記憶には上って来ませんが、生まれる前、私たちは霊界にいました。
周りにいたのは、霊的に似通った人たちばかりです。
同じことを感じ、お互いの想いが分り合えていました。
地上に生まれると、環境が激変します。
周りにいるのは、性格、考え方、価値観が違う人たちばかりです。
他にも、国、言葉、文化、宗教、肌の色など、さまざまな違いが存在しています。
何を想っているのかも、全く分かりません。
それが当たり前のように思えますが、特殊な世界に生きているのです。
地上では、違いを感じさせる出来事が頻繁に起きます。
少し前ですが、散歩に行った時のことです。
連れて行った飼い犬が、ある家の前の路上でフンをしました。
汚さないように気を付けて処理をしましたが、家の人が出て来て、自分の家の前でフンをさせるなと怒られてしまいました。
動物の生理現象なので、そこまで言わなくても良いのではと、一瞬思いました。
動物が好きな人もいれば、嫌いな人もいます。
その人にとって見苦しいものであり、気分を害されたのかもしれません。
些細な出来事ですが、感じ方や受け止め方が人によって違うことを改めて意識しました。
話は大きく変わります。
第二次世界大戦末期のことです。
連合国からポツダム宣言を突き付けられた時、当時の首相は(ポツダム宣言を)「黙殺」すると発言したそうです。
「ノーコメント」に近い意味合いで言ったのですが、アメリカ側に「軽蔑して拒絶する」と受け取られ(訳され)て、広島、長崎の原爆投下へとつながったと言われています。
想いや考えが正確に伝わらない地上では、このような事態が起きることは珍しくありません。
内面も外面も違う人たちと共に暮らし、他者の想いも分からず、正確に伝えられない地上では、軋轢や誤解が生じやすくなります。
軋轢や誤解から、怒りや怖れなどの感情が生まれて、争いになることもあります。
それらの感情や行動は、地上の自我(以下自我)の働きによるものです。
自我は肉体との結びつきが強く、自分を守るためにそのような感情が生まれ、行動していると思われます。
そんな世界を、平和に心穏やかに暮らして行くためには、どうすれば良いのでしょうか?
周りの人と自分が違うのが当たり前であることを、まず自覚する必要があります。
そして、他の人の違いを認めなければいけません。
他の人から見れば、自分自身も違っているのです。
肉体があるがゆえに、地上では過ちを犯します。
物質を介して表現しているので、行き違いが生まれます。
そのために、苦痛を感じたり、不利益を被る出来事が起きます。
自分に非がないのなら、相手を許せなくなっても、おかしくはありません。
許せなくなるのは、自我(エゴ)の働きによるものです。
怒りや憎しみの感情に捉われているうちは、自らを成長させることができなくなり、この世に生まれた目的を果たせなくなります。
許そうとしている自分もいます。
内なる神の働きかけを、常に受けているからです。
内なる神が、対象への憐れみ、寛容の精神となって顕現し、怒りや憎しみの感情から解放された時、許しが成立します。
自我(エゴ)から生まれるいかなる感情も、内なる神から生まれる愛には敵わないのです。
霊界では、初めからお互いを認め合っています。
許すような対象も存在せず、許すような出来事も起こりません。
想いが分かるので、信じる必要もありません。
想ったことは、リスクや労苦を伴わずに具現化するので、地上のように勇気を出して挑戦することもありません。
認めること、許すこと、信じること、勇気を出すことは、地上でしかできない経験です。
より多くの神性を発揮する機会が、地上では与えられています。
「明日は潜在する神性を開発し、人生を物質的、精神的、霊的に存分に楽しみ、周りに存在する素晴らしい霊的光輝をますます意識するようになる、その絶好の機会の到来を告げてくれるものなのです。」とシルバーバーチの霊訓には書かれています。
困難や障害を伴う出来事が起きたとしたら、あるいは怒りや怖れを感じる出来事が起きたとしたら、それは神性を発揮する絶好の機会が訪れたと思えば良いのです。
どんな出来事であっても乗り越えて行けるのは、私たちには神が宿っていて、無限の力が秘められているからです。
エゴと神性はコインの両面のようなものかもしれません。
地上では、どちらかが必ず表になります。
エゴに打ち克ち、神性を発揮することは、生まれて来た大きな目的の1つです。
霊的な進化が促され、より高く強い愛が表現できるようになります。


