「カルマ」という言葉を知ったのは、30年くらい前です。
得体の知れない宗教団体の教祖がテレビで口にしていました。
ありもしないことを言って、人を怯えさせているように思えて、拒否反応を示したのを覚えています。
霊的真理を知った今、カルマが存在することを認めています。
当初は、悪い行いをすると、苦しんだり痛い思いをして、罪を償うことだと思っていました。
それから、少しずつ考えが変わって来ています。
1+1=2 2×2=4
この数式を変えることはできません。
それと同じように、自分の取った行動、自分の発した言葉、そして外に出ない自分の想いまでもが自然法則に計られて、数学的な正確さを持って、変えることのできない結果を生じさせます。
お酒を飲み過ぎると、肝臓が悪くなるのもそうです。
嘘をつくと、信用されなくなるのもそうです。
悲しくなると、涙が出るのもそうです。
当たり前のように感じられますが、それぞれの原因(行いや想い)に対し、決められた結果(現象)が自然法則の働きによって起きています。
見方を変えると、起きている現象には、何かしらの原因が存在していることになります。
死んだら人生が終わるわけではありません。
生まれる前にも人生があり、死んだ後にも人生は続いています。
生まれる前にあった原因が、この人生において結果として起きていることがあります。
けれども、ほとんどの場合、原因を知ることはできません。
知ることができなければ、偶然として片付けるしかありません。
何の前触れもなく、原因も分からずに起きる出来事、例えば現代医学で治癒が見込めない病気に突然なることもあるでしょう。
苦しみや痛みを感じながら生きることが、過去生で作った原因の償い(結果)となっている時があります。
けれども、全ての病気が償いのために生じているわけではありません。
学びや成長のために、自らが志願して病気になる場合もあります。
また、本来の自分の生き方を取り戻すために病気になる人もいます。
償いのために病気になったのでなければ、良い方向へと自分が変わるはずです。
変わる目的を果たしたのならば、病気が存在する意味はなくなり、治るはずです。
たとえ、肉体上の病気が治らなかったとしても、今までような苦しみや痛みは感じられなくなるはずです。
川の中で、1ヵ所に留まっていると、水の流れによる圧力を受けます。
流れに従えば、圧力を受けることはありません。
私たちは、霊的に成長するように定められています。
変わらずに、留まっていようとすると、苦痛を感じるようになっています。
もし苦痛を感じているのであれば、変わることを促されている可能性があります。
カルマによる償いの本質は、肉体的な苦痛を経験することではないと考えられます。
変わりたくても変われない、成長したくても成長できないことから生じる、霊的な苦痛と考えられます。
変わりたいけれども、どうしても変われない自分がいるとすれば、知ることのできない原因が存在しているのかもしれません。
変われない苦痛を、今生で享受しているのかもしれません。
地上を生きている人には、多かれ少なかれそんなところがあると思います。
自分の性分は、自分では変えられません。
自然法則の働きに反した性分であれば、それを地上で表現すると、苦痛を伴う結果となって返って来ます。
利己的な性分は、自然法則の働きに反しています。
そんな性分が表に出て、わがままな言動をすると、周囲から疎外されて、孤独という苦痛を味わうことになるかもしれません。
誰しも、苦痛を感じたくありません。
原因に気付いて、自分を変えて行くことになります。
ところが、過去生においてその性分が原因で過ち(カルマ)が存在していると、原因に気付けなくなると考えています。
そうなると自分を変えるのが難しくなり、また同じことを繰り返すことになります。
過去生での過ちと釣り合いが取れるまで、苦痛を味わい続けることになります。
繰り返される苦痛の中で、いつの日か償いが終わる時が来ます。
償いが終わった時、自然法則の働きを学んで、自分が変わっています。
人を懲らしめるために、カルマが存在するのではありません。
自然法則の働きを学んで、神の心に近づくために存在すると考えられます。
苦しい思い、痛い思いをしているのであれば、自分のどこかに自然法則に適っていない部分があるのかもしれません。
周りのせいにして、憤ったり嘆いたりすると気付けなくなり、(自分を変えられずに)苦痛が続いてしまうことになります。
原因が自分にあるかもしれないと省みることが、カルマ解消の第一歩となります。
どうしてもやらなければならないと感じることがあれば、それは生まれる前に決めていたことかもしれません。
自らが志願している時もあれば、償いのための時もあります。
私がこうしてブログを書いているのも、そのどちらかです。
どちらにせよ、成長するために必要だったと考えられます。
カルマにより生じるのは、償いだけではありません。
自然法則の働きに適った行いをすれば、魂の成長となって返って来ます。
魂が成長するほど、苦しみは感じられなくなり、悦びのみが感じられるようになると言われています。
自然法則の働きの中に、神の心が反映されています。
自然法則の働きによって、苦痛を感じたり、悦びを感じたりするのは、神の心に適った存在になるためです。
悦びを感じながら生きるためです。
自分が蒔いた種を、自分で刈り取っています。
その行程を繰り返しながら、現在に至っています。
この先、どんな種を蒔くのかは、個々の自由意思に任されています。
良心の声に従いましょう。
一時的に苦しくなっても、その先で望ましい結果が生じるはずです。
後悔することは決してありません。
神の心(愛)を表現するようにしましょう。
その先で悦びとなって、自分に返って来るはずです。
2 件のコメント:
こんにちは。スピリチュアリズム普及会のインフォメーションNo.49を読まれましたか?
シルバーバーチに関わる人には、必ず読んだ方がいい大切な内容になっています。
もしまだでしたらぜひとも読んでみて下さい!
匿名様
こんにちは。
ご連絡いただき、ありがとうございます。
私がシルバーバーチの霊訓に巡り会えたのは、スピリチュアリズム普及会様のお陰であり、大変感謝しています。
インフォメーションNo49ですが、もう読んでいます。
イエスは史上最高の霊的指導者です。
ご存じとは思いますが、さまざまな通路を通して、世界中に真理を普及させようとするスピリチュアリズム運動の最高位の存在です。
今、地上では、戦争でたくさんの人たちが死んだり、傷ついたりしています。
また、食べ物や飲み水が行き届かず飢えて死んでいく人たちもたくさんいます。
そして、温暖化などで罪のない人や動物たちが、多大な損害を被っています。
そんな様子を目の当たりにして、イエスは現状を大変憂いていると思います。
そんな悩める人類に向けて、イエスが伝えたいことはたくさんあるはずです。
地上の拠点として普及会様を選んだのであれば、(体制作りは大切でしょうが)今、苦しんでいる人たちや動物たちを救うための叡智が授けられるはずです。
期待して、待っているところです。
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