2022年6月26日日曜日

霊的につながっている

            

当たり前のことですが、私たちは食べ物を摂って生きています。

それがエネルギーに変わり、肉体を動かす力となっています。

食べないと、力が出ないのは、誰もが経験していることです。



人間は肉体だけの存在ではありません。

精神が存在しています。

精神が命令を出して、肉体を動かしています。



食物を食べないと、精神が活動できないわけではありません。

むしろ、空腹の時の方が清明になるような気がします。

お腹いっぱいになると、逆に働きが鈍くなります。

精神は、肉体とは別系統のエネルギーによって活動していると思われます。



精神の上位には、生命の本質である「魂」が存在しています。

魂は意識そのものです。

そこから思念が生じています。

魂で生じた思念は、精神で具体化されて、肉体で具現化されます。

それを繰り返しながら、地上の人生は紡がれて行きます。



思念が生まれなければ、何も始まりません。

精神活動の元となるエネルギーは魂から供給され、思念は地上での活動の起点になっていると考えられます。



死んで次の世界に行くと、肉体はなくなります。

五感は消失し、霊的感覚のみになります。

そこでは、言葉を介さずに、思念のやり取りをしています。

想ったことが、齟齬なく、直接伝わります。



一方、地上にいる私たちは、言葉でコミュニケーションしています。

言葉の実体は思念です。

思念を言葉に変換し、それを相手に伝えています。

伝えられた言葉から相手の思念を類推しています。

言葉を介しているので、どうしても齟齬が生じます。

私たちは、思念を媒体を通して伝達しなければならない、煩わしい世界にいます。



思念は周囲に放たれています。

しかし、五感を通してコミュニケーションをしているため、霊的感覚は極めて鈍くなり、思念は認識されなくなります。

それでも、放たれた思念は誰かに受け取られ、少なからず影響を与えています。

もらい泣きをしたり、つられて笑ったりするのも、そのためです。

人は、思念というエネルギーを放ち、受け取りながら生きています。

多くの人は、そのことを意識していません。


今、世界中の人と、メールでやり取りができます。

インターネットという回線でつながっているからです。



それぞれの人は、独立しているように見えます。

それは肉体の話です。

インターネット回線ではありませんが、人と人は目に視えない霊的なつながりがあります。

そのために、思念のやり取りが可能になります。



身体には37兆個もの細胞があります。

どの細胞にも同じ血液が流れています。

個々の細胞の形態は違いますが、全身を構成する1部には変わりありません。



地上には、無数の生命体が存在しています。

種は違っても、同じエネルギーが流れて、生きています。

違う細胞が集まって人体が構成されているように、さまざまな生命体が集まって全体が構成されています。

それぞれの細胞に役割りがあるように、それぞれの生命体には、全体に貢献する何らかの役割があります。

密接に関連しながら共存しています。



極めて精緻な生命体が、偶然によって生まれたとは、とても思えません。

何者かが、何らかの意図を持って創ったと考えた方が、はるかに自然です。

創った存在を、神と呼ぶことにします。



宇宙を創ったのは神です。

神的エネルギーによって、宇宙は創られています。

宇宙全体が神であり、神は宇宙全体です。

人間は、宇宙を構成する限りなく小さな一部分です。

従って、私たちも神的エネルギーによって創られています。



私たちの身体は、エネルギーでないと言う人もいるでしょう。

物質もエネルギーです。

生命の本質である魂も、同じくエネルギーです。

全てが神的なエネルギーです。

しかし、肉体と魂では波長が違います。

魂が目には視えないのは、波長の短いエネルギーだからです。



魂から生じる思念も神的エネルギーであり、神性を帯びています。

神性を一言で表現するならば「愛」です。

魂から生じたエネルギーは、本来は愛を表現するものです。

けれども、表現するためにある精神や肉体が未熟なために、歪められてしまいます。

怒りや憎しみも、媒体により神的エネルギーが歪められたものです。



愛を表現することによって、調和が進んで、全体が1つになって行きます。

愛に反する怒りや憎しみを表現することによって、バラバラになって行きます。

神の目的は、物的にバラバラになった全体を、愛により1つにさせることだと考えています。



人から生じている思念はさまざまです。

霊界では、似通った思念を放つ人たちと生活しています。

地上でも、同じような思念を放っている人同士が引き付けられ、集まる傾向があります。



人と人は、エネルギーのやり取りをしています。

そのことを強く感じられるのが、ヒーリングをしている時です。

手を触れながらする時もありますが、目の前にいない人をすることの方が多いです。

1面識もない人にヒーリングの力は届きます。

今でも、その理由ははっきりと判りませんが、こう考えています。

人と人はつながっていて、意念を向けた人との間に関係性ができて、力が届けられる。



自分も人も動かすエネルギーである思念も同じです。

目に視えませんが、人から人へと伝わっています。

生命はつながり、巨大なネットワークを形成し、その中でエネルギーのやり取りをしています。

霊的に1つなのです。






6 件のコメント:

ラッパ吹き さんのコメント...

イクミさん、

いつもありがとうございます。

>そこでは、言葉を介さずに、思念のやり取りをしています。

>想ったことが、齟齬なく、直接伝わります。

>一方、地上にいる私たちは、言葉でコミュニケーションしています。



ウツを病んでから人のおしゃべりが物凄い苦痛で、今でも通勤電車でも街中でも、耳を塞いで逃げ回っているほどなんです。

仕事や音楽のレッスンや、ライブで知り合いのミュージシャンやレッスン仲間と会話するのは大丈夫なんです。自分に向けての言葉は大丈夫。

猛烈な苦痛なのは、男女問わず井戸端会議のようなおしゃべり、アベックのしなをつくったようなおしゃべり、最近とくに増えたスマートフォンでイヤホンつけての電話。もうしわけないけれど、女性のグループの休符のない忙しないおしゃべりは、もう気が狂いそうになるくらいで。。



うつ病のためだと思っていましたが、今でもとくに精神的に疲れているときにはそれが酷くて、毎日通勤電車でもどこでもおしゃべりが耳を塞いでもほんの1分も耐えられなくて、車両を移ったり、そこでもまたさらに酷いおしゃべりがあって、また逃げて、また逃げて、キリがなくて。



この苦痛の感覚をどう表したらよいかわからないのですが、頭の中を踏み躙られるような、物凄い暴力のような、本当に肉体的な痛みを感じるくらいの物凄い苦痛なんです。



おしゃべりが無くて、テレパシーで通じ合えたら、、でも予期しない思念が飛び込んでくるのはやはり同じような強烈な苦痛なのかもしれません。



仕事の場では他の人たちがしている会話はそれほどの苦痛ではないのが不思議です。

ああ、でも、集中して思考している時には人の会話に思考を邪魔されて気が散って苦痛ですが。。



意識的に何かを考えているか否かにかかわらず、無であっても空白であっても、思念の場をを踏みにじられるのが猛烈な苦痛、と言ったら良いか、、、

テレパシーの超能力があるわけでもないのですが、



ウツのせいなのか、何か意味があるのか、



すみません、まとめられなくて、

今は思考を追いかけてまとめる力がないんです。思考の部分が疲弊しているみたいで、力尽きてしまって、

すみません、ここまでなんとか浮かんだまま、、

どうかお許しください



ラッパ吹き

イクミ さんのコメント...

ラッパ吹き様

こんばんは。
早速、読んでいただき、ありがとうございます。

そうですね。
私もイヤホンを付けての携帯の会話は、断片的なものになるので気になります。
聞きたくない声や音は、雑音以上のものに感じてしまいます。

うつ病のためではなく、HSPにより感受性が高くなっていて、色々な声や音に過敏に反応してしまい、精神が疲れてしまうのかもしれません。
女性の会話から感じる高揚感やせわしなさも、心を疲れさせる要因になっていると思います。

あの世のようにテレパシーで特定の人だけと会話ができれば良いのですが、地上では無理です。
聞きたくない言葉、見たくない光景、体験したくないことで溢れています。
それを経験するのも、地上に生まれた1つの意味であり、お互いを認め合い、許し合うことで、寛容性が養われて、魂を高めているような気がします。

ラッパ吹き さんのコメント...

イクミさん、ありがとうございます。

振り返ってみると、おしゃべりがこれほどの耐え難い苦痛になったのは、彼女の死を知った年、霊的真理を知った後のような気がします。

家にいてもおしゃべりが苦痛で、部屋に閉じこもって大音量で音楽をかけて打ち消していないと耐えられませんでした。今もそうです。

エリック・クラプトンはじめたくさんのミュージシャンが重度のアルコール中毒になり、ビル・エヴァンスもコカインとヘロインをやめられなかったのがよく解ります。

彼らは決して意志が弱いのでも、耽溺癖でもなかったと思います。快楽のためなんかじゃない。一度知ってしまったら、無ければ耐えられなかった。際限のない苦痛に耐えるためにどうしても必要だったのだと。

強くなる

その意味することは、途轍もなくつらくて大きなことに思えます。
彼らは弱かったんじゃない。
ビル・エヴァンスはヘロインを断つことが出来なかった。マイルスも出来なかった。ジョン・コルトレーンは成し遂げたけれど、、、
エリック・クラプトンは自伝に赤裸々に書いてくれていますが、それは想像を絶する壮絶なものです。

意志の力でできることじゃない。
クラプトンもコルトレーンも、神を見出してからでしたね。

私も、今生きているのが奇跡に思えます。
神が生かしてくださっているのだと。

すみません、まどらず、とりとめなく、
苦しんでアルコールやコカインやヘロインと戦ったミュージシャンやアーティストたちに思いを馳せつつ

ラッパ吹き

イクミ さんのコメント...

ラッパ吹き様


おはようございます。
おしゃべりが耐え難い苦痛になったのは、彼女の死を知り、悲しみ苦しみの中で魂が目覚めて、無防備な状態になったからだと思います。
多くのミュージシャンも魂が剥き出しの状態にあると思います。
麻薬に依存するのは、インスピレーションを求めてのこともあるでしょうが、あまりにも高い感受性ゆえに、世の中から伝わって来る情報が、騒音のように感じられていたのかもしれません。
一瞬の安らぎを、求めていたのでしょう。

そうですね。
真の安らぎは、神を見出して、得られたと思います。
神(霊界)とのつながりが深まり、霊力が魂に流入することで、心に巣食った不安や怖れ追い払われ、平穏が得られると思います。

ラッパ吹き さんのコメント...

イクミさん、

すみません、どうか、ひとつだけ、教えてください。

今追い詰められて危機的状況で、どうしても伺いたくて、
どうかお許しください。

2022年6月5日日曜日
真実を知ると苦しみから解放される
のブログのコメントでいただいた、イクミさんのコメント

2022年6月7日 9:52
一部抜粋
苦しまないために、どうすれば良いのかですが、魂を強くして行くしかないような気がします。
言い方を変えると、相手の思念に影響されないように、ご自身が強い意志を持って生きて行く必要があります。

そしてこの後の

2022年6月9日 10:40
一部抜粋
>強さを身に付けるのは、一朝一夕には行きません。
>苦しみにもがく中で、身に付いて行くと思います。
>逃げるのではなく、立ち向かわなければ、先送りになるだけです。

この、イクミさんからいただいた6/9のコメント、いつものイクミさんとは違うものを感じたんです。
特に、「逃げるのではなく、立ち向かわなければ、先送りになるだけです。」
これは、彼女からの言葉ではなかったか、あるいは守護霊の言葉ではないか。

自分を大切にする
自分に優しくする
己を許す
その意味は、本質はなんなのか

もし彼女がイクミさんを通して私に伝えてくれたのなら、もし守護霊の言葉なら、、

己を許すこと、逃げるのではなく立ち向かうこと、
それはどうつながるのか
己の力を(うちなる神の力を)信じて、すべてを委ねて、命を賭して立ち向かえ、ということなのか?
(このままでは、逃げなければ殺されてしまう。そんな状況に追い詰められているんです。)

苦痛や不条理や嫌がらせや攻撃から逃げずに、立ち向かいそして撃破する、その経験、力、それが必要なことなのだと?

イクミさん、
どうか教えてください。
このコメントがどこからきたのか。
どう感じられたか。
どうかお願いです。

ラッパ吹き

イクミ さんのコメント...

ラッパ吹き様

こんばんは。
このブログは自分の考えで書いていると思っていましたが、知らずにインスピレーションを受け取って書いていることもあることに気付きました。
いただいたコメントに対する返信を改めて読んでみると、そのことが判ります。
上手く表現できませんが、頭を使って書いていないのです。

ラッパ吹き様への返信ですが、6月7日のものは自分への戒めを込めて書いたような気がします。
9日のもの、特に「先送りになる」という言葉は、ラッパ吹き様の背後霊からのインスピレーションのように感じています。
大変失礼かもしれませんが、逃げてしまうこともあったではないでしょうか。
せっかくの機会を逃してしまった過去を、戒める想いが込められているように感じられます。

彼女からのものなのかは判りませんが、困難な局面を乗り越えることを促して、地上での成長を願っている存在なのは確かです。