元旦に石川県で大きな地震が起きました。
亡くなられました方には、心よりご冥福をお祈りします。
また、瓦礫の下に取り残されている方が、一刻も早く救い出されることをお祈りします。
一寸先は闇と言われますが、この世では何が起きるのか分かりません。
そんな世界に生まれて来たのは、ここでしか体験できないことを通して、大切なことを学び、自分を成長させるためです。
そのために計画されていた出来事が、人生のどこかで起きるようになっています。
ふと疑問が生じます。
地震などの自然災害で亡くなるのは、予め決まっていたことなのか?
シルバーバーチの霊訓にはこう書かれています。
「たとえば船の事故で千人の溺死者が出たとします。その千人は、ちょうどその時期に地上との縁が切れることになっていたのでしょうか?魂の成長の為に与えられた地上での寿命が、ちょうど同じ時期に終えるように運命づけられていたのでしょうか?」という質問に対して、
「霊的なことを地上の言語で表現するのはとても難しいことです。あなたのおっしゃる〝運命づけられた〟という表現を用いますと、では誰によって、何を基準に? という疑問が生じます。たぶん皆さんの頭の中には、大霊が死ぬべき人間を船に乗せておいて事故を起こさせたような図を想像しておられるのでしょうけど、そういうものではありません。人生の千変万化の人間模様の背後に大自然の摂理が働いていて、その結果として事故が発生しているのです。」とシルバーバーチは答えています。
別のところでは、ご主人を亡くした女性とのやり取りの中で「(ご主人は)その日に死ぬ運命ではなかった」と言っています。
また「災害で死亡する人は、その時期に死ぬべきだったのでしょうか?」という質問に対して
「その通りです。前世の因縁によってそこに居合わせたということです。」と答えています。
さまざまな次元の因果律が絡み合って、決まると考えられます。
起きた出来事には、偶然は存在しません。
これは絶対的な真理です。
自然現象である地震は、自然法則が働いた結果です。
具体的には、地殻のひずみが原因で、その結果として地震が起きます。
亡くなった場所にいたのも、それまでの自分の行動の結果です。
従って、地震が起きるのも、その場所で亡くなるのも、偶然ではありません。
これらのことから考えると、地震で亡くなるのは偶然ではないけれども、その人が亡くなる運命ではなかったのかもしれません。
大自然に因果律が働くことで、そこにいた人間は抗えないこともあると考えています。
同じ場所に住んでいて、ある人は亡くなり、ある人は無傷のこともあります。
それでは、あまりにも不公平です。
神も仏もあったものではありません。
死ぬと全てが終わりになるのであれば、長く生きられなかった人は不幸です。
現実は、死んだ後も生命は続いています。
死の後の世界は、私が知る限り地上よりもはるかに快適です。
病気もなく、煩わしい人間関係もなく、食べて行くために働く必要もありません。
自分の願いがことごとく叶います。
そんな快適な世界に行くことが、不幸であるはずがありません。
仮に、死後の世界があり、快適であったとしても、人生が途中で中断され、学びや成長が得られずに、生まれて来た目的が果たせなかったのであれば、不幸じゃないかと思う人もいるでしょう。
霊界の様子を伝えて来る人(霊)はたくさんいます。
(低い界層にいる霊を除いて)自分の境遇に不平や不満を言う人はいません。
それは、シルバーバーチが言う「埋め合わせの原理」が働いているからです。
予定されていた学びが地上で得られなかったとしても、霊界において同等の学びが得られるようになっていると考えられます。
肉体がなくなると、意識が周囲に向かうようになります。
生きる目的が、学び成長することに気付いた人は、直ちに霊界において自分に相応しい奉仕を始めると考えられます。
中には、同じ目的を持っている地上の人を援助して、学びを共有する人もいるでしょう。
残して来た人を、守り導くことを新たな使命とする人もいるでしょう。
生きる次元が違うので、目的を達成するのが困難になる分、同等かそれ以上の成長が得られると考えています。
家が倒壊し、自分以外の家族が死んでしまった人がいたとします。
隣の家は、家族全員が無事で今まで通りの生活をするようになれば、理不尽さを感じずに生きて行くのは極めて難しいでしょう。
地上の人にも「埋め合わせの原理」が働いていると考えられます。
苦しみや悲しみを味わった分、それに相応しい学びや成長が得られているはずです。
今生でこの体験をしたので、来生で同じ様な体験しなくても良いのかもしれません。
詳細は分かりませんが、無限の叡智よって完全な公正が保たれているのは間違いありません。
無用な感情に流されないために、そう強く信じて欲しいです。
幼い頃、迷子になると言い知れぬ不安に襲われて泣いてしまいました。
少し成長したら、親とはぐれても泣かなくなりました。
それは自分の置かれている状況が客観的に分かるようになり、しばらくすれば迎えに来てくれることを知ったからです。
それと同じように、自分に起きた出来事について、後になり客観的に分かるようになると、受け止め方が大きく違って来ます。
怖れや怒りなどの感情は、知らないことから生じています。
計画されていた出来事が因果律の働きによって起きたのか、それとも別次元の因果律の働きによって起きたのか、地上に生きている限り分かりません。
そのどちらであっても、自然法則の働きによって起きています。
起きたことが不運や不幸に見えたとしても、神の心が法則に反映されているので、実体は良い方向に向かっています。
佐鳴湖 |
先日、同志の方とヒーリングを行った木村様が撮ったものです。
ご病気ですが、内面は健やかであることを証明しているような素晴らしい写真です。
その内面が、肉体に反映され快癒することを願っています。
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