2026年10月18日日曜日

向こうにいる人と愛で結ばれる


若い時、「何のために生きているのだろう?」 という疑問を持っていました。

その後、霊的真理(シルバーバーチの霊訓)に出会い、「地上でしかできない経験を通して学び成長するため」という答えを見つけました。



地上の人生は経験の連続です。

望んでいる経験もあれば、望んでいない経験もあります。



病気になるのは、誰もが望んでいない経験です。

一刻も早く治して、元の自分に戻りたいと思うばかりです。



死別は、最も望んでいない経験の1つです。

アメリカの精神科医が、勤労者を対象に人生の出来事でかかるストレスを調査し、数値化しました。

数値が1番高かったのは、配偶者との死別でした。(子供との死別は項目に含まれていません)

その理由として、愛する人と一緒に過ごす時間を失う、心の支えを失う、生活習慣や日常生活が変わる、将来の計画を失う、孤独や不安に直面するなどの変化が、同時に起きるためと言われています。

そして、病気は元に戻れる可能性があるのに対して、死別は元には戻れない現実が、大きな要因になっていると考えられます。



別れの経験によって、悲しみの感情が生まれます。

「もう会えない」「つながりが断たれた」と思ってしまうと、大きな苦しみとなります。



では、その感情はどこから生まれているのでしょうか?

地上の人間は、霊(魂)と精神と肉体から構成されています。

肉体をコントロールしているのが精神であり、精神をコントロールしているのが霊と考えて差し支えないと思います。

霊から生まれた思念は、精神の働きによって具体化され、肉体によって具現化されます。

そして、肉体から入った情報を基に、精神の働きによって「感情」は生まれていると考えられます。

精神は肉体と密接に結びついています。

怖れや怒りなどの感情が生まれるのは、取り巻いている環境から肉体(自分)を守ろうとする精神の働きによるものです。



人間は死ぬと、幽界という地上と良く似た世界に移ります。

肉体に変わり幽体によって、自己表現するようになります。

幽体のバイブレーションは肉体に近く、地上と似たような感情が生まれています。



しばらくして、幽界から霊界に移ります。

そこでは、肉体よりはるかに精妙なバイブレーションの霊体によって、自己表現するようになります。

地上の精神(自我)は消滅して、本来の自分である霊的な精神(以下霊的な自我)だけになります。

霊的な自我は神を内在しているため、憎しみや嫉妬などの愛に反する感情は生まれません。



霊界に行った人からは、地上の人のような別れの悲しみや苦しみは生まれません。

学び成長するために必要な別れであったことを知るからです。

生きている世界は違ってもつながりは断たれていないこと、また会えることが分かっているからです。



霊界は地上よりも、はるかに快適な世界です。

そのことに気付くと、地上にいられなかったことを嘆き悲しんでいる人の姿を見て、強烈な違和感を覚えます。

両者のギャップについて、シルバーバーチの霊訓にはこのように書かれています。

「肉眼の視野から消えると、あなた方は悲しみの涙を流されますが、私たちの世界では、また一人、物質の束縛から解放されて、言葉では言い表せない生命の喜びを味わい始める魂を迎えて、うれし涙を流します。私はつねづね死は自由をもたらすものであること、人間の世界では哀悼の意を表していても、本人は新しい自由、新しい喜び、そして地上で発揮できずに終わった内部の霊性を発揮するチャンスに満ちた世界での生活が始まったことを知って、喜んでいることを説いております。」

霊界に行った人は「私のことは全く心配しないで」と地上の人に伝えたくなるでしょう。



悲しみの存在しない霊界では、地上の人が涙を流している姿を見て、それまでの自分の経験から、その感情を推し量っていると思われます。

余談ですが、昔は愛しみと書いて「かなしみ」と読んだそうです。

霊界にいる人は、悲しみではなく「愛しみ」が生まれているのではないかと思っています。



シルバーバーチの霊訓にはこうあります。

「哀悼者の悲しみの念が壁となって他界した霊を近づけなくしています。」

「悲しみに涙を流せば、その涙が霊まで遠く流してしまいます。」

障壁となってしまうのは、悲しみは霊界にいる人の存在を否定するバイブレーションとなっているからだと思います。

目の前からいなくなったのですから、悲しむのは仕方がありませんが、この現実は知っておくべきです。



肉体から解放された霊界の人と、悲しみは共有できません。

もし共有できているとすれば、幽界に留まっていることになります。

それは、霊界で生きる喜びを享受できていないことを意味します。



地上にいる人も、霊界にいる人も、本質は魂です。

魂から生まれる想いならば、共有することができます。



「愛」は魂から生まれている想いです。

霊界にいる人は、地上で悲しんでいる人を見て、愛に根差した想いが生まれています。

難しいのを承知で言いますが、もし地上の人が、霊界にいる人の存在と想いを心から信じて、今いる世界での幸せを祈ることができたのなら、愛が共有されて、魂と魂は同じ想いによって強く結ばれるでしょう。



愛は五感に触れません。

そのために、地上の人には愛されているという実感はありません。



霊界にいる人は、霊的な感覚が全てになります。

地上の人から届く愛念というバイブレーションによって、魂は共鳴します。

信じてもらえている、愛されているという確かな実感が、霊界にいる人にはあるのです。



霊界にいる人には、そこで果たすべき役割りがあります。

地上の人から届く愛念により、心は悦びで満たされて、安心して自分の役割りを果たすことができます。