小学生低学年の頃、テレビで「大魔神」と言う映画を観ました。
穏やかな顔をした石仏が、恐ろしい形相の魔人となり動き出し、悪人たちを成敗するという物語でした。
それからしばらくして、夢の中に大魔神が出て来るようになりました。
その夢はとても恐く感じました。
どこへ逃げても、いくら逃げても、地響きを立てながら、大魔神が私を執拗に追いかけて来ます。
夢なのに現実としか思えず、目が覚めて安堵したのを、今でも覚えています。
大魔神(バンダイチャンネルより) |
夢には2種類あります。
1つは潜在意識が反映したもので、大脳が作り出したフィクションです。
昼間の体験が反映されたものや、意味不明のものもあり、大魔神の夢もそうです。
精神医学者のフロイトによれば、逃げ回る夢は何らかの精神的圧力がかかって不安がある時に見るそうです。
もう1つの夢は、ノンフィクションです。
こちらは肉体から魂が離脱してあの世に赴き、そこでの実体験です。
愛する人に会っていた時は、目覚めた時に温もりや充足感が残っていると言われています。
けれども、多くの人は夢を覚えていません。
毎晩のようにあの世に行っているはずなのですが、思い出せません。
その理由は、霊界での体験は地上の体験とは異なり、五感を介さないために大脳で処理されず、頭(海馬)に記憶されないためと考えています。
覚えていない理由は、それだけでないと思います。
はっきりと覚えていて、それが楽しい体験であればどうでしょう?
この世界から逃避して、眠りに耽ってしまう人もいると思います。
この世の人にとって、あの世との接点は夢の中です。
もっと別の形で、あの世が判るようになれば良いのにと思う時があります。
そうすれば、死を怖がることなく、安心して生きられます。
この世に対する執着も少なくなります。
あくせく生きようとしなくなり、地上的なものに捉われなくなるでしょう。
霊的真理が素直に受け入れられて、意識の焦点が物質的な世界から霊的な世界へと移るでしょう。
しかし、霊的な世界に意識が向き過ぎると、現実の世界に対する意識が希薄になります。
地に足がついていない状態になります。
現実の世界が疎ましくなり、逃避した生き方をしてしまえば、生まれて来た目的は果たせません。
霊的な意識を持ちながら、現実の世界にしっかりと軸足を置いて、生きることが大切だと思います。
この世に生まれて来た目的は、自分を成長させるためです。
降りかかる困難や障害を乗り越えて行くことで成長します。
あの世では起こり得ない出来事を経験するために生まれて来たので、逃げ出したい気持ちを抑えて、立ち向かって行かなければなりません。
しかしながら、地上の人はそれほど強くありません。
あの世があることが判れば、つらいこの世を生きるのを放棄して、それが過ちとは知らずに、自らの意思で行ってしまう人もいると思います。
死んだら終わり、あの世などないと思っていたとしても、精一杯生きて、成長を果たすことができれば、それで良いと思います。
誤った認識は、後で改めることができます。
あの世があること、そしてこの世を生きる意味を私は知っています。
知っていながら成長を果たせなかったのならば、その代償を払うことになるでしょう。
霊的な知識のある人は、その知識を活かす生き方をしなければいけない、シルバーバーチの霊訓には何度も書かれています。
知識には責務を伴うことを、忘れてはいけないと思っています。
あの世があっても、生きていたいと思うのは、肉体を持つ人間の宿命です。
もし仮に、死がなくなり、この世に生き続けるとしたらどうでしょう?
それは、決して喜ばしいことではないと思います。
多くのスポーツは、限られた時間の中で競い合います。
残り時間を、気にしながらプレイします。
終わったら、振り返って、その試合を評価するでしょう。
ダメだった点を反省し、改善することで、強くなって行きます。
もし、試合時間に制限がなかったとしたらどうでしょう?
集中力は途切れ、疲弊してしまいます。
当然のことながら、試合の結果も出ません。
評価はできなくなり、改善にもつながりません。
この世を生き続けるとしたらどうでしょう?
時間の制限もなくスポーツの試合をしているのと同じです。
疲れ果ててしまうでしょう。
あるいは、終わりのないテレビのドラマを観ているのと同じです。
惰性的でマンネリ化し、終いには早く終わって欲しいと願うようになるでしょう。
時間が限られていて、終わりがあるからこそ、精一杯生きようとします。
成長するための第一歩は、自分自身を知ることです
あの世に行くと、この世の人生を振り返る時が訪れます。
自分の取った行動や想いの全てを回想することになります。
この世の人生を通して、自分を評価することができます。
良かったところ、悪かったところが自覚されます。
それを伸ばそうとしたり、なくそうとします。
死によって、リセットが必要なのです。
そんな理由もあり、この世とあの世を行き来しながら、霊的に成長して行く仕組みを、神は創造したと考えています。
楽しかった人生も、つらかった人生も、死と共に終わりを告げます。
病気や障がいのあった人は、悩ましい肉体から解放されます。
今までの苦しみや痛みが噓のようになくなり、何でも自由にできるようになります。
大切な人がいない世界で生きる悲しみや寂しさは、一瞬にして、同じ世界で生きる悦びに変わります。
生きることに追われて、やりたくてもできなかったことが、思う存分できるようになります。
この世で叶うことのなかった夢が、あの世では現実のものとなります。
この世を生きる人にとって、夢のような世界であるからこそ、あの世はベールに包まれています。
あの世があることだけは、知っておいて下さい。
5 件のコメント:
イクミさま
おはようございます
大切な人がいない世界で生きる悲しみや寂しさは、一瞬にして、同じ世界で生きる悦びに変わります。
この一文を励みに
これから頑張って
生きていけそうです。
子に先立たれて
なんとか踏ん張ってきましたが
心折れそうになっていました。
そのような中
こちらの一文に
助けられた気が致します。
心から
感謝申し上げます。
イクミさま
いつも優しい文章に
救われております。
ありがとうございます。
誰にでも温かい眼差しが
向けられるよう
自分も優しくあるように
頑張ります。
白うさぎ様
こんにちは。
ブログを読んでいただき、ありがとうございます。
私は霊的真理(シルバーバーチの霊訓)に出会って16年経ちます。
これまでたくさんの人からコメントをいただきましたが、お子さんを亡くす以上の悲しみはないと思うようになりました。
特に、お母さんは自分のお腹から生まれて来たので、身も心も引きちぎられる思いをされていると想像しています。
乗り越えられないことは決して起きないと霊的真理には書かれていますが、ぎりぎりのところでどうにか今日まで生きて来たとお察しします。
この時節は、最愛の人を亡くした人にとって、余計につらくなると聞いています。
必要としている人に霊的真理を伝えることは、私にとって喜びであり、責務だと思っています。
肉体を失っても生きていること、愛し合う人に別れはないこと、また必ず会えること、私にとって当たり前のことが、最愛の人を亡くした人にとって、計り知れない意味を持つことを知りました。
稚拙な文章ですが、何とかして、魂とあの世が存在していること、愛は不滅であることを判ってもらいたいと思いながら、このブログを書いています。
若くして亡くなると、可哀想とか不幸とか言う人がいます。
そんな人は何も知らないのです。
地上より快適な世界で、元気に生きているなどとは、夢にも思っていないのです。
少なくてもあなただけは、元気でいると強く信じて下さい。
お子さんが安心します。
運、不運などありません。
あるのは自然法則(神の摂理)の働きだけです。
この世で起きる出来事には意味(目的)があります。
今は判らなくても、いずれはっきりと判る時が来ます。
あなたは今のお子さんの様子は何にも判りません。
お子さんは今のあなたの様子が手に取るように判っています。
決められていたことなので自分を責めないで欲しい、一人じゃなく周りのみんなに親切にしてもらっているので心配しないでと、あなたに伝えたいような気がしています。
これから、あなたの生きる姿を見ながら、多くのことを学んで行くと思います。
たくさんのことを伝えてやって下さい。
今年もわずかになりました。
正月の頃は年末など、ずっと先のことだと思っていましたが、過ぎて見ればあっと言う間です。
お子さんと再会の時は、ずっとずっと先の様に思えるでしょうが、頑張って生きていると、思ったよりも早く来るかもしれません。
何時になるかは判りませんが、会えるのは確実です。
いくみ様
おはよう御座います
ブログ、読ませ頂きました。
懐かしい大魔神のお話
私も確か亡き父と最初で最後の映画を見に行ったと記憶しています☺️
私も夢を見ました
あの大魔神の顔が怖くて!!
ブログの一節
大切な人がいない世界で生きる悲しみや寂しさは、一瞬にして、同じ世界で生きる悦びに変わります。
この言葉は生きる意味をあらためて感じます
いくみ様
いつもありがとうございます。
弟ですが
昨日主治医の診察があり
癌は早期で摘出すれば完治するとの事です
手術は令和4年1月6日木曜日に決まりました…
コロナ禍
手術立会、術後の結果はリモート、面会もできません。
いくみ様
手術が近くなりましたら
ヒーリングを是非
お願いしたくよろしくお願い致します。
あさよ様
おはようございます。
ブログを読んでいただき、ありがとうございます。
大魔神の夢を見たのですね。
あの顔は強烈なインパクトがあり、夢に出てきた子供はきっとたくさんいると思います。
ブログの一節ですが、お母様は弟さんたちと再会して、一足先に実感されたと思います。
末の弟さんの手術は年明けに決まったのですね。
摘出で完治するのであれば、何よりです。
ヒーリングは前日の夜辺りに行いたいと考えています。
年末で慌ただしくなりますが、心穏やかにお過ごし下さい。
いくみ様
弟の件ありがとうございます。
生きるというのは本当に修行なんだと
思います…
でも賢明に修行をして終わる先には
亡き家族と逢える
愛おしい主人に逢える
きつく、苦しい修行ですが…
しっかり行なっていきます。
いくみ様もどうぞお身体に気をつけてられて
下さい。
弟の手術が間近になりましたら
連絡させて頂きます。
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