2023年8月27日日曜日

想いに責任を持つ


霊的真理(シルバーバーチの霊訓)に出会い、魂の存在を確信するようになりました。

それに伴い、人の外面よりも、内面に関心が向くようになりました。

人の想いにも敏感になったような気がします。




この世界では、さまざまな想いが放たれています。

けれども、地上の人には肉体があり、五感に頼った生活をしています。

そのため、想いを感じ取る霊的な感覚は鈍くなっています。

他者の想いが伝わって来たとしても、自我(精神)の働きが優勢なために、見過ごされてしまうことがほとんどです。



時々ですが、こんな経験をします。

悲しくて泣いている人の側にいると、つられて泣いてしまいます。

大笑いしている人の側にいると、つられて笑ってしまいます。

それは音叉の原理と同じで、伝わって来た他者の想いに共鳴していると考えられます。




見方を変えると、自分の想いが他者に影響を与えていることになります。

多くの人は、表現しなければ自分の想いは伝わることはないと思っています。

けれども、鈍くはなっていても霊的な感覚はあるので、自分の想いは伝わっているはずです。



私たちは言葉を介してコミュニケーションをしています。

どんなことを言われたのか、言葉が持つ意味は重要です。

それ以外に、言葉や行動に込められた想いを、人は感じ取っていると考えられます。

無意識に想いを感じ取り、無意識に相手に返していることがあると考えられます。



地上にはさまざまな人がいます。

中には腹立たしさを感じる人もいます。

性格や言動、その他のことに、腹立たしさを感じることもあるでしょう。



もしかしたら、その腹立たしい自分の想いが、無意識に言葉や態度に込められ、相手に伝わっているのかもしれません。

自分から出たものは、因果律の働きによって、自分に返って来ます。

相手も腹立たしさを感じて、それが言葉や態度となって、自分に返って来るかもしれません。

その想いが、増幅しながら往復していることがあると考えられます。

もしそうであるならば、自分からは出さないように努めた方が良いでしょう。



自分から出たものが、自分に返って来ないこともあります。

例えば、上司が部下に理不尽な怒りをぶつけたとしても、部下が返して来ることはまずありません。

その部下は自分より下の立場にいる人に、想いをぶつけることもあるでしょう。

ぶつける対象がなく、持って行き場のない想いが蓄積すると、心身に不調をこともあるでしょう。

たとえ返って来なくても、自分から出たものが生み出す結果に責任を取らなければいけません。



世界の各地で起きている戦争の多くは、過った自由意思の行使がきっかけとなっています。

それにより生じた怒りや憎しみの想いが、因果律の働きによって、往復しながら増幅して行きます。

戦争における1つ1つの行為にも、自然法則は働いています。

銃の引き金を引く時に込められた想い(動機)に因果律が働いています。

良心の声に逆らって銃を引いてしまうと、自らが霊的な責任を負うことになります。

過ちを犯す必要のない人が、過ちを犯してしまう戦争は、悲劇としか言いようがありません。



巨万の富を築いた人が、多額の寄付をすることがあります。

富を追い求める地上的な人は、自分の想いに自然法則が働いていていることなど知りません。

寄付をする時の想い(動機)が問われています。

人や社会のために寄付するのであれば良いのですが、そうとは限りません。

それを建前にして、本当は不適切な労働条件や、抑えられた賃金への批判をかわすために寄付をしていた人もいるようです。

人は誤魔化せても、自然法則の働き(神)を誤魔化すことはできません。

想い(動機)が利己的であれば、欺むいた報いを受けることになります。



言葉や行動に込められた自分の想いを問い質す必要があります。

ただ、自我(エゴ)の働きが強くなってしまうと、自分の想いが判らなくなります。

霊的に目覚めると、自我の働きが弱くなり、隠されていた本当の自分の想いに気付くようになります。



表に出さなければ、何を想っても自分の自由と言う人がいます。

想いにも自然法則は働いているのです。

憎しみや嫉妬などの想いを抱くと、苦しみとなって自分に返って来ます。

成長は妨げられます。

その想いは魂に刻み込まれます。

向こうの世界に行くと、魂を隠す肉体はなくなります。

霊的な眼が見開き、その人がどんな想いを抱いていたのかが一目瞭然となります。



しばらくすると、地上の全人生を振り返る時が来ます。

地上の行いを、どんな想いでしていたのかを思い出します。

好ましくない想いであったのなら、後悔することになるでしょう。



自分の想いに気付くようにしましょう。

好ましくない想いが生じているのであれば、内在する神に意識を向けて鎮めるようにしましょう。

神の存在を認識できない地上において、神とのつながりを信じ、神性を発揮して自我の働きを抑えるのは、生まれて来た大きな意味の1つでもあります。




2023年8月20日日曜日

怖れや不安が生じた時


「私たちは神の一部である。」

以前の私もそうでしたが、シルバーバーチの霊訓に書いてあったこの1文に、納得できない人はいるでしょう。



それでは、「神」を「宇宙全体」と置き換えてみたらどうでしょう。

「私たちは宇宙全体の一部である。」

これは確かなことです。

神は、私たちと別個に存在しているのではありません。

全体が神であり、神は全体です。

私たちは全体(神)を構成している、極小の一部です。



地上にいる私たちは、五感に頼った生活をしているので、霊的な感覚は鈍くなっています。

肉体や物質に意識が向いてしまい、霊や神の存在を実感することは極めて難しくなります。



シルバーバーチの霊訓には、神と人間についてこう書かれています。

「あなた方一人一人がミニチュアの神です。一人一人の中に完全性の火花、つまり全生命のエッセンスである神の一部を宿しているということです。」

地上の人間は、「肉体」「精神(自我)」「魂」の3者から構成されています。

神が宿る魂から生じる思念を、自我で具体化し、肉体で具現化しながら生きています。



完璧な演奏をするバイオリニストがいたとします。

そのバイオリニストに、粗末で調弦のできていないバイオリンを渡しても、思い通りの演奏はできません。

演奏家は、使用する楽器(媒体)により制限を受けてしまうからです。



私たちは神(完全)を宿しています。

けれども、地上で自己表現するための媒体である自我や肉体は不完全です。

そのため、神(完全)とは程遠い、未熟な表現をしてしまいます。



魂からは、さまざまな想念が生まれています。

親切、同情、寛容、慈悲、哀れみ、友情、無私の愛は、魂に宿る神から生じています。

勇気を出して挑戦する、困難や障害を乗り越えようとする気持ちも、魂から生じています。



一方、不完全な自我からは、さまざまな感情が生まれています。

怖れや不安や心配などの感情は、自由闊達な魂の表現を著しく妨げてしまいます。

シルバーバーチの霊訓にはこう書いてあります。

「私が常々、心配の念を追い払いなさい、自信を持ちなさい、堅忍不抜の精神で生きなさい、神は絶対にお見捨てにならないから、と申し上げてきたのは、そうした雰囲気、そうした条件のもとでこそ霊力が働きやすいからです。」

魂から生まれる想念と、自我から生まれる感情の間でせめぎ合いが起きる時があります。

何かに挑戦しようとする時に、怖れや不安が生まれて躊躇してしまうのはそのためです。



怖れや不安が生まれた時は、自分の中にいる神を強く意識しましょう。

魂から生まれる神の力に敵うものはありません。

それまで自分を支配していた感情が、消え失せていることに気付くかもしれません。



原因が判らずに、怖れや不安を抱いている人がいます。

そんな人は、過去に強い怖れや不安を抱くような出来事が起きていて、その時の感情が内に滞っているのかもしれません。

あるいは、幼い時に必要な愛情を受けていなかったせいかもしれません。

愛情を受けていないと、守られている実感が乏しくなり、外部に対して過剰な怖れや不安を抱いてしまう可能性があります。



いずれにしても、自分に非があるわけではありません。

自分の中の神とつながることにより、怖れや不安を打ち消す力が引き出せるはずです。

自分で自分を救えることで、公正は保たれます。



もし、私たちが神の一部であるならば、神の叡智と力が共有されているはずです。

その叡智と力を引き出せるかどうかは、神とのつながりを信じられるかどうかにかかっています。

たとえ実感がなかったとしても、自分の中に神がいると信じましょう。

神とつながりを意識することにより、神の力が引き出されます。



全ての存在は、神の意志によって進化成長して行きます。

誰かのために何かをしようとする、困難や障害を乗り越えようとする、つらくても生きようとする、そんな自分の意志と、神の意志が同調することによって、成長させる力、生きる力が伝わって来ます。



この世で起きることに動じているのは自我(精神)です。

心穏やかに過ごすために、怖れや不安や心配などが生じないように努めましょう。

最も有効な手段は、自分(魂)の中にいる神を信じることでつながりを強くして、そこから引き出される力により、自我の働きを鎮めることだと思います。

心の中で、神に少しだけ触れているような感覚でいて下さい。




2023年8月13日日曜日

自分を信じる ~ある野球選手を通して感じたこと~


私は霊的真理に救われた者の1人です。

けれども、初めてシルバーバーチの霊訓(霊的真理)を読んだ時には、意味がほとんど分かりませんでした。

それから16年余、さまざまな経験をして行く中で、分からなかった真理が次第に分かるようになって来ました。



「あなた方は大霊(神)の一部です。」

シルバーバーチの霊訓にあるこの1文は理解に苦しみました。

どうしても、自分が神とは思えません。

神は全てを超越し、独立した存在のように思えたからです。



それでも、こんな1文を読んで、考えが少し変わって来ました。

「1人ひとりの霊的自我の中に絶対に誤ることのない判定装置(モニター)が組み込まれています。」

判定装置とは、いわゆる「良心」とか「道義心」と言われるものです。

「悪いことをしてはいけない」「悪いことを許してはいけない」自分の心の中でそんな声を聞く時が確かにあります。

良心が「神の声」であるならば、自分にも神が内在していることは理解できます。


人間には、喜びや悲しみ、怒りやなど、さまざまな感情があります。

感情は、精神(自我)から生じていると考えられます。



それでは、「愛」はどこから生じているのでしょうか?

感情とは明らかに違います。

精神(自我)より高次の「魂」から生じていると考えられます。

魂に内在している神から生じている神的なエネルギー、それが愛と考えられます。



しかしながら、地上に生きている人のほとんどは、魂の存在を意識することはありません。

自分に神が内在しているなどと思っていません。

シルバーバーチの霊訓にはこう書かれています。

「正しい信念さえ失わなければ、そのうちきっと全障害を乗り越えることができます。「自分は神の一部だ。不滅なのだ。永遠の存在なのだ。無限の可能性を宿しているのだ。その自分が限りある物質界のことでくじけるものか」と。そう言えるようになれば、決してくじけることはありません。」

当初は、本当にそうなのかと思ってしまいました。



私たちが、生まれる前にいたのは想念の世界です。

自分の想ったことが、立ちどころに具現化します。

一方、今いる地上は想ったことを肉体を使って具現化しなければいけません。

物質(肉体)は不完全な媒体です。

従って、想いを完全に具現化することは困難です。



精神(自我)は、魂を表現するためにある地上の媒体です。

肉体と密接に結びついていて、大きな影響を受けています。

人を助けようとしても、躊躇してしまうのは、肉体を庇おうとする自我の働きによるものです。

「自分には無理」「できるわけがない」と思ってしまうのも同じです。

そう思った瞬間、具現化しようとする力は消え失せてしまいます。



私たちは神の一部です。

立ちはだかる全ての障壁を乗り越えて行ける無限の可能性を秘めています。

それを妨げているのは、他ならぬ自分自身(自我)です。



2023年7月18日、元阪神タイガースの横田慎太郎さんが亡くなりました。

享年28歳でした。

若くして亡くなるのは、誰からも好かれ、素直で、優しく、正直な人が多いと思っています。

横田さんは、まさにその通りの人だったようです。



身体能力が極めて高く、入団当初から将来は中心選手になるだろうと言われていました。

周囲の期待に応えるべく、人一倍熱心に野球に取り組んでいた矢先に、脳腫瘍と診断されます。

手術を行いましたが、後遺症で視力障害が残ってしまい、ボールが2重に視えたそうです。

野球選手にとって、目に障害があるのは致命的です。

2年以上に渡って復帰に向けて練習を続けましたが、残念ながら回復することはありませんでした。

大好きな野球を辞めようと決意して球団に伝えたところ、これまでの努力に報いるために引退試合を開いてくれました。


守備に付く横田選手(日刊スポーツより)

試合は8回まで進み、横田選手は3年ぶりにセンターの守備に付くことになりました。

(相手チームは目が良く見えない横田選手の方に打たないように配慮したそうですが)鋭い打球が横田選手が守るセンターに飛んで行きました。

そのボールを素早くキャッチして、ランナーが向うホームめがけて投げました。

矢のような球がキャッチャーに返って来て、間一髪でアウトになりました。



試合終了後、横田選手は声をつまらせながら、こんな別れのあいさつをしました。

「これまでつらいこともありましたが自分に負けず、自分を信じて自分なりに練習してきて、本当に神様が見ていてくれたと思いました。応援してくれたたくさんの方々、本当に、本当にありがとうございました。」

後に、(目が良く見えない中で)今までで最高の返球ができたと語っています。

興味深いことに、打者が打った瞬間、「もっと前に出ろ」と心の中で声がしたそうです。

その声に促されるように前進すると、ボールをキャッチすることができたそうです。



「自分を信じて頑張った」良く聞く言葉です。

「自分」とは、普段表に出ている自分を指しているのではありません。

その奥に隠れている、本当の自分(魂)です。

さらに言うと、魂の中にいる「神」だと思います。



自分の中に神がいると思って言っているわけではありません。

それでも、自分を信じることは、自分の中にいる神を信じることにつながります。

強く信じることにより、神との結びつきは強くなります。

自我が完全に取り払われて、背後霊の援助も手伝って、想像を超える力が発揮されたと考えられます。

起きたことは「奇跡」のように見えるでしょう。



横田選手は野球を辞めて、講演活動を始めたそうです。

ある講演で、こう語っています。

自分の経験を通して悩み苦しんでいる人たちの力になりたいという新たな目標を立てて治療に臨みました。そして神様は乗り越えられない試練は与えないという言葉が浮かびました。今苦しい思いをされている方、悩み苦しんでいる方、絶対に自分に負けず自分を信じて、目標を持って目標から逃げず、少しずつ少しずつ前に進んでみてください。きっと幸せな日が来ると思います。」

横田さんに与えられたのが病気と言う試練であれば、自分を強く信じて前に進んで行けば乗り越えられ、幸せを感じる時が来ることを、後に「のバックホーム」と語られる現役最後のプレーによって、見事に証明して見せてくれました。



もっと活躍できただろうと惜しむ人は少なくありません。

けれども、野球で活躍する以上に、その生き様を通して、魂に成長を促すような影響を多くの人に与えたことに価値があります。

神など信じていなかったであろう青年が、神の望むような生き方をして、神の力が目に視える形となって顕現したと思います。

死によって生まれて来た目的が成就され、予定されていた通りに神の元(霊界)に戻ったと思います。

追悼試合で勝利を捧げる選手たち(スゴ得ドコモより)

「自分を信じて最後まで頑張ることの大切さを教えてもらいました。ありがとう!」

このような想いが、地上からたくさん届いて、大きな悦びとなっていることでしょう。


故 横田慎太郎さん(報知新聞より)


2023年8月6日日曜日

霊的真理を信じる


「早く勉強しなさい」

子供の頃、親から良く言われた言葉です。

そそくさと自分の部屋に戻って宿題をした覚えがあります。



人から言われて、言葉や行動など外面的なものを変えるのは可能です。

けれども、性格など内面的なものを変えるのは難しいです。



自分を変えるのは自分です。

何かに気付いたり、何かを受け入れたり、何かを悟ることで、自分が変わると思います。



そのきっかけとなるのが、人生で起きる出来事であり、人との出会いです。

魂が影響を受けて、自分が変わる時があります。



魂を成長させるため、言い方を変えると望ましい方向に自分を変えるために、私たちは生まれて来ています。

私は導かれるように霊的真理(シルバーバーチの霊訓)に出会いました。

その直後に、今までに経験したことのない出来事が起きて、精神的に追い詰められました。

そして、1つの真理にすがりつくことになります。

次第にシルバーバーチという存在を信じるようになり、他の真理も信じられるようになりました。



目に視えるものよりも、目に視えないものに関心が行くようになりました。

お金や名声はどうでも良くなり、生命や愛が大切に思えるようになりました。

外面ではなく、内面を視るようになりました。

死ぬことが怖くなくなりました。



けれども、真理を信じることで責任が生まれました。

シルバーバーチの霊訓には、このように書かれています。

「盗むことは悪いことですが、霊的知識を手にした人がもし盗みを働いたら、それは千倍も悪質な罪となります。恨むことは悪いことですが、霊的知識を知った人がもし恨んだら、それは千倍も悪質な罪となります。知識は全てに厳しさを要求します。」



良心の声に従わないで行動すると、ひどく後悔するようになりました。

悪いと知っていて、行動に移すことはもうできません。

自分の思念にも、注意を払うようになりました。



すがりついたのは「乗り越えられない困難は起きない」という真理でした。

この真理に救われましたが、同時に逃げてはいけない、諦めてはいけないと、それまでにも増して思うようになりました。



真理を知ったことで、生きるのが楽になったわけではありません。

忠実に生きようとすれば、自分を律したり、正直にならなければいけません。

知らずにいれば、もっと楽だったろうと思う時もあります。

大変さは増しましたが、成長を促す方向に変わったと信じています。



真理と出会い変わる人がいる一方、出会わなくても変わる人もいます。

例えば、命に関わる深刻な病気になったとします。

死を前にして、お金や地位は無力です。

それまで追い求めていたものに大した価値はなく、「生命」「愛」「自由」の大切さに気付く人もいるでしょう。

真理を知らなくても、病気などの出来事により魂が目覚めて、内面が大きく変わる人は少なくありません。



この世界の隅々まで、自然法則(神の心)が働いています。

私たちには未熟な部分があります。

未熟な部分が地上で表現されると、自然法則(因果律)が働いて、苦しみや痛みを伴う事象が起きます。

未熟な部分に気付いて、自分を変えて行くことになります。



このように、自然法則の働きによって、私たちは少しずつ変わりながら、成長して行きます。

霊的真理から自然法則の働きを学び、それに適うように生きることで、より大きな成長が期待できます。




木星とガリレオ衛星 群馬天文台のHPより

昔、物理的な自然法則が発見された時、多くの人は信じようとしませんでした。

「地球は動いている」今では周知の事実を唱えたことで、ガリレオは裁判にかけられました。

人は、自分が見ていないもの、理解を超えたものを信じようせず、否定する傾向にあります。



19世紀、英国人のクルックスは、当時話題となっていた心霊現象を自らの手で検証しました。

数々の心霊現象を目の当たりにして、それまでの自分の考えを180度変えて、霊の存在を信じるようになりました。

タリウムや陰極線を発見した偉大な科学者であったクルックスでしたが、騙された、気が狂ったと周囲からさんざん言われました。

それでも、終生自分の主張を撤回しなかったのは、ガリレオと同じ理由です。

真実は変えようがないからです。


「愛」は目に視えません。

器機でも計れません。

科学的に証明されていないにも関わらず、存在を疑う人はほとんどいません。

それは、愛された経験、愛する経験をしたことで、存在を実感しているからです。



霊的真理の根幹を為している「因果律」もそうです。

因果律は、科学的に証明されているわけではないにも関わらず、否定する人はいません。

それは、結果には原因があること、原因があれば結果が生じることを、経験的に知っているからです。



霊的な事象は、経験則から検証されるべきものです。

自分と故人しか知り得ないメッセージを伝えられる経験をして、「魂」や「死後の世界」の存在が信じられるようになる人もいます。



死を経験すれば、否が応でも認めることになりますが、それでは遅すぎます。

この世が全てだと思ってしまうと、無用な感情に支配されたり、過った生き方をしてしまい、生まれて来た目的を果たせなくなる可能性があるからです。



生きる目的が分からなくなる地上において、ナビゲーションの役目を果たすのが霊的真理です。

信じることで、道を間違えたり、ルール違反をして、人生を遠回りをしないで済みます。