人は何のために生きているのか?死んだ後はどうなるのか?その明確な答えが「シルバーバーチの霊訓」の中にありました。本当の自分とは魂です。この世を生きるたった1つの目的は、魂を成長させるためです。人生で出会う障害や苦難を乗り越えること、人や動物そして社会のために奉仕することで、魂は成長していきます。死んだ後、魂は次の世界に移り、この世を振り返る時が必ず来ます。悔いのない様に、失敗を怖れず、今を大切にして生きましょう。
2025年8月3日日曜日
私たちは霊的に一体
2021年12月5日日曜日
自分を信じて一歩を踏み出す
仕事が休みの朝は、ちょっと遠くまで犬を連れて散歩をしています。
その時に、立ち寄っている神社があります。
村の鎮守さまのような小さな神社ですが、参道には背の高い杉が立ち並び、近所の人たちによって境内は掃き清められ、気持ちの良い空間です。
社の前に立ち、ブログが上手く書けますようにと、今日も祈りました。
ヒーリングをする時も、癒されることを祈念しています。
仕事で失敗が許されない時も、祈りながら臨んでいることがあります。
人前でスピーチする時なども、上手く行くように祈っています。
何かをしようとする時に、無意識に祈っていることが多いです。
以前は、神がいるなどと思わずに、形式的に手を合わせて祈っていました。
今は、霊的真理と出会い、さまざまな体験を通して、神の存在を実感しています。
神は高みから私たちを見下ろしているような存在ではありません。
自然法則の中に、顕現しています。
祈る時に問われるのは、その動機です。
神の心は愛です。
私たちが成長することを望んでいます。
人や動物や社会など、他者のための祈りであれば、自然法則と一致しているので、聞き届けられます。
困難を乗り越えよう、何かに挑戦しようと祈る時も、成長につながるので聞き届けられます。
金持ちになりたい、出世したいと祈っても、地上的な欲望を満たすためなので、聞き届けられません。
選挙の時に、立候補者が「皆様のために頑張ります」と演説しているのを聞きます。
その言葉を聞いて、応援しようとする人もいるでしょう。
けれども、霊界の存在はそう簡単には行きません。
言葉そのものではなく、そこに込められた想いを正確に読み取っているからです。
言葉とは裏腹に、自分の欲を満たすためであれば、聞き届けられないでしょう。
神に向かって祈ったとしても、直接力を貸してくれるわけではありません。
霊界の人たちは、地上に向けてアンテナのようなものを張り巡らしています。
地上の人の想いに同調した霊界の人が感応し、引き付けられます。
そして、祈りが成就されるように、働きかけるようになります。
霊界の人は、地上の人に想い(思念)を送って働きかけています。
送られた思念というエネルギーによって、多様な結果が生じます。
地上の人の不安や心配や怖れが払拭され、前向きな気持ちに変わることもあるでしょう。
やる気で満たされる時もあるでしょう。
道が拓けるインスピレーションが生まれるかもしれません。
思いがけず、助けてくれる人が現れたりするかもしれません。
そんなことがあると、運が良かったと片付けてしまいがちですが、実は霊界からの働きかけによる結果かもしれません。
偶然と思ってはいけません。
神は、地上の人の祈りに同調した霊界の人を通して、その力を顕現していると思います。
「私が勧める祈りの言葉は、たった一言しかありません。〝何とぞ私を人のために役立てる方法を教え給え″――これです。」と、シルバーバーチの霊訓には書いてあります。
これは私の経験です。
心の中で(霊的)奉仕をさせて下さいと祈ると、霊力を必要としている人から、直ぐに連絡がありました。
そんなことが、幾度となく繰り返されるうちに、祈りは霊界に届いて、網目のように張られたネットワークによって、叶えられると思うようになりました。
地上の人が何かを始めようとすると、その想いに感応して霊界も動き始めます。
言い方を変えると、何かを始めようとしない限り、霊界は援助のしようがないと言うことになります。
しかし、この世は霊界と異なり、物質を介して表現をしなければならず、不確実であり、思い通りに行くとは限りません。
失敗もするので、つい二の足を踏んでしまいます。
一歩を踏み出すのに、勇気が必要になります。
何かを始める時には、不安や心配が付きまといます。
それを克服して進んで行かなければならない時があります。
自分を信じて、勇気を出して一歩を踏み出すしかありません。
自分を信じることの大切さは、多くの人たちが訴えています。
けれども、どんな意味なのか、深く考えたことはありませんでした。
地上の人には、2つの自分がいると考えています。
1つは、表に出ている自分です。
日常生活を営んでいる意識であり、地上の顔です。
シルバーバーチの霊訓に書かれている「パーソナリティー」です。
もう1つは、奥に控えている自分です。
非日常的なことが起きた時に表に出て来る意識です。
本当の自分であり、「インディビジュアリティー」に当たります。
インディビジュアリティーを地上で表現するために、パーソナリティーは存在していますが、ある程度の独自性を持っています。
エゴとはパーソナリティーが強くなり、インディビジュアリティーが表現されにくくなっている状態と考えられます。
パーソナリティーは肉体とインディビジュアリティーの間に存在しているため、両者と密接に関係しています。
そのために、表現媒体である肉体を守ろうとします。
火事で家に取り残された人を助けたくても、炎の中に入って行くのを躊躇してしまいます。
人を助けたいと思うのは、インディビジュアリティーの働きです。
インディビジュアリティーの中に神が存在しているからです。
パーソナリティーは炎の中に入れば肉体を失ってしまうと考え、インディビジュアリティーから生じる衝動を抑制しています。
地上ではインディビジュアリティーとパーソナリティーの間で、しばしば葛藤が起こります。
本当はこうしたいと思っても、別の自分が止めさせようとして、その間で揺れ動いてしまう経験は、誰もがあると思います。
インディビジュアリティーは、成長につながる行動を促しています。
パーソナリティーは、地上的な不利益を考えて、インディビジュアリティーの発現を抑制しています。
「自分を信じる」とは、パーソナリティーがインディビジュアリティーを信じることだと考えられます。
さらに言えば、インディビジュアリティーの中の神を信じることです。
神の力が、自分にも秘められています。
自分を信じることにより、神とのつながりが強くなり、目的を成就させる力が、無限の始源から引き出されます。
霊界では肉体が取り払われています。
それにより、神の存在がありありと感じられるようになります。
宇宙全体が神であり、全体を構成する神の一部として自分がいることに気付きます。
神の力によって生かされていることを、はっきりと認識するようになります。
肉体が有する五感では、神も神の力も感じることはできません。
そのために、地上では神の存在を信じなければなりません。
信じるという能動的な作業が、神とのつながりを結果的に深めて行くことになると思います。
祈りは、神とのつながりを深める最も有効な手段だと思います。
シルバーバーチの霊訓には「祈りとは自分の波長を普段以上に高めるための霊的な行為」と書かれています。
乗り越えなければいけないこと、挑戦しなければいけないことが地上で起きるのは、その時に何かに向かって無意識に祈ることにより、神とのつながりをより一層深めるためなのかもしれません。
上手行ったとしても、それは自分の力だけではありません。
何かをしようとする時に、内と外から力が与えられています。
知らずに神の力が働いているので、感謝しなければいけません。
勇気を出して、一歩を踏み出せば、後は何とかなります。




