2020年3月29日日曜日

新型コロナウィルスの流行について  その1



新型コロナウイルスが、世界中を席捲しています。

今のところ、打つ手がないといった状況です。

いろいろな情報が錯綜し、何が本当なのか判らないのが現状であり、そのことがより一層不安を掻き立てています。

判っているのは、このウィルスは新種のものであり、世界中の誰一人として免疫(抗体)を持っていないことです。

従って、誰でもかかる可能性があります。




1番知りたいのは、いつ収束するかです。

もし、世界中の人が一斉に家に籠って、誰とも接触しなければ、感染の機会が絶たれるので、数ヶ月中に収束します。(武漢では実際に行われました)

しかし、現実的に無理なので、感染はこの先も続いて行くと思います。




終息する時期については諸説あります。

今、私が注目しているのは「集団免疫」による収束です。

このウィルスに感染すると、約20%の人に肺炎が起こり重症化し、残りの人は軽症であると言われますが、その後、免疫(抗体)が獲得されます。


In a simple model of an outbreak, each case infects two more, creating an exponential increase in disease. But once half the population is immune, an outbreak no longer grows in size.
集団免疫の模式図
上の図は、集団免疫の概念を表す模式図です。


左上ですが、全ての人に免疫がない、感染拡大初期の段階を表しています。

1人の感染者(赤)がいれば、接触する免疫のない人(グレー)にウィルスが移り、次の感染へとつながります。

それが連鎖して、感染者の数は飛躍的に増えて行きます。




右上ですが、感染拡大が起こり、しばらく経過した段階です。

1人の感染者(赤)がいたとしても、免疫を獲得した人(黄色)が間に入るので、その人が盾になり、免疫のない人への感染は防げます。

免疫を獲得した人が増えるほど、盾になる人が増えて、感染者が免疫のない人と接触する機会が減って行き、収束に向かうと考えられます。




それでは、人口の何%の人が免疫を獲得したら、収束に向かうのでしょうか?

一説では60%と言われています。(この数値を集団免疫閾値と言いますが、感染力が強いほど数値は高くなり麻疹は95%と言われています。)

怖がらせるつもりはありませんが、集団免疫の理論が正しいとすれば、WHOが出した感染力の数値(基本再生産数)から計算すると、人口の29~60%が感染して、収束に向かうことになります。

もし、ワクチンが開発されて、6割の人に一斉に接種したのならば、しばらくして収束することになります。



CDC(アメリカ疾病予防管理センター)の研究者は、世界人口の60~70%が感染すると発言しています。

またドイツのメルケル首相も、国内で同数の割合の人が感染すると言っています。

この数値は、集団免疫閾値と一致しています。

少し前に、イギリスのジョンソン首相が、感染予防対策をせずにウィルスを自然に拡がらせ、早期に免疫を獲得させて収束させると発言して、物議をかもしました。

その時は暴論だと思いましたが、その根拠は集団免疫の理論から来ています。

一定数の人が感染するのが避けられないのならば、早く収束させた方が得策と考えていたのでしょう。(後にその考えを撤回しています。)




感染後の重症化率ですが、ご存知でしょうが、高齢の人ほど高くなります。

また、糖尿病や心臓病などの基礎疾患を持つ人ほど高くなります。

それ以外の人は、感染しても重症化する可能性は低いと言われています。




気になる死亡率ですが、これは国や地域の医療体制によって変わってきます。

医療体制が脆弱な国は、当然のことながら死亡率は高くなります。

医療体制が整っている国であっても、感染が急速に拡がり、20%の割合で生じる重症患者に追いつかなくなると、急激に死亡率は高くなります。

自分で呼吸が出来ない人に、人工呼吸器が行き渡らなくなるからです。




死亡する人を減らすことが、何よりも優先されます。

そのために必要なのは、急激な感染者の増加を抑えつつ、感染者が緩徐に増えて行き、集団免疫を確立させることだと考えています。

従って、ウィルスに感染しないことよりも、一斉に感染しないようにすることの方が大切です。

そして、高齢者や有病者には移さないことです。




現在、イタリアの死亡者数が抜きん出て多いです。

その理由として、日本と同じ高齢化社会であること、3世代同居が多いこと、ハグやキスなど接触する習慣があること、そして楽天的な国民性にあると考えられます。

楽天的な多くの若者たちが、自由気ままに行動したため、友人知人から高率に感染して、同居するおじいちゃん、おばあちゃんに移してしまった、そんな構図が浮かんできます。

水面下で急速に感染が拡がってしまい、それに伴い重症患者が急増し、医療が追い付かなくなり、多くの人が命を落としています。




繰り返しになりますが、高齢でなく、健康であれば、ウィルス感染を無闇に怖がる必要はありません。

急速に感染が拡がるのが、何より怖いのです。

感染しているのを知らずに、高齢者や有病者に移してしまうのが、最も怖いのです。




それでは、私たちはどうすれば良いのでしょうか?

注意喚起されているように、不要不急の外出は控え、人が密集するところへ自発的に行かないことが重要です。

特に、お年寄りや持病がある人と同居している人、日常的に関わっている人は、細心の注意が必要です。

手洗いを励行し、マスクを着けるのが大切なのは、言うまでもありません。




遅かれ早かれ、29~60%の確率で自分も感染する可能性があると、自覚しておいた方が良いのかもしれません。(私の考えが杞憂に終わることを心から願っています)

感染しても重症化しないように、免疫力を高く維持する生活を心がけて下さい。

そのために、バランスの良い食事を摂り、十分な睡眠を取り、適度に運動をすることが大切です。

また、過剰に怖れたり、不安にならずに平穏な心を保つことも、免疫(生命)力を維持することにつながります。

タバコを吸っている人は、今直ぐやめましょう。




そして、感染を免れる40~71%の中に、高齢者や有病者などリスクの高い人が入るようにすることが、何より大切です。

近所にお年寄りや有病者がいたら、代わりに買い物に行ったり、医者から薬を貰って来てやるなど、人と接触する機会を減らすお手伝いをするのも良いと思います。

もう少し先の話になるでしょうが、既に感染して免疫を獲得した人が、積極的に高齢者や有病者と関わるようにするべきだと考えます。

具体的には、介護サービスや宅配で家を訪問する人は、免疫を獲得した人を当てるべきです。

サービス業で接客するのは、免疫を獲得した人にするべきです。


そのような社会全体の取り組みが早く為されることを願っています。

まだエビデンスはありませんが、BCGワクチン接種を行ってない国は、感染者数、死亡率が共に高いのは興味深いところです。画のグラフ




全ての現象は、自然法則の働きにより起こります。

新型のコロナウィルスが流行したのも、もちろん自然法則の働きによるものです。

ウィルスは他の動物に寄生して増殖する、生物とは言い難い特殊な存在です。

しかし、大自然の営みの中で、何らかの役割を果たしているはずです。




大貧民というトランプゲームを思い出しました。

ババ抜きと同じで、持ち札を捨てて行き、早くカードがなくなった人が勝ちとなります。

全てのカードの中で「ジョーカー」が最強で、一番弱いのは「3」です。

しかし「3」が2枚同時に出ると、「ジョーカー」は負けてしまいます。




人間に勝てる生物は地上に存在しません。

言わばジョーカーです。

最弱、最小であるはずのウィルスが、最強の人間を打ち負かしてしまう、大自然もそのように仕組まれていて、全体のバランスが保たれているように感じています。



人間に感染して毒性があっても、他の動物にはありません。

ウィルスと共生している動物にとって、外敵から自分を守るバリアの役目を果たしていると言えます。

そんなことから、ウィルスは生態系の中で、調節機構あるいは防御機能のような役割りを果たしているように思います。




人間には国境が存在します。

けれども、ウィルスにはありません。

人の行き来があれば、どこにでも侵入して行きます。

これだけ急速に世界中に広まったのは、昔とは比べ物にならないほど、交流が盛んになったためであり、境界が曖昧になっているからです。




紛争、テロ、貧困など、世界では様々な問題が生じています。

しかし、起きている場所にいなければ対岸の火事となり、関心はありません。

苦しんでいる人がいても、傷ついている人がいても、飢えている人がいても、所詮、他人事です。

人の交流が盛んになり、物理的な距離は近くなっているのにも関わらず、依然として人と人の心には距離が存在しています。

今回のウィルス感染は、他人事ではありません。

自分の生死に関わる問題です。

肌の色も、言葉も、宗教も、文化も、肩書も、貧富も関係なく、ウィルスは感染して行きます。

外面的な違いがあっても、人間として何も変わりはないことを、教えてくれています




野生動物の世界では、弱者が餌食となり、それ以外の者が生き残ります。

餌食になるはずのない人間の中の弱者(高齢者、有病者、途上国の人たち)が、今回のウィルス感染で犠牲となっています。

人間が動物と大きく違うのは、弱者に手を差し伸べて、助けたり、守ったりすることが出来ることです。

自分だけが良ければ構わない、そんな利己的な考えによって行動すると、因果律の働きにより、弱者が犠牲になります。




何らかの原因があって、因果律が働いて、ウィルス感染が起こっています。

発端は、人間が入ってはいけないところに入り、食べてはいけないものを食べたからなのかもしれませんが、それとは違う次元にも原因があるような気がします。

ウィルスにより生命が危機に晒され、精神的に追い詰められた結果として、多くの人の眠っていた魂が目を覚ますことになると思います。

魂が目覚めることによって、大切なのものがはっきりと判ります。

物質的なものに捉われていたそれまでの生き方や考え方、価値観が大きく変わることになるでしょう。




個々の生命は独立しているように見えます。

けれども、それぞれに役割があり、共生しているのであり、地球と言う大きな枠組みの中でつながっています。

目に視えるものしか信じようとしないので、そのことが判らなくなっているだけです。




個々の生命が、自然法則の働きによって霊的に1つになって行く、神はそのような計画を立てたと考えています。

災いにしか思えない今回の現象も、その計画の一環と考えられます。




世界全体が同じ経験をすることにより、同じ想いが共有されます。

お互いに同情し、慈しむ想いが生まれ、個々の霊的な距離は縮まって行くと思います。




多くの生命が失われ、経済的に困窮するのは免れません。

その谷が深ければ深いほど、霊的な浄化が促され、新しい世界が待っていると思います。




何故、神は弱者の生命をウィルスによって奪うのか、それでは公正ではないと思いました。

死とは、煩わしい肉体からの解放です。

元いた住処に戻るのであり、最悪の結末などではありません。

若者は学び成長して行く過程が多く残されていますが、老人はその過程を終えつつあります。

神の叡智により、人生の目的が果たされつつある人が、選ばれているのかもしれません。




神が望んでいる方向に進んで行くために、自然法則は働いています。

いかに残酷に思える現象であっても、自然法則の働きによって生じているのであれば、その根底には愛があるはずです。

人類を痛めつけ、苦しめるためではなく、真の悦びを感じ、成長させる方向に導くために起きている、そう信じています。





2020年3月15日日曜日

動機が問われる



私は就職活動をしたことがありません。

こんな私が書くのはどうかと思いますが、大切なのはやはり面接だと感じています。

面接を受ける人は、インターネットや書籍や人脈を使って資料を集めて、面接官に好印象を与えるような回答を準備して臨むと思います。

「どうしてわが社を希望したのですか?」と、志望の動機を尋ねられることが多いと思います。

仕事を通して社会に奉仕するのに適した会社だったと思う人もいるでしょう。

仕事内容ではなく、給料や休みが多いのが魅力に感じた人もいるでしょう。

前者は、会社にとって有益な人物となるでしょうが、後者はお荷物になってしまうかもしれません。

面接官は、経験と直感で「動機」を見抜かなければいけないと思います。




同じ行動を取っていても、心の中が丸っきり違うことは良くあります。

政治家になろうと、2人が選挙に立候補したとします。

1人は、人や社会のために役に立ちたいと、心から思っています。

もう1人は、権力を手に入れて、富を得たいと思っています。

利己的な「動機」を隠して「皆様のために働きたい」と真剣な顔で言われれば、それを信じてしまう人は多いです。

出来るならば、前者になって欲しいのですが、得てして後者が勝ってしまいます。

思念は具現化する力を秘めています。

「動機」の良し悪しよりも、目的を達成しようとする欲求の強さががものを言う時があると思います





こんな時はなかったでしょうか?

たとえば、いじめられている同級生がいたとします。

見た瞬間、何とかして助けてやりたくなります。

助けたくなるのは、自分の中に良心があるからです。

しかし、いざ行動に移そうとする時に「自分もいじめられてしまう」と、止めさせようとしている何者かがいます。




その何者かが、(この世の)自我です。


人間は、魂(霊)、精神、肉体の3者から成り立っています。


最上位が魂であり、精神上に作られた自我を支配しています。


しかし、安全に上手に生きようと私たちは頭を働かせているので、自我の働きが優位になっていることが多いです。

魂から生じた想いと、自我の考えの間に隔たりがあると、内面的な葛藤として感じます。


助けるべきか、止めるべきか、そんな2つの自分がいるのを感じながら生きています。




自我に打ち克ち、本当の自分(魂)の想いを行動で表現するのは、決して簡単ではありません。

さまざまな「動機付け」をして、自我は行動を制御しようとしているからです。

それでも、思い切って行動に移せたならば魂の成長が得られ、行動に移せなかったのならば、その機会を1つ逃したことになります




本当はそんな気はないのに、つい見栄を張って行動してしまうことがあります。

周りから認められたい、褒められたい、もう1つの自分(自我)がいるからです。

シルバーバーチはこう語っています。

「慈善事業に気前よく大金を寄付する億万長者は、その行為によって少しも霊性は伸びません。反対に、これは絶対に意義があると信じて、ない金をはたいて援助する人は、その動機のために霊性が伸びます。」

金によって助かる人がいたとしても、苦労伴わなかったり、動機が不純であったのならば成長につながらないように、自然法則はなっていると考えられます。






2011年3月11日、巨大地震が日本を襲いました。

津波により多くの尊い人命が失われて、日本中が重苦しい雰囲気に包まれました。



そんな雰囲気の中、W杯でなでしこジャパンが優勝しました。
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この快挙で、気持ちが明るくなり、元気をもらった人も多いはずです。

始まる前は、優勝するのは難しいと思われていたようです。

大会前の遠征試合ではアメリカに2戦2敗という惨憺たる結果でした。

しかし、この時から選手の間で「W杯で優勝したい」と言う声が聞かれるようになったそうです。

その1番の動機は「女子サッカーで日本に元気を送りたい」でした。




震災3年後のソチ冬季五輪で、フィギュアスケートで羽生結弦選手が日本人として初めて金メダルを取りました。
「羽生結弦 復興」の画像検索結果

彼も被災地出身ですが、大会前に津波で大きな被害を受けた中学校から、寄せ書きされた国旗が送られたそうです。

金メダルを取って、その学校にお礼を言いに行くことになったそうですが、その時に、自分が行って何が変わるかと、すごく考えたそうです。

何を話せば良いのか判らず、不安な気持ちで学校に向かったそうですが、到着すると大歓声が上がり、迎えてくれたのは生徒たちの笑顔だったそうです。

無力だと思っていた金メダルが人々を笑顔にする力があったのに気付いたそうです。

こんなにも自分の演技で、自分の結果で元気になってくれる方がいるので、再び良い結果を持って来れるようにしたいと思ったそうです。

そして、4年後の平昌冬季五輪で、見事金メダルを取ったのは、記憶に新しいところです。

             




本人や周囲が驚くような力を発揮する時があります。

血のにじむような努力をして来たのは事実です。

本人の実力と言ってしまえばそれまでですが、私はこんな局面において自分以外の力、霊的な力が働いていると考えています。





この世の人には、言葉や表情や態度によって、心を隠すことが出来ます。

しかし、霊界の人たちには不可能です。

想い(思念)が視えるからです。




言葉や行動に秘められた動機が、一目瞭然です。

地上の人の動機(思念)は霊界に届いています。

同じ願望を持った霊的な存在が引き付けられて、地上の人の想いが増幅されて行きます。
日本人を元気付けようとしていた彼らには、その想いに同調する霊界の存在が群がっていたはずです。

そして、援助の力が注がれていたと思います。




霊界の人たちの目的は、最善を尽くそうと頑張っている姿を観た人たちの魂を鼓舞し、生きる力や勇気を与えるためです。

同じ想いを持つ地上の人を介して、その目的が果たされたと考えています。

もしそうであれば、彼らは霊界の想いを伝える霊媒だったと言えるのかもしれません。



もし、自分の栄誉のためだけに臨んでいたのであればどうでしょう。

ここまで援助の力は受けられず、結果は違っていたように思います。



援助の力とは、物理的なものではありません。

思念の力です。

思念とは、地上で具現化させるための素となる力です。

その力を受け取った人(魂)は、怖れや不安が和らぎ、前向きな気持ちとなり、勇気や闘志が漲ると考えられます。

霊界の人たちによって増幅された思念(想い)により、想像以上のパフォーマンスが為されて、最高の結果につながったと考えています。




援助を受けているのは、スポーツ選手など特別な人に限られているわけではありません。

地上に生きている人、全てです。




守護霊を始めとする霊界の人は、地上に生きている人たちの霊的な成長を願っています。

乗り越える過程で成長することが判っているので、何とかして目の前の試練を乗り越えさせようとしています。

挫けそうになった時、心を奮い立たせるような思念を送っていると考えられます。

諦めかけた時に、もう少し頑張ってみようと、気持ちを切り変えさせるような思念が送られていると考えられます。




霊界は、神の愛が間断なく降り注いでいるのを実感する世界です。

自分が受けている愛を、地上で必要としている人たちに与えようとするのは、ごく自然な行為です。

自分のためではなく、人や動物や社会のために何かをしようとしている地上の人の動機に反応し、寄り添い、惜しみのない援助をしています。

意欲を掻き立て、目的を成就するような思念が送られていると思います。

自分でも驚くほどの力が発揮された時、それは霊界からの援助を受けていたせいかもしれません。




人のために役に立とうとする動機は、神の摂理に適っています。

目的を成就しようとする過程で、自身の成長が得られています。
一方、利己的な動機であれば、神の摂理に適っていないません。

名声や富が得られたとしても、肝心な自身の成長は得られません。

同じことを行って、同じ結果が得られたとしても、動機によって霊的な結果は大きく違って来ます。




行動を起こそうと思った時に、何が動機なのかを、冷静に見つめて下さい。

良く判らない時は、自分のためなのか、それとも他者のためなのかを見極めて下さい。

自我から生じた利己的な動機は、永続的でしっかりとしたものではないはずです。




死んで向こうの世界に行った後に、この世の人生を振り返る時が来ます。

自分の言動の全てが、スクリーンのようなものに映し出されて、それを観ることになります。

その時に、1つ1つの言動に付随する動機を思い出すことになります。

動機が他者のためであれば、成長することが出来た悦びを実感するはずです。