人は何のために生きているのか?死んだ後はどうなるのか?その明確な答えが「シルバーバーチの霊訓」の中にありました。本当の自分とは魂です。この世を生きるたった1つの目的は、魂を成長させるためです。人生で出会う障害や苦難を乗り越えること、人や動物そして社会のために奉仕することで、魂は成長していきます。死んだ後、魂は次の世界に移り、この世を振り返る時が必ず来ます。悔いのない様に、失敗を怖れず、今を大切にして生きましょう。
2025年1月26日日曜日
霊的な自我(意識)を見い出す
2025年1月19日日曜日
今を生きるために意志を持つ
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| シスパーレに挑む平出さんと中島さん(2024年7月没) |
2025年1月12日日曜日
大切なものを見つけ出す世界に生きている
人間が生きて行くために必要なものは何でしょう?
お金と答える人が多いかもしれません。
確かに、お金がなければ生活して行くことはできません。
それよりも大切なものは空気です。
何を当たり前のことをと思うかもしれませんが、空気がなければ数分で死んでしまいます。
存在が感じられないものほど大切な気がします。
鏡に映る肉体が自分ではありません。
奥に控える、存在が感じられない魂が、その人の本質です。
魂とは生命です。
魂から湧き出す生命力によって、私たちは生きています。
魂が完全に抜け出した肉体は活力を失い、崩壊が始まります。
生命力は神の力です。
神の心を表現する力です。
けれども、地上では肉体があるためにそうなりません。
魂と肉体の間に精神(自我)が存在しています。
自我は肉体と深く結びついています。
自分のことが1番大切に思えるのはそのためです。
自分(魂)の想いと、頭で考えることが違うのは良くあります。
子供の時、道端でないている子猫を助けてやりたくても、連れて帰ると親に怒られてしまうと考え止めてしまう時がありました。
大人になるのに従い自我の働きが強くなり、本当の自分(魂)の想いに気付きにくくなります。
自分の想いよりも、自我の欲求を優先してしまうと、いろいろな問題が生じます。
生まれて来た目的を忘れて、地上的なもの、お金、地位などを手に入れようと躍起になってしまう人もいます。
地上的なものを手に入れても、永続的な満足は得られないので、際限がありません。
そんな生き方は、霊的な成長を妨げています。
自然法則の働きに反した生き方に対して因果律が働いて、最適なタイミングでそれを改めるための出来事が起きます。
ある人は病気になり、ある人は挫折や絶望を味わう出来事に遭遇するかもしれません。
深刻な出来事は、自我に隠れて眠っていた魂を目覚めさせます。
霊的に目覚めると、それまで手に入れようとしていたものが、価値のないことに気付きます。
意識していなかった、目に見えない大切なものに気付く人がいます。
そこから生まれて来た目的を成就する方向に進み出す人がいます。
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| 聖フランチェスコ |
アッシジの聖フランチェスコもそうでした。
若い時は、物質欲にまみれた享楽的な生活をしていましたが、戦争で捕らえられ幽閉され、病気になったことをきっかけにして、霊的に目覚めたと考えられます。
その後、神と隣人に仕える道に進んで行きます。
運命を呪ったり、神を憎んだりしてはいけません。
全ては因果律の働きにより起きています。
因果律の働きには、創造した神の心が込められています。
悪い方向に向かっているように思えても、善い方向に向かうために起きているのです。
もしかしたら、自分のために、自分で決めていたことかもしれません。
真相を知らないことから生れる感情に振り回され続けたら、目的を果たせなくなります。
地上の人が空気の大切さに気付かないように、霊界にいると霊的に大切なものはありふれた存在になってしまうために、その大切さに気付きにくくなります。
そこで、霊的なものが分からなくなる地上に生まれます。
地上での出来事を通して、大切なものを見つけ出し、深く学んで、魂に刻み込んで行く人生が計画されます。
大切なものを見つけ出した人は、それを表現しようとするでしょう。
霊界に戻ってもそれは続いて、自律的に成長して行けるようになります。
最も大切なものは「愛」です。
地上を悩ましている問題は、愛によって解決します。
言い方を変えると、愛の欠如によってさまざまな問題が起きています。
愛を表現することは、生命が存在する意味そのものと考えられます。
宇宙の進化を促し、創造の目的を成就させて行くものだからです。
参考資料:「フランシスコの平和の祈り」
2025年1月5日日曜日
伝えたい真理
2024年12月29日日曜日
悲しみの意味
悲しみとは何でしょうか?
望んでいないことが起きた時、特に何かを失った時に生まれることが多いです。
他の感情と違い、涙が流れます。
例えば、顔見知り程度の人は、表面(地上)的なつながりなので、それほど悲しむことはありません。
仲良くしていた人は、内面(精神)的なつながりがあるので悲しみが生まれます。
数はぐっと少なくなりますが、さらに深い部分でつながっている人もいます。
人だけでなく動物と深い部分でつながっていることもあります。
霊界では、霊的なつながりを通して思念が相互に行き来しています。
テレパシーの世界と言っても良いでしょう。
この世は本質(魂)が物質(肉体)に包まれている世界です。
思念を直接伝えることができないので、五感で分かる形(言葉)に置き換えて伝えています。
言わなくても想いが分かり合えていた人は、霊的につながっていると考えられます。
予定されていた通りに、この世で出会った人も、霊的につながっていると考えられます。
そんな人が亡くなると、他の人とは比べものにならないほどの深い悲しみを味わうことになります。
「何故、死んでしまったのか?」
いくら考えても答えは出ません。
生まれるのも、老いるのも、病気になるのも、死ぬのも自然法則の働きによるものです。
そこに偶然は存在しません。
何らかの原因(目的)があります。
自然法則を創ったのは神です。
法則の中に、神の心が顕現しています。
神は無限の愛です。
愛によってもたらされるのは悦びです。
法則の働きによって、私たちは悦びを感じる方向へと導かれているのです。
けれども、死によってもたらされるのは悲しみです。
この世を中心にして考えてはいけません。
死んだ後に行く世界が、本来の住処です。
「住民の心は、本当の生きる喜びに満たされ、適材適所の仕事に忙しく携わり、奉仕の心にあふれ、お互いに自分の足りないところを補い合い、充実感と生命力と喜びと輝きに満ちた世界です。」シルバーバーチの霊訓にはこう書かれています。
想像している以上に、悦びを感じながら生きています。
この世の人に、そのことを分ってもらいたいのです。
分かったとしても、五感で存在を感じられなくなった現実は不動です。
行き場を失った想いが、悲しみとなります。
その悲しみにも目的があるはずです。
深い悲しみは、魂を覚めさせます。
目覚めた魂が、目に見えない大切なものを見つけます。
「愛が全て」
この真理に辿り着くために、霊的につながった人との別れを経験する計画が立てられたと考えられます。
この世で別れを経験するのは、愛を深く学ぶためです。
何のために、そこまでして愛を学ばなければならないのでしょうか?
生命は進化して行くように定められています。
霊的な進化とは、より高い次元の愛を表現するようになることです。
愛は魂を引き付ける力です。
ばらばらになった個々が、愛を表現することによって、霊的に1つになって行くように世界は創られていると考えられます。
その構想の中に、私たちは組み込まれています。
この世にいる私たちは、出来事の原因(目的)を知ることができません。
そのために、理不尽、不公平、不運、不幸な出来事として捉えてしまいがちです。
次の世界に行くと、原因(目的)を知ることになります。
無限の叡智により立案された出来事が、因果律(法則)の働きによって起きていたことを知ります。
起こるべくして起きた出来事により、自分がどう変わって行ったのかを目の当たりにします。
向かっているところは1つです。
神の心を表現できるようになることです。
そのために地上に生まれ、さまざまな経験をしています。
自らが経験することによって、人と想いを共有できるようになります。
想いが共有された瞬間、慈しみの想いが生まれて、神の心が表現されます。
悲しみは、その人がこの世を生きた確かな証です。
霊的につながっていた証です。
つながりを通して、想いを交わし合っていた証です。
死によって、つながりが断たれることはありません。
信じることさえできれば、以前のように想いを交わし合うことができます。
愛し合うことができるのです。
2024年12月22日日曜日
この世に生まれた理由
生きていると、思い通りにならないことがたくさんあります。
仕事が思った通りに行かずに、未熟さを痛感する時があります。
ずっと健康でいたいと思っていても、病気になる時もあります。
人との関係も思うように行くとは限りません。
思い描いていた人生とは、違う方向に進んで行くことがあります。
死んだ後に行く霊界では、思い描いたことが直ちに具現化されます。
家に住みたいと思えば、思い描いた通りの家が目の前に現れます。
SF映画のようですが、思念が全ての世界なのでそうなります。
そんな世界を離れて、地上に生まれて来たのは、何か理由があるはずです。
霊界では目の前にある山の頂に立ちたいと思ったら、次の瞬間、頂に移動しています。
地上では、頂に立ちたいと思えば、自分の足で登って行かなければいけません。
霊界の方が楽に目的が達成できて良いようにも感じられます。
頂に立ちたいと思い、山を登り始めたとします。
登っているうちに、大自然の中で自分がいかに小さな存在なのかを自覚して、謙虚な気持ちになる人もいるでしょう。
崖を登る時には、勇気を出さなければいけません。
仲間で登れば、助け合うことやチームワークの大切さを学ぶことになるかもしれません。
アクシデントが起きた時、どう対処したら良いのかを、自分で考えなければいけません。
険しい山道を登って行くことで、体力と精神の限界が進展する人もいるでしょう。
たくさんの汗をかきながら、困難や障害を乗り越えて来たからこそ、頂に立った時に感激を味わうことができます。
もしヘリコプターで頂まで連れて行ってもらったとしたらどうでしょうか?
同じような感激を味わうことはできません。
思ったことが瞬時に具現化される霊界ではできない、貴重な経験を地上でしていると思います。
思い通りにいかず悔しい思いをしていると書きましたが、良く考えてみると、初めから思い通りに何でもできたとしたら、学ぶことは何もありません。
悔しい思いをして、自分に何が足りないのか、どうしたら良いのかを、悩んだり考えたりします。
思い通りに行かない地上の方が内省する機会に恵まれ、何かに気付いて、自分を変えることができると考えられます。
ところで、自分1人だけで生きられるでしょうか?
自分で食料を調達しなければいけません。
住む家も、自分で作らなければいけません。
暖を取るために、薪を集めて自分で火を起こさなければいけません。
着る服も必要です。
1人で生きて行くことは、極めて難しいと思われます。
私たちの生活は、自分ができないことを、誰かにやってもらうことで成り立っています。
1人では生きて行けない地上で、互いに助け合う「相互扶助」の精神を学んでいると考えられます。
それは、肉体がないために(衣食住の心配がなく)1人でも生きて行ける霊界において、学ぶのは難しいと考えられます。
相互扶助の精神は、極めて大切な霊的な資質です。
その精神が発揮されることで、全体に調和が生まれて、霊的な一体化が促進されます。
人に何かをして、人に何かをしてもらう、この営みを地上で毎日のように繰り返すことによって、誰かのために何かをしようとする意志が培われていると考えられます。
誰かのために何かをすることで、人は成長します。
霊界で自律的に成長して行くために、1人では生きて行けない、この地上に生まれて来たと考えられます。
2024年12月15日日曜日
完全な愛を内に秘めている
2024年12月8日日曜日
変わるために生まれて来た
社会は目まぐるしく変化しています。
私の仕事においても、新しい手法やマテリアルが次々と開発されています。
新たな技術に取り組むのはリスクを伴い、身に付けるまでに労苦があるので、現状のままで行きたい気持ちがあります。
現状のままでいるのは安全で楽ですが、取り残されてしまう可能性があります。
どちらか迷った時は、後悔のないように進んで行きたいものです。
宇宙は一瞬たりとも休むことなく進化しています。
人間は宇宙の一部です。
私たちは、宇宙全体と共に進化して行く運命にあります。
人間はさまざまな面を携えて生まれて来ます。
自然法則の働き(神の心)に適っている面もあれば、適っていない面もあります。
先日、中学時代の同窓会がありました。
50年近くの歳月を経て、容姿には大分変化がありましたが、性格は思ったほど変わっていないように感じられました。
当時、嫌だなと感じていた同級生のある面がなくなっていることに気付きました。
いくつかの面を挙げてみます。
寛容心、親切心、共感力、忍耐力、誠実さ、利他性、公平さ、責任感、思慮深さ、柔軟性、意志力、勇気、思いつくだけでもこれだけありますが、他にもたくさんあるでしょう。
それぞれの面に対極があり、それらの面が組み合わさって、個性が生まれていると考えています。
持っている面が、自然法則の働きに適っていないとします。
例えば、自分勝手な面を持っていたとします。
「利己的」なその面を表現すると、周囲の人に内在する神(良心)が瞬時に反応します。
子供でしたら「いけない」と感じて、注意をしたり、時に仲間外れにしたりすることもあるでしょう。
社会に出て、自分勝手なことばかりをしていたら、会社をクビになるかもしれません。
結婚していたら、離婚されるかもしれません
周囲から返って来るものは、往々にして苦痛を伴うので、自分勝手な言動を改めるようになります。
不寛容な人は、自分が失敗した時に厳しく咎められるかもしれません。
不誠実な人は、信用を失い、誰からも相手にされなくなるかもしれません。
協調性のない人は、疎外されて、孤独になるかもしれません。
神の心に適っていない面は、自然法則の働きにより、不快で不利益な結果が返って来ることで正されて行きます。
私たちが死んだ後に赴く霊界は快適な世界です。
けれども自分が変わるのは難しいようです。
変わる必要に迫られないからです。
そこで地上に生まれて来ます。
苦しみや痛みを伴う経験することで、必要に迫られて、何かを学びながら変わって行きます。
どうしても変われないのであれば、何か理由があるのかもしれません。
変われないために生じる苦しみを味わうことで、過去の過ちを清算している可能性があります。
清算が終われば、苦しみから解放されます。
初めて地上に生まれた人間は、ダイヤモンドの原石のようなものです。
内部にある神の光は遮られてしまいます。
何度も地上に生まれて、さまざまな経験をすることによって、いくつもの面が磨かれて行きます。
たくさんの面が磨かれることによって、眩しい光(オーラ)を放つようになります。
自然法則の働きの中に、神の心が表現されています。
自然法則の働きによって、神の心が表現できるように変わって行きます。
それが魂の成長と考えています。
私たちは自然法則の働きにより変わって行きますが、自らが進んで変わることもできます。
そのためには、知識と意志と勇気が必要です。
知識がなければ、どう変われば良いのか分かりません。
変わろうとする意志がなければ、変わることはできません。
勇気が欠如していると、変わろうとする意志が削がれ、そのままでいたい気持ちが強くなります。
変わる、変わらない、どちらでも選択できます。
けれども、私たちは全体と共に変わって行く運命にあります。
変わらない方を選択したとしても、運命づけられているのであれば、先送りをしているだけです。
ずっと留まっているのは、全体の流れに逆らっていることになります。
そのために苦しいのかもしれません。
勇気を振り絞って、前に進んで行くことで、苦しみから解放されるかもしれません。
全く予想もしなかった世界が、その先に見えて来るかもしれません。
この人生が全てではありません。
果てしなく人生は続いて行きます。
前に進もうとする勇気、変わろうとする意志は、次の世界で成長しようとする意志になると考えられます。
自らの意志で自律的に成長して行くために、変わることで苦しみから解放される地上に生まれて来たと考えられます。
2024年12月1日日曜日
幸せになるために生まれて来た
昔、ある国に王様がいました。王様は広大な領地を治め、金銀財宝を持っていましたが、なぜかいつも心が晴れず、不満や焦燥感に悩まされていました。宮殿の中で「どうして私はこれほどの富と権力を持っていながら幸せではないのだろう?」と考える日々を送っていました。
ある日、王様はその答えを見つけるために、王宮を離れて旅に出ることにしました。国中を歩き回りましたが、心が満たされることはありません。
旅の途中、一人の農夫に出会いました。彼は質素な服をまとい、麦畑で額から汗を流し、歌を口ずさみ微笑みを浮かべながら働いていました。働き終えた農夫が休憩をとっている時、王様は近づいて尋ねました。
「農夫よ、きつい仕事をしているのに、どうしてそんなに幸せそうなのだ?」
農夫は少し驚いた様子で、笑顔で答えました。
「陛下、それは簡単なことです。私は自分に必要なものがすべて揃っているからです。家族は健康で、毎日こうして畑を耕すことができ、食べ物を手に入れることができる。それだけで十分幸せです。」
王様は納得がいかず、さらに尋ねました。「だが、お金や豪華な衣装、大きな家を持ちたいとは思わないのか?」
農夫は再び微笑み、「もちろん、大きな家やお金があればうれしいかもしれません。でも、それがなくても私は十分に幸せなのです。毎朝太陽の光を浴びることができ、働ける健康な体がある。それ以上のものを求める必要はありません。」と言いました。
王様はその夜、農夫の言葉を思い返しながら宿に戻りました。農夫が何も持たずに幸せを感じられる理由が分からず、さらに悩みました。しかし、よく考えた末に気づきました。
「この農夫は、自分に与えられたものに感謝し、毎日の小さな喜びを見つけ、楽しむ習慣を持っている。私はすべてを手に入れようと焦り、今あるもののありがたさを見逃していたのだ。」
王様は宮殿に戻ると、今あるものに感謝する習慣を作り始めました。毎朝起きるたびに、健康であることや家族、臣下の忠誠を思い返し、それに感謝する時間を持つようにしました。すると次第に、不満や焦燥感が薄れ、心の平穏が戻ってきたのです。(終わり)
この逸話を読んで、目に見えるものを追い求めても幸せにはなれない、人は何かに感謝することで幸せを感じ、不平や不満を持つことで不幸せを感じるようになっていると思いました。
誰でも幸せばかりを感じていたいものです。
けれども、地上ではそうは行きません。
自分と似通った人たちばかりいる霊界と違い、地上は違う人たちに囲まれて生活しなければいけません。
そのため人間関係で苦労します。
人と比べては、羨ましがったり妬んだりもします。
霊界では自分が望むことだけをしていれば良かったのですが、地上はそれだけでは生きて行けません。
気が進まないこと、やりたくないこともしなければいけません。
そんなこともあり、つい不平や不満を口にして、自分が不幸せに思えてしまう時があります。
そんな地上に、なぜ生まれて来たのでしょうか?
霊界と地上で、明らかに違うところがあります。
霊界は一極の世界です。
真実しか存在しません。
光しか存在しません。
善しか存在しません。(地上近くは除く)
愛しか存在しません。(地上近くを除く)
地上は二極の世界です。
真実だけでなく偽りも存在します。
光だけでなく影も存在します。
善だけでなく悪も存在します。
愛だけでなく憎しみも存在します。
病気になって、健康のありがたさが分かると良く言われます。
冬の寒さがあって、春の温かさを感じることができます。
対極のものが存在して、初めて認識できるものがあります。
神は法則です。
法則を貫いているのは、完全なる愛です。
私たちは、法則に従って成長して行く存在です。
生きている究極の目的は、永遠の時をかけて完全な愛を表現できるようになることです。
霊界は想念の世界であり、愛に実体があります。
ありふれた存在となっているため、愛を学ぶのにはかえって難しいです。
愛は五感に触れるものではありません。
従って、地上では何もしないで認識することは困難です。
愛を想起させる出来事を経験することで、初めて認識できます。
あるいは、愛が波動として伝わって来て、魂が共鳴して認識することもあるでしょう。
怒りや憎しみなど比較対照となる地上ならではの感情があることによって、愛を鮮明に認識することができます。
「戦争」の対極にあるのが「平和」です。
「差別」の対極にあるのが「平等」です。
どちらが望ましいのか、言わずと知れています。
戦争や差別はあってはなりませんが、望ましい「片方」を学ぶために存在しています。
平和で平等な世界にするためには、互いを許し合い、認め合わなければいけません。
許し合い、認め合うためには、自我を鎮めて、全体を想う心(神の心)を表現する必要があります。
地上を悩ましている事象は、愛を表現することで根本的に解決することを、苦しみや痛みを味わいながら学んでいます。
大切な教訓を学ぶために、対極のものが存在する地上に生まれ、それに相応しい経験をしています。明るい日差しの中で、ロウソクの光を認識するのは難しいです。
暗闇の中で、輝き出します。
この世で不幸と言われる出来事を経験しなければ、見つけることのできない幸せがあります。
両者は一対であり、片方だけが欲しいと言っても、それはできないのです。
不幸とは心が作り出している実体のないものです。
実体がなければ、心で消し去ることができるはずです。
前述の逸話のように、今の自分にないものではなく、あるものに意識を向けて感謝することができれば、不幸として感じられなくなるはずです。
今の自分には何もないと言う人もいるかもしれません。
人は生れる環境を自分で決め、どのような人生を辿るのかも了承しています。
全ての出来事は、神の法則(因果律)の働きによって起きています。
そこに、偶然や運が入る余地はありません。
全責任を神が負った上で、出来事は起きています。
神の心は愛であるがゆえに、最後には悦びを感じるように取り計らわれています。
たとえ地上で悦びを感じることができなかったとしても、出来事は必ず清算されます。
本来の住処である霊界で、学び成長できたことに悦び感じ、そのために地上の出来事が起きていたことを理解します。
完全な公正が働いていたことを、神に感謝するでしょう。
2024年11月24日日曜日
親友の1周忌
11月19日は親友の1周忌でした。
仕事を終えて、急いで彼の自宅に向かいました。
その途中でケーキを買いました。
自宅に到着し、ケーキを手渡して、はにかんだ表情をしている親友の遺影の前で手を合わせました。
その後、居間のテーブルを囲んで家族と話をしました。
今、どうしているのだろうと思う時があります。
死後、どの様な経過を辿るのかは人によって違って来ます。
すでに亡くなった人と再会し、自分の葬式が行われているのを見て、多くの人は死んだと思い始めます。
死んだら無になると信じていた人は、変わらずに意識があるために、地上を生きていると錯覚します。
親友は現実主義者でしたが、霊の存在を否定していたわけではありません。
向こうの世界に順応していると思います。
親友がいるのは想念の世界です。
物質(肉体)を介して自己表現をする必要がなくなり、想念は直ちに具現化します。
遺影の前に掛けられた黒の革ジャンが目に留まりました。
革ジャンを着てハーレーに乗るのが好きだったので、(想念で創り出したハーレーに乗り)気の合う仲間を見つけてツーリングを楽しんでいただろうと思います。
もちろん、家族のことは何よりも気にかけているでしょう。
家族から想いが届いたら、直ちに地上に赴いて寄り添っているでしょう。
必要とあれば、想いを送って助けようとしているはずです。
向こうに行くと、地上の人生を振り返る時が来ます。
さすがに、この時ばかりは神妙になったはずです。
自分がしたことが役に立っていたのを知ると、うれしくなったでしょう。
こんなことをしなければ良かった、あんなことを言わなければ良かったと、悔いたり反省することもあったでしょう。
親友は、30代の時に前妻を亡くしました。
悲しんでいる暇もなく、仕事や幼い3人の男の子の子育てに追われました。
声をかけるのもためらうような状況に陥りました。
それから数年して、今の奥さんと出会いました。
嫁いでくれた彼女は、親友の女神のように思えました。
その後、2人の間に女の子が生まれて、今は大学4年生です。
悲しい出来事もうれしい出来事もありましたが、どれ1つが欠けたとしても、その後の自分はないことに気付いたと思います。
自分で決めて行動したことが相応の結果を生み出し、それに対して行動することで新たな結果を生み出します。
原因と結果の連鎖を繰り返しながら、今に至っていることを実感したと思います。
親友は会社の社長として、気を張って生きて来ました。
その重圧から解放されましたが、後を引き継いだ2人の息子が上手くやっていけるのかを心配していたと思います。
長男に尋ねたところ、親友が亡くなってから取引先を1つも失っていないとのことで、経営状態はまずまずのようです。
2人の努力を褒めると共に、力を併せてさらに発展させて行くように檄を飛ばしました。
同じことを親友は言いたかっただろうと思います。
奥さんのことが、どれほど愛おしく大切な存在だったのかを、死んで改めて分かったと思います。
それは奥さんも一緒のようです。
お互いに伝えておけば良かった想いがあるでしょう。
想念の世界にいる親友に、語らずとも奥さんの想いは知れています。
語ることのできない親友は、奥さんに想いを伝えるのは極めて難しくなっています。
伝えられない想いを、守り導くことで表現して行くことになります。
将来に対する不安は奥さんにあるでしょう。
それでも、何とかなると思える時があるそうです。
そんな時は、親友からの励ましの想いを受け取っていると伝えました。
娘さんに「お父さんの存在を感じる時はない?」と尋ねました。
夢に出て来たと答えましたので「(眠っている時は幽体離脱をして)実際に会っていたんだよ」と伝えました。
すると、目が覚める直前に「お母さんは何も分からない」と伝えられたと言われました。
家族に話したところ、誰も意味が分からなかったようです。
それを聞いて私は「お母さんに接触していろいろと伝えようとしたが、全く気付いてもらえない」と親友は言いたかったと感じました。
そう話すと、みんなから笑いが出ました。
奥さんが(少し鈍感で)気持ちを察してくれないことを、生前から親友は嘆いていたそうです。
愛は魂を引き付ける不滅の力です。
死によって家族への想いが変わることはありません。
自分への想いがはっきりと分かった今、むしろ強くなっているのではないでしょうか。
親友のオーラに包まれて、全員が守られているように感じられました。
帰り際に、親友の分もケーキを取り分けるようにお願いしました。
もちろんケーキは食べられません。
けれども、夫として父親として今も敬意を払ってもらっているように感じられて、うれしいのに決まっています。
命日は、親友にとって向こうの世界での誕生日です。
変わらぬ想いを信じてもらい、向こうの世界での幸せを家族に祈ってもらえたのなら、これほどうれしいことはありません。
一番の供養になると私は信じています。
2024年11月17日日曜日
寿命は決まっている
小学生の夏休みに、公園でセミ取りをしたのを覚えています。
セミの寿命はせいぜい2週間です。
網の中でジージージーと暴れながらけたたましく鳴いている姿を見て、限られた時間を奪っているような気がして、子供ながらに罪の意識を感じました。
生き物には定められた寿命があります。
同じ哺乳類でも、フサオネズミモドキはわずか1ヶ月で、ホッキョククジラは200年以上も生きる個体があると言われています。
人間はどうでしょう?
生きている時間は人によって大きく違います。
100年を超える人もいれば、わずか数時間しか生きていない赤ちゃんもいます。
その違いはどこから来るのでしょうか?
2024年11月10日日曜日
霊界にいる人とつながるために
2024年11月3日日曜日
持っているものを分け与える
霊界が最も憂いている地上の出来事は何でしょうか?
戦争と飢餓だと思います。
9人に1人が飢餓状態にあり、毎日2万5千の人が飢えで亡くなっていると言われています。
さまざまな要因により起こりますが、根本には霊的な知識の欠如があると考えられます。
聖書に書かれている「金持ちとラザロ」の話を思い出します。
豪華な衣装をまとい、毎日贅沢な生活を送っていた金持ちがいました。
そこに貧しく病気に苦しんでいたラザロが訪ねて来ます。
ラザロは食卓から落ちるパン屑を求めましたが、金持ちは無視し続けました。
やがてラザロと金持ちは亡くなります。
死後、ラザロは天使に連れられてアブラハムの元に行き、慰めを受けるようになります。
一方、金持ちは地獄で苦しみ、遠くに見えるアブラハムとラザロに助けを求めます。
金持ちは、自分の舌をラザロに冷やしてもらうことを願いますが、アブラハムは立場が逆転したことを説明し、両者の間には大きな溝があるため、行き来することはできないと告げます。
自分の家族に警告するためにラザロを送ってほしいと金持ちは懇願しますが、アブラハムはたとえ死者が復活して伝えても信じることはないだろうと断言します。(ルカによる福音書より)
地上に生まれると、五感を頼りに生きるようになります。
そのために、目に見えるものが全てと錯覚してしまいます。
お金よりも大切なものはないと思っている人は少なくありません。
目に見えるものには永続性がありません。
お金や肉体は消えてなくなる運命です。
目に見えないものに永続性があります。
生命の本質である魂は不滅です。
魂から生じている愛も不滅です。
愛より大切なものは、この宇宙に存在しません。
目に見えない法則(因果律)が働いています。
自分の行ったこと、言ったこと、想ったことに対して、相応の結果がもたらされます。
金持ちは、この(霊的な)知識がなかったために、死後に苦しむことになります。
持っている者は、持たざる者に分け与えなければいけなかったのです。
なぜ分け与えなければいけないのでしょうか?
肉体は独立して存在していますが、生命(魂)は霊的につながっています。
けれども、普段通りの生活をしていて、つながりを意識することはありません。
何かの出来事をきっかけにして意識することがあります。
2011年3月11日に東日本大震災が起きました。
津波により多くの人が亡くなり、街全体が流されました。
その後「絆」という言葉を良く耳にしました。
それは、悲惨な出来事を経験して、眠っていた魂が目覚めて、目に見えない霊的なつながりを意識するようになったからだと考えています。
他人の身体の痛みは分かりません。
けれども、心の痛みが分かる時があります。
想いを共有することもできます。
もらい泣きや、もらい笑いをしてしまうのは、霊的につながっているため、想いが伝わって来たと考えられます。
離れた場所にいても、ヒーリングはできます。
携帯電話同士が電子的につながっているので会話ができるように、人と人は霊的につながっているので力を伝えることができます。
地球は大きいです。
けれども無限大の宇宙から見れば点のような存在です。
宇宙の中で、地球は1つのユニットとして創られたと考えられます。
地球上の全ての生命は、全体のために何らかの役割りを果たしています。
それぞれが役割りを果たすことで、神が計画した通りに全体が機能します。
植物は動物のために、動物は植物のために、お互いに役割りを果たしています。
全体のために必要とされていない生命は地球に存在しません。
神の心は、全体を想う心です。
全体のために役割りを果たすことで、神の心を表現していることになります。
神の心を表現することで、ばらばらに存在している生命に調和が生まれて、霊的に一体となって行きます。
金持ちが苦痛を味わったのは、(全体のために)分け与えなかったのが、神の心に反した行いだったからです。
地上にはすべての人に行き渡るだけのものがあります。
現実はラザロのような人がたくさんいます。
持っている者が、持たざる者に分け与えていないからであり、同じ罪を犯していることになります。
霊的真理は、お金よりもはるかに価値のある財産です。
持っている者は、持たざる者に分け与えなければいけません。
持っていることで満足していると、金持ちと同じようになってしまいます。
地上を悩ましている出来事は、真理が広まれば根本的に解決されることから考えると、それ以上の罪になるのかもしれません。
真理を伝えたいと意念を発することで霊界が動き始めます。
必要としている人が導かれて来て、自身に起きていること話し始めるでしょう。
そんな時こそ、持っているものを分け与える絶好の機会です。
何よりも大切なのは、伝えたいと言う想いです。
想いがあれば、インスピレーションにより適切な言葉が自然に生まれることも多いでしょう。
それを素直に伝えれば良いのです。
2024年10月27日日曜日
予定している人生を歩むために
今から数十年前、都内の幹線道路を車で走っていた時のことです。
信号待ちで止まっている時、ふとルームミラーに目をやると、後続車がかなりのスピードで迫って来るのが見えました。
危ないと思った次の瞬間追突し、私の車ははじかれて前の車に追突し、前の車もはじかれてその前の車に追突しました。
いわゆる4重衝突です。
車は壊れましたが、むち打ちなどのケガは全くありませんでした。
そのことをある人に話したら「守護霊に護ってもらったのよ」と言われました。
霊の存在を信じていなかった私は、聞き流していました。
霊的真理を知り、考えは変わりました。
その人の言っていたことは正しかったのです。
追突する直前、守護霊はインスピレーションを送ってルームミラーを見るように促していたと考えられます。
迫って来る後続車を見つけて身構えられたので、ケガをせずに済んだのです。
この世界を一人ぼっちで生きているのではありません。
私たちには守護霊が付いています。
地上の人に危害が加わらないように守りながら、予定されている人生を歩むために導いています。
守護霊が付いているのなら、もっとはっきりと存在を示してくれたら安心するのにと思う時があります。
守護霊は霊的な存在です。
そのために五感で認識することはできません。
地上の人も霊的な感覚を持っているので、守護霊の存在やそこから届くインスピレーションを認識できるはずですが、目や耳などの五感から入る情報が圧倒的に多いために、気付きにくくなっています。
仮に守護霊と意思の疎通がスムーズにできたとしたらどうでしょう?
きっと人生の指南役のような存在になるでしょう。
迷った時、悩んだ時、苦しい時など、守護霊に頼る人も少なくないと思います。
地上の人生は、地上の人のものです。
守護霊が干渉してしまうと、それは地上の人の人生にはなりません。
自分で決めて、自分で責任を取ります。
どのような決定をするのかを、じっと見守るしかありません。
守護霊は、地上の人が予定している人生を知っています。
首尾よく予定していた方向に進んで行くことができたのなら、成就させるために惜しみのない援助を始めます。
思念を送り、それを地上の人が受け取ることによって、前に進んで行こうとする力が湧いたり、勇気が出たりします。
間違った方向に進んでしまったのなら、これ以上進みたくない、戻りたくなるような思念を送り続けます。
地上の人の成長に重要な役割りを果たす人が現れたら、特別なものを感じさせるような思念を送るでしょう。
目に飛び込んで来た文字、気になる言葉があれば、守護霊によって印象付けられている可能性があります。
急に頭の中に浮かんだイメージや概念も、守護霊からの思念が地上の人に投影されたものかもしれません。
気のせいにしないで、そこから意図(目的)を感じ取るようにしましょう。
地上の人に危害が加わりそうな時は、胸騒ぎを生じさせる思念を送って、回避させようとしています。
そんな時は、一度立ち止まってみましょう。
自分の思考と霊界からのインスピレーションの判別はつきにくいかもしれません。
もし思考であれば、頭を使って考えているために、答えが出るまでに多少の時間がかかります。
それに対して、インスピレーションは電光石火です。
あるいは、忘れた頃に伝わって来ることもあります。
何も考えていない、感情にも捉われていない、空っぽの頭に思い浮かんだイメージや概念や言葉であれば、霊界からのインスピレーションと考えるようにしています。
守護霊を含む背後霊に、気にかかっていることはどうなのかと、想いを投げかけてみることがあります。
直ぐに「大丈夫」という言葉が思い浮かぶことがあります。
自分の希望的観測ではと思いましたが、守護霊には結果が分かっていますので、その通りになります。
地上の人のほとんどは、生まれる前の記憶を忘れています。
後悔のない人生を歩むためには、守護霊とのつながりを強くすることが望まれます。
そのためには、守護霊の存在を心から信じなければいけません。
信じることができたのなら、親愛の想いを守護霊に送りましょう。
「いつもありがとうございます」と言う感謝の想いでも結構です。
守護霊の愛により、地上の人は導かれています。
お互いの愛によって、霊的なつながりがさらに強くなり、導きやすくなります。
地上の人が失敗や挫折したとしても、守護霊は慌てることはありません。
何かを学んで、立ち直って行くと信じているからです。
それが生れて来た目的でもあり、成長につながるのを知っています。
守護霊にとって1番厄介なのは、地上の人の恐れや不安です。
思念を送っても遮られてしまうからです。
恐れや不安や心配が生じた時には、守護霊の存在を思い出しましょう。
そして、つながっていると強く信じましょう。
そうすれば安らかな気持ちを取り戻すことができるかもしれません。
現実を変える力は、守護霊にはありません。
けれども、守護霊から送られて来る思念には、地上の人の心のありさまを良い方向に変える力が秘められています。
心が急に明るくなったり、前向きになれたとしたら、それは霊界から届く想いが魂に届いていたのかもしれません。
守護霊と共に生きていることを忘れないで下さい。
信じて、親愛(感謝)の想いを向けていれば、霊界からの恩恵を受けやすくなり、予定している人生を歩んで行くことができます。
2024年10月20日日曜日
神に向かって成長を続ける
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答え「美はどういう形態をしているのでしょう。愛はどういう形態をしているのでしょう。光はどんな形態をしているのでしょうか」
質問「形態を超越してしまうと色彩が認識の基本になるのでしょうか?」
答え「その通りです。ただし地上世界の基本的色彩となっているものが幾つかありますが、私たちの世界にはあなた方の理解力を超えた別の色彩の領域が存在します。私たちは高級界からの霊の姿が発する光輝、そのメッセージとともに届けられる光によって、その方がどなたであるかを認識することができます。形態というものがまったく無いことがあるのです。ただ思念があるのみで、それに光輝が伴っているのです。」
神界の存在は形態のない霊であり、シルバーバーチもその1人だと思います。
霊界にいる者にとって、神界の存在は光り輝いていて、憧憬の念を抱いているのかもしれません。
人間には、成長しようとする根源的な欲求があります。
その欲求を満たすために地上に生まれて必要な経験をしています。
神界にいるであろうシルバーバーチはこう励ましています。
2024年10月13日日曜日
この戦争を終わりにするために
今、中東で起きていてる戦争が拡大しそうです。
この戦争は、私が生まれる前から続いています。
どちらが正しい悪いと単純に決め付けられないこと、いくつもの原因と結果が折り重なっていることが、この戦争が終わらない理由になっていると思います。
イスラエルに住む人の多くはユダヤ教徒です。
ユダヤ教の聖典(出エジプト記)には「もし損害があれば、命には命を、目には目を、歯には歯を、手には手を、足には足を」と書かれています。
自分が受けた危害と同じものを相手に与えるという意味だと思っていましたが、実際には損害を受けた分を公正に保証してもらうという意味合いが強いようです。
ところが、今起きていることは、目を傷つけられたら、相手の目だけではなく歯も耳も鼻も傷つけようとしているように感じられます。
ユダヤ人には、ホロコーストで何百万人も殺された忌まわしい過去があります。
その時に誰にも助けてもらえなかったという悔しい思いがあります。
傍目からは過剰な攻撃に見えますが、自分の身は自分で守るしかないという意識が強く、それを当然と考えているのかもしれません。
やり返さなければ、相手の為すがままになってしまうという強い怖れが、このような行動に駆り立てているのかもしれません。
今から2000年前、イスラエルの地はローマ軍の支配下にありました。
抑圧されたユダヤ人は、怒りや憎しみが渦巻いていたでしょうが、強大なローマ軍の前に為す術がありませんでした。
昔のユダヤ人は、今のパレスチナ人の境遇と似ている気がします。
そんな時代に、イエス・キリストが現れました。
「汝の敵を愛せよ」
「右の頬を打たれたら、左の頬を差し出せ」と言いました。
当時のユダヤ人にとって、これまでとは全く違うこの教えは、極めて新鮮に感じられたと思われます。
現実に、このような対応をするのは極めて難しいです。
けれども、やられたらやり返すのでは、さらに傷つくだけです。
報復の連鎖から抜け出すためには、この「愛」の精神がどうしても必要となって来ます。
人は自分が受けた被害にばかりに目が行ってしまいます。
相手はどのような理由でその行為に及んだのかを知ろうとはしません。
そこには、大切な人を殺された怒りや憎しみや悲しみ、住む土地を追われた絶望があるはずです。
激しい憎悪を感じる相手にも、自分たちと同じ感情があり、それによって突き動かされている同じ人間であることに気付くでしょう。
ユダヤ教もイスラム教も、神は唯一絶対で全知全能の存在と言っています。
それ自体は間違っていませんが、人間から超越していて、全く別の存在と考えるのは誤りです。
シルバーバーチの霊訓にはこう書かれています。
「私たちもミニチュアの神としてもちろん大いなる慈悲を宿してはいるのですが、地上の人間性という覆いをかぶっているがために、それをきわめて不完全にしか表現できていないからです。」
全ての人間に神が内在しています。
地上の人間は、内在する神性を表現しようとする存在です。
けれども、表現媒体(肉体や精神)が未熟なため思うようにできません。
神性は閉じ込められ、エゴから生まれる怒りや憎しみの感情に支配されています。
その感情を表現してしまうと、相手にも同じ感情が生まれ、エゴの連鎖が始まります。
人を傷つける行為は、神を傷つけようとする愚かな行為です。
人を傷つけた者は、神の法則(因果律)によって、自らが傷つきます。
憎しみに燃えて、やり返さなくても、宇宙を支配している神の法則により、等価の報いを受けるようになっています。
相手を愛する行為は、神を愛する行為です。
敵を愛する行為は、最大限に神を愛する行為です。
あらゆる感情に優越する力が愛です。
エゴから生まれる感情は、愛によって打ち消すことができます。
愛を表現することで、エゴの連鎖は止められますが、少なからず自己犠牲が伴うので、簡単ではありません。
それでも、許すことで愛を表現しなければ、この戦争を終わりにすることはできません。
愛を表現することのできた者が真の強者であり、勝者であると考えています。
私はミサイルが爆発した音を聞いたことはありません。
住む家を失ったり、戦争で傷ついた人を直接見ることもありません。
死の恐怖を感じたこともありません。
戦争を止めさせるために、何かできるわけでもありません。
けれども、同じ地上を生きている同胞として、想いを共有しようと努めることはできます。
肉体を使って意念を具現化しているのが地上の人間です。
意念はエネルギーです。
1人の人間から放たれる意念は弱くても、より多くの意念が集まれば、この物的世界においても具現化する方向に向かって動き出すと信じています。
1947年にインドはイギリスから独立しました。
ガンジーが放つ「非暴力と不服従」の意念は神の法則に反することなく、その意念に多くの国民が同調することで、独立を勝ち取ったと考えられます。
同じ意念を発することで、世界は具現化する方向へと変わって行きます。
多くの人が神に平和を祈っています。
戦争の最中にいる人は「もう終わりにして欲しい」と切望しています。
もし、世界中の人たちが想いを共有し「この戦争を終わりにする」という同じ意念を一斉に放つことができたとしたら、具現化する方向に動き出すと思っています。
意念は地上的労苦の代用とはなりませんが、何もできない現状において、有効な手段になり得ると考えています。
2024年9月29日日曜日
役割りを果たすために生まれて来た
ちょっとグロテスクに感じる方もいるかもしれませんが、私はこんな光景を毎日眺めながら仕事をしています。
ある人が、要らないと思い、手術をして切り取ってしまったそうです。
そうしたらどうでしょう? 食べた物が気管に入りやすくなり、むせるようになってしまったそうです。
何のためにあるのか分からない組織ですが、誤嚥を防ぐという大切な役割りがあったのです。
これらの人体の構造は遺伝子によって決められています。
一人の人間の細胞内にある遺伝子をつなぎ合わせると、太陽系をはるかに超える長さ(740億km)になります。
そんな長大かつ精緻な遺伝子が、偶然が重なって出来上がるはずはありません。
無限なる叡智によって設計され創られたと考える方が、遥かに自然です。
人体に無駄なものがないのはそのためです。
生命が生まれるのも死ぬのも自然現象の一環です。
自然現象は自然法則の働きによって起こります。
地球上には800万種以上の生命がいると言われています。
この世に存在している全ての生命は、無限なる叡智によって創られた自然法則の働きによって生まれて来ています。
生命に無駄なものは存在しません。
少し強引かもしれませんが、地球上の生命を人体に見立てたとします。
人類は人体の一部の組織であり、個々の人間は組織を構成する細胞と言えます。
その他の大部分の細胞は、人類以外の生命によって構成されています。
それぞれの細胞が協調的に働くことによって、生命活動が営まれています。
全ての細胞は同じ血液が流れることによって生かされているように、全ての生命は同じ生命力が流れることによって生かされています。
生命とは霊です。
全身の細胞は、同じ血液が流れてつながっているように、全ての生命は同じ生命力が流れて「霊的」につながっています。
それぞれの細胞に何らかの役割りがあるように、それぞれの生命に何らかの役割りがあります。
必要とされて存在していますが、全体があまりにも大きく、お互いの関係が分からないためにそう思えません。
自然法則の働きの中に、神の心が顕現しています。
神の心の根底にあるのは「愛」であり「調和」です。
全体のために役割りを果たそうとする力が愛です。
愛は魂に内在する神から発せられています。
愛を表現することによって、全体に調和がもたらされます。
悲しいことに、地球で最も進化している人間が調和を乱しています。
同胞(人間)と争い、他の生命を虐げています。
まるで、周囲の組織を押しのけて増殖する利己的なガン細胞のように感じられる時があります。
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| 地球温暖化の影響で餓死しかけているシロクマ |
なぜそのようなことが起きるのでしょうか?
全体が見えていないからです。
生命のつながりが分からないからです。
地球は強烈なオーラを放つ1つの生命体のように見えます。
この星に生まれて来たのは偶然ではありません。
自らが成長する最適な場所として選んでいます。
全体のために役割りを果たすことで、個々は進化成長します。
難しいことではなく、良心に従って行動することで、役割りを果たしていると考えています。
それにより調和が促され、霊的に美しい世界となって行きます。
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