2023年10月29日日曜日

霊的な役割りを果たす

 

口の奥に、口蓋垂という組織があります。

ほとんどの人が、何のためにあるのか分からないと思います。

ある人がなくても良いものと思い、自分の口蓋垂を切り取ってしまったそうです。

するとどうでしょう。

食べ物や飲み物が気管の中に入りやすくなってしまったそうです。

口蓋垂があることで、食べ物がきちんと食道に入って行くようになっていたのです。

何かしらの役割りがあるからこそ、そこに存在しているのです。



1人ひとりの人間も同じだと思います。

何かしらの役割りがあるはずですが、多くの人は分からずに生きています。



以前、ボランティアで通っていた身体障がい者施設には、ベッドの上で一生を終えるであろう人がいました。

身じろぎもせずに、一点を凝視している姿を見て、この人に何かしらの役割りがあるようには思えませんでした。



何もすることができないどころか、人の助けがなければ数日で死んでしまいます。

周りの人は、その人が生きて行くために、身の回りの世話をしてやらなければいけません。

人は、誰かのために何かをすることで成長します。

その人がいることにより、周りの人たちの霊的な成長が促されていることになります。

何の役割りもないように思えましたが、周りの人を成長させるという役割りがあったことになります。



地上的な役割りは、その人の「肩書」で表現できることが多いです。

例えば、私の地上的な役割りは歯医者です。

1日の多くの時間を、地上的な役割りを果たすために割いています。



十数年前から、新たな役割りが加わりました。

このブログを書いたり、依頼があればヒーリングをしたりして、霊的な役割りを果たすようになりました。



霊的な役割りの核心は、知らない人に霊的真理を伝えることです。

ただ、今までの経験から、伝えようと力んでみても、空回りに終わることが多いです。

その理由は、真理を伝えるのは霊界主導で行われているからです。

そして、一人ひとりに計画があるからです。



真理を必要としている人と、伝える人を結び付ける役割りを霊界が担っていると考えられます。

両者の間に接点を見つけて、接触させようとしていると考えられます。



少し前ですが、私の医院にある人が治療を受けに訪れました。

ある日のことです。

自分の身体の不調や身の上の話を、堰を切ったように話し始めました。

その時に、何か特別なものを感じて、手短にヒーリングについて説明をして、仕事が休みの日にすることになりました。



以前はピアニストとして活動されていたそうです。

現在、結婚されていますが、心身の不調により、家の中に引きこもっていることが多かったようです。

ヒーリングを行ってから、しばらくしてお見えになりましたが、表情がとても明るくなっていて、ご自身もご自分の変化に驚かれていました。

ピアノのリサイタルを開くので観に来て下さいとチケットを渡されました。

ヒーリングをしても、内面でどんな変化が起きているのか窺い知れません。

生き方が大きく変わったので、内面においても大きな変化があったと推察されます。



お子さんの治療の付き添いで来院された人がいました。

その方は、初対面にもかかわらず、ご主人の死と言うプライベートなことを私に話し始めました。

何でこの場で話すのだろうと不思議に思いましたが、その理由が後で分ることになります。

しばらくして、亡くなったご主人からのメッセージを受け取り、お伝えすることになりました。

その後、シルバーバーチの霊訓をお渡ししましたが、真理を受け入れて下さったようです。



お2人に共通しているのは、自分に起きている出来事を私に話さずにはいられなかったことです。

そんな衝動に駆られるのは、背後霊の働きかけがあったからと考えています。

そして、目的が果たされると、お2人は何事もなかったかのように、私の元から去って行きました。



このように対面で会わせる時もありますが、ネット上で会わせる時もあります。

ブログに訪ねて来た人の中にも、ヒーリングあるいはメッセージが必要な人、真理を受け入れる準備ができている人がいます。

そんな人たちのコメントの冒頭には、「偶然このブログを見つけた」「たまたま立ち寄ってみた」と書かれていることが多いと感じています。



霊的なことには偶然はありません。

偶然としか思えないのは、霊界の導きがごく自然に行われているからです。

背後霊から届いているインスピレーションと自分の思考を、はっきりと区別することはできません。

自分の考えで行動していたつもりで、無意識の内に霊界に導かれていることは、想像している以上に多いと考えられます。



ネット上での導きは、以下の3つのステップで行われていると私は考えています。

1.検索によって導くべきサイトが出て来る特定の言葉を思い付かせ、書き込ませる意念(インスピレーション)を吹き込む。

2.出てきた(導くべき)サイトを観たくなるような意念を吹き込む。

3.そのサイトに特別なものを感じ、自分に起きた出来事を書かせるような意念を吹き込む。

霊界から意念が地上の魂に吹き込まれると、そうせずにはいられない衝動に駆られると考えられます。

コメントをもらった人の文章に、何か特別な力が働いていると感じた時には、霊界に導かれている可能性が高いので、見過ごしてはいけないと思っています。



地上には、いくつもの役割りが存在します。

その中で、必要としている人に真理の在りかを教えるのは、最も価値がある役割りと言われています。

シルバーバーチの霊訓には「霊的に、精神的に、あるいは物質的に人間の運命の改善という重大な仕事に身を捧げるわれわれは意志を強くもち、努力は決して無駄に終わらないことを確信いたしましょう。」と書いてあります。

私自身も、真理を知って内面に変革が起きました。

そして救われました。

他の人にも、同じ恩恵を受けてもらいたいと強く思いました。



そして、こうも書かれています。

「真理普及の仕事を託された者に私から申し上げたいのは、現在のわが身を振り返ってみて、果たして自分は当初のあの純粋無垢の輝きを失いかけてはいないか、今一度そのときの真撃なビジョンにすべてを棒げる決意を新たにする必要はないか、時の流れとともにけてきた豊かな人生観の煤払いをする必要はないか、そう反省してみることです。霊力の地上へのいっそうの顕現の道具として、おのれの全生活を捧げたいという熱意にもう一度燃えていただきたいのです。」

地上的なことに捉われて、霊的な役割りを疎かにしていないかを、常に省みる必要があると感じています。



霊界が求めているのは、真実を伝えようとする強い想いです。

その想いは瞬時に霊界に伝わり、真実を求めている人を導き始めます。

あらゆる可能性を探りながら、両者をつなげようとしています。








2023年10月22日日曜日

今、始まろうとしている戦争で思うこと


起きてはいけないことが、また中東の地で起こりました。

破壊された建物と傷ついた人、泣き叫ぶ子供が画面に映る度に、心が痛み、やり切れない思いを感じます。



このままでは、争いは収まりません。

報復が繰り返されるだけです。



歴史に詳しくはありませんが、少し振り返ってみます。

約2000年前、イスラエルの地に住んでいたユダヤ人は、ローマ帝国に追われて世界各地に散らばりました。

散らばったユダヤ人は異教徒として疎ましがられていたようです。

その極めつけがホロコーストです。

そんなユダヤ人たちは、安住の地を求めて、遠い昔に住んでいたパレスチナの地に国家を創ろうとしました。



しかし、そこにはアラブ人(パレスチナ人)が住んでいました。

それでも、国連や欧米諸国の後押しもあって、多くのユダヤ人が移り住んで、1948年にイスラエルが建国されました。

それまで住んでいたパレスチナ人は土地から追われ、決められた地域に強制的に移住させられることになります。

当然のことながら、パレスチナ人は激しく抵抗します。

建国から現在まで70年以上に渡り、両者の間で大小の争いが繰り返されています。

今回のテロもその一環です。



安全に暮らせる自分たちの国家を創りたい、そんなユダヤ人の気持ちは分からなくはありません。

けれども「ここは2000年前、自分たちの土地だったので、直ぐに出て行ってもらいたい」と言われて納得する人はいません。

話し合いも、了解もなく、住んでいた人たちを追い出すのはあまりに身勝手です。


出典:長周新聞

罪のない人たちを殺し、人質として連れ去っているテロ組織の行為は決して許されるものではありません。

しかし、その行為の元々の原因は、74年前に力ずくでパレスチナ人を追い出したことにあると考えられます。

原因を正さない限り、この戦争は解決しないと思います。


左側が白人居住地区、右側が黒人居住地区 南アフリカ

今から30年ほど前まで、南アフリカ共和国ではアパルトヘイト(人種隔離政策)が行われていました。

先住者が追いやられ、隔離され、徹底的な差別が行われていました。

それと似たようなことが、現代のイスラエルで行われているように見えます。



ロシアがウクライナに侵攻してから1年半以上経ちます。

多くの国はロシアを非難して、国交を断絶しています。

侵攻の動機があまりに自己中心的なのは明白です。

強い国が弱い国を力により屈服させようとしている姿に反発を覚えます。



テロ組織は、人の心理を良く観察していると思います。

74年前にパレスチナで起きた出来事は、今、ウクライナで起きている出来事と、何ら変わりがないことを、世界中の人に想起させようとしている気がします。

軍による攻撃で、子供たちが傷つき、家族を失った人が泣き叫び、罪のない弱い人が死んでいく姿を映像として発信して、世界に訴えるしたたかな戦略を展開しているような気がします。



人間には良心があります。

どちらが良い、悪いかの理屈を超えて、罪のない者、弱い者が傷つけられ殺されて行く姿を見ると、何とかしなければという衝動が生まれます。

世界各地で起きているデモも、良心の顕れだと思います。



テロ組織さえ壊滅すれば戦争は終わると思っている人がいるかもしれませんが、それは違います。

敵に大切な人を殺された人たちが、次から次へとテロ組織に入ると考えられます。

怒りや憎しみや恨みの想いがなくならない限り、テロ組織はなくならないと思います。



繰り返しになりますが、テロ行為は決して許されるものではありません。

けれども、74年前の出来事がなければ、テロ組織など存在せず、平和な地であったはずです。

根本原因をなくすには、パレスチナ人から奪った土地を返して、ユダヤ人は出て行かなければいけません。

それが非現実的ならば、少なくても限られた地域に閉じ込められたパレスチナ人を解放しなければいけません。

恐れから自由を奪うことが許されるはずはありません。



宗教や人種が異なっても、共存できるはずです。

もし無理と考えるならば、アラブ人の国家を認めるべきです。

74年前のユダヤ人と同じように。


イスラエル(エルサレム)は、イスラム教、ユダヤ教、キリスト教の3つの宗教の聖地です。

そこには現代の宗教が抱ええている問題の縮図があるようです。

真理は1つです。

同じ神を見ていたはずです。

けれども、人間が作ったドグマにより真理が塗り固められてしまい、それぞれの宗教は似ても似つかないものになりました。

宗教の本来の目的は、地上の人を霊的に目覚めさせ、お互いを慈しみ合うためにあると考えられます。

現実は、宗教間で争いが起きています。



シルバーバーチの霊訓には、こう書かれています。

「地上最大の罪とは、神の存在を知りながら、神の意思に背く生き方をすることです。」

神を信じ、忠実であろうとしている人たちは、神の意思に背く行為、人を殺したり傷つけたりすることをどう考えているのでしょうか?

今、始まろうとしている戦争は、私たちが考えているよりも愚かで罪深いことであり、霊界も憂いているでしょう。



戦争は最も愚かな行為と言われるのは、信頼関係を破壊し、人と人とのつながりを断ってしまうからです。

多くの人や国に霊的に大きな負債を作り、引いては人類全体の進化を妨げてしまうからです。



既存の宗教からドグマを取り除いたものが、霊的真理です。

宗教が機能不全に陥り、見切りをつけた霊界は、計画的に霊的真理を地上に降ろしました。

それを広めようとしている人は、宗教とは無縁の人たちです。



遠い国にいて何もできませんが、この文章がたった一人でも良いですから、争いの最中にいる人に届くことを願っています。


「どうか気付いて下さい。

あなたが銃の引き金を引いて作り出されるものは、平和ではなく悲しみであることを。

どうか知って下さい。

あなたの怒りから生み出されるものは、痛みとなって返ってくることを。

どうか分かって下さい。

私たちは霊的につながっていて、1つであることを。

信じ合うこと、許し合うことでしか平和は訪れません。

平穏な日々を取り戻すことを心から祈っています。」


「אנא היו מודעים לכך.

מה שאתה יוצר כשאתה לוחץ על ההדק של אקדח זה לא שלום, אלא עצב.

תדע בבקשה.

זכרו שמה שיוצא מהכעס שלכם יחזור אליכם בצורה של כאב.

בבקשה תבין.

שאנחנו מחוברים רוחנית ואחד.

שלום יכול לבוא רק כאשר אנו מאמינים אחד בשני וסולחים אחד לני.

אני מתפלל בכנות שיחזרו ימים שלווים.」


「يرجى أن يكون على علم بذلك.

ما تخلقه عندما تضغط على زناد البندقية ليس السلام، بل الحزن.

يرجى العلم.

وتذكر أن ما يخرج من غضبك سيعود إليك على شكل ألم.

من فضلك إفهم.

أننا مرتبطون روحياً وواحداً.

السلام لا يمكن أن يأتي إلا عندما نؤمن ببعضنا البعض ونسامح بعضنا البعض.

أدعو الله بصدق أن تعود الأيام الهادئة.」




2023年10月15日日曜日

苛酷な環境に生まれる魂


ふと、こんなことを考える時があります。

「今、この場所で生きているのは、決められていたことなのか?」



シルバーバーチの霊訓には、こう書かれています。

「自分にとって必要な向上進化を促進するにはこういう環境でこういう身体に宿るのが最も効果的であると判断して、魂自らが選ぶのです。」



生まれる環境、国や家庭などを自分で選んでいることになります。

また、身体的な特徴も、自分で選んでいることになります。



もし、自分で選べるのなら、裕福な家庭で、両親が優しく、平和で豊かな国に生まれるのを希望する人が多いでしょう。

健康な身体で生まれるのを、望まない人はいないと思います。



現実は違います。

食べるのにも事欠く貧しい家に生まれる人もいます。

親から満足な愛情を受けられない人もいます。

銃声が絶えない国に生まれる人もいます。

寝返りも打てないほどの障がいを持って生まれる人もいます。

そんな環境や身体を、本当に望んでいるのかと疑問が生じます。



M104 NASA公開画像より

この宇宙には、自然法則が働いています。

全ての生命は、自然法則の働きによって、成長して行くように定められています。

「成長」を一言で表現するのなら、全体のためにより寄与できるようになることだと考えています。



けれども、何もせずに成長するわけではありません。

誰かのために何かをすること、困難や障害を乗り越えようとすることで、人は成長して行きます。



私たちが死んだ後に行く霊界は、生きる苦しみや痛みが取り払われています。

病気や障がいはなくなり、食べて行くために働かなくても済み、煩わしい人間関係もなくなります。

生きるのが嘘のように楽になります。



ずっとそこにいたい欲求を抑えて、地上に生まれて来るのは、成長したいという欲求の方が勝っていたからです。

何もしなくても生きて行ける霊界にいるよりも、何かをしなければ生きて行けない地上の方が、自分をより大きく成長させることができるからです。



いざ地上に生まれてしまうと、霊的な視点から人生が見れなくなります。

苦難に見舞われると、自分は不幸だと思ってしまいます。

一方、労せずして大金を手に入れて遊んで暮らしている人を見ると、幸運に思えてしまいます。



そんな時、シルバーバーチの霊訓のこの一節を思い出します。

「あなた方にとって悲劇と思えることが、私どもから見れば幸運と思えることがあり、あなた方にとって幸福と思えることが、私どもから見れば不幸だと思えることもあるのです。」


平坦な道を歩いているよりも、登り坂を歩いている方が身体は鍛えられます。

それと同じで、何もない人生よりも、精神的、肉体的に負荷がかかる人生の方が魂は鍛えられます。



困難や障害は、登り坂と同じです。

苦しくても歩んで行くことで、魂は高みに導かれています。

遊んで暮らしているような人は高みには行けないので、霊界からは不幸に見えるのでしょう。



「求めよさらば与えられん」

イエス・キリストはこう言っていましたが、大きな成長を求める者には、因果律の働きにより、大きな困難や障害を伴う人生が与えられます。

その人生を了承して、私たちは生まれて来ています。

乗り越えられない人、あるいは成長を望んでいない人には、困難や障害が与えられることはありません。

生れる前の自分の意志によって、この人生を歩んでいることを忘れてはいけません。



幼い子供を、親が虐待して死なせてしまう、痛ましい事件が起こります。

そんな親の元に、好き好んで生まれる人はいません。

前生で作ったカルマの報いを受けていると言う人もいるでしょう。

亡くなった子供たちを見ていると、私にはそうは思えません。

親が子供を殺してしまうという愛とは真逆の行為を、神が計画するはずはありません。

あくまでも親の過った自由意志の行使により、このような事件が起きていると思います。

いろいろな要因が重なって、人格が変わり、理性を失ってしまったと考えられます。



餓死するような環境に生まれる子供も、当然のことながら、自分が辿る人生を判っているはずです。

カルマの報い、例えば過去の地上の人生で、貧しい人たちから搾取して富を築いた者が、償いのために選択せざるを得なかったことを否定はしませんが、もちろんそれだけではありません。



経済的に豊かな国でも、幼くして病気になり、亡くなってしまう子供たちがいます。

不幸の極みのように思えますが、霊的には違います。

幼くして病気に対峙することのできる成長した魂であり、地上に生まれた目的を短い期間で果たしたと考えられます。

自分の学びよりも、周りの成長を促すために生まれて来たと考えています。



自由意志が尊重されるこの世界において、望むことなしに苛酷な人生を歩まされることはありません。

飢えて死んでしまうかもしれない環境に生まれるのも、自らが志願しているはずです。

何かしらの目的があるはずですが、窺い知ることはできません。

人が望まない環境を志願して生まれて来るのは、やはり成長した魂でなければできないと考えられます。



たとえ亡くなったとしても、この体験が次に地上に生まれた時、あるいは元いた世界で活かされます。

貧しい人たちや弱い人たちの心情を深く理解することにつながり、地上から貧困や不平等をなくすために尽力する人も現れるはずです。

世界の医療団のHPより

そんな苛酷な環境に生まれて来る人たちは、私たちにどうするべきかを問いかけているような気がしてなりません。




2023年10月8日日曜日

愛し合う者同士に別れは存在しない


私たちは、学び成長するために生まれて来ました。

いろいろな人と出会い、共に生きることで影響を受けて、大切なことを学んでいます。

自分とは違う人を認めたり、時に許しながら、成長して行きます。



人と人は、つながりながら生きています。

つながり方には、いくつかの種類があると考えています。



人間は、肉体、精神、魂(霊)から成り立っています。

それぞれが別次元に存在していますが、密接に関連しています。



人と人の間には、肉体(地上)的、精神的、霊的なつながりがあると考えています。

肉体的なつながりとは、地上を生きて行くために生じるつながりです。

職場、通っている学校、ご近所など、生活する上で表面的に付き合っている人たちが、それに当たります。



精神的なつながりとは、同じ考えや感情を共有する人、同じ目標に向かって進んでいる人など、内面的なつながりです。

気心が知れ、仲の良い人もそうでしょう。

地上的なものよりも、強いつながりとなります。



霊的なつながりは、さらに強くなります。

両者の間に引き付ける力が働いていれば、霊的なつながりと考えられます。

また、生まれる前に地上で出会うことを決めていた人も、霊的なつながりがあると言えます。



ある人が亡くなったとします。

その人と、肉体(地上)的なつながりであれば、悲しむことはありません。

ご近所の人が亡くなったとしても、涙を流すことは少ないでしょう。



精神的なつながりがある人が亡くなったら、悲しくなります。

涙を流すかもしれませんが、それは一時です。



霊的なつながりがある人が亡くなったら、そうは行きません。

その人のことを想うと、涙が止まらなくなることもあります。



霊的なつながりの中でも、特別な関係(アフィニティ)の人がいます。

そんな人たちが地上で出会い、共に暮らしている時は天国にいるような一体感を味わいますが、片方が亡くなった時は身も引きちぎられるほどの悲しみや苦しみを味わうと言われています。

地上での別れは、両者が学び成長するために計画されていたと考えられますが、深い悲しみの中で、霊的に一体であることに気付く時が来るはずです。


死とは、肉体と魂の永続的な分離です。

亡くなった人は、魂(霊)となって生きています。

記憶も性格も生前のままです。

地上の人への想いは何も変わっていません。

愛されていたのなら、今も愛されています。



魂を引き付け合う力が愛です。

変わらぬ想いによって、生前と同じように、いや生前よりも近くに寄り添っているはずです。



悲しくなるのは、愛により結ばれていたからです。

行き場を失った愛は、悲しみとなります。

強い愛で結ばれた人ほど、悲しみが深くなるのは当然です。



姿が見えなくなってしまうと、存在が消えてしまったと思ってしまいます。

消えてしまったと思う人を、愛することはできません。



約2000年前に、イエス・キリストはゴルゴダの丘で処刑されました。

予言した通りに、イエスは3日後に弟子たちの前に、(限りなく物質化した)幽体となって現れました。

その時に、弟子のトマスは十字架に磔られた時に手に打たれた釘の痕を見なければ信じないと言ったそうです。

イエスは痕を見せて「証を見ずして信じられる者は幸いである」と言ったそうです。

(イエスの復活を信じていない人は少なくありませんが、弟子たちは実際にその姿を目の当たりにしたからこそ、命を賭けて教えを広めて行ったのです。)

「エマオの晩餐」レンブラント1648年

人間の本質は魂です。

魂の存在を分かる形で見せてくれたら、信じると言う人もいるでしょう。

有能な霊能者の元へ行けば、信じるに足る証が手に入るかもしれません。

たとえ証が手に入らなくても、存在を信じることができれば、生前と変わらずに愛することができます。

信じることにより、愛せない苦しみから解放されます。

証がなくても信じることができる人は、無用に苦しまなくて済むので、幸いと考えられます。



目に見えて、触れるほど傍にいても、両者の間に引き付け合うもの(愛)がなければ、霊的につながっているとは言えません。

近くにいても別れているのです。



死によって、愛し合う者同士のつながりが断たれることはありません。

断とうとしているのは、いなくなってしまったと思う地上の人の心です。

生きていることが信じられず、悲しみに包まれてしまうと、両者のつながりは希薄になってしまいます。

真実に気付いてもらえないことを嘆いているでしょう。



何よりもうれしく感じるのは、変わらぬ想いを信じてもらうことです。

信じてもらうほど、霊的なつながりが強くなり、地上の人を導きやすくなります。

導くことは、向こうにいる人に許された地上の人への愛情表現です。



霊的なものが視えなくなる地上で、信じることが試されています。

信じることで、次元を超えて、愛することができます。

今生を生き抜いて再会した時に、より強い愛で結ばれていることに気付くでしょう。



何度でも断言します。

愛し合う者同士は、霊的につながっています。

別れてなどいません。




2023年10月1日日曜日

病気になった友人を見て思うこと


私の友人が、平均余命が1年6ヶ月という悪性度の高いガンを患っています。

病気が進行して、左半身の自由が効かなくなったため、今は仕事を辞めて車いすの生活をしています。

1人ではどこにも行けなくなりました。

これからの生活のことも心配です。

自分に起ていることを受け入れ切れていないようであり、友人の言葉の節々に、やりきれなさや苛立ちのようなものが感じられます。



最近の検診で、ガンが再発していると医者から告げられたそうです。

自分の命と向き合わなければいけない状況になりました。

仕事や趣味のことが頭の大部分を占めていて、霊的なことなど関心がなかった友人でしたが、助けになる時が来ると思い、数ヶ月前に「シルバーバーチの霊訓」を手渡しました。

けれども、上手くページがめくれないために、まだ読んでいないようです。

これから自分の口で伝えようと思っています。



それまで全くの健康体でした。

「何で俺がこんな病気にならなければいけないんだ」と、心の中で叫んでいるように感じます。

偶然ではなく、何らかの原因が存在しているはずです。

ガンは精神の持ち方と深く関わっている病気の一つです。個体としての不調和が原因です。病理学的には寄生虫病的な増殖をする種類に属しますが、原因をたどっていくと意地きたなさ・憎しみ・失意・虚栄心、その他、精神と肉体の調和を乱す何かがあり、その結果として悪性の細胞が手の施しようのない勢いで増殖していきます。

シルバーバーチの霊訓にはこう書いてありますが、もちろんそれだけではありません。

タバコと肺ガンの因果関係は証明されていれますが、物質的次元以外の原因は突き止めるのは極めて困難であり、証明することは不可能です。

それでも、原因(目的)がなければ、病気になることは決してありません。



トイレに行くのも人の助けが必要であり、日常生活は苦労の連続です。

「困難、障害、不利な条件───これらはみな魂の試練なのです。それを一つ克服した時、魂はいっそう充実し向上して、一段と強くそして純粋になってまいります。」

シルバーバーチはこう言っていますが、困難の最中にいる時は、ただ今の苦しい状況から、早くから抜け出したいと願うばかりです。

抜け出すのには、どうすれば良いのかを具体的に教えてくれと言われてしまいそうな気もしますが、真理は真理です。

いづれ分かる時が来ます。



友人から病気になったと告げられた時に、真っ先に伝えたのは「乗り越えられない苦難はない」という真理でした。

乗り越えられるとは、病気が治ることではありません。

病気によって、自分(魂)が打ちのめされてしまうことはない、精神的に必ず克服できるという意味です。

これまで、いくつもの苦難を乗り越えて来た友人なので、分ってくれるはずです。



再発したことで、死が頭をよぎっていると思います。

少なからず死に対して怖れを抱いていると察せられます。

少しでも長く生きることを望んでいるであろう友人に、死や死後のことを話すのには勇気が要ります。

それでも、真理は朗報となるはずです。

魂が肉体から完全に分離する自然現象が死です。

死んで意識が消えてしまうことはありません。

新しい世界に移行して、新しい人生が始まります。

家族に会おうと思えば会えます。(気付いてもらえないでしょうが…)

死んで終わりでないことを、どうしても分ってもらいたいです。



霊的真理によって、これだけのことが自信を持って伝えられます。

病気だけではありません。

私たちを悩ましているさまざまな地上の問題に対して、真理は決定的な処方箋となります。

けれども、真理を受け入れるのには、魂が目覚めていなければなりません。

そこがボトルネックとなっています。



必死に支えようしている家族に、自分のことを理解してもらえていないと、私に憤りをぶつけて来ます。

何もかも自分で決めて生きて来た人間なので、人が決めたことに従うのが耐えられないようです。

自分の気持ちを十分に理解してもらい、周りが変わることを要求しています。



残念ながら、友人の魂はまだ目覚めていないようです。

その要求は自我(エゴ)から生まれたものだからです。

エゴにより、人は変えられません。

また、変える権利もありません。

苦しいのであれば、自分が変わるしかないと伝えました。



変わらなければいけない部分が、病気を通して表に出て来て、苦しんでいるのかもしれません。

もし、シルバーバーチが言うようにガンが精神の持ち方と深く関わっているのならば、周囲のことが認められ、協調する方向に変わることができたのならば、友人の苦しみは和らぐはずです。



そんなことを言っている私自身も苦しみを感じて、変わることを促されている部分があります。

それ(変わること)に、抵抗している自分がいます。

変わることで生じる結果に対して、怖れや不安が存在していると考えられます。



友人も私も、変わらない限り苦しみは続くでしょう。

苦しみや痛みは、自分を変えるためにある触媒です。

多大な苦痛が伴う病気は、自分を変えるためにある、きわめて有効な手段と言えます。



医者から見放された末期のガンから生還した人たちがいます。

そんな人たちは、医学的に例外として扱われ、偶然として片付けられます。

けれども、それは偶然ではありません。

霊的に未熟(不完全)な部分が幽体に反映され、因果律の働きによって、肉体上の病気として現れることがあると考えています。

病気の苦痛により魂が目覚めると、大切なものが見えて来て、生き方や考え方が大きく変わる人たちがいます。

自然法則に適った自分に変われたことで、再び因果律が働いて、肉体上の病気が癒されたと考えられます。

そんな人たちの多くが、ガンになってより健全になれたと感謝をしています。



地上の人には、苦痛を伴う出来事でしか変えられない、未熟な部分があります。

今、味わっている苦痛は、自分を変えるために必要なものかもしれません。



今までと違う友人の姿を見たいです。

その時は、魂が目覚めていて、大切なものに気付いているでしょう。

一転して、家族に感謝するようになっているはずです。

霊(生命)力がふんだんに流れ込むようになり、魂が癒され、続いて肉体が癒されることを心から願っています。