2026年6月21日日曜日

神の創ったこの世界を信じる

 

この車を見て、ある日突然ここに現れたと思う人はいないでしょう。

人間が設計して、人間の手によって作られ、人間が運転してこの場所に置かれたと、誰もが思います。



生命は偶発的に誕生したと言う人がいます。

細胞1つをとってみても、車よりもはるかに精緻で複雑であり、その考えには無理があります。

何者かが設計して、何者かにより創られたと考えた方が、はるかに自然です。

その何者かを、「神」と呼ぶことにします。



車は迅速に移動するための手段として作られました。

人間も何か目的があって、創られたと考えるのが妥当です。



目的もなく存在しているものは、何1つありません。

人体を観察すれば、全ての組織が全身のために存在していることが良く分かります。

たとえ目的が分からなかったとしても、個々は全体のために何らかの役割りを果たすために存在しています。


宇宙は神の心が具現化したものです。

神の心は無限の愛です。



そうであるならば、この世界はもっと愛に溢れていても良さそうです。

実際には、戦争、差別、貧困、人や動物を虐げる行いなど、神の心とかけ離れたことが頻繁に起きています。



宇宙には、無限の界層(世界)があります。

界層は、その場に放たれている波長によって決まります。

波長の高い(短い)世界ほど、神の心が忠実に表現されていると考えられます。



シルバーバーチの霊訓には、こう書かれています。

「地上は宇宙の惑星の中で、最も進化の程度の低い部類に属します」

ショックを受けた一文ですが、神の心があまり表現されていない鈍重な世界に、私たちは生きています。



私たちは神によって創られた、宇宙(神)の一部です。

生命の本質である魂に神が宿っています。



けれども、私たちには肉体があります。

地上だけに存在する自我(以下地上の自我)が、肉体を使って自己表現をしています。

地上の自我は肉体と密接な関係にあるために、意識はどうしても自分(肉体)に向いてしまいます。

自分が空腹なのに、人に食べ物を分け与えるのは難しいのはそのためです。



私たちには、肉体とは別に霊体があります。

霊体を使って自己表現するために、霊的な自我も存在しています。

霊的な自我は魂と密接な関係にあります。

そのために、魂に宿る神の心を表現しようとします。



日常生活では地上の自我を前面に出して活動しています。

ところが、火事で助けを求めている人がいるのを見たら、その奥にある魂が目覚めて、神の心を表現しようとします。

それにより、霊的な自我には「助けてあげたい」という衝動が生まれます。

けれども、地上の自我は「自分まで死んでしまう」と考えます。

さまざまな危険を伴う地上を安全に生きるために、霊的な自我の想いに対して、地上の自我は抑制的に働いていると考えられます。



地上には、さまざまな人がいます。

生まれる前にいた世界が違うのであれば、生まれて来る人間が違って来るのは当然です。

より多くの神の心を表現している人もいれば、ほとんど表現できていない人もいます。

その人の霊性の高低と、地上の自我の強弱によって決まると考えられます。



私たちは、神の心を表現するために存在している、神の媒体です。

そして、神の創った自然法則の働きによって、神の心をより表現できるように、成長進化して行く存在です。



神は存在しないのではありません。

地上では、神を感じられなくなるだけです。



霊界にいる時は、霊的な感覚が前面に出ているので、自分と神(宇宙)との間に一体感があります。

ところが、地上に生まれ肉体を持つと、五感が前面に出るために、霊的な感覚は後退してしまうために、神との一体感はなくなります。



神を感じられなくなる地上では、信じる必要があります。

かつての私も、神の存在など信じていませんでした。

信じていなくても、何の不都合も感じませんでした。



思い出してみると、恐くなった時や大きな不安に駆られた時に、何か絶対的な存在に無意識に頼ろうとしていました。

窮地に追い込まれた時、「神様助けて下さい」と、心の中で叫んだこともあります。

頭では神を信じていなくても、魂は神の存在をはっきりと認識しているためだと思っています。



神の存在が感じられなくなる地上では、霊界にいた時にあった安心感や一体感に代わって、不安感や孤独感が生まれます。

神の存在を信じる必要があるのですが、神の存在を明示して、信じるように促す役目を担っている宗教が、肝心の真理がドグマに塗り固められてしまっています。

現代を生きる私たちに、受け入れられないものが多々あります。

これからは、宗教に頼るのではなく、自分自身で神を見出す時代になって行くと考えられます。



今、私たちが生きているこの世界も、神によって創られました。

さまざまな人が生きていますが、それぞれがこの世界の中で役割りを果たしています。

さまざまな出来事も、全て神の法則の働きの枠内で起きていて、最終的に霊的な成長につながっています。



霊界にいては出会えない人に出会い、経験できないことを経験することによって、改めて神を見出すことは、この世界に生まれて来た1つの目的と考えられます。

自らの意志でこの世界を信じることは、神を信じることにつながり、一体感が取り戻されて、安心して生きて行けるようになるはずです。