死刑を廃止する国が急速に増えています。
アムネスティ・インターナショナルの調査(2019年)より |
先進国と言われるOECD(経済協力開発機構)に加盟している36か国のうち、存続しているのは、日本とアメリカと韓国の3か国です。
韓国では長い間、死刑が執行されていませんし、アメリカは廃止する州や執行されていない州の方が多くなっています。
国をあげて、現在も死刑を執行しているのは日本だけです。
死刑制度がなくなると、殺人などの重犯罪が増えるのではと懸念する人がいます。
しかしながら、それを裏付ける科学的な根拠は見つかっていません。
フランスでは1981年に死刑が廃止されましたが、それにより殺人発生率の増加は見られなかったそうです。
韓国では1日で23人も死刑が執行された時がありましたが、前後で殺人発生率に変化はありませんでした。
人の命を奪った人は、自分の命で償うのもやむなしと、以前の私は思っていました。
しかし、霊的真理を知った今は、絶対に反対です。
死刑は国家権力による合法的な殺人であり、霊的法則に反した行為だからです。
記憶に残っている方も多いと思いますが、今から20年前、大阪の小学校の校舎に男が乱入し、8名の生徒が殺されるという凄惨な事件がありました。
30代の犯人の男性はその場で逮捕されました。
裁判では遺族の感情を逆なでするような言動を繰り返し、反省は全くなく、予想通り死刑の判決が下されました。
「不条理な世の中に復讐したかった」犯行の動機を弁護士にそう語っています。
その後も、反省や謝罪の言葉は一切聞かれないまま、判決の3年後に刑が執行されました。
死刑が執行された後、どうなるのでしょうか?
死刑囚は、消えていなくなってしまうわけではありません。
肉体から強制的に引き離された、その人の本質(霊)は生きています。
自分がどの様な状況に置かれているのか、きっと理解できないでしょう。
意識があるので、死刑から上手く逃れられたと、勘違いをしているかもしれません。
鉄格子や塀など、自分を束縛していたものはなくなり、どこへでも自由に行けるようになります。
死刑によって、性根は何も変わっていません。
身勝手な性格や、世の中に対する憎悪の感情はそのままです。
肉体を失った霊は、自分と同じ想い(波長)の地上の人に引き付けられます。
意図的に接触したり、知らずにオーラに取り込まれてしまうことがあります。
そうなってしまうと、地上の人に大きな影響を及ぼすようになります。
霊の想いが、地上の人の想い(感情)を増幅させてしまうことがあります。
社会に恨みを持っていれば、さらに恨みが増幅して、何らかの行動に移してしまう可能性があります。
凶悪な犯罪を起こした犯人が捕まり、取り調べを受け、犯行のことを全く覚えていないと供述することがあります。
罪から逃れるために嘘を言っているわけではなく、取り憑いた霊が地上の人を支配してしまったせいかもしれません。
霊に完全に支配されると、地上の人は意識を失った状態になり、記憶がなくなることがあります。
裁判で心神喪失あるいは心神耗弱状態と認定され、無罪判決が出ることがありますが、そのような時は、霊が憑依していた可能性があると考えています。
駅のホームで、来た電車にふらふらと飛び込んでしまう人がいます。
そのような時も、その場所で以前自殺をした霊が、同じ想いの(死にたいと思っている)人に取り憑いて、衝動を起こしてしまった可能性があります。
地上で起きている事件や事故は、目に視えない霊の働きかけが原因となっていることが少なくないと考えられます。
死刑がいけない理由が他にもあります。
人間のすることには、間違いが付きものです。
今までにどれほどの人が、無実でありながら死刑の宣告を受けたのか、知る由もありません。
その時の無念さや恐怖は、想像を絶しています。
平沢死刑囚が判決直後に描いた「浄」 |
私たちは、成長するために地上に生まれて来ています。
けれども、自由意志が与えられているため、成長を妨げてしまうような過ちを犯してしまいます。
過去生は思い出せませんが、何らか過ちを犯し、その償いのために生まれて来た人も少なくありません。
誰もが未熟であり、過ちを犯してしまう可能性があることを忘れてはいけません。
死刑にするのではなく、自分の犯した罪と向き合い、反省させることが先決です。
いかなる犯罪者も、神の心である良心を持っています。
心の奥底で眠っている良心を目覚めさせるには、同じく神の心である愛情を向けるしかないのかもしれません。
今までに、愛情を受けたことのない、哀れむべき人たちも多いと考えられます。
もし、良心が覚めたならば、強い後悔や自責の念に苦しむことになるでしょう。
それが更生の第一歩であり、霊的な償いにもつながります。
霊界に行く前に、償わせるだけ償わした方が良いと考えられます。
もし、更生もなしに肉体を奪ってしまえば、同じことを繰り返そうとするために、地上の人を巻き込んで、罪を重ねてしまう可能性があります。
理不尽な理由で大切な人を奪われたなら、極刑を望んでも無理もないように思えます。
当事者でなければ、到底その想いは分かりません。
伝えたいのは、霊的な真実です。
視えなくなっても、故人は別の世界で生きています。
また会うことができます。
向こうの世界は良くできています。
怖い思い、つらい思いをしながら亡くなった人を介護する環境があります。
そこで間断のない愛を受けながら、傷ついた魂は癒されて行きます。
この世を早く去ったことで不平等が生じないように、埋め合わせの原理が働いています。
新しい生活が始まっています。
犯罪を犯すと法律で裁かれます。
それよりも遥かに厳格に、自然法則によって裁かれます。
法律から上手く逃れる人はいますが、法則から逃れることは不可能です。
利己的な理由により人を殺してしまったのなら、霊的な罪は重いでしょう。
償いのための人生が必要になると考えられます。
そのための人生が立案されて、それを了承して生まれて来ることになります。
自然法則の働きは完璧です。
与えた苦痛と同等の苦痛を自らが経験することになります。
その罪が償われるまで、成長は許されません。
人間が人間を殺すことは過ちです。
自然法則に反した行為であり、その報いが生じてしまいます。
凶悪な事件がこれ以上起こらないためにも、死刑は即刻廃止しなくてはいけません。