2026年8月16日日曜日

生命は霊的につながっていて1つである


6500万年前、メキシコのユカタン半島に隕石が衝突しました。

その衝撃で直径160Kmのクレーターができて、地球規模で気候変動が起こり、恐竜が絶滅したと言われています。

もし隕石が衝突していなければ、今も恐竜が闊歩していて、その陰で人間はひっそりと暮らしていたのかもしれません。



現在、地球上の生命の頂点にいるのは人間です。

他の生命に比べて、格段に知性が発達しています。

言葉により高度なコミュニケーションができ、さまざまな物を作り出しています。



知性の発達は、人間を幸せにしているのかと言えば、そうとも言えません。

アインシュタインの優れた知性により、相対性理論が発見されました。

しかしながら、その発見により原子爆弾が作り出されました。

どのような結果をもたらすのかを検証しないまま、日本に投下され、たくさんの人々を不幸にしました。


人間には、知性の他に兼ね備えているものがあります。

それは「霊性」です。

生命の本質を表す、最も大切な側面です。



霊性の中心には「神」が存在しています。

他者を思いやる気持ち、傷つけてはいけないと思う気持ちは、良心と言う神から生まれています。

神の心がどのくらい発せられているのかで、その人の霊性が決まります。

原子爆弾が落とされたのは、知性の発達に霊性の進化が追い付いていなかったからです。



生命が調和して生きるにはどうすれば良いのかを考えるために、知性が与えられています。

けれども、地上の人間はエゴという側面も持っています。

エゴは自分を中心に考える傾向があるため、全体の調和を乱すような感情や考えが生じることがあります。



そして、人間には自由意志が与えられています。

エゴを優先して、過った自由意志の行使をしてしまうと、不幸な結果がもたらされます。

人間の知性が作り出したものを、霊性の伴っていない人間が手にすることで、たくさんの人たちが傷つき、苦しんでいます。



2020年からコロナウィルスの流行が始まり、わずか数年の間に世界の隅々にまで広まりました。

それは、世界中の人たちが物理的につながっていることを意味しています。



目に見えないつながりは、他にも存在しています。

今、この文章をパソコンやスマホでご覧になっているのも、目に見えない電子的な回線でつながっているからです。



名前も住所も知らない遠く離れた人に、私はヒーリングを行っています。

それが可能なのは、人間(生命)同士が霊的につながっているからです。



こんな経験はなかったでしょうか?

親しい人が、何を想っているのか、言わなくても分かっていた。

それも、目に見えないつながりを通して、想いが伝わって来たからだと思います。



近くにいる人が泣いたり笑ったりしていると、それにつられて泣いたり笑ったりしてしまうことはなかったでしょうか?

それも、つながりを通して想いが伝わって来たからだと思います。



霊的なつながりの本質とは「生命と生命は関係性を持っている」ことです。

そして「お互いがお互いのために生きている」ことです。



例えば、動物は酸素を吸って二酸化炭素を吐き出し、植物は二酸化炭素を吸収して酸素を放出しています。

両者は密接に関係していて、生きて行くためにお互いが必要な存在です。



人間の腸内には約40兆個もの細菌がいると言われています。

腸内にいる細菌は、免疫に関与したり、食物繊維を分解したりするなど、多様な役割りを果たしています。

もしいなくなると、病原菌に対するバリア機能が失われるなど、生命維持に深刻な影響を受けると考えられています。

一方、人間は細菌が生きて行くために必要な環境と栄養を提供しています。

意識している、していないに関わらず、1つの生命は他の生命と関わり合いを持ちながら、お互いのために生きているのです。



地上では、人のために働いて、その対価として金銭を得ることにより、生きて行くことができます。

霊界に行くと、生きて行くために働く必要はなくなります。

人のために何かをするのには、「愛」が必要になります。

神の力である愛により、お互いがお互いのために生きている世界が霊界です。

愛を表現することにより、魂と魂とのつながりは強くなって行きます。



地上では、それぞれの生命は独立して存在しているように見えます。

実際は、霊的につながっていて、1つの共同体を成しています。



ある人が長い宇宙旅行を終えて、地球に戻って来たとします。

漆黒の宇宙空間に浮かぶ、青く輝くこの惑星を見た時に、美しいオーラを放つ、1つの生命体のように感じられるかもしれません。


広大な宇宙の中において、地球は最小のユニットです。

全ての細胞が人体のために何らかの役割りを果たしているように、地球上の全ての生命は全体のために何らかの役割りを果たしています。



自分がどんな役割りを果たしているのか、今ははっきりと分らないかもしれません。

けれども、死んで霊界に行くと分かるようになります。

想ったこと、言ったこと、行ったことの1つ1つが、周りに影響を与えていたことを知ります。

周りに与えていた影響が、地上での自分の役割りであったことに気付く人もいるでしょう。



広いこの世界の中で、自分の存在はとても小さく感じられます。

小さく感じられても、他の人間や生命と関わわりながら生きる中で、何らかの役割りを果たしています。

役割りを果たしていない生命は、この地上に存在しません。



「生命は霊的につながっていて1つである」

この事実を受け入れることができれば、地上を悩ましている多くの問題が解決します。



戦争は自分で自分を傷つけている、愚かな行為であることに気付くでしょう。



皮膚の細胞と筋肉の細胞は、形態や機能が違っていても、そのどちらもが人体に必要不可欠なものです。

差別とは、筋肉の細胞が皮膚の細胞に向かって、自分の方が優れていると言っているのと同じで滑稽なものです。



貧困や飢餓に苦しむ人を見ても、他人事のように思えてしまうことがあります。

でもそれは、自分の足が大変な状態になっているのに、自分は手なので関係ないと言っているようなものです。



地球温暖化が着実に進行しています。

水温が少しずつ高くなっていても、それに気付かないまま「ゆでガエル」になってしまうのと同じことが起きているのかもしれません。

人間が地球とのつながりを忘れてしまった結果だと思います。



「生命は霊的につながっていて1つである」

大げさでも、戯言でもありません。

そのことを忘れているために、なくても良い苦しみや痛みが生まれています。

危機的な状況に陥り、魂が目覚めた時に、そのことに気付くかもしれません。



もし、6500万年前と同じような巨大な隕石が、数年後に地球に衝突すると分ったのなら、戦争は直ちに終わるでしょう。

それまで追い求めていた地上的なものに価値がないことに気付くでしょう。

生命のつながりを感じるようになり、慈しみや感謝の想いを大切にして生きようとする人も出て来るでしょう。



幸いにして、今のところその心配はありませんが、「生命は霊的につながっていて1つ」であることに、早く気付くべきだと思います。

それは、地上の現状を憂いている、霊界にいる人たちの切実な願いであると感じています。




2026年8月9日日曜日

この世を生きる意味はあの世にある


子供の時、死ぬのが怖かったです。

意識が消滅して、自分が失われてしまうと思ったからです。



人間の本質は魂(霊)です。

肉体を失ったとしても、生命は変わりなく存続し、意識はそのままです。

そのことを知り、死は怖くなくなりました。



あの世は、この世の延長線上にある「おまけ」のような存在ではありません。

私たちの本来の住処です。



あの世では肉体がありません。

自分(肉体)に向いていた意識は、周りに向けられるようになります。



この世を生きて行くために遣っていた(生命)力は、周りのために何かをしようとする力となります。(低い界層は除く)

その力の源泉は、無限の愛である神だからです。



あの世では、自分の好きなことだけをしていても生きて行けます。

けれども、好きなことばかりをしていても、どこかに物足りなさ、虚しさを感じるようになります。

周りのために奉仕をして、霊的な悦びを感じながら生きる方を、自然に選択するようになります。



しばらくすると、より次元の高い奉仕をしたくなります。

そのために自分に足りない資質を自覚するようになります。

その資質を身に付けるためには、それに相応しい経験をしなければいけません。




あの世では起こり得ない出来事を経験するために、この世に生まれて来たと考えられます。

また、この世で借り(カルマ)を作ってしまい、それを返す(償う)ために生まれて来た人もいます。

いずれにせよ、自分を成長させるために、この世に生まれる必要があったのです。



生まれる前の自分は、そのことを承知していましたが、いざ生まれると、その時の記憶はなくなります。

もし、あの世にいた時のことを覚えていたとしたら、戻りたくなってしまう人も少なくないでしょう。

生まれる前の記憶がなくなり、死が怖いものであった方が、この世での目的を果たすために都合が良いと考えられます。



「人生は楽しむもの」とよく言われます。

苦労などなく、楽しいことばかりだったら、どんなに良いだろうと思っている人がほとんどかもしれません。

シルバーバーチの霊訓にはこう書いてあります。

「霊的な宝はいかなる地上の宝にも優ります。それはいったん身に付けたらお金を落とすような具合になくしてしまうことは絶対にありません。苦難から何かを学び取るように努めることです。耐えきれないほどの苦難を背負わされるようなことは絶対にありません。何らかの荷を背負い、困難と取り組むということが旅する魂の本来の姿なのです。それは勿論楽なことではありません。しかし魂の宝はそうやすやすと手に入るものではありません。もしも楽に手に入るものであれば、何も、苦労する必要などないでしょう。痛みと苦しみの最中にある時はなかなかその得心がいかないものですが、必死に努力し苦しんでいる時こそ、魂にとっていちばんの薬なのです。」

楽しいばかりの人生では、得るものは少ないようです。

霊的な宝(学び)を手に入れるために、この世にしかない苦しみという触媒が必要なようです。



また、このようにも書かれています。

「要するに理解が行き届かないから苦しい思いをするのです。十分な理解が行けば苦しい思いをしなくなります。」



マラソン選手の中には、月に1000キロ以上走る人もいるそうです。

「走った距離は裏切らない」と言った人がいましたが、過酷な練習の中で、自分の限界が進展して行くのを知っているのだと思います。

試合で最高の結果を出すという「目的」があるからこそ、苦しい練習にも耐えることができるのだと思います。


もし私が、目的を告げられないまま、何十キロも走らされることになったらどうでしょう。

「何で」「どうして」という疑問を抱きながら、走りたくもないのに走ることになります。

苦痛以外の何ものでもなく、途中で走るのを止めてしまうでしょう。



人生も同じです。

生きる目的が分からないと、生きるのが苦しく感じられます。



それぞれの人生に、明確な目的があります。

その目的を果たすために、経験しなければならない出来事があります。



出来事の目的(原因)が分からないために、「何で」「どうして」という疑問が生まれて、憤りを感じてしまう人もいるでしょう。

分かっていれば、納得できるような気がしますが、一概にそうとも言えないようです。



もし、人生で起きる出来事が、予め分かっていたとしたらどうでしょう?

例えば、50歳で命にかかわる病気になることが分かっていたとしたら、そのことが気になってしまい、平常心でいられなくなるかもしれません。

病気にならないために、あらゆる手を尽くそうとする人もいるでしょう。

先のことに意識が行き過ぎて、今を精一杯生きられなくなってしまう可能性があります。



出来事の目的を、知っていたとしたらどうでしょう?

大切な人を喪った人がいたとします。

仮に、別れの目的が最も大切なもの(愛)を学ぶためであったとします。

知っていたとしても、そんなことはどうでも良くなってしまう人が多いのかもしれません。

ただ、前と同じように一緒にいたいと思うだけかもしれません。

悲しみ、苦しんだ末に、目覚めた魂が学ぶべきものであり、頭で知っていても何の意味もありません。



人間には、考えや感情があります。

誤った考えや、好ましくない感情に捉われてしまうと、魂の成長に関わる学びが疎かになってしまう恐れがあります。

苦しんだとしても、分かっていない方が良いとの、神の配慮があるのでしょう。

「学び成長させるために出来事は起きている」そう強く信じることで、目的は果たされて行きます。



死んであの世に行くと、この世の人生を振り返る時が来ます。

そこで出来事の真意を知ります。

出来事を通して、予期していた学びが得られたのを知ったのなら、思わず安堵するでしょう。



この世の経験を通して学んだことは、あの世で活かされます。

足りなかった資質が身に付けられ、より次元の高い奉仕ができるようになったのなら、生まれて来た目的を果たせたことになります。

この世の苦しみや悲しみは、奉仕ができる悦びへと変わります。



ふと、こんな疑問が生じました。

熊本で大きな地震が起きました。

つらい思いをされている人たちがいますが、それにも意味があるのか?

不自由な環境に耐えながら、生活を再建して行かなければいけませんが、その経験も何らかの影響を魂に与えているはずです。

シルバーバーチの霊訓にはこう書かれています。

「人生の苦難は魂が向上して行くための階段です。困難、障害、不利な条件ーこれらは魂の試練なのです。それらを克服して行くことによって魂がいっそう充実し、向上し、一段と強くそして純粋になってまいります。」

こんなことを言える立場ではないと承知していますが、その先で大変な出来事が起きたとしても、あの時の苦しさから比べれば大したことはないと思えたのなら、魂が強くなっているはずです。

同じように苦しんでいる人を見て、手を差し伸べたくなったのなら、魂が純粋になっているはずです。

出来事を経験した者にしか得られない学びや成長があり、それにより神の公正が完全に保たれていると信じています。



まとめになるような文章を、シルバーバーチの霊訓の中に見つけました。

「人生の目的は至って単純です。霊の世界から物質の世界へ来て、再び霊の世界に戻った時にあなたを待ち受けている仕事と楽しみを享受する資格を身に付けるために、さまざまな体験を積むということです。そのための道具としての身体をこの地上で授けてもらうというわけです。地上があなたにとって死後の生活に備える絶好の教訓を与えてくれる場所なのです。その教訓を学ばずに終われば、地上生活は無駄になり、次の段階へ進む資格が得られないことになります。」


シルバーバーチの霊訓より

この世を生きる意味は、あの世にあります。




2026年8月2日日曜日

意志は感情よりも強い

 

前回のブログで、強制収容所で拷問を受けたオランダ人女性コーリー・テン・ブームのことを取り上げました。

「赦しは意志による決断です。感情がついてこなくても、その意志は働かせることはできます。」

彼女のこの言葉が、とても印象に残っています。

コーリー・テン・ブーム 出典: Wikipedia


地上の人間は、「肉体」と「精神」と「魂」の3者から構成されています。

厳密には、肉体の他に霊体があります。

そして、精神には肉体と強く結びついている「地上的な自我」と、魂と強く結びついている「霊的な自我」が存在しています。(シルバーバーチの霊訓に書いてある「パーソナリティ」と「インディビジュアリティ」がそれに当たると考えています。)




本当の自分とは、霊的な自我です。

霊的な自我の一部分が、地上的な自我として顕現していると言っても良いのかもしれません。

死んで霊界に行くと、霊的な自我で自己表現が始まり、意識の拡大が起こります。



シルバーバーチの霊訓には、こう書いてあります。

「ものごとは自分次第で善にもなり悪にもなります。そこであなたの選択権、自由意志、決断力、判断力を使用する必要があるわけです。それは大霊があなたに与えた神性の1つです。」

人間は自由意志が与えられています。

自由意志が神性の1つならば、霊的な自我によって決断が行われていると考えられます。



肉体(五感)によって得られた情報は、地上的な自我を通して、霊的な自我に伝えられていると考えられます。

霊的な自我はその情報を基に、魂に内在されている良心(神)に照らし合わせて、どのような行動をするのか決めていると考えられます。

霊的な自我で決められたことが、地上的な自我に伝えられて、肉体に命令を出して行動に移されていると考えられます。

この往復が繰り返し行われることで、地上の人生が営まれています。



霊的な自我が意志を決定するのに際し、地上的な自我は大きな影響を及ぼしています。

例えば、踏切の中で倒れている人を見たとすると、霊的な自我からは(良心の働きにより)助けようとする意志が生まれます。

ところが、地上的な自我からは、自分の身を守るために、怖れの感情が生まれます。

その感情が大きくなると、助けるという意志決定は困難となり、行動に移せなくなります。



法則に反した行いをしようとすると、それを引き留めるような、言葉を超えた良心の声がします。

それを無視して行動に移すと、その罪は霊的な自我に印記されます。

例えばお金が欲しくなり、人に危害を加えて手に入れたのなら、その先で苦痛を伴う償いが生じます。

霊的な自我が決めた行動に対する責任は、霊的な自我が取ることになり、その間は成長することができなくなります。



「物的身体は霊が自我を実現するための道具であり、精神はそのためのコントロールルームと思えばよろしい。」シルバーバーチの霊訓にこう書いてあります。

霊(魂)が上位にあり、次に精神があって、その下位に肉体があります。



最上位にある霊(霊的な自我)から生まれる意志の力には、精神(地上的な自我)から生まれるいかなる感情も敵いません。

そのことから、冒頭のコーリーが語ったことが理解できます。

怒りや憎しみと言う「感情」よりも、赦すという「意志」の力が勝ったのです。



難易度の高い仕事をする前に、私も不安や心配が生じる時があります。

そんな時に、上手く行くように願うのではなく、自分を信じるという意志、「患者さんのために成功させる」と言う意志を持つことで、不安や心配を追い払うようにしています。



仕事や趣味など、夢中になってしている時はどうでしょうか?

それまであった感情から解放されていることに気付くはずです。

意志を持つことにより、感情に捉われずに済みます。



話が少し逸れるかもしれませんが、スポーツの世界などで「ゾーン」という言葉を聞くことがあります。

ゾーンに入った時は高度に集中していて、最高のパフォーマンスができると言われています。

また、試合中にチームメートが何を思っているのか、何を望んでいるのか分かっていたと語っていたアスリートがいましたが、そんな時もゾーンに入っていたのでないかと思われます。



ゾーンに入っている時は、地上的な自我の働きが抑えられ、霊的な自我が前面に出て来ていると考えています。

時間の感覚も希薄になり、感情や考えに捉われない、俗に言う無我の境地に入っていて、自分の意志が忠実に表現されているように思います。

その時の感覚は、霊界にいる時の感覚に近いのではないかと想像しています。



以前、踏切内で倒れている老人を助けようとして、巻き込まれて死んでしまった女性がいました。

「助ける」という強い意志により、死の恐怖を感じなくなっていたと考えられます。

その瞬間、地上的な自我の束縛から解放され、霊的な自我から生じている神性が遺憾なく発揮された結果だったと考えられます。



1947年、インドはイギリスの植民地支配から独立をしました。

その立役者がマハトマ・ガンジーです。

インドは長い間、イギリスから理不尽な要求や対応を受け続けていました。

国民に強い憤りが生まれていましたが、ガンジーは「非暴力」「不服従」を選択しました。

その意志を持つことにより、感情を封じ込めようとしていたと考えられます。

もし、感情に任せて力で対抗していたのであれば、力によって封じ込められて、独立は叶わなかったでしょう。

因果律の働きを熟知していた偉大な霊覚者だったのです。



怒りや憎しみなど、成長を妨げるような感情を抱き続けると、苦しみを感じるようなっています。

法則に適った意志を持つことによって、それらの感情は打ち消されて、その苦しみから解放されます。



地上と違い、霊界では何もしなくても生きて行けます。

そして、思念(意志)が直ちに具現化される世界です。

見方を変えると、意志がなければ何も始まらない世界です。



周りのために何かをすることで、人は悦びを感じ、成長して行きます。

地上では、さまざまな出来事が起こります。

出来事を克服するために、意志を持って臨まなければいけない局面に遭遇します。

そのような経験を繰り返すことによって、思念が全ての霊界において、周りのために何かをする「意志」が培われていると考えられます。



2026年7月26日日曜日

霊界に持って行けるもの

 

昔は、「霊」と聞くと、いかがわしいもの、怖いものという認識がありました。

テレビで心霊番組が度々放送されて、観ている人の恐怖心を煽っていたような気がします。

「人間は死んだら霊になるかもしれない?」漠然とそう考えていました。



2025年に世界的規模(35か国、5万人を対象)である意識調査が行われました。

その1項目に「動物は霊を伴った存在か?」という質問がありました。

それに対し、62%が「はい」と答えています。



地上の人間は、肉体を携えた霊(魂)です。

今、この時点で本質は霊です。

霊が肉体から永続的に離れる現象が「死」です。

死に対して忌まわしいイメージを持っている人が、以前よりも少なくなっていると感じるのは、霊(魂)の存在を肯定的に捉える人が増えて来ているせいかもしれません。



もし、魂の存在を肯定することができたのなら、その先に進むことができます。

「死んだらどうなるのか?」

「なぜ生まれて来たのか?」

この問いに、答えを見出すことができるはずです。



死んだら、別次元の世界である霊界に赴きます。

そこが、本来の住処です。

私たちは目的があって地上に生まれ、目的を果たしたら霊界に帰る、霊的な存在です。



霊界と違い地上では肉体があります。

魂が肉体に宿った瞬間、地上で自己表現するための自我が生まれます。

その自我から、さまざまな「感情」が生まれています。


高い場所に行ったら身がすくみます。

「怖い」という感情が生まれることによって、あやまって身体が落ちるのを防いでいます。

満員電車の中で足を踏まれたら、「憤り」の感情が生まれることがあります。

それも自分の身体を守るための、一種の防衛反応です。



理不尽な出来事を経験すると、それを許せなくなる時があります。

怒りを通り越して、憎しみや恨みの感情が生まれることもあります。



第2次世界大戦下のオランダにコリー・テン・ブームという女性がいました。

彼女の家族は敬虔なクリスチャンであり、800人ものユダヤ人をかくまい、救ったと言われています。

しかし、密告され捕らえられ、姉と共に強制収容所に送られました。

そこでひどい拷問を受けて姉は亡くなりましたが、間もなく終戦となりコリーは解放されました。


コリーはその後、ホロコーストの生存者として自身の体験を講演して回りました。

ある日のこと、講演終了後に一人の男性が近寄って来ました。

その男性は、収容所でもとりわけ冷酷だった看守の一人でした。

彼はコリーに、戦争が終わった後にクリスチャンとなり、看守として自分がしたひどい行いを悔い改めたと言いました。

そして「自分のやったことを赦していただけますか?」と言って、手を差し伸べて来たそうです。

クリスチャンとして赦しの大切さを十分に学んでいたはずのコリーですが、姉の命を奪い、自分に対しても冷酷な仕打ちをしたこの男性に手を差し伸べることはできませんでした。



心の中で怒りや復讐心が、煮えたぎっているのを感じたそうです。

そこで「この人を赦せるようにお助け下さい」と祈りました。

そして、もう1度微笑んで、手を挙げようとしましたが、無理でした。

「私は彼を赦すことができません。赦しの力を与えて下さい。」と、さらに祈りました。



すると信じられないことが起きました。

男性の手を握ることができ、その瞬間、肩から腕、そして手まで電流が走り、相手に伝わって行くのが感じられました。

その時、心の中に愛が沸き上がって来て、その感覚に圧倒されたそうです。




高次の存在から力が伝わり、内部にあった怒りや憎しみの感情が解放されて、対象を赦すことができたのかもしません。

あるいは、内在する神が顕現して、そこから力が湧き出して来たのかもしれません。

いずれにしても、彼女の祈りが神の心と同調して、赦しの力が得られたと思われます。

もし、彼女の心に強い「怒り」や「憎しみ」の感情が存在していなければ、このような神の愛を実感する経験はできなかったと思われます。



後に、彼女はこう語っています。

「赦しは意志による決断です。感情がついてこなくても、その意志は働かせることができます。」

どんなに酷い仕打ちを受けたとしても、人は意志の力によって赦すことができるということを、多くの人に知ってもらいたかったのだと思います。



地上では、怒りや憎しみや恨みや嫉妬など、好ましくない感情が生まれます。

それらの感情を持ち続けると、自らの成長を妨げることにつながるので、因果律の働きによって、苦しみを感じるようになっていると考えられます。



対象が赦されるような学びを得ることで、その苦しみから解放されます。

そうであれば、地上で学びを得るために、それらの感情は必要だったと言えます。



家族全員を失ったコリーはこうも語っています。

「いくら思い悩んでも明日の悲しみが消えることはない。今日を生きる強さが消えるだけである」



大切な人を失うと、悲しみの感情が生まれます。

もう2度と会えないと思い、耐え難い苦しみに襲われる人もいます。

「悲しみ」には、眠っている魂を目覚めさせる働きがあります。

「命とは何か」と問い質す中で、「命とは肉体を超えたものである」という学び(真理)を得て、もう会えないという苦しみから解放され、今日を生きる強さが蘇る人もいます。

そして、悲しみという感情あるからこそ、愛について深く学ぶことができるのだと思います。



自転車の乗り方を書いた本をいくら読んだとしても、自転車に乗れるようになるわけではありません。

実際に自転車にまたがり、時に転んで痛い思いをしながら、乗り方を身に付けます。




霊界では、怖れが生まれるような出来事も、怒りや憎しみが生まれるような出来事も起こらず、悲しみが生まれる(地上のような)別れもありません。

そのような出来事を実際に経験することでしか、身に付けられないものがあります。



生まれて来た目的は、自分(魂)を成長させるためです。

地上でしか経験することができない出来事から、さまざまな感情が生み出されることによって霊的な学びが促され、人は成長して行くのだと思います。



霊界に持って行けるのは、地上の経験を通して得た、言葉を超えた学びです。

その学びは、霊界で活かされることになります。

より高い叡智を身に付けた魂は、より次元の高い奉仕ができるようになり、より深い悦びを感じながら生きることができます。




2026年7月19日日曜日

動機を問い質す


霊的真理を学んで、問い質すようになったことがあります。

それは、行動する時の「動機」です。



同じ行いをしていても、動機が全く違うことがあります。

最近になり、犬や猫の愛護活動を行っている人たちが増えて来ました。

多くの人は、動物たちに幸せになってもらいたいという動機で行っていますが、中には違う人もいます。

SNSなどで動物たちの窮状を訴えて、支援をお願いしている人たちの一部には、動機が動物たちのためではなく、自分の生活のためや承認欲求を満たすために行っている人たちがいます。

けれども、心の中は分からないので、動機を見極めるのは極めて困難です。



神の法則は言動だけでなく、動機に対しても働いています。

人を欺いてお金を集めている人は、因果律の働きによって、相応の霊的な報いを受けることになります。

人は欺けても、神(法則)は欺けないのです。



話は変わりますが、現代人は人生の多くの時間を仕事に費やしています。

仕事をする「動機」は何なのでしょうか?



社会のために役に立ちたいという人もいるでしょう。

生活するため、あるいは家族を養うためという人も多いでしょう。

会社のために働きたいという人もいます。



その会社がどのような理念(動機)で運営されているかが問われます。

もし、利益ばかりを追求しているのであれば、働いている人たちはノルマに追われて疲弊して、心身を病んで辞めて行く人もいるでしょう。

一方、(表向きではなく)社会貢献を理念にした会社であれば、働いている人たちに活気があり、成長を続けて行くでしょう。



誰かのために何かをしようとする想い(動機)は、神の法則に適っています。

神の法則に適った想いには、成し遂げるための力が与えられ、それが行動する意欲となります。

役に立とうと行動している時は、疲労があまり感じられないのはそのためと考えられます。



高い収入や地位を得たいという動機で働いている人がいます。

そんな人たちは、心のどこかに虚しさを感じているかもしれません。



地上に生まれて来たのは、自分を成長させるためです。

高い収入や地位を得ようとする動機は、神の法則の働きに適っていません。

そのため、どんなに頑張って働いたとしても、霊的に成長することができません。

虚しさを感じることで、生き方を変えるように、促されているのかもしれません。



誰かのために何かをする。

そのことで、人は喜びを感じ、成長するようになっています。



法則は国にも働いています。

世の中は時代と共に変化しています。

交通手段や通信手段の発達により、他国との交流は昔よりはるかに盛んになっています。

人も物も自由に行き来するようになり、通信はボーダーレスにつながっています。

それにもかかわらず、国という意識を過剰に持ち、壁を作ろうとする人たちがいます。



法則の働きに、神の心が顕現しています。

人と人、国と国が助け合いながら、協調して生きて行くように、法則は働いています。

協調することを忘れ、自らの利益だけを追い求めている現状を見ていると、「蜘蛛の糸」を思い出します。

利己的な想いに対して因果律が働いて、それを正すような苦痛を伴う結果が待っています。



戦争が起きているのは、遠く離れた国です。

それなのに、当事国以外にも深刻な影響を及ぼしています。

世界はつながっているからです。

対岸の火事ではありません。



地上に生まれると、目に見えるものしか認識できなくなります。

肉体しか見えなくなりますが、生命の本質は魂(霊)です。



携帯電話同士が電子的につながっているように、人同士も霊的につながっています。

そのつながりを通して、意識を向けた相手に想いを伝えようとしています。



人は自分の役割りを果たすために、この地上に生まれて来ています。

他者のために役割りを果たすこと、別の言い方をすれば、愛を表現することによって、霊的なつながりが強くなって行きます。

それぞれが役割りを果たすことによって、日常生活を円滑に営むことができているのです。



人だけでなく全ての生命が、何らかの役割りを果たすために存在しています。

そのことを忘れてしまったために、不測の事態が起きた例を挙げます。

1958年、中国政府は穀物を食べてしまうスズメを害鳥と考えて、国策としてが全土で駆除が行われました。

その結果、スズメの数は激減し、代わってイナゴなどの害虫が大量発生しました。

それにより、コメなどの穀物の収穫量が大幅に減ってしまい、多くの餓死者が出ました。(慌てた中国政府は旧ソ連から大量のスズメを輸入したそうです。)

地球は1つの共同体です。

相互扶助による絶妙なバランスの上で、生命の営みは行われています。

自分の都合、人間の都合だけで行動していると、好ましくない結果が返って来ます。



何故、好ましくない結果が返ってくるのでしょうか?

それは神の法則は「愛」を基調としているからです。



動機が法則に適っていれば、喜びが生まれ、調和が生まれ、成長につながると信じて、これからもを問い質して行動しようと思います。





2026年7月12日日曜日

神は法則


記録が残っている中で最も長生きした人は、フランス人のジャンヌ・カルマンさんで122歳と164日でした。

男性では日本人の木村次郎右座衛門さんで116歳と54日でした。



人間は125歳を超えて生きられないと言われています。

それに抗うように、昔から人間は不老不死の薬を追い求めて来ました。



けれども、科学がいくら発達しても、そのような薬は見つかりません。

その理由は、人間の寿命は「法則」の働きによって支配されているからです。



法律や規則は人間が作ったものなので、変えることができます。

けれども、法則は永遠に不変です。



もし万有引力の法則が変わるようなことがあれば、人が宙に浮いてしまうかもしれません。

不変でなければ、世界は大混乱に陥ってしまいます。



法則は偶然、生まれたのではありません。

何者かが、何らかの意図があって、創ったはずです。



法則を創った存在を「神」と呼ぶことにします。

神は同時に、宇宙を創ったと思われます。



神的なエネルギーが、様々な形態となって顕現しているのが、この宇宙です。

宇宙の一部である私たちも、何らかの意図があって創られたはずです。



宇宙の秩序は、法則の働きによって保たれています。

そして、法則の働きによって変化(進化)しています。



物質は、法則の働きによって、より安定したものへと変化しています。

人間の本質である霊(魂)は、より高いものへと進化しています。



宇宙と法則の総体が神であると考えられます。

宇宙と法則を創った神の意図の中に、無限の愛が組み込まれています。



私たちは神の愛の中で生きています。

けれども、愛は五感に触れるものではありません。



目に見えるものしか信じない人にとって、神や愛は絵空事のように聞こえてしまうかもしれません。

そんな人も、神の一部であり、神の心である愛を内在しています。


昔、道端で鳴いている子猫や捨てられた子犬を見て可哀想になり、家に連れて帰った人も多いのではないでしょうか。

子供の頃は自我が発達していないために、内在する神の愛が素直に表現されたからだと思います。



大人になると見て見ぬふりをしてしまうのは、自我が発達して自分を中心に考えるために、素直に表現できなくなるからだと思います。

本来の私たちは無意識に愛を表現しようとする存在ですが、地上では自我があるのでそうは行きません。



起きることに、奇跡や偶然はありません。

全ての事象は、法則の働きによって起きています。



イエス・キリストが湖の上を歩いたのも奇跡ではなく、法則が働いた結果です。

霊的次元の力が法則の働きによって、物質次元の重力に抗らう力に変換されて、そのような現象が起きたと考えられます。



ヒーリングにより、病気が癒されるのもそうです。

肉体上に現れる病気の多くは、精神的次元や霊的次元に原因があります。(ストレスによって胃潰瘍になるのはその典型です。)

霊的次元の力が法則の働きによって、精神的次元に存在している負の感情を解放させる力になることによって、肉体上の病気が消失したり、機能が回復することがあると考えられます。



コンピューターに入力すると、演算処理されて、出力されます。

それと同じで、原因があって、因果律(法則)が働いて、結果として事象が起こります。



日常生活は、原因と結果の連鎖によって営まれています。

悲しくなると涙が出るのも、精神的次元と物質的次元の法則が連動して働いた結果と考えられます。




入力がなければ出力がないように、原因が存在しなければ事象が起きることはありません。

地上に生まれるという事象も、何らかの原因(目的)があって、複数の次元の法則が働いた結果として起きています。



数年前、他国に侵略した国があります。

そんな国に対しても、法則は厳格に働きます。

他国に与えた来た苦しみや痛みが、因果律の働きによって、自国の苦しみや痛みとなって返って来つつあります。

そのような企みが永続的に成功を収めることがないのは、神の心に反した行いは法則の働きによって正される運命にあるからです。

首謀者は、極めてみじめな結末を迎えることになるでしょう。



現在、日本とトルコの関係は良好です。

それは、ある出来事がきっかけとなったと言われています。



1890年、トルコの軍艦が和歌山県串本町沖で台風に遭い沈没しましたが、地元住民は命がけで約70名を救出し、自分たちも貧しい暮らしをしていたにもかかわらず、食料や衣服を惜しみなく提供しました。

その後、救出されたトルコ人は日本政府の軍艦で母国に送り届けられました。

トルコ軍艦遭難慰霊碑(串本町)

1985年、イラン・イラク戦争の最中、イラクは「空港を離陸する航空機を攻撃する」と通告しました。

各国は急いで自国民を救出しましたが、多くの日本人が現地に取り残されてしまいました。

窮状を知ったトルコ政府は、危険を承知の上で旅客機を派遣し日本人を救出しました。



「95年前、日本人が私たちを助けてくれた恩返しだ」と、多くのトルコ人が語っていたそうです。

神の心に適った行いをすれば、後に善い報いを受けることになる1例と言えます。



神を信じている人が、神に愛されるのではありません。

「想った」こと、「言った」こと、「行った」ことに、神の法則は働いています。

信じていなくても、神の心に適った想いを表現すれば、喜びがもたらされます。

信じていても、神の心に反した想いを表現すれば、苦痛がもたらされます。


誰もが、苦痛ではなく喜びを感じることを望んでいます。

地上でしか味わうことのできない苦痛の経験を通して、喜びを感じる方向へと導かれています。

全ての人は、法則の働きによって、平等に愛されているのです。



神の心は、良心となって私たちの中に顕現しています。

何より大切なのは、自我の考えに惑わされずに、良心の声に従って生きることです。

簡単ではありませんが、後の喜びへとつながって行きます。




2026年7月5日日曜日

愛について


仕事をしていると、イラっとしてしまうことがあります。

その多くは、思った通りに自分ができない時や、自分が伝えた通りに周りができない時に生まれます。



思った通りにできないのは、肉体を持つ地上の宿命です。

思っていることが、上手く伝わらないのもそうです。

分かっていても、ついそのことを忘れてしまいます。



霊界に行けば、そんな感情は生まれません。

思ったこと(思念)が、肉体を介さずに忠実に表現され、言葉を介さずに正確に伝わるからです。



地上では、霊(魂)から生まれる思念を、肉体を使って表現しています。

肉体と霊との間に、自我(精神)が存在しています。

自我からは、怖れや不安や怒りなどが生まれますが、それは肉体を守るために必要な感情でもあります。



死んで肉体がなくなると、(地上に近い界層を除いて)それらの感情から解放されます。

霊的な感覚だけになり、地上では分からなかった「エネルギー」の存在を感じるようになります。

世界が「生命エネルギー」で満たされているのが分かります。

生命エネルギーは愛を帯びています。



臨死体験者の多くが、そこにずっと留まっていたい衝動に駆られたと証言しています。

それは、愛というエネルギーに包まれた至福の体験をしたからです。

愛は宇宙全体(神)の意識そのものであることを実感する人もいます。



そこで既に亡くなっている人と会い、「やり残していることがある」「まだ早い」と言われる人がいます。

地上での目的を果たしていないこと、寿命が来ていないことを知っている守護霊が、その人に言わせているのかもしれません。

戻ろうと思った瞬間、魂は肉体に戻ります。



そんな愛に満たされた世界を離れて、地上に生まれて来るのはどうしてでしょう?

人間には、自分をもっと高めたい、成長したいという根源的な欲求があります。

その欲求を満たすために、地上に生まれる必要があったと考えられます。



ところで、空気の存在を意識して、感謝しながら生きている人は、どれくらいいるでしょうか?

ほとんどいません。

あまりにも自然に存在し、あるのが当たり前になっているからです。



霊界において、「愛」も同じです。

常に感じているものなので、空気と同じように意識することは少なくなります。

愛に満たされた霊界では、愛について学ぶのが却って難しいと考えられます。



地上に生まれると、想いが直接伝えられなくなります。

肉体によって、言葉や行動に変換して、伝えなければいけません。

言葉や行動に込められた想いを感じ取ります。

ところが、五感に圧倒されて、想いを感じ取る霊的な感覚は極めて弱くなっています。

想いを伴っていない言動に、騙されてしまうのはそのためです。    



想いが分からなくなる地上では、考え方や価値観や外面の違う人、自分にとって異質な存在として映ります。

そのために、怖れや不安を抱く時があります。

自分を守ろうとする意識が強く働いたり、自分に従わせようとしたりすると、争いになってしまうことがあります。

やられたらやり返す、負の連鎖によって、争いがエスカレートして行くことがあります。



他者の想いが分からない地上では、お互いを信じる必要があります。

そして、認め合い、許し合うことで、争いが避けられて、平和に過ごすことができます。



飢餓に苦しんでいる人たちがいます。

貧しい国の国家予算よりも、はるかに多い財産を持っている人たちがいます。

同じ世界に住んでいて、どうしてこんな差が生まれるのだろうと思います。

自分の利益に関心が行き過ぎると、不利益を被っている人たちのことに無関心になります。

持てる者が持たざる者に、慈悲の心を発揮して分け与えることによって、健全な世界になって行くと考えられます。



地球温暖化により、人間のみならず動物たちも苦しんでいます。

物質的に貪欲になり、利己性が増すことによって、環境は悪化して行きます。

個々が責任を自覚して、地球全体を思いやることが求められています。



多くの地上の問題は、「信じる」こと、「認める」こと、「許す」こと、「分け与える」こと、「思いやる」ことにより、解決することができます。

それらは神性であり、愛の一表現と考えられます。

解決するにはどうすれば良いのか?

起こらないようにするにはどうすれば良いのか?

霊界では起こり得ない、苦痛を伴う出来事を通して、愛について深く学んでいます。



窮地に陥っている時に助けてもらったら、その恩を忘れることはありません。

落ち込んでいる時に励ましてもらったり、悲しんでいる時に慰めてもらったり、疲れている時に労わってもらうと、心が癒されて、うれしくなります。

「助ける」「励ます」「慰める」「労わる」ことも愛の一表現です。

そんな愛を表現する機会に恵まれているのが地上です。



地上にいる私たちは、それぞれが独立して存在しているという幻影の中で生きています。

愛は、お互いを引き付け合い、1つになろうとするエネルギーです。

愛が表現されることによって、霊的につながっていて、1つであることを自覚するようになって行きます。





2026年6月28日日曜日

自分を責めてしまう人へ

 

一昔前ですが、あるオリンピック選手がメダルを取った時に「自分で自分のことを褒めてあげたい」と言っていました。

妥協せずに、精一杯頑張って来たのを1番知っているのは自分なので、そんな言葉が出て来たのだと思います。



褒めるのとは逆に、失敗やミスをした時に、自分を責めてしまうことがあります。

心の中で自分を叱責する言葉を発していることがあり、それによりつらくなってしまうことがあります。



地上を生きている私たちは、「地上の自我」により自己表現をしています。

地上の自我からは、さまざま感情が生まれています。

怒りを伴った「許せない」という思いも、そこから生まれています。

自分を許せなくなり、自分を責めてしまうことがあります。



地上の自我とは別に、霊的な自我が存在しています。

霊的な自我は魂と密接な関係にあります。

魂には神が宿っていて、そこから寛容心が発揮されると、霊的な自我に「許そう」とする想いが生まれます。

「許そう」とする自分と「許せない」自分の間で、せめぎ合いが起きることがあります。



地上の自我の働きが強い人と弱い人がいます。

地上の自我は肉体と密接に関係しているために、意識は「自分」に向かいやすくなります。

地上の自我の弱い人は、相対的に霊的な自我の働きが強くなります。

霊的な感受性が高くなり、人の想いを感じやすくなるために、意識は「周り」に向かいやすくなります。



地上の自我の弱い人は、周りに迷惑をかけたり損害を与えたりすると、罪の意識が生まれて、自分を責めてしまう傾向があります。

一方、(地上の自我の働きの)強い人は、同じ状況になったとしても、自分を責めてしまうことは少なくなります。

自分を守ろうとする意識が働いて、自分以外のせいにしたのなら、罪の意識を感じることはありません。



自分を責めることに慣れてしまっている人がいます。

他人を責めるのと同じで、霊的に好ましいことではありません。

その中には、自分のことが嫌いで、自分のことを信じていない人がいます。



裏切られたり、嘘を付かれたら、その人のことが信じられなくなります。

同じように、自分を裏切ったり、自分に嘘を付いていると、自分のことが信じられなくなります。

慣れてしまっている人は、自分の想いに正直になるように努め、良心の声に従うことによって、少しずつ自分が信じられるようになって行くと考えられます。

信じられるようになったら、嫌いでなくなって来るはずです。



ある出来事が起きて、自分を責めてしまう人がいます。

その前に、考慮しなければいけないことがいくつかあります。



人生にはブループリントがあります。

もしかしたら、その出来事が起きるのは、予め決まっていたのかもしれません。



不完全な私たちは、過ちを犯す可能性があります。

それによって苦しみや痛みを味わい、悔い改めることによって償われます。

シルバーバーチの霊訓にはこう書いてあります。

「これからもあなたは過ちを犯します。それに対して償いをします。その中で叡智を学ぶべきです。過ちを犯すために地上にきたようなものです。もしも絶対に過ちを犯さない完全な人間なら、今この地上にいないはずです



悔い改める必要はあります。

けれども、自分を責める必要はありません。

自分が行ったことに対して、神の法則が働いています。

それによって、相応の結果がをもたらされます。

自分自身で裁いて苦しむ必要はなく、全てを神(法則)に委ねれば良いのです。



この地上に生まれて来たのは、学び成長するためです。

自分を責めるのではなく、その出来事から何かを学ぶように努めなければいけません。



2026年6月21日日曜日

神の創ったこの世界を信じる

 

この車を見て、ある日突然ここに現れたと思う人はいないでしょう。

人間が設計して、人間の手によって作られ、人間が運転してこの場所に置かれたと、誰もが思います。



生命は偶発的に誕生したと言う人がいます。

細胞1つをとってみても、車よりもはるかに精緻で複雑であり、その考えには無理があります。

何者かが設計して、何者かにより創られたと考えた方が、はるかに自然です。

その何者かを、「神」と呼ぶことにします。



車は迅速に移動するための手段として作られました。

人間も何か目的があって、創られたと考えるのが妥当です。



目的もなく存在しているものは、何1つありません。

人体を観察すれば、全ての組織が全身のために存在していることが良く分かります。

たとえ目的が分からなかったとしても、個々は全体のために何らかの役割りを果たすために存在しています。


宇宙は神の心が具現化したものです。

神の心は無限の愛です。



そうであるならば、この世界はもっと愛に溢れていても良さそうです。

実際には、戦争、差別、貧困、人や動物を虐げる行いなど、神の心とかけ離れたことが頻繁に起きています。



宇宙には、無限の界層(世界)があります。

界層は、その場に放たれている波長によって決まります。

波長の高い(短い)世界ほど、神の心が忠実に表現されていると考えられます。



シルバーバーチの霊訓には、こう書かれています。

「地上は宇宙の惑星の中で、最も進化の程度の低い部類に属します」

ショックを受けた一文ですが、神の心があまり表現されていない鈍重な世界に、私たちは生きています。



私たちは神によって創られた、宇宙(神)の一部です。

生命の本質である魂に神が宿っています。



けれども、私たちには肉体があります。

地上だけに存在する自我(以下地上の自我)が、肉体を使って自己表現をしています。

地上の自我は肉体と密接な関係にあるために、意識はどうしても自分(肉体)に向いてしまいます。

自分が空腹なのに、人に食べ物を分け与えるのは難しいのはそのためです。



私たちには、肉体とは別に霊体があります。

霊体を使って自己表現するために、霊的な自我も存在しています。

霊的な自我は魂と密接な関係にあります。

そのために、魂に宿る神の心を表現しようとします。



日常生活では地上の自我を前面に出して活動しています。

ところが、火事で助けを求めている人がいるのを見たら、その奥にある魂が目覚めて、神の心を表現しようとします。

それにより、霊的な自我には「助けてあげたい」という衝動が生まれます。

けれども、地上の自我は「自分まで死んでしまう」と考えます。

さまざまな危険を伴う地上を安全に生きるために、霊的な自我の想いに対して、地上の自我は抑制的に働いていると考えられます。



地上には、さまざまな人がいます。

生まれる前にいた世界が違うのであれば、生まれて来る人間が違って来るのは当然です。

より多くの神の心を表現している人もいれば、ほとんど表現できていない人もいます。

その人の霊性の高低と、地上の自我の強弱によって決まると考えられます。



私たちは、神の心を表現するために存在している、神の媒体です。

そして、神の創った自然法則の働きによって、神の心をより表現できるように、成長進化して行く存在です。



神は存在しないのではありません。

地上では、神を感じられなくなるだけです。



霊界にいる時は、霊的な感覚が前面に出ているので、自分と神(宇宙)との間に一体感があります。

ところが、地上に生まれ肉体を持つと、五感が前面に出るために、霊的な感覚は後退してしまうために、神との一体感はなくなります。



神を感じられなくなる地上では、信じる必要があります。

かつての私も、神の存在など信じていませんでした。

信じていなくても、何の不都合も感じませんでした。



思い出してみると、恐くなった時や大きな不安に駆られた時に、何か絶対的な存在に無意識に頼ろうとしていました。

窮地に追い込まれた時、「神様助けて下さい」と、心の中で叫んだこともあります。

頭では神を信じていなくても、魂は神の存在をはっきりと認識しているためだと思っています。



神の存在が感じられなくなる地上では、霊界にいた時にあった安心感や一体感に代わって、不安感や孤独感が生まれます。

神の存在を信じる必要があるのですが、神の存在を明示して、信じるように促す役目を担っている宗教が、肝心の真理がドグマに塗り固められてしまっています。

現代を生きる私たちに、受け入れられないものが多々あります。

これからは、宗教に頼るのではなく、自分自身で神を見出す時代になって行くと考えられます。



今、私たちが生きているこの世界も、神によって創られました。

さまざまな人が生きていますが、それぞれがこの世界の中で役割りを果たしています。

さまざまな出来事も、全て神の法則の働きの枠内で起きていて、最終的に霊的な成長につながっています。



霊界にいては出会えない人に出会い、経験できないことを経験することによって、改めて神を見出すことは、この世界に生まれて来た1つの目的と考えられます。

自らの意志でこの世界を信じることは、神を信じることにつながり、一体感が取り戻されて、安心して生きて行けるようになるはずです。








2026年6月14日日曜日

今を生きるために


私の家には2匹の犬がいます。

犬たちを見ていて、自分もこうありたいなと思うことがあります。

それは「今を全力で生きる」ことです。



犬はどうして、今を全力で生きられるのでしょうか?

その理由の1つとして、過去や未来に捉われていないことが挙げられます。



人間は過去を思い出しては、悔やんだり、怒ったりします。

未来を想像しては、心配したり、不安を抱いたりします。

人間だから仕方がないと言えばそれまでですが、今の自分が未来の自分を作って行くと思うと、何とかしたいものです。



なぜ、過去に捉われてしまうのか?

過去の記憶は消そうにも消せません。

その記憶の多くは、特定の感情と紐付けされています。



私は幼少期に大きな犬に手を噛まれた経験があります。

そのために、しばらくの間、怖くて犬の傍に行けなくなりました。

過去の出来事によって生じた、怖れ、怒り、悲しみなどの感情が、今の自分に大きな影響を及ぼしていることは少なくありません。

けれども、それらの感情を自分の意志で消すことはできません。



十数年前ですが、山の中を放浪していたラブラドール犬のJ君を保護しました。

J君は立派な体格をしていて、ブリーダーの元で繁殖犬として飼われていて、身勝手な理由で山の中に捨てられたと推察されます。

ひどい仕打ちを受けて来たのでしょう、体には大きな傷があり、人間に対して強い不信感と怒りや怖れを抱いていて、威嚇しながら逃げ回っていました。

妻が1ヶ月くらい通って餌を与えて馴らして、どうにか捕まえることができました。



自宅の居間の片隅にJ君の居場所を作りました。

J君は、そこから飼い犬が私たちと遊んだり、甘えたりする様子をじっと眺めていました。

飼い犬のしろ

保護したJ君

「人間は怖くないんだ」と思ってくれたのでしょうか、徐々に距離が小さくなり、触れることができるようになり、散歩にも連れて行けるようになりました。

その先に、素晴らしい出会いが待っていました。

これ以上ないと思われる若いご夫婦が現れて、家族に入れてもらいました。(ご主人はJリーグチームのキャプテンでした)

怖れや怒りに支配されていたJ君ですが、奥様の深い愛情と、ご主人の強いリーダーシップによって、下の写真のように安心して今を生きられるようになりました。

劇的に変わったJ君(奥様のブログから引用)


人間も同じです。

心の中にそのような感情が占めていたら、今を安心して生きることはできません。

それらの感情を打ち消すことのできるのは、「愛」と考えています。



愛は魂から生まれています。

魂には神が宿っています。

けれども、魂や神は霊的なものであり、存在を証明することはできません。


動物を見て、「かわいい」とか「守ってやりたい」という気持ちが自然に生まれます。

それは、私たちに神が宿っているからです。

そこから愛が生まれているからです。




愛を証明することはできませんが、ほとんどの人は実感したことがあります。

愛は五感を超えたものであり、実感しているのは魂です。

目に見えない愛の存在を信じられるのであれば、目に見えない魂、そして愛の源泉である神の存在も信じられるはずです。




神は全宇宙です。

神の創った法則によって、全宇宙は進化成長を続けています。




全てが神です。

私たちは神の創った神の一部です。




神と自分は別個の存在ではありません。

神と自分の間に隔てるものは何も存在しません。



ところが、多くの宗教が神と人間は別個のものと説いています。

その理由は、神との間に入って、取り次ぎたかったからと考えられます。

真実が広まって行くことで、宗教を通して神とつながる時代は終わりを告げると考えられます。




神を信じることによって、霊的なつながりが強くなります。

神のエネルギー(愛)は無尽蔵です。

つながりを通して、内からエネルギー(愛)が湧き出します。




神が全宇宙であるならば、この世界を心から信じることができれば、負の感情は打ち消されて、今を生きられるようになると考えられます。




霊界に行くと、肉体も(地上の)自我もなくなります。

過去や未来と結びついている感情からも解放されます。

怒りや悲しみが生じるような出来事が起きることはなく、未来を憂いたり、心配したりすることもなくなり、永遠の今を生きるようになります。



地上に生きている限り、感情をなくすことはできません。

なくす必要もありません。

感情があるからこそ、人生が豊かになり、さまざまなことを学ぶこともできます。

けれども、今を生きられなくなるような感情に支配され続けてしまうと、本来の自分を表現できなくなり、地上で予定されていた成長が得られなくなる可能性があります。





「自分は神であるとの真理に目覚めた魂は、いかなる人生の嵐をもってしても挫かせることはできないとの自信です。」シルバーバーチの霊訓にはこう書いてあります。

自分を信じることは、自分に宿る神を信じることにつながります。

自分を強く信じられるようになれば、神とのつながりが深まり、内から湧き出すエネルギー(愛)によって、負の感情から解放されて、今を生きられるようになると考えられます。

地上では、その強い意志が求められているのかもしれません。



神とのつながりを深めるのは、一朝一夕には行きません。

若い時に、混み合った電車の中で、初めてお年寄りに席を譲った時、心がほんの少し温かくなるのを感じました。

その時は気恥ずかしさからと思っていましたが、今は神の心に適った表現をしたことにより、つながりが深まり、エネルギーを受け取ったためと考えています。



日常生活において、親切にしたり、思いやりをもって接したり、優しくしたり、励ましたり、慰めたり、労わったり、協力したり、助けたり、認めたり、許したり、感謝する、そんなささやかな行いによって、少しずつ神とのつながりが深まって行きます。

そのような機会に溢れているのが地上です。

今を有意義に生きていることになります。






2026年6月7日日曜日

愛は魂を引き付け合う力


なぜ、物が落ちるのか?

昔の人は、物には下に落ちる性質があると考えていました。

万有引力の法則の発見によって、物に地面に引き付けられる力が働いていて、落ちることが分かっています。



生まれるのも、死ぬのも同じかもしれません。

人は偶然生まれて、老いれば死ぬと、漠然と考えられていました。

生まれるのも、死ぬのも、自然法則(以下法則)が働いた結果であることが、霊的真理によって明らかにされています。



生命の本質は、肉体ではなく魂です。

生まれる前も、死んだ後も、魂に意識は存在しています。

地上に生まれて来たのは、この人生を経験しようとする意志があって、その意志に法則が働いた結果と考えられます。



意志があるところに、何かしらの目的が存在しています。

例えば、イエス・キリストは堕落した宗教から民衆を救い出すという目的(使命)があって、生まれて来たと考えられます。

それぞれの人に目的がありますが、自覚している人はわずかです。



全ての人に共通する目的は、霊的な成長です。

それなくして、生まれて来ることはありません。


緑の葉が、黄色から紅くなり、そして枯葉となって枝から落ちるのは自然現象です。

水が0℃で凍り、100℃で沸騰するのも自然現象です。

全ての自然現象は、その現象を支配している自然法則の働きによって起きています。



死も自然現象です。

自然法則の働きによって、肉体から魂の完全な分離が行われます。



枯葉が枝から落ちるのは、目的を果たしたからです。

地面に落ちて、その後、土に還ります。



この世の目的を果たした人には寿命が訪れます。

死によって、肉体は土に、魂は霊界に還ります。



年を取って死ぬのならともかく、生まれて直ぐに亡くなった子供も、目的を果たしたと言えるのか?

そんな疑問を持つ人もいると思います。



自然法則の働きは完全です。

偶然が入り込む余地も、手違いも全くありません。

生まれて直ぐに亡くなった子供は、両親や家族の学びや成長を促すことを目的として、生まれて来たのかもしれません。



「無になった」「もう会えない」と思い、身悶えるような苦しみを感じている人がいます。

苦しみは、真実を受け入れるための触媒であり、法則の働きによって生じています。

「生命は永遠である」という真実を受け入れた時、事実誤認による苦しみから解放されます。




悲しみにより魂が目覚めるのも、法則の働きによるものです。

目覚めた人の中には「この世界に愛より大切なものは存在しない」ことを悟る人もいるでしょう。

このように、一緒にいたら学ぶことができなかったことを学んでいると考えられます。



「愛する者同士は離れることはない」これも法則です。

物と物の間に引力が働いているように、魂と魂の間には愛という引き付け合う力が働いています。



地上にいる人と霊界にいる人が愛し合うことは可能です。

愛し合うために必要なのは、霊界にいる人の存在と想いを、心から信じることです。

信じることで障壁が取り払われ、両者の間にリンクができます。

リンクを通して、霊界の人は地上の人の魂に想い(愛)を伝えることができます。



何もしていないのに、急に心が明るくなったり、温かくなるのを感じたのであれば、それは霊界からの想いが届いたせいかもしれません。

ある考えが急に頭に浮かんだのであれば、霊界からの想いがインスピレーションとなって伝わって来たのかもしれません。

何かをしようとする衝動が生まれたのであれば、そうするように促されていたのかもしれません。



霊界にいる人は肉体がありません。

地上にいた時のように、愛を表現することはできません。

想いを伝えて、地上の人を励ましたり、勇気付けたり、導いたりすることで、表現しています。



地上の人の想いは、ダイレクトに霊界の人に伝わっています。

信じることさえできれば、愛する想いを伝えることができます。

信じることさえできれば、愛せない苦しみから解放されます。



次元を超えて愛し合うとは、五感で感じられなくても霊界の人の想いを信じること、五感で伝えられなくても想いで地上の人を導くことです。

同次元で愛し合うよりもはるかに困難な選択を、お互いの成長のためにしたと考えられます。




生きている目的は、霊的な成長にあります。

霊的な成長を促すために、法則は働いています。



霊的な成長とは、神の心を体現できるようになることです。

神の創った法則によって、神の心を体現できるように導かれています。



神の心は、全てを愛する心です。

愛することによって、全体が強く結ばれて、最終的に1つになります。





2026年5月31日日曜日

エゴと神性


記憶には上って来ませんが、生まれる前、私たちは霊界にいました。

周りにいたのは、霊的に似通った人たちばかりです。

同じことを感じ、お互いの想いが分り合えていました。




地上に生まれると、環境が激変します。

周りにいるのは、性格、考え方、価値観が違う人たちばかりです。

他にも、国、言葉、文化、宗教、肌の色など、さまざまな違いが存在しています。

何を想っているのかも、全く分かりません。

それが当たり前のように思えますが、特殊な世界に生きているのです。




地上では、違いを感じさせられる出来事が頻繁に起きます。

少し前ですが、散歩に行った時のことです。

連れて行った飼い犬が、ある家の前の路上でフンをしました。

汚さないように気を付けて処理をしましたが、家の人が出て来て、自分の家の前でフンをさせるなと怒られてしまいました。

動物の生理現象なので、そこまで言わなくても良いのではと、一瞬思いました。




動物が好きな人もいれば、嫌いな人もいます。

その人にとって見苦しいものであり、気分を害されたのかもしれません。

些細な出来事ですが、感じ方や受け止め方が人によって違うことを改めて意識しました。




話は大きく変わります。

第二次世界大戦末期のことです。

連合国からポツダム宣言を突き付けられた時、当時の首相は(ポツダム宣言を)「黙殺」すると発言したそうです。

「ノーコメント」に近い意味合いで言ったのですが、アメリカ側に「軽蔑して拒絶する」と受け取られ(訳され)て、広島、長崎の原爆投下へとつながったと言われています。

想いや考えが正確に伝わらない地上では、このような事態が起きることは珍しくありません。




内面も外面も違う人たちと共に暮らし、他者の想いも分からず、正確に伝えられない地上では、軋轢や誤解が生じやすくなります。

軋轢や誤解から、怒りや怖れなどの感情が生まれて、争いになることもあります。



それらの感情や行動は、地上の自我(以下自我)の働きによるものです。

自我は肉体との結びつきが強く、自分を守るためにそのような感情が生まれ、行動していると思われます。




そんな世界を、平和に心穏やかに暮らして行くためには、どうすれば良いのでしょうか?

周りの人と自分が違うのが当たり前であることを、まず自覚する必要があります。

そして、他の人の違いを認めなければいけません。

他の人から見れば、自分自身も違っているのです。




肉体があるがゆえに、地上では過ちを犯します。

物質を介して表現しているので、行き違いが生まれます。

そのために、苦痛を感じたり、不利益を被る出来事が起きます。

自分に非がないのなら、相手を許せなくなっても、おかしくはありません。




許せなくなるのは、自我(エゴ)の働きによるものです。

怒りや憎しみの感情に捉われているうちは、自らを成長させることができなくなり、この世に生まれた目的を果たせなくなります。




許そうとしている自分もいます。

内なる神の働きかけを、常に受けているからです。

内なる神が、対象への憐れみ、寛容の精神となって顕現し、怒りや憎しみの感情から解放された時、許しが成立します。

自我(エゴ)から生まれるいかなる感情も、内なる神から生まれる愛には敵わないのです。





霊界では、初めからお互いを認め合っています。

許すような対象も存在せず、許すような出来事も起こりません。

想いが分かるので、信じる必要もありません。

想ったことは、リスクや労苦を伴わずに具現化するので、地上のように勇気を出して挑戦することもありません。




認めること、許すこと、信じること、勇気を出すことは、地上でしかできない経験です。

より多くの神性を発揮する機会が、地上では与えられています。




「明日は潜在する神性を開発し、人生を物質的、精神的、霊的に存分に楽しみ、周りに存在する素晴らしい霊的光輝をますます意識するようになる、その絶好の機会の到来を告げてくれるものなのです。」とシルバーバーチの霊訓には書かれています。

困難や障害を伴う出来事が起きたとしたら、あるいは怒りや怖れを感じる出来事が起きたとしたら、それは神性を発揮する絶好の機会が訪れたと思えば良いのです。

どんな出来事であっても乗り越えて行けるのは、私たちには神が宿っていて、無限の力が秘められているからです。





エゴと神性はコインの両面のようなものかもしれません。

地上では、どちらかが必ず表になります。




エゴに打ち克ち、神性を発揮することは、生まれて来た大きな目的の1つです。

霊的な進化が促され、より高く強い愛が表現できるようになります。



2026年5月24日日曜日

神からのエネルギー


人間は食べ物を食べなければ生きて行けません。

当たり前だろうと言われそうですが、それは肉体に限った話です。



人間は、「肉体」と「精神」そして「魂(霊)」から構成されています。

脳は肉体の一部ですが、そこに精神は存在していません。

目に見えない精神は、目に見える肉体とは違う次元に存在し、次元の違うエネルギーによって活動しています。



生きる力の源は、魂から生じている「生命エネルギー」にあります。

生命エネルギーは次元変換されて、精神が活動するエネルギーとなっています。



生命エネルギーの供給源は、「神」と呼ばれる存在です。

神とは、全宇宙を創ったエネルギーであり、全宇宙を活動させているエネルギーです。



私たちは、神のエネルギーによって創られた、宇宙を構成している極小の一部です。

そして、神の創った法則の働きによって、宇宙の秩序は保たれ、進化を続けています。



身体と宇宙の仕組みは同じです。

1つ1つの細胞は、全身の一部として、全身とつながっています。

全身から細胞が切り離されると死滅するのは、全身を流れている血液を介して、酸素や栄養など生きるために必要な要素が供給されているからです。



1つ1つの生命は、全体(神)の一部として、全体とつながっています。

全体(神)から供給されている生命エネルギーによって、私たちは生かされています。

細胞を身体から切り離すように、生命(魂)を全体から切り離すことはできません。

霊的なつながりは断たれることはなく、生命エネルギーによって、魂は永遠に生き続けます。



残念ながら、生命エネルギーの存在を証明することはできません。

証明できなくても、生命エネルギーの働きを実感することはできます。

怪我をして傷口がパックリと開いてしまったとします。

医者に行き縫合してもらっても、それだけでは傷口は治りません。

そこに自然治癒力という生命エネルギーが働くことによって、切り離された組織がピッタリと付いて治って行きます。

ウィルスに感染したとします。

ウィルスの増殖を抑制し、病気が治って行くのは、免疫機能の働きによるものです。

その機能を発揮させているのが生命エネルギーです。



ヒーリングをしている時、生命エネルギーの流れを実感しています。

ピリピリとした感覚が指先に伝わって行くのが感じられますが、エネルギーを多く必要としている人はその流れが強くなり、ビリビリとしたものになります。

エネルギーを受ける人も、温みを感じたり、患部がピリピリとすることがあります。



歯科治療で来院された患者さんが乳がんであることを聞き、承諾を得て遠隔ヒーリングを行いました。

しばらくして、患者さんが驚いた表情である資料を持って来られました。

その資料は、免疫療法のクリニックで血液検査をしてもらった結果でした。(下のグラフ)

NK(ナチュラルキラー)細胞はがんを攻撃する免疫細胞です。

その数に変化はありませんでしたが、NK活性(赤丸)が特異的に上昇しているのが認められます。(何かあったのですか?と医師に不思議がられたそうです。)

ヒーリングによって、NK細胞が活性化されたと推察されます。

それにより、がんが縮小したり、消滅したりします。

生命エネルギーの働きが、客観的に示された一例と考えられます。




仕事をしていると、歯ぐきが腫れて、痛みを訴えて来る人がいます。

そんな人に「最近ストレスを感じていませんか?」と質問すると、多くの人が「はい」と答えます。



ストレスが免疫力を低下させるのは周知の事実です。

ストレスによって、生命エネルギーが精神的次元の活動に消耗されると、その下流にある肉体的次元に行き渡るエネルギーが不足します。

そのために免疫力が低下して、歯周病菌が増殖し、炎症症状が出ると考えられます。





供給される生命エネルギーは、精神状態(感情)によって左右されます。

喜びを感じている時や自信に満ちている時は、魂の窓が開かれ、供給される生命エネルギーは多くなります。

逆に、怖れや不安を感じている時や自信を失っている時は、少なくなります。

強い恐怖を感じると、頭が真っ白になり、体が動かなくなるのは、魂の窓が閉ざされて、生命エネルギーの供給が急激に少なくなるためと考えられます。



地上では肉体があります。

そのために、怖れや不安などの感情が生まれます。

それ自体はやむを得ないことですが、自由闊達な自己表現が妨げられてしまいます。



自分を信じることで、内在する神とのつながりは深まります。

神とのつながりが深まれば、より多くの生命エネルギーが流れ込むようになり、負の感情から解放されます。



それができない時には、こう自分に言い聞かせて下さい。

「自分は神によって創られた神の一部である。自分には限りない神の力が秘められているので絶対に克服できる。」

心からこう宣言できたのなら、内から生命エネルギーが湧き出して、負の感情に打ち克つことができます。



それもできない時には、霊界で守り導いている存在に、「勇気をお与え下さい」と想いを向けて下さい。

霊界から励ましの想いというエネルギーを受け取ることで、心が奮い立って、前に進んで行くことができるかもしれません。



想い(願い)は、何でも叶うものではありません。

誰かのために何かをしようとする想い、試練を乗り越えて成長する方向へ進もうとする想いは、神の心に合致しているので、因果律の働きによって、具現化するためのエネルギーが与えられると考えられます。