「ありのままの自分」という言葉を良く聞きます。
素の自分、本当の自分と言う意味でしょうか?
分っているようで、意外に分っていないような気がしたので、少し考えてみました。
人間の本質は魂(霊)です。
地上の人間は、肉体を携えた魂です。
魂は肉体の上位にあり、支配的な存在ですが、直接肉体を動かしているわけではありません。
魂と肉体の間に、精神(地上的自我)が存在しています。
受胎した瞬間、精神(地上的自我)は生まれます。
魂から生まれた想いは、地上的自我が働くことによって、肉体に命令が出され、外部に表現されます。
地上的自我は魂を表現するための媒体ですが、肉体と密接不可分の関係にあり、強い影響を受けています。
外部の危険を察知して、肉体を守ろうとするのも、この自我の働きによるものです。
地上の人間には、肉体の他に「霊体」があります。
起きている時は肉体を使って活動していますが、眠っている時は魂は肉体を離れ、霊体を使って活動しています。
魂と肉体の間に地上的自我が存在していますが、魂と霊体の間には「霊的自我」が存在しています。
地上の人間には、地上的自我と霊的自我の2つが存在していることになります。
地上的自我は肉体の影響を強く受けていますが、霊的自我は魂の影響を受けています。
地上では霊的自我から生じる想いのまま行動すると、肉体が危険に晒されることがあるため、地上的自我が抑制的に働いています。
以前、車いすの男性が踏切内で立ち往生してしまい、それを見て助けようとした女性が列車にはねられて亡くなるという痛ましい事故がありました。
魂には神が宿っています。
亡くなった女性は、地上的自我で抑えきれないほどの神性が霊的自我を通して発揮されたと思われます。
地上の人生には、生まれる前に立てられた計画(ブループリント)があります。
霊的自我にはその記憶がありますが、地上的自我にはありません。
守護霊の働きかけもあり、無意識の内に計画に沿って生きようとしますが、地上的自我が強くなってしまうと、それが出来なくなります。
例えば、金銭的な欲望に負けてしまい、計画から外れてしまう人もいます。
計画から外れてしまうと、因果律の働きによって、何らかの出来事が起きるかもしれません。
金銭的な欲望に負けてしまった人は、経済的に破綻するなど、地上的自我(精神)が追い詰められる出来事が起きるかもしれません。
また、地上的自我から生じている感情によって、計画通りに行かなくなる時があります。
怖れが強くなり過ぎると、計画されていた出来事が起きても尻込みしてしまい、予期した成長が得られなくなることもあります。
運命を呪ったり、不運として嘆いたりしてしまうと、そこから何も学ぶことができなくなります。
魂から生じている想いは、肉体によって外部に表現されることで完結します。
地上的自我の働きが強くなると、感情や考えによって妨げられて、想いは肉体によって表現できなくなります。
想い(思念)はエネルギーです。
表現できずに内に溜まった想いが閾値を超えると、因果律の働きによって、肉体を変化させるエネルギーとなり、病気として現れることもあると考えられます。
失敗、挫折、病気などの出来事からは苦痛が生じます。
苦痛により、眠っていた魂が目覚めます。
地上的自我の働きは弱まり、霊的自我が前面に出て来て、想いを素直に表現できるようになります。
不幸と言われる出来事は、本来の自分を取り戻すため、計画されていた人生を歩むための触媒の役割りを果たしていることになります。
ありのままの自分とは霊的自我のことを指していると思いましたが、そうではなさそうです。
地上的自我も含めて、ありのままの自分と思うようになりました。
頭を働かせて考え、悩みながら、地上を生きなければならないからです。
感情が生まれるのは自然なことだからです。
ありのままの自分とは、そのままの自分です。
ありのままの自分でいようとするのであれば、そのままの自分でいれば良いのだと思います。
大切なのは、地上的自我から生まれている欲求や感情や考えに惑わされずに、霊的自我から生まれている想いやインスピレーションに気付くことかもしれません。
それを表現することで、人は学び成長することができ、地上に生まれた目的が成就されて行きます。


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