今も昔も、学校に通っている子供たちにとって嫌なものは試験でしょう。
テスト用紙が配られた時、採点されて返って来る時の緊張感を思い出します。
点数を見ては、一喜一憂したものです。
試験なんてなければ良いのにと思ったのは、1度や2度ではありません。
だからと言ってなければ、勉強するモチベーションは大きく失われてしまうのも確かです。
この世は、学び成長するための「学校」と言われています。
私たちはこの世と言う会場で、壮大な試験を受けているのかもしれません。
この世では、決められている「問題」が出されます。
人生で起きる出来事がそうです。
もし学校の試験に出る問題が分かっていたらどうでしょう?
学生たちは喜んで、そこだけを勉強して終わりにする人が多いでしょう。
出来事が予め分かっていたらどうでしょう?
そのことに捉われてしまう人が多いでしょう。
何の前触れもなく出来事が起きるのは、今を大切に生きるためです。
その瞬間、どう捉えて、どのような答えを出すのかが問われているのです。
大学生に足し算や引き算の問題を解かせても意味がありません。
その逆に、小学生に微分積分の問題を解かせるのは無理があります。
今まで勉強してきたことの、少し延長線上にあることを身に付けさせるのが適当です。
霊的な資質を、身に付けさせるために必要な出来事が、人生のどこかで起こります。
悩みながら、苦しみながら、ぎりぎりまで追い詰められたとしても、必ず克服できます。
何故なら、必要な出来事は法則(因果律)の働きによって起きているからです。
その法則は、神の心(愛)によって創られているからです。
挫折させるためでも、絶望させるためでも、苦しませるためでもありません。
その人を学び成長させるために起きています。
学校のテストは先生が採点します。
答案を返された生徒は、何が間違っていたのか、何が不足していたのかを知り、勉強し直します。
人生で行ったことは、神により採点され(計られ)ています。
正確に言うと、神が創った法則の働きにより、どう行動したのかが問われていて、相応の結果が生まれます。
生まれた結果から、私たちは何かを学ぶようになっています。
問われているのは、行動だけではありません。
行動の動機(想い)に対しても、法則が働いています。
例えば、お金を寄付するにしても、売名行為でする人もいれば、そうでない人もいます。
多額の寄付をしても自分の利益のためであれば霊的な価値はなく、少額であっても他者のためという想いがあれば価値があります。
今、世界各地で戦争が起きています。
戦争を始めた人たちは、正当な理由(動機)を主張しています。
けれども、その裏には、権力を誇示するため、地位を守ろうとするため、あるいは名声を高めるためなど、利己的な動機が隠されている場合が多いと考えられます。
その動機に対して法則が働いて、結果責任を取らなければならないことを、彼らは知りません。
死んであの世に行けば、固執していた権力や財産は、全く意味を失います。
丸裸になって、放り出されたような、心細い心境になるでしょう。
そして、この世の人生を振り返る時が来ます。
自分が取った行動の全てが、360度のスクリーンのようなものに映し出されます。
どんな想い(動機)で行動したのかも、同時に思い出すことになります。
自分の決断によって、たくさんの人が死に、傷つき、苦しみ、そして悲しんでいるのを目の当たりにします。
利己的な動機によって与えた痛みや苦しみは、因果律の働きによって、自分に返って来ます。
良心の呵責から生まれる、苦しみや痛みは強烈なものとなります。
償い切れないほどの罪の大きさに、後悔と絶望は計り知れないものになります。
そして、自分のせいで命を奪われた人たちから、怒りや恨みの念を受けて、怯えることになるでしょう。
彼らの姿をニュースで見るたびに、こんなことを想像してしまいます。
同じ戦争でもこのような話があります。
第二次世界大戦下のドイツ上空で、アメリカ軍のBー17爆撃機が飛行困難になるほどの大きな損傷を受けました。
ドイツ空軍の戦闘機パイロットのフランツ・シュティグラーは出撃命令を受けて、撃墜できる位置までBー17に接近しました。
しかし、機内には多数の負傷者がいて、機銃も使えない状態であることが見て分かりました。
シュティグラーは撃墜する代わりに、機体を護衛するように並んで飛び、ドイツ領空から安全な方向へと誘導して、敬礼をして立ち去ったとされています。
彼が取った行動が公になれば、軍法会議にかけられる可能性が極めて高いです。
そのリスクを冒してでも撃墜しなかったのは、彼の良心が激しく抵抗したからと思われます。
シュティグラーは2008年に亡くなっていますが、あの世でその出来事を振り返った時に、良心に従って行動して良かったと、胸を撫でおろしていたのかもしれません。
そして、自身の決断によって助かった多くの人(魂)たちから、感謝の念が向けられていることに気付いて、喜びを感じていたと想像しています。
良心の声に従って行動すれば、たとえその後に困難が待ち受けていたとしても、あの世で後悔することはありません。
この世は試験会場であり、法則(神)によって採点されています。
学べなかったこともあるでしょう。
間違いもあるでしょう。
神の法則を貫いているのは「愛」です。
学べなかったとしたら、次で学び直すことができます。
どんなに大きな間違いをしても、次で正すことができます。
この世に何度も生まれて来るのは、私たちの成長を願う神の愛の御業に他なりません。
この世を生きる上で大切なのは、神の計らいを信じて、良心に従って行動をすることです。
自分に正直になると言っても良いでしょう。
動機を問い質し、他者の喜びや笑顔のためであれば、迷わず行動に移すことです。


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