私の家では親子の犬3匹を飼っています。
母犬は元保護犬で、放浪していた時に身籠り、家の中で2匹を出産しました。
見ていて思ったのですが、犬は子育てが終わると親子の関係は消滅し、仲間になるようです。
何歳になっても親子の関係が維持される人間とは大違いです。
犬を飼っていて大切に思うのは、平等に接することです。
1匹だけを可愛いがると、他の犬は嫉妬したり、拗ねてしまいます。
人間のような感情を持っているので親しみを感じますが、気を付けなければいけません。
人間も犬も、最も味わいたい感情は「喜び」でしょう。
一方、「怒り」や「嫉妬」はできれば抱きたくはありません。
苦しみを伴う感情だからです。
そんな苦しくなるような感情など、初めからなければ良いのにと思ってしまいます。
けれども、この世に必要のないものは存在しません。
肉体を持つことで地上の自我(以下自我)が形成され、そこから感情が生まれると考えられます。
高いところに立つと、恐怖を覚えます。
もし、恐怖を覚えなければどうでしょう?
注意を怠り、落ちてしまう人がいます。
つまり、地上を安全に生きて行くために、恐怖という感情は必要と考えられます。
嫉妬はどうでしょう?
他人にあって自分にはない、あるいは他人に与えられ自分には与えられない、そんな差を感じた時に、嫉妬心を抱くことがあります。
肉体を持つと、自己を保存しようとする欲求が生まれます。
いわゆる本能と呼ばれるものであり、幼い子供でもその欲求はあります。
一人で生きて行けない子供は、親に保護され、育ててもらわなければいけません。
愛情を受けるのは、子供にとって死活問題です。
より多くの愛情を受けようとする欲求の触媒となっているのが、嫉妬心と考えられます。
自分にない才能が他者にある時も、嫉妬をすることがあります。
才能が周囲に活かされると、他者から評価されることが多いです。
両者に利害関係があると、評価されている人を見ると、自分の立場が脅かされるようなような感覚になり、自己を保存しようとする欲求が刺激されて、嫉妬心が生まれる時があります。
他者と比べることによって生じる、苦しみを伴う感情を嫉妬と呼ぶのかもしれません。
それでは、なぜ苦しみを伴うのでしょうか?
宇宙の隅々にまで、自然法則は働いています。
自然法則の根本原理は「愛」です。
愛が自然法則の働きの中に顕現しています。
嫉妬は愛に反した、他者を排除しようとする感情です。
そのような成長を妨げる感情に捉われることのないように、自然法則の働きによって苦しみが生じると考えられます。
嫉妬による苦しみを感じたくなければ、他者と交わることのない環境に身を置けば良いのですが、そんなわけには行きません。
環境が変えられないのであれば、自分が変わるしか方法はありません。
私たちの中には、神が宿っています。
そのために、溺れている人を見ると助けたくなる衝動が生まれます。
同時に自我が働いて、意識が自分に向かいます。
自分まで溺れてしまうと考え、助けようとする衝動を抑制しています。
嫉妬が生まれるのは、自我の働きによるものであり、意識が自分に向いています。
従って、自分から意識を外すことができたのなら、嫉妬は生まれなくなるはずです。
それでは、どのようにすれば自分から意識を外せるのでしょうか?
意識を他者(周囲)に意識を向けるようにすれば良いと考えられます。
それは他者と比べることではありません。
他者のことを思ったり、考えたりすることです。
自分の意志でそうならなくても、自然法則の働きによって、他者に向かうようになる時があります。
随分前の話です。
道路を横断中に車にはねられて、お子さんを亡くされたご両親がいました。
深い悲しみは言うに及ばず、「何で自分の子供が、こんな目に遭わなければいけないのか」と言う想いに苛まれて、大変な苦しみを味わっていたと察せられます。
過酷な現実に追い詰められ、どうにもならないと自我が観念した時、その奥で眠っていた魂が目を覚まします。
魂が目覚めると、意識は自分から他者に向かいます。
そして「死を無駄したくない」「世の中のために活かしたい」と、ご両親に内在している神性が発揮されたと考えられます。
子供でも意味が分かるように、横断禁止の標識を変える運動を始められました。
その運動によって行政が動かされて、全国の道路標識に「わたるな」の文字が併記されました。
ご両親の悲しみがなくなることはないでしょう。
けれども、同じ思いをする家族がいなくなって欲しいと願うことで意識が他者に向かい、苦しみを伴う感情は和らいだと考えられます。
人や社会のために役に立つことをすれば、魂の成長にもつながります。
お子さんの死は、霊的に1つの意味を持ったことになります。
この世は、自分と違う人たち、果たすべき目的が違う人たちが、同じ平面で暮らしている特殊な場所です。
誰一人として同じ人はいません。
歩む人生も、当然のことながら違います。
ところが、その違いにばかりに目が行ってしまいます。
初めから違っているものを比べてしまうのは、明らかに間違っています。
間違ったことをすると、因果律の働きにより、苦しみが生じることになります。
私たちは物的にばらばらに存在しています。
けれども、霊的につながっています。
言葉を介さずに、想いが判る時があるのはそのためです。
世の中全体を揺るがすような出来事が起きると、連帯感や結束が生まれるのもそのためです。
全ての生命は霊的に1つです。
地上に生まれると、霊的な意識が希薄になり、つながりが感じられなくなります。
物質的な違いばかりが目に付いて、比べてしまいます。
もし、周りにいる人を、この世を共に修行をしている同胞と心から思えるような、霊的な意識を取り戻したのなら、比べることにより生じる苦しみを伴う感情から解放されるはずです。
本をご紹介します。
タイトルは「探すんだ!もう1度生まれて僕の死んだ理由を生きる意味を」です。
著者は石田裕子様で、このブログを読んでいただいています。
石田様ですが、去年の3月19日、大学進学を控えたご長男の龍之介君を病気で亡くされました。
元気だった子供がわずか1ヶ月で亡くなると言う、受け入れ難い現実を目の当たりにする中で、脳死状態にあった龍之介君の思念(想い)がご自身の魂に伝わって来るようになりました。
そして、ご長男が生前書き溜めていた文章が多数見つかり、それを基に2冊の本を書き上げられました。
ご長男の文章は、霊的真理に通じるものがあり、高校生が書いたものとは思えません。
親子の関係は死後も続いています。
龍之介君が早く逝った理由を、今も探しています。
新聞にも紹介されました。《リンク先》
ご興味がある方は、是非読まれて下さい。
遊行社¥1,980(税込み) |
2 件のコメント:
いくみ様
ご無沙汰しております。
ここのところ、体調も心も落ちついています。
紹介して下さったご本読ませて頂きます。
いくみ様の
最近夢に父がたの祖母がたびたび現れます、祖母は父亡き後母を助け私達を可愛がってくれた祖母です…96歳まで生きた祖母です。
私を心配しているのでしょうか?
あさよ様
こんばんは。
体調が落ち着いているそうで何よりです。
紹介した本を読む予定なのですね。
著者の石田様は、脳死状態のお子さんからメッセージを受け取った時、驚かれたようです。
人間が肉体を超えた存在であることを、早期に知ることができましたが、これから深く霊的真理を学ばれて行くと思います。
夢にお祖母様が出るのですね。
人間は寝ている時に幽体離脱してあの世に行き、親しい人たちと会っていますが、起きると忘れてしまうことがほとんどです。
心配していると思います。
寿命が来るまで、こっちに来てはいけないと伝えているのかもしれません。
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