2026年9月6日日曜日

良心に従って行動する

 

今も昔も、学校に通っている子供たちにとって嫌なものは試験でしょう。

テスト用紙が配られた時、採点されて返って来る時の緊張感を思い出します。

点数を見ては、一喜一憂したものです。

試験なんてなければ良いのにと思ったのは、1度や2度ではありません。

だからと言ってなければ、勉強するモチベーションは大きく失われてしまうのも確かです。


この世は、学び成長するための「学校」と言われています。

私たちはこの世と言う会場で、壮大な試験を受けているのかもしれません。



この世では、決められている「問題」が出されます。

人生で起きる出来事がそうです。



もし学校の試験に出る問題が分かっていたらどうでしょう?

学生たちは喜んで、そこだけを勉強して終わりにする人が多いでしょう。



出来事が予め分かっていたらどうでしょう?

そのことに捉われてしまう人が多いでしょう。



何の前触れもなく出来事が起きるのは、今を大切に生きるためです。

その瞬間、どう捉えて、どのような答えを出すのかが問われているのです。



大学生に足し算や引き算の問題を解かせても意味がありません。

その逆に、小学生に微分積分の問題を解かせるのは無理があります。

今まで勉強してきたことの、少し延長線上にあることを身に付けさせるのが適当です。



霊的な資質を、身に付けさせるために必要な出来事が、人生のどこかで起こります。

悩みながら、苦しみながら、ぎりぎりまで追い詰められたとしても、必ず克服できます。



何故なら、必要な出来事は法則(因果律)の働きによって起きているからです。

その法則は、神の心(愛)によって創られているからです。



挫折させるためでも、絶望させるためでも、苦しませるためでもありません。

その人を学び成長させるために起きています。



学校のテストは先生が採点します。

答案を返された生徒は、何が間違っていたのか、何が不足していたのかを知り、勉強し直します。



人生で行ったことは、神により採点され(計られ)ています。

正確に言うと、神が創った法則の働きにより、どう行動したのかが問われていて、相応の結果が生まれます。

生まれた結果から、私たちは何かを学ぶようになっています。



問われているのは、行動だけではありません。

行動の動機(想い)に対しても、法則が働いています。

例えば、お金を寄付するにしても、売名行為でする人もいれば、そうでない人もいます。

多額の寄付をしても自分の利益のためであれば霊的な価値はなく、少額であっても他者のためという想いがあれば価値があります。



今、世界各地で戦争が起きています。

戦争を始めた人たちは、正当な理由(動機)を主張しています。

けれども、その裏には、権力を誇示するため、地位を守ろうとするため、あるいは名声を高めるためなど、利己的な動機が隠されている場合が多いと考えられます。

その動機に対して法則が働いて、結果責任を取らなければならないことを、彼らは知りません。



死んであの世に行けば、固執していた権力や財産は、全く意味を失います。

丸裸になって、放り出されたような、心細い心境になるでしょう。

そして、この世の人生を振り返る時が来ます。

自分が取った行動の全てが、360度のスクリーンのようなものに映し出されます。

どんな想い(動機)で行動したのかも、同時に思い出すことになります。



自分の決断によって、たくさんの人が死に、傷つき、苦しみ、そして悲しんでいるのを目の当たりにします。

利己的な動機によって与えた痛みや苦しみは、因果律の働きによって、自分に返って来ます。

良心の呵責から生まれる、苦しみや痛みは強烈なものとなります。

償い切れないほどの罪の大きさに、後悔と絶望は計り知れないものになります。

そして、自分のせいで命を奪われた人たちから、怒りや恨みの念を受けて、怯えることになるでしょう。

彼らの姿をニュースで見るたびに、こんなことを想像してしまいます。



同じ戦争でもこのような話があります。

第二次世界大戦下のドイツ上空で、アメリカ軍のBー17爆撃機が飛行困難になるほどの大きな損傷を受けました。

ドイツ空軍の戦闘機パイロットのフランツ・シュティグラーは出撃命令を受けて、撃墜できる位置までBー17に接近しました。

しかし、機内には多数の負傷者がいて、機銃も使えない状態であることが見て分かりました。

シュティグラーは撃墜する代わりに、機体を護衛するように並んで飛び、ドイツ領空から安全な方向へと誘導して、敬礼をして立ち去ったとされています。



彼が取った行動が公になれば、軍法会議にかけられる可能性が極めて高いです。

そのリスクを冒してでも撃墜しなかったのは、彼の良心が激しく抵抗したからと思われます。

シュティグラーは2008年に亡くなっていますが、あの世でその出来事を振り返った時に、良心に従って行動して良かったと、胸を撫でおろしていたのかもしれません。

そして、自身の決断によって助かった多くの人(魂)たちから、感謝の念が向けられていることに気付いて、喜びを感じていたと想像しています。

良心の声に従って行動すれば、たとえその後に困難が待ち受けていたとしても、あの世で後悔することはありません。



この世は試験会場であり、法則(神)によって採点されています。

学べなかったこともあるでしょう。

間違いもあるでしょう。



神の法則を貫いているのは「愛」です。

学べなかったとしたら、次で学び直すことができます。

どんなに大きな間違いをしても、次で正すことができます。

この世に何度も生まれて来るのは、私たちの成長を願う神の愛の御業に他なりません。



この世を生きる上で大切なのは、神の計らいを信じて、良心に従って行動をすることです。

自分に正直になると言っても良いでしょう。

動機を問い質し、他者の喜びや笑顔のためであれば、迷わず行動に移すことです。