるという行為は、愛情表現に他なりません。



0才から3才までの間に十分な愛情を受けていないと、愛着障害を起こす可能性が高くなると言われています。

将来、愛情を求め過ぎたり、依存したり、人を信じることができなくなったり、愛情表現が上手くできなくなることもあるようです。

また、感情のコントロールが難しくなったり、自己肯定感が低い傾向もあるようです。



それらの症状を改善するために、いくつかの心理学的アプローチがあります。

愛着療法は、過去の愛着パターンを理解して、現在の人間関係にどう影響しているのかを探り、セラピストとの安定した関係を通して、新たな愛着の関係を得るものです。

認知行動療法は、過去の愛情不足によって生じた否定的な自己認識や不安を修正するものです。

いづれも専門家の指導が必要となります。



チャウチェスク政権下で孤児院に入れられた子供たちの中で、早期に里親の元で暮らせるようになった子供たちには症状の明らかな改善が認められました。

適切な愛情を受けられるようになったからと考えられます。



食事と水さえあれば、肉体は生きて行けます。

けれども、精神的に健やかに成長して行くためには、愛が必要と考えられます。



理由もなく、怖れや不安が生じる人がいます。

そんな人は、記憶の空白期間である乳幼児期に十分な愛情を受けていないために、世の中に対する安心感が獲得されていない可能性があります。

もし、いたたまれなくなるほどの恐怖が生じているのであれば、虐待などを受けてトラウマになっている可能性があります。



今までに自分に起きた事象と、その時にどう想って、どう行動(表現)したかが、時系列的に魂(オーラ)に刻まれています。(死後に全人生を回想します)

乳幼児期に起きていた事象と、それにより生じていた想いが紐付けされています。

何かをきっかけにして顕在意識に上って来ると、得体の知れない怖れや不安として感じられることがあります。




愛されなかったことによって生じていた怖れや不安を解放できるのも「愛」です。

以前、トラウマに苦しんでいる人を癒す方法はないかと思っていたところ、「今の自分がその時の自分に愛を与えることで想いを解放させる(癒す)ことができる」と伝わって来ました。

当時インナーチャイルドの概念を知りませんでしたが、ほぼ一致していたことに驚いた覚えがあります。



具体的なやり方です。

まず、心の中にその時の自分を思い浮かべます。

写真があれば、その写真に写っている自分の瞳を見つめます。

その時の自分に向かって「つらかったね」「さみしかったね」「怖かったね」など、共感する言葉をかけます。

「私がいるから大丈夫だよ」「もう何も怖くないよ」など、安心させる言葉をかけて下さい。

そして「大好きだよ」「愛しているよ」と言いながら心の中で抱きしめてやって下さい。

何よりも大切なのは、愛おしむ想いを伝えることです。



学びのために、愛情を与えない親を選んでいる時もあるでしょう。

苦痛を味わうことで、過ちを償っている時もあるでしょう。

そのどちらでもなく、親の自由意志によって愛情が与えられなかった時もあります。



自分に非がないのに、苦しむ必要はありません。

神の公正は完全です。

閉じ込められた想いは、涙となって表現されて、解放できるはずです。

根気よく、少しずつ、傷ついている魂をご自分の愛で癒して下さい。







2025年3月2日日曜日

神の愛


何のために生きているのだろう?

子供の頃、漠然と考えていました。

やがて大人になり、慌ただしく生活する中で、そんな疑問もどこかへ行ってしまいました。

40代になり、人生を変えるような出来事が立て続けに起こり、霊的真理(シルバーバーチの霊訓)と出会います。

その中に答えが書いてありました。



この世を生きる目的は、自分を成長させるためです。

生まれる前にいた世界では経験できないことを経験して、大切なことを学ぶためです。



学ぶべき最も大切なものは「愛」です。

愛は五感に触れません。

五感に触れない愛を、地上での経験を通して魂が感じ取り、その意味を深く学んでいます。



なぜ、そこまでして愛を学ばなければならないのか?

「愛があればこそ全宇宙が存在する」

シルバーバーチの霊訓にはこう書かれていましたが、当初はその意味が判りませんでした。

今も学びの途中ですが、こんなことを考えています。


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宇宙はバイブレーションでできています。

物質も生命も、固有のバイブレーションを放っています。

人間から放たれている思念もバイブレーションです。

その中で最も振動数の高い(波長の短い)ものが「愛」と考えられます。



「神は無限の愛」と言われます。

ただ、地上の人間が考える愛とは、全く次元の異なるものと考えられます。

限りなく高いバイブレーション(愛)を放つ無限のエネルギーと考えていますが、どんなに言葉を尽くしても神を表現することはできません。



神からバイブレーション(エネルギー)を受け取っているのが魂と考えています。

魂は神とつながった神の一部です。



魂が受け取ったバイブレーションは、自我により思念というバイブレーションに変換されて、地上ではそれが肉体で表現されて完結していると考えられます。

神からのバイブレーションは、媒体である自我を経由するごとに、低いものへと変わって行くと考えられます。



地上は最も低い物質的バイブレーションの世界です。

それに相応して、低いバイブレーションの思念も放たれています。

怒りや憎しみは、魂が受け取ったバイブレーションが、地上の自我の働きにより変化したものと言えます。

シルバーバーチは「憎しみの中にも神が宿っている」と言っていますが、元は神のバイブレーションだからと考えています。


物質と物質を引き付ける物理的な力が「引力」です。

魂と魂を引き付ける霊的な力が「愛」です。

肉体に閉じ込められた魂が、愛を表現することによってつながって行きます。

ばらばらに存在している人間(生命)が、愛によって霊的に1つになって行く計画が立てられていると考えています。



怒りや憎しみや恨みや嫉妬などの愛に反する想いは真逆の作用を示し、反発し合います。

お互いを遠ざける力と言えます。



世界の多くの場所で、苦しみ痛みや悲しみや怖れが生じています。

最たるものが戦争であり、愛に反する行いによってもたらされる悲惨な結果を目の当りにしています。

被害を受けた弱者が泣き寝入りをし、飢えて死んで行く人もいます。

傍観している私も、神から見れば、愛に反する行いをしているのかもしれません。



あらゆる行いに対して、神の法則が働いています。

愛を表現すれば喜びが生まれ、愛に反する想いを表現すれば苦しみや痛みが生まれるのも、法則の働きによるものです。

苦痛を与えたら、その償いとして苦痛が与えられるのもそうです。

法則の働きを知らずに、大きな罪を犯している人たちを見ていると哀れになります。


私たちは神からのバイブレーション(エネルギー)を受け取りながら生きていますが、未熟な自我でも自由意志が与えられているので、愛に反する行いをしてしまいます。

人は誰でも苦痛を感じたくはありません。

喜びと苦痛を与える法則を通して、愛を学び、表現する方向へと導かれています。



「愛は摂理の成就なり」

イエス・キリストはこう語っています。

摂理(法則)の中に、神の心が顕現しています。

神の心を表現させるものが「愛」と言えます。



宇宙は神のエネルギーで創られています。

宇宙を経綸している法則に、神の心が顕現しています。

神が愛であるならば「愛があればこそ全宇宙が存在する」という言葉の通りです。



大げさな表現ではなく、愛が全てであり、全てが愛です。

五感が前面に出ている地上では、そのことが極めて分かりにくくなっています。

次の世界に移行して、五感が取り払われて霊的な感覚が前面に出ると、自然に感じられるようになるでしょう。



怖れや不安を感じながら生きる必要はありません。

神の愛の中で生きているからです。

神のバイブレーション(愛)が感じられなくなる地上において、そのことを強く信じることができれば、喜びを感じながら生きて行けるはずです。




2025年2月23日日曜日

成長して行くための意志を培っている


人間の行動には、必ず意志が先行しています。

何を食べるか、何を着るか、どこに行くかなど、自分の意志で1つ1つ決めながら、行動しています。

今、このブログを見ているのもそうです。

意志が生れなければ、何も始まりません。



行動しなければ、生きていけないのが地上です。

生活するために働かなければいけませんし、家事もしなければいけません。

私たちは、行動する意志を持ち続けながら生きています。


死んで私たちが行く世界は違います。

肉体がないので、生活するために行動しなくても済みます。

意志を持たなくても生きて行ける世界です。


生きる目的は、霊的に成長することです。

シルバーバーチの霊訓にはこうあります。

「魂は親切、寛容、同情、愛、奉仕を通して成長するのです。」

愛を表現することで人は成長しますが、表現しようとする意志がなければ何も始まりません。

目的を果たすために、意志を持ち続けなければ生きて行けない地上に生まれると考えられます。



霊界では、意志(意念)が直ちに具現化します。

地上は物質(肉体)を介して、具現化することになります。

例えば、希望する学校に入りたいと思えば、試験を受けて合格しなければならず、そのために勉強をしなければいけません。

意念を具現化するために、肉体的、精神的な労力を必要とします。

地上では、労力が報われるとは限りません。

たとえ報われなかったとしても、それまでの労力は意志を培うことにつながっています。



小学校低学年の時に、九九(掛け算)を覚えました。

その時は、何でこんなものを覚えるのだろうと思いました。

ところが後になり、九九が生活して行く上で活かされることを知りました。

漢字もそうであり、覚えていて良かったと思う時があります。



人生で起きる出来事もそうかもしれません。

その時は、何でこんなことが起きたのかと思います。

死んだ後の世界では、霊的な目が見開かれます。

原因と結果の連鎖が繰り返されているのが分かるようになり、後の人生のために欠くことのできない出来事であったことを知ります。



時には、生きる目的を奪ってしまう出来事も起こります。

生きる目が奪われた中で生きるのは、とても苦しいものです。

苦しみの中で、霊的に目覚める人がいます。

真実を受け入れ、それまでの苦しみから解放され、新たに目的を見つける人がいます。

それこそが、地上に生まれた目的である人もいるでしょう。



生きる目的をなくした中で生きることにも意味があります。

息をするのも、食べようとするのも、生きようとしているからです。

ただ生きているだけであっても、生きようとする意志が培われています。

霊界では経験できないことを経験しているのです。



霊界に行くと、意識が全てになります。

周りには、自分と意識を共有できる人たちが集まっています。

肉体がなくなることで、自分と他者との境界が曖昧になります。

自分への執着が弱まり、意識は周りへと向かうようになります。



生きる力は神の力であり、愛を帯びています。

そのために、周りのために何かをしようとする意志が、自然に生まれるようになります。

地上を生き抜くことで培った意志は、周りのために何かをしようとする意志となります。



困難や障害に出会った時に、人は何とかして乗り越えようとします。

「光と闇、日向と日陰は、1つのものの2つの側面です。闇がなくては光の存在は分からず、日影がなくては日向の有難さも分かりません。人生の苦難は、魂の成長を促す手段です。困難や障害や不利な条件は、全て魂の試練です。それを1つ1つ克服するたびに、魂は強さを増し、清さを増し、深みを増し、本性を高めるのです」と、シルバーバーチの霊訓には書かれています。

自分の成長のために必要だと、魂は自覚しています。

生まれる前に決めていたことであれば、それしか選択しようがありません。



成長とは、より高い愛を、より強い意志で表現できるようになることだと思います。

愛が見えなくなり、愛に反する想いが存在し、生きて行くために労力を伴い、苦しみや痛みの存在する地上だからこそ、成長して行くための意志を培うことができます。



「魂の宝はそうやすやすと手に入るものではありません。もしも楽に手に入るものであれば、何も苦労する必要などないでしょう。痛みと苦しみの最中にある時はなかなか得心がいかないものですが、必死に努力し苦しんでいる時こそ、魂にとって一番の薬なのです。」シルバーバーチの霊訓にはこうも書かれています。

大変な時こそ、大切な時のようです。



死んで持って行けるのは、霊的な財産だけです。

地上で大変な思いをして得た財産は、本来の住処に戻って、周りのために活かされます。






2025年2月16日日曜日

病気を癒す


仕事で毎日のように虫歯や歯周病になった患者さんを診ています。

病気には必ず原因があります。

虫歯や歯周病は、プラークと言う細菌の塊によって引き起こされます。

従って、ブラッシングを丁寧に行って、プラークを取り除いてしまえば、病気になることはありません。


人間は肉体、精神、霊(魂)から成り立っています。

全ての病気は、肉体(物質)的、精神的、霊的、どこかの次元に原因が存在しています。

細菌は(顕微鏡下で)目に見えるものなので、虫歯や歯周病は物質的次元に原因があると言えます。



虫歯や歯周病でなくても、歯を抜かなければいけない人が多くなって来ました。

それは、歯根破折と言って歯の根が真っ二つに割れてしまった時です。

歯に持続的に力が加わることによって、歯根破折は起こります。

その大きな原因となっているのは就寝時の歯ぎしりです。

歯ぎしりは昼間のストレスを発散するために行われ、食事をする時の5~10倍の力が歯にかかると言われています。

また、甘い物を食べることでストレスを解消しようとする人がいて、すぐ虫歯になってしまう人もいます。

私の医院を訪れる患者さんは、ストレスと言う精神的次元に原因がある人が多いと感じています。



胃潰瘍やうつ病もそうです。

精神的次元に原因があり、肉体(脳)に異常を引き起こしている病気は少なくありません。

けれども、医学の対象はあくまでも肉体(物質的次元)です。

根本的に治すのには、精神的次元に踏み込まなければいけないのですが、それができないために対処療法に終始することになります。


人生において、さまざまな出来事が起きます。

その時に、さまざまな感情が生じています。

うれしいことが起きれば微笑み、腹立たしいことが起きれば眉間にしわを寄せ怒り、悲しいことが起きれば目から涙が出ます。

生じた感情は、肉体で表現されることによって完結しています。

感情は肉体に変化を起こすエネルギーと言えます。



ところが現代社会では、感情を表に出せない局面が多くあります。

上司から理不尽なことを言われても、怒ることはできません。

部下の態度が悪くても、安易に怒れない時代になっています。

いわゆる感情が抑圧された状態になることが多いです。

感情が表現できずに溜まっている状態を、ストレスとして感じていると考えられます。

運動したり、お酒を飲んだりして、ストレスを発散しようとする人は少なくありません。

これは内に溜まっているエネルギーを、別の形で解放させようとしていると考えられます。



感情の中には、恐怖や不安など解放されにくいものもあります。

2016年のカナダの研究では、幼児期に虐待を受けた人は、成人後にがんを発症するリスクが約47%高いと報告しています。(2020年のアメリカの研究でも同様な結果が出ています)

全ての現象は、自然法則(因果律)の働きによって起きています。

解放されない感情が溜まったことが原因となり、結果として肉体上に病気が生じることがあると考えています。

もし心当たりがあるのならば、目を閉じてその時の自分を心の中で思い浮かべて、優しく抱きしめて、親愛の言葉をかけてみましょう。

その時の感情が、涙となって解放されるかもしれません。




霊的次元にも病気の原因(目的)があります。

必要な霊的な資質を得るため、成長を促すための人もいるでしょう。

苦痛を通して、過去の過ちを償うための人もいるでしょう。

寿命が来て、次の世界に移行するための人もいるでしょう。



「いのちのポラリス」というNPO法人があります。

そこには、現代医療に頼らないでがんを自分で治した人たちが集っています。

治った人たちに共通しているのは、がんになり生き方や考え方が大きく変わったことです。

がんを治すためには、それまでの生き方や考え方を変える必要があると、異口同音に言っています。



それとは別のグループがあります。

末期がんの患者さんたちが富士登山を行って話題になりました。

リーダーの医師は、手の施しようのなくなった患者さんの中に自然治癒する人がいて、それらの人に共通するものを見つけたそうです。

それは「がんになってからの方が、がんになる前よりもずっと幸せを感じている」と言うことでした。



周囲の人たちには、がんになり人間が変わったように見えるでしょう。

そうではなく、幸せが感じられるような生き方や考え方に変わるために、自然法則(因果律)が働いて、がんになったと考えられます。

医学に頼らずに治ったのは、生き方や考え方が変わったこと、もっと言えば本来の自分の姿を取り戻したことで、がんになった目的が果たされたからと考えられます。



ほとんどの人にとって、病気は全く有り難くないものです。

けれども、霊的に見ると違います。

病気の苦痛は、それまで眠っていた魂を目覚めさせます。

霊的に目覚めることで、霊的に大切なものが分かるようになります。

大切なものが分かることによって、初めて生き方や考え方が変わります。



がんが生じるのは自然現象です。

自然現象は自然法則の働きによって起こります。

神の心が、自然法則の働きの中に込められています。



苦しみや痛みを感じさせるためではありません。

命を奪うためでもありません。

本当の自分を目覚めさせ、大切なものに気付かせるために存在している、神の御業(愛)です。



命の危機を感じなければ、目覚めなかったのです。

命や愛や人生について、思いを巡らすこともなかったのです。



荒唐無稽と思われるかもしれませんが、敢えて言います。

大切なことを教えてくれている、大切な自分の一部に、愛念を向けて下さい。

その想いが病気を癒すことにつながると信じています。





2025年2月9日日曜日

与えられた自由意志


人は1日に何回決断をしているのでしょうか?

ケンブリッジ大学の研究によると、何と3万5千回の決断をしているそうです。

朝、目が覚めたら、起きるか、もう少し布団の中にいるかに始まり、どんな服を着るか、何を食べるか、仕事が始まれば決断の連続です。

決断は労力を伴うものです。

アップルの創始者であるスティーブ・ジョブズは無駄な労力を使わないために、いつも同じ服を着ていたそうです。



さまざまなことを決められるのは、他の動物たちと違って人間に自由意志が与えられているからです。

自由意志があって良かったと思いますが、決めたことに対して責任が伴うことを忘れてはいけません。

20年以上前ですが、過った行いをして行政処分を受けて、大変苦しい思いをしました。

その時に霊的真理と出会い「因果律の働き」を思い知りました。

いっそのこと自由意志などなければ、過ちを犯さず、苦しい思いをしなくて済むのにと思いました。



けれども、自由意志がなければ、シルバーバーチが言うようにただの操り人形になってしまいます。

自由意志が与えられたのには、何か理由があるはずです。


宇宙を創造した神は完全です。

私たち人間は、神の心を表現する宇宙の一部として創られました。

けれども、極めて不完全な存在です。



シルバーバーチの霊訓にはこのように書かれています。

「完全が存在する一方には不完全も存在します。しかしその不完全も完全の種子を宿しております。完全も不完全から生まれるのです。完全は完全から生まれるのではありません。不完全から生まれるのです。」

不完全な私たちにも、完全(神)が宿っています。



別のところで、こうも書かれています。

「こう考えるとよろしい。光と鏡があって、鏡が光を反射している。鏡が粗末であれば光の全てを反射することはできない。その鏡を磨いて立派なものにすれば、それだけ多くの光を反射することになります。」

私たちは完全な光(神)を宿していますが、映し出す媒体(自我)が不完全なために、そこから放たれる光も不完全なものになってしまいます。

媒体(自我)が進化するのに従い、表現も完全になって行きます。



完全な神が、何故不完全な存在を創ったのかは分かりません。

それでも、こんな風に思えるのです。

完全(100%)は変化しようがありません。

不完全であればこそ、完全に向けて変化の余地が残されています。

完全へ向けての変化が進化であり、進化こそが生命創造の目的になっていると考えています。



変化しているのは生命だけではありません。

物質もミクロの原子からマクロの宇宙まで常に変化しています。

神の創ったもの全てが、自然法則の働きによって、進化して行きます。



生命(魂)には、完全に向けて進化しようとする根源的な欲求が存在しています。

けれども、人間には自由意志があります。

そのために、完全とは違う方向に行ってしまうこともあります。



自然法則の働きの中に、神の心が顕現しています。

自由意志により不完全さが表現されると、自然法則(因果律)が働いて、苦痛を伴う事象が生じます。

わがままばかりを言っていると、疎外されるのもそうです。

孤独という苦痛を経験して、不完全な表現(わがまま)を改めて、協調的な行いをするようになります。

自然法則の働きによって、神の心を学びながら、完全に近づいて行きます。



神の意図は完全です。

無駄なものは一切ありません。

全ての生命は、全体のために役割りがあって存在しています。

それぞれが役割りを果たすことによって、全体に調和が生まれ、美しくなって行きます。

そして個の進化が促されます。

個々が進化することで、全体が進化して、神の意図する世界となって行きます。



神は進むべき方向を、良心の声として示しています。

進化を妨げる行いをしようとすると、良心が咎めるようになっています。

いざ行ってしまうと、良心の呵責を感じるようになっています。



生れる前に決めていたことであれば、それを知っている霊的な自我(インディビジュアリティー)は、その方向へ進もうとします。

進化のために計画された人生であることを忘れてしまっている地上の人のために、守護霊が付いています。

目的を果たすために、生涯に渡って守り導いています。



見捨てられることがないのは、神は自然法則の働きとして顕現しているからです。

良心の声を無視したり、守護霊の働きかけに気付かず、進化を妨げる方向に行ったとしても、自然法則の働きにより苦痛を伴う事象が生じ、過ちに気付いて、進化を促す方向へと軌道修正されます。



明日も、たくさんのことを決めなければいけません。

大切な決断をする時は、直感を信じるようにしましょう。

直感とは、霊的なインスピレーションです。

霊的な自我(インディビジュアリティー)の訴え、内在する神(良心)の声、あるいは背後霊の働きかけを、インスピレーションとして受け取っていることがとても多いです。

自分の頭で考えたことよりも、広く、深く、先まで見渡せています。



時に直感は、難しい方、避けたい方、面倒な方向を指し示すかもしれません。

けれども、その方向は自らの学びや成長につながっているので、後悔することはありません。



進化を促す方向に行くのか、進化を妨げる方向に行くのかを決めているのは自分です。

決めたことに対する責任を地上の人に取らせるために、守護霊と言えども干渉できません。

無事に進化を促す方向に進んで行くことを決めたのなら、惜しみのない援助を始めるでしょう。



どんなに抗ったとしても、結局は神の心を表現する方向へと進んで行くことになります。

もしそうであるならば、遠回りをしないで、最初からそちらに行く方が良いのに決まっています。





2025年2月2日日曜日

良い種を蒔く

   
          

種が地面に落ちます。

しばらくすると、地面から芽を出します。

そして陽を浴びながら生長して行きます。

そのどれもが自然現象です。



全ての自然現象は、自然法則の働きによって支配されています。

この世界の秩序は、自然法則の働きによって保たれています。



自然法則の根幹を為すのは「因果律」です。

原因があれば結果が生じ、結果には原因があります。



生命が誕生するのも自然現象です。

自然法則の働きによって、私たちは生まれて来ています。



(地上の)生命の誕生とは、受胎の瞬間です。

肉体と生命(魂)が結合し、地上の人生が始まります。

受胎という自然現象が結果ならば、その原因は受胎前にあるということになります。


病気には原因があります。

タバコを吸えば肺疾患に、お酒を飲み過ぎると肝疾患になるリスクは高くなります。

神経を遣い過ぎると、胃潰瘍になる時もあります。



多くの遺伝性疾患は原因不明とされています。

受胎時に遺伝性疾患は生じるので、原因は受胎前にあります。

ところが、医学では受胎前に生命は存在しないことになっています。

原因は物質的次元ではなく霊的次元にあると考えられるので、受胎前に生命が存在していることを認めない限り、医学で突き止めることは不可能です。



霊的次元の病気の原因(目的)は、自分に足りない資質を手に入れるためかもしれません。

持っている資質をより向上させるためかもしれません。

過去の人生で拵えた借りを返すためかもしれません。

いづれにせよ、霊的成長に関わっているのは間違いありません。



種には、生長と繁殖と言う目的(原因)が宿されています。

その結果として芽が出ますが、それには十分な水分、適度な温度、土壌が適しているなどの条件が整っていなければなりません。



人間も同じと考えられます。

成長という目的が存在しなければいけません。

それに適した環境がなければいけません。

少なくても、この2つの条件が整わない限り、生まれて来ることはないと考えています。





生まれる前にいたのは、ストレスフリーな世界です。

肉体がないので、食べて行くために働く必要もなく、病気の苦しみや痛みもありません。

周囲には自分と似た人しかいないので、人間関係で苦しんだり悩むこともありません。

争いはなく、平和で穏やかな世界です。




そんな世界を離れて、苦しみや痛みや争いが存在する地上に、どうして生まれて来たのでしょうか?

シルバーバーチの霊訓にはこう書いてあります。

「地上の人類はまだ痛みと苦しみ、困難と苦難の意義を理解しておりません。が、そうしたもの全てが霊的進化の道程で大切な役割を果たしているのです。過去を振り返ってごらんなさい。往々にして最大の危機に直面した時、最大の難問に遭遇した時、人生で最も暗かった時期がより大きな悟りへの踏み台となっていることを発見されるはずです。」

苦痛や困難を伴う出来事が起きる世界だからこそ、その経験を通して学べる大切なことがあるようです。




およその人生は、生まれる前に決まっています、

無限の叡智によって、個々の目的を果たすために最適な人生が立案されます。

その人生を了承して、私たちは母体に宿ります。

いざ生まれてしまうと、その時の記憶が上って来ることはありません。(一部の幼児などは除く)


小学生の時、休日に父に連れられて映画を観に行きました。

「007」シリーズの映画でしたが、父は時間がなかったのか、途中から館内に入りました。

その時スクリーンに映っていたのは、ジェームズ・ボンド(主人公)がカーチェイスをしているクライマックスシーンでした。

しばらくするとジェームズ・ボンドは敵に勝利し、映画が終わりました。

当然のことですが、その前を観ていないので、何でカーチェイスをしているのか、さっぱり分かりませんでした。



人生も同じような気がします。

今の人生は、過去からつながっています。

けれども、私たちが知ることができるのは、生まれてから現在までです。

何で起きているのか分からない出来事は、知ることができない過去の人生に原因(目的)があるのかもしれません。



分からなかった原因(目的)は、寿命が来て生まれる前にいた世界に戻ると分かるようになります。

全ての出来事が、因果律の働きによって連綿と続いていて、遠い過去から現在に至っているのが分かります。

偶然や不運ではなかったことが分かります。



途中から館内に入った父と私ですが、最初から観ることにしました。

何とつまらない時間だったでしょう。

感動も半減でした。

クライマックスシーンとその結果が分かっていたからです。

それまでの物語の展開は、クライマックスシーンに向けて準備されたもののように感じられました。



もし、計画されている「人生のシーン(出来事)」が分かっていたらどうでしょう?

映画と同じようにつまらなく、感動のないものになってしまうような気がします。

地上にいる私たちは、過去も未来も知る必要はなく、今を精一杯生きていれば良いのです。



この人生は過去の人生の結果と言えます。

同時に、未来の人生の原因となっています。

蒔いた種を刈り取りながら、種を蒔いているのです。



良い結果を収穫したいのであれば、良い種を蒔くしかありません。

良い種とは、神の心に叶った行いです。

それは難しいものではなく、誰かのために何かをすることです。

もっと簡単に言うと、よろこぶことをすれば良いのです。

許すことも含まれるでしょう。



よろこぶことをすれば、よろこびとなって返ってきます。

形を変えて返って来ることもあります。

今生ではなく、来世で返って来ることもあるでしょう。



因果律の働きは完璧です。

神の心に叶った生き方は、魂の成長となって結実します。






2025年1月26日日曜日

霊的な自我(意識)を見い出す


若い頃「何で生きているのだろう」と漠然と考えていました。

死んで無になるのであれば、生きている意味は極めて希薄になります。



意味がないのであれば、面白おかしく生きようとするかもしれません。

高い地位やお金を手に入れることを目的にして生きるかもしれません。



けれども、そんな生き方をしていては物足りなさを感じます。

何故なのでしょうか?



お腹が空いている時に食べると、満足感が得られます。

けれども、食べたものが消化されて、またお腹が空くと満足感はなくなります。



お金や地位を手に入れると、よろこびを感じます。

けれども、時間が経つと、もっとたくさんのお金、さらに高い地位が欲しくなります。

最高の地位を手に入れたとしたら、今度は手放したくなくなります。

地上的な欲求には際限がないからです。



私たちは生活して行くために働かなければいけません。

働いている時に、人に喜ばれたり感謝されたりするとよろこびを感じます。

そんなよろこびを感じたいために、頑張って働いている人も少なくありません。



私の家では、約20年前から動物の保護活動を行っています。

それまでつらい思い、寂しい思いをしてきて来た犬や猫たちが、新しい家族に迎え入れてもらい、幸せに暮らしている姿を見るとよろこびを感じます。



お金や地位を手に入れた時のよろこびと、人に喜ばれたり、感謝されたり、誰かが幸せになった時のよろこびは違います。

前者のよろこびは、時と共に消えてしまいます。

けれども、後者のよろこびは、その時を思い出す度に感じることができます。



地上の人間は、肉体を携えた霊(魂)です。

霊(魂)とは生命であり、意識の源泉です。



地上の人間は、地上的な自我(意識)と霊的な自我(意識)の2つ自我(意識)が存在していると考えられます。

お金や地位などを手に入れてよろこびを感じているのは、地上的な自我と考えられます。

喜ばれたり、感謝されたり、誰かが幸せになるとよろこびを感じているのは、霊的な自我と考えられます。



死んで霊界に行くと、地上的な自我はなくなり、霊的な自我でよろこびを感じるようになります。

霊的な自我は永続性があるために、そこで感じているよろこびにも永続性があります。

地上的な自我は束の間の存在であるために、そこで感じているよろこびを追い求めても虚しくなるだけです。



地上的なものにしかよろこびを感じなかった人は、霊的なよろこびがあることを知りません。

死んでもなお、地上的なよろこびを追い求めようとしますが、対象はもう存在しません。

よろこびが感じられない世界で生きることになります。



霊的なよろこびを感じながら地上を生きていた人は、霊的な自我が活きていたので、霊界に行っても直ぐに馴染むことができます。

地上よりもはるかに強く霊的なよろこびが感じられるようになります。

人はよろこびを感じていたい生き物です。

喜んでもらうために、誰かの役に立つような生き方をするようになるでしょう。



神の心が自然法則の中に顕現しています。

喜ばれたり、感謝されるとよろこびを感じるのは、その行いが自然法則の働きに適っているからです。

悲しませたり、傷つけたりするのは、自然法則に反した行いなので、苦痛を感じる事象が返ってきます。

よろこびと苦痛を通して、私たちは神の心を学んでいます。



霊的な意識の中に神がいます。

悪いことをしたくないと思うのは、神が良心となって顕現しているからです。



つらいことがあると、逃げ出したくなります。

逃げ出そうとするのを、霊的な自我(意識)が押し留めています。

つらくても生き抜くことが今生に生まれて来た目的であること、そして目的を果たした後に大きなよろこびが待っていることを、霊的な自我(意識)は知っています。



魂(霊)の存在を認めなければ、生きている意味を見い出すことができません。

何故なら、生きている意味は、自分の本質である魂(霊)を成長させることにあるからです。

そのために地上に生まれ、さまざまな経験をしています。



経験を通して、霊的な自我(意識)を見い出す人がいます。

そんな人は、他者のよろこびの中に、真のよろこびがあることに気付くでしょう。





2025年1月19日日曜日

今を生きるために意志を持つ


去年の12月26日に、愛犬の金太郎が亡くなりました。

金太郎は兄弟犬のはなと我が家で生まれ、母犬のしろと共に暮らしていました。

3匹は近寄ったり、匂い嗅いだりしてお互いの存在を常に確認していましたが、日々衰弱して行く金太郎の様子を、はなとしろは少し離れたところから見ていてました。



金太郎の魂が肉体から離れる時が来ました。

全く動かなくなった金太郎を見て、犬たちが死を認識していたのかは分かりません。

それでも、はなの瞳からは別れの悲しみのようなものを感じました。



人間は動物より精神(自我)が発達しています。

精神が発達するのに伴い、感情も豊かになって行きます。

人間と共に暮らし、愛情を受けた動物たちは自我が芽生え、さまざまな感情を表現するようになります。

嫉妬という感情も生まれ、人間に近づいています。

また、人間の感情を識別していると思う時があります。

悲しんでいたり、落ち込んでいたりすると、寄り添って顔をなめて慰めようとします。



金太郎を散歩に連れて行く時に使っていたリードを見ると、元気な時の姿が思い出されて、(元気でいるのは分かっていても)悲しくなってしまいます。

はなとしろは、何事もなかったかのように元気にしています。



人間は過去を思い出します。

思い出しては、感傷に浸ったり、後悔したり、時に怒りや憎しみが生まれる時もあります。

もちろん動物にも過去の記憶はあるでしょうが、生きて行く上で必要のないことは思い出さないと考えられます。



人間は未来を予測します。

予測しては、不安になったり、心配したり、恐れを抱いたりします。

動物も未来を予測するでしょうが、生きて行く上で必要のないことは予測しないと考えられます。



動物たちが元気なのは、今を生きているからです。

それに比べて人間は、過去や未来に捉われて、必要のない感情が生じることによって、生きる力が奪われていると思います。



感情は精神(自我)から生まれています。

精神の上位には、意識の源泉である魂が存在しています。

魂からは、意志(意念)が生まれています。

意志があるところに、感情は生まれません。



1947年、インドがイギリスから独立しました。

その立役者となったのがマハトマ・ガンジーです。

ガンジーは強い意志で、非暴力を貫き通しました。

非暴力という意志を持つことにより、敵対する者への怒りや憎しみの感情が生まれるのを防いでいたと考えられます。

ガンジーだけではなく多くの国民も、同じ意志を持つことにより、感情的にならなかったので、目的が成し遂げられたと思います。(怒りを爆発させたら武力で封じ込められていたでしょう)




アルピニストが断崖絶壁を登って行く姿を見る度に、怖ろしくてとても自分には出来ないと思います。

もちろん彼らにも「怖い」と言う感情はあるはずですが、それよりも「登る」という意志の方が上回っているので、挑戦することができると考えられます。

シスパーレに挑む平出さんと中島さん(2024年7月没)



誰もが同じような経験をしています。

仕事や趣味などに没頭すると、それまであった感情を忘れています。

意念は感情に優っているのです。





死んで霊界に行くと肉体がなくなり、地上的な苦しみから解放されます。

何もしなくても生きて行くことができる安楽な世界です。




霊界においても、生きる目的は魂の成長です。

何もしなければ、成長もありません。

自分の意志で何かをして、それにより周りが良くなれば、自分も良くなって(成長して)います。




時間が存在する地上では、過去の記憶や未来の憶測が付きまとい、そこから苦しみを伴う感情が生まれます。

その感情に支配されないためには、意志を持つことが必要です。

地上で意志を培うことは、(時間がなくなり)今を生きている霊界での成長につながります。




胸に手を当てると、自分の意志を感じ取ることができます。

心臓の鼓動は、地上を生きようとしている魂の現れです。




2025年1月12日日曜日

大切なものを見つけ出す世界に生きている


人間が生きて行くために必要なものは何でしょう?

お金と答える人が多いかもしれません。

確かに、お金がなければ生活して行くことはできません。



それよりも大切なものは空気です。

何を当たり前のことをと思うかもしれませんが、空気がなければ数分で死んでしまいます。

存在が感じられないものほど大切な気がします。


鏡に映る肉体が自分ではありません。

奥に控える、存在が感じられない魂が、その人の本質です。



魂とは生命です。

魂から湧き出す生命力によって、私たちは生きています。

魂が完全に抜け出した肉体は活力を失い、崩壊が始まります。



生命力は神の力です。

神の心を表現する力です。

けれども、地上では肉体があるためにそうなりません。



魂と肉体の間に精神(自我)が存在しています。

自我は肉体と深く結びついています。

自分のことが1番大切に思えるのはそのためです。



自分(魂)の想いと、頭で考えることが違うのは良くあります。

子供の時、道端でないている子猫を助けてやりたくても、連れて帰ると親に怒られてしまうと考え止めてしまう時がありました。

大人になるのに従い自我の働きが強くなり、本当の自分(魂)の想いに気付きにくくなります。



自分の想いよりも、自我の欲求を優先してしまうと、いろいろな問題が生じます。

生まれて来た目的を忘れて、地上的なもの、お金、地位などを手に入れようと躍起になってしまう人もいます。

地上的なものを手に入れても、永続的な満足は得られないので、際限がありません。



そんな生き方は、霊的な成長を妨げています。

自然法則の働きに反した生き方に対して因果律が働いて、最適なタイミングでそれを改めるための出来事が起きます。



ある人は病気になり、ある人は挫折や絶望を味わう出来事に遭遇するかもしれません。

深刻な出来事は、自我に隠れて眠っていた魂を目覚めさせます。

霊的に目覚めると、それまで手に入れようとしていたものが、価値のないことに気付きます。



意識していなかった、目に見えない大切なものに気付く人がいます。

そこから生まれて来た目的を成就する方向に進み出す人がいます。


聖フランチェスコ

アッシジの聖フランチェスコもそうでした。

若い時は、物質欲にまみれた享楽的な生活をしていましたが、戦争で捕らえられ幽閉され、病気になったことをきっかけにして、霊的に目覚めたと考えられます。

その後、神と隣人に仕える道に進んで行きます。



運命を呪ったり、神を憎んだりしてはいけません。

全ては因果律の働きにより起きています。

因果律の働きには、創造した神の心が込められています。

悪い方向に向かっているように思えても、善い方向に向かうために起きているのです。



もしかしたら、自分のために、自分で決めていたことかもしれません。

真相を知らないことから生れる感情に振り回され続けたら、目的を果たせなくなります。




地上の人が空気の大切さに気付かないように、霊界にいると霊的に大切なものはありふれた存在になってしまうために、その大切さに気付きにくくなります。

そこで、霊的なものが分からなくなる地上に生まれます。

地上での出来事を通して、大切なものを見つけ出し、深く学んで、魂に刻み込んで行く人生が計画されます。



大切なものを見つけ出した人は、それを表現しようとするでしょう。

霊界に戻ってもそれは続いて、自律的に成長して行けるようになります。



最も大切なものは「愛」です。

地上を悩ましている問題は、愛によって解決します。

言い方を変えると、愛の欠如によってさまざまな問題が起きています。



愛を表現することは、生命が存在する意味そのものと考えられます。

宇宙の進化を促し、創造の目的を成就させて行くものだからです。




参考資料:「フランシスコの平和の祈り」


2025年1月5日日曜日

伝えたい真理


今から20年前、突如ヒーリングの力が出て、直ぐ後に霊的真理と出会いました。

そこには、全く知らなかったことが書かれていました。

本当にそうなのか?と思っていたところに、自分の過ちが原因で大きな問題が起こりました。(詳しいことは過去のブログに書いてあります。)

「因果律の働き」を思い知らされました。

窮地に追い込まれて行く中で「乗り越えらえない出来事は起きない」という真理にしがみつきました。

この2つの真理をきっかけにして、他の真理も受け入れて行くことになります。




こここまで自分が変わるとは思いませんでした。

望ましい方向に自分を変えてくれた真理を、他の人にも伝えたいという欲求が生まれました。

伝えた人の中に、真理を受け入れてくれた人たちがいます。

その人が伝えることによって、また受け入れる人たちがいます。

このようにして真理は少しずつ広まって行きます。





家の電灯が点くのは、発電所から電線でつながっていて、電気が流れて来るからです。

離れていてもヒーリングが成立するのは、送り手と受け手との間に目に見えないつながりががあって、それを通して力が伝わるからです。

言葉を超えて分かり合える瞬間があるのも、霊的につながっているからです。





無限に広がる宇宙の中で、地球は1つのユニットです。

地球には、たくさんの生命が存在しています。

それぞれの生命にそれぞれの役割りがあります。




例えば、血を吸う蚊にも、植物を受粉させる役割りがあります。

幼虫のボウフラにも、バクテリアや有機物を摂取して水を浄化する役割りがあります。

道端の雑草も、動物が生きて行くために必要な酸素を作り出す役割りがあります。

人間が知らないだけで、全ての生命に役割りがあります。




他の生命と関わり合うことで、役割りを果たしています。

動物たちは人間を癒しています。

人間は愛情を注ぐことで、動物たちの進化を促しています。




身体には、さまざまな種類の細胞があります。

それぞれの細胞は、身体を維持するために必要不可欠な存在です。

それと同じで、それぞれの生命は全体を支えるために必要不可欠な存在です。

同じ血液が流れることで全細胞が生かされ、つながっているように、それぞれの生命に同じ(生命)力が流れることによって全生命は生かされ、つながっています。

全生命が、1つの生命と言えます。




地球で最も進化した生命は人間です。

他の生命と違うのは、全体を意識できるところです。

全体を意識して、全体を考える役割りが与えられているのです。




全体を意識することなしに、自分たちのことばかりを考えていたら、調和が失われます。

周囲の組織を押しのけて拡がるガン細胞のような存在になってしまいます。

全体のために何ができるのかを考えれば、調和を取り戻すことができます。





「私たちは霊的につながっていて1つである」

この真理が広まれば、戦争や飢餓や動物の虐待など痛ましい出来事は起こらなくなるでしょう。

利己主義、唯物主義は影をひそめ、平和で平等な望ましい世界に変わって行くはずです。

絵空事のように思う人がいたとしても、多くの人に伝えたいと思います。

個が変わることで、世界が変わると信じているからです。







2024年12月29日日曜日

悲しみの意味


悲しみとは何でしょうか?

望んでいないことが起きた時、特に何かを失った時に生まれることが多いです。

他の感情と違い、涙が流れます。  


        
人が亡くなった時の悲しみの深さは、どの程度のつながりだったかによって決まります。

例えば、顔見知り程度の人は、表面(地上)的なつながりなので、それほど悲しむことはありません。

仲良くしていた人は、内面(精神)的なつながりがあるので悲しみが生まれます。

数はぐっと少なくなりますが、さらに深い部分でつながっている人もいます。

人だけでなく動物と深い部分でつながっていることもあります。



霊界では、霊的なつながりを通して思念が相互に行き来しています。

テレパシーの世界と言っても良いでしょう。

この世は本質(魂)が物質(肉体)に包まれている世界です。

思念を直接伝えることができないので、五感で分かる形(言葉)に置き換えて伝えています。



言わなくても想いが分かり合えていた人は、霊的につながっていると考えられます。

予定されていた通りに、この世で出会った人も、霊的につながっていると考えられます。

そんな人が亡くなると、他の人とは比べものにならないほどの深い悲しみを味わうことになります。


        

「何故、死んでしまったのか?」

いくら考えても答えは出ません。



生まれるのも、老いるのも、病気になるのも、死ぬのも自然法則の働きによるものです。

そこに偶然は存在しません。

何らかの原因(目的)があります。



自然法則を創ったのは神です。

法則の中に、神の心が顕現しています。



神は無限の愛です。

愛によってもたらされるのは悦びです。

法則の働きによって、私たちは悦びを感じる方向へと導かれているのです。



けれども、死によってもたらされるのは悲しみです。

この世を中心にして考えてはいけません。

死んだ後に行く世界が、本来の住処です。



住民の心は、本当の生きる喜びに満たされ、適材適所の仕事に忙しく携わり、奉仕の心にあふれ、お互いに自分の足りないところを補い合い、充実感と生命力と喜びと輝きに満ちた世界です。」シルバーバーチの霊訓にはこう書かれています。

想像している以上に、悦びを感じながら生きています。

この世の人に、そのことを分ってもらいたいのです。



分かったとしても、五感で存在を感じられなくなった現実は不動です。

行き場を失った想いが、悲しみとなります。

その悲しみにも目的があるはずです。



深い悲しみは、魂を覚めさせます。

目覚めた魂が、目に見えない大切なものを見つけます。

「愛が全て」

この真理に辿り着くために、霊的につながった人との別れを経験する計画が立てられたと考えられます。



この世で別れを経験するのは、愛を深く学ぶためです。

何のために、そこまでして愛を学ばなければならないのでしょうか?



生命は進化して行くように定められています。

霊的な進化とは、より高い次元の愛を表現するようになることです。



愛は魂を引き付ける力です。

ばらばらになった個々が、愛を表現することによって、霊的に1つになって行くように世界は創られていると考えられます。

その構想の中に、私たちは組み込まれています。



この世にいる私たちは、出来事の原因(目的)を知ることができません。

そのために、理不尽、不公平、不運、不幸な出来事として捉えてしまいがちです。

次の世界に行くと、原因(目的)を知ることになります。

無限の叡智により立案された出来事が、因果律(法則)の働きによって起きていたことを知ります。

起こるべくして起きた出来事により、自分がどう変わって行ったのかを目の当たりにします。



向かっているところは1つです。

神の心を表現できるようになることです。

そのために地上に生まれ、さまざまな経験をしています。

自らが経験することによって、人と想いを共有できるようになります。

想いが共有された瞬間、慈しみの想いが生まれて、神の心が表現されます。



悲しみは、その人がこの世を生きた確かな証です。

霊的につながっていた証です。

つながりを通して、想いを交わし合っていた証です。



死によって、つながりが断たれることはありません。

信じることさえできれば、以前のように想いを交わし合うことができます。

愛し合うことができるのです。



2024年12月22日日曜日

この世に生まれた理由


生きていると、思い通りにならないことがたくさんあります。

仕事が思った通りに行かずに、未熟さを痛感する時があります。

ずっと健康でいたいと思っていても、病気になる時もあります。

人との関係も思うように行くとは限りません。

思い描いていた人生とは、違う方向に進んで行くことがあります。



死んだ後に行く霊界では、思い描いたことが直ちに具現化されます。

家に住みたいと思えば、思い描いた通りの家が目の前に現れます。

SF映画のようですが、思念が全ての世界なのでそうなります。

そんな世界を離れて、地上に生まれて来たのは、何か理由があるはずです。



霊界では目の前にある山の頂に立ちたいと思ったら、次の瞬間、頂に移動しています。

地上では、頂に立ちたいと思えば、自分の足で登って行かなければいけません。

霊界の方が楽に目的が達成できて良いようにも感じられます。

        

頂に立ちたいと思い、山を登り始めたとします。

登っているうちに、大自然の中で自分がいかに小さな存在なのかを自覚して、謙虚な気持ちになる人もいるでしょう。

崖を登る時には、勇気を出さなければいけません。

仲間で登れば、助け合うことやチームワークの大切さを学ぶことになるかもしれません。

アクシデントが起きた時、どう対処したら良いのかを、自分で考えなければいけません。

険しい山道を登って行くことで、体力と精神の限界が進展する人もいるでしょう。



たくさんの汗をかきながら、困難や障害を乗り越えて来たからこそ、頂に立った時に感激を味わうことができます。

もしヘリコプターで頂まで連れて行ってもらったとしたらどうでしょうか?

同じような感激を味わうことはできません。

思ったことが瞬時に具現化される霊界ではできない、貴重な経験を地上でしていると思います。



思い通りにいかず悔しい思いをしていると書きましたが、良く考えてみると、初めから思い通りに何でもできたとしたら、学ぶことは何もありません。

悔しい思いをして、自分に何が足りないのか、どうしたら良いのかを、悩んだり考えたりします。

思い通りに行かない地上の方が内省する機会に恵まれ、何かに気付いて、自分を変えることができると考えられます。



ところで、自分1人だけで生きられるでしょうか?

自分で食料を調達しなければいけません。

住む家も、自分で作らなければいけません。

暖を取るために、薪を集めて自分で火を起こさなければいけません。

着る服も必要です。

1人で生きて行くことは、極めて難しいと思われます。

私たちの生活は、自分ができないことを、誰かにやってもらうことで成り立っています。



1人では生きて行けない地上で、互いに助け合う「相互扶助」の精神を学んでいると考えられます。

それは、肉体がないために(衣食住の心配がなく)1人でも生きて行ける霊界において、学ぶのは難しいと考えられます。



相互扶助の精神は、極めて大切な霊的な資質です。

その精神が発揮されることで、全体に調和が生まれて、霊的な一体化が促進されます。



人に何かをして、人に何かをしてもらう、この営みを地上で毎日のように繰り返すことによって、誰かのために何かをしようとする意志が培われていると考えられます。

誰かのために何かをすることで、人は成長します。

霊界で自律的に成長して行くために、1人では生きて行けない、この地上に生まれて来たと考えられます。



2024年12月15日日曜日

完全な愛を内に秘めている



地上に生まれて63年が経ちました。

およそ人生の3分の2が終わったわけですが、生まれる前に計画した通りに生きて来られたのか気になるところです。

40歳半ばでヒーリングの力が出て、直ぐに霊的真理に出会いました。

このブログを書いているのも、計画の一環に違いありません。

何故、こんな計画が立てられたのか?

もしかしたら、過去生で宗教に携わっていて、過った教義を広めてしまい、その罪滅ぼしをしているのかもしれません。

向こうの世界に戻ったら、原因(目的)が分かるでしょう。




先週の日曜日に、ある講演を聴きに行きました。

大変な苦労をしながら、医療の1分野を確立した講師の姿に感銘を受けました。

「やり残したことはない。今の自分に満足している。」と言っていたのが印象的でした。




その方に限らず、歯を喰いしばって生きなければならない時期があります。

何故、ここまでしなければならないのか? 

そんな疑問を抱きながらも、諦めることができずに、やり遂げようとします。

生れる前のことを、奥底にいる自分は知っています。

そこで立てられた計画の通りに生きようとします。

元いた世界に戻った時に、後悔したくないからです。




これまでの人生で、どんな想いを抱き、どんなことを言い、どんな行いをして来たのか、その1つ1つが相応の結果を生み出しています。

原因と結果の連鎖を繰り返しながら、今に至っています。

今の自分は、過去の自分の結果であり、集大成と言うことになります。




過去は、如何にしても変えることはできません。

自由にできるのは、今だけです。

未来の自分は今をどう生きるかで変わります。

それ故に、今を大切にしなければいけません。




私の家には3匹の犬がいます。

のんびりと昼寝をしたり、夢中になって遊んでいる姿を見て、こう思います。

「過去に捉われず、未来を考えずに、今を生きている」




自分はどうでしょうか?

過去を思い出しては、悔やんだり、怒ったり、悲しんだりしています。

未来を考えては、心配したり、不安になったり、憂いたりしています。

そんな感情が心の中を支配している時があります。




さまざまな感情が生まれるのは、地上を生きて行く上で必要なことです。

攻撃されて「怒り」の感情が湧き上がらなければ、為すがままになり、生存を脅かされるかもしれません。

高い所に立って「恐怖」を感じなければ、足を踏みはずして命を落としてしまうかもしれません。

それらは自分を守るために生まれている感情です。



元いた世界に戻ると、脅かすものはなくなります。

自分を守る必要がなくなり、それらの感情から解放されます。

肉体がある限り解放されるのは難しいのですが、地上特有の感情であることは知っておくべきです。

地上特有の怖れや不安、怒りや悲しみなどの感情から解放されている時、今を生きていると言えるのかもしれません。




私たちの本質は魂です。

魂からは、感情とは別次元の「意念」が生まれています。

意念が生まれている時、そこに感情はありません。

何かに夢中になっている時、感情から解放されています。

それは、意念が感情に優っているからです。

魂に自我(精神)は従っているからです。




魂から生じている意念の中で最も強いのは「愛」です。

愛は全ての感情を心から解き放つ力を持っています。

愛で満たされている時、怒りや悲しみなどの感情が入り込む余地はありません。




神は完全な愛です。

魂は神の一部です。

私たちは完全な愛を内に秘めているのですが、自我が未熟なために表現することができません。




解決不能な出来事に直面し、徹底的に追い詰められた時、それまであった自我は瓦解し、奥で眠っていた魂が目覚める人がいます。

本来の自分を見い出し、計画されていた通りに生き始める人がいます。

内に秘められていた愛に気付く人がいます。




動物を見て可愛いと思うのもそうです。

道に倒れている人がいると助けようとするのもそうです。

大切な人が亡くなると悲しいのもそうです。

喜んでもらうとうれしいのもそうです。

平和を願うのもそうです。

秘められた愛が、さまざまな形となって表現されています。




愛を表現することで調和が生まれ、全体は1つになって行きます。

内に秘めている完全な愛を表現できるようになるために、私たちは地上に生まれ、さまざまな経験をしています。







2024年12月8日日曜日

変わるために生まれて来た


社会は目まぐるしく変化しています。

私の仕事においても、新しい手法やマテリアルが次々と開発されています。

新たな技術に取り組むのはリスクを伴い、身に付けるまでに労苦があるので、現状のままで行きたい気持ちがあります。

現状のままでいるのは安全で楽ですが、取り残されてしまう可能性があります。

どちらか迷った時は、後悔のないように進んで行きたいものです。


宇宙は一瞬たりとも休むことなく進化しています。

人間は宇宙の一部です。

私たちは、宇宙全体と共に進化して行く運命にあります。



人間はさまざまな面を携えて生まれて来ます。

自然法則の働き(神の心)に適っている面もあれば、適っていない面もあります。

先日、中学時代の同窓会がありました。

50年近くの歳月を経て、容姿には大分変化がありましたが、性格は思ったほど変わっていないように感じられました。

当時、嫌だなと感じていた同級生のある面がなくなっていることに気付きました。



いくつかの面を挙げてみます。

寛容心、親切心、共感力、忍耐力、誠実さ、利他性、公平さ、責任感、思慮深さ、柔軟性、意志力、勇気、思いつくだけでもこれだけありますが、他にもたくさんあるでしょう。

それぞれの面に対極があり、それらの面が組み合わさって、個性が生まれていると考えています。



持っている面が、自然法則の働きに適っていないとします。

例えば、自分勝手な面を持っていたとします。

「利己的」なその面を表現すると、周囲の人に内在する神(良心)が瞬時に反応します。

子供でしたら「いけない」と感じて、注意をしたり、時に仲間外れにしたりすることもあるでしょう。

社会に出て、自分勝手なことばかりをしていたら、会社をクビになるかもしれません。

結婚していたら、離婚されるかもしれません

周囲から返って来るものは、往々にして苦痛を伴うので、自分勝手な言動を改めるようになります。



不寛容な人は、自分が失敗した時に厳しく咎められるかもしれません。

不誠実な人は、信用を失い、誰からも相手にされなくなるかもしれません。

協調性のない人は、疎外されて、孤独になるかもしれません。

神の心に適っていない面は、自然法則の働きにより、不快で不利益な結果が返って来ることで正されて行きます。



私たちが死んだ後に赴く霊界は快適な世界です。

けれども自分が変わるのは難しいようです。

変わる必要に迫られないからです。

そこで地上に生まれて来ます。

苦しみや痛みを伴う経験することで、必要に迫られて、何かを学びながら変わって行きます。



どうしても変われないのであれば、何か理由があるのかもしれません。

変われないために生じる苦しみを味わうことで、過去の過ちを清算している可能性があります。

清算が終われば、苦しみから解放されます。



初めて地上に生まれた人間は、ダイヤモンドの原石のようなものです。

内部にある神の光は遮られてしまいます。

何度も地上に生まれて、さまざまな経験をすることによって、いくつもの面が磨かれて行きます。

たくさんの面が磨かれることによって、眩しい光(オーラ)を放つようになります。


自然法則の働きの中に、神の心が表現されています。

自然法則の働きによって、神の心が表現できるように変わって行きます。

それが魂の成長と考えています。



私たちは自然法則の働きにより変わって行きますが、自らが進んで変わることもできます。

そのためには、知識と意志と勇気が必要です。

知識がなければ、どう変われば良いのか分かりません。

変わろうとする意志がなければ、変わることはできません。

勇気が欠如していると、変わろうとする意志が削がれ、そのままでいたい気持ちが強くなります。



変わる、変わらない、どちらでも選択できます。

けれども、私たちは全体と共に変わって行く運命にあります。

変わらない方を選択したとしても、運命づけられているのであれば、先送りをしているだけです。



ずっと留まっているのは、全体の流れに逆らっていることになります。

そのために苦しいのかもしれません。

勇気を振り絞って、前に進んで行くことで、苦しみから解放されるかもしれません。

全く予想もしなかった世界が、その先に見えて来るかもしれません。



この人生が全てではありません。

果てしなく人生は続いて行きます。

前に進もうとする勇気、変わろうとする意志は、次の世界で成長しようとする意志になると考えられます。

自らの意志で自律的に成長して行くために、変わることで苦しみから解放される地上に生まれて来たと考えられます。




2024年12月1日日曜日

幸せになるために生まれて来た


昔、ある国に王様がいました。王様は広大な領地を治め、金銀財宝を持っていましたが、なぜかいつも心が晴れず、不満や焦燥感に悩まされていました。宮殿の中で「どうして私はこれほどの富と権力を持っていながら幸せではないのだろう?」と考える日々を送っていました。

ある日、王様はその答えを見つけるために、王宮を離れて旅に出ることにしました。国中を歩き回りましたが、心が満たされることはありません。

旅の途中、一人の農夫に出会いました。彼は質素な服をまとい、麦畑で額から汗を流し、歌を口ずさみ微笑みを浮かべながら働いていました。働き終えた農夫が休憩をとっている時、王様は近づいて尋ねました。

「農夫よ、きつい仕事をしているのに、どうしてそんなに幸せそうなのだ?」

農夫は少し驚いた様子で、笑顔で答えました。

「陛下、それは簡単なことです。私は自分に必要なものがすべて揃っているからです。家族は健康で、毎日こうして畑を耕すことができ、食べ物を手に入れることができる。それだけで十分幸せです。」

王様は納得がいかず、さらに尋ねました。「だが、お金や豪華な衣装、大きな家を持ちたいとは思わないのか?」

農夫は再び微笑み、「もちろん、大きな家やお金があればうれしいかもしれません。でも、それがなくても私は十分に幸せなのです。毎朝太陽の光を浴びることができ、働ける健康な体がある。それ以上のものを求める必要はありません。」と言いました。

王様はその夜、農夫の言葉を思い返しながら宿に戻りました。農夫が何も持たずに幸せを感じられる理由が分からず、さらに悩みました。しかし、よく考えた末に気づきました。

「この農夫は、自分に与えられたものに感謝し、毎日の小さな喜びを見つけ、楽しむ習慣を持っている。私はすべてを手に入れようと焦り、今あるもののありがたさを見逃していたのだ。」

王様は宮殿に戻ると、今あるものに感謝する習慣を作り始めました。毎朝起きるたびに、健康であることや家族、臣下の忠誠を思い返し、それに感謝する時間を持つようにしました。すると次第に、不満や焦燥感が薄れ、心の平穏が戻ってきたのです。(終わり)

この逸話を読んで、目に見えるものを追い求めても幸せにはなれない、人は何かに感謝することで幸せを感じ、不平や不満を持つことで不幸せを感じるようになっていると思いました。



誰でも幸せばかりを感じていたいものです。

けれども、地上ではそうは行きません。

自分と似通った人たちばかりいる霊界と違い、地上は違う人たちに囲まれて生活しなければいけません。

そのため人間関係で苦労します。

人と比べては、羨ましがったり妬んだりもします。



霊界では自分が望むことだけをしていれば良かったのですが、地上はそれだけでは生きて行けません。

気が進まないこと、やりたくないこともしなければいけません。

そんなこともあり、つい不平や不満を口にして、自分が不幸せに思えてしまう時があります。



そんな地上に、なぜ生まれて来たのでしょうか?

霊界と地上で、明らかに違うところがあります。



霊界は一極の世界です。

真実しか存在しません。

光しか存在しません。

善しか存在しません。(地上近くは除く)

愛しか存在しません。(地上近くを除く)



地上は二極の世界です。

真実だけでなく偽りも存在します。

光だけでなく影も存在します。

善だけでなく悪も存在します。

愛だけでなく憎しみも存在します。



病気になって、健康のありがたさが分かると良く言われます。

冬の寒さがあって、春の温かさを感じることができます。

対極のものが存在して、初めて認識できるものがあります。



神は法則です。

法則を貫いているのは、完全なる愛です。

私たちは、法則に従って成長して行く存在です。

生きている究極の目的は、永遠の時をかけて完全な愛を表現できるようになることです。



霊界は想念の世界であり、愛に実体があります。

ありふれた存在となっているため、愛を学ぶのにはかえって難しいです。



愛は五感に触れるものではありません。

従って、地上では何もしないで認識することは困難です。

愛を想起させる出来事を経験することで、初めて認識できます。

あるいは、愛が波動として伝わって来て、魂が共鳴して認識することもあるでしょう。

怒りや憎しみなど比較対照となる地上ならではの感情があることによって、愛を鮮明に認識することができます。



「戦争」の対極にあるのが「平和」です。

「差別」の対極にあるのが「平等」です。

どちらが望ましいのか、言わずと知れています。

戦争や差別はあってはなりませんが、望ましい「片方」を学ぶために存在しています。



平和で平等な世界にするためには、互いを許し合い、認め合わなければいけません。

許し合い、認め合うためには、自我を鎮めて、全体を想う心(神の心)を表現する必要があります。

地上を悩ましている事象は、愛を表現することで根本的に解決することを、苦しみや痛みを味わいながら学んでいます。

大切な教訓を学ぶために、対極のものが存在する地上に生まれ、それに相応しい経験をしています。



明るい日差しの中で、ロウソクの光を認識するのは難しいです。

暗闇の中で、輝き出します。

この世で不幸と言われる出来事を経験しなければ、見つけることのできない幸せがあります。

両者は一対であり、片方だけが欲しいと言っても、それはできないのです。



不幸とは心が作り出している実体のないものです。

実体がなければ、心で消し去ることができるはずです。

前述の逸話のように、今の自分にないものではなく、あるものに意識を向けて感謝することができれば、不幸として感じられなくなるはずです。



今の自分には何もないと言う人もいるかもしれません。

人は生れる環境を自分で決め、どのような人生を辿るのかも了承しています。

全ての出来事は、神の法則(因果律)の働きによって起きています。

そこに、偶然や運が入る余地はありません。



全責任を神が負った上で、出来事は起きています。

神の心は愛であるがゆえに、最後には悦びを感じるように取り計らわれています。



たとえ地上で悦びを感じることができなかったとしても、出来事は必ず清算されます。

本来の住処である霊界で、学び成長できたことに悦び感じ、そのために地上の出来事が起きていたことを理解します。

完全な公正が働いていたことを、神に感謝するでしょう。