霊的真理は、苦難や悲しみを味わって、初めて受け入れる準備ができると、シルバーバーチは言います。
本当にそうだと思います。
もし、私に今回の経験がなければ、霊的真理は魂にまで届くことはなかったでしょう。
そして、私の弱さも知りました。
霊訓に「知識を獲得し、魂が目覚め、霊的実相を悟るということを、みな一人でやらねばならないー自らの力で“ゲッセマネの園”に踏み入り、そして“変容の丘”に登らねばならにということです。」という一節があります。
“ゲッセマネの園”は極限的な厳しい経験を指すのだろう、霊的真理を理解するにはさらにつらい経験しなければいけないのか?
ありがたく受け止めて乗り越えてみせると思う気持ちがある一方、出来ればこれ以上の苦難はこないで欲しいと思う気持ちもありました。
霊的真理の理解が深まり伝える立場になった時に、経験がつらければつらいほど、悲しみが深ければ深いほど愛をこめて真理を伝えられ、そして受け入れてもらうことが出来る。
そう考え強くなっていければと思います。
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