シェラーグ・ボルテン(ノルウェー)水田秀樹氏のブログより |
断崖絶壁の前に立つと、思わず足がすくみます。
これは心が恐怖を感じているからです。
何故、感じるのかと言えば、身を守りたいと言う欲求が、私たちに備わっているからです。
それでは、身を守りたい欲求は、どこから生じているのでしょうか?
私たち人間は、魂(霊)、精神、肉体によって構成されています。
本当の自分とは、肉体ではなく魂です。
魂とは生命そのものであり、大生命である神の一部を構成するものです。
個々の魂には「霊的自我」が存在し、そこから自分の偽らざる想い(思念)が生じています。
そして、精神上には「地上的自我」が形成されています。
霊的自我から生じた思念は、地上的自我を通して、肉体によって表現されています。
私たちは、地上的自我と霊的自我(魂)の間で、バランスを取りながら生きていると言えます。
しかし、地上的自我の働きが強くなると、それに負けて、霊的自我から生じた本当の自分の想いが表現されにくくなります。
霊的自我は、成長して行くことを志向しています。
成長は、他者に愛を表現すること、困難や障害を乗り越えて行くことで得られるので、そちらの方向へ進んで行こうとします。
一方、地上的自我は、肉体と強く結びついています。
そこから、身を守りたい欲求が生じていると考えられます。
地上的自我は、安全に生きることを志向していますので、その働きが強くなると恐怖や不安が大きくなります。
また、快適に生きようとするためのに、お金、地位、名誉などへの欲求が高まります。
逆に弱まり過ぎると、危険にさらされても恐怖を感じなくなり、身を守れなくなります。
霊的自我と地上的自我の関係 その1 |
登山家を例に挙げます。
霊的自我は、自分を成長させようとするために、危険を伴う険しい山に挑戦しようとします。
一方、地上的自我は、肉体を守ろうとするために、理由を考えて止めさせようとします。
霊的自我は、自分を成長させようとするために、危険を伴う険しい山に挑戦しようとします。
一方、地上的自我は、肉体を守ろうとするために、理由を考えて止めさせようとします。
駅のホームから、線路に人が落ちたとします。
霊的自我は、良心に従い助けようとしますが、地上的自我は、自分まで巻き込まれてしまうと考え、抑止します。
道端で子猫がないていたとします。
霊的自我は心配になり、近寄ろうとしますが、地上的自我は、飼うことになると大変なので、止めさせようとしています。
このように、人生のさまざまな場面で、両者の間でせめぎ合いが起きていると考えられます。
地上的自我は霊的自我に対し、この世では抑制的に働くように仕組まれていると考えられます。
精神は肉体に優り、魂(霊)は精神に優ります。
霊的自我(魂)から生じた本当の自分の想いが、地上的自我(精神)を通して、肉体で表現されているのが健全な姿です。
ありのままの自分が表現されています。
しかし、いろいろな理由から地上的自我の働きが強くなると、本当の自分の想いが表現され難くなります。
地上的自我が強くなったものを「エゴ」と呼ぶのならば、エゴが要求するままに生きている人は多くいます。
エゴから発する考えは、神の摂理に適っていないことが多く、要求のまま生きていては、予定されていた成長が得られなくなってしまいます。
利己的になったり、傲慢になったり、見栄を張ったりするのも、エゴの特性と考えられ、成長しないばかりか、業(カルマ)が生じてしまうかもしれません。
業(カルマ)が蓄積して行くと、ある時に因果律が作動し、苦痛を伴う出来事が生じると考えられます。
また、地上的自我の働きが強くなり、本当の自分の想いが表現されないと、内に溜まってしまいます。
内に溜まった想いが、因果律の働きにより、病気として肉体上に表現されるかもしれません。
いずれの場合も、事象が引き起こす苦痛によって、奥で眠っていた本当の自分が目を覚ますことになります。
それまで「自分」と認識していたのは地上的自我です。
それに代わって、霊的自我(本当の自分)が表に現れて主導権を握り、子供の時の様にありのままの自分が表現されるようになります。
これが魂の目覚めです。
霊的自我(魂)は、この人生をどう生きれば良いのかを知っています。
その声に耳を澄ませて、素直に従えば、予定されていたシナリオに沿って、成長しながら生きて行くことが出来ます。
そして、守り導いている霊界の存在(背後霊)が付いていることも忘れてはいけません。
霊界の存在も辿るべき人生が判っていて、地上にいる人の成長を願いながら、生まれて来た目的が果たされるように導いています。
危害が加わりそうになったり、進んで行くべき道を誤りそうになった時に、思念(インスピレーション)を送って、回避させようとしています。
ところが、強くなった地上的自我は、援助をしようとしている霊界の存在にとって、取り囲んでいる壁のような存在です。
インスピレーションを伝えようとしても、霊的自我(魂)まで到達しなくなります。
エゴが強い人は、人の意見を聞こうとしません。
そればかりか、霊界からの助言や警告も受けられなくなってしまいます。
霊界の存在にとって1番厄介なのは、地上の人の恐怖や不安や取り越し苦労の様です。
そればかりか、霊界からの助言や警告も受けられなくなってしまいます。
霊界の存在にとって1番厄介なのは、地上の人の恐怖や不安や取り越し苦労の様です。
恐怖や不安も、地上的自我から生じているので、それが大きくなってしまうと、霊的な感受性は低下してしまい、援助(インスピレーション)を受けられなくなってしまいます。
霊的自我と地上的自我の関係 その2 |
援助をしようとしている霊界の存在にとって、地上の人の恐怖や不安、取り越し苦労は大きな障壁となります。
私は遠隔ヒーリングを行う時に、受ける人にリラックスするようにお願いしています。
受ける側に不安感や緊張感があると、それが障害となり、霊力が伝わりにくくなると感じているからです。
上図の様に、恐怖や不安を感じている時は、地上的自我が強くなっていることを意味し、バリアの役目を果たしてしまい、インスピレーションを含めた霊力が伝わる際の妨げになると考えています。
もし、恐怖や不安を感じたらどうした良いのでしょう?
霊的自我の働きを再び強めてやれば、良いと思います。
そのために、私たちは神の一部であることを強く意識するのも良いでしょう。
そして、霊界の存在が守り導いてくれていると信じることも大切です。
そうすれば、地上と霊界のつながりが深まり、霊的自我が強くなると考えられます。
霊界は、地上のような恐怖や不安は存在しません。
穏やかで安らかで平和な境涯です。
良きに計られている、見守ってくれている強く信じるとことによって、霊界と同調することが出来れば、心の平穏を取り戻すことが出来ると思います。
朝起きると、今日1日の予定が頭に浮かぶ時があります。
大丈夫だろうか、上手く行くだろうかと、思うこともあります。
今でしたら、新型コロナウィルスの感染が不安です。
そんな時に、寄り添ってくれている存在を意識し、乗り越えて行けるよう、守ってもらえるように祈ります。
すると不安や心配が和らぎ、平穏な気持ちに一瞬にして変わるのが感じられるかもしれません。
霊界の存在は、いつもこちらの想いに応えてくれていて、勇気付けて、励ましてくれています。
自分がこれからすることに、怖れや不安を感じることがあります。
問われるのは、言動の動機となっている想いです。
動機が、怒りや恨みや憎しみや嫉妬など、摂理に反する想いに根差しているのであれば、結果として苦痛となって自分に返って来ます。
エゴから発している、自己保身的、自己満足的なものであれば、それは利己的なので、良い結果をもたらしません。
静かに自分に問いかけて、摂理に適っている、あるいは反することがなければ、外に向かって表現しても、怖れることはありません。
恐怖や不安は、地上的自我が作り出した心の蜃気楼です。
実際には存在していません。
存在しないものに振り回されて、自分や他者を信じられずに、想いが表現されなくなってしまわないように、払いのける不断の努力が必要です。
地上では恐怖や不安は付きものであり、それ払拭するように努めるのが、生まれて来た目的の1つになっていると考えられます。
思念は具現化する力を秘めています。
けれども、精神で作られた恐怖や不安には、その力はありません。
ただし、思念が具現化される妨げとなります。
恐怖や不安や取り越し苦労は、霊的な援助を授かる通路を塞いでしまいます。
地上的な欲望、思い込みや固定観念も、インスピレーション伝達の妨げとなります。
霊的な通路を塞がないために、霊的自我の働きを高める必要があります。
それには、自分の中にいる神、背後で見守っている霊の存在を強く信じ、霊界と一体化を計るのが有効と考えらます。
問われるのは、言動の動機となっている想いです。
動機が、怒りや恨みや憎しみや嫉妬など、摂理に反する想いに根差しているのであれば、結果として苦痛となって自分に返って来ます。
エゴから発している、自己保身的、自己満足的なものであれば、それは利己的なので、良い結果をもたらしません。
静かに自分に問いかけて、摂理に適っている、あるいは反することがなければ、外に向かって表現しても、怖れることはありません。
恐怖や不安は、地上的自我が作り出した心の蜃気楼です。
実際には存在していません。
存在しないものに振り回されて、自分や他者を信じられずに、想いが表現されなくなってしまわないように、払いのける不断の努力が必要です。
地上では恐怖や不安は付きものであり、それ払拭するように努めるのが、生まれて来た目的の1つになっていると考えられます。
思念は具現化する力を秘めています。
けれども、精神で作られた恐怖や不安には、その力はありません。
ただし、思念が具現化される妨げとなります。
恐怖や不安や取り越し苦労は、霊的な援助を授かる通路を塞いでしまいます。
地上的な欲望、思い込みや固定観念も、インスピレーション伝達の妨げとなります。
霊的な通路を塞がないために、霊的自我の働きを高める必要があります。
それには、自分の中にいる神、背後で見守っている霊の存在を強く信じ、霊界と一体化を計るのが有効と考えらます。
10 件のコメント:
いくみ様
ブログ 感慨深く読ませて頂きました。
ありがとうございます。
恐怖や不安や取り越し苦労は、霊的な援助を授かる通路を塞いでいる
正にここ数日の私でした
いくみ様のブログがちょうど私の心の葛藤とタイミングが合った事の不思議を感じます
いくみ様
今朝 ベランダへ洗濯物を干していました、もう一回洗濯機に取りに行き
ベランダに戻るとサンダル私が履きやすい方向にきれいに並んでいて?
えっ?
いつも あちこっち向いていバラバラの位置のサンダルが?
無意にしたのかなぁ?
私には主人からのメッセージに思えました
何だか可笑しくて笑ってしまいました…
何故 俺を信じないんだ?と
言われてるような(^^)
いくみ様
ありがとうございます。
あさよ様
こんにちは。
更新したブログを、早々に読んでいただき、ありがとうございます。
コロナの流行で、あなたのように恐怖や不安を感じている人はきっと多いと思います。
それを取り払うのに少しでも役立つのなら、私もうれしいいです。
ベランダのサンダルは不思議ですね。
お盆は、霊界がより身近に感じられる特別な時期だと思います。
霊界側もこの時期は、地上に働きかけやすいのかもしれません。
起きた現象には、想いが込められています。
あなたの感じたことは、正しいと思います。
「どうだ、ちゃんといるだろ」 と伝えたかったのではないでしょうか。
こんにちわ、イクミさん。
2年前に妹の義理のおばちゃんが100歳でなくなりました、風邪をひいてた事が原因でした。医師から老衰
のこと自分から見る幸せな人生だったようの気がします。東京に土地を持っていたので一般に言うお金持ち
でしたお金に心配ない生活できる身分のようでした。土地は相続税のために切り売りして良い場所の土地
はほとんどなくなっていました。
自分と比較することは自体問題がありますが、自身は早くから精神疾患になり今まで生きた中で良いこと
1個もありません、最後は難病になり苦しむことなり"なんという人生だ"と言う思いです。
目の前に老人ホームがありますが友人に"あそこに入れたらいいな"といったら"あそこは金持ちのホーム"と
言われました。シルバーはお金持ちはクソと言う考えですがこの世はお金なんです、命もお金で買える時
代ですから。最近お盆のせいか近縁の人の事が気になります。
コメントを書かれいる人でコロナは恐怖と言うことですが自分的コロナに来て欲しいです、こんなことを
不謹慎と言われそうですが難病持ちから見ればコロナなんて屁みたいものです。
このコメントを不快に感じた方はごめんさいです。
匿名様
こんばんは。
もしかしたら、随分前にコメントのやり取りをした方でしょうか。
私の思い違いだったら、申し訳ありません。
あなたの妹さんの義理の亡くなった叔母様が資産家だったのですね。
東京の1等地で大きなビルを持っていれば、働かなくても、一生贅沢な暮らしが出来ます。
一方、一生懸命働いて来たのに解雇されて、ホームレスになってしまう人もいます。
そんな状況を見て、同じ人間なのに不公平だと思う人は多いです。
シルバーバーチはお金のことを全面的に否定している訳ではありません。
たくさんのお金を持っていると霊性開発の妨げとなり易いと言っていたと記憶しています。
霊界からは、働かずに物質的な贅沢な暮らしをしているのは、成長のない堕落した生活に見えるのでしょう。
そんな人たちは、死後に後悔することになるので気を付けなさいと伝えたいのだと思います。
命もお金で買えるとは、お金持ちは最善の医療や介護が受けられて、お金のない人は受けられないと言う意味でしょうか。
確かに、それは現実としてあります。
ただ、日本では幸いなことに、お金がなかったとしても、一定のレベルは保障されていると思います。
世界からみれば、とても恵まれている国です。
私はあなたの辿って来た人生を知りません。
もし今までの人生を見せていただいたのなら、あなたの感じていることは当然と思うかもしれません。
少し話をして判ってもらえるような、生易しい人生ではなかったとお察しします。
若輩の私が言うのをお許し下さい。
他の人と比べて、何でここまで違うんだと思ってしまうと、憤りや妬みの様なものが生じて、それが心の苦しみとなります。
病気で働けなくても、生きていられる、お世話をしてもらえると思う人は、そんな心の苦しみから免れていると思います。
同じ状況であっても、苦しみの程度は、その人の心のありようによって大きく違って来ると考えられます。
私が以前通っていた障害者施設では、病気で体を全く動かせず、ベッドの上で身じろぎもせずに、一生を終える人がいました。
この世的に見れば、とても不幸で、哀れな人生になるのでしょう。
しかし、霊的に視れば不幸な人生ではありません。
苦しみ対する、霊的な報いがあるからです。
向こうに行くと、全てが厳格に計算されていて、完全に収支が合っていることが判るので、この世の人生は苦しいことばかりで不公平だったと、文句を言う人はいなくなるようです。
信じられないかもしれませんが、生まれる前のあなたが、この人生を選んでいたのです。
病気は前世で何か過ちを犯し、その償いのためなのか、それとも病気になる苦難の人生を歩むことで大きな成長を望んでいたのか、そのどちらかでしょうが、私には判りません。
どちらにせよ、あなたの魂に必要な人生だったことは確かです。
コロナはあなたの病気に比べれば大したとはないと感じているのですね。
罹っても大したことはなく、しばらくすれば治ってしまう人は多いです。
しかし、世界で70万人を超える人が既に亡くなっています。
大切な人を失い、深い悲しみの中にいる人がたくさんいます。
そんなこともあり、ほとんどの人はコロナの流行に恐怖を感じています。
来て欲しいとは、もっと多くの人がコロナに罹って、病気の苦しみを味わって欲しいと言う意味なのでしょうか。
もしそうであれば、あまりお持ちにならない方が良いと思います。
その考えは神の摂理に反するので、因果律の働きにより、ご自身に苦しみが返って来てしまう可能性があるからです。
この世で終わりであれば、あなたの言うことはごもっともです。
しかし、現実には死んだ後にも生は続いています。
向こうに行ってから、この世の人生を振り返る時が来ます。
つらいことばかりで、楽しいと感じることはあまりなかったけれども、途中で死ななくて良かった、全う出来て良かったと、深い悦びと安堵を味わうことになると思います。
イクミさま
いつも、この世を生きている皆様に、勇気と励ましをありがとうございます。
霊的自我、地上的自我。
修行に来ているから当然なのでしょうが、うまくいかないことばかりです。
不安を払しょくする努力も生まれてきた目的の一つ。
思念の訓練をさせられているのかとも思ってしまいます。
コロナで不安といら立ちの日々ではありますが、
自分の今の生き方は違うといわれている気がしました。
もっと自信を持っていきなさいと言われた気がします。
見えない世界に目を向けて、
大丈夫と胸を張って生きていけたらと思います。
ありがとうございます。
匿名様
おはようございます。
ブログを読んでいただき、ありがとうございます。
霊界は恐怖や不安の取り払われた世界なので、地上に生まれて生じないような魂の訓練をしていると思います。
そうですね。自信を持つことで払拭されると思います。
本文にもありますが、神の摂理(愛)が隅々まで行き渡っていて、守護霊が見守っていると信じることも大切です。
自分と霊界を信じて、この大禍を乗り越えて行きましょう。
栗男様
こんにちは。
ヒーリングの件、了解しました。
取り合えず、更新したブログのコメントに書き込むようにしますので、よろしくお願いします。
イクミ様
承知しました。
お手数ですが、よろしくお願いいたします。
スマホから返信しましたが、届いていないようなので再度コメントさせていただきます。
イクミさま こんにちは。
シルバーバーチの霊訓を読むときと同じくらい、イクミさんのブログを読むと心がすっと楽になります。
いつもありがとうございます。
日本のコロナウイルスもなかなか収束に向かわず、私の住む韓国でも、やっとおさまるかな?と思うと必ずまた集団感染があり、一向に終わりません。(キリスト教で教会に通う人たちが礼拝や会食で集まるからです。)
コロナ以外に、今年の夏は梅雨がすごく長くて、6月末からはじまった梅雨がまだ終わりません。豪雨が続き、いたるところで氾濫、浸水し大きな被害が出ました。一番ショックだったのは、岐阜県にあるご神木が、倒れてしまったことです。
人間もかわいそうと思いますが、私はどうしても動物のほうに気持ちが向いてしまいます。家畜たちは抵抗もできないまま流され死んでしまったんだろう・・・と思うとその苦しさに気持ちがとらわれ、何度も頭の中に動物の苦しむ姿を思い起こしてしまいます。
我が家の怪我とカビの生えた子猫は、当時動物病院の先生に「これは回復するまでに長くかかる」といわれていたのに、みるみるうちに回復し、先生も「こんなに早くになおるとは思わなかった」とびっくりされました!あの時、汗だくで子猫を看病していたこと、金銭的にも体力的にも本当に大変でしたが、今は見違えるようにきれいになり、目もぴかぴか輝いて、彼から生きる力ってすごいなっていうことを教わりました。イクミさんがあの時私の気持ちを後押ししてくださいました。本当に力になりました。
そして私自身も、健康だったらもう何もいらないな、と改めて実感しました。
しかし一難去ってまた一難、子猫が来てから主人が目がはれたり息苦しくなったりで、病院にいって検査したら、なんと猫アレルギーが100< でした・・・。先住猫だけのときもたまに目がかゆいとかはあったのですが、息が吸いづらいというのはなかったので、私がもう一匹猫を連れてきたせいで主人の健康が破壊されるのでは・・と子猫を誰か知り合いで家族に迎えてくれる人いないか探そうか、と提案しましたが、主人も動物好きで、「もうこの子も家族として思ってるから手放せない」そうです。ありがたい言葉ですが、このままでいいのか日々悩んでいます。本当に、うれしいことと辛いことは紙一重なのかな、と思います・・
恐怖や不安を感じていると霊的感受性が低下してしまい、霊界からの援助も届きにくい・・というイクミさんの文章を読みましたが、まさに私はものすごい心配性で考えすぎ、まさに取り越し苦労・・
なんとか心を楽に持とうとしても、うまくいきません。でも、亡くなった父や、霊界の方たちはすぐ近くにいてくださるんだと意識すれば、こんなにうれしいことはないかもしれません。時間がかかっても、私の「心配性」という心の癖をなおしていきたいと思えました。
Kokoro様
おはようございます。
あなたの住む国でも、感染がおさまらないのですね。
収束するのを祈っている場所で集団感染が発生するのは皮肉です。
人間が災難に遭うと、その周囲にいる動物たちも大変な思いをします。
まず、人間の命を優先するので、後回しになってしまうのは、本当に可哀想です。
そんなことは、ニュースにもならないのも怖いところです。
あなたが保護した猫ちゃんは、回復して来て良かったですね。
ご家族の愛情が自然治癒力の働きを促し、早期に病気が癒されたのではないでしょうか。
それでも、ご主人の猫アレルギーはご心配ですね。
もう愛着が湧いているでしょうが、この先可愛がってくれる人が現れたら、譲渡しても良いのではないでしょうか。
私も心配や不安が生じてしまうことがあります。
心配や取り越し苦労を克服して行くことも、この世に生まれて来た1つの目的と思っています。
そんな時は、神が良きに計っていると信じると共に、これまで頑張って生きて来た自分自身も信じるようにして下さい。
コロナに関しては、不安や心配が生じるので、情報過多にならないように注意して下さい。
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