2025年2月2日日曜日

良い種を蒔く

   
          

種が地面に落ちます。

しばらくすると、地面から芽を出します。

そして陽を浴びながら生長して行きます。

そのどれもが自然現象です。



全ての自然現象は、自然法則の働きによって支配されています。

この世界の秩序は、自然法則の働きによって保たれています。



自然法則の根幹を為すのは「因果律」です。

原因があれば結果が生じ、結果には原因があります。



生命が誕生するのも自然現象です。

自然法則の働きによって、私たちは生まれて来ています。



(地上の)生命の誕生とは、受胎の瞬間です。

肉体と生命(魂)が結合し、地上の人生が始まります。

受胎という自然現象が結果ならば、その原因は受胎前にあるということになります。


病気には原因があります。

タバコを吸えば肺疾患に、お酒を飲み過ぎると肝疾患になるリスクは高くなります。

神経を遣い過ぎると、胃潰瘍になる時もあります。



多くの遺伝性疾患は原因不明とされています。

受胎時に遺伝性疾患は生じるので、原因は受胎前にあります。

ところが、医学では受胎前に生命は存在しないことになっています。

原因は物質的次元ではなく霊的次元にあると考えられるので、受胎前に生命が存在していることを認めない限り、医学で突き止めることは不可能です。



霊的次元の病気の原因(目的)は、自分に足りない資質を手に入れるためかもしれません。

持っている資質をより向上させるためかもしれません。

過去の人生で拵えた借りを返すためかもしれません。

いづれにせよ、霊的成長に関わっているのは間違いありません。



種には、生長と繁殖と言う目的(原因)が宿されています。

その結果として芽が出ますが、それには十分な水分、適度な温度、土壌が適しているなどの条件が整っていなければなりません。



人間も同じと考えられます。

成長という目的が存在しなければいけません。

それに適した環境がなければいけません。

少なくても、この2つの条件が整わない限り、生まれて来ることはないと考えています。





生まれる前にいたのは、ストレスフリーな世界です。

肉体がないので、食べて行くために働く必要もなく、病気の苦しみや痛みもありません。

周囲には自分と似た人しかいないので、人間関係で苦しんだり悩むこともありません。

争いはなく、平和で穏やかな世界です。




そんな世界を離れて、苦しみや痛みや争いが存在する地上に、どうして生まれて来たのでしょうか?

シルバーバーチの霊訓にはこう書いてあります。

「地上の人類はまだ痛みと苦しみ、困難と苦難の意義を理解しておりません。が、そうしたもの全てが霊的進化の道程で大切な役割を果たしているのです。過去を振り返ってごらんなさい。往々にして最大の危機に直面した時、最大の難問に遭遇した時、人生で最も暗かった時期がより大きな悟りへの踏み台となっていることを発見されるはずです。」

苦痛や困難を伴う出来事が起きる世界だからこそ、その経験を通して学べる大切なことがあるようです。




およその人生は、生まれる前に決まっています、

無限の叡智によって、個々の目的を果たすために最適な人生が立案されます。

その人生を了承して、私たちは母体に宿ります。

いざ生まれてしまうと、その時の記憶が上って来ることはありません。(一部の幼児などは除く)


小学生の時、休日に父に連れられて映画を観に行きました。

「007」シリーズの映画でしたが、父は時間がなかったのか、途中から館内に入りました。

その時スクリーンに映っていたのは、ジェームズ・ボンド(主人公)がカーチェイスをしているクライマックスシーンでした。

しばらくするとジェームズ・ボンドは敵に勝利し、映画が終わりました。

当然のことですが、その前を観ていないので、何でカーチェイスをしているのか、さっぱり分かりませんでした。



人生も同じような気がします。

今の人生は、過去からつながっています。

けれども、私たちが知ることができるのは、生まれてから現在までです。

何で起きているのか分からない出来事は、知ることができない過去の人生に原因(目的)があるのかもしれません。



分からなかった原因(目的)は、寿命が来て生まれる前にいた世界に戻ると分かるようになります。

全ての出来事が、因果律の働きによって連綿と続いていて、遠い過去から現在に至っているのが分かります。

偶然や不運ではなかったことが分かります。



途中から館内に入った父と私ですが、最初から観ることにしました。

何とつまらない時間だったでしょう。

感動も半減でした。

クライマックスシーンとその結果が分かっていたからです。

それまでの物語の展開は、クライマックスシーンに向けて準備されたもののように感じられました。



もし、計画されている「人生のシーン(出来事)」が分かっていたらどうでしょう?

映画と同じようにつまらなく、感動のないものになってしまうような気がします。

地上にいる私たちは、過去も未来も知る必要はなく、今を精一杯生きていれば良いのです。



この人生は過去の人生の結果と言えます。

同時に、未来の人生の原因となっています。

蒔いた種を刈り取りながら、種を蒔いているのです。



良い結果を収穫したいのであれば、良い種を蒔くしかありません。

良い種とは、神の心に叶った行いです。

それは難しいものではなく、誰かのために何かをすることです。

もっと簡単に言うと、よろこぶことをすれば良いのです。

許すことも含まれるでしょう。



よろこぶことをすれば、よろこびとなって返ってきます。

形を変えて返って来ることもあります。

今生ではなく、来世で返って来ることもあるでしょう。



因果律の働きは完璧です。

神の心に叶った生き方は、魂の成長となって結実します。






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