2020年12月6日日曜日

誰かのために生きている



早朝、犬の散歩に行った時、まだうす暗い空に満月が光っていました。

月は地球の引力によって、地上から37万km離れたところを回っています

私自身は極小の存在です。

しかし、宇宙から見れば地球の一部には違いありません。

ほんのわずかであっても、月との間に引き付け合う力が働いています。

月は、自分とは全く関係のない存在ではないようです。



私たちは、多くの人に囲まれながら暮らしています。

時に、人間関係が煩わしく感じ、1人になりたいと思う時もあるでしょう。

地球でたった一人になったらどうでしょうか?

生きて行くためには、食料は欠かせません。

しかし、毎日食べている米も、自分で作ることは出来ません。

電気やガスも使えなくなれば、真冬の寒さには耐えられないでしょう。

とても生きて行けるようには思えません。



私たちが普通に生活が出来ているのは、自分のために働いてくれる人たちがいるからです。

私自身も、周りの人のために働いている1人です。

ひとり1人は独立して生きているように見えますが、密接に関係しています。



人間だけではありません。

植物がなくなれば、ガス交換が出来なくなり、動物は窒息して死んでしまいます。

地球上の生物は、お互いがお互いのために生きていていると言えます。



SFみたいな話ですが、インフラはそのままで、食料も調達されて、今と変わらぬ環境で、自分一人だけだとしたらどうでしょう?

全てが自分のものなので、好きなことをし放題になります。

遊園地に行って大好きなアトラクションを待たずに乗ったり、デパートに行けば好きな物がいくらでも手に入ります。

誰に煩わされることも、干渉されることもありません。

自由気ままに、好きなことが出来るので、楽しくて仕方がありません。

しかしながら、それは一時だけかもしれません。



無人島や周囲から隔絶された環境で、誰とも接触しないで一人で暮らしている人がいます。

そんな人たちは、それほど孤独を感じているように見えません。

人から離れた生活を敢えて選んだのであり、その場所を離れれば、また人に会えることが保証されているからだと思います。



もし、地球に自分だけしかいなかったらどうでしょう?

絶望的な孤独感に襲われると思います。

自分と言う存在が、良く判らなくなってしまうと思います。

何故なら、人は人との関係の中で、自分を認識していると思うからです。



朝日が昇るころ、小鳥たちの鳴く声で目覚めることが多いです。

お互いが呼応して、存在を確認し合い、生きている歓びを伝え合っているように聴こえます。

人間も同じであり、他者と関りを持ち、自分を分かってもらえることで、歓びを感じていると思います。



人間とは上手く言ったものです。

生物としての「人」は食料さえあれば1人で生きて行けますが、「人間」は他の人がいることで生きて行けると思います。

人がいることで、人間として成立していると考えられます。

人間は、物的にも精神的にも、1人では生きて行けないと考えられます。



人がこの世に生まれて来た目的は、人間として成長するためです。

困難や障害に直面した時に、それを乗り越えて行く中で成長します。

また、他者のために奉仕をすることで成長します。



地球上で、たった1人で生きているとしたら、誰に対しても、何もしてやることが出来ません。

他者に奉仕することが出来なければ、人間として成長することもままならなくなります。

人間には成長したいと言う欲求がありますが、それが満たされなくなります。

そのために、生きているのが苦しくなってしまうかもしれません。



そんな世界に置かれ、何をすることもなく生きていたとしたら、自分が生きている意味、存在する価値を見い出せなくなってしまいます。

そんな時に、地面にヒマワリの芽が出ているのを見つけたとします。

気になって、水を与えると思います。


自力では生きて行けない子猫がいたとします。

何もしなければ死んでしまうので、食べ物を与えると思います。


そのうちに、成長して行く様子を見るのが楽しみになります。

そして、生きがいとなるような気がします。

他者のために何かをすることが、この世界に自分が存在する、確かな意味になるからです。

ささやかな喜びを感じながら、生きていられると思います。

どんな物を手に入れたとしても、同じような喜びを感じることはありません。

物的な喜びは束の間であり、際限がありませんが、他者のために何かをすることで得られる喜びは霊的なものであり、永続性があります。



私たちは、労働することによって、お金を得て生活しています。

家事もお金を介さない労働です。

人や社会や家族のために、何かしら奉仕をしないと生きて行けないようになっていると言えます。

生きるために必要なことをする中で、知らずに成長が得られているのが地上と考えられます。



死んだ後の世界では、肉体はなくなります。

生きて行くために、労働する必要はなくなります。

自分の好きなことが、いくらでも出来るようになります。



死んだ後の世界においても、生きる目的は全く変わりません。

自分を成長させるためです。

自分の好きなことをいくらしていても、他者のために何かをしなければ、神の摂理により成長は叶いません。

従って、他者のために何かをしようとする気持ちが起きない限り、同じ場所に留まったままです。



地上に生まれるのは、他者のために何かをする習慣を身に付けるためと考えられます。

その中に悦びを見い出すことも、大きな目的の1つと考えられます。

地上にいる時に悦びを見い出せれば、霊界に行って自発的に成長して行くことが可能になります。



多くの人は、他者のために何かをすることは良いことだと、漠然と思っています。

それは道徳的に良いと言う以上のものであり、全宇宙を貫いている大原則(神の摂理)に適った行為です。

適った行いをしている時に人は成長し、生きていることを実感し、満たされた気持ちになります。

自分のためだけに生きていると、どうしても虚しさを感じてしまうのはそのためです。



生きる目的を見い出せずに苦しい思いをしている人は、自分以外に目を向けて、何か出来ることを見つけるのも大切かもしれません。

大きなことをする必要はなく、身の回りで、自分に出来る範囲ですれば良いはずです。

実行に移すことで、苦しみは和らぐと考えられます。

人間は成長していない状態を苦しみとして感じ、成長することに悦びを感じるようになっていると思うからです。






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