2023年8月13日日曜日

自分を信じる ~ある野球選手を通して感じたこと~


私は霊的真理に救われた者の1人です。

けれども、初めてシルバーバーチの霊訓(霊的真理)を読んだ時には、意味がほとんど分かりませんでした。

それから16年余、さまざまな経験をして行く中で、分からなかった真理が次第に分かるようになって来ました。



「あなた方は大霊(神)の一部です。」

シルバーバーチの霊訓にあるこの1文は理解に苦しみました。

どうしても、自分が神とは思えません。

神は全てを超越し、独立した存在のように思えたからです。



それでも、こんな1文を読んで、考えが少し変わって来ました。

「1人ひとりの霊的自我の中に絶対に誤ることのない判定装置(モニター)が組み込まれています。」

判定装置とは、いわゆる「良心」とか「道義心」と言われるものです。

「悪いことをしてはいけない」「悪いことを許してはいけない」自分の心の中でそんな声を聞く時が確かにあります。

良心が「神の声」であるならば、自分にも神が内在していることは理解できます。


人間には、喜びや悲しみ、怒りやなど、さまざまな感情があります。

感情は、精神(自我)から生じていると考えられます。



それでは、「愛」はどこから生じているのでしょうか?

感情とは明らかに違います。

精神(自我)より高次の「魂」から生じていると考えられます。

魂に内在している神から生じている神的なエネルギー、それが愛と考えられます。



しかしながら、地上に生きている人のほとんどは、魂の存在を意識することはありません。

自分に神が内在しているなどと思っていません。

シルバーバーチの霊訓にはこう書かれています。

「正しい信念さえ失わなければ、そのうちきっと全障害を乗り越えることができます。「自分は神の一部だ。不滅なのだ。永遠の存在なのだ。無限の可能性を宿しているのだ。その自分が限りある物質界のことでくじけるものか」と。そう言えるようになれば、決してくじけることはありません。」

当初は、本当にそうなのかと思ってしまいました。



私たちが、生まれる前にいたのは想念の世界です。

自分の想ったことが、立ちどころに具現化します。

一方、今いる地上は想ったことを肉体を使って具現化しなければいけません。

物質(肉体)は不完全な媒体です。

従って、想いを完全に具現化することは困難です。



精神(自我)は、魂を表現するためにある地上の媒体です。

肉体と密接に結びついていて、大きな影響を受けています。

人を助けようとしても、躊躇してしまうのは、肉体を庇おうとする自我の働きによるものです。

「自分には無理」「できるわけがない」と思ってしまうのも同じです。

そう思った瞬間、具現化しようとする力は消え失せてしまいます。



私たちは神の一部です。

立ちはだかる全ての障壁を乗り越えて行ける無限の可能性を秘めています。

それを妨げているのは、他ならぬ自分自身(自我)です。



2023年7月18日、元阪神タイガースの横田慎太郎さんが亡くなりました。

享年28歳でした。

若くして亡くなるのは、誰からも好かれ、素直で、優しく、正直な人が多いと思っています。

横田さんは、まさにその通りの人だったようです。



身体能力が極めて高く、入団当初から将来は中心選手になるだろうと言われていました。

周囲の期待に応えるべく、人一倍熱心に野球に取り組んでいた矢先に、脳腫瘍と診断されます。

手術を行いましたが、後遺症で視力障害が残ってしまい、ボールが2重に視えたそうです。

野球選手にとって、目に障害があるのは致命的です。

2年以上に渡って復帰に向けて練習を続けましたが、残念ながら回復することはありませんでした。

大好きな野球を辞めようと決意して球団に伝えたところ、これまでの努力に報いるために引退試合を開いてくれました。


守備に付く横田選手(日刊スポーツより)

試合は8回まで進み、横田選手は3年ぶりにセンターの守備に付くことになりました。

(相手チームは目が良く見えない横田選手の方に打たないように配慮したそうですが)鋭い打球が横田選手が守るセンターに飛んで行きました。

そのボールを素早くキャッチして、ランナーが向うホームめがけて投げました。

矢のような球がキャッチャーに返って来て、間一髪でアウトになりました。



試合終了後、横田選手は声をつまらせながら、こんな別れのあいさつをしました。

「これまでつらいこともありましたが自分に負けず、自分を信じて自分なりに練習してきて、本当に神様が見ていてくれたと思いました。応援してくれたたくさんの方々、本当に、本当にありがとうございました。」

後に、(目が良く見えない中で)今までで最高の返球ができたと語っています。

興味深いことに、打者が打った瞬間、「もっと前に出ろ」と心の中で声がしたそうです。

その声に促されるように前進すると、ボールをキャッチすることができたそうです。



「自分を信じて頑張った」良く聞く言葉です。

「自分」とは、普段表に出ている自分を指しているのではありません。

その奥に隠れている、本当の自分(魂)です。

さらに言うと、魂の中にいる「神」だと思います。



自分の中に神がいると思って言っているわけではありません。

それでも、自分を信じることは、自分の中にいる神を信じることにつながります。

強く信じることにより、神との結びつきは強くなります。

自我が完全に取り払われて、背後霊の援助も手伝って、想像を超える力が発揮されたと考えられます。

起きたことは「奇跡」のように見えるでしょう。



横田選手は野球を辞めて、講演活動を始めたそうです。

ある講演で、こう語っています。

自分の経験を通して悩み苦しんでいる人たちの力になりたいという新たな目標を立てて治療に臨みました。そして神様は乗り越えられない試練は与えないという言葉が浮かびました。今苦しい思いをされている方、悩み苦しんでいる方、絶対に自分に負けず自分を信じて、目標を持って目標から逃げず、少しずつ少しずつ前に進んでみてください。きっと幸せな日が来ると思います。」

横田さんに与えられたのが病気と言う試練であれば、自分を強く信じて前に進んで行けば乗り越えられ、幸せを感じる時が来ることを、後に「のバックホーム」と語られる現役最後のプレーによって、見事に証明して見せてくれました。



もっと活躍できただろうと惜しむ人は少なくありません。

けれども、野球で活躍する以上に、その生き様を通して、魂に成長を促すような影響を多くの人に与えたことに価値があります。

神など信じていなかったであろう青年が、神の望むような生き方をして、神の力が目に視える形となって顕現したと思います。

死によって生まれて来た目的が成就され、予定されていた通りに神の元(霊界)に戻ったと思います。

追悼試合で勝利を捧げる選手たち(スゴ得ドコモより)

「自分を信じて最後まで頑張ることの大切さを教えてもらいました。ありがとう!」

このような想いが、地上からたくさん届いて、大きな悦びとなっていることでしょう。


故 横田慎太郎さん(報知新聞より)


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