「終活」と言う言葉がだいぶ定着して来ました。
以前は、死を考えること自体がタブーでしたが、意識が変わって来ているのでしょう。
それでも、死について正確に理解している人は、まだ少ないようです。
霊的真理と出会い、死は怖くなくなりました。
次の世界へ移行する自然現象であることが、はっきりと判ったからです。
それでも、死ぬ時に苦しみや痛みを感じたくはありません。
摂理(自然法則)に適った生活をしていれば、苦しまないで死ねるようです。
熟した実が木から落ちるように、ごく自然に、穏やかに次の世界に移行したいものです。
さまざまな霊界通信によって、死後の世界の様子を窺い知ることができます。
総じて、今いる世界よりもはるかに快適なようです。
肉体はないため、病気にならず、老いもありません。
食べて行くために働く必要もありません。
そんな次の世界の様子が、はっきりと判ったらどうでしょう?
この世から逃げ出してしまう人が続出するかもしれません。
過ちを犯さないために、ベールに包まれていると思います。
この世に生まれて来た目的は、成長するためです。
自分に足りない資質を手に入れるためであり、過去の過ちの償いをするためです。
志願して生まれて来たのにもかかわらず、生きているのがつらいからと、自分で終わりにすることは許されません。
何とか踏み留まろうとするのは、自分で終わりにすることが過ちであること、生まれて来た目的を、奥底にいる自分は知っているからです。
そして、守護霊が必死に止めさせようと、働きかけているからです。
人生は楽しむもの、楽しくなくてはならない、そう思っている人は多いです。
私もそうでした。
人生には、楽しいことはたくさんあります。
躊躇することなく、思いっ切り楽しめば良いと思います。
しかし、楽しいことばかりではありません。
苦難と言われるようなことも起きます。
自然法則の働きにより、苦難を乗り越えて行くことで、人は成長するようになっています。
もし、楽しいことばかりの人生だったらどうでしょう?
周囲からは幸せそうに見え、羨ましがられます。
しかし、霊的には得るものが少ない、成長の乏しい人生になってしまうと思います。
シルバーバーチの霊訓にはこう書かれています。(以下「」内の文章はシルバーバーチの霊訓から引用)
「いつも日向で暮らし、不幸も心配も悩みも無く、困難が生じても自動的に解決されてあなたに何の影響も及ぼさず、通る道に石ころ一つ転がっておらず、征服すべきものが何一つないようでは、あなたは少しも進歩しません。向上進化は困難と正面から取り組み、それを一つひとつ克服していく中にこそ得られるのです。」
もがき苦しみながらも、降りかかる困難を克服して行くことで、向上進化するようになっています。
向上進化は、行き当たりばったりではなく、計画的に行われています。
「地上へ誕生してくる時、魂そのものは地上でどのような人生を辿るかをあらかじめ承知しております。潜在的大我の発達にとって必要な資質を身につける上でそのコースが一番効果的であることを得心して、その大我の自由意志によって選択します。
その意味であなた方は自分がどんな人生を生きるかを覚悟の上で生まれてきているのです。その人生を生き抜き、困難を克服することが、内在する資質を開発して真の自我、より大きな自分に新たな神性を付加していくことになるのです。」
生まれる前に立てられた計画に沿って、人生が展開して行きます。
計画が思い出せないのは、私たちがまだ未熟なためと考えられます。
次の世界では、想ったことが直ちに具現化します。
一方、今いる世界では、物質(肉体)を介して具現化しなければなりません。
具現化するためには、精神的、肉体的な労力を必要とします。
しかも、思い通りに具現化するとは限らず、失敗もします。
具現化する意志と労力を培うことが、魂の成長を促していると考えられます。
次の世界では、自分と極めて似ている人しか周りにいません。
今いる世界は、自分と似ていない人たちに囲まれながら生きています。
肉体的、精神的、霊的にさまざまな人がいるので、交わると種々の問題が生じます。
生じた問題は、神の叡智(摂理)を学ぶことにより解決されて行きます。
言い方を変えると、神の叡智を学ぶために、さまざまな人がいる地上に生まれて来たと言えます。
次の世界に行くと、地上のような困難や障害を経験しなくても良くなります。
そんな世界に、ずっといたくなるような気がします。
「何もかもうまく行き、日向ばかりを歩み、何一つ思い煩うことのない人生を送っていては、魂の力は発揮されません。」
苦痛のない快適な世界を離れて、地上に生まれて来るのは、さまざまな経験をすることができ、そこから叡智を学び、自分を大きく成長させることができるからです。
それでも、何で自分がこんなつらい経験をするのかと思う時もあります。
「時として人生が不公平に思えることがあります。ある人は苦労も苦痛も心配もない人生を送り、ある人は光を求めながら生涯を暗闇の中を生きているように思えることがあります。しかしその見方は事実の反面しか見ておりません。
まだまだ未知の要素があることに気づいておりません。私はあなた方に比べれば遥かに永い年月を生き、宇宙の摂理の働き具合を遥かに多く見てまいりましたが、私はその摂理に絶対的な敬意を表します。神の摂理がその通りに働かなかった例を一つとして知らないからです。」
出来事は、因果律の働きによって起きています。
因果律を創造した神の目的は、生命(魂)を向上進化させるためです。
苦難の経験は霊的成長として報われることを、霊界にいる人たちは、地上の人に分かってもらいたいのだと思います。
苦しみを感じるのは、地上で成長する余地が残されているからだと思います。
感じなくなれば、霊界で向上進化して行くようになると思います。
楽しもうとする欲求は、何でも好きなことができる、次の世界で十分に満たされています。
満たされると、楽しむことにそれほど喜びを感じなくなり、もっと大切なことに気付くことになると思います。
もっと大切なこととは、自分が成長することです。
成長して、周囲のためにより自分が役に立てるようになることです。
楽しいことをすれば、喜びになります。
役に立った時の悦びは霊的なものであるため、より深く、永続的なものとなります。
真の悦びを味わうために、私たちは地上に生まれ、さまざまな経験をしています。
以上のことから、楽しむことを目的に、地上に生まれて来た人はいないと考えられます。
この世の人生は楽しむためではなく、成長するためにあります。
































