ここに来てコロナの感染者が減って来たようです。
このまま収束して行くことを願っています。
今から2年前、私たちは戦々恐々としていました。
このウィルスに対する知識が全くなかったからです。
私の家には、はなと言う名の犬がいます。
雷が鳴り出すと、さあ大変です。
落ち着きがなくなり、尻尾が下がってしまい、怖くて仕方がないようです。
雷は自然現象であり、家の中にいれば安全であることを、私たちは知っています。
けれども、はなはそんなことなど知りません。
正しい知識があれば、不安や恐れはなくなり、安心が得られます。
大切な人が死んでしまい、もう会えないと苦しんでいる人がいます。
私たちの本質は霊です。
死とは、窮屈で不自由な肉体からの解放であり、生命は変わりなく存続しています。
死ぬ時まで、親愛の想いがあれば、同じ次元で再会することもできます。
正しい知識があれば、無用に苦しむことはなくなります。
何で自分だけがこんなにつらい思いをしなければならないのかと、苦しい思いをしている人がいます。
そんな人は、起きている結果だけを見て、全てを判断しています。
結果には必ず原因があります。
もし、目の前にモニターがあって、過去の自分をつぶさに観察することができたのならば、憤りは収まるでしょう。
原因をはっきりと知ることができるからです。
他者によって、つらい思いをすることがあります。
時に、憎んだり、恨んだりしてしまうこともあるでしょう。
そうすると、さらに自分が苦しくなってしまいます。
全ての行いは、自然法則によって計られます。
良いことも悪いことも、因果律の働きによって、必ず自分に返って行きます。
(償いがあるのを)知らない人を哀れむことができれば、苦しみは和らぐでしょう。
未知のことに遭遇すると、不安や心配が生じてしまいます。
そんな時、人は知識を得て解消しようとします。
過去の私がそうでした。
大きな不安や怖れに襲われましたが、それを取り除いてくれたのは、「乗り越えられないことは起きない」という真理でした。
偶然は存在しません。
全ての出来事は、自然法則の働きによって起きていることを知りました。
私たちを成長させるために、自然法則は働いています。
良きに計られていることを知って安堵しました。
人は知らないことによって苦しい思いをしていることが多いようです。
苦しみから解放されるためには、真実を知るしかありません。
真実を知った時に、苦しみを乗り越えられ、人は成長していると考えられます。
苦しみは、人を成長させる触媒の役割を果たしていると思います。
何も知ることができないまま、苦しみが続く時があります。
そんな時は、過去の過ちを償っているのかもしれません。
償っている時には、成長は許されません。
知ることができないのは、そのせいかもしれません。
償いは必ず終わります。
その時、苦しみから解放する、教訓を知ることになります。
私たちには成長したい欲求があります。
それは、神(完全)に近づきたいからです。
自然法則の働きにより、私たちは少しずつ神(完全)に近づいています。
神は完全なる叡智です。
全てを知り尽くしています。
神(完全)に近づくためには、より多くの叡智を学ばなければいけません。
地上では、いたるところに、苦しみや悲しみが存在します。
戦争、貧困、差別、貪欲などの悩ましい問題は、叡智を学んでいないために起こります。
無知の結果として生じる苦しみと痛みを経験して学ぶのではなく、初めから叡智を受け入れた方がはるかに賢明です。
そのためには、提示されている叡智を信じなければなりません。
より多くの人が信じ、実践すれば、地上の問題は解消して行きます。
私たちは、限られたことしか知りません。
そのために、不安や心配が生じ、苦しみを伴う出来事が起きます。
私たちは神の一部であり、神の心を持っています。
知識がないのを補うために、自分に顕現している神の心に従えば良いはずです。
全体のことを想う、それが神の心です。
神の心が顕現するように努めれば、多くの苦しみから解放されるはずです。
神は宇宙全体であり、宇宙全体が神です。
全体に奉仕をすることは、神に奉仕することであり、神とのつながりが強まります。
神とのつながりが強くなるほど、霊力(生命力)が魂に流れ込みます。
その力は愛を帯びているので、不安や怖れはなくなるはずです。
人は、自分のために生きているのではありません。
全体のために生きています。
身体の細胞は極小です。
しかし、その1つ1つが明確な役割りを持って、全体のために寄与しています。
人も同じです。
それぞれの役割りがあって、全体のために存在しています。
身体の細胞は独立していますが、同じ血液が流れていて、切り離すことはできません。
それぞれの生命は独立していますが、同じ生命力が流れていて、霊的につながっています。
全生命は一体です。
地上に生まれると、身体しか視えなくなるので、そのことが判らなくなってしまいます。
自分だけに意識を向けていると苦しみが生じます。
全体に意識を向けると、自分を意識することから生じている苦しみから解放されます。
宇宙全体のことなど考えられるはずもありません。
地球全体のことを考えれば良いのです。
全生命は一蓮托生です。
自分だけ、自国だけ、人間だけが良くなることは許されません。
自分のことだけを考えて行動すると、自然法則の働きにより、苦しみを伴う事象が生じるようになっています。
全体のために行動すれば、悦ばしい事象が生じるようになっています。
最も簡単で大切な真実です。
地上では、苦しみを通して真実を知ります。
真実を知るほど、地上の苦しみから解放され、神の心を表現できるようになって行きます。
全体を想う心が発揮されて、世界は1つになって行きます。
34 件のコメント:
イクミ様
おはようございます。
お忙しい中、失礼いたします。
できれば、一つ教えていただきたいことがございます。
私には少し変わった力があります。これを霊能力というのかは良くは分かりませんが、よく以前に同じことを体験したことがあると感じることがあり、よく考えたら夢に出てきた内容でした。
それから夢を記録するようになり、やはり体験したことが夢に出てきたことと一致していたことが分かりました。
また、たまに人の心を読んでしまい疲れるので、普段は敢えて見ないようにしています。
先日、私の主人の実家に行ったとき、主人の従兄弟家族に霊能力があることを知りました。
親子3人にその力があるとのことです。
子供の頃からその力があるとのことで、特に修行をしたこともなく、霊能力を仕事にしているわけではないようです。
このように家族で遺伝したり生まれつきの霊能力はあるものなのでしょうか?
そして、私とこの家族が結びついた理由は何かあるのでしょうか?
ちなみに私は、霊を見たことや感じたことはありません。
亡くなった大切な人を見ることができたら・・。と思ってしまうこともあります。
カスヤ様
おはようございます。
夢に出て来た内容を、実際に体験することがあるのですね。
詳しいことは判りませんが、予知夢の一種ではないかと思います。
世の中には、将来起きる出来事を、夢の中で知ることができる人がいるようです。
ブルガリアにババ・ヴァンガと言う予言者がいましたが、プーチンが大統領になり、戦争を起こすことを40数年前に予言していたようです。
https://www.excite.co.jp/news/article/Tocana_201803_post_16356/
全部の予言が当たるわけではないようです。
もし、霊界の援助を受けているのであれば、霊能力に当たりますが、その目的は人智を超えた力が存在することを示し、霊的に目覚めさせるためと思われます。
人の心が判るのは、無意識にオーラを読み取っているのではないでしょうか。
潜在的には誰にも備わっている能力ですが、人間は五感に依存しているため、退化したと考えられます。
ご親戚の親子3人が霊能者なのですね。
母親の能力と同じものを、子供(娘)が持っていることが多いように感じます。
遺伝はあくまでも肉体的なものですが、何らかの目的があって霊的な能力のあるもの同士が、家族になったと思います。
あなたと、そのご家族が結びついた理由があるとすれば、霊的真理を伝えることかもしれません。
ご家族が持っている能力は、真理を知ることで、人のために役に立てることができるかもしれないからです。
機会があれば、伝えて下さい。
イクミ様
ご回答ありがとうございます。
霊的能力に遺伝はないのですね。
きっと、魂が惹かれ合って家族になったのかもしれませんね。
主人の従兄弟家族に霊能力があることは、先日初めて義父から聞きました。
そのご家族は田舎に家があるということもあり、なかなかお会いする機会はないのですが、もしお話できる機会があれば、霊的真理についてお伝えできればと思います。
私はというと、先日の知床観光船のことがあって以来、愛する人との突然の別れ、人の生死について、辛く感じ、深く考えてしまう毎日です。
まずは自分自身が霊的真理をきちんと消化する必要があるかもしれないと思っております。
イクミさん、
>地上では、苦しみを通して真実を知ります。
大切な人の死を知って何もかもが変わりました。
シルバーバーチ霊もこう述べられています。
>もしもあの時あれだけ苦しまなかったら、悟りは得られなかったであろうことを、しみじみと実感なさいます
今の科学では認識できない美しい真理に出会いそれが真実だと受け入れることは、気も狂わんばかりに悶え苦しんだあの想像を絶する悲しみがなければできないことでした。
真理を知りシルバーバーチ霊の言葉をすがるように貪り読んで、悲しむ必要はないことを知って、やっとあの悲しみから逃れることができました。真理に救われました。
でも、苦しみはなくなりませんでした。
顕になった別の苦しみが襲い、それはどんどんと大きく激しく陰惨になりました。
>何も知ることができないまま、苦しみが続く時があります。
>そんな時は、過去の過ちを償っているのかもしれません。
>償っている時には、成長は許されません。
>知ることができないのは、そのせいかもしれません。
わからないんです。
私の苦しみは償いなのか、私の過ちを神は教えてくださっているのか、私が成したことが返ってきているのか、、、
私に非があり、愚か者の私はこれほど苦しんでもまだそれがわからないのか、、、
これほど疎まれ嫌われ憎まれる私に、なぜ守護霊は「己を許し、慈しめよ。」と言われたのでしょう。
なぜ、己の過ちに気付け、ではなかったのか。
なぜ、学べ、ではないのか。
なぜ、耐えよ、ではないのか。
逃れることができない人間関係(それも、とても身近な、、極めて身近な、、悲しいほど身近な、、)の、止むことのない、絶望的な苦しみ、怒り、悲しみ。
HSPでウツで、やっとなんとかギリギリで生きている、その上に、、
安らぎも休息もない日々、毎日毎秒が耐え難い苦しみで、
わからないんです。
なぜ、「己を許し、慈しめよ。」と守護霊は言われたのか。
なぜ、悔い改めよ、ではなかったのか。
「そなたは無理をしておる。人を愛そうと許そうと無理をしておるのじゃ。
先ずは己れを許すことじゃ。己を許すことで人も許せるのじゃ。
それには創造主に全てをお任せすることじゃ。すべてをあるがままを受け入れることじゃ。
そなたは深く考える癖がある。自分の頭で考えるのではなく、自然に身を任せるのじゃ。
それが今のそなたのするべきことじゃぞ。そなたを見ておるぞ。」
受け入れること
創造主に全てをお任せすること
あるがままを受け入れること
苦しみに抵抗するのをやめる
戦うことをやめる
これが私の人生だと受け入れる
自分を守るために、私は身近な者たちと戦わねばならない。苦しみ悲しみ泣きながら戦わねばならないんです。でなければ生きられないんです。
学ぶことができないのは、なぜなのか。
答えの無い問い
あの時と同じです。
彼女の死の意味を探し求めていたあの時と同じ。
答えの無い問いを問い続けています。
思考も乱れて、めちゃめちゃな乱文そのまま、どうかご容赦ください。
ラッパ吹き
いくみ様
ブログ読ませて頂きました。
真実を知るほど、地上の苦しみから解放される
私は30代頃から仕事もしていましたし、会社でも認められていたので天狗になっていました
勿論、主人も元気でしたし
何の不自由もなく生きていました。
何も怖いものなく
今思えば、亡き弟の家族(義妹、甥、姪)に金銭的に援助はしていたものの
やはり、うぬぼれていたのです。
そして主人の病、死を経験してうつ病になり
両親、家族への思いが私の中で変化していきました。
いくみ様がいつも言われるように修行を終えて主人は逝きましたが私へのメッセージとして改めなさいと伝えてくれたのだと思えます。
乗り越えられない事はおきない、良きにはかられている
主人の死は私へのメッセージが最期の修行だったと。
私も苦しみを通して真実を知りました
真実を知るほど、地上の苦しみから解放される
現在…そう感じ生きています。
ラッパ吹き様
おはようございます。
大切な人の死が、霊的に目覚めさせ、真理を受け入れるための土壌を造っていたと思います。
悲しみから逃れるためには、真実を知り、内面から変わるしかなかったのですが、真実をこの世で知るために予定されていたことだと思います。
悲しみの後に現れたのは、苦しみだったのですね。
何かを学ぶために計画された、あるいは過去生の過ち(カルマ)を償うために、苦しみが生じることがあります。
カルマの場合、学ぶことができないために、苦しみが続くことになります。
もちろんその可能性はありますが、ラッパ吹き様はどうもそうではないような気がしています。
霊的に目覚めると、人の想いに敏感になります。
ラッパ吹き様は、元々感受性が高い上に、魂が目覚めて、人の想いに極めて敏感になっているように思います。
赤ちゃんのように無防備な状態で、心が傷つきやすいような気がします。
痛みを感じるのが嫌なので、自分が傷つかないようにするのに必死になり、神経をすり減らし、エネルギーが消耗し、そして枯渇して、うつ状態になっているのかもしれません。
一方、魂が目覚めることにより、人の想いを察することができて、労わったり、慰めたり、勇気付けることもできます。
諸刃の剣です。
ラッパ吹き様のむき出しになった魂が、この世の様々な思念により傷つき、苦痛を味わっているのではないかと考えています。
苦しまないために、どうすれば良いのかですが、魂を強くして行くしかないような気がします。
言い方を変えると、相手の思念に影響されないように、ご自身が強い意志を持って生きて行く必要があります。
それが成長につながっていて、生まれた意味を成就することになっていると思います。
これは、私も含め魂が目覚めた人に共通していることだと考えています。
魂が目覚めるのは望ましいことです。
すでに霊的真理は学んでいるので、あとは強くなって行くだけです。
あさよ様
おはようございます。
魂が目覚めると、自我に隠されていた、自分の欠点、改めなければいけないところが見えて来ます。
私も、若い時はうぬぼれていて、何でも一人でできると思っていましたが、真理と出会い、他者との協調や調和が何よりも大切なことを知りました。
大切な真実は、苦しい思い、悲しい思いをしないと、姿を現してくれません。
あさよ様は、ぎりぎりま追い詰められた末に、手にしました。
シルバーバーチも言っていますが、価値のあるものほど、手に入れるのが困難です。
そのお宝は失われることはありません。
真理を実践し、魂に磨きをかけて、ご主人の元に行きましょう。
イクミ様
先日、従兄弟にヒーリングをして頂いたハコスカです。
状況報告が遅くなりましてが、今日、主治医の患部の手での検診で、腫瘍が小さくなっている事を確認できたそうです。今までは摘出手術以外、薬などでは、ほとんど効果が無かったのでこの結果は、変うれしく思っています。これも皆様がヒーリングをして頂いたお陰だと思っています。
この先も闘病生活はまだしばらく続くと思いますが、いい方向に進んでくれると信じて従兄弟を励まし、頑張って行きたいと思います。
イクミ様はじめ、さくら様、栗男様、Miki様本当にありがとうございました。
ハコスカ様
おはようございます。
従兄弟の方の腫瘍が小さくなっていると聞き、うれしく思います。
ヒーリングが奏効したのであれば、魂が目覚める時期が来ていたのかもしれません。
今後も大変でしょうから、機会があれば霊的真理を伝えて、励まされて下さい。
ご報告、ありがとうございました。
ハコスカさん
あさよです。
従兄弟さんの癌の結果本当に良かったです。
ヒーリングは出来ませんが祈っています。
大きなお世話ごめんなさい
よろしくお願い致します。
イクミ様
色々ありがとうございます。イクミ様の優しさに感謝しています。
私も従兄弟に霊的真理を上手く伝えてたら、と思っています。
あさよ様
心配し、祈ってくださって、ありがとうございます。イクミ様も想いは具現化すると言っていました。あさよ様の祈りもきっと従兄弟の闘病生活の力になってくれていると思っています。私もあさよ様の14日のポーリプ手術が上手く行くように祈らせて頂きます。
イクミさん、ありがとうございます。
睡眠時間が無くて返信を書けず、遅くなってしまってすみません。
強く
強くなる
強くなりたい
強くなければ生きられない
彼女は、とても強い女性でした。
いえ、とてもとても繊細で、それでいて強い人でした。
しなやかな強さ。たおやかでいて、毅然とした芯が貫いている。彼女の何気ない所作にも、凛とした気品が感じられて、私には別世界の存在のように感じられました。
感度の高いマイクは演奏の微妙な表現をとらえて奏者の心にあるニュアンスまでひろってくれます。
しかし、それを受け止めるアンプやPA機器のキャパシティが小さいと、どんな演奏でも簡単にオーバフローしてディストーション(歪み)してしまう。
美しい表現を的確に伝えるには、繊細にキャッチしたものを歪なく受け止めるキャパシティ(強さ)が必要なんです。
同じなんですね。
HSPはゲインの高いマイクと同じです。
レコーダーのインプットボリュームは常に振り切れてレッドゾーン。頭の中は常時ディストーションして混乱して混沌としたまま。
そして疲弊してしまう。
当たり前です。。
強くなりたい。
硬く強靭な破壊的な力強さではなく、しなやかな強さを。受け止める豊かなキャパシティを。
魂の中にある音楽を伝えるには、それが必要です。どうしても。
ロダンも同じ
マイルスも同じ
コルトレーンも
ベートーヴェンも
ブラームスも
そして、
ゴッホやカミーユ・クローデルは、、、
限界を超えてしまいました
強さ、しなやかな強さ、
魂の強さ、
愛を現すための強さ
魂の奥からの真実の音を歪なく伝えることのできる強さ
生きる強さ
真に生きることのできる強さ
睡眠不足でまとまらないまま
頭も回らず推敲する時間もなく、それでも、どうしても取り急ぎのお礼をさせていただきたく
どうかご容赦ください
ラッパ吹き
ラッパ吹き様
おはようございます。
彼女のように、繊細で優しく強い人は、霊格の高い人と言えます。
地上で学び成長するためには、相当の試練が用意されるはずです。
それを立派に乗り越えて、周りにいる人たちに大きな影響を与えて、予定通りに逝ったと思います。
強さを身に付けるのは、一朝一夕には行きません。
苦しみにもがく中で、身に付いて行くと思います。
逃げるのではなく、立ち向かわなければ、先送りになるだけです。
言われていることは良く判ります。
受信感度が高ければ、ノイズを拾ったり、小さな音も大音量のように感じてしまいます。
そんな環境にいると、心が疲弊してしまいます。
しかし、何かの意図を持って、その様な状況が作られているはずです。
自分から発信している時は、受信はしません。
何かの意志を持ち、意念を放ちながら生きて行くことを迫られているような気がします。
それが、強さを身に付けることにつながると思います。
彼女は、そんな姿をラッパ吹き様に見せてくれていたと思います。
ハコスカ様
さくらです。
従兄弟の方の腫瘍が小さくなっているとのこと、本当によかったです。
霊界からの最善のエネルギーで、きっと、もっともっと良い方向に向かうと思います。
私も、とても嬉しいです。
さくら
イクミ様
母が亡くなり、四年が経ちます。
母は自らの心身の病に長年悩まされながらも、誰の悪口も言ったこともなく、人に対する嫉妬や嫌味などもなく、ただただ質素に真面目に明るく生きていました。
動物を愛し、路頭に迷う人には直接手を差し伸べる人でした。
娘ながらにこんなに素晴らしい人はいないと思ったくらいです。
いまだになぜ母が病に苦しんだ人生を60で終えなくてはいけなかったのか分かりません・・・。
亡くなった時は、この世界に神などいない!!
そう思いました。
私の甥っ子は、私の母のことをいまだに「可愛いおばあちゃんだった」と言ってくれます。
可愛くて優しい人だからこそ、もっと長く生きていてほしかった。
そう思ってしまう私は、霊的真理をまだ理解できてないのでしょうか?
ユーリ様
こんにちは。
少しお話を聞いただけでも、霊性が高く、誰からも好かれる、素晴らしい人であるのが窺い知れます。
そんな人が早く死んでしまうのは不条理で、神などいないと思う気持ちは良く判ります。
ただ、それは地上に残された人が抱く特有の感情であり、実際のお母様はあなたが想像もできない、幸せな境涯にいます。
残して来たあなたのことは心配ですが、自分と同じ優しさを持った人たちと共に暮らしています。
霊的真理(シルバーバーチの霊訓)には、このように書かれています。
「大収穫者すなわち神は、十分な実りを達成したものを次々と穫り入れ、死後にたどる道をより明るく飾ることをなさいます。
肉眼の視野から消えると、あなた方は悲しみの涙を流されますが、私たちの世界ではまた一人物質の束縛から解放されて、言葉では言い表せない生命のよろこびを味わいはじめる魂を迎えて、うれし涙を流します。私はいつも“死”は自由をもたらすものであること、人間の世界では哀悼の意を表していても、本人は新しい自由、新しいよろこび、そして地上で発揮せずに終わった内部の霊性を発揮する機会に満ちた世界での生活を始めたことを知って喜んでいることを説いております。」
お母様のように優しい人ほど、早く霊界に戻ることが許されると考えています。
目的を果たして、生きる悦びを感じられる境涯に帰ったのです。
不憫に思うのは、間違いです。
お母様のためにも、止めましょう。
ユーリさん、
>可愛くて優しい人だからこそ、もっと長く生きていてほしかった。
>そう思ってしまう私は、霊的真理をまだ理解できてないのでしょうか?
私もそうでした。同じでした。
真理を「理解する」のは、頭でも脳でも脳の知性や知能でもなく、努力でもありません。
ワインが時間を経て熟成するような、時間と神が差配する過程です。
ご自分を責めないでください。
その時間が豊かで大切なものだったことが、確かに必要なものだったことがわかる日が必ず来ます。
私がこんなことを述べるのは、甚だおこがましいことですが。。
悲しむ必要がないことが、必ず腑に落ちます。理解、するのではなく、勉強する、のでもなく。
私も同じだったんですよ。
大丈夫、大丈夫、
大丈夫です。
ラッパ吹き
ユーリさん
初めまして。
お母様の事へのお気持ち良く良く解ります
私も主人が亡くなった時には何故、どうして、何も悪い事などしていないのにと、私も神様なんていない!!と。
私はいくみ様に出会い
霊的真理を知りましたし現実現世で主人、亡き家族を感じています。
お母様はご病気で苦しまれたのですね、、、
きっと今は何の苦しみもない霊界でユーリさんを見守っています、
お母様との良き想い出を思い出してみて下さい
お母様がそばに居る事を感じられます。
生意気を言いました
私の経験からお話しさせて頂きました。
イクミ様、ラッパ吹き様
イクミ様、お返事ありがとうございます。
未熟な私は何度も何度も霊訓を読んでも、頭に入れようとしても感情が追いついていかないようです。
なぜ、悪い人は楽しく長生きしてるのに。なぜ、母は病に苦しんだ人生だったのかと。
イクミ様のブログで怒りの感情も悲しみの感情も、死者を憐れむのも、他者と比較するのも間違いだということは学んだはずなんです。
てる様に愛情深いお言葉も頂いたはずなのです。
けれど、気付くと現実に引き戻され悲しみに打ちのめされるときがよくあります。
いつまで苦しめば穏やかになれるのか。
夢にも相変わらず母が苦しむ姿が出てきて辛いです。
ラッパ吹きさま、ありがとうございます。少しでも理解してくださる方がいるだけでも心の救いになります。
あさよ様
あさよ様も、気持ちに寄り添っていただきありがとうございます。
感謝いたします。
さくら様
ハコスカです
ありがとうございます。感謝しています。
腫瘍が無くなった訳ではないので、まだ厳しい状態ではあるのですが、何故か今は悪いイメージは湧いて来ないです。皆さんがヒーリングしくれたと言う、安心感からだと思います。
今後も良くなると信じて頑張って行きます。本当にありがとうございます。
ユーリ様
おつらいでしょうが、シルバーバーチの霊訓にはこうも書かれています。
「亡くなった人を悲しむのは一種の自己憐憫の情です。自分自身への哀れみであり、愛する人を失ったことを嘆いているのです。苦の世界から解放された人のために涙を流すべきではありません。」
霊的真理は頭で理解するものではなく、魂が受け入れるものです。
しかし、受け入れようと努力して、受け入れられるものではありません。
時期が来たら自然に収まって行きます。
焦らずに、その時を待つことにしましょう。
イクミさま ユーリさま
こんにちわ。
私の大切な人も、61歳という若さで霊界へ行きました。
そして、私も、毎日毎日、顔が変わるくらい泣いていました。
なのに、そばにいる魂となった彼は、いつも笑顔で話しかけてくれていて。
泣きながら、ある時
「あ、私は私の寂しさや悲しさのために、私の為に泣いているんだ」
と思ったんです。
肉体を持ちこの世を生き抜くことは、本当に苦しくて大変で。
それを知っているのに、尚
その大変な思いをしてももっと、この世にいてほしいと思っている。
大切なその人の幸せの為じゃなく
私の幸せの為に、この世にいて欲しいんだって。
平均寿命と比べれば、とても早く、治療法のない病で最後を過ごし霊界へいってしまったけれど、
どんな状況であっても
最後まで一生懸命にに生き抜くことを見せてくれました。
生き抜いて霊界へ行ったからこそ
穏やかに自由に笑顔で過ごしているんですよね。
私も、今も泣きます。
肉体を持った大切な人が、イマココにいてくれたらと。
でも、こうな風に思って泣くようになりました。
「私は、私のさみしさのために泣く!だって、私はまだ肉体があるんだもの!泣いて、少しだけ寂しさを流したら、また笑顔になります!」 そんなふうに、心のなかで宣言して。
悲しみも苦しみも、ほんのちょっとずつかもしれないけれど、
一歩ずつかもしれないけれど
小さくなっていくと思います。
どうか、焦らず責めず、ゆっくりゆっくり
自分で自分を責めて、苦しみを大きくしてしまわないでくださいね。
ユーリさんが
一歩ずつ
笑顔を取り戻してゆけますように。
大丈夫
お母様はいつでも一緒です。
てる様
こんにちは。
ユーリ様へのコメントを送っていただき、ありがとうございます。
真理に辿り着くまでの、あなたの悲しみ、苦しみが窺い知れて、ちょっと涙が出ました。
この世にいなくなった悲しみ、寂しさは、如何ともし難く、残された人は耐え忍ばなければいけません。
彼を信じ切った末に、あなたは真実を手に入れました。
そして、苦しみから解放され、生きる目的を見つけました。
彼をはじめ、霊界の人たちは、どれほど喜んだことでしょう。
ユーリ様にも、その時が必ず来るはずです。
それが別れの意味だと思うからです。
イクミ様、てる様
母の死に対する死別の苦しみは勿論大変大きいです。
しかし、それと同時に、前に話しました同僚の酷い言葉の数々(私の後悔心を後押しする内容)が刃物のように心に突き刺さったまま取れないのです。
世の中にはどうして人の苦しみを心地良く感じる人がいるのでしょうか?
なぜ、嫉妬心をあらわにする人がいるのでしょうか?
私は今まで、人から嫉妬されるだろう要素は、ひた隠しにしてきました。しかしそれをわざわざ洗い出され、吹聴され、私が死別で人生で一番苦しんでいるときにわざと嫌がらせをしてくる。
私はそんな人が存在することに驚くとともに人間不信になりました。
後悔だらけの死別の苦しみだけでも辛くて仕方ありません。
そんな中、酷い人たちに追い打ちをかけられたことはトラウマでしかありません。
母との楽しい思い出も、酷い人たちから受けた仕打ちも、いっそ記憶喪失になってすべて忘れてしまいたいとも思います。
どうやったら苦しみから解放されるのでしょうか。
コメント欄のマナーに反していたら申し訳ありません。
イクミさま ユーリさま
世の中には、信じられない理解できないような酷い事をする人がいると思います。
イクミさんには、以前お話しましたが
私は幼少期
家族のようにかかわっていた人から
数年に渡り性暴力を受けていました。
小さな子供だった私には、どうすることも出来ずに
その後何十年も、恐怖とPTSDと、汚れた自分の身体への憎悪が残りました。
カルマの償いの為の体験なのか
今生で私に必要な体験だったのか
きっとそれがわかるのは、霊界へ行ってからなのだと思っています。
私が成人し、その加害者が亡くなった時
少しだけ安堵したのを覚えています。
でも、私の中の言葉にならない感情が、消えたわけでも消化されたわけでもありませんでした。
私の体験とユーリさんの苦しみを、比べることは出来ないけれど
私個人の感情のなかでは
その加害者を憎んだりすることで、その瞬間その人を思い出してしまう。
思い出すこともしたくない。
そして、誰かを憎む自分になりたくない
そうやって、なんとか生きてきたような気がします。
そして、その人を「悲しい寂しい人だったんだ」と。
随分少なくはなりましたが
40年経った今も時々
PTSDによる体調不良は起こります
でも、その何倍も
楽しい時間も幸せな時間も作っていけるはずだと思えるようになりました。
どうして酷い事をするのか
言うのか
理解はできないけれど
そんな人に振り回されて
ユーリさんご自身大切な時間を犠牲にしないで欲しいです。
なんのアドバイスにもなっていないかもしれません。
ごめんなさい。
ユーリ様
同僚の酷い言葉が刃物のように突き刺さって取れないのですね。
元々後悔を感じていることに対して、それを増幅させるような言葉を受けたと思います。
あなたに嫉妬して、苦しめるような言葉をかけたのであれば、それは罪なことであり、後で相応の報いを受けることになるでしょう。
トラウマのような過去を忘れるのは難しいです。
その人を、許そうと思っても、許せるわけでもありません。
あなたの成長と共に、怒りが手放されて、過去の出来事の1つになった時に、苦しみから解放されると思いますが、それには時間が必要です。
苦しみを心地よく感じる人はいますが、嫉妬心から来ている場合が多いと思います。
人間が持っている醜い感情の1つですが、特に強い人なのでしょう。
そんな人と接しながら暮らすのが、この世です。
傷つけられ、貶められ、裏切られることもあります。
そのリスクを承知した上で、私たちは生まれて来たのです。
匿名様、ご自身のつらい経験から、ご意見をいただきありがとうございます。
私も同じ意見です。
ユーリ様の文章からは、強い怒りの想いが感じられます。
その怒りが、苦しみを増幅させていると思います。
過去にいた、そんな人たちのことを考えると、苦しくなるだけです。
限られた時間とエネルギーを、怒りに消費してしまったら、それこそ相手の術中にはまってしまったことになります。
過去は閉じられていて、どうすることもできません。
私たちが自由にできるのは、今だけです。
過去を振り返らないためには、今に意識を向けるしかありません。
今を意識して生きていれば、その時は過去を忘れることができます。
意識できる何かを見つけて下さい。
最も良いのは、誰かのために、何かをすることです。
そうすれば、成長が促されて、怒りを手放す時が、早まるはずです。
とても苦しくて悲しい経験を思い出させてしまい、ごめんなさいm(__)m
そうなんですね。そんな思いをされて、今まで頑張ってこられて・・・、
そして、今の素晴らしい貴方様がいるのですね。
話してくださり、本当にありがとうございます。
私の元同僚は、組織上立場の低い人を見下したり、人のことを石ころと言ったり、容姿をバカにしたり、学歴をバカにしたり。
そういう女性がお酒を飲んで暴れて店員さんに迷惑をかけているのを見ると、余計に、優しくて大人しい性格の母がなぜ死んじゃったの?と悲しくなります。
でも、あの二人のことを恨んでも自分が自滅するだけ。
それは、良く分かっています。
返信いただいたコメントの数々をよく読み直し、霊訓も読み、どうにかこの苦しみから抜け出したいと思います。
波はありますが、以前よりは悲しみや怒りが減ってきてるとは思いますから。
人間不信を乗り越えることができたら、ようやく、人のために何か出来るようになる余裕が生まれる気がしています。
お優しいてる様の心が癒やされることも心から祈っています。
匿名になっていましたね。
てるでした。
_(._.)_
イクミ様
怒りは、去年まではかなり酷かったのですが、今は怒りは通り過ぎて、悲しみが酷いです。
これもグリーフの段階を踏んでいるんでしょうか?
人のために何かする・・・。今は食事ができるようになり、体重もだいぶ戻ったので、これから・・・という感じです。
でも、意識していきたいです。
昔は、仕事以外に、施設でのボランティアをしたり、母の介護もできていました。
ところが今はや、自分の食事で手一杯な状態で情けないです。
でも、焦らず少しずつ人のためにできることを探していきます。
ありがとうございます。
ユーリさん、てるさん、
人を許すことは、とても難しいです。
怒りや憎しみは抑えつけても静まりません。
自分の気持ちを否定して、押し殺して、あるいは無視しようとしても、溜め込んでいたエネルギーは消えはせず、ふとした弾みに爆発します。それはとてもつらいですし、他者も自分もさらに傷つけてしまいます。
怒りは感じる必要がある。味わい尽くす必要がある。自分の感情を否定しないで、受け止めて、認めて、承認して、受け入れてあげる必要がある。私はそう思います。
女医のエリザベス・キューブラー・ロス博士の著書に、強制収容所(絶滅収容所)から九死に一生を得て解放された女性のことが書かれています。
自伝の「人生は廻る輪のように」はじめ、たくさんの著書に書かれているマイダネクのゴルダも壮絶で過酷な過去を受け入れた人ですが、デイヴィット・ケスラーとの共著「ライフレッスン」の第十三章 許しのレッスン、に書かれたエリザベート・マンの言葉をお知らせします。
(どうか、怒らないでください。
よく言われること、「あなたよりもっと苦しんだ人がいる。もっとつらい思いを克服した人がいる。」なんて言いたいんじゃありません。
そんなこと、なんの助けにもならないばかりか、さらに鞭打つことにしかなりません。そんなものは害にしかならない。
イクミさんも書いてくださっています。
比べても何にもならない。何の意味もない。
私たちはそれぞれ自分の人生を生きるためにこの世にまた生まれてきました。
目的も課題も、みんな違うんです。
そうじゃないんです。)
エリザベートは十代で家族とともにアウシュビッツに送られ、家族すべてを殺されました。エリザベートひとりだけが生き残ったんです。
そのエリザベートの言葉です。
「あの人たちがしたことを許した訳ではありません。許しはわたしの手にではなく、神の御手にあって、わたしはその神を信じようとしたのです。あの人たちの運命を決めるのはわたしの立場ではありませんでした。あの戦争で殺されたすべての人たち、わたしの弟や両親のことをおもえば、『いいのよ、たいしたことじゃないわ』などといえるはずぁありませんもの。
わたしにとっては、復讐してやりたいという気持ちをもたないようにすることが重要でした。(後略)」
(角川文庫「ライフレッスン」第十三章 許しのレッスン p327から引用)
裁くのは神の業です。
私たち人間の領分ではないんです。
神にゆだねてください。
神を信じて、すべてお任せすればいいんです。
許すのは、難しいです。
でも、神を信じてすべてお任せすることは、きっと、きっと、できるはずです。
裁くのは、神なんです。
神は、すべてご存知です。
許さなくていい、神にゆだねてください。
どうか、どうか。
ラッパ吹き
ラッパ吹き様
そうですよね。
神に委ねれば、やり場のないとてつもなく苦しい気持ちが楽になります。
怒りを押し殺す、もしくは怒りを感じる自分を責めることは、もっと良くないことかもしれません。
私は、イクミ様やてる様、ラッパ吹き様たちのそれぞれの真面目な意見を聞くことができて、どれだけ救われ、どれだけ学べていることか。
母もきっと喜んでくれていると感じています。
本当にありがとうございます。
イクミさま ラッパ吹きさま
ありがとうございます。
私は、
その体験が余りに小さな子供の時だった為か
加害者への、怒りや憎しみ復讐心の様な感情をもたなかったのだと思います。
それよりも
「大人は恐いもの。」
という恐怖心だけでした。
大人になるにつれて
それは、言葉では表現しにくい感情となりましたが、
やはり
その相手を憎むよりも
その体験をした自分自身への不快感の方が大きかった様に思います。
そして、
その加害者に対して
「許す」
「許さない」
という感覚も実は余りないのです。
私にとって重要だったのは
加害者への感情よりも
その体験をしても
こうしてなんとか生きてきた自分を
愛し、認め、受け入れてあげる事だったのだと
今思います。
その体験は消せませんし
もしかしたら
フラッシュバッグが起こる日も
まだあるかもしれないけれど
今、私は幸せです。
残酷な体験も
一生消えないかもしれない
加害者への複雑な想いも
全て抱えて
それでも
今日もこうして
ご飯を食べたり
息子やお友達と笑ったりして過ごす時間が持てることに
幸せと感謝と
それでも今日まで生きてきた自分を
とても愛しく感じます。
どんなに深い悲しみも
どんなに辛い体験も
必ずいつか光が射すことを
知ることができました。
全ての経験と共に
これからも生きていくんだなあと
実感しています。
お心遣いに感謝いたします。
ありがとうございます。
てる様
こんばんは。
子供の時に受けた行為は、大人のように怒りにはならず、恐れになってしまったのですね。
恐れは、怒りのように表現して外に出せないので、内に滞ってしまい、とても苦しまれたと思います。
被害者なのに、ご自分を責めて、痛みを感じてしまう、こんな理不尽なことはありません。
相手を責めることができたのなら、ここまで苦しむことはなかったでしょう。
相手から謝罪を受けようと、人から慰められようと、心に刻まれた経験は消せるものではありません。
声も出せずに怯えている、その時のご自分と一緒に、生きて来られたと思います。
その時の自分を助けてやれるのは、苦しい思いをしながらも、時と共に成長した自分しかありません。
大人になった自分が、その時の自分の想い深く共感し、心の中で強く抱きしめて、慰め、愛することで、内にある想いが、涙によって表現されて、解放することができると思います。
愛し、認め、受け入れてやるとは、そのようなことだと理解しています。
どんなに深い悲しみも、どんなにつらい経験をしても、必ず光が射して、幸せを感じることができると言う大きな学びを得られたと思います。
ご自身の経験がなければ、絶対に得られません。
神の公正は完全であり、そのようにして釣り合いが保たれています。
その学びが、これからの奉仕に大きく活かされます。
あなたしか伝えられない言葉を必要としている人たちが、導かれて来ると思います。
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