2023年11月12日日曜日

自然法則の働き

 

「人に親切にしましょう」

子供の頃、親や先生から良く聞かされた言葉です。

「何で親切にするの?」と、子供に聞かれたらどうでしょう?

善いことだからと、答える人もいるでしょう。

自分がしてもらいたいことを、人にしてあげるのよと、答える人もいるかもしれません。



一般的に、法律に触れることは悪いとされています。

人の身体をナイフで傷つければ、法律に触れて罪が問われます。

けれども、人の心を傷つけても、罪を問われないことが多々あります。



この世では、善悪の基準は実にあいまいです。

それでは、真の善悪の基準とは何でしょう?



この宇宙の隅々にまで自然法則が働いています。

自然法則に適っていれば「善い」行いであり、反していれば「悪い」行いと定義できます。

今、子供に聞かれたとしたら、「人に親切にするのは、自然のきまり(自然法則)に適った行いなので、どんどんするべきだよ。人を傷つけるのは反する行いなので、決してしてはいけないよ」と答えるでしょう。

そして「自然のきまりに適った行いには善い報いが、反した行いには悪い報いが必ずあるんだよ。だから、いじめなどしてはいけないんだ」と付け加えるでしょう。



自然法則には、いくつかの種類があります。

万有引力の法則など、物質的な自然法則は検証が可能であり、本から学ぶことができます。

霊的な自然法則は検証が不可能であり、経験を通して学んでいます。



霊的な自然法則の根幹を為しているのは「愛」です。

我がままを言ったり、自分勝手なことをすると、仲間外れにされて痛い思いをします。

それは自然法則の働きによるのものであり、愛に反した行いをしたからです。



親切にして喜ばれると、こちらまで喜ばしい気持ちになります。

それも自然法則の働きによるものであり、愛に適った行いをしたからです。

私たちは、自然法則の働きによって生まれる痛みと喜びを通して、愛を表現する方向に進んでいます。



同じ行為であっても、動機によって自然法則の働き方は違ってきます。

愛に根差した動機であれば、その行いによって人は成長します。

恵まれない人たちのためにと、お小遣いを溜めて寄付した子供たちは成長しています。

周りから評価されたいなど動機が利己的ならば、いくら多額の寄付をしても、子供たちのような成長は得られません。



毎日の仕事や家事はどうでしょう。

多くの人は、生活して行くために、必要に迫られて行っています。

動機が自分の生活のためであっても、結果的に社会や組織や家族に奉仕をしていることになり、長い間、続けていれば相応の成長が得られると考えられます。

何かをしなければ、生活して行けないのが地上です。

半ば強制的に何かをしている中で、私たちは成長しています。

同じ行いでも、生活のためではなく、誰かのために(という動機で)することができたのならば、より大きな成長が得られると考えられます。



一昔前は、利益を追い求めるだけの会社が多かったです。

今は、社会貢献をして利益を得るという意識に変わって来ました。

それは、自然法則の働きにより、社会が進化しているからと考えられます。

私が子供の頃は、障がいがある人は家で過ごしている人が多かったです。

今は、外で活躍する場が増えて来ました。

それも、自然法則の働きにより、世の中が進化しているからと考えています。

女性が社会で活躍し、男性が家事をするようになったのも、時代と共に人や社会が進化しているからと考えています。

自然法則の働きにより人や社会は、より自由で平等で利他的な方向へと向かっています。



今から500年前、日本は戦国時代でした。

県よりも小さい領土が1つの国となっていて、国同士で争っていました。

それが、長い年月をかけて1つにまとまり、日本と言う国家になりました。



世界も同じです。

初めは小さな領土から始まり、争いを繰り返しながら、次第に大きな領土となって行き、現在の国となっています。

小さな枠組みから大きな枠組みへと進んで行くのも、自然法則の働きによるものです。



現在の枠組みで終わりではありません。

さらに進んで、国という枠組みが、少しずつ取り払われて行くと思います。

どれ位、先になるのか想像も付きませんが、最終的に国という概念はなくなり、世界全体が1つの共同体になると考えられます。

その流れを、最も妨げてしまうものが「戦争」なのです。



余談ですが、宇宙には知的生命体が存在する惑星が無数にあると考えられます。

高度に進化した生命がいる惑星では、全体が1つの共同体になっているので、争いは全く起きないと想像しています。

争いがあるかどうかは、その惑星の進化の程度を的確に反映していると思います。



自然法則は人だけでなく、国に対しても働いています。

国のエゴ、あるいは過ちによって生じる苦痛を享受するのは、そこに住んでいる人たちです。

国を構成しているのは、個々の人だからです。

利己的な人が多くなるほど、国も利己的になり、争いが起きやすくなります。

他者を思いやる人が多くなるほど、他国を思いやるようになり、平和な国になります。

平和な世界を望んでいながら、自分のことしか考えないのでは、つじつまが合わないのです。



道端のタンポポは、ただ咲いているのではありません。

太陽の陽を浴びて、大気から二酸化炭素を吸収して、酸素を放出しています。

その量はわずかであっても、酸素を必要としている動物が生きるために、立派に役割りを果たしていることになります。

1人ひとりの人間も同じであり、全体のために何らかの役割りがあるはずです。



自分ひとりでは生きられません。

全体に支えられて生きています。

全体に支えられていると同時に、全体を支えながら生きています。

持ちつ持たれつ、相互扶助の関係です。

この意識は、地上に生まれる前に誰もが持っていましたが、肉体に宿り、五感で世界を感識するようになって、極度に薄れています。


宇宙から地上を見れば、国境線はありません。

陸地や海や空を通して、全てがつながっています。

地球全体が1つです。



個々が集まって、全体を形成しています。

地球全体が運命共同体です。

お互いがお互いのために生きています。

そのことを認識していれば、戦争は絶対に起こりません。



戦争がない世界を望むのならば、その一部である自分が変わるしかありません。

エゴを鎮めて、違いを認めて、寛容であるように努めなければいけません。

平和な世界を望むのならば、自分自身が平和な心でいるように努めなければいけません。

1人ひとりが変わって行けば、世界も変わって行くはずです。




7 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

ブログいくつか読ませていただきました。シルバーバーチよ霊訓に出会い、ネット上でさまざまな記事を読んでおりますが、大変わかりやすく、心が救われます。ありがとうございます。昔から、人の輪に馴染めず、悩んでいます。中高時代とはぶり、悪い噂を広められるといういじめを受け、人が怖くてたまらなくなってしまいました。ですが、今回の記事を読んで、自分が周りの人に与える気持ちで生活すればきっと楽になるのだろうなと思いました。中学時代にはぶられたときも、自分勝手な行いが招いた結果だ、と反省したのですが、そこから人に与えるのではなく、自分を抑制する方向に行っていたから、苦しみが続いていたのだとわかりました。もっと利他的な人になりたいですが、なかなか人生は難しいですね。精進します。

匿名 さんのコメント...

ブログ読ませていただき、大変勉強になっています。ありがとうございます。
これまでの人生で、人が怖くてたまらないという状態です。中学時代のはぶり、振り返ると自分の利己主義が原因でしたが、からはじまり、高校時代は悪口を広められるといったことがあり、都度都度自分を責めては苦しい想いになっていました。まだ、シルバーバーチの真理を学んでいる途中ですが、自分自身に利他の精神が足りなかったことから、こういうことが起きているのだろうなと何となくわかり始めました。周りの私よりも霊性の高い人を見ると、自分が霊性の低さや、目覚めの遅さに嫌になることもありますが、魂の成長は人それぞれと思い、一歩一歩、歩んでいければと思います。

匿名 さんのコメント...

投稿に失敗したと勘違いし、連続でコメントしてしまいました。失礼しました。

イクミ さんのコメント...

匿名様

初めまして、イクミです。
ブログを読んでいただき、ありがとうございます。

中高生時代にいじめを受けて、人が怖くてたまらなくないのですね。
私も中学時代に対人関係で怖い思いをして、しばらく引きずっていたことがあります。
多感な時期で、傷つきやすいのですが、私もそうですが匿名様も人一倍感受性が強いために、トラウマになってしまったと思います。
無意識に摂理に反したことをして、自分に返って来ることがありますが、そのことを匿名様は自覚されたので、そのことにも意味があったことになります。

人に対する怖れはやっかいなものです。
どんなに怖く見えても、人は神の一部です。
神の心を持っているのです。
そして、全ての人は、霊的につながっています。
そのことが地上では分らなくなってしまうので、人は怖れを抱いてしまいます。

「全き愛は恐れを締め出す」というイエスキリストの言葉がありますが、その通りだと思います。
怖れを抱かずに、愛を持って接するように努めることが、地上に生まれた1つの目的であると思います。

匿名 さんのコメント...

イクミさま

お返事ありがとうございます。
私は、発達障害の傾向があり、人の気持ちを読み取るのがどちらかというと苦手なところも原因なようです。
全き愛は恐れを締め出す、良い言葉ですね。生きていて辛いこともありますが、相手の神性に目を向けていきたいと思います。ありがとうございます。

イクミ さんのコメント...

匿名様

人の気持ちを読み取るのが苦手なのですね。
それが利己主義に受け取られてしまうことも、多くあるとお察しします。
そんな個性を持って生まれて来たのも、必ず意味があるはずです。
波風が立ちやすい分、より多くの神性(愛)を発揮することが、ご自身に求められているのかもしれません。
欠点ではなく、自分を成長させるために与えられたものだと思います。

匿名 さんのコメント...

イクミさま

お返事ありがとうございます。
自分の性格や、家庭環境が原因で、これまで辛いことがたくさんありましたが、今はわからないけれど、今の境遇も全て自分が選んで生まれてきている、と思うことで少し楽になりました。
こちらのサイトに出会えたのも、背後霊のお導きがあったのだと思います。
まだまだ霊的真理について知らないことがあるので、たくさん学ばせていただきます。
素敵なサイトを運用してくださり、ありがとうございます。