2021年12月5日日曜日

自分を信じて一歩を踏み出す


仕事が休みの朝は、ちょっと遠くまで犬を連れて散歩をしています。

その時に、立ち寄っている神社があります。

村の鎮守さまのような小さな神社ですが、参道には背の高い杉が立ち並び、近所の人たちによって境内は掃き清められ、気持ちの良い空間です。

社の前に立ち、ブログが上手く書けますようにと、今日も祈りました。



ヒーリングをする時も、癒されることを祈念しています。

仕事で失敗が許されない時も、祈りながら臨んでいることがあります。

人前でスピーチする時なども、上手く行くように祈っています。

何かをしようとする時に、無意識に祈っていることが多いです。



以前は、神がいるなどと思わずに、形式的に手を合わせて祈っていました。

今は、霊的真理と出会い、さまざまな体験を通して、神の存在を実感しています。

神は高みから私たちを見下ろしているような存在ではありません。

自然法則の中に、顕現しています。



祈る時に問われるのは、その動機です。

神の心は愛です。

私たちが成長することを望んでいます。

人や動物や社会など、他者のための祈りであれば、自然法則と一致しているので、聞き届けられます。

困難を乗り越えよう、何かに挑戦しようと祈る時も、成長につながるので聞き届けられます。

金持ちになりたい、出世したいと祈っても、地上的な欲望を満たすためなので、聞き届けられません。



選挙の時に、立候補者が「皆様のために頑張ります」と演説しているのを聞きます。

その言葉を聞いて、応援しようとする人もいるでしょう。

けれども、霊界の存在はそう簡単には行きません。

言葉そのものではなく、そこに込められた想いを正確に読み取っているからです。

言葉とは裏腹に、自分の欲を満たすためであれば、聞き届けられないでしょう。



神に向かって祈ったとしても、直接力を貸してくれるわけではありません。

霊界の人たちは、地上に向けてアンテナのようなものを張り巡らしています。

地上の人の想いに同調した霊界の人が感応し、引き付けられます。

そして、祈りが成就されるように、働きかけるようになります。



霊界の人は、地上の人に想い(思念)を送って働きかけています。

送られた思念というエネルギーによって、多様な結果が生じます。

地上の人の不安や心配や怖れが払拭され、前向きな気持ちに変わることもあるでしょう。

やる気で満たされる時もあるでしょう。

道が拓けるインスピレーションが生まれるかもしれません。

思いがけず、助けてくれる人が現れたりするかもしれません。

そんなことがあると、運が良かったと片付けてしまいがちですが、実は霊界からの働きかけによる結果かもしれません。

偶然と思ってはいけません。

神は、地上の人の祈りに同調した霊界の人を通して、その力を顕現していると思います。



「私が勧める祈りの言葉は、たった一言しかありません。〝何とぞ私を人のために役立てる方法を教え給え″――これです。」と、シルバーバーチの霊訓には書いてあります。

これは私の経験です。

心の中で(霊的)奉仕をさせて下さいと祈ると、霊力を必要としている人から、直ぐに連絡がありました

そんなことが、幾度となく繰り返されるうちに、祈りは霊界に届いて、網目のように張られたネットワークによって、叶えられると思うようになりました。



地上の人が何かを始めようとすると、その想いに感応して霊界も動き始めます。

言い方を変えると、何かを始めようとしない限り、霊界は援助のしようがないと言うことになります。



しかし、この世は霊界と異なり、物質を介して表現をしなければならず、不確実であり、思い通りに行くとは限りません。

失敗もするので、つい二の足を踏んでしまいます。

一歩を踏み出すのに、勇気が必要になります。



何かを始める時には、不安や心配が付きまといます。

それを克服して進んで行かなければならない時があります。

自分を信じて、勇気を出して一歩を踏み出すしかありません。



自分を信じることの大切さは、多くの人たちが訴えています。

けれども、どんな意味なのか、深く考えたことはありませんでした。



地上の人には、2つの自分がいると考えています。

1つは、表に出ている自分です。

日常生活を営んでいる意識であり、地上の顔です。

シルバーバーチの霊訓に書かれている「パーソナリティー」です。



もう1つは、奥に控えている自分です。

非日常的なことが起きた時に表に出て来る意識です。

本当の自分であり、「インディビジュアリティー」に当たります。



インディビジュアリティーを地上で表現するために、パーソナリティーは存在していますが、ある程度の独自性を持っています。

エゴとはパーソナリティーが強くなり、インディビジュアリティーが表現されにくくなっている状態と考えられます。

パーソナリティーは肉体とインディビジュアリティーの間に存在しているため、両者と密接に関係しています。

そのために、表現媒体である肉体を守ろうとします。



火事で家に取り残された人を助けたくても、炎の中に入って行くのを躊躇してしまいます。

人を助けたいと思うのは、インディビジュアリティーの働きです。

インディビジュアリティーの中に神が存在しているからです。

パーソナリティーは炎の中に入れば肉体を失ってしまうと考え、インディビジュアリティーから生じる衝動を抑制しています。

地上ではインディビジュアリティーとパーソナリティーの間で、しばしば葛藤が起こります。

本当はこうしたいと思っても、別の自分が止めさせようとして、その間で揺れ動いてしまう経験は、誰もがあると思います。



インディビジュアリティーは、成長につながる行動を促しています。

パーソナリティーは、地上的な不利益を考えて、インディビジュアリティーの発現を抑制しています。



「自分を信じる」とは、パーソナリティーがインディビジュアリティーを信じることだと考えられます。

さらに言えば、インディビジュアリティーの中の神を信じることです。

神の力が、自分にも秘められています。

自分を信じることにより、神とのつながりが強くなり、目的を成就させる力が、無限の始源から引き出されます。



霊界では肉体が取り払われています。

それにより、神の存在がありありと感じられるようになります。

宇宙全体が神であり、全体を構成する神の一部として自分がいることに気付きます。

神の力によって生かされていることを、はっきりと認識するようになります。



肉体が有する五感では、神も神の力も感じることはできません。

そのために、地上では神の存在を信じなければなりません。

信じるという能動的な作業が、神とのつながりを結果的に深めて行くことになると思います。

祈りは、神とのつながりを深める最も有効な手段だと思います。



シルバーバーチの霊訓には「祈りとは自分の波長を普段以上に高めるための霊的な行為」と書かれています。

乗り越えなければいけないこと、挑戦しなければいけないことが地上で起きるのは、その時に何かに向かって無意識に祈ることにより、神とのつながりをより一層深めるためなのかもしれません。



上手行ったとしても、それは自分の力だけではありません。

何かをしようとする時に、内と外から力が与えられています。

知らずに神の力が働いているので、感謝しなければいけません。



勇気を出して、一歩を踏み出せば、後は何とかなります。



4 件のコメント:

あさよ さんのコメント...

自分を信じて一歩を踏み出す
私も仏壇の家族に手を合わせ祈ります
何かをする時無事におこなえるようにと
いくみ様と同じ無意識に祈っています。
全てに結果がでるわけではありませんが
心穏やかに踏み出せます。

乗り越えよう、踏み出そうとする、祈りは
成長につながるので聞き届けてもらえるのですね

この数年
色々あり過ぎてゆっくり下気持ちなれずにいますが
祈り、主人に話かけ
なんとか過ごして来ました。

いくみ様にもお世話になり
感謝です。

イクミ さんのコメント...

あさよ様

おはようございます。
無意識に祈っているのですね。
霊的真理により、祈りは霊界に届いていることが判りました。
あさよ様の祈りは波動となって、守護霊を始め、ご主人や弟さんお母様、ご先祖様に伝わっています。
成長につながる真摯な祈りであれば、叶えられるように、援助してくれます。
いつ、どんな時でも、1人でないことを忘れてはいけません。

地上の人に求められているのは、勇気を出して一歩を踏み出すことです。

紀子。 さんのコメント...

イクミ様

彼が亡くなり2年と11ヶ月が過ぎました。
今でも彼と話したこと、全部覚えています。
彼の声も忘れそうになる時もありますが、ちゃんと覚えています。

最近では夢で会える事もなくなりましたが毎日彼と会話しています。

いつもお前の傍にいる。
安心しろ。大丈夫。
ちゃんと迎えに行く。

そう伝えてくれています。

お前に早く会いたい。
そう伝えてくる時は、もうすぐ行くから待ってて

そう返事をしています。

自殺したら会えないのでこらえています。

来月の命日の頃、もう一度彼の住んでいた街に行こうかと思っています。
イクミ様は、時間が経ってこの世への執着もなくなり彼はそこにいない。
そう教えて下さいましたが、何となく私の気持ちが行こう。
そう思っているのでそうしようと思っています。

私の残りの人生が後どれくらいかと考えるととても不安です。
後どれくらいこんな気持ちを持ち続けないといけないのかと思うと、先が見えない不安に襲われます。

これも私が成長する課題なのでしょうか。

彼に会ってまた以前のように沢山話しを聞きたいです。
得意そうに話してくれた彼の声が聞きたいです。

紀子

イクミ さんのコメント...

紀子様

おはようございます。
命日が近づいているのですね。

会話をしているそうですが、ようやく自分の存在を信じてくれるようになって、安心していると思います。
しかし、向こうの世界で待っていると信じるようになるほど、早く会いたい気持ちが募ってしまいますね。
残りの人生がどれ位になるのか判りません。
彼が急に逝ったように、あなたも明日その時が来るのかもしれません。
悲しく苦しい日々が続いたとしても、あなたの魂にとって必要だからこそ、神の摂理により起きていると考えて下さい。
今のこのつらさは、先で必ず報われます。

繰り返しになって申し訳ありません。
向こうの世界が私たちが本来いる世界です。
目的を持って、この世に生まれて来ています。
彼のいない世界を1人生きることによって、最も大切なものは何かを深く学んでいます。
それが目的の1つになっていると思います。
成長は目に視えるものではありませんが、着実にしていると思います。

彼の住んでいた街に行く件ですが、あなたの魂が行きたがっているように思います。
何かが見つかるかもしれません。
彼もお供をするでしょうが、気を付けて行って来て下さい。