2020年8月16日日曜日

魂が存在する主観的な証拠



今年はコロナウィルスの流行で、お盆に帰省した人が大幅に減ったようです。

私は霊的真理と出会い、亡くなった人は魂となり生きていて、愛情で結ばれた人の傍にいることを知りました。

そのために、敢えてお墓参りに行く必要はないと思っていました。




それでも、時々はお墓参りに行きます。

雑草が生えていたり、人が来た気配がないと、故人が不憫に思えるからです。

草むしりや清掃をして、お墓がきれいになると、何だかうれしい気持ちになります。

そんな時は、向こうで喜んでくれていると思っています。




お墓の前で手を合わしている時に、その人のことを想います。

その想いは、本人に届いていると信じています。

自分のことを忘れずにいてもらえれば、うれしいに決まっています。

みんなが集り、故人のことを話している時も、その場にいて、この世にいた時のことを懐かしんでいると思います。

お盆で帰省するのは、地上の人だけではありません。

地上の人の想いに引き付けられて、霊界に行ってからしばらく経つ人も来ていると思います。




墓参りに行けない人は、故人に対して失礼なのでしょうか?

墓前に行き、形式的にお線香を上げて、手を合わせてもらうよりも、行かなくても思い出して、親愛の念を向けてくれる方が、よっぽどうれしいはずです。

どこで何をしてもらうかよりも、どんな想いでいるかの方が、ずっと関心があると思います。




自分が逆の立場になったらどうするのか考えてみれば判ります。

親愛の想いを向けてくれる人に対し、何とかして応えようとするのは、ごく自然の成り行きです。

無用な危害が加わらないよう、正しい方向に進んで行くように、地上の人に想い(思念)を向けて導いているはずです。

地上から向けられた親愛の想いは、因果律の働きによって、どうしても地上の人に返したくなります。




それでは、お墓参りに行く人たちは、故人が生きていると本気で思っているのでしょうか?

もしかしたら、あの世で魂となって生きているかもしれないと思う程度の人が、ほとんどかもしれません。

魂が存在する客観的な証拠が示されないので、それは当然です。




地上には70億を超える人がいます。

その個性は、誰一人として同じではありません。

個性(性格)について、長い年月に渡り科学的な研究が続けられています。

しかしながら、全く説明がつかず、研究は行き詰まってしまったように感じます。

個性が、大脳の働きを超えたものから生まれていることを認めない限り、状況は全く変わらないでしょう。




人間は魂(霊)、精神、肉体からなる存在です。

個性は、大脳が作り出しているのではありません。

最も高次にある魂に、個性が存在しています。

それが精神に反映され、大脳を介して肉体で表現され、認識されていると考えられます。




その人の本質は、魂です。

魂は生命そのものです。




私たちは、様々な出来事に遭遇します。

それに対し、どの様に行動したかによって、個性は変化して行くと思います。

どう行動するのかを決める自由が、私たちに与えられています。

同時に決めた責任も、自分に課せられています。




これまで様々なことを決めて、行動して来た結果として、今の自分があります。

自分の行いは、全て魂に刻み込まれています。

それが個性となって反映され、行動や言葉や表情やしぐさとなって表現されています。

まだ、何も経験していない赤ちゃんにも個性があります。

それは、窺い知ることの出来ない過去世における行動が、魂に反映されているためと考えられます。




宇宙には、絶対的な神の摂理が働いています。

さまざまな出来事が起きる究極の目的は、私たちが神の心に近づいて行くためと考えられます。

摂理に適った行動をすれば、神の心に近づき、反した行動をすれば遠のいてしまいます。

過った行動によって、歪められた個性が外部に表現されると、苦痛を伴う結果が生じて、自分自身に返って来ます。

わがままな人は、これまでの利己的な行動によって個性が培われています。

それが外部に表現されると、孤独と言う苦痛を味わうことになります。

苦痛によって、歪んだ個性が神の心に適うように改められて行きます。




もし、魂が物質的次元の存在であればどうでしょう?

肉眼で存在が確かめられるので、誰もが認めるでしょう。

しかしながら、魂は霊的次元の存在です。

残念ですが、地上の人は確かめることは出来ません。

自分の目で確かめられないものを、人は否定してしまいがちです。




それでは、愛はどうでしょうか?

五感には触れず、客観的に証明されていません。

証明されていないにも関わらず、ほとんどの人は愛は存在していると信じています。

それは、愛を実感したことがあるからです。




愛も、魂と同じ霊的次元の存在です。

目に視えない魂から、目に視えない愛が生じています。

霊的次元の存在を信じるためには、自らが実感するしかありません。

あくまでも、主観的なものです。

愛は、魂にある霊的な感覚によって実感されています。




それでは、霊的な感覚とはどの様なものなのでしょうか?

初対面で、言葉を交わさずとも自分と合う人と、合わない人が判る時があります。

そんな時は、霊的な感覚によって、相手のオーラ(霊的大気)を感じ取っていると考えられます。

泣いている人がいると、思わずもらい泣きをしてしまうことがあります。

そんな時は、相手の悲しみの想いを、霊的な感覚が感じ取っていると考えられます。

頭で考えてではなく、直感によって行動している時も、霊的な感覚が活発に働いていると考えられます。




難しい数学の問題を、頭を使って解いている時は、霊的な感覚は働いていません。

数字や文字を使った知的な作業に、霊的な感覚は必要はありません。

しかし、行動や言葉から相手の想いを感じ取る時には、霊的な感覚が働いています。

叱られた時に、自分のことを思って言ってくれたのか、そうでないのかが判ります。

謝ってもらった時に、口先だけなのか、本心から言っているのかも判ります。

その判別しているのが、霊的な感覚です。

行動や言葉に込められた想いを、霊的な感覚が認識しています。

俗に第六感と言われるものが、この感覚に該当すると思われます。







赤ちゃんが、こちらを向いて微笑んでいます。

思わず、可愛いと感じます。

これは大脳で考えた結果でしょうか?

そんなはずはなく、魂から瞬時に生じています。




溺れている人がいたら、どうでしょう?

衝動的に、助けたいと思います。

頭で考えた結果であるはずがありません。

奥深くにいる魂の欲求の現れです。

魂は神の一部として、全体とつながっています。

魂に神性が存在しているので、わが身を顧みずに人を助けようとします。




行動に移す前に、何かが咎めるのを感じたことはないでしょうか?

例えば、道端に一万円札が落ちていて、拾ったらどうでしょう。

誰も見ていないし、誰のかも判らないので、もらってしまおうかと思います。

ところが、「そんなことはしてはいけない」と心の中で、何者かが訴えています。




小学校の時のことです。

夜中にふざけて暗闇に向かって石を投げました。

朝になって、ちょっとした騒ぎになっていて、よく見ると車のフロントガラスがくもの巣状に割れてしまいました。

自分の投げた石が当たったと瞬間的に判りました。

学校で授業が始まっても、そのことが頭から離れません。

いたたまれなくなり、家に帰って母親に自分が石を投げたことを告げました。

「しらばっくれていないで白状しろ」と、心の中で訴えている何者かを感じていたからです。

ばれさえしなければ、何の問題もなかったはずです。

しかし、そうは行かなかったのは、自分の中に「良心」が存在していたからです。




目に視えない自然法則の働きによって、宇宙が経綸されています。

自然法則の働きに背いて行動すると、どこかで償いが必要となります。

その行動が成長の妨げとなってしまうので、心の中で良心が警鐘を鳴らしています。




悪いことをしてはいけないと思うのは、人からそう教わったからではありません。

生まれながらにして、良心が備わっているからです。

過ちを犯そうとすると、心が咎めるように、初めからなっています。




もし、私たちが霊的な存在でなければ、霊(神)性を宿すことはありません。

良心が存在する理由は、どこにも見つけられません。




全ての人の魂に、良心が内在されています。

意識の中に善と悪があるのは、魂に良心と言う絶対的な基準が存在しているからです。

無意識の内に善悪を判断し、神の摂理(自然法則)の働きを遵守しようとしているのが魂です。




いつもの自分とは別に、別の自分がいます。

成長に大きく関わる時に、別の自分が表に顔を出して、いつもの自分に問いかけたり、忠告したりしています。

その別の自分こそが、本当の自分であり、魂です。







19 件のコメント:

ラッパ吹き さんのコメント...

イクミさん、

申し訳ありません。過ちを犯して、もうコメントするのはやめようしていたのですが、とてもとても気になっていることに言及されていたのでご相談せずにいられなくなってしまって。

2つあります。
まず1つ目はこの点です。
引用)
>難しい数学の問題を、頭を使って解いている時は、霊的な感覚は働いていません。
>数字や文字を使った知的な作業に、霊的な感覚は必要はありません。
引用ここまで)

私が子どもだった頃を思い返すと、小中学校までの学習内容では、「考える」ことが私には脳の論理的な操作よりも「耳をすませて聴き取る」ようなものだったんです。社会は知識だけだったのでまったくだめでしたが、理数と国語はほとんどがそうでした。
霊的真理を知った今は、あれはインスピレーションに周波数を合わせて探していたのだと思うと納得できるんです。

2つめは、こちらの方がはるかに深刻なのですが。。
孤独、についてです。
引用)
>わがままな人は、これまでの利己的な行動によって個性が培われています。
>それが外部に表現されると、孤独と言う苦痛を味わうことになります
引用ここまで)

今私は妻と子どもたちに疎まれ嫌われて家では独り孤独を噛み締めています。
これが私が利己的だったからなのか、随分と悩んできました。

私は、自分が味わって苦しんだ依存心依頼心からの脱却と自立のための長くつらい苦しみ(hspであることも影響したと思います)から、子どもたちには例え私は嫌われても自分を信じて自分の足で立って歩ける自分の力で生き抜いていける者になってくれることを願って厳しくしてきました。家内の激しい反感も始めはその過程から芽吹いたものでした。子どもたちを叱ることが家内には自分を責めていると映ったんです。
当たり前の社会規範です。朝自分で起きる、自分のものを片付ける、借りたものは返す、共有のものを使ったら元に戻す、約束の時間を守って五分前には着く。。。当たり前のことです。

愚痴に聞こえたら申し訳ありません。
いくら考えても考えても分からないんです。
自分では気づいていない過ちが、大きなわがままがあったのかもしれません。今の私にはまだ分かりません。

私はそれほど利己的でわがままな馬鹿者なのか。何を学べと神は守護霊はおっしゃっているのか。

彼女も一人きりで孤独に闘病していたとお母様から聞いています。あの彼女が母として妻として利己的でわがままだったとは到底思えない。私が知っている彼女は、誠実で裏表なく凛々しい女性で、それとは正反対でした。

支離滅裂になっていたら申し訳ありません。どうしてもご相談せずにいられなくて。
かなうことなら、イクミさんの感じられたことを伺えたら嬉しいです。

ラッパ吹き

イクミ さんのコメント...

ラッパ吹き様

こんばんは。
過ちを犯したなんて思わないで下さい。
それは全く違います。(アップしなかったのは一時的な感情で書かれたと思ったからです)

そうですね。
数学の問題を解く時や、文章を創作している時のひらめきは、インスピレーションによるものかもしれません。
文字や数字を使った「事務的な作業」の時に、霊的な感覚は必要ないと解釈して下さい。

大人には打算が働いているので、そうならない場合がありますが、わがままで協調性のない子供であれば、仲間外れにされて一人ぼっちになり、それが苦痛なために改めて行くと思います。
孤独な人は、わがままだと言う意味ではありません。

あなたが味わって来た苦しみを、お子さんたちに味あわせたくないと言う親心は良く判ります。
しかし、それが強くなり過ぎると、お子さんの自由な考えや行動を奪いかねません。
あなたとお子さんは、親子であっても、別々で対等な魂です。
たとえ正しくても、自分の想いを押し付けるだけで、お子さんの想いを無視していたのであれば、それは摂理に反しています。
あなたの怖れを伴った強いこだわりが、ご家族の反発を生じさせていたのかもしれません。
間違っていたら、申し訳ありません。

彼女の孤独は、わがままから生じていたものではありません。
病気が彼女を一人にさせていただけだと思います。

ラッパ吹き さんのコメント...

イクミさん、
ありがとうございます。。

おっしゃる通り、あの時突然激しい嫌悪を感じて反射的に書いてしまいました。止めてくださって感謝しています。

頂いたこの言葉、
「あなたとお子さんは、親子であっても、別々で対等な魂です。」

実は、私もこれは自分自身思い知っていたことで、私の親、特に父は恥ずかしながら私たち子どもを自分の見栄の道具としか見ていない人でしたから、それに関しては天に恥じることは無いと言えると思います。私はむしろそれを叩き潰したいと思っていました。

(「それ」と書いたものに対する私の強い激しい憎しみをわかっていただけるでしょうか。
幼い頃には「お前は何をやらせても駄目だな。」と散々に言われ—-おそらく父自身が誰かから言われてきた言葉なのだと思います—-それが学校などで何か受賞などすれば、手のひら返したようにそれを周りに自慢する。
この歳になっても未だに「息子は○○に行ってる/行ってたから。」と、まったくくだらないことに、聞く人は知らないような勤務先を自慢する。。
とりわけ悲しく腹立たしかったのは、自殺した弟の遺体が焼かれた骨のその前で焼き場の職員の方に向かって「私、般若心経知ってますから。」と卑屈な笑いを浮かべて自慢したのを聞いた時です。自分の子の骨の前で、です。。。
彼はシルバー人財センターの斡旋で一時ペットの焼き場に勤めたことがあり、そこで無理やりやらされただけの般若心経でした。般若心経そのものはまったく理解などしていないんです。あまつさえ、そこで大学生に蹴飛ばされて憤慨して辞めてやると息巻いていた、と母が嘆いていました。
この悲しみ、わかっていただけるでしょうか。。)

話を戻して)
1人目が生まれた時(その時はまだ彼女の死も知らず、スピリチュアリズムもシルバーバーチも、死後の生も、エリザベス・キューブラー・ロスも知りませんでした)から、何故か、この子は神が私に託した命であって私の所有物ではない、私がどれほど小さく弱く卑怯で醜いものであろうと、この命を小さく弱く醜い私のすべてをかけて守れと神は私に言われたのだと、その責任があるのだと感じていました。

ですから、それだけは、それだけは、ありません。
子どもたちがいずれ必ずぶつかる社会規範の代理として、子どもたちの前に初めて立ちはだかる壁になることを強く意識していました。その壁が弱かったり、子どもに迎合するような卑怯者であれば、子どもたちは社会を自分の力で生き抜く力を育めないんです。私の弟はそれで自殺したんですから。

彼女も子どもたちに厳しかったその様子をお母様から聞いています。ガンがわかってから自らの死が近いことを覚悟していた彼女は子どもたちに「お母さんは、もうすぐ死ぬんだからね!」と繰り返し言っていたそうです。子どもたちに優しく躾をする時間がもう無いことを知っていた彼女には、そうして子どもたちを厳しく愛するしか手段が無かったんです。

愛の表現は無限にあります。
優しく穏やかで暖かいだけでは、子どもたちは強くなれません。
エリザベス・キューブラー・ロスの言葉では、補助輪をつけてあげる愛と、それを外す愛。
外す愛は、付けるよりはるかに難しい。でも、それができなければ、子どもたちは自立できない。

期せずして、ナオヤさんが投げかけたことにつながることになったかもしれません。
どちらも必ず必要なのだと思います。

すみません、頭が回らなくなってしまって。
尻切れで申し訳ありません。。

ラッパ吹き

イクミ さんのコメント...

ラッパ吹き様

おはようございます。
このブログを書いていて気付くのは、世の中には想像も付かない人がいて、そのために人間関係で苦しんでいる人がたくさんいることです。
あなたのお父様は強烈な個性の持ち主であり、幼少から大変な思いをして来たのですね。
お父様の言葉に、数え切れないほど傷つけられて来たとお察しします。
弟さんが死んだ時の、お父様の対応は言葉になりません。
死の原因を含めて、相当な償いが待っているような気がします。
そんなお父様を選んで、あなたが生まれて来た意味(目的)は何なのかと考えてしまいます。

初めてのお子さんが生まれた時に感じたことは、霊的なインスピレーションでしょう。
お父様から受け取ったものを、子供に返してはいけないと強く心に誓って、育てて来たと思います。
私自身の子育てを振り返ってみると、仕事にかまけて妻に任せきりになり、もっとスキンシップをしたり、同じ目線で遊んだりしたかったと悔やんでいます。
早く霊的真理を知っていれば、全然違っていたのでしょうが、そうなるようになっていたと思います。

あなたのお子さんに対する深い愛情を感じます。
ただ、ご家族にとって、その愛情が窮屈で負担として感じていたのかもしれません。

厳しく躾けると同時に、想いを込めて抱きしめてやると、真意が伝わったのかもしれません。
これだけ、自分のことを思ってくれる人のことを信じようと。
言葉にしなくても、子供たちに全てが伝わると、今は思っています。
過去に戻れるのであれば、想いを込めて抱きしめてやるでしょう。
それだけで、安心して、強く生きて行けるような気がするからです。


時間がない彼女は、本当は優しく抱きしめてやりたいのですが、そうすると自分が壊れてしまうほど悲しくなるので、敢えて厳しく接していたような気がします。
泣いている姿を見せたくなかったのであり、強く生きて欲しいと言う強い願いが込められていたのだと思います。

ラッパ吹き さんのコメント...

イクミさん、
ありがとうございます。イクミさんにわかっていただけ受け止めていただいて救われた思いがします。

私も酷く書きすぎましたが、その父も、子どものころの私に小刀の使い方や砥石での研ぎ方を教えてくれ、竹とんぼやコマの作り方を教えてくれ、釣りやザリガニ採りに連れて行ってくれた優しい面がありました。本当はそれが真の父だったのかもしれません。

父は決して冷酷な人や悪意の人他者に意図して害をなす人ではなくて、ただ自分自身の価値にまったく自信がなく激しい劣等感に苛まれていて、そのために常に虚勢を張っていなければ、自慢話をしていなければ、私や母を含めた誰かを馬鹿にして見下していなければ、他者に対峙していられなかったのだと思います。

悲しくて悔しいのは、父をそんな風にしてしまった者たちがいたことです。おそらく彼の母親私の祖母がそのひとりではなかったかと思います。
誰かが、親が子を、そんな風に深く傷つけ人として破壊してしまうことがあるんです。ですから、私はそれだけは子どもたちにはどうしてもできなかったんです。神から託された子どもたちのために、その負の遺産はどうしても私で断ち切らなければならなかったんです。

私も、子どもたちが赤ちゃんの頃にはお風呂に入れウンチのオムツでも汚いとも感じずに替えミルクもあげ、夜泣きすると抱っこして散歩して寝かしつけ、幼い頃は抱っこやおんぶや肩車して、休みの日には時には家族揃って遊び、公園のアスレチックの遊具や夏は水遊びでハラハラしながら夢中で遊んでいるのを手を出さずにそばで構えながら見守って、子どもたちも懐いてくれて、私にべったりのお父さん子だった子もいます。

厳しくしたのは、本当に人として当たり前の基本的な社会規範に反した時だけです。学齢が上がるに従って、小学校高学年くらいからでしょうか、自我が芽生えてくる頃から自然に厳しく叱ることが増えたと思います。それは、私にも身に覚えがあります。自我の独立心は必ず親とぶつかりますから。それをしっかり怯まずに受け止めるのが父としての私の責任だと強く感じていました。

こう書いてきて、彼女も私も子どもたちに対して同じような接し方をしてきていたようだったことに気づきます。
彼女は若くして母になりましたが、ガンになる前お子さんが小さな頃にはとても優しいお母さんだったようです。厳しく接しなければならなくなったのは、彼女が自分の死期が近いことを感じてからではなかったかと思います。

彼女は高校生の時にとても慕っていたお父様を急性白血病で失いました。形はまったく違いますが、父なるものの不在と憧れとそれを自らに子どもたちへの責任として課さなければいられなかったのも、彼女と私はとても良く似ています。
これも今気づいて驚いています。。

すみません、感情が高ぶってことさらきつい言葉を並べてしまっているかもしれません。
うまくまとめられそうにありません。
どうかお許しください。

ラッパ吹き

イクミ さんのコメント...

ラッパ吹き様

こんにちは。
親らしい一面がお父様にもあったことを知り、安心しました。
お父様はご両親から受けたことを、そのままあなたにしたのかもしれませんね。
ニュースで幼児虐待が話題になりますが、虐待している親は、子供の頃に自分がされていたことを躾だと思い、今度は自分の子供にしている可能性があります。
あなたは、霊界からの働きかけもあり、親から子に伝わる負の連鎖を断ち切ったのでご立派です。
スキンシップも十分に計られていたのですね。失礼しました。
私は父から、男は仕事で成功することが何よりも大事と言う価値観を引き継いでしまったので、正直なところ人に語る資格はありません。
今の若い男性は、両立するのが当たり前であり、進化していると思いながら見ています。
お父様に良くしてもらったことをあなたが忘れていないように、お子さんたちに注いでいた愛情は、因果律の働きにより、いつの日か返って来ると考えています。

彼女とあなたが求めていたものが同じで、親近感が生まれたのかもしれません。
そして、ご家族と同じ世界で生きていられる幸せを、もっとあなたに感じて欲しいような気がしています。

イクミ さんのコメント...

栗男様

こんばんは。
弥生様のご主人ですが、検査の結果再発でした。
抗がん剤治療後、再移植をするそうです。
その時に、ヒーリングをすることになりましたの、よろしくお願いします。
移植の日が決まりましたら、また連絡します。

栗男 さんのコメント...

イクミ様

こんばんは。
弥生様とのコメント拝読させていただきました。
ご家族が、この試練を乗り越えられるよう祈らせていただきます。
ヒーリングの際は、よろしくお願いいたします。

弥生 さんのコメント...

栗男様
はじめまして。

この度は主人の為にイクミさんとご一緒にヒーリングをしていただけるということで心から感謝しております。
人生は本当に色々なことがありますね。
でも命ある限り試練を乗り越えていくしかないですよね。
移植の際にはヒーリング宜しくお願いいたします。
猛烈な暑さが続いております。
ご自愛ください。

栗男 さんのコメント...

弥生様

こんばんは。
昨晩から今日にかけて、以前のイクミ様とのコメントも読ませていただきました。
イクミ様へ書いた言葉だけでは表現しきれない、ご主人・弥生様ご家族の苦しみを感じ取れました。

私は、弥生様の心が軽くなるような言葉をおかけする才知を持ち合わせていませんので、
ヒーリングを通じて、できる限り霊界の方々からの治療援助があるように祈念させていただきます。

今は日々お辛いでしょうが、見えない方々の少しでも良くしようとする働きかけを信じて、ご主人とご自身の支えとしてください。

弥生 さんのコメント...

栗男様

主人は本日入院いたしました。
温かいお言葉本当にありがとうございます。
身も知らずの私たち家族の為に祈念していただき心から感謝申し上げます。
母をはじめとする守護霊様の力をもらいながら負の感情に負けないように頑張ります。

あさよ さんのコメント...

いくみ様
ブログ 拝見させて頂きましたました。

やはり お墓参りには行けずにいます…
でも 心は毎日 思っています。

これは
いくみ様にも初めてお話しするのですが
主人と両親の間には長い間確執があり、私と結婚してからは更に深くなり
主人が闘病中も両親は一度も主人に会いには来ませんでした

主人も私と私の家族方が良いんだからいいんだょとは
話していましたが…

そして亡き後
遺骨のことで私と両親は大喧嘩になり
私も当時は意地もあり
とうとう 遺骨は私が葬りました。
現在、両親(義父他界)とは疎遠になっています。

でも 今になれば両親の気持ちが少し理解できます
これが私の過ちでしょう!!
どうする事も今は出来ずに
います。
何だか、話がそれてしまいました。

先日
母の事でいくみ様から頂きました言葉
嬉しかったです。

迷った時は、大変(困難)な方を選んだ方が良いようです。
魂の成長につながり、後で後悔しないからです。

ありがとうございます。

イクミ さんのコメント...

あさよ様

こんにちは。
そんなご事情があって、お墓参りに行けなかったとは知りませんでした。
たとえ行けなくても、あなたの想いはいつも届いています。
それが1番大切です。

あなたは最愛のご主人を亡くされて、本当に長い間、悲しまれ、苦しまれていました。
自分よりも早く子供を亡くすのも、親にとって耐えられない、悲しみ、苦しみと聞いています。
想いを共有できれば良いのですが、今となっては難しいのかもしれません。

あなたが、ご両親のお気持ちが判るようになって、ご主人はうれしく思っているでしょう。
過ちなどと、思って欲しくないのではないでしょうか。

あなたに書いた言葉は、私自身にも言い聞かせている言葉です。

さくら さんのコメント...

イクミ様

いつも心が温まるブログをありがとうございます。

私は、1年半前に魂となった大切な方とは家族でも恋人でもなかったので、お墓がどこにあるのかわからず、お墓参りが出来ません。

知り合いに頼んで、ご自宅やお墓を探し出すことも出来るかもしれませんが、大切な方はそれを望んでいないことがよく伝わってくるので、探し出さずにいます。

墓前でお線香を手向けることはできませんが、毎日部屋に花を供えたり、いつも意識を飛ばして話しかけている私の様子を、穏やかな表情で見守ってくれているのがよくわかります。

肉体を離れた方は少しも変わらずに愛情を向け続けてくれていることは本当に真実で、そのことを、愛する人が肉体を離れてしまって絶望の中にいる人にお伝えしたいです。

声を聞いたり姿を見たりはできないけれど、魂の大好きな人に意識を合わせて語りかければ、大きな温かさに包まれるのがよくわかります。
それはとても居心地が良くて、感謝や愛しさで胸が一杯になり、涙が溢れてきます。

生前に彼が話してくれた、見えない存在はあって後ろ楯になってくれているということは、こういうことなんだと、体感できるようになり、一人ではない安心感からか毎日穏やかな気持ちでいられます。

そして最近は静かな時間ができると、シルバーバーチの霊訓を読んでいます。
なかなか購入することが出来ずにいましたが、1巻と2巻が手に入りました。
少しずつ買い揃えていきたいです。
シルバーバーチの霊訓を読んでいる時間が本当に好きで落ち着きます。

イクミ様のブログに辿り着いていなかったら、シルバーバーチの霊訓を読むことができずにいたかもしれません。
イクミ様には本当に感謝しております。

イクミ さんのコメント...

さくら様

おはようございます。
1年半前に亡くなった大切な方の墓参りには行っていないのですね。
望んでいないことが良く判るので、代わりに部屋に花を供えているそうですが、喜んでいるでしょう。
彼に意識を向けて語りかけると、大きな愛に包まれるのが良く判り、1人ではない安心感から、毎日穏やかな気持ちでいられるのは、とても幸せことです。
大切な人を失った人が皆、あなたの様でしたら、向こうにいる人も安心し、喜んでくれるのでしょうが、残念ながらそんなわけには行きません。

真実を受け入れる土壌を作ってくれたのは彼ですが、素直に信じられるあなたのことを誇りに思っているのではないでしょうか。

シルバーバーチの霊訓を読んでいるそうですが、書かれている内容は彼が生きていたら伝えたかったことでもあると思います。
生きて行く上で1番大切なものは何か、あなたに分かって欲しいのだと思います。

このブログを介して、あなたが霊的真理(シルバーバーチの霊訓)に辿り着けたとしたら、これ以上うれしいことはありません。
それが書いている目的だからです。

Chee さんのコメント...

イクミさん
今晩は。いかがお過ごしでしょうか。
いつもブログの更新、ヒーリング、情報の共有など有難うございます。

最近子供達と携わる仕事を始め、風邪などを受け取ることが多くなりました。少し前に引いた風邪を拗らせたのか、現在咳が中々止まりません。酷くなる前にヒーリングをお願い出来たらと思うのですが、可能でしょうか?勿論お時間があればで構いません。些細な事で申し訳ないです。

日本は夏の暑さが厳しそうですね。お忙しいとは存じますが、どうぞご自愛ください。

ちひろ

イクミ さんのコメント...

ちひろ様

おはようございます。
子供たちと携わる仕事を始めたそうですが、少し前に弾いた風邪をこじらせて、咳が止まらないのですね。
今、世の中は咳や熱に敏感になっているので、早く治したいですね。
お力になれるかどうか判りませんが、ヒーリングを行ってみます。
今晩10時ではどうでしょうか?

Chee さんのコメント...

イクミさん

お返事有難う御座います。自己ヒーリングも行っているのですがイクミさんのお力を貸していただけると心強いです。今晩の10時、是非宜しくお願い致します!!

ちひろ

イクミ さんのコメント...

ちひろ様

了解しました。
もう一人、ヒーリングによる奉仕を始めた、栗男様という方も協力して下さると思いますので、どうぞご了承下さい。
それでは、リラックスしてお待ち下さい。