金太郎は兄弟犬のはなと我が家で生まれ、母犬のしろと共に暮らしていました。
3匹は近寄ったり、匂い嗅いだりしてお互いの存在を常に確認していましたが、日々衰弱して行く金太郎の様子を、はなとしろは少し離れたところから見ていてました。
金太郎の魂が肉体から離れる時が来ました。
全く動かなくなった金太郎を見て、犬たちが死を認識していたのかは分かりません。
それでも、はなの瞳からは別れの悲しみのようなものを感じました。
人間は動物より精神(自我)が発達しています。
精神が発達するのに伴い、感情も豊かになって行きます。
人間と共に暮らし、愛情を受けた動物たちは自我が芽生え、さまざまな感情を表現するようになります。
嫉妬という感情も生まれ、人間に近づいています。
また、人間の感情を識別していると思う時があります。
悲しんでいたり、落ち込んでいたりすると、寄り添って顔をなめて慰めようとします。
金太郎を散歩に連れて行く時に使っていたリードを見ると、元気な時の姿が思い出されて、(元気でいるのは分かっていても)悲しくなってしまいます。
はなとしろは、何事もなかったかのように元気にしています。
人間は過去を思い出します。
思い出しては、感傷に浸ったり、後悔したり、時に怒りや憎しみが生まれる時もあります。
もちろん動物にも過去の記憶はあるでしょうが、生きて行く上で必要のないことは思い出さないと考えられます。
人間は未来を予測します。
予測しては、不安になったり、心配したり、恐れを抱いたりします。
動物も未来を予測するでしょうが、生きて行く上で必要のないことは予測しないと考えられます。
動物たちが元気なのは、今を生きているからです。
それに比べて人間は、過去や未来に捉われて、必要のない感情が生じることによって、生きる力が奪われていると思います。
感情は精神(自我)から生まれています。
精神の上位には、意識の源泉である魂が存在しています。
魂からは、意志(意念)が生まれています。
意志があるところに、感情は生まれません。
1947年、インドがイギリスから独立しました。
その立役者となったのがマハトマ・ガンジーです。
ガンジーは強い意志で、非暴力を貫き通しました。
非暴力という意志を持つことにより、敵対する者への怒りや憎しみの感情が生まれるのを防いでいたと考えられます。
ガンジーだけではなく多くの国民も、同じ意志を持つことにより、感情的にならなかったので、目的が成し遂げられたと思います。(怒りを爆発させたら武力で封じ込められていたでしょう)
アルピニストが断崖絶壁を登って行く姿を見る度に、怖ろしくてとても自分には出来ないと思います。
もちろん彼らにも「怖い」と言う感情はあるはずですが、それよりも「登る」という意志の方が上回っているので、挑戦することができると考えられます。
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シスパーレに挑む平出さんと中島さん(2024年7月没) |
誰もが同じような経験をしています。
仕事や趣味などに没頭すると、それまであった感情を忘れています。
意念は感情に優っているのです。
死んで霊界に行くと肉体がなくなり、地上的な苦しみから解放されます。
何もしなくても生きて行くことができる安楽な世界です。
霊界においても、生きる目的は魂の成長です。
何もしなければ、成長もありません。
自分の意志で何かをして、それにより周りが良くなれば、自分も良くなって(成長して)います。
時間が存在する地上では、過去の記憶や未来の憶測が付きまとい、そこから苦しみを伴う感情が生まれます。
その感情に支配されないためには、意志を持つことが必要です。
地上で意志を培うことは、(時間がなくなり)今を生きている霊界での成長につながります。
胸に手を当てると、自分の意志を感じ取ることができます。
心臓の鼓動は、地上を生きようとしている魂の現れです。
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