2020年8月23日日曜日

叡智(知識)が苦しみから解放させる



私は歯科医ですが、虫歯の治療が好きだと言う人に、今までお目にかかったことはありません。

理由は苦痛を伴うからです。

麻酔をすれば、ほとんど痛みを感じずに治療が出来るのですが、歯を削ると神経に触れて痛くなると、頭に刷り込まれているようです。


痛みなんてなければ良いのにと、つい思ってしまいますが、もし痛みを全く感じなかったとしたらどうでしょう?

虫歯になっても放置してしまい、抜かなければいけない状態になってしまう人が続出すると思います。

痛ければ、歯医者に行って治すしかありません。

痛みによって、身体の異常を知ることが出来て、結果的に自分が守られています。




ご存知でしょうが、虫歯の原因は、歯の表面に付いている汚れ(プラーク)です。

歯の汚れの中にはたくさんの細菌がいて、細菌が出す酸によって歯が溶かされて、虫歯になることが証明されています。

ほとんどの人は、そのことを知っていますが、中には知らない人もいます。

知らない人は、虫歯で痛くてどうしようもなくなり、歯医者に来ます。

そこで、歯の汚れと虫歯の因果関係を知って、歯ブラシの仕方を教えてもらいます。

正しい知識を身に着けて、実行すれば、後は痛い思いをしなくても済みます。




お口の中に異常はなくても、定期的にメンテナンスに来る人もいます。

目的は、病気を予防するためです。

そんな人は、正しい知識を持っていて、お口の中を清潔にしているため、病気にならないので、痛い思いをしなくて済みます。




正しい知識がないと、人は苦しい思いや、痛い思いをするようです。

幼い子供は、何も知らずに危ないことをして、怪我をすることもあります。

フグに毒があるのを知らなければ、食べて死んでしまうかもしれません。

知識を持つのは、身体や命を守ることにつながっています。




宇宙には自然法則が働いています。

目に視える物質的次元、目に視えない霊的次元のそれぞれに法則が働いています。

霊的次元に働いている法則は、愛を帯びていると思います。

なぜなら、法則を創った存在が無限の愛であり、全ての生命に愛を顕現させるために法則が働いていると考えられるからです。




私たち人間から、いろんな想い(思念)が生じています。

目に視えない想いにも、霊的次元の法則が働いています。

今も、どこかで戦争が起きています。

戦争の元となっているのは、怒りや憎しみや恨みの想いです。

怒りや憎しみや恨みの想いは、霊的次元の法則に反していて、愛の対極にあります。

その想いを行動によって表現すれば、攻撃的なものとなり、相手に苦痛を与えることになります。




自然法則の根幹を成しているのが「因果律」です。

物理学の授業で、作用、反作用の法則を習いましたが、それに良く似ています。

自分から出たものと同じものが、自分に返って来ます。

相手に苦痛を与えたのならば、今度は自分が同じ苦痛を味わうことになります。

因果律の働きを知らなければ、自分が味わっている苦痛は、全て相手のせいと考えます。

相手もそう考えたならば、怒りや憎しみの想いが増幅して行き、やがて戦争になります。




因果律の働きを知り、闘いに勝利を治めた人がいます。

インド建国の父と呼ばれたマハトマ・ガンジーです。

彼が貫いたのは、暴力なき抵抗です。

ガンジーはインドを植民地支配から脱却させるために、国民に非暴力を実践することを求めました。

力ではなく、言葉と行動で、イギリスから独立しようと考えました。

もし、力によって独立しようとしたのならば、多くの国民の生命が失われた上に、力によってねじ伏せられたと思います。

暴力には暴力が返って来ます。

非暴力には非暴力しか返って来ません。

そして、国民の強い想いが、やがて具現化して行きます。

指導者に霊的な知識があったので、インドは無用な血を流さずに、目的を成し遂げました。




自然法則は、宇宙を司る原理原則であり、不変にして不滅です。

知っているか、知らないかにおかまいなく、厳格に働いています。

知らないで法則に反した行動をしてしまうと、因果律の働きにより、苦痛を伴う出来事が起きます。

苦痛によって、自分の過ちに気付いて、改めることになります。

それで、自然法則の働きの1つを学んだことになります。




知識は無限に存在します。

しかし、私たちが得られる知識は限られています。

物質的次元の法則、例えば物理法則であれば、本を読んだり、先生から教えてもらい得ることができます。

しかしながら、霊的次元の法則はそうは行きません。

自らが、ふさわしい経験をするしかありません。

言葉に言い表せない大切なことは、人から教えてもらうことが出来ないので、実際に自分が経験して学ぶしかありません。

それが、自分だけの叡智となります。




病気になるのは、誰でも嫌なものです。

何で自分だけが、こんな思いをしなければならないと、憤りを覚える時もあります。

病気が深刻になると、それまで捉われていたものに関心がなくなり、大切なものに気付く人がいます。

人と人を結びつけている想いより大切なものはないことに気付く人もいるでしょう。

病気は、叡智を学ぶための触媒の1つと考えられます。

苦痛の経験を通して学んだことは、魂に刻み込まれて、忘れることはありません。




この世に生きている理由は、様々な出来事を経験して、叡智を学ぶためと言えます。

出来事が起きて学ぶと言うよりも、学ぶために出来事が計画的に起きていると考えられます。




自然法則の働きを学ぶほど、魂は成長して、苦痛から解放されることになります。

シルバーバーチの霊訓にはこう書かれています。

「要するに理解が行き届かないから苦しい思いをするのです。十分な理解がいけば苦しい思いをしなくなります。」

どれほどの経験をすれば、そんな境地に至るのか想像も付きません。

しかし、そんな境地に至るため、私たちはこの世に生まれて来ているのは確かです。




霊的真理に書かれている自然法則の働きを強く信じ、自分のものとすることが出来たのであれば、多くの苦しみを経験しなくても済むのでしょうか。

自らの経験により1つの叡智を学び、その真実性を確信することで、他の叡智まで同時に魂が受け入れられたのであれば、大変な近道をしたことになります。

知識を持つことで病気になるのを免れるように、霊的な知識を持つことで無用な苦痛を経験しなくて済むのだとしたら、何と素晴らしいことでしょう。

ガンジーの為したことと変わりありません。

広めて行くことは極めて重要と考えられます。




叡智(自然法則の働き)を学び、実践するほど、魂は進化します。

神の摂理に従って生きるようになり、神の心を表現するようになります。

進化している人ほど多くの叡智を学んでいて、摂理に従って生きているので、苦痛から解放されていると考えられます。




私たちは、日々、起きている出来事に怖れや不安を感じてしまいます。

そんな時こそ、神と神の摂理(自然法則)の働き、そして背後にいる霊的な存在へ、絶対的な信頼を置くように努めるべきです。

見えざる力、見えざる法則の働きによって、私たちは良きに計らわれています。

悪い方向に向かっている様に思えても、自然法則の働きによって、良い方向に向かっています。




多くの人は、自分の中に神がいると思わずに、外に見い出そうとしています。

外には自然法則として顕現しているだけです。

神は手を差し伸べて、助けてくれる存在ではありません。




自分の中に神が宿っています。

神がいる実感はないかもしれませんが、真実です。

これは極めて重要な知識です。

良心があり、愛する心があるのは、自分の中に神が宿っている確かな証拠です。

それが自覚できるのであれば、信じることはできるはずです。

信じることで、神の力が顕現し始めて、怖れや不安はなくなります。

神は克服すべきものとして、怖れや不安を創ったと考えられます。

私たち地上の人間が、神の一部であることを自覚するために、創ったと考えられます。




怖れや不安は、苦しみとなります。

苦しみから逃れるために神に願うのではなく、自分に宿る神を強く信じることによって和らぐと考えられます。




苦しみとは、魂の未熟さの現れです。

未熟な自分を完成させて行くために、この世に生まれ、不可欠な出来事を経験しています。

もがき苦しむ中で、言葉を超えた叡智を手に入れ、自分自身(魂)が変わることで、苦しみから解放されます。




人を憎んだり、恨んだり、蔑んだりしてはいけないのは、どうしてでしょうか?

動物を傷つけてはいけないのは、どうでしょうか?

その人、その動物の中にも、神が宿っているからです。

神に対して行っているのと同じだからです。




自分の中に宿る神を信じるとは、自分(魂)を信じるのと同じです。

信じることによって、内部から神の力が湧き出します。

神の力は無限です。

強く信じるほど、強く力が湧き出します。

自分の中に宿る神を信じることで、そこから湧き出す力によって、あらゆる出来事は乗り越えることが出来ます。




乗り越えるのを妨げているのが、地上的な自我です。

そんなことはあるはずがないと否定します。

あれこれと想像し、考えを巡らして、怖れや不安を生じさせ、意識を物質的次元へと縛り付けます。

自分の中にいる神に意識を向けて、自分のものとすることで、怖れや不安はなくなります。




「自分の中に神がいるので、乗り越えられないことはない」

この世を生きる私たちにとって、最も大切な知識(真理)の1つです。

心の中で繰り返し唱え、強く信じることで、怖れや不安がなくなり、内から湧き出す神の力によって、いかなる苦難であっても乗り越えられるはずです。






50 件のコメント:

イクミ さんのコメント...

栗男様

こんばんは。
前回投稿のコメントを見ていただければ判りますが、ちひろ様が咳が止まらないと言うことで、ヒーリングを依頼されました。
今晩10時からですので、ご一緒に行いましょう。

栗男 さんのコメント...

イクミ様

こんばんは。
今晩10時からの、ちひろ様へのヒーリング承知しました。
よろしくお願いいたします。

Kokoro さんのコメント...

イクミさま
こんにちは。毎日暑くて今年は本当に大変な夏となりましたね。
私は毎年8/15を日本ではなく韓国で過ごすので、日本に住んでいたときよりもいろいろな考えが頭の中に浮かぶようになりました。
イクミさんのおっしゃられているように、憎しみは憎しみしか呼ばないって思っています。
韓国からすると8/15日本の敗戦し国が独立できたうれしい日となります。ニュースでは日本に対する過激な内容が流れてくるのでこの日はテレビもインターネットもあまりみたくありません。。去年から最悪の日韓関係ですが、互いに嫌なやり方をして傷つけ合っているかのような。。。
これではずっと永遠に堂々巡りでしょうね。
アメリカの911のテロだって、なぜテロリストがあのようなことをするに至ったのか考えたら、テロリストに報復するやり方じゃなくtr
対話すればいいのに。。などと言うと世界はあまりに複雑でそんな簡単なことでは済まされないって笑われますが。。。
コロナウイルスにしても世界中の知識をみんなで分け合って一緒に解決できたらいいなと願います。

前回のお盆の投稿も読みました。コロナのため日本にいったいいつ帰国できるのかまったくわからなくなり、お盆もお墓参りもなんにも叶わないので、心の中で想う気持ちを持てば亡くなった人に通じるということで、とてもありがたい気持ちになりました。
イクミさんにお聞きしたいことがありまして。。
なくなると霊界でどのように過ごすのかをイクミさんのブログ、シルバーバーチをはじめ、江原さんのお話も結構好きで読みながら学んでいます。
亡くなった人は修行で忙しく、あまり地上で懐かしがってしょっちゅう思い出したりすると修行の邪魔にもなるし、いつまでも成仏できないとか、
修行が進むとどんどん高い世界に行くので、そうなると地上でいくら思い出しても思いは届かないとありました。そうなると、いつかは、(私の場合は亡き父です)私がいくら思い出しても、父には届かなくなる=会えなくなってしまうのでしょうか?なんだか日本語が変でわかりにくくなってしまった気がします、申し訳ありません!
私の父は仏教を信仰していましたので、今頃きっと毎日祈りにせんねんしているから逆に私がこうして毎日心の中でお父さんお父さん言っていると邪魔なのかも。。と考えてしまいます。

Chee さんのコメント...

栗男さん

有難う御座います。宜しくお願い致します。

ちひろ

イクミ さんのコメント...

Kokoro様

こんばんは。
ブログを引き続き読んでいただき、ありがとうございます。
韓国と日本は近隣の国なのに、関係が良くありません。
戦前のことが尾を引いているのでしょうが、お互いに意地を張っているために、変わろうとしません。
年代が上に行くほど日本人は韓国人に対する優越意識を持っているようであり、それは改めないといけないと思います。
9.11テロに関しては、あなたと全く同意見です。
アメリカは因果律の働きを知らないのか、それとも知っていても無視しているのかのどちらかでしょう。
憎しみや恨みの想いが原因で、あの惨事を引き起こされたのですが、結果だけをみています。
コロナは自国の問題としてではなく、地球全体の問題と捉えた方が、早く収束すると思います。

ご質問の件ですが、亡くなった人は霊界で向上進化していることは確かです。
シルバーバーチは地上の人と波長が違い過ぎるために、インディアンの媒体を介してメッセージを伝えなければいけませんでした。
別のところで、地上の人から自分に向けられた愛念を、うれしく感じていると言っています。
あれほどの高級霊であっても、地上に人の想いは届いていることになります。
従って、霊界にいる人に、地上の人の想いが届かなくなるはずはありません。
けれども、1つ条件があり、両者の間に親愛の想いがなければいけません。

霊界において、何よりも優先されるのが愛です。
自分を必要としている人の元に駆け付けるのは当たり前です。
高い界層にいる人ほど、自分の向上を犠牲にしてまで、何とかしてやりたいと思うでしょう。

懐かしがってしょっちゅう思い出したりすると修行の邪魔にもなると言うのは、地上的な考えであり、うれしく感じていると思います。
ただ、失った悲しみのあまり、生まれて来た目的を果たせなくなっているようであれば、心配して地上近くに留まり、霊界に行くのが遅れてしまうことはあると思います。

どんなに高い世界に行ったとしても、愛で結ばれている限り、再び会うことが出来ます。
自分の愛する者が、いつまでも忘れずにいて、度々思い出してくれるのを、どうして邪魔だと思うのでしょうか。
悦びとして感じているのに決まっています。

ナオヤ さんのコメント...

皆様

もうコメントしないと言ってしまいましたが、コメントさせてくださいm(__)m

正直、コメントを見るのが怖かったです。逃げてしまいました。。ごめんなさい。(就活の面接が続いたのでそれどころではなかったというのもありますが、、)

私自身が自分自身の弱さ、脆さはよく分かっています。そして、私こそ、皆さんの優しい言葉に今一番救われていると思います。温かい言葉、本当にありがとうございます。

私もシルバーバーチの優しい言葉、はじめて読んだ時、すごくすごく嬉しかったです。
今思うと大した辛さでもなかったかもしれないと思うこともありますが、霊訓に出逢う前、頑張って頑張って頑張って、それでも報われないこと。頑張っていることを笑われる辛さ。傷ついていることを分かってもらえない辛さ。好きな人と別れることの辛さ。風呂に入る時に冬でも外で着替えなければならない辛さ笑。ご飯が肉ばかりでお腹いっぱい食べられない辛さ笑。(寮だからですね。シルバーバーチの言う通り、今普通に風呂に入れてご飯を食べられるありがたさが身に染みます笑)その時にも、”今起きている辛いことから教訓を学んで次に生かすしかない”と思っていましたが、それでも辛いものは辛いですよね。。霊訓に出逢うことが出来なかったら、私も押し潰されていたと思います。
だから、他者に優しくすることは大切なことですね。

ただ、どう優しくすれば良いのか、すごく悩みます。患者さんの中には、自分なりに気をつけて優しい言葉を掛けたつもりでも、”お前に何が分かる”と考える方や、”病人だからって可哀想だと思わないでほしい”と考える方もいらっしゃる。

難しいですね。。包容力が欲しいです泣 だから、包容力に関して、イクミ様を見習いたいなと思っていました。身近なところでは看護師さんが上手です。では、どうすれば自分に包容力がつくのかと考えますが、正直これに関してはさっぱり分かりません。


長い論争になってしまいました。私も何日かに分けて考えてみました。でも私の結論は変わりませんでした。ごめんなさい。皆さんやシルバーバーチの言うように、人それぞれ個性や欲しているものが違い、各々が各々の責任で選んでいくものだと思います。だから、反論したくなってしまうかもしれませんが、どうか若輩者の戯言として流していただければ幸いです。

やはり私は、自分で自分を変えることは苦しいけれど、挑戦する価値のある楽しいことだと思います。人生における試練はたくさんあるけれど、工夫の余地はたくさんあると考えていきたいです。

私は外科の先生が苦手ですが、(素晴らしい先生ももちろんいらっしゃいますよ)回診の際には、すすんで包帯交換や用具の出し入れをするようにしています。すると外科の先生や看護師さんが喜んでくださり、その場の空気が和みます笑 そして外科の先生も私に対して優しくなります笑 優しさは最強です笑

自分が優しくしたところで、他者が変わるかどうかは分からない。でも、優しさはそうやって伝染していき、環境をわずかかもしれないが、変えていくこともあると思います。

もしかしたら、嬉しくなった外科の先生は家に帰っていつもより奥さんや子供に優しくなるかもしれない。看護師さんもいつもより同僚に優しくなるかもしれない。。さらにその優しさは伝染し、自分に返ってくるかもしれない。

分かりませんよ笑 分からないですけど、私は勝手にそんなふうに妄想します笑

ここで大切なことは、“外科の先生は嫌いだから手伝わない”ことを選択するのか、”外科の先生は苦手だけど手伝う”ことを選択するのか、は”私の”選択であるということです。

他者の言動を変えることは出来ない。だからそれは私の選択ではありません。しかし、自分の行動は自分で(限度はあれど)変えることが可能で、それは”私の”選択です。

青年牧師との論争で、シルバーバーチは、”その人は良い方向も悪い方向も選ぶ自由があったのを敢えて悪い方を選んだ。自分で選んだのです。であればその責任を取らなければなりません。”と言っていたと思いますが、私はこの選択もその一つの例だと思います。この積み重ねが大きなものとなっていくのではないでしょうか。

私は、父のことも苦手でしたが、”自分から”変わっていくことで、不思議と父も変わっていき、少しずつ笑いながら会話が出来るようになってきたと感じます。そして今まで見えなかった父の優しさや良いところを感じ取ることが出来るようになりました。親子の関係は難しい点も多々あるけれど、お互いいつ死ぬか分からない。だからこそ、悔いのないような関係を築いていきたい。

そんな風に、”自分を変える”ことで”幸せを掴んで”いきたいと思います。今は人間関係のことしか挙げませんでしたが、仕事についても工夫をして楽しいものにしていきたい。

そして自慢とかではなく、幸せに生きる姿を人に見ていただきたい。”あれ、何かこの人、素敵な人だなぁ”と行動を見て思ってもらいたい。そう思った人が、霊訓に興味を持ってくれたら素敵だなぁと思うし、シルバーバーチや守護霊も喜んでくれると思います。

長文失礼しました。

実は私もブログをはじめてかれこれ1年になります。霊訓についてのブログにするつもりが、すっかり勉強ブログになってしまいましたが、宜しければ。。https://namagaku.com

改めて今までありがとうございました。


イクミ さんのコメント...

ナオヤ様

おはようございます。
思い切って、返信をしていただきありがとうございました。

あなたもシルバーバーチの霊訓に救われた一人であり、共通の認識を持っていると思います。
学生時代につらい思いをされたことは、自分を変えて行くために必要であったと同時に、これから仕事をするの上で活かされると思います。
人の痛みやつらさが判る医者が、患者さんの気持ちに寄り添うことが出来ると思うからです。
医者に求められるのはスキルです。
私の知り合いの先生のオフィスに額に入れた言葉が飾ってありました。
それは「鬼手仏心」でしたが、心に残っています。

医者がかける優しい一言、前向きになれる一言によって癒され、気持ちが変われることがあると思います。
どんな薬よりも効く時があると考えています。

優しさは愛の表現の一種だと思いますので、言われるように伝播して行くと私も思います。
世の中を少しでも良い方向に変えようと思ったら、まず周りの人に親切に優しくすることから始めなければいけないのかもしれません。
嫌いな人ほど良くするように努める、神の摂理に適った行動をされたと思います。

幸せに生きる人の姿を、皆さんも見ていないわけではないと思います。
幸せに生きる人の定義は、いろいろあるでしょうが、私はありのままの自分で生きている人と考えています。
そんな人ほど、不幸のどん底にいて、魂が目覚めたのではないかとも思っています。

ブログを、早速見させていただきました。
一見すると、医療者を対象としたブログのようでしたが、「独り言」の中にあなたの伝えたい真理がちりばめられていましたね。
医学的な知識と真理の組み合わせは意外に感じるでしょうが、それが妙に説得力を持つのかもしません。
これからも、どうぞ続けて下さい。

匿名 さんのコメント...

ナオヤさま

おかえりなさい!!!
就活、お疲れ様です。

見ず知れずなのに、なれなれしくてすみません。
よっかた、よかった。本当に、おかえりなさい(笑)

いろんな経験して、人の痛みを知っている人は強いですよ。
どう優しくすればいいかではなく、自分だったらどのように接してほしいかだと思います。
でも、自分もナオヤ様と同じく、イクミ様のブログを見ていると、「あ~、そのように切り返しをするんだ~」と勉強になります。まだまだ、優しさに欠けている自分に気づかされる日々です。
本当に人の心に寄り添うって難しいですよね。(いろんな人がいる世の中だからこそなんでしょうが)
自分ができることを精一杯すればいいんだと思います。

自分がしたことは、自分に必ず戻ってくる(因果の法則)ですよ。
私は、観光業をしていますが、笑顔で接すれば笑顔で話しかけてくださる方もいますので、
今、ナオヤ様がされていることは、本当に大切なことだと思いますし、見ている方はちゃんと見てくださっています。温かいオーラが出ていると思うので、日々続けていけるかどうかだと思います。年齢を重ねたって出来ていないことが多々あります。まだ、若いうちからそのように思えることって、素晴らしいことだし、自分はできなかったのでうらやましい限りです。いろいろなやまれているかもしれませんが、しっかり、霊的成長の道をたどっていらっしゃると思います。(偉そうにすみません…。)

また、ブログの公開もありがとうございます。
参考にさせていただきます。

差し出がましくお思いでしたら、すみません。
ただただ、うれしかったんです。ごめんなさい。


イクミさま

新しい記事、ありがとうございます。
毎週日曜日にアップされるのでのぞかせていただいております。
そして、霊的真理を伝えていく仲間が戻ってきてくださって、よかったです。
これからも、学びの場・それぞれの意見交換の場を提供してくださることに感謝いたします。
日々の支えを、ありがとうございます。


えり

ラッパ吹き さんのコメント...

イクミさん、

悲しいことや不安がいくつもあって、耐えきれずにいます。知人が亡くなっていたとの知らせや、いくつもの心配ごとや不安なことがあってこの夏はことにつらいです。
本当にこの言葉にすがりたいです。頭でわかっていてもしかたないんですね。信じたい。実感したい。本当だったと驚きたい。喜びたい。

引用)
>「自分の中に神がいるので、乗り越えられないことはない」
>この世を生きる私たちにとって、最も大切な知識(真理)の1つです。
>心の中で繰り返し唱え、強く信じることで、怖れや不安がなくなり、内から湧き出す神の力によって、いかなる苦難であっても乗り越えられるはずです。
引用ここまで)

かつて悲しみのどん底でスピリチュアリズムとシルバーバーチに出会えて絶望から救われた私ですが、あれは悲しむ必要はない、という知識だけだったのかもしれません。
自分の中に宿る神の力を、無限の力を見出したい。
本当に、私にはそれが必要です。

いくつもの耐え難い悲しみや苦しみに苛まれ続けたビル・エヴァンスのつらさを想わずにいられません。

まとまりなく曖昧な書き方しかできずにすみません。お許しください。

ラッパ吹き

イクミ さんのコメント...

えり様

こんにちは。
気にかけていただいて、ありがとうございます。

そうですね。
笑顔には笑顔が返ってきます。
本文に出てきたガンジーも、微笑んでいる時が多かったようです。

コロナの感染者数が少し減って来たようですが、引き続き注意して、お仕事を続けて下さい。

イクミ さんのコメント...

ラッパ吹き様

こんにちは。
悲しみや怖れや不安が重なると、心が耐えられなくなりそうな時もあります。
そんな時は、外にいる神に助けを乞うのではなく、気持ちをしっかりと持って、自分の中にいる神を意識して下さい。
霊的真理で繰り返し言われていることですが、あなた自身も神なのです。
自分の中に神がいると信じられなければ、力は発揮されません。
悲しみや不安に意識を向けるのではなく、それを超越しているご自分の神性に意識を向けて下さい。
これは能動的な作業です。

ご自分を信じることが求められていると思います。
信じられたのならば、力が発揮されて、ご自分を救うことが出来るはずです。

ラッパ吹き さんのコメント...

イクミさん、
ありがとうございます。
頂いた言葉に言い知れない深さを感じます。まるで直接霊界から送られてきたかのような。

このタゴールの詩もそうだったのではないでしょうか。
自分の真の実在=魂を信じ、そこにある神の力を見出す。それはシルバーバーチもおっしゃっていたように容易なことではない。しかし、どうしてもどうしても私にはそれが必要です。
守護霊の「補助輪を外す愛」なのかもしれません。父が子を信じて黙って見守るような厳しく強く暖かい愛に感謝します。

以下、当イクミさんブログ、2020年4月19日日曜日の「こんな時だからこそ」より、引用)

「危険から守り給えと祈るのではなく、
危険と勇敢に立ち向かえますように。

痛みが鎮まることを乞うのではなく、
痛みに打ち克つ心を乞えますように。

人生という戦場で味方をさがすのではなく、自分自身の力を見いだせますように。

不安と怖れの下で救済を切望するのではなく、自由を勝ち取るために耐える心を願えますように。

成功のなかにのみあなたの恵みを感じるような卑怯者ではなく、失意のときにこそ、あなたの御手に握られていることに気づけますように。」

(ラビンドラナート・タゴール『果物採集』より 石川拓治訳)

Chee さんのコメント...

遅くなりましたが、有難う御座いましたm(_ _)m咳が大分良くなっています!自分を整え、周りを癒せるようになりたいです。
お二人ともご自愛ください。

ちひろ

イクミ さんのコメント...

ラッパ吹き様

こんにちは。
そうですね。
タゴールの詩も同じことを言っています。

神は、つらくても前に進んで行くことを望んでいるように思います。
留まっていると、川の流れに逆らっているように、抵抗(苦しみ)を感じると思います。

ラッパ吹き さんのコメント...

イクミさん、
これは、いったい何なのでしょう。。。
私はそんなことは一言も書いていないし、私自身もそんなことは思ってもいなかったのに。

一瞬虚を突かれて、しかしそれがまさに図星だった、ような。

あまりに生きづらくて荒立てず波風立てないように自分を偽り押さえつけて、先行きにたくさんの不安要素が見えて私に支えられるか持ちこたえられるかが心配で頼る人もなく。
そうして縮こまり首をすくめて耐えて耐えて生きていても、あるいは意図せずあるいは意図して他者に侵害され踏みにじられて、これは何のため?と頭を抱えて。
困難と必死に戦っているつもりでしたが、留まって神の恩寵の流れに抵抗していただけだったのか。。

ビルがハリーとの動画で言っていました「すべてはとても面倒見切れない。」

そんなすべてを、私は前に進まないためのexcuse にしていたのか。その「前」とは何なのか。神にGo ahead! と言われて頭に何が浮かんだか。

ひとつしかありません。
それをしなければ、死ねない。
それができないなら、今この世に生きている、生かされている意味がない。

イクミさんを通してインスピレーションを送ってくれたのは、いったい誰なんでしょう?

ありがとうございます。
私の中の内なる神の力を、美と真実を見出すことが叶いますように。それを人々と分かち合い、ともに喜び合うことが叶いますように。

ラッパ吹き

イクミ さんのコメント...

ちひろ様

こんばんは。
どうされたかと思っていましたが、だいぶ良くなって来たのであれば、うれしいです。
癒せるようになりたいと思っていれば、必ず実現すると思います。
また、何かあれば連絡して下さい。

イクミ さんのコメント...

ラッパ吹き様

あなたを救うのもあなたであり、あなたを苦しめているのもあなただと思います。
人は成長するためにこの世に生まれて来ています。
忌まわしい過去に捉われて、進めなくなっているあなたを心配している守護霊からのインスピレーションかもしれません。

ナオヤ さんのコメント...

イクミ様

>幸せに生きる人の姿を、皆さんも見ていないわけではないと思います。

ここは誤解のないように敢えて明確に否定させていただきますね。おっしゃる通りだと思います。皆さんが幸せに生きる人の姿を見ていないとは全く思っておりません。それはあまりに傲慢だと思います。

> 幸せに生きる人の定義は、いろいろあるでしょうが、私はありのままの自分で生きている人と考えています。
そんな人ほど、不幸のどん底にいて、魂が目覚めたのではないかとも思っています。

シルバーバーチも言っていますね。深く沈んだだけ、上に登ることが出来ると。私も僭越ながら自分の経験からそうだと思います。

ブログは今のところ医療者向けにしています。いや、自分向けかもしれません^^;診療中に「あれ、何だったっけ?」となった時にカンニングに使ったり、後輩に教える時に使ったりしたいなーなんて思っています笑 でも願わくは、医療者の方が真理を知るきっかけになれば良いなと思っています。


えり様

いえいえ、本当に嬉しい言葉、ありがとうございますm(__)m

今の言葉で何だかもう国家試験まで頑張り続けられそうです笑

「お客様に笑顔で接する」、すごく良いなぁと思うし素敵だなぁと思います。

これも決して小さなことではなく、目の前の現実を変えていく具体的な取り組みなのだと思います。その結果としてお客さんにも愛される宿になっていくのだろうなぁと思います。

面接官の1人に看護師長さんも居ましたが、笑顔でこちらの話を聞いてくださったので、こちらも笑顔になってしまいました。すごく話しやすいですよね。

母はよく、子育てした女性の底力を舐めるなよ〜世界は実はおばちゃんの力で回ってるんだぜ( ̄∇ ̄)と言っています笑

宅急便のお兄さんから玄関で荷物を受け取る際に、母が応対して”いつもお疲れ様”と言うとお兄さんもすごく笑顔になって帰っていきます。(私が応対してもそうはなりません^^;)

そんな時、すごいなぁと思うとともに、そうだよなぁ、やっぱり自分1人で何でも出来るわけじゃないよなぁとちょっぴり寂しく、でも嬉しくなります。

きっと自分が出来ないことに関してはやってもらったらありがとうと素直に言えば良いのだと思います。その代わり私はこれが得意だから困った時は助けるねと。そうやって世界は回っているんだよと教えられたように思いました。

てる さんのコメント...

ナオヤさま

コメントに戻って来て下さって、ほっとしました。

霊訓からは少しずれてしまうかもしれませんが。

息子の赤ちゃんの頃からの主治医の先生が、とても素晴らしい医師です。
息子は、小さい頃とても身体が弱く、毎月病院に通っているような状態でした。
血管性紫斑病にもなったり、初めて聞く病名に、親としてはとても不安になったり。
でも、その先生は、どんなに忙しくても、どんな時も、常に穏やかに優しく子供にも親にも接してくださり、親の質問にも丁寧に答えてくださる、とても患者に安心感を与えてくださる医師です。いつも、息子の顔をみて、どんな表情の時には息子の状態がどんなふうなのか、データだけではない所で、患者に向き合ってくれている。その事が与えてくれる信頼感と安心感は、本当に大きなものです。

私の大切な方は、とても稀な白血病でした。その時の主治医は、診察の度に、血液検査のデータをみるだけで、身体の変化、圧迫感だけだった場所に痛みが生じ始めた等を訴えても、ほぼ触診することもなく、あまりの痛みに救急に駆け込んだ結果 臓器の壊死が始まっていました。

彼がいつも「データをみるだけで、触診して確認してくれないが、大丈夫なのか」と不安を抱えていたことを想うと今も悲しくなります。

患者さんも、勿論良心的な人ばかりではなく、これからお医者様としてナオヤさんが沢山の苦悩や葛藤を抱えていかれることもあるかもしれませんが、どうか、患者さんの心に寄り添うお医者様になってくださいね。
こんなに、真っ直ぐに御自分と向き合う事ができるナオヤさんなら、きっとそんなお医者様になれると想います。

誰にも守護霊さんがいて、いつも見守っくれているから、絶対に一人ぼっちではないけれど、この世を生きている人にも、必ず自分を想い心配し、気にかけてくれている人がいます。それは、すぐ近くにいる人かもしれないし、遠く離れている人かもしれないし、こんな風に、逢った事もない人かもしれません。

「人に迷惑をかけないように」との言葉があります。
勿論、故意に迷惑をかけることや、悪意に満ちた迷惑はいけませんが、生きている限り、誰でもお互いに、迷惑をかけたりかけられたりしているのだと想います。(自分の意図しない所でも)

だからそこ、きっと、「ありがとう。ごめんなさい」が言えること。助けて貰ったら、助けてあげられる人になること。沢山の人の支え(色々な職種の方がいます)で、自分が生きている事を、いつも、心のなかにもっていたいと、思っています。

何を言いたいのかまとまらなくてごめんなさい。

「ナオヤさんなら、きっと大丈夫☺️」

とお伝えしたかったのです。

ナオヤさんへの個人的なコメントを書かせていただいてしまいました。

イクミさん、いつも、優しい
言葉をありがとうございます。

匿名 さんのコメント...

ナオヤさま

またまた、すみません。
イクミ様、コメント欄、お借りさせていただきます。

ナオヤ様の

・「やっぱり自分1人で何でも出来るわけじゃない」

・「きっと自分が出来ないことに関してはやってもらったらありがとうと素直に言えば良いのだと思います。その代わり私はこれが得意だから困った時は助けるねと。そうやって世界は回っているんだよと教えられたように思いました。」


まさにその通りだと思います。

そのように思える、ナオヤ様は素晴らしいです。
うらやましい限りです。(羨ましがってはいけないのですが)

わたしも、若いころにシルバーバーチを一度手元に置いたことがありますが、訳が分からず手放し、
また30代後半で反省と涙とともにこうして舞い戻って、やっと人生スタート仕切り直しを歩ませていただいております。
若かった、というよりは、知識が伴わなかったといっのです。好き勝手、自分勝手利己主義でした。
子育てして、少し変わったこともあるでしょうが、やはり、今のままの自分ではだめだと思ったことが一番のきっかけで、そこに目に見えないぞんざいが後押ししてくださって、今、こちらのブログの皆様と勉強させていただいていると思っております。

ナオヤ様のお母様も素晴らしい方ですね。
近くにお手本がきちんといらっしゃる。
このことに気付けるって、本当にすごいことだと思います。

私の職場にも、きちんとお手本を示してくださる方々がいます。
自分に足りないところ、こういう時はこのようにしたらいいんだとヒントをくださいます。
(直接言われるわけではなく、自分がそう思うのです。)

職場では、自分一人で頑張っているわけではないですし、
その日のメンバーで回していかねばならないことも多々あるので、
皆様のおかげ様でその日が無事に終わると思っております。
そこに、自分ができることをプラスしていけばいいわけだと今は思っております。
今は、意地を張らずに、自分ができるところをやるから、私のときも手助けしてねって言ったりもします。お互いさまということなんですよね。
恥ずかしながら、これに気付くのにものすごく時間がかかったんです。
本当にバカなんです(涙)

でもね、こちらのブログを見て、自分だけが悩んでいるわけではないし、みんな自分と戦ってるんだなって。だから、みなさま、本当にありがとうございます。自分も、まだまだですが、自分ができることをして霊界に帰れたらと思います。



イクミ様がおっしゃられている「愛」ですよね。
愛のある行動は、実を結ぶってことですし、
愛のある行動をいやだと思う人はいないということですよね。
みんな、優しくされると嬉しいですもんね。


真理を知っている、すてきなお医者様になられて、世の中を明るくしていってください。


長々と、失礼しました。


えり

ラッパ吹き さんのコメント...

イクミさん、

「忌まわしい過古に捉われて、」
これを読んでギョッとしました。
何を指しているのか、考えて考えて、考えて。。

確かに近ごろふと昔のことが浮かんできて考えていることが多くなりました。その度に、本当によく今まで生きてこられたと、守護霊と背後霊たちの導きと支えがあったことに驚いてきました。奇跡的に救われたことが何度もありました。

幼い頃、母が重病に陥って奇跡的に間一髪のところで助かったことがあります。開けるのが30分遅かったら助からなかったかも知れない、と祖父は後で医師から言われたそうです。

苦しくてやっとたどりついたかかりつけの医院でとうとう立てなくなり、急遽運び込まれた外科病院では別の方の手術が終わったところで、「丁度そのままになっているからすぐに切りましょう。」とすぐに手術になり、虫垂炎だろうと開けてみたら「あっ違う。ピンク色で綺麗なもんだ。」と医師たちが話しているのを母は聞いていたそうです。部分麻酔で始めたからです。

それからどこだどこだと先生方の探索が始まって、全身麻酔にして、、、
私はすぐに終わるからと聞かされていたのに、それから何時間も延々と終わらず「手術中」の赤いランプを何度見たことか、、後から聞いたのは、卵巣のひとつが腫れて赤ちゃんの頭ほどになっていたと。破裂寸前で、間一髪だったと。

あの時母が死んでいたら、私は今生きていません。父には私と弟を育てることはできなかったはずです。祖父もそれをよくわかっていて、亡くなっていた祖母に「今あの子が死んだら俺一人でこの男の子二人は育てられない。だから、どうかまだ連れて行くな。」と祈っていたそうです。

今の病院のように検査していたら、、と思うとぞっとします。運び込まれたのが職人気質の腕の良い外科医の先生方の病院で、たまたま手術室がスタンバイできていて、、、奇跡だったと、祖母と守護の霊が救ってくださったのだと。

すみません、長々と。
これも深く刻み込まれた私の過古の記憶のひとつなんです。
それが長くずっと記憶に引っかかっていて、昨年だったかそのお世話になった病院の名前が叔父の言葉からわかって、見つけ出して行ってみました。休診日でしたがあの時の風情が確かに残っていて、やっと心の気かがりのひとつに優しく折り合いをつけることができた気がしました。

すみません、支離滅裂になっているのを自分でも感じます。。

何故なんでしょう。イクミさんから思いもよらない言葉が出てくるのは。
私がお伝えしていないようなことや、ご存知ないはずのような方向から。

「忌まわしい過古に捉われて、進めなくなっている」という言葉、大きな意味があると感じるのに、頭に渦巻いていてまだ形をなしてくれていません。
霊界の誰かからのインスピレーションなのだとしたら、もし叶うことなら、イクミさんが何を感じられているか、感じたままに教えていただけないでしょうか。
どうか、お願いします。

ラッパ吹き

イクミ さんのコメント...

ラッパ吹き様

こんにちは。
過去に、その様な出来事があったのですね。
幸運なことが重なり、命が助かったのですが、向こうに行く時期ではなく、霊界の配慮もあったのではないかと思います。

子供の時の経験が、後の人生に大きな影響を与えることがあります。
そして、幼いゆえに表現出来なかった、不安や怖れの想いが溜まっていることがあります。
それが何だか判らずに、漠然とした不安や怖れとして感じることがあります。
いわゆるトラウマと呼ばれるものです。
お母様の手術中の時もそうかもしれませんが、お父様との関係も原因となっている可能性があります。

幼い子供は、親に守られ、愛情を受けながら成長して行きます。
あなたの場合は、自分を守ってくれるべきお父様が、不安や怖れを感じさせる対象になっていたと思います。
親から愛情を注いでもらい、幼い子供は安心感を得ます。
そして、生きることが肯定されます。
幼い時に、十分な愛情を受けていないと、守られていないと感じ、不安に襲われます。
無防備だと感じてしまうので、人を怖れたり、警戒したり、自分を過剰に守ろうとして、周囲に虚勢を張ったり、攻撃的になったりする時もあると思います。
愛されない、認められないのは自分のせいと、自分を責めたり、否定してしまったり、頑張り過ぎてしまう人もいると思います。


幼い時の混乱が、今も尾を引いていている可能性があります。
その時に誰にも言えずに、溜まっていた不安や恐怖、そして憤りの想いが、その後の人生で想起させる出来事によって、表出している可能性があります。
理由もなく不安になったり、怖れたり、憤りを覚えたとしたら、そのせいかもしれません。
その時の自分は必死に助け(救い)を求めていて、それが今も続いているのかもしれません。

今、感じている生きづらさ、不安や怖れ、そして憤りは、過去の出来事から生じていたのかもしれません。
感じるままに書きましたが、失礼があったらお許し下さい。

イクミ さんのコメント...

ラッパ吹き様

こんにちは。
過去に、その様な出来事があったのですね。
幸運なことが重なり、命が助かったのですが、向こうに行く時期ではなく、霊界の配慮もあったのではないかと思います。

子供の時の経験が、後の人生に大きな影響を与えることがあります。
そして、幼いゆえに表現出来なかった、不安や怖れの想いが溜まっていることがあります。
それが何だか判らずに、漠然とした不安や怖れとして感じることがあります。
いわゆるトラウマと呼ばれるものです。
お母様の手術中の時もそうかもしれませんが、お父様との関係も原因となっている可能性があります。

幼い子供は、親に守られ、愛情を受けながら成長して行きます。
あなたの場合は、自分を守ってくれるべきお父様が、不安や怖れを感じさせる対象になっていたと思います。
親から愛情を注いでもらい、幼い子供は安心感を得ます。
そして、生きることが肯定されます。
幼い時に、十分な愛情を受けていないと、守られていないと感じ、不安に襲われます。
無防備だと感じてしまうので、人を怖れたり、警戒したり、自分を過剰に守ろうとして、周囲に虚勢を張ったり、攻撃的になったりする時もあると思います。
愛されない、認められないのは自分のせいと、自分を責めたり、否定してしまったり、頑張り過ぎてしまう人もいると思います。


幼い時の混乱が、今も尾を引いている可能性があります。
その時に誰にも言えずに、溜まっていた不安や恐怖、そして憤りの想いが、その後の人生で想起させる出来事によって、表出している可能性があります。
理由もなく不安になったり、怖れたり、憤りを覚えたとしたら、そのせいかもしれません。
その時の自分は必死に助け(救い)を求めていて、それが今も続いているのかもしれません。

今、感じている生きづらさ、不安や怖れ、そして憤りは、過去の出来事から生じていたのかもしれません。
感じるままに書きましたが、失礼があったらお許し下さい。

ラッパ吹き さんのコメント...

イクミさん、ありがとうございます。

トラウマ、私も何度もそれを思ってきました。そして、生きづらさを過古のトラウマやアダルトチャイルドと見るのは単なる甘えだという、一見厳しくまっとうに思える言葉になびいてしまっていました。

しかし、今この歳になっても思春期の子どものように頭を抱えてのたうちまわっているのはとても尋常ではありません。

実は、早期定年退職のオファー(有り体に言えばリストラ)を受諾してからずっと、幼い頃の記憶をたどって頻繁にあちこち延々と歩き回っていたんです。はたから見たらまるで気が狂っているように見えたと思います。

生まれた町、そこにあった小さな小さな家が無くなっていることはすでに以前に訪れて知ってはいましたが、それ以上にひどく様変わりしていて、近所を歩いても面影はほとんど無く。わずかに、子どもの足には遠い遊び場だった小さな神社があの頃の姿を残していました。

引っ越した後の実家はもう無く(これも愚か者の父のせいです)、近所もすっかり変わってしまっていて寂しくて、そこから小学校や中学校への通学路もなんどもなんども繰り返し歩いてあたりを食い入るように見入って噛み締めて感じようとして、でも僅かな本当に僅かな、打ち捨てられたバラックのようなうらぶれた悲しいものしか残っていなくて、ただただつらい思いをしただけでした。

良い思い出の少ししか無い父の実家には、幼い頃の突然の祖父の葬式に急遽暗い寂しい夜につれていかれた思い出をたどって、その駅まで行ってみました。書きたくないあの時の大人たちの嫌な言葉が蘇ってきます。

子どもの頃のお盆には必ず行っていて祖父や伯父が素朴に親身に暖かく優しくもてなしてくれた母の実家にも、やっとその機会がもてた時に母と叔父に頼んで駅から自分の足で歩いて行きました。あの頃の、夏の終わりののどかで優しい空気は、車も何もなく静かで、時間が無いようなあの頃の安らぎはもうありませんでした。

何なのでしょう。
コロナで動けなくなるまで、本当にそんなことばかり延々としていたんです。
だから、なんです。イクミさんの言葉にギョッとしたのは。

それほど歩き回っても、探しても探しても、あの頃の安らぎはもうどこにも残っていなかった。
真の安らぎは、自らのうちにある神の国(マタイの福音書)にしかない。それを思い知るためだったのだと思って、そう納得しようとしていました。

すみません、読み返してみても狂人の書いた文章のようですね。

わからないんです。
「忌まわしい過古に捉われて、進めなくなっている」
私が狂ったように延々と歩き回ってきたのは、それに”落とし前をつける”ためではなかったか。私はそう感じてそう思おうとしていました。
まさに私が私自身の「忌まわしい過古」に決着をつけて、自分の中の真の自己の示す方向に進むためではなかったか。

霊界からのインスピレーションが、今もまだその忌まわしい過古に捉われて進めなくなっている、ことを心配してのものだとしたら、それは何を指しているのか、「もうそんなことはやめて前を向け。歩き出せ。」と言っているのか。
やっているつもり、必死にやっているつもりなんです。

「過去のページはすでにめくられ、二度と元へは戻せないのです。生命の書は常に新しいページをめくるのです。その日その日のために生き、昨日のために生きてはいけません。明日刈り取る収穫のタネを蒔くのは今日なのです。」
(シルバーバーチの霊訓 十 9章人生は霊的巡礼の旅 p166)

イクミさん、本当にすみません。
わからないのです。。

ラッパ吹き

イクミ さんのコメント...

ラッパ吹き様

以前ですが、インスピレーションによって伝えられたことがあります。
それは、幼い頃の出来事によって生じた表現できなかった想いによって、身動きが出来なくなったり、病気になったりすると言うことでした。
後で、それがインナーチャイルドの概念であることを知りました。
霊的真理を学んでいた私にとって、インナーチャイルドの概念は信憑性に欠けると感じていましたが、今はそのようなこともあると思っています。

あなたは昔住んでいた町で、何かを探し求めていたと思います。
それは幼い頃に、求めていたものと感じました。
癒されていない幼い時の自分がいるのですが、今の自分がそれをもてあまし、どうすることも出来ないでいます。
幼い時の自分が渇望していたものを、今の自分が必死に見つけようとしているのですが、それが何なのか判らないのだと思います。

幼い時の自分が癒されることによって、今の苦しみが和らぐ可能性があります。
お勧めしていることがありますが、方法は至って簡単です。
あなたが1番つらかった時に近い写真があれば、それを用意して下さい。
その写真に写る自分に向かって、自分が1番の親友だと思い、慰め、励まし、労わる声をかけて下さい。
「大丈夫だから安心して」、「良く頑張ったね」など、ご自分で思い付く言葉で結構です。
ありったけの愛情を込めて、語りかけて下さい。
そして、目をつむり、心の中で幼い時の自分を思い切り抱きしめて下さい。
その時の自分が求めていたものを、今の自分が与えてやることになります。
上手くすれば、内に溜まっていた想いが、涙となって解放され、苦しみが和らぐと思います。

あなたに罪はないので、神は解決策を用意しているはずです。
自分を救うのは自分です。
適応かは判りませんが、騙されたと思って、少し続けてみて下さい。

ぎろ さんのコメント...

ラッパ吹き様

こんにちは。
ラッパ吹き様のコメントを見て、私もいくつか重なるところがあり驚きました。
シルバーバーチの霊訓は普遍性がありますが、イクミ様のブログもラッパ吹き様のコメントも
同様に普遍性があるのだと思います。

私は幼い頃に、父からは(この表現は大変いけないものですが)「お前は女の腐ったようなやつだ。」とか、
母からは「お前は社会で生きていけない。」と言われてきました。
イクミ様のコメントに「親から愛情を注いでもらい、幼い子供は安心感を得ます。そして、生きることが肯定されます。」
という一文にギョッとしました。つい最近までずっとずっと何かあれば自分を責めて、否定し続けていたのは
やはり・・・と思いました。

ラッパ吹き様、私も幼い頃に育った町を記憶をたどって巡ることがよくあります。
やはり幼いころに住んでいた家は跡形もなく、知らない道路が出来ていたり父がやってくれたキャッチボールを
した広場はなく・・・それでも、わずかに記憶が残る母が笑顔で手をつないで歩いてくれた道をみて涙が出たりはありました。
ラッパ吹き様とは状況が違うかもしれまんが、ラッパ吹き様が書かれた内容は狂人とはとても思えません。
イクミ様がおっしゃるように何かを求めて町に戻っていたんだと思います。

数か月前ですが、youtubeの内容にインナーチャイルドと統合しなさいという内容の下りを見る機会があり、
イクミ様同様、霊訓にインナーチャイルドの下りはなかったように思うので、「なんだそりゃ?」としか思いませんでした。
しかし、そのうちあまりに自分が嫌いで自分を否定し続けるのがつらくなり、イクミ様がご教示されたように写真を
用意したわけではないのですが、瞑想の中で幼いころの自分を暗闇の中で思い描き、辛そうにしている幼い自分に肩に手をあてて、
優しく語りかけました。「今もこれからしばらくいじめられたり、辛い思いをするかもしれないけど大丈夫だよ。
あなたは優しい子だね。そんなあなたのことは私は大好きだよ。」そう言った後、幼い自分を抱きしめました。
今も泣きそうですが、その時は涙があふれて止まりませんでした。何か全てが温かいものに包まれていたような気がします。
その時は涙の意味がよくわからなかったのですが、イクミ様の「内に溜まっていた想いが、涙となって解放され、苦しみが和らぐ。」
の一文を見てそうなのだと判りました。とても不思議な体験でしたが、自分に向き合うとかインナーチャイルドと
統合するとかはそういうことかもしれません。

ラッパ吹き様はおそらくご自分でご両親を選ばれたかと思います。私はなぜこのような性格の合わない両親を選んだのか
不思議に思っていましたが、そのような親を選んだからこそ自分に向き合う機会が与えられ学ぶことが出来たのだと思います。
その意味で両親に感謝しています。配慮して下さった大霊や霊の方々に感謝します。
的を得てないコメントかもしれませんが、わずかでもラッパ吹き様のお役に立てれば幸いです。

ラッパ吹き さんのコメント...

イクミさん、ありがとうございます。

私にはそれが本当に必要なのだと思います。昨夜やってみました。

エリザベス・キューブラー・ロスも、幼い時の悲しみと怒りが50年近くを経てあることがきっかけになって突然噴出し、8時間泣き通したそうです。
(愛して可愛がっていたウサギを父が命じて肉にして食べた、その悲しみと怒りの思いをきつく封印していたんです。)

私にはまだ何がそれに当たるのかいつのことなのかを思い出せていませんが、続けてみます。

実は、かなり昔もう20年くらい前でしょうか、文章を書くことについての本を読んで、頭に浮かぶことをそのままに邪魔せずに書くというやり方で、書きながら涙が溢れて泣き崩れてしまって、怖くなってやめてしまったことがあります。
「小さな男の子がいる。泣いている。…」そんなことを書いたと思います。

今これを書いていて、あの時の気持ちが蘇ってきました。。

両親は職人で仕事に追われていましたから、ハイハイや歩き出した頃の私を仕事中仕方なくヒモで柱に結わえつけていたと母から聞いています。仕事場には針やハサミやミシンやアイロンやがあって子どもには危険だったからです。

幼くて覚えていませんが、赤ん坊の私が肌の触れ合いを求めて泣いても、それがなかなか得られ無かったのは想像できます。

すみません、こんな自己分析をしても辛くなるだけなのはわかっていますし、それが正しいかもわからないのですが、、どうか書かせて、吐き出させてください。。

私は、得られなかった肌の触れ合いと心の触れ合いを常に求めていたような気がします。
母にとって私はお人形さんだったんです。着せ替え人形。。自我が芽生えてからはぶつかることが多くなりました。
私の思いは理解してくれなかった。「どうして普通にできないの。あんなに素直ないい子だったのに、こんなに悪たれて。」かつてよく母に言われた言葉です。

思い通りの素直で可愛いお人形であれば、波風は立ちません。

そして、思えば妻にとっての私もお人形さんだったんです。自分を飾ってくれる、語りかければ思い通りの反応をしてくれるお人形。夫や父親という役割の、素直なお人形。
妻もまったく同じことを言いました。「どうしてそんなこと言うの?」
「どうして他のお父さんたちのように普通にできないの。勝手なことばかりして!」

自分に素直に生きること、真の自分が求める生き方をすることが否定され、反感を買い、踏みにじられる。
同じことを繰り返している気がします。

私の思いを伝えたくて、解ってもらいたくて、何度も何度も話して、それでも心が触れ合えていないと感じると、解ってもらえないと感じると、悲しくいたたまれなくなってあきらめてやめてしまうんです。

私が孤独なのはそれもあるかもしれません。解ってもらえないなら、ひとりでいる。。3歳の幼稚園児の頃から、私はそんな子どもだったようです。

すみません、また支離滅裂になってきました。。

幼い頃の私を抱きしめて、そのままでいい、思い通りに生きていいんだ。そう、ありのまま受け入れて、認めて、守ってあげること、続けてみます。

ラッパ吹き

ラッパ吹き さんのコメント...

ギロさん、
ありがとうございます。ありがとうございます。

同じ思いを味わった人がいる、この悲しみを知っている人がいる、と知ることがどれだけ暖かく大きな支えになることか。今それを再び感じています。

そうですね、両親は私の実在の本質である魂=大我がなにかを意図して自ら選んで決めて生まれて来ている、そうシルバーバーチもおっしゃっていました。
今の私には、まだそれは解りません。何かの意味があるはず、と知識として知っているだけで、心から納得できるものがまだ無いんです。

母に言わせると、私は一度でも裏切られたら決して許さない子だったそうです。受け入れてもらいたい、打ち解けたいと飢えるように切望していて、だからこそ信じていた人に裏切られた時にはその反動と絶望感が激しくて二度と信じることができなかった。

傷つけられることが恐ろしくてそんな自己防衛が強くなったのには、hspであることも影響していたかもしれません。

ギロさん、心に染み入る真摯な言葉を真っ直ぐに書いてくださってありがとうございます。
私も、幼い自分に寄り添って我が子のように慈しんで守り育ててみます。

ラッパ吹き

ぎろ さんのコメント...

ラッパ吹き様

ご返信頂き痛み入ります。
イクミ様のブログにありましたが、「一番近しい人に信じてもらえないことはとても悲しことです。
自分に一番近しい人は自分自身です。」
ラッパ吹き様に一番近しい方はやはりラッパ吹き様です。
ご自分に寄り添って信じて慈しんで下さい。
私はイクミ様のブログを通じて信じることで人との導線が太くなること、信じることは愛することと学びました。
ラッパ吹き様の問題はいつか必ず解決されると私は信じています。必ずです。

イクミ さんのコメント...

ラッパ吹き様

こんにちは。
私はシルバーバーチの霊訓が全てです。
そこに書かれていない「インナーチャイルド」を信じるようになったいきさつを少し書きます。
今から6年前に、ある末期がん患者さんが書いているブログが目に留まりました。
その患者さんのブログのコメントを通して、やり取りをしていた時ですが、私の心の中にある画像が浮かびました。
黒く丸い塊が、頸部の直ぐ上に付いている画像でした。
その画像から、黒く丸いのは思念の塊であり「ガンの根本原因は表現出来なかった想い」と言う解釈が直ぐに生じました。
思いもよらない内容でしたが、素直に伝えようと思いブログに載せました。(もちろん原因はそれだけではありません)
数か月後に、残念ながらその患者さんはお亡くなりになりました。

そして、別のガン患者さんのブログもなぜか目に留まり、シルバーバーチの霊訓を読むことを勧めるコメントを送りました。
その患者さんとのコンタクトはそれだけであり、私のブログを読むように勧めたわけではありません。
ただ、読んでもらっているとの確信があり、続きを書くように背後から促されていたようです。
その患者さんのガンの原因は、幼い時の不可避な出来事により生じていた強い想いであり、解放すれば治ると直感的に思いました。
解放するやり方については、心の中に浮かんで来た文言のままを、ブログに載せることにしました。(当時は霊界からのインスピレーションだと全く思っていませんでしたが、その患者さんに向けて書きました)
後で、インナーチャイルドの癒やし方と酷似していることが判りました。
その時点でのガンのステージは高く、しかも治療を一切拒否されていたので、医学的に治る見込みは全くなく、死を待つだけだったのですが、その数ヶ月後から状況は一転して治癒に向かい、今は健常者と同じ生活をされています。
ご本人もそうでしょうが、この結果に私も大変驚きました。
直接、お聞きして確かめたいのですが、未だに叶っていません。
この事実を前に、私は信じるようになりました。

子供の時のトラウマが、心身の病気に深く関わっていることは、科学的にも証明されているようです。
参考動画
https://www.ted.com/talks/nadine_burke_harris_how_childhood_trauma_affects_health_across_a_lifetime/transcript?awesm=on.ted.com_s04vz&utm_medium=on.ted.com-none&share=1dbdf455dd&utm_source=direct-on.ted.com&utm_campaign=&language=ja&utm_content=roadrunner-rrshorturl

ただ、対処法については、医学的に見つけられないと思います。

あなたにトラウマがあるとすれば何なのか、思い出せないのは物心がつく前の出来事だった可能性があります。
裏切られたら許さない、思い当たることがなければ、その個性は過去生の経験が関係しているのかもしれません。

病気、争い、貧困など、この世の全ての問題は、愛によって解決されると思います。
今のあなたが、過去のあなたを愛してやることで、魂が癒され、苦しみから解放されることを祈っています。

ラッパ吹き さんのコメント...

イクミさん、ありがとうございます。

TEDのプレゼンテーション拝見しました。

私もトラウマやインナーチャイルド、アダルトチルドレンの概念を初めて知った時は、これは!と感じて色々と探して学びました。しかし、その後にネットや巷で言われるインナーチャイルドの言説があまりにドロドロしてエモーショナルで自己憐憫に満ちたいい加減なものばかりなので、一時期のニューエイジのムーブメントと同じように幻滅して捨ててしまったんです。

でも、これは科学的にも冷厳な事実だと再認識しました。
恥ずかしながら、私のインナーチャイルドの癒しよりも私自身が子供たちにACEトラウマを与えてしまっていたのではないかと、とても心配になりました。妻との諍いやリストラ攻撃に苛まれ続けて精神的にギリギリで生きていたためにいつも苛立っていましたから。

それでも、私は自分の苛立ちを腹立ち紛れに子どもたちに八つ当たりするようにぶつけたことはなかったはずです。それは私自身の辛い経験が許しませんでしたから。
(口先では立派なことを言っていた妻が、子どもに八つ当たりして激しく責めているのを見て悲しくなった思い出があります)
それでも、私と妻との諍いや妻がヒステリックに罵る姿を見た子供たちが恐れて傷つくことはあったと思います。それは私自身も私の親を見て経験しています。

私は、甘やかされてしっかりした愛を知らずに育てられてしまった(それには悲しい理由もあり、もちろん後になって気づいたことです)妻の悪影響が子どもたちに及ぶことをとても恐れていましたから、子どもたちが私を嫌ってでも家から出て自立して生きてくれることを願っていたので、それが叶って良かったと思います。

トラウマ、どうか私の子どもたちがそれに捉われることの無いように祈ります。
神が託してくださった子どもたちが、本当の愛を知って、愛を与えることができる人になってくれることを祈ります。

そうか、そうなんですね。私の中の幼い私に対しても、私がそう願い。親になってそう祈り慈しんであげればいいんですね。

何やら気がそぞろになってしまっていてまとまりない文章で申し訳ありません。
ありがとうございます。

ラッパ吹き

ナオヤ さんのコメント...

てる様

嬉しいコメント、有難うございます(^^)

> 息子の赤ちゃんの頃からの主治医の先生が、とても素晴らしい医師です。
息子は、小さい頃とても身体が弱く、毎月病院に通っているような状態でした。
血管性紫斑病にもなったり、初めて聞く病名に、親としてはとても不安になったり。
でも、その先生は、どんなに忙しくても、どんな時も、常に穏やかに優しく子供にも親にも接してくださり、親の質問にも丁寧に答えてくださる、とても患者に安心感を与えてくださる医師です。いつも、息子の顔をみて、どんな表情の時には息子の状態がどんなふうなのか、データだけではない所で、患者に向き合ってくれている。その事が与えてくれる信頼感と安心感は、本当に大きなものです。

素晴らしい先生ですね。まさに理想だなぁと思います。私もそんなふうになりたいです。
学生の実習でも何度か問診と身体診察を取らせていただきましたが、正直、患者さんの表情や気持ちまで気が回りませんでした^^; 考えられる疾患を想起して、所見を逃さないようにするだけでいっぱいいっぱいで。そしてそのいっぱいいっぱいな感じが患者さんに伝わってしまい、不安にさせてしまったのは苦い経験です^^;
焦らず一歩一歩やっていこうと思います。

> 私の大切な方は、とても稀な白血病でした。その時の主治医は、診察の度に、血液検査のデータをみるだけで、身体の変化、圧迫感だけだった場所に痛みが生じ始めた等を訴えても、ほぼ触診することもなく、あまりの痛みに救急に駆け込んだ結果 臓器の壊死が始まっていました。
彼がいつも「データをみるだけで、触診して確認してくれないが、大丈夫なのか」と不安を抱えていたことを想うと今も悲しくなります。

医療訴訟に発展するケースは残念ながらそのように患者さんが不信感を抱いていたケースが多いと聞きます。
私も教授回診でそのような事態に出くわしました。回診中に、”足がむくんでいるんです”と訴える患者さんがいたのに、教授は見もせず触りもしませんでした。
心の中で”いや、患者さんむくんでるって言ってたじゃん。少しは触らんかい!せめて少しぐらい見ようよ!”と突っ込みました。そして仕方なく残された私たち学生が診察しました、、、。(それでいいのか、、?)
おそらく初心を忘れてしまうのだと思います。気をつけたいと思います。
そのような体験を共有していただき、ありがとうございます。忘れないようにしますね。

>患者さんも、勿論良心的な人ばかりではなく、これからお医者様としてナオヤさんが沢山の苦悩や葛藤を抱えていかれることもあるかもしれませんが、どうか、患者さんの心に寄り添うお医者様になってくださいね。

本当にありがとうございますm(__)m 正直、”もう知らない!”と思ってしまう事もあるのですが、それでもめげずに頑張ろうと思います。
結局のところ、”自分で引き寄せたもの”なので、なるべく楽しんでいけるように工夫したいと思います。
辛い時は、そう言えば、こんな嬉しい事を言って励ましてくださった方がいたなぁと思い出しますね。

(心霊治療家として著書もあるテスター氏が「人間性に問題のある患者がいる」と述べたところ、シルバーバーチはこの言葉を遮って)『言いにくいことですが、あえて言わせていただくと、それは貴方の人間性に問題があることの証明でもあるのですよ』(「古代霊シルバーバーチ最後の啓示」(ハート出版)24頁)

>生きている限り、誰でもお互いに、迷惑をかけたりかけられたりしているのだと想います。(自分の意図しない所でも)
だからそこ、きっと、「ありがとう。ごめんなさい」が言えること。助けて貰ったら、助けてあげられる人になること。沢山の人の支え(色々な職種の方がいます)で、自分が生きている事を、いつも、心のなかにもっていたいと、思っています。

そうですね!素直でいる事、相手に対する感謝とリスペクトを忘れないようにします。
”子供の心”を忘れないようにしたいです。

だから、ドラえもんの”のび太”は私の理想の男性像です。そして出来杉君やジャイアンやスネ夫には目もくれず、そんなのび太を旦那さんに選んだ”しずかちゃん”のことも好きです。
と言うと、同級生には、はぁ?と言われますが笑

実は患者さんの”本音”を聞く機会はそうそうありません^^;
だから本当に貴重な機会です。すごく勉強になります。また思うところがあったらおっしゃっていただけるとすごく嬉しいです。(それこそ、触診して確認してくれていない不安があるのであれば、きちんと伝えていただきたいです。)

ナオヤ さんのコメント...

えり様

率直な思いを伝えてくださり、読んでいてこちらも頑張ろうと思いました。
双方に対する理解を深めることができて、本当によかったなぁと思います。

職場の方の良いところを見つけるって大事ですよね。

仕事の関係もビジネスライクにするよりも、相手に対して感謝・尊敬、好意を持って繋がっていたいなぁと私も思います。(ドラマ「逃げるは恥だが役に立つ」の中で主人公みくりが言っていて良いな〜と思ったんです笑)

> 職場では、自分一人で頑張っているわけではないですし、
その日のメンバーで回していかねばならないことも多々あるので、
皆様のおかげ様でその日が無事に終わると思っております。
そこに、自分ができることをプラスしていけばいいわけだと今は思っております。
今は、意地を張らずに、自分ができるところをやるから、私のときも手助けしてねって言ったりもします。お互いさまということなんですよね。

ですね、ですね。意地さえ張らなければ、ストレスフリーですよね笑
笑い話になっちゃいますが、父の友人曰く、”コロナで分かったんだけど、実は俺がいなくても仕事って案外回るもんなんだよな〜。俺が行かなくちゃ!と思っていたけど、そんなに気負わずに気楽にやれば良いんじゃねぇかな。”だそうです。

実は医師の働き方改革が進まない原因は、医師の”俺たちがやらなくちゃ!”という意識によるところも大きいんですよね^^;

私も”あぁまたやらかしたよ。本当に自分って馬鹿だなぁ”と、反省にもならない、うつろな言葉だけが何度も浮かんでは消えていくことがあります(^^;;
(しかも顔は微笑んでいたりして周りから見たら結構危ない人です笑)

でも、自分はそういう愚かな事をしかねない人間なんだ。。ということを自覚しているうちが華なんだろうなぁとも思いますよね笑 

えり様の考えていることを色々知ることができて良かったです。自分と違う立場の人からのお話ってすごく役に立つと思うんです。

人と人とは100%分かり合うことは出来ないけれど、”この人は何を感じ、何を思っているのか?”、感じとれたら世界が広がるような気がして嬉しいです。

イクミ さんのコメント...

ラッパ吹き様

おはようございます。
子供は、親の言葉や行動から、自分への想いをしっかりと感じ取っています。
夫婦の諍いはどこでもあることですから、心配する必要はないと思います。

インナーチャイルドの概念を知らない時に、伝わって来たことなので、私は信じていますが、あなたの理性が受け付けないのであれば無理はされないで下さい。
信じた上で、形式的ではなく、心からの愛を向けないと癒されないと考えられます。

匿名 さんのコメント...


ナオヤ様。

おかえりなさい!
よかった、ほんとによかった。

その後どうされているのか、ここでなくても元気でいてくれればそれでいい、そう思っていました。
よかった・・・・・・。
就活、おつかれさまです。暑い中ですし、このコロナ禍ゆえに、病院は特に大変だと思います。誰に対しても祈っていますが、どうか、お体を大事にしてくださいませ。

ナオヤ様のコメントを見て、自分がつらかったことをたくさん受け止めているから、優しい言葉が出るのだなと思いました。とっても素敵で、見習わなければとおもった次第です。
きっと、患者さんのつらい気持ちを汲んで、あったかい言葉や行動をしてくださる、とっても素敵なお医者様になられるんじゃないかと思いました。

私も、優しさの伝染、大好きです。
車を運転していて道を譲ったら、次に誰かが自分に譲ってくれるといいな、なんて思っています。車の運転なんか特に見える人も物理的に遠いし、顔も見えないですけれど、心だけで動いているから、余計に人の中っていうんですかね、見える気がします。
物理的に顔や声が見えないところで、人ってわかる気がします……て、ちょっと脱線しました^^;

とにもかくにも、そんな風に優しいあったかさが世の中をぐるぐるすればいいのになと思ったりします。
きっと同じように、幸せも伝染すると思っています。

辛い方にとっては、優しくされることも幸せであることが煩わしく思われるかもしれない、けれど、大きく優しい温かさのある強い気持ちは、必ず伝わるとそう信じています。
(これは私のある師匠の言葉でもあります。)

好き嫌いで優しくする・しないを選択するのは、おっしゃる通り自分だと思います。
私も人を選ばずに優しく出来たらいいなと思いました。

とにかく、よかった。
いろんな人がいて、いろんな個性と気持ちがあって、摩擦があって磨かれると思っています。私自身も日々暮らしていて「これは…」と思うところもありますが、それでも譲れないところはあってもよいと思います。私も優しくするとかそういうのは譲れませんから笑

ほんとに、コメントをくださってありがとうございました。
陰ながらではございますが、応援しています!
(そして、支離滅裂な感じですみません)


イクミ様
この場をお借りしました。
そして、よかったですね! あったかい言葉に自分も人も救われると思います!
いつも優しい言葉をくださるイクミさんに、たくさんの方がよかったって思っていると思います。いつもありがとうございます。

ゆらり

ラッパ吹き さんのコメント...

イクミさん、
ありがとうございます。親身になってコメントを書いてくださって本当に感謝しています。

前のブログ、2017年10月20日からの一連の投稿(イクミさんが書いてくださった、ある方へ向けたメッセージと思われました)と、リンクされていた2014年12月28日日曜日「ガンは愛により癒される」の投稿をじっくり読み直しました。改めて読んで噛み締めて、やはり深く染み入りました。霊的真理にもかなっていると思いますし、深く納得できます。

理性が受けつけていないのではないんです。信じられないのでもないんです。
わからない、のです。私の封印しているものや出来事がなんだったのか、が。

つらいことであれば、幼い頃だけでなく、イジメやからかい教師の無理解にあからさまな敵対と反抗、社会に出てからも嘲笑や退職強要との戦い、と絶え間がなく。。

そうしてずっと考えていてふと思ったのは、イクミさんが書いてくださったように、記憶がないのは物心つくまえの赤ん坊の頃かもしれない、ということです。

母は仕事から手が離せなかったため、赤ん坊の私が泣いても肌の触れ合いは得られなかったと思います。時にはオッパイやオムツもそうだったかもしれません。

私自身が親になって、小児科医の松田道雄先生の名著「私は二歳」(この映画を観ていたんです)や「私は赤ちゃん」などを読んで勉強して学んだのは、それが何度も続くと赤ちゃんは泣いて親を呼ぶことを諦めてしまうということでした。静かにおとなしくなったように見えて、それはとてもいけない、とても危険な状態だと学んだんです。
ですから、私がいる時にはそれだけはしないように気が気ではありませんでした。ミルクを作っていて時間がかかってしまうと、あるところではっきりと赤ちゃんの泣き声が変わるんです。はじめは優しく小さく呼んでいる泣き声が、全身を震わせて身も世もなく訴える泣き声に変わるんです。
もし、それでも放置していたら。。。

それを思い出したら、子どもたちが赤ちゃんだった頃に私が感じた思いが鮮明に蘇りました。
初めの子が夜泣きした時に、なかなか泣き止まずに抱っこしてよしよしと顔を見つめて揺らしているうちに、30分経ったか1時間だったか時間もわからなくなった頃に、抱いている赤ちゃんが自分のように思えてきて、自分が抱っこされてあやされているようで、自分がその子なのかその子が自分なのか、わからなくなったんです。

どの子もよく抱っこしました。赤ちゃんの子どもたち、幼い頃の子どもたちを抱っこするのが私は大好きでした。抱っこして散歩もよくしました。

わかっていただけるでしょうか。そうして私は私自身の子どもたちと共に、自分自身を生まれ直して、生き直していたんです。

もしかして、これはつい今思ったのですが、子どもたちがみな神に祈った通りに自立して自分の力で生きて行けるように真っ直ぐに育ってくれた今、父として口もききたくないほどに嫌われるようになってしまった今、その喪失感に耐えられなくなっているのかもしれない。

いくら訴えても聞いてもらえない。
いくら話しても解ってもらえない。
聞いてくれないから、諦めてしまう。
解ってもらえないから、諦めてしまう。
信じたのに嘘をつかれていたことがわかったら、裏切られたら、もう二度と信じない。諦めてしまう。
解ってもらえなくて、裏切られて、つらい思いをするより、ひとりでいる。。。

母も父も友だちも教師も妻も親戚やそのほかのすべての関わりを持った人たちも、同じでした。

許すことを、神は求めているのかもしれません。

長くなってすみません。
イクミさん、本当にありがとうございます。感謝しています。

ラッパ吹き

イクミ さんのコメント...

ラッパ吹き様

こんにちは。
赤ちゃんの時の孤独の体験は、深刻な影響を与えるようです。
13世紀の神聖ローマにフレデリック2世と言う皇帝がいて、信じられないような実験を行いました。
その実験とは、生まれて間もなく捨てられた赤ちゃんを養育するのですが、その時に一切コミュニケーションをしない、アイコンタクトも抱っこも、スキンシップも会話も全くしない、要するに無視し続けたのです。
その結果は恐るべきもので、50人の赤ちゃんが1年以内に全員死亡したそうです。
参考ページ:https://mamanoko.jp/articles/6086

お母様は仕事場が危なかったので、やむを得ずあなたをひもで柱に括り付けていましたが、その時、強烈にスキンシップやコミュニケーションを求めていて、それが叶わずに、不安、怖れ、怒り、諦めなど、様々な想いが生じていたと思います。

お子さんが泣くのを諦めないように気が気ではなかったり、あやしている時に自分のように思えたのは、魂に刻み込まれていたその時の記憶が、蘇ったからなのかもしれません。

「いくら訴えても聞いてもらえない。
いくら話しても解ってもらえない。
聞いてくれないから、諦めてしまう。
解ってもらえないから、諦めてしまう。」
そんな想いに苛まれて来たのは、その時に生じていた想いのせいかもしれません。
辻褄が合うように思います。

ラッパ吹き さんのコメント...

イクミさん、
ありがとうございます。

なんと恐ろしいことを。
そして、その結果のなんと残酷なことか。。

何もかもが整然と解った気がします。
私は、ずっと「努力」と言われ続けてきました。
「授業中いつもぼーっとしていて、話を聞いていないのかと指名するとちゃんと答える。不思議でならない。ご家庭ではいったい何をしているんですか?」そう担任の教師はいつも言っていたそうです。
やればできるのにやらない、努力しない、とも。

努力、努力、努力、、、私自身もそう言われ続けて、私は怠け者なのだと思い込んでいました。

今判りました。もう散々努力して、散々訴え続けていたんです。生まれてすぐ、赤ちゃんの時に。やってもやっても駄目だった。訴えても訴えても、得られなかった。だから、もうこれ以上傷つかないようにみんなやめてしまった。自分ひとりの心の中に深く入って、空想の世界で生きていた。
私はひとりでテレビを何時間も観ているか、本ばかり読んでいた子どもでした。

だからだったんです。自我の独立心が火を吹いた高校では全体主義で外聞と体裁だけを重んじて私たち生徒の個性を無視した教師たちに物凄い反感を感じて徹底的に反抗して戦い、とうとう校長から退学勧告されました。
(はじめは私を理解し支持して守ってくれる真っ当な教師たちがいたのですが、校長の思惑なのか年度替りの異動であからさまに一掃されてしまい、さらに極端な右寄りの異常な教師ばかりになって絶望的になりました。)
私たち生徒の声を聞かない、正当な要求に耳を傾けない、存在を認めない教師に対して、無視されないがしろにされて積もり積もった憎しみが噴出した。。
あの時にきっぱりと退学しなかったことが、将来を恐れて長いものに巻かれたことが私の心に致命的な深い傷を刻み込みました。それが、愛する彼女に自分はふさわしくないという強烈な自責になって私を徹底的に責め立てました。

いまだに同じパターンを繰り返していたんです。
私は自分の意見を言うことを慎重に極力避けていました。それでも、状況に追い込まれて、私の話を思いを聞かない者、私の存在を個性を無視して自分の思い通りにコントロールしようとする者が現れた時には敏感に反応して、猛烈な反感が生じていました。

ああ、これが溜まりに溜まった思い、ですね。ドロドロした、激しい憎しみに近い思い。激しく噴出したことのある思い。今もそれは吐き出し切れていない。解消されていない。。

そんな「努力しない怠け者」と罵られ続けて、何もかも三日坊主とさげすまれた私が自分の意思で選び取ったのは人生でたった二つだけかもしれません。オートバイと音楽です。

オートバイとその仲間たちから、バイクを通じたある種ピュアな他者との触れ合いから初めて人生を教わり、言葉や理屈ではなくダイレクトに魂が魂とつながることのできるラッパと音楽にどんど惹かれて学んで学んで。

イクミさん、
「訴えても受け止めてもらえなかった。返ってこなかった。」それが私の溜まり続けた思いだとしたら、子どもたちに私がしてきたことがその代償行為でもあったとしたら、私の子どもたちに精一杯私が得られなかった肌の触れ合いと愛情を注いでも、私の中の思いがまだ解消も昇華もしきれていないとしたら、、、私にはあと残る方法は一つしかないように思えます。いくつものシンクロニシティが重なって、霊的にもそこに導かれているようにも感じます。

言葉を介さないつながり、音楽でつながること。
何かを訴え要求してそれを得る、のではなくて。奪い取る、のではなくて。
思いを伝えて、分かち合って、共に感じ共感すること。
寂しいねと伝えたら、ともに寂しいねと感じあえること。
美しさを伝えて、ともに美しさを分かち合って喜べること。
魂と魂が触れ合って、喜びをともにすること。

ビル・エヴァンスがしたこともそれだったのではないでしょうか。

(すみません、気が高ぶって強い言葉がならんでしまっていると思います。どうかお許しください。。)

ラッパ吹き

イクミ さんのコメント...

ラッパ吹き様

おはようございます。
世にも恐ろしい実験でしたが、赤ちゃんのスキンシップの欠如がこれほどの結果をもたらすとは、私も想像していませんでした。
赤ちゃんが泣くのは、生存欲求の現れです。
それを無視されたことで、生存自体を否定された気持ちになってしまうのかもしれません。
泣いても泣いても何も変わらないことをその時に覚えると、成長してから努力しても報われないと思ってしまうのかもしれません。

学校の体制が間違っているなどと思ってもみなかった私にとっては、良く実行したなと思いました。
ある意味すごいと感じます。
長いものに巻かれたことを後悔しているようですが、退学をしたとしても、別の面で後悔をしたのではないでしょうか。

あなたはずっと自分の想いを抑えて生きてきたので、これ以上自分を抑えつけるものに対して、激しく抵抗をしてしまうのでしょう。
それでも、いくつかの貴重な出会いがあり、その中で自分を自由に表現する悦びを取り戻せたのは、幸運なことだと思います。

あなたの中には、相当な想いが溜まっていると思いますが、落ち度のないことから生じているので、神は解決策を用意しているはずです。
また、そんな環境にいたご両親を選んで生まれて来たのは、この出来事を経験をするのは予定されていたことであり、ご自身で解決しようと悪戦苦闘する中で、叡智を学び、成長するためかもしれません。
思い込みはされない方が良いと思います。

ターゲットは絞り込まれて来たように感じます。
その時の自分を、今の自分が癒してやることを、強くお勧めします。

ラッパ吹き さんのコメント...

イクミさん、
ありがとうございます。本当にありがとうございます。
私にもわかってきました。

私は暗闇を異常に怖がる子どもでした。夜寝る時にも部屋の明かりを自分では消せないほどだったんです。

泣いて呼んでも誰も来てくれなかったのが(その記憶がないのは)自分では何もできないハイハイする前の赤ん坊の時から一歳くらいまでのことだったからだとすると、、、

・オッパイかオムツか、ひとりで不安になってか、泣いて呼ぶ、でも誰も来てくれない。
・怖くなって呼ぶ、、誰も来てくれない、
・怒って激しく呼ぶ、、、
・怒りと見捨てられる恐怖にかられてもっと激しく呼ぶ、、、、
・絶望して、諦めて、欲求を抑制して、黙ってしまう。。
・黙ってしまえば、”おとなしい、静かで穏やかな、良い子”とされる。
・そして心の奥にその思いが積もって行く。

そうして、おとなしい良い子として受け入れてもらえるようにこの世の自我が心の自然な願いを抑えつけて生きてきた。
自己抑制が強ければ抑うつ状態になるのは自然の摂理です。だから、神の摂理に反した生き方に気づかせるために生じた。

真の自己は自由と解放を切望していたから、バイクそのものと”自由に自分らしくありのままに生きているバイク仲間たち”に出会えて、初めて本当に「生きる」ことができた。

魂のつながりと理解と共感を求めていたから、心が感じたことを抑えつけず脚色せずにありのままに追求することで真実と美を見いだし他者と分かち合うことができる音楽に魅入られ心惹かれて追いかけてきた。

だから、私には「努力」はできないんです。夢中になることと努力は全く違うんです。まさに正反対です。
バイクも夢中、音楽もラッパも夢中でした。
(例えば限定解除、昔で言うナナハン免許、私は試験場の一発実技走行試験の時代です。一年半通いました。合格したのは24回目です。)

「思い込み」、そうですね。
この世に偶然は無い。音楽に導かれているなら、それが神の計画にあるなら、これまで人との出会いやいくつものシンクロニシティーが繋がってきたように、その流れに委ねれば、神に委ねればいいのですね。
心から自然に湧き出たものではない自我の思い込みやこじつけた理屈がその自然な流れをかえって阻害することは、私自身も経験してきたことでした。思いださせてくださってありがとうございます。

あの頃の幼かった私を抱きしめ受け止めて堰き止めているものが溶けて行けば、溜まった思いが解放されて恩寵の流れが自然にあるべきところへあるべき姿へ運んでくれるはずですね。


ターゲットは記憶の無いまだ物心つく前の赤ん坊の時の私、ハイハイやアンヨしだした一歳くらいまで。

わかりました。やってみます。
私の抑うつ状態は生命力が枯渇しているからだと思っていましたが、抑えつけて自然な流れを堰き止めているものがあるからで、私の心の奥には溜まりに溜まった熱いマグマがたぎっているのかもしれません。

本当にありがとうございます。
幼かった私が求めていたはずの触れ合いと慈しみを注いでみます。

この数日何か胸苦しいのは、何かが動き始めているからなのかもしれません。

ラッパ吹き

イクミ さんのコメント...

ラッパ吹き様

こんにちは。
幼ければ幼いほど、魂が剥き出しになって無防備なので、強い想いが生じるような気がします。
あなたの現状が、その時の出来事により生じていた想いが原因であれば、愛により解放出来ると思います。
不安や怖れや怒りを癒す言葉を、心を込めてかけて下さい。
そして、抱きしめて、頬ずりをしてやって下さい。
ご自分の赤ちゃんのように。

あなたの苦しみが少しでも癒されることを祈っています。

ナオヤ さんのコメント...

ゆらり様

>その後どうされているのか、ここでなくても元気でいてくれればそれでいい、そう思っていました。

そんな風に思っていただけて、とても有り難いですm(__)m

> ナオヤ様のコメントを見て、自分がつらかったことをたくさん受け止めているから、優しい言葉が出るのだなと思いました。

そんな優しいコメントを送ってくださるゆらり様も辛かったことをたくさん受け止めてこられたんだろうなと思いました。

> 車の運転なんか特に見える人も物理的に遠いし、顔も見えないですけれど、心だけで動いているから、余計に人の中っていうんですかね、見える気がします。

ですね。だから、”その男性の本性を知りたければ、運転の仕方を見なさい”なんて言われるのかなぁと思います笑 

> 辛い方にとっては、優しくされることも幸せであることが煩わしく思われるかもしれない、けれど、大きく優しい温かさのある強い気持ちは、必ず伝わるとそう信じています。
(これは私のある師匠の言葉でもあります。)

いい言葉ですね。そのまま心に保存しておこうと思います。

> いろんな人がいて、いろんな個性と気持ちがあって、摩擦があって磨かれると思っています。私自身も日々暮らしていて「これは…」と思うところもありますが、それでも譲れないところはあってもよいと思います。私も優しくするとかそういうのは譲れませんから笑

そうですね。やっぱり譲れないですね。。自分、心狭いな、カッコ悪いなとも思いますが、どうしても無理でした。
皆様からの厳しいお言葉もすべて読ませていただきました。どんなに自分にとって都合の悪い事実であったとしても、事実は事実なのだから、事実として受け入れて、次に繋げていけるようにしたいです。

ラッパ吹き さんのコメント...


イクミさん、
ありがとうございます。本当にありがとうございます。

父と母も幼いわたしの写真をアルバムに残してくれてあって、そこには、あの優しい時代の若く美しいふたりと幼い私が幸せそうに写っています。
一歳に満たない私が昔の大きな乳母車で元気にニコニコ笑っている写真も、両親がお世話になった借家の大家さんに抱っこされて微笑んでいる写真もありました。
(私の子どもたちの幼い頃の愛しさを思い出しました。)

悲しそうな顔の写真ではなく、その幸せそうに笑っている私を思い浮かべて話かけています。

とめどなく涙が溢れてくるような劇的な氷解はまだありませんが、昔私の子どもたちのために買って何度も何度も繰り返しかけて擦り切れてしまった子守歌のcdを聞いたら涙がじんわりとにじみました。

なぜかふたつの子守歌が私にはとても響くのです。もしかしたら、赤ちゃんの時のオルゴールのついたお人形や遊具にそれがあったのかもしれません。

この歌詞の、懐かしく美しい日本語の素晴らしさ、その情景を感じるだけで、涙がにじむのです。

ありがとうございます。
穏やかに、穏やかに、このまま続けてみます。

・ブラームスの子守歌
堀内敬三訳詞

眠れよ吾子(あこ) 汝(な)をめぐりて
美(うるわ)しの 花咲けば
眠れ、今はいと安(やす)けく
あした窓に 訪(と)いくるまで。

眠れよ吾子 汝が夢路を
天(あま)つ使い 護(まも)りたれば
眠れ、今はいと楽しく
夢の園に ほほえみつつ。


・揺かごのうた
揺籃(ゆりかご)のうたを
カナリヤが歌うよ
ねんねこ ねんねこ
ねんねこよ

揺籃のうえに
枇杷(びわ)の実が揺(ゆ)れるよ
ねんねこ ねんねこ
ねんねこよ

揺籃のつなを
木ねずみが揺するよ
ねんねこ ねんねこ
ねんねこよ

揺籃のゆめに
黄色い月がかかるよ
ねんねこ ねんねこ
ねんねこよ

ラッパ吹き

イクミ さんのコメント...

ラッパ吹き様

こんにちは。
赤ちゃんの時の写真が、良く残っていましたね。
微笑んでいるあなたと、かける言葉の間にギャップを感じるかもしれませんが、めったなことでは表在化しない、奥深くに仕舞われている想いでしょうから、根気強く行ってみて下さい。

ブラームスの子守歌の日本語訳は知りませんでした。
どちらも赤ちゃんに向ける、親の深い愛情が感じられる歌ですね。

ラッパ吹き さんのコメント...

イクミさん、

ブラームスの子守歌、私が子どもたちに聞かせたのは由紀さおりさんと安田祥子さん姉妹の「続 あの時、この歌」でしたが、どうぞこちらを聞いてみてください。これも素晴らしいです。
https://youtu.be/7Hpl5tKi7Zg

1番の歌詞の「あした」はtomorrow の明日ではなくて「朝」です。朝の日差しが窓に訪れるまで。

2番の「汝が夢路を、天つ使い護りたれば」これ、まさに霊的真理そのものなんです。天使、守護の霊が我が子の夢路を護り給う。

これをドイツ語から翻訳された方は、無意識のうちにそれを知っていたんだと思います。

ラッパ吹き

ラッパ吹き さんのコメント...

イクミさん、

ブラームスの子守歌、私が子どもたちに聞かせたのは由紀さおりさんと安田祥子さん姉妹の「続 あの時、この歌」

*すみません、間違えました、、訂正します。。
由紀さおりさんと安田祥子さん姉妹はそうなんですが、この童謡集ではなくて別の子守歌のcd「モーツァルトのララバイ」 東芝EMI でした。。
揺かごのうた、が由紀さん安田さん姉妹の「あの時、この歌」でした。
申し訳ありません。。

でしたが、どうぞこちらを聞いてみてください。これも素晴らしいです。
https://youtu.be/7Hpl5tKi7Zg

1番の歌詞の「あした」はtomorrow の明日ではなくて「朝」です。朝の日差しが窓に訪れるまで。

2番の「汝が夢路を、天つ使い護りたれば」これ、まさに霊的真理そのものなんです。天使、守護の霊が我が子の夢路を護り給う。

これをドイツ語から翻訳された方は、無意識のうちにそれを知っていたんだと思います。

ラッパ吹き

イクミ さんのコメント...

ラッパ吹き様

シューベルトの子守歌は知っていました。
愛が最も見える形となって現われているのが乳飲み子と母の関係であり、その姿に作曲家も触発されたのでしょう。
讃美歌のように神聖なものに聴こえ、安らかな気持ちになります。

匿名 さんのコメント...

イクミ様 今日は 赤ちゃんです。

妖精について質問があります。 原始霊の地、水 火 空気が存在します。

よく、花から、可愛らしい姿に変身した妖精さんを見ます。

①花の妖精とは、地の原始霊の仲間になるのでしょうか?鉱物とかもそうですか?

最近、観葉植物がうまく育たない原因が、解り生き生きとしてきました。

私は、知らなくて、子供の頃、団子虫とか、虫を潰したりしたことがあります。ミノムシの家をとったり、蛇や、蛙はありません。怖いからと、親から言われました。

➁今になって、害がない虫を殺すのは愚かなことだと知り、この場合は、知らなかったから、裁かれないのですか?

➂今、花や、バラを育てる のは、上級者なのですが、何が花の鉢を購入した時、忙しく大変な時で面倒くさいとおもっていると枯れていきます。

イクミ さんのコメント...

赤ちゃん様

こんにちは。
赤ちゃん様も見ることがあるのですね。
私は妖精の存在を認めているのですが、それほど詳しくはありませんので、申し訳ありませんが①についてお答えすることができません。
②ですが、私も子供の頃、同じようなことをしています。
その時のことを思い出してみると、良心の声はそれほど聞こえず、その後も呵責もなかったような気がします。(もちろん幼くても良心の声を聞く人はいると思います)
良心の声に背いて行ったことには、何らかの結果が返って来ますが、子供の時は十分な善悪の判断ができていないので、心配する必要はないと思います。
③ですが、花も生き物であり、霊的な存在です。
人の思念やオーラなどの影響を受ける可能性はあると思います。
愛情を向ければ、より瑞々しく綺麗になると考えています。

赤ちゃん さんのコメント...

ありがとうございます。土 火 空気 水の領域にも、各々に無数に天使がいるのでしょうね。