
種が地面に落ちます。
しばらくすると、地面から芽を出します。
そして陽を浴びながら生長して行きます。
そのどれもが自然現象です。
全ての自然現象は、自然法則の働きによって支配されています。
この世界の秩序は、自然法則の働きによって保たれています。
自然法則の根幹を為すのは「因果律」です。
原因があれば結果が生じ、結果には原因があります。
生命が誕生するのも自然現象です。
自然法則の働きによって、私たちは生まれて来ています。
(地上の)生命の誕生とは、受胎の瞬間です。
肉体と生命(魂)が結合し、地上の人生が始まります。
受胎という自然現象が結果ならば、その原因は受胎前にあるということになります。
病気には原因があります。
タバコを吸えば肺疾患に、お酒を飲み過ぎると肝疾患になるリスクは高くなります。
神経を遣い過ぎると、胃潰瘍になる時もあります。
多くの遺伝性疾患は原因不明とされています。
受胎時に遺伝性疾患は生じるので、原因は受胎前にあります。
ところが、医学では受胎前に生命は存在しないことになっています。
原因は物質的次元ではなく霊的次元にあると考えられるので、受胎前に生命が存在していることを認めない限り、医学で突き止めることは不可能です。
霊的次元の病気の原因(目的)は、自分に足りない資質を手に入れるためかもしれません。
持っている資質をより向上させるためかもしれません。
過去の人生で拵えた借りを返すためかもしれません。
種には、生長と繁殖と言う目的(原因)が宿されています。
その結果として芽が出ますが、それには十分な水分、適度な温度、土壌が適しているなどの条件が整っていなければなりません。
人間も同じと考えられます。
成長という目的が存在しなければいけません。
それに適した環境がなければいけません。
少なくても、この2つの条件が整わない限り、生まれて来ることはないと考えています。
小学生の時、休日に父に連れられて映画を観に行きました。
「007」シリーズの映画でしたが、父は時間がなかったのか、途中から館内に入りました。
その時スクリーンに映っていたのは、ジェームズ・ボンド(主人公)がカーチェイスをしているクライマックスシーンでした。
しばらくするとジェームズ・ボンドは敵に勝利し、映画が終わりました。
当然のことですが、その前を観ていないので、何でカーチェイスをしているのか、さっぱり分かりませんでした。
人生も同じような気がします。
今の人生は、過去からつながっています。
けれども、私たちが知ることができるのは、生まれてから現在までです。
何で起きているのか分からない出来事は、知ることができない過去の人生に原因(目的)があるのかもしれません。
分からなかった原因(目的)は、寿命が来て生まれる前にいた世界に戻ると分かるようになります。
全ての出来事が、因果律の働きによって連綿と続いていて、遠い過去から現在に至っているのが分かります。
偶然や不運ではなかったことが分かります。
途中から館内に入った父と私ですが、最初から観ることにしました。
何とつまらない時間だったでしょう。
感動も半減でした。
クライマックスシーンとその結果が分かっていたからです。
それまでの物語の展開は、クライマックスシーンに向けて準備されたもののように感じられました。
もし、計画されている「人生のシーン(出来事)」が分かっていたらどうでしょう?
映画と同じようにつまらなく、感動のないものになってしまうような気がします。
地上にいる私たちは、過去も未来も知る必要はなく、今を精一杯生きていれば良いのです。
この人生は過去の人生の結果と言えます。
同時に、未来の人生の原因となっています。
蒔いた種を刈り取りながら、種を蒔いているのです。
良い結果を収穫したいのであれば、良い種を蒔くしかありません。
良い種とは、神の心に叶った行いです。
それは難しいものではなく、誰かのために何かをすることです。
もっと簡単に言うと、よろこぶことをすれば良いのです。
許すことも含まれるでしょう。
よろこぶことをすれば、よろこびとなって返ってきます。
形を変えて返って来ることもあります。
今生ではなく、来世で返って来ることもあるでしょう。
因果律の働きは完璧です。
神の心に叶った生き方は、魂の成長となって結実します。
0 件のコメント:
コメントを投稿