なぜ生まれて来たのか?
私たちの本来の住処は霊界です。
霊界で経験できないことを、地上で経験するために生まれて来ました。
霊界で経験できないこととは何でしょう。
霊界は完全な界層社会です。
周囲にいるのは、同じ霊性の高さ、魂が似通った人たちです。
似通っているので、意見の相違や争いもありません。
肉体がないので、食べて行く必要はありません。
働かなくても生きて行けます。
もちろん病気はなく、身体的な疲れや不調を感じることもありません。
平穏で快適な世界です。
天国と言われる所以です。
そんな世界ならば、ずっといたいと誰もが思うでしょう。
私たち人間(生命)は成長するように定められています。
植物の成長には、光と水が必要です。
霊的に成長するためには、困難や障害を乗り越えて行く経験と、他者へ愛を表現(奉仕)することが必要です。
霊界では、何もしなくても生きて行けます。
生きるのが極めて楽になりますが、一歩間違うと安逸を貪る状態がずっと続いてしまいます。
それでは成長することはできません。
地上はどうでしょうか?
生きて行くために働かなければいけません。
人や社会や家族のために何かをしなければ、生活が成り立たないようになっています。
望まない限り、困難や障害は存在しない霊界と違って、地上では望まなくても、さまざまな困難や障害が起こり、それを乗り越えて行かねばなりません。
地上に生まれると、自分の意志とは関係なく、成長するような仕組みになっています。
霊界は思念の世界です。
自分の意志が具現化して行きます。
言い方を変えると、何かをしようと思わなければ、何も始まりません。
奉仕をしようと思わなければ、いつまで経っても具現化することはなく、成長することもありません。
魂が成長するほど、奉仕に励むようになります。
霊界の高い界層は、尽くし合う悦びに満ち溢れた世界と想像されます。
何もしなくても生きて行ける霊界にいても、成長したい欲求がなくなることはありません。
けれども、成長するためには、それにふさわしい経験をしなければいけません。
そこで意を決して、居心地の良い霊界を離れて、生きて行くのが困難な地上に生まれます。
いったん地上に生まれると、霊界での記憶は一切なくなります。
魂や思念など霊的なものは、全く見えなくなります。
そのために、物質しか存在しないという誤った認識をしてしまう人も少なくありません。
生まれて来た目的を忘れて、お金や名誉などの地上的なものを追い求める人生を送ってしまう人もいます。
霊的に目覚める機会が、一生に1度は訪れると言われています。
過去の私がそうでしたが、解決不能な出来事が起きて、精神的に追い詰められ、眠っている魂が目覚める人がいます。
医者から見放され万策尽きた時に、霊的な力によって病気が癒され、目覚める人もいます。
愛する人と死に別れ、悲しみのどん底にいる時に、故人からのものと確信するメッセージを受け取り、目覚める人もいます。
目に視えている世界とは全く別の世界が存在していることに気付きます。
物的なものから霊的なものへと関心が移ります。
目に視えない「愛」や「生命」や「想い」などに意識が向かいます。
外面ではなく、内面を観るようになります。
言葉そのものよりも、そこに込められた想いを感じ取ろうとします。
エゴに隠されていた、本当の自分の想いに気付く人もいます。
霊性が発揮されるのに伴い、周りに意識が向くようになります。
お金のためではなく、人や社会のために役に立つことをしたくなります。
そして、役に立つことに、大きな喜びを感じるようになります。
それこそが、地上に生まれて来た大きな目的です。
肉体は衰えて、やがて朽ち果てる時が来ます。
宿っていた魂は、培って来たものを携えて、本来の住処である霊界に戻ります。
地上でのさまざまな経験を通して、役に立つ喜びを見い出した魂は、何もしなくても生きて行ける霊界においても、進んで役に立とうとするでしょう。
霊的な喜びを味いながら、自律的に成長して行けるようになります。
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