「人生の秘訣は今を大切に生きることです。明日を思い煩ってはいけません。」
シルバーバーチの霊訓には、こう書かれています。
「今を大切に生きる」解釈はいろいろあるでしょう。
私は、過去や未来に捉われないで生きることだと思っています。
けれども、これがなかなか難しいと感じています。
あの時こうしておけば良かったと、過去を振り返り、悔やむ時があります。
ただ、良く考えてみると、その通りにしていたら、どうなっていたのかは判りません。
誰にも判らないことを、悔やんでみても仕方がありません。
悔やむだけでなく、怒りもそうです。
例えば、ある人から仕打ちを受けて、怒りを感じたとします。
その人の自由意志によるもので、自然法則に反している行為であれば、自分が苦しんだ分、その人も苦しむことになります。
もしかしたら、忘れている、あるいは気付いていないだけで、過去の自分の言動に原因があり、時を経て返って来ているのかもしれません。
どちらにしても、因果律の働きにより、全てが公正に解決されて行きます。
そう考えると、怒っても仕方がないような気がします。
悔いや怒りを感じているのは、過去に起きたことに対してです。
それらの感情に捉われている時、今ではなく過去に生きていることになります。
割り切ることができないのが人間ですが、できれば捉われたくはありません。
この人生で終わりではありません。
死んだ後、この世とは全く違う世界で生きることになります。
そして、目的があって、また地上に生まれて来ます。
果てしなく続く生命の営みの中で、この人生の、この場面で、この決断をして、この経験をすることが、学びや成長あるい償いのために、予め決められていたのかもしれまんせん。
私たちは、この人生の過ぎ去った部分しか認識できません。
従って、全体から起きたことを評価することができません。
一部分で評価してしまうために、さまざまな感情に捉われることになります。
過去に起きたことを変えることはできません。
難しいでしょうが、感情に捉われないためには、自分が変らなければいけません。
捉われていなければ、過去に生きていることにはなりません。
未来に対してもそうです。
心配や不安や怖れは、未来を想像することで生じます。
頭の中で想像したものには、実体などありません。
実体がないものに、感情を抱いても全く意味がありません。
考えたり、思ったりすることができるのは1つです。
悔いや怒りや心配や不安などの感情に捉われてしまうと、今をどう生きれば良いのかを考えられなくなってしまいます。
何もしていないと、過去や未来に意識が向かい、感情に捉われてしまいがちです。
目の前にあることをする、あるいは考えることで、意識は今に向かいます。
難しいことではありません。
散歩をする、深呼吸をする、何でも良いです。
自分の意志で、何かをしていれば、今を生きていることになります。
ただし、過去や未来のことを考えながらするのでは意味がありません。
心の中を空っぽにして、目の前にあることだけに集中をしなければいけません。
何かをしていれば、心に余分な感情が入る隙間がなくなります。
仕事に集中していたり、趣味に没頭していると、感情から解放される時があります。
歌を唄う、本を読む、料理をする、また食べるのもそうです。
重要なのは無心になってすることです。
そうすれば、今を生きていることになります。
羊の数を数えると、眠れると言われるのは、他のことが考えられないようになるからです。
能動的に何かをするしかありません。
自分の意志が存在していないと、感情に捉われてしまいます。
過去や未来のことに心が奪われてしまうのは、限られた地上の人生で無駄な時間を費やしていることになります。
起きたことから生じる感情に捉われているのは苦しいものです。
苦しみは、自分を変えるために、神が与えた触媒と考えられます。
捉われない自分に変わるように促されています。
死んだ後に赴く世界は、地上のような時間はなく、永遠の現在と言われています。
地上で表現していた自我もなくなり、ありのままの自分でしかいられません。
例えば、醜い心を抱くと、それが瞬時に容貌全体に現れて、結果として霊格が下がるのが分かるそうです。
原因が生じれば、結果がすぐに現れるので、地上のような時間の経過がないと考えられます。
すぐに結果が出るので、過去を悔いることも、未来を心配することもないと考えられます。
今を生きるように努めなければならないのは地上だけです。
過去や未来のことから生じる感情に捉われないために、自分の意志で何かをしなければいけないのは、地上での大切な修練と考えられます。
次の世界は思念が全てです。
何もしなくても生きて行ける世界において、最も重要なのは意志(思念)です。
意志がなければ活動はなく、活動がなければ成長はありません。
地上でのさまざまな経験を通して、私たちは意志を強くしていると考えられます。
小学生の息子さんを、交通事故で亡くされたご両親がいました。
道路を渡っている時に、車にはねられてしまいました。
小さかったので「横断禁止」と漢字で書かれた標識の意味が分からなかったそうです。
ご両親は、小さな子供でも分かるような標識に変える運動を始めました。
それが実を結び、全国の道路標識にひらがなで「わたるな」が加えられました。
身が引き裂かれるような悲しみや苦しみを感じていたでしょう。
交通事故で亡くなる子供、自分と同じ様な思いをする家族がいなくなって欲しいと言う強い意志がありました。
その意志により、苦しめられていた感情から少なからず解放されていたと考えられます。
最高の意志とは他者を愛することです。
他者を思いやることで、神からの愛をご両親は受け取り、魂は癒されていたと思います。
過去から解放されるためには、意志を持って今を生きるしかありません。



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