人は何のために生きているのか?死んだ後はどうなるのか?その明確な答えが「シルバーバーチの霊訓」の中にありました。本当の自分とは魂です。この世を生きるたった1つの目的は、魂を成長させるためです。人生で出会う障害や苦難を乗り越えること、人や動物そして社会のために奉仕することで、魂は成長していきます。死んだ後、魂は次の世界に移り、この世を振り返る時が必ず来ます。悔いのない様に、失敗を怖れず、今を大切にして生きましょう。
2026年9月20日日曜日
神の愛
2026年7月12日日曜日
神は法則
記録が残っている中で最も長生きした人は、フランス人のジャンヌ・カルマンさんで122歳と164日でした。
男性では日本人の木村次郎右座衛門さんで116歳と54日でした。
人間は125歳を超えて生きられないと言われています。
それに抗うように、昔から人間は不老不死の薬を追い求めて来ました。
けれども、科学がいくら発達しても、そのような薬は見つかりません。
その理由は、人間の寿命は「法則」の働きによって支配されているからです。
法律や規則は人間が作ったものなので、変えることができます。
けれども、法則は永遠に不変です。
もし万有引力の法則が変わるようなことがあれば、人が宙に浮いてしまうかもしれません。
不変でなければ、世界は大混乱に陥ってしまいます。
法則は偶然、生まれたのではありません。
何者かが、何らかの意図があって、創ったはずです。
法則を創った存在を「神」と呼ぶことにします。
神は同時に、宇宙を創ったと思われます。
神的なエネルギーが、様々な形態となって顕現しているのが、この宇宙です。
宇宙の一部である私たちも、何らかの意図があって創られたはずです。
宇宙の秩序は、法則の働きによって保たれています。
そして、法則の働きによって変化(進化)しています。
物質は、法則の働きによって、より安定したものへと変化しています。
人間の本質である霊(魂)は、より高いものへと進化しています。
宇宙と法則の総体が神であると考えられます。
宇宙と法則を創った神の意図の中に、無限の愛が組み込まれています。
私たちは神の愛の中で生きています。
けれども、愛は五感に触れるものではありません。
目に見えるものしか信じない人にとって、神や愛は絵空事のように聞こえてしまうかもしれません。
そんな人も、神の一部であり、神の心である愛を内在しています。
昔、道端で鳴いている子猫や捨てられた子犬を見て可哀想になり、家に連れて帰った人も多いのではないでしょうか。
子供の頃は自我が発達していないために、内在する神の愛が素直に表現されたからだと思います。
大人になると見て見ぬふりをしてしまうのは、自我が発達して自分を中心に考えるために、素直に表現できなくなるからだと思います。
本来の私たちは無意識に愛を表現しようとする存在ですが、地上では自我があるのでそうは行きません。
起きることに、奇跡や偶然はありません。
全ての事象は、法則の働きによって起きています。
イエス・キリストが湖の上を歩いたのも奇跡ではなく、法則が働いた結果です。
霊的次元の力が法則の働きによって、物質次元の重力に抗らう力に変換されて、そのような現象が起きたと考えられます。
ヒーリングにより、病気が癒されるのもそうです。
肉体上に現れる病気の多くは、精神的次元や霊的次元に原因があります。(ストレスによって胃潰瘍になるのはその典型です。)
霊的次元の力が法則の働きによって、精神的次元に存在している負の感情を解放させる力になることによって、肉体上の病気が消失したり、機能が回復することがあると考えられます。
コンピューターに入力すると、演算処理されて、出力されます。
それと同じで、原因があって、因果律(法則)が働いて、結果として事象が起こります。
日常生活は、原因と結果の連鎖によって営まれています。
悲しくなると涙が出るのも、精神的次元と物質的次元の法則が連動して働いた結果と考えられます。
入力がなければ出力がないように、原因が存在しなければ事象が起きることはありません。
地上に生まれるという事象も、何らかの原因(目的)があって、複数の次元の法則が働いた結果として起きています。
数年前、他国に侵略した国があります。
そんな国に対しても、法則は厳格に働きます。
他国に与えた来た苦しみや痛みが、因果律の働きによって、自国の苦しみや痛みとなって返って来つつあります。
そのような企みが永続的に成功を収めることがないのは、神の心に反した行いは法則の働きによって正される運命にあるからです。
首謀者は、極めてみじめな結末を迎えることになるでしょう。
現在、日本とトルコの関係は良好です。
それは、ある出来事がきっかけとなったと言われています。
1890年、トルコの軍艦が和歌山県串本町沖で台風に遭い沈没しましたが、地元住民は命がけで約70名を救出し、自分たちも貧しい暮らしをしていたにもかかわらず、食料や衣服を惜しみなく提供しました。
その後、救出されたトルコ人は日本政府の軍艦で母国に送り届けられました。
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| トルコ軍艦遭難慰霊碑(串本町) |
1985年、イラン・イラク戦争の最中、イラクは「空港を離陸する航空機を攻撃する」と通告しました。
各国は急いで自国民を救出しましたが、多くの日本人が現地に取り残されてしまいました。
窮状を知ったトルコ政府は、危険を承知の上で旅客機を派遣し日本人を救出しました。
「95年前、日本人が私たちを助けてくれた恩返しだ」と、多くのトルコ人が語っていたそうです。
神の心に適った行いをすれば、後に善い報いを受けることになる1例と言えます。神を信じている人が、神に愛されるのではありません。
「想った」こと、「言った」こと、「行った」ことに、神の法則は働いています。
信じていなくても、神の心に適った想いを表現すれば、喜びがもたらされます。
信じていても、神の心に反した想いを表現すれば、苦痛がもたらされます。
誰もが、苦痛ではなく喜びを感じることを望んでいます。
地上でしか味わうことのできない苦痛の経験を通して、喜びを感じる方向へと導かれています。
全ての人は、法則の働きによって、平等に愛されているのです。
神の心は、良心となって私たちの中に顕現しています。
何より大切なのは、自我の考えに惑わされずに、良心の声に従って生きることです。
簡単ではありませんが、後の喜びへとつながって行きます。
2026年6月7日日曜日
愛は魂を引き付け合う力
なぜ、物が落ちるのか?
昔の人は、物には下に落ちる性質があると考えていました。
万有引力の法則の発見によって、物に地面に引き付けられる力が働いていて、落ちることが分かっています。
生まれるのも、死ぬのも同じかもしれません。
人は偶然生まれて、老いれば死ぬと、漠然と考えられていました。
生まれるのも、死ぬのも、自然法則(以下法則)が働いた結果であることが、霊的真理によって明らかにされています。
生命の本質は、肉体ではなく魂です。
生まれる前も、死んだ後も、魂に意識は存在しています。
地上に生まれて来たのは、この人生を経験しようとする意志があって、その意志に法則が働いた結果と考えられます。
意志があるところに、何かしらの目的が存在しています。
例えば、イエス・キリストは堕落した宗教から民衆を救い出すという目的(使命)があって、生まれて来たと考えられます。
それぞれの人に目的がありますが、自覚している人はわずかです。
全ての人に共通する目的は、霊的な成長です。
それなくして、生まれて来ることはありません。
緑の葉が、黄色から紅くなり、そして枯葉となって枝から落ちるのは自然現象です。
水が0℃で凍り、100℃で沸騰するのも自然現象です。
全ての自然現象は、その現象を支配している自然法則の働きによって起きています。
死も自然現象です。
自然法則の働きによって、肉体から魂の完全な分離が行われます。
枯葉が枝から落ちるのは、目的を果たしたからです。
地面に落ちて、その後、土に還ります。
この世の目的を果たした人には寿命が訪れます。
死によって、肉体は土に、魂は霊界に還ります。
年を取って死ぬのならともかく、生まれて直ぐに亡くなった子供も、目的を果たしたと言えるのか?
そんな疑問を持つ人もいると思います。
自然法則の働きは完全です。
偶然が入り込む余地も、手違いも全くありません。
生まれて直ぐに亡くなった子供は、両親や家族の学びや成長を促すことを目的として、生まれて来たのかもしれません。
「無になった」「もう会えない」と思い、身悶えるような苦しみを感じている人がいます。
苦しみは、真実を受け入れるための触媒であり、法則の働きによって生じています。
「生命は永遠である」という真実を受け入れた時、事実誤認による苦しみから解放されます。
このように、一緒にいたら学ぶことができなかったことを学んでいると考えられます。
「愛する者同士は離れることはない」これも法則です。
物と物の間に引力が働いているように、魂と魂の間には愛という引き付け合う力が働いています。
地上にいる人と霊界にいる人が愛し合うことは可能です。
愛し合うために必要なのは、霊界にいる人の存在と想いを、心から信じることです。
信じることで障壁が取り払われ、両者の間にリンクができます。
リンクを通して、霊界の人は地上の人の魂に想い(愛)を伝えることができます。
何もしていないのに、急に心が明るくなったり、温かくなるのを感じたのであれば、それは霊界からの想いが届いたせいかもしれません。
ある考えが急に頭に浮かんだのであれば、霊界からの想いがインスピレーションとなって伝わって来たのかもしれません。
何かをしようとする衝動が生まれたのであれば、そうするように促されていたのかもしれません。
霊界にいる人は肉体がありません。
地上にいた時のように、愛を表現することはできません。
想いを伝えて、地上の人を励ましたり、勇気付けたり、導いたりすることで、表現しています。
信じることさえできれば、愛する想いを伝えることができます。
信じることさえできれば、愛せない苦しみから解放されます。
次元を超えて愛し合うとは、五感で感じられなくても霊界の人の想いを信じること、五感で伝えられなくても想いで地上の人を導くことです。
同次元で愛し合うよりもはるかに困難な選択を、お互いの成長のためにしたと考えられます。
生きている目的は、霊的な成長にあります。
霊的な成長を促すために、法則は働いています。
霊的な成長とは、神の心を体現できるようになることです。
神の創った法則によって、神の心を体現できるように導かれています。
神の心は、全てを愛する心です。
愛することによって、全体が強く結ばれて、最終的に1つになります。
2026年3月22日日曜日
生まれ変わり(再生)について
私が小さい頃、4歳違いの妹はある場所を極端に怖がりました。
それは水の張った浴槽です。
浴槽を見ると泣き叫んで逃げていたので、いつもどうしてだろうと思っていました。(母親と風呂に入る時は何故か大丈夫でした)
幼少期を過ぎると、いつのまにか怖がらなくなっていました。
米国のバージニア大学医学部にイアン・スティーブンソンとういう精神科の教授がいました。
彼は2300例という前世の記憶を持つと言われる子供たちを調査して、1977年「神経・精神病学雑誌 (Journal of Nervous and Mental Disease)」に「生まれ変わり現象」についての論文を発表しました。
事例として記録されたのは、前世の記憶を持つとされる子供が、前世の人物の持ち物や親しかった人を見分けられること、前世の人物に見られた特徴的な行動を示すこと、前世の記憶とされる事象が1人以上の成人によって裏付けられたなど、6つの条件の内、2つ以上を満たしたものでした。
研究によると、前世の記憶は2歳から5歳までの間に現れて、成長するのに伴い消えて行くそうです。
また、前世の死亡時の状況を覚えていて、死因となった特定の乗り物や火や水、銃火器などを見ると怖がる子がいたそうです。
「肉体がなくなっても生命(魂)は生き続ける。」
そのことは、私にとって当たり前の事実となっています。
この人生は、永遠に続く生命の営みの一部分です。
思い出せませんが、この人生の前にも地上の人生があったのです。
妹に起きていたことを、改めて考えてみると、このような推論が成り立ちます。
水を張った浴槽を見て怖がったのは、前世で溺れる経験をしていたのではないか。
魂に刻まれたその記憶が、自我が発達していない幼少期に蘇っていたのではないか。
真偽は分かりませんが、そう考えるとつじつまが合います。
世界のいたるところに、生まれ変わりの話はあります。
チベット仏教の最高指導者であるダライラマの後継者の選定も、生まれ変わりを前提にしています。
生まれ変わりとして認定されるのには、過去世を思い出して事実に基づいた話ができる、先代が使用していた物品を同定できる、先代の周囲にいた人を同定できるなどの要件を満たさなければいけません。
日本では江戸時代の「勝五郎の生まれ変わり」が知られていて、前出のイアン・スティーブンソン氏が研究を始めるきっかけとなりました。
仏教では、天・人・修羅・餓鬼・畜生(動物)・地獄の、いづれかの世界に生まれ変わると言われています。
ヒンズー教では、人間以外にも、動物や昆虫、植物などの生命形態に生まれ変わる可能性があると言われています。
霊的真理では、(地球では)人間は人間以外に生まれ変わらないと言われています。
3者に共通しているのは、因果律(カルマ)によって来世が決まると言うことです。
ただ現世で過ちを犯すと、動物などに生まれ変わると言うのは、一種の罰であり、戒めのように思えます。
人間は人間以外に生まれ変わらないと、私は思っています。
何故なら、カルマは罰としてあるのではなく、公正を保つため、学びや成長のためにあると考えているからです。
犯した過ちを償い、学ぶためには、もう1度人間に生まれて、それに相応しい経験をしなければならないと考えています。
学んでいるのは、自然法則の働きです。
法則は、神の心が顕現したものです。
神の心の核心は愛であり、愛が法則を貫いています。
愛に適った行いをすると、法則の働きにより調和が生まれ、喜びがもたらされます。
愛に反した行いをすると、法則の働きにより調和の乱され、苦痛がもたらされます。
喜びと苦痛により、私たちは愛を学び、それを表現する方向へと導かれています。
戦争は最も愛に反した行いの1つであり、著しく調和を乱します。
それによりもたらされる苦痛を世界全体が共有して、愛と平和の意味について人類全体が学ぶ時代が来ていると思われます。
愛(神性)は、親切、同情、寛容、慈悲、哀れみ、友情、無私の行いなど様々な表現形態を取ります。(シルバーバーチの霊訓より)
愛を表現することによって、霊的なつながりは強まります。
物的に離れて存在している生命が、霊的に1つになって行くのを目論んで、法則は創られていると思います。
人間は法則の働きによって、霊的に成長して行きます。
成長するのに伴い、より高い次元の愛を表現できるようになります。
成長の一環として、地上に生まれます。
地上でしかできない経験を通して、地上でしか学べないことを学んでいます。
それによって成長が促されて、それまで表現できなかった愛を表現できるようになります。
地上の人生は「学校」に例えられます。
学校では、予定されていた1年のカリキュラムが終わると、春休みに入ります。
その時に、通知表が手渡されて一喜一憂します。
予定されていた地上の人生が終わると寿命が来て、霊界に戻ります。
戻った後に、地上の人生を振り返ることになり、一喜一憂します。
学び損ねたことがあるのに気付いて、それを悔やんで、もう1度学び直そうと思うかもしれません。
さらに、学びを深めたいと思うかもしれません。
あるいは、もっと別のことを学びたいと思うかもしれません。
そんな思いに対して、因果律が働いて、結果として地上に生まれることになります。
生まれ変わりは、リ・スタートです。
学年が上がると、クラスが変わり、新たな環境で学校生活がスタートします。
同じ魂が別のパーソナリティとなり、思いを成就するために最適な環境に生まれ、新たな人生がスタートします。
小学1年生が、いきなり高等な数学を習得することはできません。
まず、足し算と引き算を学ぶことから始めます。
次に掛け算を学び、その次に割り算や分数を学びます。
学年が上がることで、より難しい算数を学ぶようになっています。
何度も生まれ変わるのは、たった1度の人生で、全てを学ぶことなどできないからです。
地上に最初に生まれた時は、易しい人生になるのかもしれません。
次に生まれる時は、より難度の高い人生になるのでしょう。
より難しい人生に挑戦することによって、より価値のある教訓を学ぶことができて、魂はより大きく成長すると考えられます。
学校に行く目的は、人や社会に奉仕するための知識やスキルを身に付けて、自立した生活を営むためと思われます。
地上を生きる目的は、肉体を介した経験から霊的な学びや成長を得て、霊界に戻って全体のためにさらに自分を活かせるようになるためと思われます。
霊界で自律的に成長して行けるほどの愛を表現できるようになった魂は、もう地上で学ぶことは残されていないので、生まれ変わる必要はなくなります。
2026年3月1日日曜日
法則の働き
今から500年前、日本は戦国時代でした。
武力がものを言う時代であり、各地の大名が領土争いを繰り広げていました。
そこに住んでいた者は争いに巻き込まれ、多くの命が失われたことでしょう。
時代が進むにつれて、争いは少なくなって行き、日本は平和な社会となっています。
昔は、女性が政治に参加することは許されませんでした。
家で食事を作ったり、掃除や洗濯をするのが、女性の仕事と思われていました。
今は、女性が首相になる時代となりました。
多くの男性が、当たり前のように家事に参加しています。
世の中も人も、時代と共に変化しています。
500年前に生きていた人が現代に生まれたとしたら、あるいは現代を生きている人が500年前の世界に生まれたとしたらどうでしょう?
周りの人間との間に大きな隔たりを感じて、適応するのが困難でしょう。
その時代に見合った、進化の程度の人が生まれて来ると考えられます。
進化とは、知性が高くなることではありません。
霊性が高くなり、より神の心が表現されるようになることです。
進化した世界とは、個々の生命が持っている特性が全体のために活かされて、高度に調和している状態を指すと思います。
もし、宇宙の彼方から知的な生命が訪ねて来たらどうでしょう。
最も進化していると言われている人間が、ところどころで傷つけ合い、殺し合っています。
飢えている人、苦しんでいる人がいても、見て見ぬふりをしています。
自分が住んでいる星を汚して、他の動植物たちの生存を脅かしています。
そんな姿を見て、何て野蛮で愚かな生命だろうと思うでしょう。
現代人が500年前にタイムスリップした時よりも、強い違和感を感じるかもしれません。
形跡があるのに、人前に姿を現さないのは、進化の程度に大きな差を感じて、友好関係を結ぶ気になれないからなのかもしれません。
無用な争いをせず、協調性に富み、自然と調和して生きている、海の中にいる知的でフレンドリーな生き物の方に、親しみを感じているような気もしています。
争いがない社会になって行くのも、男女の分け隔てがなくなって行くのも、偶然ではありません。
もちろん人間がそうなるように努力をしているのですが、最大の理由は目に見えない自然法則が働いているからだと思います。
自然法則と言っても、さまざまな次元のものがあります。
水が0℃で凍り、100℃で沸騰するのは、物質的次元の法則の働きによるものです。
助けてもらうとうれしくなり、裏切られると怒りが生じるのは、精神的次元の法則の働きによるものです。
より平和で平等な世界になって行くのは、霊的次元の法則の働きによるものです。
あらゆる現象に、自然法則が伴っています。
法則の根底にあるのは「因果律」です。
原因があれば結果が生じます。
「法律」に背いた行いをしても、見つからなければ咎められることはありません。
「法則」に背いた行いをすれば、相応の結果が必ず生じます。
人や動物を傷つければ、自らの魂を貶める結果が生じて、相応の苦痛を味わって償わなければいけなくなります。
神の心が法則によって顕現しています。
法則は神の公正によって貫かれています。
苦痛は公正を保つために必要であると同時に、自らの過ちに気付いて正すために存在しています。
乗り越えられない出来事は存在しないのは、神の法則の働きによって起きているからです。
苦しめるため、挫けさせるためではなく、学び成長させるために起きているので、ぎりぎりのところまで追い詰められたとしても、乗り越えられるようになっています。
どんな出来事にも原因(目的)があります。
それが分からないと、偶然としか思えません。
不幸や凶事と言われる出来事であれば、理不尽に思えて、運命を呪ってしまうこともあります。
死んで霊界に行くと、霊的な目が見開かれます。
地上にいる時に分からなかった原因(目的)が分かるようになります。
自分に足りない資質を手に入れるために、その出来事を経験する必要があり、そのために起きているのかもしれません。
あるいは、過去の人生に原因があって、今回の人生で結果として現れているのかもしれません。
自分の言動や想いが原因となり、自動的に結果を生み出しています。
生み出された結果に対する、自分の言動や想いが、新たな結果を生み出しています。
原因と結果を繰り返しながら人生が営まれていますが、その一局面として出来事が起きているのかもしれません。
いずれにせよ、偶然や不運ではなかったことを知ります。
地上にいた時に抱いていた、理不尽な思いは消えます。
そして、出来事が起こった時の対応によって、自分が形作られて行くのを知ることになります。
自分が原因を作っていないのに、苦痛を伴う出来事を経験することがあります。
そこに埋め合わせの法則が働いています。
恨まずに、その出来事を乗り越えようとすることで、魂の成長という報いがあり、神の公正が完全に保たれていたことを知るでしょう。
あらゆる存在は、法則の働きによって、神とつながっています。
神の心は愛です。
法則の働きによって、喜びが感じられる方向へと導かれています。
時に、つらく、悲しい出来事が起きますが、その経験により霊的に成長して、その先でより深い喜びが感じられるようになります。
霊的な真実が分からなくなる地上では、その時が必ず来ると強く信じて生きるしかありません。
2025年6月1日日曜日
自分の想いを問い質す
私たちは、肉体を使って自己表現しています。
生まれた時からそうしているので、当たり前のように感じられますが、そうではありません。
死ぬと肉体はなくなります。
別の媒体で自己表現を始めます。
そこでは想ったことが、直ぐに具現化します。
想いが周りに知れる、嘘や偽りが存在しない、ありのままの世界です。
地上での行いの全ては、魂(オーラ)に刻み込まれています。
死後に人生を振り返る時が来ますが、自分の行いがどんな結果をもたらしたのかを知ることになります。
同じ行いであっても、動機は様々です。
例えば、大きな災害が起きると、被災地を支援する人たちが現れます。
支援する動機が、被災者のために役に立ちたいという人がほとんどでしょうが、中には見栄や称賛を得るための人もいます。
外からは知ることはできませんが、その動機が問われます。
地上を生きる人間は、肉体、精神、魂(霊)の3者から成り立っています。
3者の存在する次元は異なります。
私たちは物(肉体)的次元の存在ですが、同時に精神的次元、霊的次元にも存在していると言えます。
肉体、精神、魂(霊)は、それぞれの次元の法則の働きによって支配されています。
私たちが認知しているのは物的次元に働いている法則です。
物理的、化学的、生物学的法則などがそうです。
精神的法則は、精神次元に形成されている自我に働いています。
別れの時に悲しくなり、裏切られた時に怒るのもそうです。
特定の出来事に対して、特定の感情が生じるのは、精神的法則の働きによるものと考えられます。
霊的次元の法則は、魂に働いていて、進化成長に関わっています。
他者に奉仕をすること、困難や障害を乗り越えようとすること、内なる神の声に耳を傾けることで、霊的次元の法則に則って、魂は成長します。
人を傷つけたり、苦しませたりすると成長は妨げられ、償いが生じるのも同じ法則の働きによります。
霊的次元の法則は、目に見えない想い(動機)に対しても働いています。
想い(動機)が、役に立ちたいなど利他的なものであれば、法則に叶っているので成長を促します。
見栄や称賛を得るためなど利己的なものであれば、法則に叶っていないので成長することはありません。
同じ行いをしても、想い(動機)によって魂に与える結果は大きく違って来ます。
自分の心は自分のものです。
何を想っても自分の自由だろうと考えている人もいるでしょう。
行動に移さなければ、何を想っても構わないと考えている人もいるでしょう。
壁を手で押すとどうでしょう?
壁から押し返されます。
これは「作用・反作用の法則」(ニュートンの第3法則)の働きによるものです。
霊的次元においても、同じような法則が働いていると考えられます。
憎しみや恨みなどで他者を貶めようとする想いが生まれると、魂を貶める結果となって自らに返って来ます。
想いは具現化する力です。
行動に移さなくても、自分から生じた想いは、形を変えて具現化するので、気を付けなければいけません。
あらゆる次元の法則の根幹を成しているのは「因果律」です。
人に喜んでもらうと、自分もうれしい気持ちになります。
愛情を知らない動物たちが、飛び切り愛情深い家族に迎え入れてもらい、幸せそうに暮らしている姿を見ると、自分もとても幸せな気持ちになります。
幸せになって欲しいという想いは、自分自身を幸せにしてくれます。
良くも悪くも行動を起こした想い(動機)は、霊的次元の法則の働きにより、自分に返って来ます。
人のためにと思っていても、実は自分のためにしている時があります。
法則は誤魔化せません。
どんな想いで行動しようとしているのかを、自分に問い質す必要があります。
シルバーバーチの霊訓にはこう書かれています。
「自我を発達させる唯一の方法は自我を忘れることです。他人のことを思えば思うほど、それだけ自分が立派になります。」
地上において培われた、誰かのために何かをしようとする想いは、霊界で遺憾なく発揮されて、自らを成長させることになります。
全体のために、もっと自分を役に立てたいと言う想い(動機)があったからこそ、居心地の良い霊界を離れて、さまざまな体験ができる地上に生まれて来たのです。
2025年5月4日日曜日
霊的に目覚める
全世界の軍事費は約390兆円だそうです。
一方、全世界の飢餓人口はおよそ7億3千万人と言われています。
もし、軍事費を飢えている人に回せたらどうでしょう?
その額は一人当たり53万円ほどになります。
武器を必要としない平和な世界になれば、飢餓に苦しむ人はいなくなるはずです。
何故、そうならないのでしょうか?
人間には、地上的な自我(以下自我)が存在するからです。
自我が発達していない動物たちは、生きるために他の動物を捕えたり敵対することはありますが、物欲や所有欲がないので、無用な争いをすることはありません。
戦争は、国と国の間で行われることが多いです。
ところで国とは何でしょう?
国とは、人間が作りだした概念です。
概念なので、実際には存在していません。
頭の中にしか存在しない概念に固執する自我によって、無用な戦争が起きています。
仕事でアメリカに行き、国内線の飛行機に乗った時のことです。
昼食の時間になり、CAが前から順番に機内食を配っていましたが、私の席を飛ばして行きました。
うっかりして忘れたのかと思いましたが、そうではなく意図的なようです。
これが人種差別というものかと思いましたが、表情1つ変えずに平然とこのような行為が行われていることに怖さを感じました。
外見で人を判断するのも、差別的な行いをするのも、同じく自我の働きによるものです。
悪者のように思える自我ですが、地上で自己表現するために必要不可欠なものです。
自我は肉体と密接に関係して、安全かつ快適に生きることを志向しています。
けれども強くなり過ぎてしまうと、様々な問題を引き起こすことになります。
人間の本質は魂です。
目に見える肉体ではありません。
五感で認識して、頭で考えている自我には、それが分かりません。
自我の働きが強くなると、自分を守ろう、自分が良くなろうとする気持ちが強くなります。
それに伴い、人を信じる気持ちや思いやる気持ちは薄れて、殺伐とした気持ちになります。
地上の人間には、自我の他に、真の自分とも言える「霊的な自我」が存在しています。
死んで肉体がなくなると、この霊的な自我が直接自己表現するようになります。
霊的な自我の働きが強くなると、相対的に地上的な自我の働きは弱くなります。
それに伴い、人を信じる気持ちや思いやる気持ちが高まり 温和な気持ちになります。
普段、私たちは地上的な自我を前面に出して生活しています。
けれども、状況によっては霊的な自我が前面に出て来ることがあります。
東日本大震災の時、津波で街は押し流されて、たくさんの人が亡くなりました。
現実とは思えない悲惨な状況を目の当たりにして、霊的な自我が前面に出て来た人が多くいたと推察されます。
そんな人たちは、普段考えることもなかった命について思いを巡らし、つながりの大切さに気付いて、励まし合い、助け合っていたと思います。
しばらくの間、日本全体の霊的な意識が高まり、同じ想いを共有して1つになっていたように感じられました。
人類は1つです。
霊的につながっています。
自我には肉眼を通した世界しか見えないので、そのことに気付けません。
もし、人類の半分くらいが死んでしまうくらいの大きな隕石が、近いうちに地球に衝突すると分かったらどうでしょう?
多くの人の、霊的な自我が目覚めると考えられます。
戦争をしている人たちは、無意味さに気付いて、直ちに止めるでしょう。
国を超えて知恵を出し合い、生き残るためにどうすれば良いかを話し合うでしょう。
同じ想いを共有することで、世界は1つになるのかもしれません。
目覚めさせようと思っても、霊的に目覚めるものではありません。
危機的な状況に陥ったり、深刻かつ重大な問題に直面して、初めて目覚めます。
霊的な自我が前面に出て来ると、霊的な眼が見開かれて、それまで気付かなかった大切なものが見えて来ます。
国を動かしているのは、概して権力欲の強い人たちです。
悲しいことに、そんな人たちの霊的な眼は閉じられています。
人類は1つと思うようなことはなく、自分(自国)のことしか考えようとしません。
自然法則の働きに反する利己的な行動をして、世界に不調和が生まれて、不必要な苦痛を味わっている人が多くいます。
でもそれは一時的なものです。
因果律の働きによって、利己的な行動をした人(国)に、苦痛を伴う結果が返って来ます。
苦痛を味わうことで、霊的に目覚めます。
過ちに気付いて、全体を意識して協調するようになるでしょう。
長い長い年月をかけて、神の心である自然法則の働きと、神の力である愛によって、全体は1つになって行きます。
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| NASA公開画像より |
「個々の生命は全体のために生きている」
この事実を受け入れる人が多くなるほど、平和で平等な世界になると思います。






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