お疲れかと思いましたが、少しでも早く家族に真実を知ってもらいたかったので、告別式の翌日に友人宅にお伺いしました。
まず、何とも言えない良い表情をしている友人の遺影に向かって手を合わせました。
隣のリビングには、家族が集まっていました。
長男、長女、三男、奥さんがテーブルを囲んで座っていて、友人のいつもの席は空けられていました。
何を話しに来たのだろう? 皆さんそんな顔をしていました。
まず、私が霊的真理と関わるようになったこれまでのいきさつを話しました。
望んでもいないのにヒーリングの力が出たこと、これから話すことを受け入れてもらうために、その力が与えられたことを話ました。
そして、単刀直入に「姿は見えなくなったけれども○○は生きているよ。」と伝えました。
突然そんなことを言われても、信じられないでしょう。
そこで「お父さんから、今まで受けてきた愛情は信じられるよね。」と言いました。
頷いていました。
「愛情は目に視える?」と尋ねました。
もちろん視えません。
「それと同じで、目に視えないけれど魂は存在しているんだよ。」
そして「魂から愛は生まれているんだよ」と続けました。
「ないのは肉体だけ。意識もあり、記憶もあり、性格もそのままだよ。」と言いました。
家族を思う気持ちも、当然のことながら、そのままです。
20数年前、先妻が突然亡くなった時、双子の長男と次男は幼稚園児で、3男は1歳でした。
友人は建築会社の経営者であり、いつも現場に出向いていました。
3人の子育てと仕事の両立は無理だろうと、周りからは子供を施設に預けるように勧められましたが、それを断りました。
子供たちの弁当も、早起きして自分で作っていました。
他の友人にはない強さが、この時身に付けられたような気がします。
「自分にはとてもできないことを、お父さんはしてして来たんだ。深い愛情があったからだ。」と言いました。
死によって、その愛情が途切れてしまうわけがありません。
目に視える肉体は、やがて朽ち果てます。
目に視えない魂は、不滅の素材(非物質)でできています。
魂が不滅であれば、そこから生まれている愛情も不滅です。
友人の肉体はもうありません。
従って、これまでのように自分の想いを、言葉や行動で表現することはできません。
前回のブログにも書きましたが、残して来た人を守り導くことで、愛情を表現して行くことになります。
悩んだ時、問題に突き当たった時、友人に尋ねてみてはどうかと言いました。
友人は責任感の強い人間です。
直ぐにではなくても、タイミングを見計らって、必ず応えてくれるはずです。
けれども、頼り過ぎてはいけない、決めるのはあくまで自分だと付け加えておきました。
地上の人は、想像している以上に、霊界の人に守り導かれています。
そのことに気付いていないだけです。
いや、頼ると成長しないので、気付かれないようにしているだけかもしれません。
霊界の人は、想い(思念)と言う「力」を地上の人の心に送っています。
想いが伝わると、地上の人の心に変化が生じます。
それにより、行動が促されたり、抑えられたりすることがあります。
暗い心が、パッと明るくなることもあるでしょう。
生きる勇気が湧くこともあるでしょう。
難題を解決する、ヒントを見つけることもあるでしょう。
良く作曲家が音が降ってきたと表現します。
地上の人に同調している霊界の人が、メロディーをインスピレーションとして伝えた来たと考えられます。
特別なことではなく、守護霊をはじめとする霊界の人は、頻繁にインスピレーションを伝えていると考えられます。
それとは気付かなくても、妙案を思い付いたり、発想を転換させたりして、意図した行動を取らせることで、地上の人を導いていると考えられます。
心に思い浮かんだものは、霊界から届いた思念(想い)かもしれません。
気のせいにしてはいけない、見過ごしてはいけないと、家族に伝えました。
霊界から思念が届くなど、SF映画の話と思ったかもしれません。
それでも「言葉を交わさなくても、相手が何を想っているか分かった時はないですか?」と尋ねたところ、あるあると言うように奥さんは何回も頷いていました。
もし、その相手が友人であれば、肉体がない今でも想いを感じ取れるはずです。
言葉は地上だけに存在する媒体です。
友人がいる霊界では、言葉を介さずに直接思念のやり取りをして、コミュニケーションをしています。
霊界から届いた思念を、地上の人は思い付きや気のせいと片付けて、どれほど無視しているのか分かりません。
次元を超えて想いを伝えるのが難しいことを、霊界にいる人たちは重々承知しているでしょうが、その度に歯がゆい思いをしているのに違いありません。
これから人生を歩んで行くに当たって、私なりにアドバイスをしました。
事業を継承している長男には、双子の次男と同じ方向を向いて力を合わせれば発展して行くこと、自分を超えることを友人は望んでいると伝えました。
三男は優柔不断なところがあるように感じましたので、どちらか迷ったら難しい方向、挑戦する方向を選ぶように伝えました。
娘さんの方を見た瞬間、友人が亡くなった時に心の中に浮かび上がった、黒い服を着ている男性と腕を組んでいる女性の姿を思い出しました。
浮かび上がったイメージは、下の写真に近いものでした。
そのイメージから、娘さんと腕を組んでバージンロードを歩く友人を連想しました。
娘さんに、そのことを伝えると、直ぐに自分のスマホを取り出しました。
待ち受け画面を見せてくれましたが、そこには着物姿の娘さんと腕を組んでいる友人の姿がありました。
これだと思いました。
霊媒現象を否定する人もいます。
その理由の1つとして、霊媒によって言うことが違うことがあげられます。
霊界の人は、写真のようなイメージをショットで地上の人に伝えて来ることが多いです。
受け取ったイメージから、私は友人は娘さんとバージンロードを歩きたかったと解釈しました。
同じイメージを見せられても、人によって違う解釈をします。
娘さんが恋人と腕を組んで歩いていると解釈する人もいるでしょう。
イメージに対する解釈は、受け取った人のパーソナリティーに多分に影響を受けてしまうと考えられます。
言うことが違って来るのは、嘘を言っているわけではなく、パーソナリティーによって解釈が異なり、その上に脚色が加えられてしまうためと考えられます。
スマホの写真は、娘さんの成人式の時に撮ったものでした。
親子で腕を組んだのは、この時が最初で最後のようです。
友人にとって感慨深かったシーンのはずです。
霊界の人は、娘さんのスマホの待ち受けにこのシーンが使われていることを知っていて、私にイメージを送って来たと考えられます。
何でも知っていること、うれしかったことを、皆さんに伝えたかったと思います。
告別式でお坊さんがお経を上げている時のことです。
友人が今、何を想っているのか知りたくなりました。
焦点を合わせたところ、浮かんで来たのは「すっげー気持いい」という言葉でした。
沈痛な表情で座っている家族とは対称的な、この脳天気とも言える言葉に、ちょっと吹き出してしまいました。
長い間、不自由な肉体の中にいて、解放された時の快感は、私が想像している以上のものかもしれません。
不謹慎に思われるかもしれないので、伝えるのを止めようかと思いましたが、やっぱり伝えました。
もう苦しんでいないことを、知ってもらいたいはずだからです。
遺影の顔写真ですが、実は娘さんと腕を組んだ時の写真をトリミングしたものでした。
そう言われてみれば、友人の表情は少し照れ臭くさそうでした。
いろいろな話をしているうちに、1時間以上経っていました。
最後に、これからも友人は、父親であり、夫であり続けることを伝えました。
話したことは慰めでも何でもありません。
生きていること、守り導いてくれることを、家族は少しは分かってくれたと信じています。
真理を伝えるのは知っている者の責務ですが、今回は友情の証です。
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