先月、学生時代からの友人たちと会う機会がありました。
お酒を飲みながら昔話に花が咲きましたが、定年を迎える年代でもあり、お互いの近況や将来について関心があるようです。
今回、地元に戻って来た友人を誘いました。
その友人は高校の同級生で、ある企業に勤めていましたが、上司が外資系の企業に役員として引き抜かれる際に、同じ待遇で一緒に行かないかと誘われました。
給料は大きく上がり、そこに十数年勤めていましたが、高校時代サッカー部だった彼は、早期退職してプロのサッカーチームの社長に就任しました。
そこに6年程いて、去年退職しました。
今年の夏に、奥さんと一緒に海外旅行に行ったと話をしていましたが、それを聞いて、運が良く、羨ましい人生だと思った人もいたはずです。
運が良かったのではなく、前の会社での仕事ぶりが上司に認められただけです。
待遇は良かったものの、会社の近くに部屋を借りて、朝早くから夜遅くまで働いていました。
犠牲にしていたものも多く、家族のことで悩みを抱えていました。
最後は、業績不振の責任を取って社長を辞めています。
人の話だけで、運が良いとか、羨ましいと思ってはいけません。
人生について、シルバーバーチの霊訓に、こう書いてあります。
「痛みも苦しみもない人生を、辛苦も悲哀もない人生を、常に日向を歩き、日陰というものがない人生を送る人は、地上には一人もいません。少なくとも私は、そういう人を知りません。」
地上とは、そういうところです。
バラ色だけの人生はあり得ないのです。
別なところでは、こう書かれています。
「日向と日陰、平穏と嵐、光と闇、愛と憎しみ、こうした相対関係は神の摂理なのです。一方なくしては他方も存在し得ません。」
私たちの本来の住処は霊界です。
霊界に存在するのは、「日向」、「光」、「平穏」、「愛」です。
対極にある「日陰」、「嵐」、「闇」、「憎しみ」は存在しません。
もし、そんな経験などしたくないのであれば、地上にはいないでしょう。
ところで、生まれて来たのは偶然と考える人がいます。
そんな人は、人生で起きる出来事も偶然と考える傾向があります。
人生は出来事の連続によって成り立っています。
偶然と考えるのであれば、人生に意味を見出すのは極めて困難です。
死んで全てが終わりになると信じていれば、余計にそう思えてしまうでしょう。
人間の本質は魂です。
死んで終わりではなく、肉体がなくなっても生き続けます。
生まれる前にも人生(過去生)があって、死んだ後にも人生(来生)があります。
地上に生まれて来たのは、明確な意味(目的)があります。
それは、魂を成長させるためです。
魂を大きく成長させるために、対極が存在する地上に生まれて来たのです。
自分に足りない霊的な資質を手に入れるため、あるいは過去の過ちを清算するために、それに相応しい出来事を経験する必要があったのです。
相応しい出来事とは、「日陰」、「嵐」、「闇」と言われる、誰もが避けたい不運や不幸と呼ばれるものになるかもしれません。
その出来事を経験する人生を、生まれる前の自分が決めています。
出来事が起きた時、どう捉えて、どう行動するのかは、その人が決めます。
どう行動したかによって、その先の自分が決まります。
その先で、どう行動するのかも、自分で決めます。
今の自分は、生まれる前の自分と生まれた後の自分が決めて行動して来た結果と言えます。
生まれる前に自分が決めていた人生から、大きく逸れてしまうことがないように、生涯に渡って守護霊が付いて、インスピレーションや想いを伝えて導いています。
出来事が起きた時に、自我を鎮めて、生まれて来た目的を果たせるように祈り、伝わって来たものがあれば、それに従うと良いでしょう。
地上は、たくさんの人生が垣間見える世界です。
それぞれの人に、生まれて来た目的があります。
生まれて来た目的が違えば、辿る人生も違って来て当然です。
従って、他の人と比べたり、羨ましがったりするのは、それこそ意味がありません。
目的を果たすために、起きる出来事があります。
目的を果たすためであれば、その出来事は不運でも不幸でもありません。
地上で、「日陰」、「嵐」、「闇」、「負の感情」を経験した人は、霊界に戻ると「日向の暖かさ」、「平穏(平和)のありがたさ」、「光の明るさ」、「愛の尊さや価値」が、より一層感じられるようになっています。
魂の成長が促されていて、周りのために自分が活かせるようになっています。
不運や不幸は存在しません。
存在しているのは、神の法則の働きであり、無限の愛です。

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