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世界1美しい絵と言われているのが、言わずと知れた「モナリザ」です。
確かに美しいとは思うのですが、どこが、どう美しいの?と聞かれても、返答に困ってしまいます。
そもそも、「美」とは何でしょう?
はっきりと答えられる人はいないのかもしれません。
ところで、幸せとは何でしょうか?
悦びを感じている状態と言う人もいるかもしれません。
それでは、悦びとは何でしょうか?
答えられなくなってしまいます。
愛は大切だと考える人は少なくありません。
けれども、何で大切なの?と聞かれると、直ぐには答えられません。
「美」、「幸せ」、「悦び」、「愛」、全て目に視えないものです。
目に視えなくても、私たちはそれらが存在していることを実感しています。
どこで実感しているのでしょうか?
脳と答える人が多いと思います。
例えば「悦び」ですが、脳内で神経伝達物質であるドーパミンが放出されることによって感じていると科学者は説明するでしょう。
それでは、何が悦びを感じているのでしょう?
自分に決まっているだろうと言われそうですが、その自分とは何なのでしょう?
「自分」も脳が作りだしている、そして多種多様な「個性」も脳が作り出していると、科学者は答えるでしょう。
それを証明した人は、誰一人としていません。
証明できるわけがありません。
肝心な部分が欠落しているからです。
地上の人間は、「肉体」「精神」「魂」の複合体です。
真の「自分」とは魂です。
脳を含む肉体は、その表現媒体に過ぎません。
もちろん、「個性」も脳で作り出されるものではありません。
肉体とは異なる精神的次元に、魂の反映として個性が形成されます。
「美」を感じているのは、脳ではなく魂です。
魂は霊的次元の存在です。
美は霊的な感覚なので、物質的次元の言葉で説明するのは極めて困難になります。
モナリザに、この世のものとは思えない美を感じるのは、霊的な感覚を刺激しているからです。
作者のレオナルド・ダヴィンチは霊界から送られて来るインスピレーションを正確に受け取り、忠実に描写できる、類まれな才能があったと考えられます。
精神とは、魂と肉体の間に介在する媒体です。
魂が肉体に宿ると同時に、地上的な自我(精神)が生まれます。
地上的な自我は、肉体(五感)を通して外部からの情報を受け取ると同時に、肉体を使って外部に自己表現しています。
死んで肉体を失うと、霊的な自我で自己表現するようになります。(但し、死を認識していない人はその限りではありません。)
眠っている間も、霊的な自我が活動しています。
シルバーバーチの霊訓に書かれている「魂」とは、霊的な自我と考えています。
魂の本質は、神そのものであり完全であると考えています。
魂の成長とは、魂そのものではなく、霊体と言う不完全な媒体が完全に近づいて行く過程を指すと考えています。
普段、私たちは地上的な自我で自己表現をしています。
危機的な状況に陥った時や窮地に追い込まれた時などに、地上的な自我の陰に隠れていた霊的な自我が前面に出て来ます。
魂が目覚めるとは、地上的な自我に代わり、霊的な自我が主導権を握ることだと考えています。
真の自分とは、もちろん霊的な自我です。
それぞれの自我が存在する次元は異なります。
電波は波動であり、振動数があります。
人間から出される思念(感情)も波動であり、それぞれの思念に振動数があります。
怒りの感情は低い振動数であり、憎しみになるとさらに低くなりますが、それらは地上的な自我から生じていると考えられます。
一方、悦びや愛はレンジが広く、地上的な自我から霊的な自我にまたがって生じていると考えられます。
例えば、宝くじが当たったなど世俗的な悦びは低い振動数であり、地上的な自我から生じていると考えられます。
役に立った時の悦びは、振動数が高く、霊的な自我から生じていると考えられます。
利己性を帯びた愛は地上的な自我から、利他性を帯びた愛は霊的な自我からが発せられていると考えられます。
イエス・キリストが言う「敵を愛する」想いは、最も振動数が高い思念の1つであり、極めて成長進化した霊的な自我から生じていると考えられます。
怒りや悲しみや怖れなどの感情は、地上的な自我から生まれているので、肉体がなくなったと同時に消滅するはずです。
しかしながら、地上的な自我しか表に出ていなかった人や、死んだと思っていない人は、霊的な自我がなかなか目覚めずに、その感情から抜け出せません。
私たちは、完全(神)には程遠い存在です。
それでも、私たちには神性があります。
宇宙全体が神であり、宇宙を構成している一部だからです。
駅のホームに落ちた人を、電車が迫って来ているのにも関わらず、助けようとする人がいます。
聖書には「全き愛は恐れを締め出す」と書かれています。
神性から生じている愛によって、地上的な自我から生じている怖れが打ち消されたので、そのような行動ができると考えられます。
地上的な自我の要求に従うのか、それとも霊的な自我の要求に従うのかを、決めるのは自分です。
霊的な自我の要求は、得てして困難や苦労や危険を伴うものです。
両者の間で、しばしば葛藤が生じますが、霊的な自我の要求に従って行動に移した時に、成長進化が得られます。
生まれて来た目的は、地上的な自我(エゴ)に打ち克ち、神性を発揮することで、魂を成長させるためです。
魂が成長進化し、ふんだんに神性が発揮されるようになると、怖れだけでなく、怒りなどの感情からも解放されて、悦びのみが感じられるようになります。
その境涯に至ると、地上を生きる必要はもうなくなり、霊界で成長進化して行けるようになります。
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| NASAの公開画像より |
モナリザの絵よりも宇宙の方が、私には美しく感じられます。
自然法則の働き(神の心)によって、完全な調和が表現されているからです。
個々が全体のために存在していることで、調和が生まれます。
それぞれの人が、全体のために寄与することで、この世界は美しくなって行くはずです。






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