ラベル 祈り の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル 祈り の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2025年8月3日日曜日

私たちは霊的に一体



人がクマに襲われる事象が多く起きています。

温暖化の影響でしょう、木の実などの食料が山で採れなくなったために、人里に降りて来るようになったと考えられます。

人とクマが出くわした時、人が怖くなるように、クマも怖いのです。

人を襲って来るのは、多くの場合、自分の身を守ろうとしているからと思われます。




今、起きている戦争も同じような気がします。

地上は自分と違う人たちと暮らす世界です。

違う人たちのことが理解できないと、不安に思ったり、警戒したりします。

自分を守ろうとする気持ちが高じると、対象を攻撃してしまうことがあります。

お互いが理解できないことから生じる「怖れ」が争いの原因になっていることが多いと考えられます。




肉体を持つことにより、(地上の)自我が生まれ、そこから怖れが生じます。

外部から自分(肉体)を守るために、怖れを感じることは必要です。

もし感じなければ、高い所から落ちて死んでしまうかもしれません。

ただ、過度な怖れを抱いてしまうと、過度な行動を取ってしまう可能性があります。




過度な怖れを抱かないようにするのには、どうすれば良いのでしょうか?

地上の人間には、外面上さまざまな違いがあります。

けれども、本質は同じ魂です。




魂とは生命そのものです。

神性を帯びた意識です。

困っている人を見ると、何とかしてやりたいと思うのも、私たちに神性があるからです。

嘘を付きたくないと思うのもそうです。

全ての人は神が内在している善なる存在であることを理解すれば、過度な怖れを抱かなくなり、尊ぶようになるはずです。



戦争は、遠い場所で起きている、自分には関係のない出来事のように思えます。

それは違います。

地上で起きていることは、自分にも深く関わっています。




少し話が逸れますが、長い間、盲腸は役割りがない組織と思われていました。

最近になり、腸内の免疫力を高める役割りを果たしていることが分かりました。

全ての細胞(組織)は、全身のために、何らかの役割りを果たしています。

用のない細胞(組織)は存在しません。




それと同じで、全ての人は全体を構成する1部として、何らかの役割りを果たしています。

自分には役割りはないと思っている人がいたとしても、それは分かっていないだけであり、知らずに役割りを果たしているのです。




1つ1つの細胞には、同じ血液が流れていて、全身とつながっています。

1人1人の魂にも、同じ霊(生命)力が流れていて、全体とつながっています。

人と人の間には、目に見えないつながりが存在しています。




戦争により飢えてやせ細ってしまった子供たちを見ると心が痛みます。

それは、霊的なつながりを通して、子供たちの苦しみや痛みを魂で感じているからです。




自分に関係ないと思うのは、自分の身体の一部が傷ついているのに関係ないと思うのと同じです。

霊的な感覚が鈍麻しているせいかもしれません。




肉体はばらばらに存在しています。

けれども、霊的には一体です。

霊界にいる時には、当たり前のように感じられていた霊的な一体感は、地上に生まれてしまうと、自我の働きが強くなるため、分からなくなってしまいます。




それでも、一体感を取り戻す時があります。

危機的な状況に直面すると、意識が一変します。

東日本大震災の時、悲惨な光景を目の当たりにして、霊的な意識が目覚めた人も少なくないはずです。

そんな人は、人とのつながりを意識するようになり、一体感を感じていたと思われます。

もし、お互いの違いを乗り超えて、この一体感を共有できるようになったならば、地上から戦争はなくなるでしょう。




戦争で非道な行いをしている人たちがいます。

そんな人たちを憎むのではなく、哀れみましょう。

神は法則となって顕現しています。

1つ1つの行いに対して、厳格に法則は働いて、苦痛を伴う結果をもたらします。

地上を生きている時に結果が出なくても、霊界に行って内在している神(良心)と向かい合い裁かれることになるからです。




互いの違いを認め合い、許し合うという、神性が発揮されると、争いは回避されます。

遠い先になりますが、神の法則(因果律)の働きによって、いずれ戦争のない世界になります。




今、できることは限られています。

平和な世界になることを祈りましょう。

1人の祈りの力は小さくても、多くの人が祈れば、大きな力となります。

祈る心は、内に平和をもたらし、それが外の平和へとつながって行きます。




「全ての人は霊的に一体」

この事実が少しずつ広まるのに従い、争いのない平和な世界になって行きます。









2021年12月5日日曜日

自分を信じて一歩を踏み出す


仕事が休みの朝は、ちょっと遠くまで犬を連れて散歩をしています。

その時に、立ち寄っている神社があります。

村の鎮守さまのような小さな神社ですが、参道には背の高い杉が立ち並び、近所の人たちによって境内は掃き清められ、気持ちの良い空間です。

社の前に立ち、ブログが上手く書けますようにと、今日も祈りました。



ヒーリングをする時も、癒されることを祈念しています。

仕事で失敗が許されない時も、祈りながら臨んでいることがあります。

人前でスピーチする時なども、上手く行くように祈っています。

何かをしようとする時に、無意識に祈っていることが多いです。



以前は、神がいるなどと思わずに、形式的に手を合わせて祈っていました。

今は、霊的真理と出会い、さまざまな体験を通して、神の存在を実感しています。

神は高みから私たちを見下ろしているような存在ではありません。

自然法則の中に、顕現しています。



祈る時に問われるのは、その動機です。

神の心は愛です。

私たちが成長することを望んでいます。

人や動物や社会など、他者のための祈りであれば、自然法則と一致しているので、聞き届けられます。

困難を乗り越えよう、何かに挑戦しようと祈る時も、成長につながるので聞き届けられます。

金持ちになりたい、出世したいと祈っても、地上的な欲望を満たすためなので、聞き届けられません。



選挙の時に、立候補者が「皆様のために頑張ります」と演説しているのを聞きます。

その言葉を聞いて、応援しようとする人もいるでしょう。

けれども、霊界の存在はそう簡単には行きません。

言葉そのものではなく、そこに込められた想いを正確に読み取っているからです。

言葉とは裏腹に、自分の欲を満たすためであれば、聞き届けられないでしょう。



神に向かって祈ったとしても、直接力を貸してくれるわけではありません。

霊界の人たちは、地上に向けてアンテナのようなものを張り巡らしています。

地上の人の想いに同調した霊界の人が感応し、引き付けられます。

そして、祈りが成就されるように、働きかけるようになります。



霊界の人は、地上の人に想い(思念)を送って働きかけています。

送られた思念というエネルギーによって、多様な結果が生じます。

地上の人の不安や心配や怖れが払拭され、前向きな気持ちに変わることもあるでしょう。

やる気で満たされる時もあるでしょう。

道が拓けるインスピレーションが生まれるかもしれません。

思いがけず、助けてくれる人が現れたりするかもしれません。

そんなことがあると、運が良かったと片付けてしまいがちですが、実は霊界からの働きかけによる結果かもしれません。

偶然と思ってはいけません。

神は、地上の人の祈りに同調した霊界の人を通して、その力を顕現していると思います。



「私が勧める祈りの言葉は、たった一言しかありません。〝何とぞ私を人のために役立てる方法を教え給え″――これです。」と、シルバーバーチの霊訓には書いてあります。

これは私の経験です。

心の中で(霊的)奉仕をさせて下さいと祈ると、霊力を必要としている人から、直ぐに連絡がありました

そんなことが、幾度となく繰り返されるうちに、祈りは霊界に届いて、網目のように張られたネットワークによって、叶えられると思うようになりました。



地上の人が何かを始めようとすると、その想いに感応して霊界も動き始めます。

言い方を変えると、何かを始めようとしない限り、霊界は援助のしようがないと言うことになります。



しかし、この世は霊界と異なり、物質を介して表現をしなければならず、不確実であり、思い通りに行くとは限りません。

失敗もするので、つい二の足を踏んでしまいます。

一歩を踏み出すのに、勇気が必要になります。



何かを始める時には、不安や心配が付きまといます。

それを克服して進んで行かなければならない時があります。

自分を信じて、勇気を出して一歩を踏み出すしかありません。



自分を信じることの大切さは、多くの人たちが訴えています。

けれども、どんな意味なのか、深く考えたことはありませんでした。



地上の人には、2つの自分がいると考えています。

1つは、表に出ている自分です。

日常生活を営んでいる意識であり、地上の顔です。

シルバーバーチの霊訓に書かれている「パーソナリティー」です。



もう1つは、奥に控えている自分です。

非日常的なことが起きた時に表に出て来る意識です。

本当の自分であり、「インディビジュアリティー」に当たります。



インディビジュアリティーを地上で表現するために、パーソナリティーは存在していますが、ある程度の独自性を持っています。

エゴとはパーソナリティーが強くなり、インディビジュアリティーが表現されにくくなっている状態と考えられます。

パーソナリティーは肉体とインディビジュアリティーの間に存在しているため、両者と密接に関係しています。

そのために、表現媒体である肉体を守ろうとします。



火事で家に取り残された人を助けたくても、炎の中に入って行くのを躊躇してしまいます。

人を助けたいと思うのは、インディビジュアリティーの働きです。

インディビジュアリティーの中に神が存在しているからです。

パーソナリティーは炎の中に入れば肉体を失ってしまうと考え、インディビジュアリティーから生じる衝動を抑制しています。

地上ではインディビジュアリティーとパーソナリティーの間で、しばしば葛藤が起こります。

本当はこうしたいと思っても、別の自分が止めさせようとして、その間で揺れ動いてしまう経験は、誰もがあると思います。



インディビジュアリティーは、成長につながる行動を促しています。

パーソナリティーは、地上的な不利益を考えて、インディビジュアリティーの発現を抑制しています。



「自分を信じる」とは、パーソナリティーがインディビジュアリティーを信じることだと考えられます。

さらに言えば、インディビジュアリティーの中の神を信じることです。

神の力が、自分にも秘められています。

自分を信じることにより、神とのつながりが強くなり、目的を成就させる力が、無限の始源から引き出されます。



霊界では肉体が取り払われています。

それにより、神の存在がありありと感じられるようになります。

宇宙全体が神であり、全体を構成する神の一部として自分がいることに気付きます。

神の力によって生かされていることを、はっきりと認識するようになります。



肉体が有する五感では、神も神の力も感じることはできません。

そのために、地上では神の存在を信じなければなりません。

信じるという能動的な作業が、神とのつながりを結果的に深めて行くことになると思います。

祈りは、神とのつながりを深める最も有効な手段だと思います。



シルバーバーチの霊訓には「祈りとは自分の波長を普段以上に高めるための霊的な行為」と書かれています。

乗り越えなければいけないこと、挑戦しなければいけないことが地上で起きるのは、その時に何かに向かって無意識に祈ることにより、神とのつながりをより一層深めるためなのかもしれません。



上手行ったとしても、それは自分の力だけではありません。

何かをしようとする時に、内と外から力が与えられています。

知らずに神の力が働いているので、感謝しなければいけません。



勇気を出して、一歩を踏み出せば、後は何とかなります。