2023年4月30日日曜日

真に幸せな人


私たちは、役者のような存在かもしれません。

地上と言う舞台に立ち、与えられた役を果たそうとしています。

         

決定的に違うところもあります。

役者は舞台を途中で降板することができます。

ところが、地上を生きる私たちはできません。

代役がいないので、幕が下りる(死ぬ)まで演じ切らなければいけません。



この人生の主役は自分です。

周りの人たちは脇役です。

周りの人たちも、それぞれの人生で主役を演じています。

その脇役の1人として、自分がいます。



劇にシナリオがあるように、人生にもあります。

劇のシナリオは、観る人を楽しませるためにあります。

人生のシナリオは、自分(魂)を成長させるためにあります。



役者は、気に入らなければ役を引き受けなくてもかまいません。

私たちは、自分の役を決めて生まれて来たので、やめたいと思っても、降りるわけに行きません。



私たちは、わがままで、弱い存在です。

そのために、決めていた人生から逸れてしまう可能性があります。

シナリオに沿った人生を歩んで行くために、守護(背後)霊が生涯に渡って付いています。

ここぞと言う時に、インスピレーションを与えて、成長する方向へと導いています。



劇の醍醐味は、主人公の人生を疑似体験することにあります。

一般的に、主人公の人生は平凡よりも波乱万丈の方が、そこから生じるさまざまな感情を味わえるので面白く感じられます。



ところが、実際の人生では波乱万丈を望む人はあまりいません。

大きな変化は、苦しみや痛みを伴うことが多いからです。

予測不可能な出来事が起きれば、慌てふためきます。

不幸や凶事と言われるような出来事が起きれば、生活が一変します。

あまりの理不尽さに憤りを覚えることもあるでしょう。

平穏な人生を送っている人たちを見ると「何で自分だけが」と妬んだりする時もあります。



幕が下りれば、舞台は終わりです。

役者は役から解放され、素の自分に戻ります。

けれども、私たちの人生は、幕が下りて(死んで)も終わることはありません。

この世で被っていたマスク(自我)を脱ぎ捨て、本来の姿に戻ります。

もう次の幕が始まっています。



しばらくすると、この世の人生を振り返る時が来ます。

自分に起きた出来事の全てを思い出します。

楽しかった自分、うれしかった自分、苦しかった自分、悲しかった自分、悔しかった自分、言葉にできなかった自分の姿を見ることになります。

その時に取った自分の行動も、続けて見ることになります。



自分が取った行動の1つ1つに自然法則が働いています。

相応の結果をもたらしていたことを知ります。

1つ1つの出来事が密接に関連しながら、過去から現在へと連綿としてつながっているのが判ります。

偶然の入り込む余地が全くないことが判ります。



楽しい出来事は、ただ楽しいだけで、学ぶことが少なかったことに気付きます。

人生を変えた出来事を思い出します。

いくら頭で考えてもどうにもならず、徹底的に追い詰められて行く自分の姿を見ます。

万事休すとなった時に、本当の自分(魂)が目覚めているのが判ります。

目覚めた魂が、大切な教訓を学んで、生き方や考え方が変わって行く姿を見ます。

あの時、逃げ出さなくて良かったと、ホッと胸を撫で下ろすでしょう。



生まれて来た目的は、この世でしか経験できないことを通して、学び成長するためです。

過去生で犯した罪を償うために、生まれて来た人もいます。

居心地の良い霊界よりも、さまざまな出来事を経験できるこの世の方が、目的を果たすのに適しています。



目的を果たすためのシナリオが計画されますが、人それぞれ目的が違うために、自ずと人生も違って来ます。

人と比べては、苦しんでいる自分を見て、間違っていたことに気付きます。



役者の良し悪しは、どれくらい観客に楽しんでもらえるか、喜んでもらえるかで決まります。

人生の良し悪しは、どのような人生を歩んで来たかで決まるのではありません。

予定されていた人生を歩めたか、どれくらい学び成長できたかで決まると思います。

生まれた時に自分になかった資質を、死んだ時に身に付けていたのならば、この世に生まれた意味があったことになります。



大切な資質を身に付けるためには、それ相応の経験をしなければいけません。

「シルバーバーチの霊訓」にはこう書いてあります。

そのうちあなたも、地上人生を明確な視野のもとに見つめ直す時がまいります。その時、苦難こそ最も大切な教訓を教えてくれていること、もしもあの時あれだけ苦しまなかったら、悟りは得られなかったであろうことを、しみじみと実感なさいます。

辛い教訓ではあります。が、教訓とはそういうものなのです。もしも教訓がラクに学べるものだとしたら、もしも人生に苦労も誘惑も困難もなく、気楽な漫遊の旅だったら、それは頽廃への道を進んでいることになります。



次の世界に行くと、考えは一変します。

この世を生きていた時は、上辺だけを見て判断していたことに気付きます。

「苦労のない人生だった」と羨ましがられた人の魂は、思うほど成長していないのかもしれません。

「苦労ばかりの人生だった」と哀れみを込めて言われた人の魂は、思いのほか成長しているのかもしれません。



地上的な価値感で、幸、不幸を決めてしまうのは、全くの早合点です。

外からは窺い知れない、自分でも気付かない、深い部分の変化こそ最も重要です。

変化させる触媒になっているのが苦難の経験です。



真に幸せな人とは、この世でさまざまな出来事を経験して、望ましい方向に自分を変えることができた人、大切なことを学んで魂の円熟度が増した人のことを指すのかもしれません。





10 件のコメント:

紀子。 さんのコメント...

イクミ様。

自分の人生を振り返る時、私は人に誇れる様な人ではないし、
過去には人に対して嫌な感情を持った事も何度もあります。

素の自分に目をそらしたくなる、そんな人間かもしれません。


昨日、彼の住んでいた町に行きました。

私が彼の住んでいた町に行く目的は、少しでも彼に喜んで欲しい事。
それと、彼がこの世に居た事実を再確認しに行く事。

そんな目的です。

彼と話した沢山の事。
それはつい最近の出来事の様に感じる反面、本当の出来事ではなかった様な感覚になり、その時気持ちの整理がついて行かず、涙が止まらなくなります。

彼の住んでいた町に行っても彼に逢える訳ではない。
昨日の帰り道、その思いで泣きながら帰りました。

彼からの想いは、とても暖かく私に伝わって来ているのに、自分はまだ彼がこの世を去った事を理解しきれていない。
そんな感覚で生きています。

少しでも早く修行を終えられる様、努力しているつもりですが、なかなかその日は来てくれません。

いつか必ず私もこの世を去るのだから、この世にいる時間を前向きにすごそう。
なかなかそんな風に考えられません。

自分のこんな性格がとても嫌になります。

こんな自分では、彼も会いたくないかもしれない。
そんな事ばかり、ぐるぐると考えてしまいます。

もう一度、話したい。
叶わない事を望んで、無理な事に気づく。

とても辛いです。

紀子。

イクミ さんのコメント...

紀子様

こんにちは。
人生を振り返り、私もこれで良かったのかと思う時があります。
自分の弱さや愚かさが出てしまった行動もあります。
それがありのままの自分です。
そんな自分を織り込んでシナリオが組み込まれていたのだと思います。

彼が住んでいた町に行って来たのですね。
彼と出会ったこと、たくさん話したことも本当の出来事ではないと思えてしまうので、それが事実であったことを確認するために行ったのですね。
大切な人を亡くした人でなければ、理解が難しいお気持ちだと思います。

彼のあたたかい気持ちが伝わって来ているのが判るのに、この世を去ったことを理解し切れていないので応えられず、申し訳なく思ってしまうのですね。
紀子様が今の状況に苦しんでいることも、計画に含まれていると思います。
もちろん彼には痛いほど判っています。
焦らずに、責めることなく、今の自分を受け入れることを望んでいるでしょう。

彼にとってつらいのは、嫌われているとか、もう会いたくないのではと、思われてしまうことです。
そんな自分ではないことを、紀子様だけには分かってもらいたいのです。

彼と会うこと、話すことは残念ながら叶いません。
大切なのは、彼の想いを信じることです。
信じることの大切さや意味を学ぶために、この別れがあったと思うからです。

紀子。 さんのコメント...

イクミ様。

ありがとうございます。

彼と話した事、過ごした時間、
思い出す度 気持ちが破裂しそうで、
この先この気持ちのままどうすれば良いのかわからなくなります。

客観的に見た自分には そう思えますが、本当の自分にはなかなか理解出来ずにいます。

これも私が自分に課した学びならば受け入れる事が出来る事も。です

立ち止まってばかりですが、気持ちを聞いていただいて嬉しいです。

お休みの中、お返事をありがとうございます。

紀子。

匿名 さんのコメント...

Just for Noriko-san

Be calm, be in the silence, just feel, just listen, do not think.
False messages come from our brain.
True messages come from our heart = spirit.

Let there be pain, let there be sadness, let there be regret, let there be everything.
Everything is God’s precious gift for us.
God knows everything.

You have been struggling with the LIFE for long long time.
You have been living beyond the limit.
I know. Yes, I know.

It’s enough. Ok, it is enough.

No more fight.
No more fight against yourself.
No more fight against your life.

Just alive. It is enough.
You know what true love is.
So it is ok, ok, ok.

N さんのコメント...

イクミ様

いつもブログを読ませていただいています。毎週の更新ありがとうございます。

゛真に幸せな人とは、この世でさまざまな出来事を経験して、望ましい方向に自分を変えることができた人、大切なことを学んで魂の円熟度が増した人のことを指すのかもしれません。゛

私もそのように思います。
この世に生まれてきた意味はそこにあるのですね。
望ましい方向に自分を変えることは、時には苦痛を伴うもので、いらぬプライドが邪魔するものですが、悪い自分を少しでも変えることができたなら、苦しみから開放されるのではないでしょうか。

逃げていたり目をそらしていると、辛さがいつまでも追いかけてくるような気がしています。
私は未熟な人間ですが、自分の過去の過ちを反省して、これからの人生に活かすことを心がけられている点だけは、幸せなのだと思っています。

ところで、イクミ様に2つほど、ご意見をお伺いしたいことがあります。

①決して男女差別ではないのですが、何故犯罪者は男性が圧倒的に多いのでしょうか?
調べによると女性の5倍の人数はいるそうです。
ここを解明できれば、犯罪予防に少しは生かせるのではと思ったりしています。

②ペットショップではなぜ高額でワンちゃん猫ちゃんが販売されているのでしょうか。
昨日は、ヘルニアのワンちゃんが売れ残っていて安く販売されていたのは可哀想に感じました。
抱っこしてみて、可愛くて家に連れて帰ろうと感じましたが、私は動物を飼ったことがない素人なので不安を感じてしまい、一旦帰宅しました。
高い安いは何かの事情があるのでしょうか。

イクミ様のご存知の範囲内で教えていただければ幸いです。

イクミ さんのコメント...

N様

初めましてイクミです。
毎週ブログを読んでいただき、ありがとうございます。

生まれて来た目的は、魂を成長させるためです。
魂の成長とは、望ましい方向に自分を変えることであり、それには往々にして苦痛を伴います。
変わらなければ、苦痛もないかわりに、成長もありません。

そうですね。
逃げていても、つらさが追いかけて来ます。
そのつらさが、正面から受け止めて、変わることを促していると思います。
未熟さを認め、過ちを反省して、これからの人生に活かすことを心がけていれば、望ましい方向に変わるはずです。

2つのご質問ですが、
①については、男性の犯罪の方が、それほど多いとは思っていませんでした。
男性の方が霊的に未熟とかではなく、霊的な感受性が低いからなのかもしれません。
魂の成長を妨げること、過ちを犯そうとすると、良心の声がしたり、背後霊が止めさせようと働きかけますが、男性の方がそれを感じ取りにくいのかもしれません。
女性の方が直感的で、男性は頭で考えてしまうと言われますが、それも感受性の差から来ていると思います。
要するに、犯罪を起こさないようにさせる、霊的なストッパーの働きが、男性の方が弱いのが原因かもしれません。
犯罪予防には、やはり多くの人に霊的真理を知ってもらうのが最も有効な手段と思っています。

②ですが、高額で動物が販売されているのは、それだけ欲しい人が多いからです。
ヘルニアのワンちゃんが可愛くて家に連れて帰りそうになったそうですが、踏みとどまって良かったです。
動物は、可愛いだけで飼えるものではありません。
家に人がいなくなる時間が多ければ、犬も大きな孤独や不安を感じます。
毎日の散歩も欠かせません。
友達と遊ぶことや旅行に行くことよりも、動物のことを最優先して生活しなければいけません。
その覚悟が必要です。
犬の十戒というのがあり、犬の気持ちを良く表しています。
https://dog.benesse.ne.jp/lovedog/content/?id=14512
厳しいこと言いましたが、犬は人間に喜びを与えてくれる素晴らしい動物です。

話が逸れましたが、値段が高い犬は人気があり希少で、安い犬はそうではないと思います。
動物を物と同じように値段を付けて売買しているペットショップの業態は好ましいものではありません。
N様のお住いの地域にある動物愛護センターや保健所で譲渡会を行っていますので、知っておいて下さい。
ただ売れ残っているヘルニアのワンちゃんは私も心配です。
良い飼い主が見つかることを祈るばかりです。

N さんのコメント...

イクミ様

ご多忙中、お返事をいただき感謝します。ありがとうございます。

イクミ様もおっしゃっておられるように、自分の過ちを改めて前に進まない限りは自分に起きている苦しみは変えられないと思っております。
戦争もそうですが、自らの過ちに気付こうともせず正当化している人たちが大勢いるので厄介ですね。
そのような人たちには、摂理に反することをした報いとして、それを気付かせるために苦しみが与えられるのかもしれません。
神や霊界の愛はそれはそれは深いものなのですね。

ワンちゃんのことですが、昔から犬猫が好きで飼いたいと思っておりましたが、家の環境のこともあり本当に責任をもって飼えるまでは飼わないと決めていましたので、毎回買うのを躊躇しては先送りすることの繰り返しでした。
ペットショップからお迎えするのは良くないという話もたまに聞いたことがありますが、知人や親戚は全員ペットショップから犬を買っていることもあり、何が本当か分からなくなっていました。
今後は動物愛護センターや保健所も調べてみます。

ペットショップにいたヘルニアのチワワを飼いたいと思ったのは、ヘルニアが原因なのか売れ残ってしまい、可哀想だと感じたからです。
他のチワワに比べると、成長してしまっていますし、真っ黒で、一般的に見ると見た目の可愛さは劣っているのかもしれません。
でも、抱っこしたときに何とも言えない愛おしさを感じたのです。病気だからこそ迎え入れたい気持ちと、私のような素人が飼うと逆に可哀想なことにならないかという気持ちの葛藤の上、悩んだ挙げ句、買わずに帰宅した次第です。

ペットショップで売れ残ったワンちゃんはこれからどうなってしまうのでしょうか。

イクミ さんのコメント...

N様

ペットショップで売れ残った犬は、ブリーダーの元に返されて繁殖犬になったり、運が悪ければ愛護センターや保健所に引き取られる可能性があります。
そうでなくても、幸せな未来は待っていないようです。
抱っこした時、何とも言えない愛おしさを感じたのですね。
犬にとって1番必要なのは、人間の愛情です。
無責任なことは言いたくないのですが、そのワンちゃんにとって1番幸せなのは、愛おしく感じたN様に飼われることのように思えて来ました。

N さんのコメント...

イクミ様

お返事ありがとうございます。
ヘルニアのワンちゃんは、私が一生幸せにしてあげられるかをよくよく考えた上で決定したいと思います。

私は犬や猫が好きなんですが、動物愛護の精神を持つなら、爬虫類やネズミやカラスたちも可愛がらないといけないのに、それをしていない私達人間は未熟なのかもしれないと時々思ってしまいます。
結局、人類は、大なり小なり「可愛い」という気持ちで動物を選び
飼っているいるような気がしています。

ところで昨日犯罪者の割合を誤ってお伝えしてしまいました。
実際は、男80%、女20%なので、4対1だそうです。
早とちり、すみませんでした。

イクミ さんのコメント...

N様

そうですね。
初めて飼おうとしている上に、ハンディキャップがある犬なので、熟慮されて下さい。

2023年5月7日 16:08