20数年前にヒーリングの力が突然出て、そして霊的真理に出会い、私の人生は大きく変わりました。
多大な恩恵を受けた霊的真理と、ヒーリングの力の存在を、まだ知らない人へ伝えたい気持ちが強くなりました。
それを最優先したかったので、このまま仕事を続けて良いのかと悩む時期がありました。
けれども、全ての霊的奉仕は無償で行うと決めていたので、家族を養うためには仕事をしなければいけません。
仕事で思い浮かぶのが、シルバーバーチの霊訓に書かれているこの言葉です。(以下「」内の文章はシルバーバーチの霊訓より引用)
「霊的成長は、思いやりの心、寛容の精神、同情心、愛、無私の行為、そして立派に仕事を仕上げることを通して得られます。言いかえれば、内部の神性が日常生活において発現されてはじめて成長するのです。」
”立派に仕事を仕上げる”のは、他とは違うように感じられましたが、社会への奉仕の一環なので、神性を発揮していることになるのでしょう。
だからこそ、仕事を通して喜びが感じられるのだと思います。
地上の仕事は魂を成長させるものとして、神の計画に組み込まれていて、今の自分に必要なものと考えるようになりました。
「何もかもうまく行き、鼻歌まじりの呑気な暮らしの連続では、神性の開発は望むべくもありません。そこで神は苦労を、悲しみを、そして痛みを用意されるのです。そうしたものを体験して、初めて霊的知識を理解する素地ができ上がるのです。」
別のところで「地上生活という巡礼の旅において、内在する神性を開発するためのチャンスはあらかじめ用意されております。(続く)」とあります。
地上の人生が楽ではないのは、その方が神性を発揮することができるからです。
スポーツの世界を見ていて思います。
日々の練習によって、アスリートたちの実力は向上して行きます。
厳しい練習に、必死に耐えているのは、試合で望むような結果を出して、喜びを味わいたいからです。
地上の人生も同じです。
地上に生まれ、苦労や悲しみや痛みを伴う経験をするのは、望んでいる自分になるためです。
より次元の高い奉仕をするための資質を身に付けて、自分が活かされていることに喜びを感じながら生きて行くためです。
肉体がない霊界では、そのために必要な経験をすることができません。
いざ地上に生まれてしまうと、そのことを忘れてしまいます。
何で自分がこんな経験をしなければならないんだと、憤りさえ覚えることもあります。
人間は、神の一部であり、神の媒体です。
神性とは、媒体を通して発揮される、神の意志と考えられます。
神性が発揮されるのは、人や動物に優しくしたり、社会のために奉仕するなど、周りに対して「愛」を表現する時だけではありません。
起きた出来事(困難や障害)を乗り越えようとする時にも、神性は発揮されています。
神性が発揮されている時に、魂は成長しています。
神の計画によって、永遠の時をかけて、魂は完全(神)に向かって成長して行きます。
神性が発揮されることで、その計画は成就して行きます。
しかしながら、人間には自由意志が与えられています。
そのために、計画された通りに神性が発揮されるとは限りません。
先程の文章は、こう続いています。
「その(神性を発揮する)チャンスを前にして積極姿勢を取るか消極姿勢を取るか、滅私の態度に出るか自己中心の態度に出るかは、あなた自身の判断によって決まるということです。」
乗り越えようとすることも、目を逸らして逃げてしまうこともできます。
霊的な能力について、思うことがあります。
イエスもそうでしたが、霊的な能力は霊的真理を伝えるために与えられたものです。
能力を発揮した対価として、高い報酬を受け取ることもできますが、そうすると真理を伝える障壁となります。
霊界の人たちには、自己中心的な態度として映っているのかもしれません。
お金がなければ生きて行くことができませんが、この様に書かれています。
「この仕事において援助を求める声、知識を広めたいと願う心は、私たちに関する限り絶対に無視されることはありません。私たちには皆さんの霊的な必需品、精神的必需品、および物資的必需品は先刻承知しております。その時点において是非とも必要とみたものは必ず用意してあげます。ただし、それは私達霊界側の法則に則って私たちのタイミングを計って行います。人間側の都合に合わせて行うわけには行かないのです。」
摂理に適った動機により奉仕をしていれば、地上を生きて行くのに必要な物資は、霊界の計らいにより与えられます。
そのことを信じれば、進んで行けると思います。
近年、動物の愛護活動をしている人が増えて来ました。
動物の幸せのためという純粋な動機の人もいれば、残念なことに動物を利用して金銭を得ようとする人もいます。(外から見ている限りその判別は極めて困難です。)
動機に対して、法則は厳格に働いています。
同じ行いであっても、結果は全く違います。
金銭欲求や承認欲求を満たすためなど利己的な動機ならば、神性が発揮されないどころか、自分の成長を妨げていることになります。
後で待っているのは、他者や自分を欺いたことに対する後悔であり、苦しみです。
今日1日、神性が発揮されることを祈りながら起床するようにしています。
普段なら怒ってしまうようなことが起きても、穏やかな気持ちでいられた時や、何かを前にして怖れや不安を抱かずにいられた時は、神性が発揮されたと考えられます。
諦めないで、最後まで頑張れた時も、神性が発揮されたと考えられます。
勇気を出して挑戦するのもそうです。
人を信じようとするのもそうです。
考えや意見が違う人を認めようとするのもそうです。
許そうとするのもそうです。
このように、地上は神性を発揮するチャンスで溢れているのです。
出来事を、どう捉えて、どう行動するのかが問われています。
他者や運のせいにして、不平不満や怒りが生まれている時には、神性が発揮されることはありません。
学び成長するために起きていると捉えれば、エゴ的な感情に支配されずに、神性が発揮されることになるでしょう。
.jpg)



0 件のコメント:
コメントを投稿